7・5三里塚現地集会での萩原進さんのまとめ

0975  写真は、7・5三里塚現地闘争でまとめの挨拶をする萩原進反対同盟事務局次長(後姿)

萩原進さん(三里塚反対同盟事務局次長)

 緊急闘争に近い形での集会で、予想をはるかに上回る結集、本当にありがとうございます。この場での「打ち合わせ」のまとめとして。

 大きくは、今日の戦争への道、それに対する三里塚の持つ軍事空港反対の闘いをますます押し進めていかなければならないだろう。朝鮮半島における一触即発の現在の状況の中で、ミサイルの一斉配備をするんだとか、北朝鮮船舶の追尾だとか、それらによる戦争挑発の色合いすらある。また一方では海賊対処法だとか、田母神が全国的に講演をやるとか、国鉄民営化などをやりながら、いろいろな法律が改悪され、労基法、教育基本法が改悪され、そして今日、0975_2 農地法が今国会で改悪され、そういう中で今までの大転換がはかられ、憲法改悪が企まれ、地方制度が改悪されて道州制が導入される、こういう大きな問題が我々の所にかかっている。

 しかし、戦争をやることの準備をするだけでも大変なんです。これだけやんなきゃしょうがない。しかも、こういう闘う部隊がいるわけです。いわゆる城内平和を作るためには、こんな三里塚勢力、三里塚闘争なんてのをなくさなければ戦争できないんですよ。この点から見ても三里塚闘争の重要性ってのがあるんじゃないか。我々が掲げている軍事空港粉砕の闘いはまさに正義であり、戦争反対の闘い、そしてこの旗がもっともっと高く掲げられて・・・。このことが非常に重要な位置を占めてるんだということが先ず第1点として訴えたい。

 第2点目には、やはり三里塚の情勢です。先ほど出ました3本目の誘導路の問題があります。先の堂本千葉県知事が、東峰や天神峰を見て「ここは人が住める状況じゃない」と言ったんだが、誰がこの状況を作ったんだ。市東さんは、生活の糧である土地を奪われようとしてるわけですよ。それを嫌だといったら、実力で取られるわけですよ。今度は、飛行場の中に囲い込まれて、生活そのもの、寝起きそのものまで24時間その中に叩き込まれるんですね。これは何かと言ったら、天神峰や東峰の住民はここにいたら駄目なんだということを物語ってるんですよ。それは大きくは、三里塚闘争そのものがここにあっては駄目なんだと、何としても消さなきゃならん、そういう願望の下に3本目の誘導路建設が図られているんだと、この重要性を考えていただきたい。0975_3

 そして、先ほどから言われているように、市東さんを先頭にする裁判闘争、農地強奪の裁判と現闘本部裁判、一坪裁判があります。まさに今の司法反動の頂点に立った攻撃としてあるわけですね。だったら、われわれは階級裁判として受けて立つ。そして断固それをね、たとえ連中の土俵であろうと何であろうと、我々の方に持ってきちゃう。それだったら正義性をゴリゴリうちだし、勝利性をうったえ、公判も訴え、あらゆる人士がそこに大同団結して闘い抜くぞと、そういう枠を作っていく。それが三里塚の裁判で作り上げつつあるわけですな。まさしくこれがある。

 そして、裁判所の中だけでは決着がつかないんですよ。これを三里塚の現地に引きづり込んで、そこでまた闘いをやる、そういう裁判なんです。こんな裁判、ほかにはありませんよ。ですから、ほんとうに重要な裁判なんだ。こういう裁判こそ絶対的にしなきゃあならん。そのためには、彼らは二度にわたる北延伸を強行して早く出来上がったんだと、だから早く飛ばすんだと。そして何としてもわれわれを戦力を弱体化させようとしている。北延伸を3か月早めて供用開始したんですよ。このことについて黒野公団総裁は我々に陳謝したわけですよ。今度は、6ヵ月も早め、あるいは誘導路については10か月も早めてやると宣言して、今初めてるわけですよ。これは、ここまでやらざるを得ないところまであるんですよ。本来ならば、こんな短い滑走路では駄目なんです。もっと長い、2500じゃない、限りなく4000メートルに近い滑走路を造りたい。であるならば東峰住民を叩き出すしかない。しかし、そこまでなかなか行かない。そこで、民間団体を使って「完全空港化」「4000メートル滑走路を作りたい」とそのためにもう一度気運を盛り上げて、そのためにはもう1本誘導路を何としてもつくらなくちゃあならんと出して来たのが昨日の誘導路の計画なんです。

 反対同盟の弾劾声明の中で、「木に竹をつぐような」やり方だと言ってるけれども、正しく木に鉄を溶接するようなやり方で、ツギハギだらけの、どっから見てもおかしな空港を今やろうとしているんだ。今いるところ見て下さい。まさしく滑走路に出刃包丁つきつけて、これでも飛ぶのか、これでもやるのかと反対集会ひらいてるんですよ。こんな無様な空港がありますか。こんな闘いの場所がありますか。この状況を我々は必死で必死で歯をくいしばって勝ち取ってきたんですよ。このことを分かってほしい。こういう闘いをやり抜いて闘えば勝てるんだということを言いたいんです。

 時間がありませんので簡潔に言います。軍事空港粉砕、そして三里塚の状況。今、目の前にある闘いは、みんなが一緒に力を合わせて闘えば勝てる、そういう大道の上に立ってるんですよ。だけど残念だけど、先ほど市東さんが触れられましたが、同盟声明のことについてね若干述べなければならない、その悔しさがあります。

 反対同盟にとっては、動労千葉と関実はね、別格だといってもいい位置だと捉えております。闘いの車の両輪としての動労千葉、そして闘いの東西の両輪として関実をとらえております。動労千葉は、首を覚悟で労働者がジェット燃料貨車輸送阻止に決起し労農連帯ができた。まさしく、一方では革マルという反革命と闘いながら、中曽根の行革攻撃の中で、厳しい労働運動の中を動労千葉が闘い抜いて、しかし三里塚がその闘いの奥座敷として大きく、労働運動も含め、動労千葉も含め抱え込んで、三里塚勢力がそこで大きくは守り抜いたんじゃないのか。そして労働者と農民と学生と市民が一体となって闘い抜いたそういう熱い熱い想いがある、そういうことを今でも思い起こすことがあるんですよ。そういうことを絶対に忘れる事は出来ない。そういう絆は絶対に切れないんですよ。0975_4

 同じようにね、関実とも反対同盟は40年にわたる歴史があります。永井さんや山本先生、こういう世話人といくつもの反対運動の闘いの歴史の中で、山越え、野を超えありました。脱落や(爆音で聞こえず)・・・。彼らは泊まり込んで、一緒に闘うんだと、頑張ってくれと。そして全国の心ある人たちに対して、三里塚闘争を一緒に闘おうと、そういう形で我々と一緒にやりました。そもそも関実というのは、三里塚二期決戦に勝利しようとそういう関西の実行委員会であったはずです。そういう形でできたはずです。ですから鉄塔決戦の時に二期決戦を闘う団体ということで同盟と一緒に作った組織であります。そういう結んだ絆だからこそね、関西の震災の時にも自分は3日目にリュックサックに野菜を詰めてね現場にかけつけました。そういう歴史もあります。そういう形で今の同盟と関実とは深い信頼関係にあるわけです。だから今回のような事態は、ほんとに他人ごとでは絶対にあり得ないし、深刻な事態として同盟は受け止めました。問題は、同盟の問題だと受け止めたわけです。そういう中で、この問題がもっともっと進んでいくと、そういう分裂が反対同盟のなか、三里塚の中に持ち込まれてくるという形で、こういうことは絶対的に許せないという形でわたし達は、今まではいろんな意味であらゆる戦線の中でも、そういう問題も見ました。しかし、われわれは、今日までは一言も言いませんでした。しかし、今度ばかりはそうはいかない。声明の中で4番目に、「これが守られなければ、共闘関係云々」というのがありますが、そのことの真意は、今まで通りの関実の中で、湾岸共闘4団体の団結を持って関西の闘い、三里塚の闘いをほんとにやろうじゃないか、このことを訴えたいからこそ、反対同盟はあそこで出したんです。その反対同盟の心意気と今までの歴史的な背景、こういうことを汲んでいただきたい。そして何よりも、こんなことをやってる時なのかと、先ほど言いましたけれど、戦争的な状況の中、あるいは先ほど言いました三里塚の現状のなか、市東さんが置かれた現状の中で、ほんとにこんなことやっていていいのかどうかということを訴えたい。本来ならこういう話しをしたくないんだけれども、あえてこの場で言わしていただいて、そして皆さんとともに三里塚勝利のために邁進したいとおもいます。以上です。

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7・5三里塚現地闘争に350名

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 昨日7月5日、三里塚・東峰にある暫定滑走路にわずか70メートルに迫り存在する開拓道路(このこと自体が、成田空港の安全性無視の国際法違反だ!)で、350名が結集して、「仲戸川裁判長弾劾・新誘導路供用阻止・市東さんの農地を守れ! 7・5三里塚現地闘争」が闘われました。冒頭写真は、まとめの挨拶をされる萩原進反対同盟事務局次長(後姿)と集会です。

 詳しい様子は、すでに同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/07/post_665.html に掲載されておりますのでそちらをご覧ください。また、前日の新聞に暫定滑走路にジャンボ機を飛ばすために、何とあらたに3本目の「誘導路新設策動」が、市東さんの家屋と畑を空港の中に閉じ込めるように作ろうと発表されたことに対して出された闘争宣言が集会冒頭に鈴木謙太郎さんから紹介されましたが、同じブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/07/post_662.html に掲載されておりますのでご覧ください。

北原鉱治反対同盟事務局長挨拶

 今日は、雨が降っていなけれど大変蒸し暑い。今日、ここで「うちあわせ」と 「集会」を行っていることは、今から43年前、閣議決定された日であります。ほんとは、4日が閣議決定された日で、今日は5日なのね。だけど1日遅らせても、日曜日だから集まりいいだろうということで今日にしました。0975_7

 先ず、この山野を見た時にみなさんはどう思いますか? なぜ私たちが43年間も闘ってきたかということは、まったく矛盾だらけの空港であります。今回、この4月5日、現地集会を開くということは、もう一度43年前に帰ってみようと。閣議決定した日です。

 ところが、昨日、ブル新の報道によると、東京新聞ですね、あれには大々的に出てるんですね。暫定滑走路の工事計画、どういうコースで暫定を作るか。だから最初から私たちが言ってるように「そんな計画はやめなさい」と。「必ず挫折する」と。このように訴えてきたわけだけれど、正にその通りになった。しかもね、今日のデモコースの中で市東孝雄さん、もう亡くなったけれどその父親である東市さんが住んでいた住居の近く に空港公団の変電所がある。それをとっぱらって誘導路を作ると、こう言ってるんですよ。こんなものを通すわけにはいきません。同盟ある限り阻止し続けるでしょう。

