2018年9月 4日 (火)

耕作権裁判を傍聴して (9月3日)

裁判長が双方に「争点の土地図面」の作成を提案

 

視覚障がい者から探知機撤去の要求

 93日、千葉地裁民事第2部・内田博久裁判長により「耕作権裁判」の第38回目の口頭弁論が開かれました。この日は午前9時から葭川(よしかわ)公園で決起集会が開かれ、1893関実を代表して安藤も挨拶。特に山本善偉世話人が逝去されたことを報告。「三里塚に思いを馳せ何度もかけつけて下さった山本先生の遺志を受け継ぐ」との追悼の言葉(抵抗の旗)を引用して、今日の耕作権裁判、927日の請求異議裁判に勝利することを訴えました。

反対同盟の萩原富夫さんは第三滑走路を阻止し、夜間飛行拡大を許さないために空港周辺の皆さんに絶対反対を呼びかけている報告をして、927請求異議裁判と1014全国闘争への結集を訴えられました。

集会のあと裁判所までデモ行進が行われ、物々しい入口検問に抗議の声をあげて通過。この時、障がい者グループが金属探知機検査のアーチが点字ブロックをふさいで設置されていることに抗議。法廷の開廷前に裁判長に対して人権侵害の暴挙を許さないぞ、と傍聴席一体となって抗議の声をあげました。これを受けて弁護団の大口弁護士が急遽内田裁判長に裁判所としての改善を早急にしなさい、と要求。裁判長は「施設長に伝えます」と渋々?回答しました。結集した皆さんは、この怒りをバネに不当な反動判決を許さない傍聴を続けました

 

文書提出命令を拒否するNAA

今回久しぶりに傍聴して「文書開示があるか」との期待を持ちましたが、NAAは裁判所の命令に従わず「文書はない」と逃げの一手です。各弁護士は「真実がバレるから出さないのだろう」「30年前の文書なのに提出を拒否する理由はないはずだ」と厳しく追及。傍聴席も「なぜ出さない」との大怒号。NAA代理人は、ひたすら下を向いて押し黙ったままでした。

この日の弁論では、最初に「そもそも市東孝雄さんの農地を農地法で取り上げようとすること自体違法だ」との主張が行われ「憲法29条(財産権の保障)に違反し、農地法5条(農地転用)にも違反し、NAAの土地収用内規38条にも違反している、だから土地の所有権移転は法的に違法であり市東孝雄さんの耕作権を取り上げることは出来ない」と法的な問題点を明らかにしました。

市東さんの農地取り上げの不正義は、土地の位置が確定できていない、立ち合いも行われていない、市東東市さんの書類を偽造している(署名も印鑑も)と重大な問題があり、加えて法律的にも違法な手続きが行われていることが暴露されました。

最期に大口弁護士から先日行われた請求異議裁判で小泉英征さんや加瀬勉さんが証言にたち、特に小泉さんから暴力的な強制執行でよねさんを追い出した非人道的な国の姿勢に言及。「あの公開シンポジウム後は強制収用の暴挙を詫びて、話し合いで解決することを国や空港公団は約束したはずだ。にもかかわらず、農地法を悪用して、話し合いを反故にして市東さんの農地を取り上げることは許せない」と声を大にして裁判長に訴えました。この火を吐くような弁論に傍聴席から盛大な拍手が鳴り響き、裁判官、NAAを圧倒しました。

今後の訴訟プランのン中で裁判長は「争点の土地確定のために共通の図面を作成したい」との提案があり、図面とトレース用紙が原告、被告双方に配られました。この図面が今後どのように影響してゆくのか、NAAの隠ぺい策動を粉砕することにつながれば、と期待しました。閉廷の時、時計を見ましたらなんと1220分、長時間でしたが集中力が途切れることなく、反対同盟、弁護団、傍聴席一体となって裁判所とNAAを押しまくった裁判だったと思います。次回は1119日、次々回は218日との期日を決めて閉廷。この後に弁護士会館で報告会が行われました(所要のため安藤は欠席)。

                       事務局  安藤眞

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2018年8月26日 (日)

