2018年11月 5日 (月)

「山本善偉さんを偲ぶ会」に参加して

Img_4309山本善偉さんの偲ぶ会に、家族友人たち約100人が六甲学生青年センターに集いました。本当に多くの人たちの善偉さんとの交流と思い出話しを聞いてあらためて、善偉さんの素晴らしい生き方人々の交流に心打たれました。教え子には財界人もおり、様々な偲ぶ会が開かれているが、この会こそ善偉さんの本当の思いに寄り添うものだ(実際は、「最左派」との言葉ですが)との指摘があった。 

善偉さんは、1943年の学徒出陣壮行会の答辞で、「命を賭けて敵米英を撃滅する」と檄を飛ばし、新兵訓練の教師として、多くの若者を戦地に送った。戦後母校で教鞭とるも、アメリカ留学で、フィリピン女学生から、牧師の父親が民兵を匿ったために目の前で日本軍に殺された話しを聞かされ、辛うじてアイムソーリーとしか言えなかった体験が、後々反戦反基地反差別の闘いを97才に亡くなるまで貫いた原点と言っていた。

Img_4310遺族を代表した息子さんが、新しい世界観や考え方に非常に柔軟に受け入れる人だといわれた。客観的情勢や世の中の動向が大きく変化するとき、真っ白な気持ちで向き合い、これまでの自らの考え方や世界観にいつまでも固執せず、これまでの有様を痛苦に反省し自己変革と格闘する勇気と必死の努力をされたのだろうと思います。私はそのことの大切さを善偉さんから教えられました。本当に戦争と戦後の歴史を背負って生き抜き闘い抜いた人だと思いました。学徒出陣の送辞答辞を述べた2人ともが、Img_4311戦争を否定し、平和と人権を守る闘いを貫く生き方をした事実の重さを、痛感します。安倍の破綻はこの点で必然です。素晴らしい偲ぶ会でした。沖縄から安次富さん、金さん、三里塚から市東さん、萩原さん、山口さん、反原発の木原さん、部落解放同盟全国連はじめ様々な方々が素晴らしい発言をされました。

というか善偉さんの人徳だと思います。松原さん。みなさん。大変お疲れ様でした。
               関西合同労働組合  石田勝啓

 

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2018年10月18日 (木)

10・14三里塚全国集会報告

 1014日、時折小雨の降る三里塚現地に680名が結集して全国集会が開催されました。前半の司会と開会あいさつは北原健一さん。77年に初めて三里塚の土を踏んだ私の記憶では、全国集会で健一さんが司会をしたのは初めてではないでしょうか?

 頼もしい建一さん

どんな発言になるのかと聞いていますと、とても初めての司会とは思えない流暢な語り口で、開会あいさつどころか基調報告と聞き間違える程現在の情勢を全面展開。そのすぐ後に基調報告に立った萩原富夫さんが苦笑いする程の内容でした。その後も発言者を紹介するだけの場面でも健一さんは時間を気にせず発言を続け、反対同盟の伊藤さんからストップをかけられ、会場からも笑い声が出ていました。

 しかしこれらは父である故北原鉱治事務局長の遺志を引き継ぎ反対同盟を牽引するんだという健一さんの強い決意の表れであると感じ本当に頼もしく思いました。

 請求異議裁判の勝利を

 さて(本当の!)基調報告で萩原さんは冒頭、今年82日に亡くなった我が関西実の山本善偉世話人を「(亡くなる)直前(721日)に訪問した時はお元気だったのに・・・本当に残念でなりません」と追悼の言葉を述べました。

 そして本題に入り、まず2年間に渡って闘われた請求異議裁判の1220日判決公判に向って、各裁判や署名、要請書提出行動など「強制収用ゆるすな!」の闘いを全力で取組むことが訴えられました。そして第三滑走路建設のための用地買収や飛行時間延長など住民無視の空港機能強化策動を粉砕すること、そして沖縄、福島と連帯して改憲阻止、安倍政権打倒へ共に闘うことなどが明らかにされました。

 そして最後に歌手の川口真由美さんの「ケサラ」を独唱して終わりましたが三里塚の基調報告で歌を聴くのは初めてかなあ?