 どういうことになるかというと、市東さんは空港の中に入っちゃということなんですよ。こういう人殺しのようなことうを分かっていながら暫定を作る。これが許せるか。怒って当たり前!その怨念が、43年間、ここにあるんですよ。

 裁判においてもしかり。現闘本部の裁判は、一方的な判決を出そうとしております。みなさんも傍聴に来ていただいて、あの様子を見てわかるでしょう。どちらが正しいか.。反対同盟は何をやったのか。何もやってはいない。モノをくれと0975_8 か、何かを作れとか、カネを出せとか、そういう要求は43年間一回もない。だから正義なんだ。だから闘ってこれたんだ。ここには全国の人々が、三里塚闘争に想いをこめ、三里塚闘争こそはわが闘いだと。弁護団の先生も一致団結して、おそらく判決は来年の3月あたりに出るだろう、弁護団が一丸となって、反対同盟を先頭に、仲戸川裁判長に対して弾劾を集中しようということを言われております。これは断固やらなきゃダメだ。最終弁論は、11月、そして判決は3月ごろだろうとこう予定しています。こういうような、裁判というのは、一方的な判決しか出ない。

 しかも、人道上こうしたことを許していいのかどうか。いうことは一人ひとりが考えなければだめだ。反対同盟は、43年間にわたって諸君とともに闘ってきた。今の学生の闘いとして法政や福岡。この学生たちが決起している。今こそ 学生が、若い労働者が、手前たちの生きる未来のために、立ち上がって闘わなかったなら、自分たちの未来はない。従って、闘わなければ生きられないという時代に入ってきている。三里塚闘争は、全国の人たちが共有する、日本の将来を決定する闘いとしてあるわけです。特に、私は、若い学生、労働者に訴えたい。君たちのこれからの未来を、夢が描けるか? 描けない。それは君たちが立ち上がって、そして未来を描けるように。大学においてもそうだと思う。キャンパスを取り返すということ。君たちのものなんだよ、キャンパスは。それを奪わ0975_9 れて将来どうやるんだ。後からついてくる人たち、学生。君たちは若い。もっと未来を描けるような時代にしなければダメだ。そのために手前に何ができるか。

 今日はいつもの集会と違って、現地集会としては多くの人々が集まってくれた。これでいいんだよ! こうしなかったら、日本の平和などありはしない。そのために三里塚は、今日一日、皆さんと一緒に、われわれは、この空港について、最初っから、現在も「絶対反対」を掲げて闘っている。そういう意味で三里塚は健在です。君たちのものだ。共に闘おう!

市東孝雄さんの挨拶

 本日は忙しい中、結集されましてご苦労様です。現闘本部、一坪、私の裁判0975_5 と、傍聴闘争ほんとうにありがとうございます。

 さきほど謙太郎さんの方から報告がありましたが、私の家を空港の中に囲い込む形で新しい誘導路計画が出されました。私は絶対に許さないし、断固として闘う決意です。

 反対同盟は、43年間、原則を貫き闘ってきました。東の動労千葉、西の関実と同じ一つの闘いとしてやってきました。今回、残念なことが起こりました。今、分断を同盟に持ち込むことは絶対に許されません。私の会もあらゆる人たちとの絆で守られています。市民運動を否定するような行動が断じてあってはなりません。原点に戻り、今までのような闘いを望みます。

 反対同盟は一つです。そして皆様とともに、本当に勝利するまで闘わなければいけない時です。法律も正義も、今の権力にはありません。空港会社は前倒し供用攻撃をかけ、追い出しをかけてきています。権力、空港会社を絶対に許しません。さらに気持ちを引き締め、共に闘いましょう。

鈴木謙太郎さんの閉会の挨拶

 今、反対同盟、北原さん、市東さん、また萩原さん。力強い決意表明をいたし ました。

 反対同盟は、6月19日声明を出しました。関西実行委員会を支持し、泉州住民の会が関西実行委員会に戻ることを強く希望します。今、反対同盟は、空港0975_10 会社、千葉県、千葉地裁の様々な攻撃を受けています。このような一丸となって闘っていかなければならない時ですので、この時期、このような問題が出てきたことを反対同盟は強い憤りを感じています。

 ここにきている皆さん、また全国の三里塚を支援するみなさんと、この先、この三里塚闘争を力強く進めていこうではありませんか。

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芦原・住宅追い出し阻止裁判 陳述 (6月30日)

 6月30日、神戸地裁尼崎支所で開かれた「芦原・住宅追い出し阻止裁判」第3回公判で、「被告」とされた住民Kさんの陳述が行われましたので、ご本人と芦原地区自治会連合にご了解をいただいて全文掲載いたします。

はじめに

 民事一部に係属する被告とされた住民全員を代表して、本裁判の審理を始めるにあたって、裁判所に是非とも言っておきたいことを時間の許す限り述べます。

原点に帰るべきである

 これから争う裁判を、単に「家賃の滞納があるから住宅明け渡しを求めた事件」としてはなりません。それは、森どころか木すらも見ない論議です。

 わたしたちが住む改良住宅家賃が、国の公営住宅法改悪に便乗して応能応益家賃に抜本的に変更されたのは、今から11年前の1998年です。2004年5月27日には、この同じ法廷でわたしたちの訴えが認められ、「値上げは違憲・違法」との判決がでました。裁判を始める時、当時の西宮市の住宅部長は、「行政には金も組織もある。裁判なんかして勝てると思ってるのか」と言い放ちましたが、裁判所というところは、法律を正しく、厳格に判断するところなのだなあ、ということをあらためて感じました。

 わたしたちは、単に家賃があがるのは困るというだけで値上げに反対してきたのではありません。応能応益家賃が、部落差別撤廃のために建設された改良住宅の目的を大きくねじ曲げるものだからです。改良住宅は、わたしたちが住んでいた家や土地を「差別をなくすため」という理由で提供して建てさせたものです。行政も、畳にオデコをこすりつけるように、「差別をなくすために改良住宅を建てさせてください」、「値上げはしません」と立ち退きのお願いに来ていました。「家賃は収入に応じて変わります」、「収入超過者には割増賃料がかかります。高額所得者には住宅を明け渡してもらうことになります」などという説明だったならば、一軒も改良住宅が建つことはなかったでしょう。

 この改良住宅の成り立ちは、部落差別がなくならない限り、決してあいまいにしてはならない主要な事実です。また応能応益制度の適用によって、芦原地区はじめ全国の被差別部落は、若い世帯はどんどん転居を余儀なくされ、高齢者、障がい者、低所得者などが極端に増えてしまい、毎月の掃除すら苦労するようになってしまいました。

 私の家族は、私、妻、長男の3人ですが、阪神大震災で被災し、家を失いました。同じ芦原地区の西福町で震災前に住んでいた住宅の家賃は3,200円でした。1995年の話しです。地震のその日に、芦原地区にある若竹生活文化会館に避難し、そこで8月のお盆まですごしました。

 西宮浜などの遠く離れた仮設住宅はありましたが、わたしたちが仮設住宅を地元での建設にこだわったのはなぜだかわかりますか? 差別が吹き荒れる一般社会に放り出されたら、出身を隠して、ひっそり息をひそめてしか生きていけないほど、今も厳しく部落差別が存在するからです。避難所のみんなで住宅要求者組合をつくり、地元の青木町の仮設住宅に入居しました。それから数年、仮設という名前どおりの苦しい環境の暮らしながらも、恒久的な低家賃公営住宅の地元への建設を住宅要求者組合の仲間と要求しつづけ、ようやく1999年3月ごろ、今、明け渡しを求められている神明2号館○○号室に入居することができました。

 わたしたちはこの裁判で、改良住宅建設の原点に帰った論議をもう一度、いちからはじめていきます。そうでないと正しくこの事件を理解できないからです。この主張・立証のために裁判所は十分時間をとっていただきたい、申請する証人は可能な限り認めてもらいたい、ということが第一に訴えたいことです。

 また、私たち民事1部の被告住民も、民事2部の被告住民も、まったく同一の意見を持っています。いまのように、二つにわかれたままだと、仕事を一週間に2回も休むのは実質上無理なので、芦原地区自治連合会の東口会長の事件に全部を併合してくださることを二つめにお願いします。

とりわけても住宅明け渡しは認められない

 たしかに、わたしの家族と被告・Tさん、被告Mさんは、他の被告のみなさんと若干入居の経緯は違います。阪神大震災で住宅を失ったことが入居の理由です。しかし、戦前からの住宅が西宮市によって放置されてきた結果、一般地区の7倍の死亡者、地区の75%、一般地区の1.4倍の家が全半壊したことは、阪神大震災こそ、現代の部落差別をはっきりとしめした事態でした。

 部落差別撤廃のために、元いた家を立ち退いて建設させたのか、部落差別の現実から地元に建設させたのか、くらいの違いしかありませんし、実際、条例では、同じ改良住宅に分類されています。

 とくにわたしがここで言いたいのは、私とTさんは、一度も「家賃を支払え」という裁判にかけられていません。これは西宮市では異質なことです。この裁判に入る前に、わたしたちは調停を申し立てましたが、その場で西宮市は、「家賃を支払う意志があるので一度は家賃を支払えという裁判にして猶予した」などと言っているということを聞き、なんて大ウソをつくのかと思いました。なぜ私とTさんは、他の多くの市民とは違って差別的に取り扱われ、いきなり「住宅を明け渡せ」と言われなければならないのでしょうか?