高浜原発このまま廃炉!関西電力包囲全国集会で署名活動

 18825昨日、8月25日、猛暑の中「高浜原発このまま廃炉!関西電力包囲全国集会」が、福井現地、伊方、川内、東海などからも参加していただき、400名で集会、御堂筋デモをやりぬきました。

 関西電力は、高浜原発4号機の再々稼働(8月22日予定)を前にして、18825_219日、20日と連続して事故を起こし、再々稼働を延期せざるをえず、関西電力に原発を再稼働させる能力のないことを暴露し、同時に、最早廃炉しかないことも明らかにしました。

 異常ともいわれる真夏の猛暑の中で400人の結集は、前回の700人に匹敵する結集でした。

 三里塚関西実行委では、この集会に先立って、結集してくるみなさんに市東さんの農地問題、請求異議裁判を訴え、署名活動を行い、47筆の署名を得ました。

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2018年7月20日 (金)

7月17日の請求異議裁判を傍聴して

 

 717日、千葉地裁で市東孝雄さんの農地をめぐる最高裁決定(農地強奪)に対する請求異議の第8回裁判が開かれた。

 

 18717この日、専門家が裁判の法廷で専門家としての意見を述べる「補佐人」として、農業経済学者の石原健二さんと憲法学者の内藤光博さんが、それぞれ予定の1時間を上回る熱弁を繰り広げた。

 

 石原さんは、日本の戦後農業の現状を語る中から、農業基本法(1961年)前文から引用して本来農業がもつ意義と社会的位置が阻害されてきたことを明らかにした上で、詳細な農業指標と世界の動向から農業の社会的位置を明らかにした。その上で、18717_2市東さんと萩原さんが受け継ぎ進めている有機農業と産直提携の重要性を明らかにし、空港会社による農地強奪の強制執行が反社会的な権利の乱用であることを明らかにした。

 

 また、内藤さんは前々回の法廷での加瀬さん、小泉さんの証言、小泉よねさんへの強制執行(1971920日)を引用しつつ、市東さんの農地などに対する強制収用は、市東さんの誇りと生きる希望を奪う点で「二重の意味での過酷執行」であり生存権などを定めた憲法に違反すると断じた。同時に新たな憲法学的論点として「営農権」の確立を主張し、18717_3スイスや韓国の憲法学的現状を引用しながら、市東さんの営農権を奪うべきでないことを明らかにした。

 

 法廷では最後に、7人の弁護団全員が立って927日に予定されている最終弁論の骨格的な弁論を展開し、空港会社に自らの位置に立った反論があるなら早急にすべきであることを厳しく求めた。

 

 次回法廷は、時間などはまだ確定されていないが、927日(木)に開かれ、弁護団による最終弁論と本人・市東孝雄さんの意見陳述が行われる。

 

 早急にみなさんが、対応する態勢をとり、傍聴に駆け付けることを訴えます。高瀬裁判長に、不当な判決を許さないために全力で取り組みましょう。

 

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2018年7月10日 (火)

『第2回樫の木まつり』に参加して

 

 78日、1878_2大雨が続いている関西から出かけてきた千葉は、着いた前夜にもう雨は上がっていた。そして『樫の木まつり』が開かれたこの日は、夏の雲があるものの、きれいな青空。この夏、初めて感じた「暑い!」夏の暑さでした。

 

 請求異議裁判で強制収用の対象となっている市東さんの南台の畑で、「打ち合わせ」。反対同盟の伊藤さんから状況の説明と、支援連四党派から農地強奪を許さないという想いが語られて、1878_3市東さんを先頭にデモに出発。風が暑さとともにさわやかな空気を運んでいる中を150人がデモ。なんと会場の市東さんの離れから開拓道路に行くところに機動隊が完全武装で盾を横にして構え並んでいる。1878_4「強奪するぞ!」という意思表示かとも思うが、場違いな滑稽さがあふれていた。

 

 この『樫の木まつり』は市東さんの離れにある100年を超える樫の木の下で行われることから付いた名だが、「農地の強奪を許さない」という意思表示を請求異議裁判の開始という中でやろうということで、昨年開かれ、「今年もやれた」、「来年もやろう」と、第2回が開かれたのだ。