 山本世話人追悼の発言続く

 動労千葉に続いて連帯のあいさつに立った関西実の松原さんも「皆さんの発言とは少し方向が違うかも知れませんが・・」と断ってから山本世話人の、亡くなる10日ほど前からの身体の変化について詳しく説明しました。

「ここまで自分の意思で・・これから先は御神の御心にまかす」これが山本世話人が最後に書き残した言葉だったとのこと、本当に澄みきった人生ではなかったでしょうか。会場も雑談らしいものも無く、静かに松原さんの話に聞き入っていました。きっと山本世話人の人生に感銘を受けた参加者も多数いたことでしょう。

 後で登壇した部落解放同盟全国連の滝岡さんも「荒本支部が不当な攻撃にさらされていた時、山本先生が共に闘ってくれました」と語り、狭山闘争でも兵庫の地で先頭で闘い続けた故人を偲びました。

 続いて今国家権力(各県警、府警)から不当極まる大弾圧を受けている全日建連帯労組関西生コン支部からのメッセージが紹介されました。組合への加入勧誘が脅迫罪、スト突入通知が威力業務妨害とでっち上げられ、20名が不当逮捕されるという絶対に許せない事態です。この労組破壊攻撃と全力で闘い続ける関西生コン支部を孤立させてはなりません。私たちも全力で支援の輪を拡げていきましょう。

農地は命

 当該の市東孝雄さんは「(裁判としては異例の請求異議裁判が)2年間も闘えたというのは正義性の表れです」と語り、2013年の千葉地裁多見谷判決の「18千万円やるから農業をやめろ」というような判決を再び出させてはならないと訴えました。そして「農地を取られることは命を取られること、反対同盟の存在を知らしめる闘いを」と結びました。

まさに市東さんの農地を守る闘いはこれからの日本の農業(家族農業)の行く末を決めると言っても過言ではありません。反対同盟と共に全力で闘い続けましょう。

 その後弁護団、市東さんの農地取上げに反対する会、全国農民会議そして福島からの発言の後、沖縄の市東さんの農地を守る会の川野名護市議が、辺野古移設反対を第一に掲げた玉城デニー氏が知事選に勝利したが「勝利の余韻に浸っている暇はない。辺野古の闘いは本当に厳しい」と本土からのさらなる結集、支援を訴えました。

 司会が木内敦子さんに替わり最初に「三里塚闘争と連帯して原発全廃を闘い取ります」という若狭の原発を考える会のメッセージが紹介されました。その後住民団体、共闘団体からの発言、太郎良陽一さんの決戦本部からの訴えが続き、これまでより30分早い1430分に集会を終え、デモに出発しました。

山本世話人の魂と共に

 今回の全国集会は1220日に迫った請求異議裁判の判決に向った重要な闘いであったことは当然ですが、山本世話人の追悼集会と感じたのは私一人ではなかったと思います。

これからも山本世話人の魂と共に・・・

                          尼・伊実行委 弥永

(管理人より・なぜか写真が「容量オーバー」を理由に入りません。容量を小さくしてもそうなので、なにかのシステム上の不具合でしょうか)

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2018年9月28日 (金)

請求異議審・最終弁論が行われた

18927 昨日、千葉地裁で、市東さんの農地をめぐる請求異議裁判の最終弁論が行われた。事実をねじ曲げ、嘘で固めた多見谷判決を踏襲しただけの東京高裁決定、そして最高裁決定が許せるわけがない。

 その最高裁決定に「異議あり」と、請求異議裁判が2年あまりにわたって闘いぬかれてきた。原告・市東さん側の弁護団による弁論、そして証人4人による証言、そして石原健二、内藤光博両補佐人による農業、憲法それぞれの専門家として意見など、すごいとしか言いようのない毎回の法廷だった。被告・空港会社は、何一つ反論らしいものもすることができず、ただただ裁判所にすがるという姿勢を取り続けた。

 18927_2この日の法廷は、市東孝雄さんの最終意見陳述(後掲)にはじまり、石原、内藤両補佐人の意見、そして12ポイント程度の通常の裁判所への書類には見られない小さな字がびっしりの230頁に及ぶ最終弁論の要約が弁護団から3時間近く述べられた。それは50年に及ぶ三里塚の闘いを語り、現在の国による拡張・第3滑走路計画をも批判するすごい内容だった。

 亡くなられた北原鉱治事務局長が、「三里塚はいつも、裁判には勝つが、判決で撒ける」とよく言われていたのを思い出す。さて、今度は?

 18927_3しかし、報告会で最初に挨拶に立った市東さんが、「どんな結果になろうが、私は闘う、頑張りましょう」と檄をとばされた。頑張ろう!

 判決の法廷は、12月20日(木)午後2時、千葉地裁601号法廷です。この日も正午に近くの公園に集まって集会とデモ、そして傍聴券の確保のために並ぶことになると思います。お集まりください!