 また、一昨年、姉のA子が若くして娘さんを亡くし、脳梗塞で半身不随になり、介護のために上ヶ原の市営住宅に通っていましたが、なにかと不便なので昨年、わたしたちが住む神明2号館に住み替えることができました。ようやく手厚い介護ができるようになった矢先に、わたしたちに住宅を明け渡せとの裁判です。こんなことは、本当に困るし、認められません。改良住宅からの明け渡しは認められないばかりでなく、現実的に姉とわたしたち一家は生きていくことができません。裁判所は、わたしたちを路頭に放り出すような判断を、絶対にしてはならない、ということが訴えたいことの第三です。

おわりに

 今回の裁判は、わたしたちの命と暮らしに係る問題です。家賃の支払いの意志を示す者を、住宅から追い出し路頭に放り出すなどということは絶対に認められません。わたしたちは、この違法性をどんなに時間がかかっても、全面的にあきらかにしていきたいと思います。西宮市の訴えを棄却されることを強く訴えて、裁判冒頭の意見にかえます。

 

 多くの皆さんが、この裁判に注目され、支援の傍聴に駆け付けてくださるよう訴えます。

 次回公判は、住宅追い出し裁判第4回(その1) 9月17日(木)13:15~ 同(その2) 9月29日(火)13:15~ です。

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関実代表者会が開かれる

 昨日、7月1日、神戸市勤労会館において三里塚決戦勝利関西実行委員会の代表者会が、椅子に座れない人が出る40人近い参加で開かれました。

 冒頭、永井代表と事務局から、この間起こっていた関空闘争をめぐる事態についての経過説明が行われ、「6・5声明」、「6・18三里塚反対同盟声明」、そして「6・17泉州住民の会声明」についての質疑が行われました。そして、代表者会として、淡路、明石、東灘の各住民団体と関実世話人会によって出されていた「6・5声明」を全面的に承認するとともに、「6・18反対同盟声明」を支持することが確認されました。さらに、国賀祥司事務局次長を解任することが決定されました。

 会議では、三里塚における暫定滑走路の北延伸部分供用開始のこの秋10月22日前倒しを軸とした、7月末新誘導路供用開始攻撃、横風滑走路建設策動など、国、空港会社による攻撃の重大性を確認し、何よりも、7・5現地闘争への全力の取り組みを出発点に、10・11全国闘争に向けた態勢を作っていくことが確認されました。

 そのために、「6・5声明」で盛られた関実としての秋の取り組みとして、9月27日、大阪市立中央会館ホールで、反対同盟の全面的協力の下に、「東西両軍事空港粉砕!暫定滑走路北延伸阻止!」の「関西三里塚集会」を開催することを決定しました。20数年ぶりの大阪市内での三里塚闘争としてのデモを行うことも。参加者からも、「3・15米軍再編と闘う集い」を引き継いだ内容あるものにしていこうと提起が行われました。

 会議は、7月20日の大阪湾岸住民研修会への参加の訴え、さらに三里塚の裁判闘争支援、8月末と10月の三里塚への援農・現地調査の取り組みを確認しました。最後に、8・6ヒロシマの取り組みとして、2つの取り組みがあることがそれぞれから提起され、全体として取り組んでいくことが確認されました。そして、永井代表からのまとめの挨拶をもって終了しました。

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天神峰現闘本部裁判 審理打ち切り徹底弾劾!

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 昨日、6月25日、千葉地裁・民事5部、601号法廷で開かれた天神峰現闘本部裁判において、仲戸川裁判長は、この日の萩原、元永証人によってその重要性がますます明らかにされた石橋恵美子証人への反対尋問と現闘本部その09625_2 ものの現場検証などの最重要審理を求める反対同盟、弁護団の要請を、「再喚問も、実地検証も行わない。証拠調べを打ち切る」と宣言した。そして、次々と立って抗議する弁護団に対し、「(最終)弁論をする気がないなら結審する」とのどう喝をかけて、この秋11月12日の最終弁論の期日を決定して、審理を打ち切るという暴挙を行った。すでに反対同盟ブログ http://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/06/post_661.html において第1報が掲載されています。ご覧ください。

 これは、現在進行している09625_3 空港会社NAAによる半年も前倒しして、10月22日とされる「暫定滑走路北延伸部分供用開始」攻撃、そして9か月も前倒ししてのこの7月末「新誘導路供用開始」攻撃と軌を一にした極めて暴虐な企みの下での、反動的な攻撃であり断じて許されない。二度にわたる裁判官忌避を受け、早期結審策動を粉砕されながら、様々な反対同盟、弁護団の防御権強奪、立証活動剥奪攻撃をかけてきた仲戸川裁判長は、前回、今回と北原事務局長、萩原事務局次長、そして元永元反対同盟法対部事務局員の堂々とした弁論の前にグラグラになりながら、国策裁判を進めるという「使命」に必死にしがみつき、何の論理性も法的正当性も示すこともできないまま、今回の暴挙に走ったのだ。断じて許されない。

 09625_4 この日、法廷後開かれた「記者会見と報告会」は、「弾劾決起集会」に切り替えられ、北原事務局長の冒頭のあいさつの後、葉山、一瀬、大口、浅野、遠藤の出席された各弁護士から、次々と弾劾と怒りの説明が行われた。そのあと、この日立証した元永さんと萩原さんから想いが述べられた。とりわけ萩原さんからは、「裁判官合議」という形をとって強行せざるを得なかった仲戸川の追い詰められた姿を明らかにするとともに「痛み分けぐらいの気持ち」「7・5の集会を爆発させよう」「そういう繰り返しっていうのが三里塚の闘いではないのか」と勝利感と確信をもって笑みをも浮かべながら語られたのです。

 集会の最後に、動労千葉、関西実行委員会、群馬の青柳さん、そして福日労から決意を込めた挨拶が行われて、「弾劾決起集会」を終えた。(写真は、最初は反対同盟と弁護団、80名の傍聴団による法廷後の弾劾決起集会。続いて、北原事務局長、萩原進事務局次長、元永証人)

 さあ、7月5日、新誘導路前倒し供用を阻止し、市東さんの農地を守る現地闘争に決起しよう!

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憲法第9条改定を許さない6・14全国集会

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 6月14日、東京・社会文化会館三宅坂ホールで開かれた「憲法9条改定を許さない6・14全国集会」に参加してきました。550人が結集した集会はヤスミン植月千春さんのカヌーんとピアノ演奏(右写真)で始まりました。余りの盛だく09614_2 さんに、報告は断念。集会宣言と写真でいくつかをご紹介します。

  集会宣言

 私たちは本日、日本国憲法9条の改定に反対して、ここ社会文化会館に集いました。

 私たちは2007年の6・15集会、2008年の6・14フェスタを経るなかで、この集まりは個人の主体的決意に基づいて参加していること、9条改憲阻止という一点での合意に基づいていること、小異を残して大同につくこと、意見の相違ではなく一致点を大切にすること、異なる意見の暴力的排除は認めないこと、以上の原則を確認してきました。本集会でも、私たちはこうした原則を再度確認したいと思います。

 今日、平和憲法の精神を踏みにじる解釈改憲によって、自衛隊がイラク、 インド洋、ソマリア沖へと派兵され、憲法9条は空洞化され、基本的人権、09614_7 思想信条・言論・表現の自由も侵されています。(左写真は池邊幸恵さんの「平和のメッセージ」とピアノ演奏) また憲法違反である日米安保条約によって、アメリカの戦争政策に沿う在日米軍の再編強化が強行されています。米原子力空母の横須賀母港化は、安保・軍事問題であるとともに、周辺住民の生命に直接関わる環境汚染を引き起こす「原発」が、ついに首都圏に建設されたと同じ意味を持っています。核問題と関連して、また最近北朝鮮での核実験が行われましたが、いかなる理由があれ、いかなる国であれ、人類を滅亡に導く核実験、核兵器、核武装に私たちは反対です。(右写真は、沖縄報告をされる知花昌一さん)09614_4

 自衛隊の海外派兵や「集団的自衛権」容認に向けての動きは、我が国をじわじわと、再び「戦争の出来る国」へと推し進めるものです。第9条をはじめとする「憲法明文の改定」は、我が国全国民を戦争への道へと大きく駆り立てることになります。

 他方、アメリカ発の金融危機は我が国の実体経済を直撃し、非正規雇用者、高齢者を中心とする勤労者と弱者に、一方的にその犠牲が転嫁されています。福祉、介護、教育、などあらゆる面でセーフティネットはズタズタにされ、生活の困難は憲法第25条で保証された生存権さえ脅かすものとなっています。(左写真は、合唱「戦争放棄」を歌う会場全体)09614_5

 このような状況の下で、私たちは、何をしなければならないのか、何が出来るのでしょうか。

 本日ここに集まった私たちは、こうした状況に、まずはそれぞれの置かれた立場から、自分自身の決意によって、自分に可能な抵抗と闘いに起たねばならないことを知っています。

 私たちは既に全国の多くの人たちが闘いに立ち上がっていることも知っています。一つ一つの闘いは小さくても、もし多くの運動や闘いが連帯し、協働できれば、それは壮大な力となって、「戦争のできる国」への道に立ちはだかり、迫りくる生活の困難、生命の危機を克服できる力となることを私たちは確信します。(右写真は、集会の最後にシュプレヒコールをあげる)09613

 国会では、今のところ野党議員の抵抗によって、国民投票法による憲法審査会の始動はかろうじて押さえられています。しかし11日には、衆院での審査会規定の強行採決があり、来年の5月には改憲のための「国民投票法」が完全施行され、それ以降は国会での「改憲の発議」がいつでも可能になります。これと真正面から対抗する「9条バンク運動」の提唱もあります。

 私たちは、「反改憲」の様々な力と運動が、連帯と協働の精神に基づいて結びつき、大きな国民的力となることの大切さを、今までにも増して自覚しています。09614_6 (左写真は、関西の皆さんを中心にしたデモ)

 私たちは憲法守る運動、憲法を活かす運動を行っている人たちは勿論、その他の様々な課題、様々な困難や危機と闘っているすべての人たちに、呼びかけたいと思っています。

 憲法審査会の始動を許さず、「改憲の発議」を許さない国民運動のために、共に力を合わせようではありませんか。

2009年6月14日

             憲法9条改定を許さない6・14全国集会

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じゃがいも掘りと援農 (6月7日~10日)

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 この7日に、三里塚産直の会主催の「じゃがいも掘り大会」が、萩原さんの畑で開かれた。私たちは、関西から6人、東京から2人がこの企画に参加し、7人が残って8日、9日と援農、10日は現地調査を行いました(上の写真は、ジャガイモ掘りに先だって行われた萩原さんの畑の案内)。

 直前の天気予報が全く外れ、7日は、快晴に恵まれ、子供連れの若い夫婦が中心の120人が参加してにぎやかなジャガイモ掘り。そして、産直農家の心づくしの肉じゃが、サラダ、おこわご飯、おにぎり、みそ汁、焼きそばなどが参加者にふるまわれました。暫定滑走路とターミナルビルを結ぶ誘導路のすぐそば、市東さん宅の近くの開拓道路にある萩原さんの畑ですから、行きかうジェット機の騒音がまたものすごい。後の交流会で、消費者の皆さんから、三里塚闘争の厳しい現状への驚きと、「おいしい野菜をいつまでも供給してください」という声が、多くの方々から聞かれた。

 翌日からは、市東さん、萩原さん、鈴木さんの三軒に別れての援農。所が天気がずれたか、雨模様の8日、曇り空の9日。最初は、援農が十分には出来ないかもしれないという雰囲気でした。しかし、昼休みにどっと降ったりしたものの、幸いにフルに援農と出荷作業のお手伝いができました。雨のため初日に予定されながら出来なかった草取りも、出荷作業の前後にそれぞれのところで出09610 来たようです。