 

 1878_6萩原富夫さんの開会の挨拶で始まり、動労千葉、関西実行委(私)、市東さんの会などいつもの発言バッターがそれぞれ想いを語る。1878_7関西からわざわざこのために(前日は大阪十三、翌日は名古屋で公演)来られた趙博さん(パギヤン)の熱演と語りが集会を大いに盛り上げ、多くの皆さんの想いを、1500筆にのぼる署名を携え参加してくれた関西生コンの西山さんが代表していました。1878_8飲み食い、語り合うにぎやかな集まりが今年も暑さを跳ね返して勝ち取られたのです。

 

 最後に、市東さんが、裁判の如何に関わらず来年もここで第3回をやろうということばで(強制収用されれば、ここも失うことになるのだ。許せるか!)この日の『樫の木まつり』は閉じられました。

 

1878_9 なお、昨日開かれた裁判の進行協議で、717日の法廷で結審と言われていたものを押し返し、927日(木)に最終弁論を行い結審することになったと連絡が入りました。みなさん、準備をお願いします。また、秋の三里塚全国集会は、1014日(日)に開かれることに決まりました。

 

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2018年6月30日 (土)

請求異議裁判を傍聴して (6月28日)

 

早期結審の動きをはねかえす

 628日、千葉地裁民事第五部高瀬順久裁判長のもとで市東孝雄さん農地の強制執行を阻止するために「請求異議裁判」が行われました。18628_2裁判所は今回の裁判で結審させ早期に判決をくだそうとの動きをみせましたが、萩原さん市東さんの訴えや弁護団の粘り強い猛攻、傍聴闘争の盛り上がりで早期結審の動きを止めました。その結果73日に今後の裁判内容を話し合う「進行協議」が裁判所と弁護団で行われることが決まりました。
 この日の裁判に勝利しようと12時に千葉中央公園で決起集会が行われ100名以上の皆さんが集まって、反対同盟を代表してこの日証言をする萩原富夫さんが提起、それぞれから早期結審を許さず闘おうとの決意が述べられました。関西を代表して安藤から「すべての敵をなぎ倒して、18628_3勝利の日にしましょう」と挨拶。この決起集会のアナウンスが125分から始まったことに千葉警察が「15分から始めろ」と妨害に来ましたが「まだ集会は始まっていない」と押し返し集会を続行。みんなで裁判所をぐるっと回るデモ行進のあと傍聴整理券を受け取るために裁判所6階に集結。約三分の一の方が抽選もれとなり法廷内に入れませんでしたが、後での報告会を楽しみに待ちました。私は申し訳ない思いで法廷に入らせていただき、この傍聴報告を準備いたしました。
 この裁判では、次回の弁論日程が717日と決まっていますが、進行協議によっては余談を許せません。私たちはさらに傍聴闘争と市東さんの農地を守る署名を続けましょう。

 萩原さん、市東さんがNAAを圧倒

 この日の弁論は原告証人尋問で最初に萩原富夫さんが証言台に立ちました、神妙な面持ちで「宣誓書」を宣言し、各弁護士から質問、本人の回答が繰り返されました。萩原さんは産直野菜の活動を有機栽培で続けてゆく意義を述べて、成田空港の拡張で農業が破壊されてゆく懸念を証言。具体的に誘導路拡張工事のために大切な森が破壊されて、有機農業のたい肥作り用の森が使えなくなった大損失を訴えました。18628_4さらに飛行コース直下の東峰神社の木を航空機の為に勝手に伐採したNAAの違法を追及、木の根の農家上空50メートルを通過する殺人的な飛行実態を暴露、人や自然や農業を破壊する成田空港は許せない、と強く訴えました。そして今急いで市東さんの農地を取り上げる理由などない、農地強奪をするな、と裁判長に要請しました。