 

請求異議審 最終弁論 市東孝雄さんの最終意見陳述 

 この裁判の最後に、私の今の気持ちと、天神峰であくまでも農業を続ける決意を述べたいと思います。

1)農地は私の命です

  18927_4私はこれまで自分の仕事に誇りを持って生きてきました。今も、試行錯誤しながら有機野菜のための土壌を作っています。私の農業は農薬や化学肥料を一切使わず、露地栽培ですから、気象の変動と毎日の天気を見ながら、雑草と格闘して野菜を作っています。野菜づくりの方法に完成はなく、日々の工夫と努力の積み重ねによるしかありません。
 
天神峰と南台の農地は、そうしてできた私にとって命です。
 そこで育つ野菜を、本物だと認めてやってくる消費者家族がいます。私たちと消費者が、生産と食を相互に保障し合う、提携関係が結ばれています。これは信頼できる有機の土壌があってこそ、できる関係です。この消費者との〝顔の見える〟関係も、かんたんにできることではありません。

  空港会社は、私の農地を只の土地だと思っています。農業なんてどこでもやれると見下しています。農業よりも空港の方が社会に役立つと決め込んで、空港のために農地を差し出せ、カネを積むから出て行けという態度です。
 
だが、それは全くの間違いです。
 
農地は只の土地ではありません。農地は生きています。人が試行錯誤を重ねて、その人の農業のための土壌として、作り上げるものなのです。私の畑は、私の有機農業を実現するために、長い年月をかけて作った農地です。他にはない、かけがえのない農地なのです。
 
また、言うまでもなく、安全な食料を十分に満たすための農業は、社会にとって絶対に欠くことができません。農業はまさに、命をつなぐ〝生命産業〟です。これ以上の公共性があるでしょうか。しかも誘導路は国が安全性を認めて認可し、なんの支障もなく使われており、空港会社が畑をつぶす理由はないのです。
 私の野菜作りは、大正時代から百年間耕し、有機の土壌として作り上げた、天神峰と南台の、あの畑でしかできません。それが人々の健康と命をつないでいます。あの畑は私の人生であり、私の生き甲斐です。

  空港会社は、私が農業をやめると決め込んで、離作補償を示し、同じような農家収入の百五十年分の補償だから、百姓をやめて出て行けという態度です。そして裁判では、まともに反論せず、「強制手段の放棄」の事実をねじ曲げて空港会社を勝たせた多見谷判決と同様に、裁判所に任せておけば大丈夫だという態度を続けてきました。
 これは私の精一杯の訴えと法廷そのものを侮辱するものです。私は憤りを抑えることができません。

2)よねさんへの代執行とどこが違うのか!

  空港会社が取り上げようとしているのは、不利益を受けて解放されなかった小作地です。しかし、この畑もまた農地法で守られていました。うちは地代を欠かさず支払ってきたし、地主も信義を守ってきたと思います。
 
これを変えたのは空港公団です。父東市に秘密で売買し、地代を騙し取ってきました。あげくに空港会社が地主だと名乗り出て、私を「不法耕作」呼ばわりして、出て行けという。出て行かないなら機動隊の暴力で、取り上げるというのです。
 
私の農地の七割以上が、畑で育つ野菜と一緒につぶされます。祖父の代からの汗と涙、これまでの私の努力が重機の下に押しつぶされ、二度と野菜はできません。思っただけで、悔しくて涙がでます。
 
私に対するこの強制執行と、よねさんに対する代執行との、どこが違うというのでしょうか。
 
私は今、高瀬裁判長が下す判決いかんで、四十七年前の小泉よねさんと同じ地点に立たされようとしています。
 「もう二度と繰り返さない」「用地問題は話し合いで解決する」「強制手段は放棄する」と言って謝罪し、世間に公約した以上、私に対する強制執行は絶対に許されません。

3)〝権利濫用〟を訴えた証言と補佐人陳述

  小泉英政。加瀬勉、萩原富夫さんの証言は、大きな力になりました。
 
農地法を無視して秘密裏に買収して明け渡せというのは、まさに証言のとおり、「よねさんから強奪した手法を踏襲」するものです。
 
反対同盟が東峰に作ったよねさんの家は「借り物だった」という証言がありました。「苦労して、汗を流して頑張って、蓄積してこそ誇りと自信が生まれるし、人間は絶望しないで生きられる」という証言は、私の今の気持ちそのものです。
 私に対する強制執行は、「産直の会」を存続できなくさせ、共同生産者と約四百軒の消費者家族の暮らしを台無しにします。

  食糧自給の考えを失った農政によって、全国の農家が廃業に追い込まれています。石原健二補佐人は、「小規模農家の複合経営こそ日本の農業の基本」だと話し、私たちの農業を「いま時代が求める最先端の営農形態であって、つぶしてはならない」と訴えました。
 
そして内藤光博補佐人は、「人間の生活基盤と生きる意欲を奪い取る強制執行は、その人の人生の否定であり、尊厳を侵すから認められない」と話しました。そして、私に対する強制執行が権利濫用の特徴にすべて当てはまることを、一つひとつ確認しました。空港会社は何も答えられずにいます。
 私は自分の農業は間違ていなかったし、私がこの裁判で闘ってきたことは、私だけでなく、東峰地区や近隣住民、そして農業つぶしの農政の中で頑張る農家のためにもなることだと強く感じています。