 10日には、いつもの通り、東峰部落、天神峰部落から始めて、横堀、菱田、岩山と現地調査をしてから、北原鉱治反対同盟事務局長の所に挨拶に。今回は、71年夏の闘いでの地下壕戦のことを、1時間近くも詳しく話していただけました(右写真)。

 そのあと若い人々から、北原さんに質問や参加しての感想などが話されました。

 参加したMさんは、三里塚そのものが初めて。出されたお菓子にも手を出さずに、必死で北原さんの話しに聞き入っている。そして、三日間の援農などの体験を含めて、「今回私は初めて参加させていただいたんですけど、前回来ると言って来れなくて、今回、ここに来るまで結構自分の中で考えも凝り固まって、自分の考えしかなかったし、自分の心の中に風が吹くということがなかった。それが、今回ここにきていろんな人の話しを聞いたり、やってることを少し教えてもらうことによって、新しい風が吹いた。多分、この後帰って、三里塚の活動を直接やることはできないかもしれないけれども、でも私の中に風が確実に通って、新しい考えや新しいこと0968 に触れたから、またそれが三里塚っていう形でなくても、絶対何かにつながっていく、そんな風に3日間を過ごさせてもらったので、参加してよかったです」と北原さんに感想を述べた。北原さんは「あなたにはあなたの生き方がある」と優しく諭された上で「(三里塚に長く関わっている)あなたのおじいちゃんと三里塚について話しあってみなさい」と語りかけられた。(左写真は、市東さんのところで、玉ねぎ剥き作業)

 このMさんだけでなく、2度目、3度目の人も、この4日足らずの農作業と交流を通して、本当にほっこりとした豊かな気持ちを持って帰途に就くことができました。「三里塚に来ると、本当に元気になる」というI子さんの言葉を、それぞれの想いにしながら。

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暫定滑走路認可取消訴訟不当判決弾劾!

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 6月1日、東京高裁で、暫定滑走路認可取消訴訟控訴審の判決が行われ、富越裁判長は、公訴棄却の不当判決を下した(詳しくは同盟ブログ http://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/06/post_653.html をご覧ください)。

 富越裁判長は、空港公団が工事の変更認可申請を出す際に、基本計画の変更手続きを行っていないことに対して「暫定的なもので、やがてはもとの2500メートルのB滑走路に戻るんだから、基本計画の変更は必要ない」と、この工事の根本的な違法性を塗りつぶし正当化した。しかし、これは、現在の暫定滑走路を北と南にさらに伸ばし、3500メートル化(さらには4000メートル化)が目論まれている現実からもまったくのペテンでしかない。地元農民を叩き出し、農地を強奪しようとする国策を擁護することを目的とした極めて不当なものでしかありません。

 反対同盟と顧問弁護団はただちに記者クラブにおいてこの反動判決を弾劾するとともに、直ちに控訴して闘うことを明らかにした。以下、北原鉱治事務局長と葉山岳夫顧問弁護団長の記者会見の内容です。

北原鉱治反対同盟事務局長

 私は三里塚芝山連合空港反対同盟の事務局長の北原鉱治です。これから記者会見を行いますが、三里塚の闘いというのは、報道関係のみなさんは、歴史を紐解いてもわかるように43年間にわたって今も反対し続けている。成田空港の完全空港というのがあり得ない。なぜなら、43年経ってまだ半分しかできてないんですよね。なぜ出来ないのかという原点を紐解いてみると、国の行政が0961_2 悪いから43年間もひっぱっても、国際空港成田は完成しない。

 今日は、その中の一部の工事をめぐっての暫定滑走路の差し止め訴訟を行ってきましたけれども、一方的な判決しか出ないんですね。現地を裁判官が見たことがあるか。私たちは、言いたい。現地を知らないで、判決が出せるわけないじゃないかと。

 弁護団の方から今日の裁判の進行と経過について、代理人に述べていただいて、記者会見を進行していきたいと考えております。報道関係の皆さんは、なぜできないのか、43年間もたっても。その原点を、ある程度、報道関係としても知る必要があるんじゃないかと、私はそう思っています。

葉山岳夫反対同盟顧問弁護団長

 では、かいつまんで今日の判決についてご報告します。これは、1999年12月に変更認可処分をしたところの本来B滑走路であるところについて、暫定B’滑走路2180メートルの滑走路を暫定的に作り上げた。この暫定滑走路についてその変更認可がいかに違法かということで、2000年の時点で取消訴訟を千葉地裁に提出。千葉地裁民事3部で行われていた判決が出て、それに対する控訴審として高裁11部富越和厚裁判長のもとで本日控訴棄却の不当判決が出たということです。

 この中身について、裁判所側が特に強調したことにつきましては、今までこの工事実施計画の中で、航空保安無線施設および本体の空港建設工事について訴えを起こしていたわけでありますが、従前の判決におきましては工事実施計画のうちの航空保安無線施設から進入灯火、あかりですね、施設等については上級機関から下級機関への指令にすぎないということで、処分性を認めていなかったんですが、これに関しては処分性を認めたということがあります。その上で、しかし、その処分性は認めたけれども被害が原告らには認められないということで不当な判決を下した。

 原告の適格性については広く認めたという点はあります。騒音被害の及ぶ一定の原告については原告適格があるんだということで、工事実施計画の取り消し訴訟の中で、原告適格を認めた。しかしその従前の元の工事実施計画については取り消しの行政訴訟について20年以上にわたって裁判を行ったわけですが、2003年に最高裁で判決が出て、取り消し訴訟については棄却されたんでありますが、その時点の状況とさほど変わりがない、騒音の程度がですね、これは一方的なそういう認定をした上で、原告の請求を棄却したというそういうことがあります。

 工事の変更認可申請を出す場合には、必然的に基本計画が変更になるわけです。一時的にせよ。それについて基本計画の変更手続きをとっていなかったんですが、変更手続きをとっていなかったことに対しては、暫定的なものであるから、やがては元のB滑走路について農民の農地等について取得できると考えているのか、そうすれば元のB滑走路、2500メートル滑走路に戻るんだから、今いったん出した計画が元に戻って元通りになるんだから基本計画の変更の必要はないとね。そういうとんでもない救済判決を出した。実際に供用されているものについて基本計画の変更を出さなかった違法性をこういう格好で糊塗してしまったということがあるわけです。

 それから、軍事空港目的、0961_3 使用されているじゃないかということを言ったわけでありますが、これは認可どおりに使っているのであって、自衛隊が空港を利用したことがあることをもって、憲法9条に違反するということには直ちにはならないのであって、自衛隊の本件空港使用についてのその他の米軍の軍事使用についてこれを実質的に許容したという不当きわまる判決を出したということであります。

 それから、黒野元成田空港会社社長が、本件、暫定滑走路の建設に対しておわび状を2005年5月9日に出しているわけです。そのおわび状の中に「十分な説明もなしに工事を強行してしまって生活環境が破壊されたということについては、まことに無理もない。航空行政に携わっているものとしてこういう空港を作ったことについて、これは、二度とこういうことはしてはならないと思っている」というわび状を「東峰区の皆様へ」というかっこうでだしているわけです。これは今、ここにあります。これは黒野社長自身が書いたわび状です。これに対しては、確かに十分な説明がなかった、行きとどかない点があったとしても、そのことをもって違法とすることは出来ない。ということで、これまた救済判決を出したということです。

 総じて、1審の堀内明という千葉地裁の裁判長が出した判決の、これを細部にわたって修正し、一層、いうならば反動的な、悪い判決に立ちあげてしまったということで、きわめて遺憾な判決が出たということであります。

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愛宕山を絶対に米軍住宅なんかにさせてなるものか!

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      住民投票の成果を活かす岩国市民の会代表  大川 清

 真夏のような暑い陽射しの照りつける4月12日午後、「愛宕山を絶対に米軍住宅なんかにさせてなるものか!」との熱い思いをもって愛宕山神社前の公園に2000人もの人々が集まり、米軍住宅建設反対の大集会が行われました(上写真)。

 そもそもの愛宕山地域開発と基地沖合移設事業ですが、「安全対策、騒音対Photo 策」という名目で市民の悲願として、海を埋め立て滑走路を1キロ沖合に移設しようと始められたのが沖合移設事業でしたが、いざ蓋を開けてみればそこに倍以上の戦闘機を持ってくるというのです。私たち市民はまんまと騙されたわけです。またその沖合移設の埋め立て用土砂を得るために愛宕山という岩国市民の象徴であった山(信仰の山であり、さらに市の中心部にあって鎮守の森として市民の憩いの山であった)を削って住宅開発を行ってきました。当初、地元住民の方々は反対しましたが「病院や学校、店舗や様々な施設が出来、より住みよい地域になるんだ」と説得され泣く泣く了承したといいます。基地の騒音対策のため、より住みよい街づくりのためと信じて、工事中のダイナマイトの音や掘削機の振動にも耐えてこられたのです。それが蓋を開けてみれば、住宅地として売れる見込みがなく赤字となるので国に売却して米軍住宅にしようというのです。最初から画策されていたことだと思いますが、あまりにも私たち岩国市民をバカにした話ではないでしょうか。

 そんな横暴を許すまいと炎天下の中、2000人が愛宕山に集まりました。まず愛宕山を守る会の岡村代表が11万人をこえる米軍住宅反対署名(うち岩国09412_5 市民5万人超)の報告とお礼を述べ、井原前市長(左写真)も体を張ってでも愛宕山を守り抜いていくという強い決意を述べられて、続いて次々に市民がそれぞれに思いのこもったインパクトのある訴えかけをし、最後に「するさと」の大合唱と「艦載機より平和の紙飛行機」ということで数日前から新聞チラシを使い、みんなで折った2000機以上の紙飛行機を皮肉と願いを込めて愛宕山の大空に飛ばしました。

 10年前、岩国に赴任した当時、基地に対峙するようなことを公の場で発言することがタブーのような何とも言えぬ威圧感が町全体にありました。それが住民投票はじめ市民の粘り強い歩みによって、多くの市民がこぞって声を上げる姿に本当に胸が熱くなりました。09412_4

 国が圧力をかけても立ちあがる市民! 愛宕山の闘い、そして爆音訴訟、無謀な艦載機移転が撤回されることを信じて、全国の方々と連帯し諦めることなく粘り強く闘っていきたいと思っています。

 住民手作りの愛宕山大集会に思いを寄せて下さった方々、全国から署名を寄せて下さった方々にこの場を借り心から感謝します。今後ともよろしくお願いいたします。

 (右写真は、4月12日、愛宕山大集会の入口で当日のプログラムを配っておられた大川清さん。この文章は、5月19日、お訪ねした折に頂いたもので、無断で掲載させていただきました。)

なお、管理人は、明日早朝から、25日まで沖縄に向かいます。梅雨入りで連日雨のようですが、辺野古をはじめ、知花昌一さんのご協力を得ながら回ったり、沖縄のみなさんとの交流をしてきたいと思っております。今からドキドキしています。そのため、「今週の産直野菜」をはじめ、25日までは、当ブログはお休みさせていただきます。