 続いて証言台に立った市東孝雄さんは、お父さんの跡をついで20年前に農業をはじめ、萩原さんのお父さんや、石原健二先生(農業経済学)に教えてもらいながら無農薬、有機栽培を続けていることを訴えました。この石原先生の証人調べを是非おねがいしたい、と裁判長に要請。また有機栽培で「安全で安心な農作物を作る、ウソはつかない」との証言には傍聴席から「その通り、18628_5NAAはウソつくな」との声が上がりました。さらに、お父さんが農地死守の強い遺言を孝雄さんに告げて「こんなに農地を大切に思う父が耕作権を渡すはずはない。」とNAAがウソの同意書をでっち上げてだまし取った詐欺行為を追及しました。

 このやり取りを聞きながら、被告NAAの態度を注視していましたが、3名の代理人はこちら側がしめした写真や書証を開かない、読もうとしない姿勢を示し彼らの頭には「早期結審しろ、聞きたくない」との思いがにじみ出て、厚顔無恥の姿が暴露されました。

 萩原さん、市東さんの尋問は各々90分間行われ、終了時点で大きな拍手が起こりました。

 

 尋問後のやり取りで進行協議となる

18628_6お二人の尋問が終わると裁判長は「これですべての審理を終え・・」と言うのを遮るように弁護団より、全ての審理は終わっていない、市東さんも石原先生の商人調べを要請している、など次々と発言、そして平等な訴訟指揮をしない裁判官はこの裁判にふさわしくないのではないか、と「裁判官忌避」の意向を訴えると、何裁判長は何度も左右の陪席と相談、ついに「今後のことを考える進行協議を開きたい」と弁護団に投げかけ、73日の日程が決まりました。

 この日の裁判は550分閉廷となり長い裁判でしたが、早期結審をはねのけた粘り勝ちだったことを嬉しく思いました。裁判終了後にキボール会議室では報告会が行われ、萩原さん、市東さんの挨拶のあと、弁護団全員が奮闘した報告を短く述べられました。
                      事務局 安藤眞一

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2018年5月29日 (火)

請求異議裁判 (5月24日)

5月24日、市東さんの農地をめぐる最高裁決定に対する請求異議裁判が開かれ、小泉英政さん、加瀬勉さんが証言され、裁判所を圧倒しました。

18524 この日、裁判に先立って簡単な集会が裁判所近くの中央公園で開かれ、裁判所までのデモが行われました。冒頭、反対同盟の萩原富夫さんは今日の裁判の重要性を訴えた上で、18524_2第3滑走路、機能強化策によって1200戸もの立ち退きが強制されようとしていることを糾弾し、闘いを訴えました。

 裁判所は、この日も、不当な検問、荷物チェックを傍聴者に強制し、証人の小泉さんにまでしようとして、弁護団がその攻撃を跳ね返しました。

 小泉さんは、小泉よねさん(大木よねばあちゃん)の「くそ袋と実さんが残していった刀で闘います」という闘いとくらしを語りながら、自らがその中で養子になった経緯を語られました。そして1971年9月20日の小泉よねさんに対する代執行、よねさんへの暴力的襲撃と自宅の破壊という代執行がよねさんに与えた影響を、そしてその二年後に亡くなられたことが語られました。

 1940年代から小泉よねさんが開墾していた畑が、1977年「開港」を理由に強制代執行が強行されました。

 小泉さんは、こうした小泉よねさんに対する1971年、77年の不当極まる代執行を裁判に訴えられ、2001年2月、2015年5月、空港会社との和解が成立しました。

 それは、よねさんの権利回復・名誉回復という生涯の課題との関係、空港建設問題における地元尊重という、公団がかってなした公約との関係、1990年代に公団が、地元はもとより日本社会全体に対して行った公約の立場を改めて評価すべきとされました。18524_3
そして「市東さんの農地明け渡しの問題と、よねの農地明け渡しの問題は非常に似ています。話し合いの努力を尽くさずに、農地法を無視して市東さんの同意を得ることなく、秘密裏に地主から土地を買い、話し合いの努力を重ねることなどなく、明け渡しを求めてきたことなど、よねの畑を強奪した手法を踏襲しています。よね問題で反省し、謝罪した精神はどこにいったのでしょうか。長い年月をかけて和解を実現した者として、とても残念な事態だと思っています」(陳述書 甲第106号証より)(右写真は、この日の裁判の報告会で挨拶する市東さん)。