4)「強制執行は認めない」との判決を求めます

 「私に対する強制執行は、営農の基盤を取り上げ、生きる希望をつぶしてしまう過酷執行である」
「強制執行放棄の公約を破るものであり、空港会社による権利濫用である」
「社会の正義に反するから、強制執行は許されない」
――二年間に及ぶ弁論と法廷証言、補佐人陳述は、これらのことを明らかにしたと、私は信じています。

 私はあくまで天神峰と南台で私の畑を耕し、絶対に動かない。

 農地を取り上げる強制執行は、私にとって死刑と同じです。この裁判は、私にとって命がけの闘いです。高瀬裁判長が、会社を勝たせるために事実をねじまげた多見谷判決と同様の、不正義に走ることは絶対に許されません。

 「農地取り上げの強制執行は認めない」との判決を強く求めます。

 

  

 

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2018年9月 4日 (火)

耕作権裁判を傍聴して (9月3日)

裁判長が双方に「争点の土地図面」の作成を提案

 

視覚障がい者から探知機撤去の要求

 93日、千葉地裁民事第2部・内田博久裁判長により「耕作権裁判」の第38回目の口頭弁論が開かれました。この日は午前9時から葭川(よしかわ)公園で決起集会が開かれ、1893関実を代表して安藤も挨拶。特に山本善偉世話人が逝去されたことを報告。「三里塚に思いを馳せ何度もかけつけて下さった山本先生の遺志を受け継ぐ」との追悼の言葉(抵抗の旗)を引用して、今日の耕作権裁判、927日の請求異議裁判に勝利することを訴えました。

反対同盟の萩原富夫さんは第三滑走路を阻止し、夜間飛行拡大を許さないために空港周辺の皆さんに絶対反対を呼びかけている報告をして、927請求異議裁判と1014全国闘争への結集を訴えられました。

集会のあと裁判所までデモ行進が行われ、物々しい入口検問に抗議の声をあげて通過。この時、障がい者グループが金属探知機検査のアーチが点字ブロックをふさいで設置されていることに抗議。法廷の開廷前に裁判長に対して人権侵害の暴挙を許さないぞ、と傍聴席一体となって抗議の声をあげました。これを受けて弁護団の大口弁護士が急遽内田裁判長に裁判所としての改善を早急にしなさい、と要求。裁判長は「施設長に伝えます」と渋々?回答しました。結集した皆さんは、この怒りをバネに不当な反動判決を許さない傍聴を続けました

 

文書提出命令を拒否するNAA

今回久しぶりに傍聴して「文書開示があるか」との期待を持ちましたが、NAAは裁判所の命令に従わず「文書はない」と逃げの一手です。各弁護士は「真実がバレるから出さないのだろう」「30年前の文書なのに提出を拒否する理由はないはずだ」と厳しく追及。傍聴席も「なぜ出さない」との大怒号。NAA代理人は、ひたすら下を向いて押し黙ったままでした。

この日の弁論では、最初に「そもそも市東孝雄さんの農地を農地法で取り上げようとすること自体違法だ」との主張が行われ「憲法29条(財産権の保障)に違反し、農地法5条(農地転用)にも違反し、NAAの土地収用内規38条にも違反している、だから土地の所有権移転は法的に違法であり市東孝雄さんの耕作権を取り上げることは出来ない」と法的な問題点を明らかにしました。

市東さんの農地取り上げの不正義は、土地の位置が確定できていない、立ち合いも行われていない、市東東市さんの書類を偽造している(署名も印鑑も)と重大な問題があり、加えて法律的にも違法な手続きが行われていることが暴露されました。

最期に大口弁護士から先日行われた請求異議裁判で小泉英征さんや加瀬勉さんが証言にたち、特に小泉さんから暴力的な強制執行でよねさんを追い出した非人道的な国の姿勢に言及。「あの公開シンポジウム後は強制収用の暴挙を詫びて、話し合いで解決することを国や空港公団は約束したはずだ。にもかかわらず、農地法を悪用して、話し合いを反故にして市東さんの農地を取り上げることは許せない」と声を大にして裁判長に訴えました。この火を吐くような弁論に傍聴席から盛大な拍手が鳴り響き、裁判官、NAAを圧倒しました。