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定着してきた「淡路・三里塚写真展(第4回)」

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 5月13日、14日の平日、洲本商店街コモード広場で「淡路・三里塚写真展」を開催、平日にも関わらず2日間で109人もの参加者を数えました。

 今回で4回目となりましたが、参考までに過去の実績を記します。第1回目が2007年3月16、17日、参加者101名。2回目が同年11月30日~12月1日、参加者108名。3回目が08年5月16、17日、参加者89名との実績があり、一年ぶりの開催となった今回は参加者も野菜の売り上げも好調で、ここにきて「定着したイベント」であることを強く感じました。

初めてマスコミが取材報道

 今回は、初日早々、神戸新聞の記者が取材に訪れ、写真展の意義、09514 野菜市の趣旨など詳しく説明を聞いて、「成田の問題が今も続いていることを強く感じる。淡路の環境を守る住民運動、淡路の農業の問題、平和の問題などが、三里塚と関係しているのがわかる」との感想を話していました。この写真展をマスコミが報道したのは、これが初めてで、今までも何度か「取材」には来ましたが、報道されずじまいでした。翌日の写真展には「新聞を見てやってきた」との参加者の声を数名から聞き、マスコミの力にあらためて驚かされました。

新しい「大判パネル」に様々な感想と反応

 今回から新しく「大判パネル」で掲示しました。遠くからも一目でわかる大きさなので、皆さんは迫力を感じていました。30数年前、冨里(成田市の隣)から引っ越してきた女性は「懐かしい風景の写真、畑、ふるさとに帰りたい気持です」09514_2 と感想を語ってくれて、「成田の闘いは知っていましたが、今も続いているのに驚きました。騒音公害はひどいですね」と、国や空港会社に怒りを持っていました。

 また、淡路空港反対の闘いを初期から知ってもらっている方も来られて、淡路町空港反対同盟が健在であることを喜んでいました。

 なかには「三里塚で反対している農家は補償金を吊り上げているだけや」と一方的な感想を言われたので、市東さんが「億のお金を拒否して、大根1本を作って空港廃港までがんばる」との固い気持ちで農業を続けておられることをきっちり説明しました。

 野菜市では、ある高齢の方が「このキャベツは虫がいっぱいついている。レタスの方を買うわ」と、無農薬野菜の特長をなかなか理解してもらえない場面もありました。でも、葉もの中心の野菜市は完売、これからも無農薬の良さ、三里塚の思いをきっちり伝える「写真展と野菜市」を続けていきたいと思います。

               淡路町空港反対同盟  安藤眞一

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市東さんの耕作権裁判第11回口頭弁論(その3)

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 裁判後の報告会のまとめの中で、萩原進事務局次長から7月、新誘導路供用開始攻撃への闘いが提起されましたので、その発言全文を掲載します。

萩原進反対同盟事務局次長のまとめ(報告会)

 5月の14日に鈴木さんの一坪裁判があります。そして、先ほど言われたように市東さんの会の現地調査とイベントが組まれています。31日には戸村さんの生誕百年の会があります。そういう中で、6月1日にも暫定滑走路認可(取り消し訴訟控訴審)の判決が高裁で行われようとしています。

 そこで、先ほど出ましたけれど、7月の、誘導路前倒しという形がありますけ09511 れど、承知のように今日、7月27日、この裁判が入りましたね。その前に、7月21日、市東さんの行政訴訟と農地法裁判が入っていますので、7月の公判が混んでる。普段だったら7月20日前後に、同盟的な海の催しがあるんですが、7月の各党派でいろいろ予定が入っているかもしれませんが、先ほど言ったように誘導路前倒し使用についての現地闘争的なものが組みたいんですね。その辺で、7月20日前の段階でいろいろスケジュールを調整してもらって、なんとかその辺でぶちこみたいと思いますので、皆さんの協力をお願いしたい。

 その上で、豚インフルエンザという形で騒がれていますけれど、市東さんのところから直線にしたら500メートルくらいの所に150名程度の、同じ規則にのっとった人たちがそこに収容されるというね、もとウィンズホテルという、何人か泊まった人がいますが、今そこに隔離されるというそういう状況があるんだけれども、昨年、9月の段階で市が国民保護法という形で5千人規模の動員態勢の下に2日間にわたって、8月30日、31日と成田市は訓練を行いました。そして一方では、春先から言われているように成田空港の事前調査、要するに米軍再編も含めて、とりわけ軍事使用における兵站としての成田の現地調査を夏までに作り上げるというようなやり方がなされてて、表面には出てき09511_2 ていませんけれど、そういう意味の一環としての今回の隔離、あるいはホテルの使用だとか、あるいは病院の使用とかが、そういうのが一方で組まれているわけで。そういう中で農地法の改悪が国会で出されてきている。

 いろいろ、裁判員制度の問題にしろ、あるいは先ほど出ましたけれども、道州制の問題もありますけれども、我々にとってみれば、道州制もそうだけれど、やっぱり戦争問題だ。根本的に、はっきり言えば、要するに軍事費の調達、あるいは戦争ができる体制を作って行くんだという所で、逆に道州制というのもその中での枠組みであるし、それを政治的に、あるいは具体的に発揮するのがアジア・ゲートウェイですよ。そこの中において道州制の問題もそこに存在するんであって、いろいろ党派によって言い方がいろいろ違うでしょう。道州制の中にこそあるんだと言い方しますが、自分は逆じゃないか、とんでもない話だ。戦争問題抜きにしてそういうことがあるのか。アジアゲートウェイがあって、アジアへ、どうしてやって、経済的進出、軍事的侵略がそこにあるんじゃないのか。その問題を、福田の時に死んだんじゃないかという安倍が出したんだけれど、とんでもない話で、今開き直って、それをやらなきゃあしょうがない事態に入っている。それが今三里塚に押しかかってきている。そう意味で、現実にそういう意味で。そしてその大きな現われとして北延伸を逆手に取った成田・・・の攻撃がある。こういう攻撃として見たとき、大きな枠として、単なる事故を事故として見るのではなくって、事故が起こるべくして起こった事故であって、その事故を逆手にとってそういう訓練をしながら、しかも、そのことをやることをもって声をつぶ09511_3 していく、ものすごい強権的なやり方がある。このことを非常に見る必要がある。これが、大きくは基地である岩国とか沖縄とか、日本全国のこういう基地における・・・という形でどんどん出てくるだろうという風に思いますので、その辺を三里塚は舵取り的にやっていく必要がある。そういう中での裁判であるということを位置づけていただいて、闘い抜いていきたいと思います。

 まあ、非常にこみいった日程、スケジュールですけれども、向こうも何時から供用という形に発表しておりませんけれども、ずれて7月初めに供用始めたのに7月終わりにやるというわけには行かないんで、そういう意味で7月初めの方に何とか組んでいきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

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市東さんの耕作権裁判第11回口頭弁論(その2)

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北原鉱治反対同盟事務局長あいさつ(報告会)

 今日はご苦労様。今の弁護団の進行状況を見ると、まったくずさんというか、デタラメである。これは徹底的に追求しなければならないと思います。現地ではあなた方の闘いはありませんが、全てを裁判に持ち込んでください。裁判でちゃんと答えられたことという問題が出てくるんですが、こういうようなデタラメの進め方が成田空港の建設過程であるということなんですね。ですから、この中には一坪を持った人たちも参加しています。絶対に一坪は売らないように。なぜ売らないようにというかということは、成田空港の建設というのは根本から法的にも間違っているやり方である。

 弱い者は・・・、という国の制度は根本から変えなきゃあだめだという時期が来09511 た。それは他人にやってもらうのじゃあなくて、自分自身が動かなければ、なんにも世の中は変わらないだろう。それぞれ真剣に市東さんの土地を守る会が中心になって頑張ってもらわないと、国が必要なところはどんどん奪ってしまう。そういう時代にはいってしまったということなんですね。これは他人事ではない。直接自分に響いてくることだというふうに判断すべきではないでしょうか。

 ですから、私たちは43年間闘ってまいりましたけれど、今残されている反対同盟員はものすごく鍛えられきています。今の政府、権力のやり方について。ですから、みなさんに対して私はいつも訴えています。三里塚の闘いは全てをはらんだ共有の財産であると。みんな管理人なんですよ。生きている限りはね。

 やはり現地闘争は現地として、しっかりりと私たちは日本の未来のために闘い抜いていくという決意をもってやっていますんで、是非、みなさん一人ひとりが、自ら動かなければ日本は変わらないんだという気持ちをもっともっと大切に連帯してやってほしい。

 これから暑くなるから、皆さん大変でしょうが、今までの力を出し切る時が必ず来ると思います。挨拶に変えさせてもらいます。

一瀬敬一郎弁護士からの説明(記者会見)

 じゃあ、ちょっと葉山先生のを補足して。特に、15と16という、市東(東市)さんが、1987年から8年にかけてご自分の南09511_2 台41番の土地についての自分の小作地がもともとどこだったのかというのを記録に残したものなんですね(15=最初の写真・元永メモ)。

 空港会社の方が出してきた42-1というね、藤崎が市東さんから聞きとって書いたというようなデタラメなことを言ってるんですが、ちょうど同じ時期に、正に同じ時期に市東(東市)さんが、自分の小作地は農道の北側は争いはないんですが、南側はどの南側か、農道に接した南側なのか、それとも石橋側の側なのか、石橋側の側というのが41-9にあたる原告側のデタラメな主張なんですけれども、そこをね、はっきりと88年3月19日に作ってるこの小作権についてという報告書というのがはっきりさせているということは、非常に、極めて、当時の市東(東市)さんの認識をクリアに書いたもんだということで、非常に証拠価値が高いと思っています。それは何よりも、その時点は、農道の南側のところ、農道の南側というのはこっちのほう(右図C)なんPhoto ですが、その当時は農道の北側(右図B、A)しか作ってなかったんですよね。石橋と交換したという状況がありましたが、北側だけしか使ってなかった。そういう状況で、自分の耕作状況と違うんだけれども、市東(東市)さんが、もともと小作地はどこだったんだと、農道の南側、農道に接した南側(右図C)と、農道の北側(右図B)の細長いところだと、クリアーに、正に明確に書いている報告書です。まさに裁判とは全く関係なしに、その当時の記録として書かれたもので、裁判が起こってからあとで作ったりしたものではないという意味においても決定的な証拠になるのじゃないかと。