 この日、二人目の証人として法廷に加瀬勉さんが立たれた。加瀬さんは農家に生まれ、今も農業に従事しながら、農村青年活動に参加されていきました。その中で、北総台地の冨里から三里塚へと変遷する東京国際空港建設への反対運動に関わって行かれた経緯をはなされました。特に北総台地が「世界で二番目の良質な土地資源を持っています。中でも関東平野は火山灰が堆積してできた関東ローム層からなり、その台地部分は畑作に最適で、谷の部分には谷津田ができ稲作に適した地域になっています」(中略)「このような貴重な土地資源である日本を代表する耕作土地を消滅させるような空港建設は、日本の農業の未来を護るためにも許してはならない」(陳述書 甲第107号証より)。

 その上で、加瀬さんは小泉よねさん支援の常駐メンバーとして小泉宅に住み込み、1971年9月20日、小泉よねさんへの強制代執行に一部始終、よねさんのそばで闘い、ともに逮捕された、その凄まじい、暴力的な現場の様子を詳しく裁判長に語りかけ、「三里塚を知らない」裁判官たちを、ある意味で震え上がらせるほどの衝撃を与えていたのです。

 その上で加瀬さんは、農地解放の中で手続きを怠り、小作のまま過ごしてきた父親の市東東市(とういち)さん、孝雄さん親子への農地取り上げの不当性を明らかにし、さらには今回新たに進められようとしている第3滑走路などの問題にも触れました(上記意見書より)。

 

 18524_4この日の裁判で、小泉よねさんへの代執行の不当性、その故の2015年の空港会社による和解と全面謝罪がおこなわれたことが明らかにされたことが非常に大きいことです。その局面の最中に(2007年~現在)、市東さんの農地取り上げの裁判が進み、2013年7月のあの不当極まる多見谷地裁判決、それを踏襲しただけの高裁判決、最高裁判決が強行されていることがどうして許されましょうか。(上写真は、裁判後の報告会)

 同時に、この国の農業、農民に対し、かくも理不尽に農地取り上げ、農業破壊が行われていることが、それも日本で最も優良な農地である北総台地で行われていることが、現下の種子法の廃止、減反制度の廃止、TPP11の強行可決が行われているただの今、問題として法廷で糾弾されたことの意義の大きさを考えなければならないのではないでしょうか。

 

 次回、請求異議裁判は、今日の証言に続いて、萩原富夫さんの証言と、市東孝雄さんの本人尋問があります。その法廷を決定的に盛り上げ、裁判所を包囲する闘いの中から、裁判所による7月17日結審の野望を打ち砕こうではありませんか。

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2018年5月16日 (水)

耕作権裁判を傍聴して (5月14日)

裁判長がNAAに文書開示の勧告

 

裁判所の入り口検問に抗議する

 514日、千葉地裁民事第2部・内田博久裁判長により「耕作権裁判」の第37回口頭弁論が開かれました。この日も午前9時から千葉中央公園で決起集会が開かれ、18514関実を代表して安藤も挨拶、夜来の豪雨もあがって、裁判所までのデモ行進が行われました。久しぶりに裁判傍聴闘争に参加して、千葉地裁の物々しい入口検問にビックリ。手荷物検査と金属探知機検査のアーチをくぐらさせられ、思わず空港の出発検査を思い出しました。こんな不当で人権侵害の暴挙を許すことは出来ません。危険な存在は不当判決をねらう裁判所であり、暴力で市東さんの農地を強奪するNAAではないのか、と怒りがこみ上げてきます。結集した皆さんは、怒りをバネに裁判に向かいました。

内田裁判長の姿勢

 昨年の9月以来8か月ぶりに裁判傍聴をした安藤の感想は、前回「おまえはNAAの代理人か」とヤジを飛ばすほどNAAを庇護した言動が多くあり、問題の重要な炭塗文書開示も「原告が何度も開示しないと言っているので裁判所からは言えない」18514_2と繰り返していましたが、今回の裁判では「開示の必要性があるので任意解除してはどうか」と強く勧告。困った原告NAAは「回答は一か月待ってください」と開示の引き延ばしを諮りました。しかし一方では問題の多いインカメラ審理の言及もあり、今後も公正で民主的な訴訟指揮を追及しなければなりません。