今後の訴訟プランのン中で裁判長は「争点の土地確定のために共通の図面を作成したい」との提案があり、図面とトレース用紙が原告、被告双方に配られました。この図面が今後どのように影響してゆくのか、NAAの隠ぺい策動を粉砕することにつながれば、と期待しました。閉廷の時、時計を見ましたらなんと1220分、長時間でしたが集中力が途切れることなく、反対同盟、弁護団、傍聴席一体となって裁判所とNAAを押しまくった裁判だったと思います。次回は1119日、次々回は218日との期日を決めて閉廷。この後に弁護士会館で報告会が行われました(所要のため安藤は欠席)。

                       事務局  安藤眞

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2018年8月26日 (日)

高浜原発このまま廃炉!関西電力包囲全国集会で署名活動

 18825昨日、8月25日、猛暑の中「高浜原発このまま廃炉!関西電力包囲全国集会」が、福井現地、伊方、川内、東海などからも参加していただき、400名で集会、御堂筋デモをやりぬきました。

 関西電力は、高浜原発4号機の再々稼働(8月22日予定)を前にして、18825_219日、20日と連続して事故を起こし、再々稼働を延期せざるをえず、関西電力に原発を再稼働させる能力のないことを暴露し、同時に、最早廃炉しかないことも明らかにしました。

 異常ともいわれる真夏の猛暑の中で400人の結集は、前回の700人に匹敵する結集でした。

 三里塚関西実行委では、この集会に先立って、結集してくるみなさんに市東さんの農地問題、請求異議裁判を訴え、署名活動を行い、47筆の署名を得ました。

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2018年7月20日 (金)

7月17日の請求異議裁判を傍聴して

 

 717日、千葉地裁で市東孝雄さんの農地をめぐる最高裁決定(農地強奪)に対する請求異議の第8回裁判が開かれた。

 

 18717この日、専門家が裁判の法廷で専門家としての意見を述べる「補佐人」として、農業経済学者の石原健二さんと憲法学者の内藤光博さんが、それぞれ予定の1時間を上回る熱弁を繰り広げた。

 

 石原さんは、日本の戦後農業の現状を語る中から、農業基本法(1961年)前文から引用して本来農業がもつ意義と社会的位置が阻害されてきたことを明らかにした上で、詳細な農業指標と世界の動向から農業の社会的位置を明らかにした。その上で、18717_2市東さんと萩原さんが受け継ぎ進めている有機農業と産直提携の重要性を明らかにし、空港会社による農地強奪の強制執行が反社会的な権利の乱用であることを明らかにした。

 

 また、内藤さんは前々回の法廷での加瀬さん、小泉さんの証言、小泉よねさんへの強制執行(1971920日)を引用しつつ、市東さんの農地などに対する強制収用は、市東さんの誇りと生きる希望を奪う点で「二重の意味での過酷執行」であり生存権などを定めた憲法に違反すると断じた。同時に新たな憲法学的論点として「営農権」の確立を主張し、18717_3スイスや韓国の憲法学的現状を引用しながら、市東さんの営農権を奪うべきでないことを明らかにした。

 

 法廷では最後に、7人の弁護団全員が立って927日に予定されている最終弁論の骨格的な弁論を展開し、空港会社に自らの位置に立った反論があるなら早急にすべきであることを厳しく求めた。

 

 次回法廷は、時間などはまだ確定されていないが、927日(木)に開かれ、弁護団による最終弁論と本人・市東孝雄さんの意見陳述が行われる。

 

 早急にみなさんが、対応する態勢をとり、傍聴に駆け付けることを訴えます。高瀬裁判長に、不当な判決を許さないために全力で取り組みましょう。

 

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2018年7月10日 (火)

『第2回樫の木まつり』に参加して

 

 78日、1878_2大雨が続いている関西から出かけてきた千葉は、着いた前夜にもう雨は上がっていた。そして『樫の木まつり』が開かれたこの日は、夏の雲があるものの、きれいな青空。この夏、初めて感じた「暑い!」夏の暑さでした。

 

 請求異議裁判で強制収用の対象となっている市東さんの南台の畑で、「打ち合わせ」。反対同盟の伊藤さんから状況の説明と、支援連四党派から農地強奪を許さないという想いが語られて、1878_3市東さんを先頭にデモに出発。風が暑さとともにさわやかな空気を運んでいる中を150人がデモ。なんと会場の市東さんの離れから開拓道路に行くところに機動隊が完全武装で盾を横にして構え並んでいる。1878_4「強奪するぞ!」という意思表示かとも思うが、場違いな滑稽さがあふれていた。

 

 この『樫の木まつり』は市東さんの離れにある100年を超える樫の木の下で行われることから付いた名だが、「農地の強奪を許さない」という意思表示を請求異議裁判の開始という中でやろうということで、昨年開かれ、「今年もやれた」、「来年もやろう」と、第2回が開かれたのだ。

 