 それと併せて、葉山先生の方で言われた関根とめさんの供述ですね。

 それともうひとつあえて付け加えると航空写真ですね。航空写真は、ちょうど41-9の所(右図D)に、昭和44年(69年)の原告から出した写真もそうだし、70年の写真も、石橋さんのところの屋敷林がせり出してきてるんですね。それとあわせて関根とめさんが供述されているように、植木を植えていたというような状況が航空写真からも客観的に見てとれる。客観的な証拠で、41-9を市東さんが小作地として耕作しているはずがないということがね、客観的なところからも浮かび上がってくる。

 空港会社の方は事実と違うことを主張しているわけですから、証拠を捏造することももともと不可能なのですけれども、どんなデタラメな主張も許さないという形で今後徹底的に追求していきたいと思っています。以上です。

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5月11日、市東さんの耕作権裁判第11回口頭弁論

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 昨日、5月11日、千葉地裁で市東さんの農地の取り上げを狙った「耕作権裁判」の第11回口頭弁論が開かれ、80人を超す傍聴人が駆け付けた。上写真は、北原さんを先頭に、抽選前の一コマ。この撮影の直後に裁判所の職員が駆け付けて撮影禁止。裁判の局面などについては、当ブログの先日の記事 http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-e405.html をクリックしてお読みください。

 法廷と直後の記者会見、報告会は、市東さんが親子3代にわたって耕したこともない、元同盟副委員長石橋の賃借地、南台の農地「41-9」を市東さんの契約地と強弁する空港会社側のでたらめさを立証する新たな証拠、弁論が行われた事によって勝利感と解放感が満ち満ちていて、賑やかなこと。こんなに判りやすい民事裁判は本当に珍しい。

市東孝雄さん挨拶(記者会見で)

 どうもみなさん、お忙しいところ傍聴ありがとうございます。今日の法廷でも09511_2 、みなさんもご覧になって、向こうは何の釈明もできない状態です。そして、今度新たに弁護士さんたちが出したことに対して、どう今度は釈明するのか。それのみで向こうはなにも出せていないんですよね。ですからはたしてこれで裁判に持ち込めるのかというそのような状況でした。ですから、これ以上、押しこみ、押しこみでやっていきたいと思いますので、弁護士の先生方、そしてみなさんの傍聴で頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

葉山岳夫弁護士からの説明(記者会見で)

 みなさん。膨張闘争への参加、どうもありがとうございました。おかげで、やっぱり、裁判所、相手方を相当押し込んでいるという状況です。09511_3

 今日は、書証としては乙の11号証から16号証、15、16は正式には次回ということになりますが、一応相手には出しました。その中で、2007年9月1日に、私と一瀬弁護士、元永さんと3人で、関根とめさん、それから石橋美恵子氏のところに聞き取り調査に行ったわけです。その時の状況についてテープからの版約と、聞き取りの要約したものを提出したというわけです。今まで遅れてきたということについては、満を持したという点がありまして、実際上、石橋恵美子氏のように、会社側が工作をするということがありますんで、その工作そのものについて早くから逆に工作されたら具合が悪いということで、機会をうかがって今日出したということです。

 関根とめさんは、石橋政次氏の末の妹で、昭和3年生まれ。結婚したのは昭和27年。23か4で結婚して東峰地区、住所は天神峰・・・。そこで関根・・・・さんと一緒になるという状況です。結婚するまでの間については、石橋政次さんたちと一緒に41番の土地について耕作し、手伝ってる。位置はもちろんはっきりSave0007 しめしてる。明確な答えです。今の41-9というところは、屋敷の陰になってて作物ができないんで、自分で植木を作っていたということを言ってる。市東さんの耕作しているところについては、農道を挟んだ、細い農道ですね、その左と右。左の方は小さい短冊型。右の方はずーっと林の所まで達して作ってた。と明確に言ってるわけです。このことはどう言ったって絶対に揺るがない。そこんところについてとめさんは、明確に証言しているということです。それがテープの中に出ています。

 そのことと、市東さんの聞き取り書きということで、15、16と元永さんのほうがまとめて1988年に作ったそのもので、原本というより写しそのものが時代もので、20年で黄ばんでいるようなもので、それを今日提出したという状況です。これに基づいて、一瀬弁護士が頑張ってくれて準備書面11というのを作成して相手に出したという状況です。

 あちらの方は藤崎の供述のみで、しかも藤崎の手書きのもので、それをもとにして88年の4月の段階で、同意書とか境界確認書を東市さんからだまし取ったということなんです。で、根拠が全くないということが明確になりつつあるということだと思います。そういった状況の中で、原告側、NAA側の方は、釈明に対しても十分に答えていない。写真等についても、事業認定の申請時、つまり66年12月の段階で5千分の1の 測量図がなきゃあいけない。これは航空写真をもとにしてなきゃあいけないわけですが、公団が持っているのは68年が一番新しいだという(古いの間違い?)、そんなアホな話はない。結局、事業認定のときには地図なしに申請したというとんでもないことをやったということを自己暴露しているそんなことがあるんで、もう一回探してくれ、探せということですね。

 その他の釈明についてした。要するに会社側を追い詰めて来た状況だということを報告できると思います。詳しい事は、ほかの弁護士さんに。以上です。

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9条改憲を許さない5・3共同行動

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 昨日、5月3日、「9条改憲を許さない! 5・3共同行動」の集会とデモが大阪で行われました。

 これで3年目になる「5・3共同行動」に、これまでで最大の座れ切れない人が出る260人が結集し、熱気ある集会が、そして難波周辺の多くの買い物客の注目を集めるデモが行われました。

 集会は、三日前に急逝された集会呼びかけ人の一人でもある川村賢市さんを偲んで黙とうを捧げて始められました。冒頭、主催者を代表して新開純也さん(9条改憲阻止の会・関西)から、この3年間の動きと闘いを振り返りつつ「潮目を拡大していこう」と提起された上で、①6・14東京、10・12大阪、10・18京都の共同行動の取り組み、②総選挙に対する改憲に反対する政党、個人への投0953_2 票、③反貧困、反差別への闘いの取り組みが訴えられました。

 「東アジア・『在日』・沖縄から学ぶ平和憲法の創造 -憲法改定の本質は何か-」と題して、弁護士の丹羽雅雄さん(右写真)から講演が行われました。丹羽さんは、まず最近10年を概観された上で、憲法の「平和主義」の原点として、敗戦の歴史の中からの日本民衆の意思であるとともに、東アジア民衆から突き付けられた規範でもあるとされた。その上で、平和憲法の理念が空洞化されてきた主な要因を、天皇制、歴史の封印ともいうべき戦後政治と沖縄処分、そして平和を経済発展の手段としてきた経済優先主義の問題などを明らかにされた。そして憲法9条と日米安保体制、有事法制の戦後史を概観した上で、自民党新憲法草案との対比を具体的に示しながら、自民党の「改憲」攻撃が、現憲法の否定、新憲法の制定であり、人民の憲法制定権力の侵奪であり、立憲主義の崩壊をねらったクーデターだと断じられた。そして、東アジアの平和と人権保障の共同体構築の視点として、東アジアと在日、沖縄の視点、「沖縄を沖縄に返せ」、あるいは「殺すな、殺させるな、殺されるな」と語りかけられ、憲法9条改憲の動きを、アジアに、世界に発信し、アジア民衆協働の改憲阻止の闘いを訴えられたのです。短い時間に圧縮された中から、「過激に」(仲尾宏呼びかけ人の集会のまとめ)呼びかけられたその提起は、会場を一つにし、熱気にあふれさせまし0953_3 た。

 替え歌のアトラクションと、工藤美彌子さん(浄土真宗東本願寺僧侶・左写真)の演奏と歌が続き、集会をさらに盛り上げます。

 休憩の後登壇した服部良一さん(参議院議員山内篤信公設秘書・右下写真)は、「グアム協定」「国民投票法」などの国会での動きを紹介され、憲法審査会が開かれてもおらず、詳細が何一つ決められていないにもかかわらず、総務省がリーフレットをすでに500万部も配布していることを批判された。さらに沖縄の辺野古基地の埋め立てが、2千万立方メートルを超える砂、とりわけ深さ1メートル、幅100メートルの海砂を沖縄の海岸170キロ(沖縄の海岸線の3分の1)から奪い取ろうとしている破壊の問題をあげて、辺野古新基地反対への取り組みを訴えられ、来る選挙への決意と支持を訴えられ0953_4 た。

 集会では、さらに闘いの現場から、松下プラズマディスプレイ偽装請負事件訴訟原告の吉岡力さん、「君が代」不起立処分当該、門真市立第3中学教諭の川口精吾さんから闘いの報告とアピールを行われた。また、お父さんの御不幸で来られなくなった国鉄労働組合熊本闘争団大阪事務所の蓑田浩司さんをご紹介した上で、全日本建設運輸連帯労働組合の近畿地方本部執行委員長の戸田ひさよしさんが登壇され、市議を「首」にされたご自身の闘いなどを簡単に話された上で、亡くなられた川村賢市さんへの追悼と想い出の言葉を語られました。また、集会には前日葬儀を終えられたばかりの川村さんのおつれあいの洋子さんが会場に見えておられ、ご紹介が行われました。0953_5

 最後に、呼びかけ人の仲尾宏さん(10・21反戦共同行動実行委員会代表世話人)から、この日の取り組みが成功したことの確認と、これからの闘いへの広がりを作っていこうという訴えが行われ、全体で、インターナショナルを斉唱して、デモに出発しました。

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饗庭野基地へのPACⅢ配備強行に抗議

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 防衛省は、4月28日、地元自治体への連絡もせず、秘密裏に迎撃ミサイルPACⅢを饗庭野航空自衛隊基地に搬入を強行した。「止めよう戦争への道!百万人署名運動連絡会」の緊急の呼びかけで、30日午後3時半、饗庭野分屯基地に「同兵庫県連絡会」「元自衛官連絡会」「東灘区住民の会」など8人が参加して、抗議の申し入れを行った。準備された4団体からの「抗議申し入れ」が順09430_3 次読み上げられ、最後に基地内の自衛官にも呼びかけるシュプレヒコール(右写真)を行って、行動を終えた。4つの申し入れの内、「元自衛官連絡会(三木さん)」の抗議申し入れを紹介します。

 抗議申し入れ

 饗庭野分屯基地への、PAC3配備に強く抗議します。

 私達は、自衛隊の海外派兵に反対し、自衛隊の人権確立を訴えて活動する、元自衛官連絡会です。さる3月22日、とめよう戦争・百万人署名運動の皆さんとともに、ここ饗庭野基地に対してPAC3配備をやめるよう申し入れを行ったところです。