問題の炭塗文書「乙85号証」は、2012年に下された文書提出命令によってNAAに提出させた数少ない書証の一つです。この資料は1970年当時の南台の農地について、小作者である根本、石橋、市東の三軒がそれぞれどこを耕作していたかという耕作状況を調査した図面入りの資料で、空港公団(NAAの前身)によって作成されたものです。2012年に提出された時、肝心な部分が炭塗りにされていたわけですが、市東さんの賃借地が図示されていて、それが現在の耕作場所と一致することから、市東さんにとっては決定的な証拠のひとつです。全面開示にむけて闘いましょう。

この日の裁判では、文書開示のほかNAAの偽造文書問題を追及するために、印鑑・印象の鑑定や、筆跡鑑定の問題点を弁護団が追及、また耕作地が都合よく変えられていることも指摘、その当時の交渉記録の開示も求めました。この追及にNAAは検討します、を繰り返し逃げの姿勢を示していました。次回の裁判を93日、次々回を1119日との期日を決めて閉廷。

法廷後の報告会で

裁判終了後にキボールの会議室で「報告会」が行われ、最初に市東さんが「524日、18514_3628日に総決起して下さい」とあいさつ。続いて葉山弁護士より「今日はかなり突っ込んだやりとりが出来た。今後も鑑定への反論、耕作地変遷の追及、交渉記録などの開示、炭塗文書の開示を求めてゆきたい」との訴訟方針が説明されました。続いて遠藤弁護士は「数か月前まで内田裁判長は開示を拒否していたが、我々の追及におされて開示を勧告したことは前進だ」とあいさつ。大口弁護士から524日の裁判の為に小泉さん加瀬さんが証言してくれる準備で何度も訪問されている報告があり「お二人とも全面的に協力するとおっしゃってます」と話されました。             (事務局 安藤眞一)

 

 

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2018年5月14日 (月)

重大な局面を迎えた請求異議裁判 (関実ニュースより)

 重大な局面を迎えた請求異議裁判
 「国策」による農地強奪を許すな!

 すでに報じられているように、市東さんの農地をめぐる最高裁決定による強制収用が非常に具体的様相を帯びてきました。
 この過程、市東さん、反対同盟、弁護団の必死の闘いが最高裁決定を、請求異議裁判という形で押し返してきました。しかし、昨年末の法廷で、裁判所は「次回法廷での萩原富夫さんと市東孝雄さん本人の証人尋問で終わらせる」と早期判決の意志を突然明らかにしました。弁護団を先頭にした傍聴席を含むわれわれの必死の闘いが、5月24日(午後2時から)加瀬勉さん、小泉英政さんの証人採用、6月28日(午後2時から)萩原富夫さん、市東孝雄さんの証人採用というところまで、裁判所を押し返しました。その上で、裁判所は、あくまで「国策裁判」として最高裁決定をおしきるために、弁護団による抗議を無視して、7月17日の結審強行をいまだに匂わせています。極めて重要な局面にあるということをあらためて皆さんに訴えます。