 1878_6萩原富夫さんの開会の挨拶で始まり、動労千葉、関西実行委(私)、市東さんの会などいつもの発言バッターがそれぞれ想いを語る。1878_7関西からわざわざこのために(前日は大阪十三、翌日は名古屋で公演)来られた趙博さん(パギヤン)の熱演と語りが集会を大いに盛り上げ、多くの皆さんの想いを、1500筆にのぼる署名を携え参加してくれた関西生コンの西山さんが代表していました。1878_8飲み食い、語り合うにぎやかな集まりが今年も暑さを跳ね返して勝ち取られたのです。

 

 最後に、市東さんが、裁判の如何に関わらず来年もここで第3回をやろうということばで(強制収用されれば、ここも失うことになるのだ。許せるか!)この日の『樫の木まつり』は閉じられました。

 

1878_9 なお、昨日開かれた裁判の進行協議で、717日の法廷で結審と言われていたものを押し返し、927日(木)に最終弁論を行い結審することになったと連絡が入りました。みなさん、準備をお願いします。また、秋の三里塚全国集会は、1014日(日)に開かれることに決まりました。

 

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2018年6月30日 (土)

請求異議裁判を傍聴して (6月28日)

 

早期結審の動きをはねかえす

 628日、千葉地裁民事第五部高瀬順久裁判長のもとで市東孝雄さん農地の強制執行を阻止するために「請求異議裁判」が行われました。18628_2裁判所は今回の裁判で結審させ早期に判決をくだそうとの動きをみせましたが、萩原さん市東さんの訴えや弁護団の粘り強い猛攻、傍聴闘争の盛り上がりで早期結審の動きを止めました。その結果73日に今後の裁判内容を話し合う「進行協議」が裁判所と弁護団で行われることが決まりました。
 この日の裁判に勝利しようと12時に千葉中央公園で決起集会が行われ100名以上の皆さんが集まって、反対同盟を代表してこの日証言をする萩原富夫さんが提起、それぞれから早期結審を許さず闘おうとの決意が述べられました。関西を代表して安藤から「すべての敵をなぎ倒して、18628_3勝利の日にしましょう」と挨拶。この決起集会のアナウンスが125分から始まったことに千葉警察が「15分から始めろ」と妨害に来ましたが「まだ集会は始まっていない」と押し返し集会を続行。みんなで裁判所をぐるっと回るデモ行進のあと傍聴整理券を受け取るために裁判所6階に集結。約三分の一の方が抽選もれとなり法廷内に入れませんでしたが、後での報告会を楽しみに待ちました。私は申し訳ない思いで法廷に入らせていただき、この傍聴報告を準備いたしました。
 この裁判では、次回の弁論日程が717日と決まっていますが、進行協議によっては余談を許せません。私たちはさらに傍聴闘争と市東さんの農地を守る署名を続けましょう。

 萩原さん、市東さんがNAAを圧倒

 この日の弁論は原告証人尋問で最初に萩原富夫さんが証言台に立ちました、神妙な面持ちで「宣誓書」を宣言し、各弁護士から質問、本人の回答が繰り返されました。萩原さんは産直野菜の活動を有機栽培で続けてゆく意義を述べて、成田空港の拡張で農業が破壊されてゆく懸念を証言。具体的に誘導路拡張工事のために大切な森が破壊されて、有機農業のたい肥作り用の森が使えなくなった大損失を訴えました。18628_4さらに飛行コース直下の東峰神社の木を航空機の為に勝手に伐採したNAAの違法を追及、木の根の農家上空50メートルを通過する殺人的な飛行実態を暴露、人や自然や農業を破壊する成田空港は許せない、と強く訴えました。そして今急いで市東さんの農地を取り上げる理由などない、農地強奪をするな、と裁判長に要請しました。

 続いて証言台に立った市東孝雄さんは、お父さんの跡をついで20年前に農業をはじめ、萩原さんのお父さんや、石原健二先生(農業経済学)に教えてもらいながら無農薬、有機栽培を続けていることを訴えました。この石原先生の証人調べを是非おねがいしたい、と裁判長に要請。また有機栽培で「安全で安心な農作物を作る、ウソはつかない」との証言には傍聴席から「その通り、18628_5NAAはウソつくな」との声が上がりました。さらに、お父さんが農地死守の強い遺言を孝雄さんに告げて「こんなに農地を大切に思う父が耕作権を渡すはずはない。」とNAAがウソの同意書をでっち上げてだまし取った詐欺行為を追及しました。

 このやり取りを聞きながら、被告NAAの態度を注視していましたが、3名の代理人はこちら側がしめした写真や書証を開かない、読もうとしない姿勢を示し彼らの頭には「早期結審しろ、聞きたくない」との思いがにじみ出て、厚顔無恥の姿が暴露されました。