 ところが、私たちや市民の皆さんの中止申し入れを無視し、秘密裏に饗庭野への配備を強行したことを強く抗議し、直ちに配備を撤回することを申し入れます。

 饗庭野では、昨年暮れ、09430_4 自衛隊普通科連隊と米海兵隊31海兵機動展開中隊との日米合同演習を、平和団体の反対の声を押し切って強行しました。

 米軍再編に基づく米軍と自衛隊の一体化が進み、朝鮮戦争準備の演習が続いています。このたび、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のロケット発射実験を、「弾道ミサイル発射」であるとして、浜田防衛大臣が自衛隊法82条の2「弾道ミサイル等破壊措置命令」を初適用し、ミサイル迎撃を発令しました。

 イージス艦2隻を日本海に配備、PAC3を首都圏や中部方面から秋田・岩手方面に移動・配備を官房長・外相・防衛大臣のみの会合で決定、配備命令し、実際に配備しました。首都圏では、市ヶ谷の防衛省前公園に配置、近接するマンション住民を恐怖に陥れました。

 今回配備された、饗庭野へのPAC3もまた、このように「戦時」に対応して市街地に移動し、市民生活のど真ん中にPAC3が配置されます。これは逆にミサイルに狙われる危険を生みだし、市街地を戦場とすることは必至です。

 ロケット発射にあたって政府は、各自治体を全国瞬時警報システム(Jアラート)の傘下におき、国民を国民保護法の下の、戦時統制に置きました。

 しかし、このPAC3は射程数十キロといわれ、市民を守ることを目的に配備さPhoto れるものではありません。

 実際には政府・資本の重要警備対象、つまり戦争司令部である首相官邸や防衛省地下司令部、または三菱重工業など軍需産業、せいぜい空港や皇居をカバーするにとどまります。市民には、ミサイルを迎撃した残骸を頭上に降らせる結果しかもたらしません。軍隊は国民を決して守らない。これは第二次大戦の沖縄戦がその事実を物語っています。洞窟に逃げ込む沖縄市民を、追い出し、泣き叫ぶ子どもを敵に悟られると母親に黙らせろと、「子供殺し」を強要したことは、沖縄ではよく知られた歴史的事実です。戦争の恐怖と危機煽りを行い、憲法9条破壊の道を進める、現自民党・麻生政権に反対します。PAC3配備に絶対反対です。(以下略)

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4月26日、泉州住民の会総会開かれる

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 4月26日、関西新空港絶対反対泉州住民の会の総会が開かれ、兵庫の住民団体を代表して、淡路の永井満さん、東灘の山本善偉さんとともに参加してきました。集会では、平尾さんの開会あいさつのあと、小林さんから昨年度の活動報告と会計報告が、中沢さんから新役員の選出が行われた後、国賀祥司事務局長より、09年度の運動方針が提起されました。

 ①世界恐慌情勢、関西新空港反対運動が勝利する時代がきた! ②労働組合と共に道州制粉砕、橋下知事打倒、関西新空港粉砕へ闘おう! ③関西新空港の軍事使用に反対しよう! ④全国の運動と連帯して闘おう! そして⑤具体的な方針として7月の関西新空港反対全国集会(末広公園)などが提起されました。

 集会は、参加した労働組合の連帯挨拶や三里塚芝山連合空港反対同盟から09426_2 のメッセージの紹介などが行われ、決意表明で集会を終えました。

 連帯挨拶とともに、永井さん、山本さんから来賓の挨拶が行われました。山本善偉さんの挨拶を紹介します。

 山本善偉さんの挨拶

 今日が、日記を見ましたら、たぶん第25回目の総会じゃないかと思うんです。第1回を振り返ってみて、随分泉州住民の会はこの一年若返ったというか、すごい力を持ったとそういう感じをもっています。

 森田先生のことをおもいます。この3月29日三里塚で、元の泉州住民の会代表の森田先生は、92歳になって立っているのが辛いと言いながら、あの全国集会の開会あいさつをされました。そして、すでに憲法改正が来年をまたずに実質的には改正されつつある。そのトップが、農地法をまげて市東さんの農地を取り上げるというあの問題にでている。

 私のことを一言言うならば、私自身、若いころ、22、23歳頃ですが、1920年生まれですから、その頃は、戦争をするのが当たり前だと思う中で育ってきました。今考えてみればとんでもない間違いだったのですが、それが間違いだとわかるまでに、1年や2年ではありません。25年かかりました。いろんなことにぶつかって、ぶつかって、三里塚と出会ったのが50歳の時です。今、88ですけれども、そこで本当に人間らしい生き方は何かということを教えられました。1回目までは知らなかったから戦争に協力した。しかし、2回目に戦争に入るということは、自分が意識して入るとい09426_3 うことは裏切りだと、これはみなさんよくご存じだと思いますけれども、栗原貞子さんの詩のことばです。私は、今も絶対に忘れてはならないと思っています。

 そういう意味で三里塚の闘いを一人でも多くの方に知ってもらいたい。そういう努力で、3・29は本当にいい集会ができました。今度の10月の集会までにさらにこれを広めていきたい。

 今も永井さんが言われましたが、安倍が立ち上げた憲法審査会が、しばらく休会でしたけれども、また動きだしました。これが動き出すと、来年には、国民投票法。そうすると、今の空気では、かって私がだまされたように、だまされる国民がいっぱい出てくる。皆さんは目覚めておられる。ですから、止めることができるのは、みなさんと我々だということをはっきりと言って、今日のお祝いの言葉としたいと思います。

 

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市東さんの農地裁判報告(4月21日)

09421  4月21日、千葉地裁で、市東さんの農地強奪を許さない違憲行政訴訟(市東さんが原告)と、農地法によって市東さんの農地を取り上げようとする農地法裁判(市東さんが被告)の二つの裁判が相次いで行われました。経過について、法廷後の記者会見で葉山弁護士が報告しておられますので、それを掲載いたします。

 葉山岳夫弁護士の報告

 みなさん、ごくろうさまです。601号法廷、昨日から供用開始になったようなんですけれども、こけら落としみたいなもんで、70名くらいの法廷で、傍聴席があるということで、廊下で待機するということもかなりなくなった。そういう傍聴闘争そのものが、裁判闘争の中で現地闘争の一環として、裁判所に非常に大きな重圧を与えているということは、後で話しますが、天神峰現地闘争本部、仲戸川裁判長の部で徐々にこちらの主張を通すという状況を勝ち取ってきている、そういうことについてもみなさんの傍聴闘争が大きな力になっているということをについて確認をしたいと思います。

 その上で、今日の行政訴訟、市東さんの土地に対する許可処分に対する取り09421_2 消し訴訟、それからその許可処分に基づいたところの不当な耕作地についての明け渡し訴訟。それが10時半からと、11時10分からとに分けて両方行われた。天神峰の明け渡しと南台の明け渡しについては併合された。しかし、この行政訴訟事件と明け渡し訴訟事件については、県側とNAA側が相当強く反対して、結局今のところ別々に進行して、そのために10時半からと11時10分からとになっているという状況です。

 行政訴訟事件の方については、今まで所々で主張してきたんですが、このとんでもない成田市農業委員会、これが2006年7月3日に(NAAが)申請したものについて、7月10日に早々と受理をしてしまった。本来は、7月19日に審理を開いてそこで許可決定をして、さっと上に送っちゃおうという状況だったんですが、反対同盟の方も宣伝カーを繰り出す、周りにビラをまくという状況で、7月10日の状況については7月24日に延ばす。そこで、市東さん、萩原さん、そして私の意見陳述ということで、その方々間違ってる、よく調べろということを強力に申し入れたんですが、それを無視して7月24日2時に許可決定を出してしまったということがあるわけです。

 そして早々と、7月25日送ってしまっちゃったわけです。千葉県農業会議の中で、審議するのは実質的には常任会議員会議というのがある。その中で会議をして、その結論が千葉県農業会議の結論になるということが、法律で決まっている。そういう中で、9月14日、常任会議員会議というのが開かれて、参加していただいた方も多数、この中にあると思うので、あの時の状況をご存知かもしれませんが、要するに全ての常任会議員が質問すると千葉県の農地課がことごとく答える。要するに上司の諮問したものを部下が答えるという自作自演です。しかも、その中での結論についても、補足説明書の中でこういう結論を出して下さいという書面をあらかじめ農業会議の中で配ってるわけです。2、3、八百長的な質問があった上で、20分くらいかそこらの中で許可相当という議決を下した。それに対しては満場、みんな怒ったわけです。猛烈な弾劾行動をやったわけですが、それを20分くらいむこうはじっと座ったままで動けない、いう形の中ででやったんですが、このでたらめきわまる一連の過程のなかで、この諮問に基づいて堂本知事が許可と称して下したことに対して、このでたらめなものについて一体どういうでたらめが行われたかについて概略として説明したのが今日の弁論でした(第10準備書面)。

 その過程で会議録についての請求をこちら側が2006年に起こしたわけですが、真黒な会議録、これが会議録です(黒塗りの書類を示す)、を出してきたんで、先ほども要求したんですが、正式な名前を書いたものを出せと。どんな常任会議員がいて、千葉県農地課は誰々が答えたのかについて真黒になっちゃってるわけですよ。真っ黒のままで出して、これ以上は出さないような口ぶりをしてきた。そういうけしからんものを出してきた。名前を出したらどんな被害があるというのかわかりませんけれども、やったことが悪いもんだからこういう形になっているという状況にある。

 この点も、明け渡し請求の民事訴訟についても同じ日に、次回7月21日行う09421_3 と。この点に関しては、前回の法廷の中で釈明をしたわけですが、何時、公団は、この賃貸に至る処理をしたのか、何時から貸しているのか。これに対して答えられない。2月17日に釈明書を出したんですけれども今だに答えがない。初めは「所有権取得の時期かな」なんということを、これは原告側の上野という元千葉地裁の裁判官あがりがちょっと呟いたんですが、それもはっきりしなくて、後一月半かそこらの間に答えるという。これはまた他の代理人の方から説明があると思いますが、非常に問題点を含んだことなんです。とっかかりとして大いに追求する。

 それから南台41-8と41-9がでたらめだということははっきりしている。今度は、天神峰の市東さんのお宅のすぐそばの土地についても非常に問題点があるということを弁護団会議の中で発見しました。この点を掘り出して、41-8と41-9と同じような格好で追求しようと思っているんで、十分に注視し、支援していただきたい。

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4・12(岩国)愛宕山大集会(その2) 住民の訴え

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 「愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない!4・12愛宕山大集会」では地元住民から4人の方が宣伝カーの上に立って訴えられました。その中から2人の婦人の方の訴えをご紹介します。

開発地に一番近い住民として  福田雅美さん

 みなさん、こんにちは。今日は、遠いところ、近いところ、山の上までほんとうにありがとうございました。それと、ご報告します。今日の朝、無事に・・・地区の子供相撲大会が晴天の中とり行われました。子供の笑顔にほんとうに救われました。