 嘘で固めた農地裁判
 
そもそもこの市東さんの農地をめぐる農地法裁判は、2013年7月29日に強行された千葉地裁多見谷裁判長による不等・不法な反動判決に依拠して、高裁決定、最高裁決定が強行されました(多見谷裁判長が、この判決を根拠に直後に東京高裁に栄転し、さらにすぐ、福岡高裁那覇支部所長に転出し、辺野古をめぐる不当判決など犯罪的役割を果たし続けていることはご存じのとおりです)。
 Jpg農地裁判では、市東さんの南台の農地と天神峰農地と作業場(市東さんの自宅前)の明け渡しが求められています。右図は、その南台の空港会社が出してきた図面です。そのうち、図の「41‐8」と「41‐9」を市東さんが借りて耕している農地だとしています。
 また、空港会社は、図の薄い色の部分の農地を市東さんが不法に無断で耕してきたとして「不法耕作」と断じ、別の裁判(耕作権裁判)で訴え、すでに11年以上が経過してなお、千葉地裁で争われています。しかし、この耕作権裁判がまだ証人尋問にも入れない最大の理由が、この農地図の根拠として出してきた証拠の「境界確認書」などが空港会社が偽造した疑いが大きくなり、空港会社がこの指摘に対応できないからです。
 また、農地「41‐9」は、市東さん親子3代が100年にわたって一度も耕作したことがなく、故石橋政次が借りていたことが裁判の中で明らかになっています。このように裁判の大前提となる地割図面がまったくでたらめで、そもそも裁判自体が成り立たないはずなのです。2013年の多見谷判決とは、これらの事実が明らかになる過程で、それらを無視して、一切の審理を放棄して強行された判決であり、到底許されるものではありません。そもそも、裁判の前提となる成田市農業委員会の決定や千葉県農業委員会の決定が、耕作者であった市東孝雄さんの立ち会いもないまま、千葉県に至っては現場検証すら行なわず、空港会社のこの図面を鵜呑みにして決定を強行したのです。これ自体が違法・無法な暴挙です。
 加えて空港会社がこの市東さんの農地を取得したのが1988年です。しかし、この時、耕作者の故市東東市(とういち 孝雄さんのお父さん)さんの立ち会いもなく、農業委員会に届け出ることも行われませんでした。これは耕作者主権を定めた農地法の趣旨に違反しています。しかも、空港会社は取得後15年間その事実を隠し、市東さん親子は旧地主に地代を払い続けていたのです。こんなひどい詐欺まがいのことが、「国策」の名のもとに行われることがどうして許されるでしょうか。また農地法では、この当時は農地を取得する法人はその農地が所在する都府県に法人登記されていなければならないとされていました。当時空港公団(後の空港会社)は東京にあり、当然千葉県には登記されていません。このように空港会社による市東さんの農地取得は、それ自体が二重、三重に農地法に違反する犯罪行為なのです。
 請求異議裁判が、このように出鱈目な多見谷判決を根拠とした最高裁決定を是とする判決を強行することなどどうして許されましょう。「国策」の名の下に、このような違法行為、不法行為を根拠とした市東さんの農地の強制収用、強奪がどうして許されましょう。
 多くのみなさんが、5月24日、6月26日公判に結集し、裁判所の不法、農地の強制収用決定を許さない陣形を生み出すことを心から訴えます。当日は、裁判所近くの公園で正午から集会、デモを行い、裁判所の傍聴闘争に参加することになっています(詳細不明)。行ける方は正午に千葉へ! (松原康彦)

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2018年4月23日 (月)

関電包囲全国集会で市東さんの署名活動

 Img_4151_2昨日、少し暑いくらいの晴天の中、「4・22大飯原発うごかすな!関電包囲全国集会」が関電本店で、750人の結集で開かれ、集会後、御堂筋の多くの買い物客の注目を集めながら、なんばまでのデモがおこなわれた。

 集会では、最後に大飯原発4号機の再稼働に反対しようと、5月9日の現地行動が呼びかけられた。「IMG_0004.pdf」をダウンロード



 この集会に先立って、三里塚の「市東さんの農地取り上げ判決に異議あり!」の署名活動が行われ、58筆の署名が得られた。Img_4155


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2018年4月 5日 (木)

4・1 三里塚全国集会 報告

 41日満開の桜吹雪が舞う成田市栗山公園で700名が結集して全国集会が開催されました。1841この日は穏やかな桜日和にもかかわらず、反対同盟市東孝雄さんの農地取り上げとの厳しい状況下での緊迫した集会となりました。

 24日の関実旗開きでも懸念されていましたが、この38日の請求異議裁判で千葉地裁高瀬順久(よしひさ)裁判長は早々に証人尋問、本人尋問を終わらせ、7月最終弁論でもって早期結審を目論んでいることが明らかになりました。