 萩原さん、市東さんの尋問は各々90分間行われ、終了時点で大きな拍手が起こりました。

 

 尋問後のやり取りで進行協議となる

18628_6お二人の尋問が終わると裁判長は「これですべての審理を終え・・」と言うのを遮るように弁護団より、全ての審理は終わっていない、市東さんも石原先生の商人調べを要請している、など次々と発言、そして平等な訴訟指揮をしない裁判官はこの裁判にふさわしくないのではないか、と「裁判官忌避」の意向を訴えると、何裁判長は何度も左右の陪席と相談、ついに「今後のことを考える進行協議を開きたい」と弁護団に投げかけ、73日の日程が決まりました。

 この日の裁判は550分閉廷となり長い裁判でしたが、早期結審をはねのけた粘り勝ちだったことを嬉しく思いました。裁判終了後にキボール会議室では報告会が行われ、萩原さん、市東さんの挨拶のあと、弁護団全員が奮闘した報告を短く述べられました。
                      事務局 安藤眞一

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2018年5月29日 (火)

請求異議裁判 (5月24日)

5月24日、市東さんの農地をめぐる最高裁決定に対する請求異議裁判が開かれ、小泉英政さん、加瀬勉さんが証言され、裁判所を圧倒しました。

18524 この日、裁判に先立って簡単な集会が裁判所近くの中央公園で開かれ、裁判所までのデモが行われました。冒頭、反対同盟の萩原富夫さんは今日の裁判の重要性を訴えた上で、18524_2第3滑走路、機能強化策によって1200戸もの立ち退きが強制されようとしていることを糾弾し、闘いを訴えました。

 裁判所は、この日も、不当な検問、荷物チェックを傍聴者に強制し、証人の小泉さんにまでしようとして、弁護団がその攻撃を跳ね返しました。

 小泉さんは、小泉よねさん(大木よねばあちゃん)の「くそ袋と実さんが残していった刀で闘います」という闘いとくらしを語りながら、自らがその中で養子になった経緯を語られました。そして1971年9月20日の小泉よねさんに対する代執行、よねさんへの暴力的襲撃と自宅の破壊という代執行がよねさんに与えた影響を、そしてその二年後に亡くなられたことが語られました。

 1940年代から小泉よねさんが開墾していた畑が、1977年「開港」を理由に強制代執行が強行されました。

 小泉さんは、こうした小泉よねさんに対する1971年、77年の不当極まる代執行を裁判に訴えられ、2001年2月、2015年5月、空港会社との和解が成立しました。

 それは、よねさんの権利回復・名誉回復という生涯の課題との関係、空港建設問題における地元尊重という、公団がかってなした公約との関係、1990年代に公団が、地元はもとより日本社会全体に対して行った公約の立場を改めて評価すべきとされました。18524_3
そして「市東さんの農地明け渡しの問題と、よねの農地明け渡しの問題は非常に似ています。話し合いの努力を尽くさずに、農地法を無視して市東さんの同意を得ることなく、秘密裏に地主から土地を買い、話し合いの努力を重ねることなどなく、明け渡しを求めてきたことなど、よねの畑を強奪した手法を踏襲しています。よね問題で反省し、謝罪した精神はどこにいったのでしょうか。長い年月をかけて和解を実現した者として、とても残念な事態だと思っています」(陳述書 甲第106号証より)(右写真は、この日の裁判の報告会で挨拶する市東さん)。

 この日、二人目の証人として法廷に加瀬勉さんが立たれた。加瀬さんは農家に生まれ、今も農業に従事しながら、農村青年活動に参加されていきました。その中で、北総台地の冨里から三里塚へと変遷する東京国際空港建設への反対運動に関わって行かれた経緯をはなされました。特に北総台地が「世界で二番目の良質な土地資源を持っています。中でも関東平野は火山灰が堆積してできた関東ローム層からなり、その台地部分は畑作に最適で、谷の部分には谷津田ができ稲作に適した地域になっています」(中略)「このような貴重な土地資源である日本を代表する耕作土地を消滅させるような空港建設は、日本の農業の未来を護るためにも許してはならない」(陳述書 甲第107号証より)。

 その上で、加瀬さんは小泉よねさん支援の常駐メンバーとして小泉宅に住み込み、1971年9月20日、小泉よねさんへの強制代執行に一部始終、よねさんのそばで闘い、ともに逮捕された、その凄まじい、暴力的な現場の様子を詳しく裁判長に語りかけ、「三里塚を知らない」裁判官たちを、ある意味で震え上がらせるほどの衝撃を与えていたのです。

 その上で加瀬さんは、農地解放の中で手続きを怠り、小作のまま過ごしてきた父親の市東東市(とういち)さん、孝雄さん親子への農地取り上げの不当性を明らかにし、さらには今回新たに進められようとしている第3滑走路などの問題にも触れました(上記意見書より)。