 加えて313日、国とNAAは千葉県と空港周辺9市町でいわゆる4者協を開き、3本目の滑走路(3500㍍)の新設と運用時間拡大で合意しました。最後まで「抵抗」していた横芝光町の佐藤町長も結局は地域振興策という「アメ」のために町民を見捨て、森田知事にいたっては「(当該住民には)真摯に丁寧に説明していく」と安倍首相のペテン答弁をそのまま「採用」している始末です。新たに多くの住民に住居移転、騒音被害を強制することをどうやって「真摯に丁寧に」説明出来るというのか、怒りに耐えません。

新たな北総住民の反乱を

 1841_2このような状況下で基調報告に立った萩原富夫さんは、1971年の大木よねさんへの暴力的強制収用を国とNAAがその養子である小泉英政氏に2015年に謝罪と補償を行い「二度と繰り返さない」と約束したことにふれ、この裁判で市東農地の強制収用を可能にする判決を求めるペテンと矛盾を糾弾しました。

 そして4者協の「合意」に対しては「とてつもない規模の用地と広範な騒音被害の影響がある・・・50年前と何ら変わらぬ住民無視の暴挙と対決し、新たな北総住民の反乱を」と訴えました。そして「沖縄、福島と連帯し、改憲阻止、安倍打倒へ」とさらなる闘いの連帯を訴え報告を終えました。

  農業破壊と闘おう

 18413_2動労千葉・田中委員長の挨拶の後に立った関西実行委の松原さんも4者協決定に怒り、新しい空港(滑走路)が国会にも諮られず(4者協という)一民間組織の判断だけで決められることの不当性を指摘し、70年代の関空闘争の経験から騒音問題が多くの住民を苦しめる大問題になることを強調し「再びナリタでそれをさせてはならない」と訴えました。

そして今日の日本の農業政策が家族農業を否定し、農家として生きていけない状況を作り出している現実を踏まえ、三里塚先頭にこのような政策と闘うことを訴えました。

1841_4全日建連帯労組関生支部の西山さんの排外主義や春闘における御用組合との闘いの報告と三里塚連帯、安倍打倒の決意表明の後、当該の市東孝雄さんが「訴訟は圧倒的にこちらが押しています。私が闘う所それが天神峰で農地を守ることです。これからも全国の闘う人々と共に」といつもの落着き払った発言は故北原事務局長の「三里塚は健在です」という名言を彷彿とさせ力強く感じました。

 そして農地取上げに反対する会、全国農民会議、カンパアピールと続き、1841_5その後は関西実の旗開きにも来ていただいた川口真由美さんのお楽しみのミニライブです。彼女は約15分にわたり沖縄の闘いを中心にした歌を会場と一体になって唄いました。彼女ももうすっかり三里塚勢力の一員になったようです。

健一さん飛び入り発言

 その後、福島(椎名千恵子さん)、沖縄(知花昌一さん、金治明さん)、若狭(木原壯林さん〔メッセージ〕)、全国連(滝岡さん)等の挨拶が続き最後に太郎良陽一さんが行動提起に入ろうとしていたとき、故北原事務局長の長男健一さんが飛び入り発言。

 1841_6昨年10月の全国集会では事務局長が亡くなられた直後でもあり、悲しみをこらえた発言でしたが、この日は50年前この栗山公園(当時は成田市営グランド)で親子で闘ったことを懐かしむように穏やかな発言でした。そして驚いたのは顔は勿論、その低音で太い声が親父さんそっくりだったことです。「(親父の)50年間は正しかった・・・闘わなければ未来はない」とこれからも同盟の先頭で闘うことを表明しました。

 反対同盟事務局長の家族として、これまで何度も卑劣ないやがらせや脅迫を経験してきたことでしょう。しかしその「親父の50年」を心から尊敬できるなんて何とすばらしいことでしょうか。私もそんな親父になれるかなあ・・・まあ無理やな。

 それはさておき、請求異議裁判が、524日(木)、628日(木)いずれも午後2時より千葉地裁で証人尋問、本人尋問が予定されています。多数の結集をお願いします。

         尼崎伊丹実行委  弥永 修

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