 

 18524_4この日の裁判で、小泉よねさんへの代執行の不当性、その故の2015年の空港会社による和解と全面謝罪がおこなわれたことが明らかにされたことが非常に大きいことです。その局面の最中に(2007年~現在)、市東さんの農地取り上げの裁判が進み、2013年7月のあの不当極まる多見谷地裁判決、それを踏襲しただけの高裁判決、最高裁判決が強行されていることがどうして許されましょうか。(上写真は、裁判後の報告会)

 同時に、この国の農業、農民に対し、かくも理不尽に農地取り上げ、農業破壊が行われていることが、それも日本で最も優良な農地である北総台地で行われていることが、現下の種子法の廃止、減反制度の廃止、TPP11の強行可決が行われているただの今、問題として法廷で糾弾されたことの意義の大きさを考えなければならないのではないでしょうか。

 

 次回、請求異議裁判は、今日の証言に続いて、萩原富夫さんの証言と、市東孝雄さんの本人尋問があります。その法廷を決定的に盛り上げ、裁判所を包囲する闘いの中から、裁判所による7月17日結審の野望を打ち砕こうではありませんか。

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2018年5月16日 (水)

耕作権裁判を傍聴して (5月14日)

裁判長がNAAに文書開示の勧告

 

裁判所の入り口検問に抗議する

 514日、千葉地裁民事第2部・内田博久裁判長により「耕作権裁判」の第37回口頭弁論が開かれました。この日も午前9時から千葉中央公園で決起集会が開かれ、18514関実を代表して安藤も挨拶、夜来の豪雨もあがって、裁判所までのデモ行進が行われました。久しぶりに裁判傍聴闘争に参加して、千葉地裁の物々しい入口検問にビックリ。手荷物検査と金属探知機検査のアーチをくぐらさせられ、思わず空港の出発検査を思い出しました。こんな不当で人権侵害の暴挙を許すことは出来ません。危険な存在は不当判決をねらう裁判所であり、暴力で市東さんの農地を強奪するNAAではないのか、と怒りがこみ上げてきます。結集した皆さんは、怒りをバネに裁判に向かいました。

内田裁判長の姿勢

 昨年の9月以来8か月ぶりに裁判傍聴をした安藤の感想は、前回「おまえはNAAの代理人か」とヤジを飛ばすほどNAAを庇護した言動が多くあり、問題の重要な炭塗文書開示も「原告が何度も開示しないと言っているので裁判所からは言えない」18514_2と繰り返していましたが、今回の裁判では「開示の必要性があるので任意解除してはどうか」と強く勧告。困った原告NAAは「回答は一か月待ってください」と開示の引き延ばしを諮りました。しかし一方では問題の多いインカメラ審理の言及もあり、今後も公正で民主的な訴訟指揮を追及しなければなりません。

問題の炭塗文書「乙85号証」は、2012年に下された文書提出命令によってNAAに提出させた数少ない書証の一つです。この資料は1970年当時の南台の農地について、小作者である根本、石橋、市東の三軒がそれぞれどこを耕作していたかという耕作状況を調査した図面入りの資料で、空港公団(NAAの前身)によって作成されたものです。2012年に提出された時、肝心な部分が炭塗りにされていたわけですが、市東さんの賃借地が図示されていて、それが現在の耕作場所と一致することから、市東さんにとっては決定的な証拠のひとつです。全面開示にむけて闘いましょう。

この日の裁判では、文書開示のほかNAAの偽造文書問題を追及するために、印鑑・印象の鑑定や、筆跡鑑定の問題点を弁護団が追及、また耕作地が都合よく変えられていることも指摘、その当時の交渉記録の開示も求めました。この追及にNAAは検討します、を繰り返し逃げの姿勢を示していました。次回の裁判を93日、次々回を1119日との期日を決めて閉廷。

法廷後の報告会で

裁判終了後にキボールの会議室で「報告会」が行われ、最初に市東さんが「524日、18514_3628日に総決起して下さい」とあいさつ。続いて葉山弁護士より「今日はかなり突っ込んだやりとりが出来た。今後も鑑定への反論、耕作地変遷の追及、交渉記録などの開示、炭塗文書の開示を求めてゆきたい」との訴訟方針が説明されました。続いて遠藤弁護士は「数か月前まで内田裁判長は開示を拒否していたが、我々の追及におされて開示を勧告したことは前進だ」とあいさつ。大口弁護士から524日の裁判の為に小泉さん加瀬さんが証言してくれる準備で何度も訪問されている報告があり「お二人とも全面的に協力するとおっしゃってます」と話されました。             (事務局 安藤眞一)

 

 

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