 皆さんの立っているところ、実は海抜60メートルなんですね。愛宕山神社とい09412_2 うのは、その倍123メートルのところにありました。ここに。それで、私たちの団地というのは山の陰にありました。もちろん瀬戸内海も見えません。むこうも全然見えません。ある日突然、工事が始まったわけなんですけれども、私たちの家は、工事によって揺れたり、粉塵が飛んできたり、それは10年間大変な思いをしました。

 愛宕山の中には、今、ここに土俵がありますけれども、桜があります山あいに小さな土俵がありました。大昔からそこで、学校が休みになって春の例大祭があったわけですね。それを誰がこんな土地にしようって思いますか。ほんとは誰も思いません。それでも、なぜこの開発に、岩国市民は手助けをしなければいけなかったのか。それはひとえに基地周辺の人の騒音の軽減です。だからこそ、みんなで、しょうがないということで我慢してきたんです。長い間、しょうがないという言葉で我慢してきました。ほんとに大変だったんです。

 だけどここにきて、それを米軍住宅にする。とんでもない話です。ほんとにですね、私たちは、そのために、我慢してきたんじゃないんです。ここが住宅土地にならなくてもよかったんです。はっきり言うと、埋め立て用の土砂をとったら、それでおしまいでもよかったんです。それを、借金がかさむから住宅地が立てられなくなった、そういう言い訳は聞きたくないです。

 私たちは、ほんとは子育てに忙しい普通の主婦です。今、こんなところで話してること自体も、ほんとはおかしな話しです。子供の面倒見なきゃあいけないし、家族のきずなも一番深めなければいけない時期なんです。だけど、今回は、こんなにたくさんの人が集まって下さったというのは、たぶん私たちの痛みを感じてくださっているから、ここにいらして下さったんだなと心から感謝しており09412_3 ます。ほんとにありがとうございます。(左写真は、挨拶する井原前市長)

 それと、多分、ここに来ていらしゃる皆さんは賛同者ですから、何を言ってもしょうがないんですが、東京に聞こえるなら、一言、言わせて下さい。政治は東京で行えるものではないです。それぞれの住民がすんでるそれぞれの土地で、現場で行われるものです。だから、常に私たちの声を聞いて下さい。私たちの声なくして、地域の政治は絶対にありえません。子供たちのためにも、それから、今生きてる人間じゃないです、過去ここに生きてきた岩国の人たちのためにも、この岩国に鉄条網を張らすことはできません。

 ありがとうございました。

愛宕山に住む爆音裁判原告として  末岡静枝さん

 (ご本人は88歳、ご主人は94歳で、最高齢の爆音訴訟原告。)

 みなさん、こんにちは。私たちが、この尾津に、すぐそこなんですけれども、愛宕山のすぐ下を、「終の棲家」と決めた理由は、気候が温暖で風光が明媚、そして人情がある。その人情こそ今も残っていますけれど、風光明媚のこの愛宕山、それが今失われてしまいました。

 愛宕小学校を卒業された方、校歌を思い出してみてください。「いま明けそめる 朝空の 門前川につづく海」ではじまるこの愛宕小学校の校歌、その豊饒(ほうじょう)の海は、艦載機が来るために、それをはこぶ船のために、あの藻場はなくなってしまいました。この近辺どこにもない、今どんなに求めようとしても求められない、あの美味しいあさりも、いつのまにかまったく姿を消してしまいました。

 さらに校歌の3番に「聞け なごやかな歌声を あおげば月の愛宕山」、その 「あおげば月の愛宕山」がこの惨状です。このむごたらしい姿を見た時に、愛宕小学校の卒業生ならずとも言葉を失ってしまいます。もう一度この美しい愛宕山を取り戻すことはできないのかもしれません。でも、ここに米軍住宅だけは絶対09412_7 に許してはなりません。(右写真は、入口でがばっておられた大川清さん)

 私は、先ごろ爆音訴訟団の一員に加えていただきました。爆音はもちろんいやですけれども、今の爆音ならまだ耐えられる限界かもしれません。でも、これが2倍になり、基地が変わった時に、「ああ、こんなはずじゃなかった」といったって遅いんです。でも、それ以上に、ここは、このふる里のこの愛宕山が米軍住宅になって、ほうんとうに、ふる里を失った人たちが今、団塊の世代を迎えていることを思う時に、何ともやりきれない気持がして、私は、補償の金額が何ほどかではなくて、これを国にもの申す事が出来ないのか。この大きな負の遺産を残しておいて、子供たちにこの岩国に帰っておいでとは言えない。私の子供たちだけではありません。ほんとうに、今、故郷の地を離れて、遠隔の地で働いてきた人たちが、帰ってくる故郷をこんな無残な姿にして、しかもそれがフェンスで張られることなんかを思う時に、なんでこうなったのか。

 私たちの世代が、危機に感じて、もう少し声を上げればよかったのじゃないかという思いでいっぱいです。その、本当に申し訳ないことをした、取り返しのつかないことをした。それをなんとかして償いたい、そういう思いで爆音訴訟団の一員になったんです。命はそこまでもたないかもしれません。結論が出るまでもたなくても、でも今日ここにお集まりの皆さんが一人ひとりにその思いを伝えていただければ、まだ何とかなるのではないかという希望をもっております。私たちの一人ひとりの力はほんとうに小さくて、力がないように見えますけれども、今日お集まりの皆さんが、3人なり、5人なり、10人にこの想いを伝えていただければ、きっと大きな政治の力を動かせるんじゃないかと、そんな希望を捨てきれません。

 一人ひとりの知恵を出し合って、先ほどどなたかが「政治は国のものじゃな09412_6 い。みんなのものだ」と。そうなんです。民主主義なるものを信じすぎて、あれだけ軍部にだまされてきたのに、民主主義の時代なら何とかなるなんて、はかない希望をもっていたことにも今悔いております。その民主主義を本当に完全なものにするには、一人ひとりの知恵を出し合うしかないと思います。今、スタートに立ったばかりです。これから長い長い道のりですが、決して諦めないで、決してくじけないで、みんなの力をより会わせて、今日お集まりのみなさんが、ほんとに大きな輪を作ってくださることを、私も、命の限り、闘っていきたいと、そういう思いで。終わりたいと思います。(左写真は、オープニングの岩国太鼓) 

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4・12(岩国)愛宕山大集会に参加して (その1)

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 4月12日、山口県岩国市で開かれた「愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない!4・12愛宕山大集会」に参加してきました。集会には愛宕山周辺の地域の住民のみなさんが自治会ぐるみ、地域ぐるみで参加し、山口県下のいろいろな労働組合や市民運動、さらには各地からの人々など、写真の運動場と写真を撮っている愛宕山神社の境内に鈴なりになった2000人が集まりました。

 岩国は、現在、米軍海兵隊の戦闘機57機が駐留し、戦後60年以上、日夜、訓練する戦闘機の爆音と事故、そして米兵による犯罪に苦しめられてきました。今回着手された爆音裁判のご夫婦で最高齢の原告となった末岡静枝さんが集会の中で「愛宕山小学校の校歌にある『いまあけそめるあさぞらの もんぜんがわにつづくうみ』とある豊饒の海」と語られた。その瀬戸内海有数の藻場であり、美味しいアサリなどが採れた岩国基地に隣接する海を埋め立てても、航空機騒音の軽減と墜落の危険から解放してほしいと「岩国基地沖合移設運動」が、岩国市民の「悲願」として30年近くを費やして行われていました。そして、岩国基地沖合移設事業が、Photo 膨大に投入される建設経費によって岩国は潤おうとバラ色の夢をばらまきながら、1996年6月にスタートしました。

 しかし、それは、先日の「3・15米軍再編と闘う集い」で、岩国の大川清さんが「初めから画策されていたこと」と指弾されたように、そしてその8年後の04年に報道されたように、移設ではなく、厚木基地の空母艦載機部隊の移駐を軸とする米軍再編による基地の拡張でしかありませんでした。戦闘機128機を擁するアジア最大の戦闘機基地となるためだったのです。

 この基地強化、米軍再編の動きに、基地の町として戦後、運動らしい運動、怒りらしい怒りを表明して来なかった岩国市民の我慢の緒が切れ、06年住民投票、市長選と闘いが爆発しました。このことについて今回は省略しますが、この新基地建設の埋め立てに、市民の憩いの場所であり、鎮守の森であった愛宕山の土砂を削り使う(右上図参照)ことが、「移設による騒音の軽減」をかざしつつ、跡地に新しい住宅、病院や学校、商業施設ができて地域が発展すると反対する地元住民、地権者に「バラ色の未来図」を押し付けて山口県によって強行されました。そして、新滑走路もでき、埋め立てがほとんど進んできた今になって、「未来図」が不可能だから国に買い上げてもらい米軍住宅にすることで、山口県と岩国市が抱える借金を返したいと、山口県が言い始めたのです。

 これほどのひどい騙し方があるだろうかと、岩国の人々は、米軍住宅と米軍施設の建設に反対して立ち上がられました。この日の集会は、国に11万人の「米軍住宅建設反対」09412_2 の署名を提出し、さらに先日、477人の原告をもって爆音裁判の提訴が行われたのに引き続き開かれた、怒りの集会でした。最初の写真は、集会参加者がシンボルマークを掲げている写真です。

 左写真は、新基地の南側で、白く見えるのが2600メートル滑走路の南半分。その先に小さく見える点が、原子力空母が接岸できる大型岸壁を作っている現場です。そして、右写真が、この日の会場になった愛宕山神社とグランドに接してある土砂が採取され見事に山がなくなった更地です。

 集会は、オープニングに岩国太鼓の演奏。井原前岩国市長や国会議員が駆09412_3 け付けて挨拶が行われましたが、圧巻はやはり4人の地元住民の想いのこもった訴えでした。(明日のブログに、このうちのお二人の発言を紹介いたします。)集会アピールの採択の後、エンディングパフォーマンスとして、シンボルマークを掲げ、最後に全体で「艦載機より『平和の紙飛行機を飛ばそう』」と紙飛行機を右写真の更地に向けて飛ばしました。

 岩国の皆さんと一緒に、米軍再編に反対して闘っていくことを思いながら、わずか1時間の集会でしたが、気持のこもったいい集会だった余韻をかみしめながら、帰途に着きました。

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部落解放同盟全国連第18回大会 山本善偉世話人挨拶

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 第18回全国連の全国大会、おめでとうございます。三里塚決戦勝利関西実行委員会の世話人として挨拶をいたします。

 全国連が生まれる前、もうそんな過去のことを話しても何ですが、荒本の人た09411_2 ちと我々は、全国連ができる前に、三里塚を闘っている故に解同本部は荒本支部を除名しました。それに対して、正義の闘いとして屈しなかった荒本が、だんだん発展して、ついに新しい解放同盟全国連合会を結成して、今日が第18回目になります。18回になって、まだ問題はますます厳しくなっている。厳しい状況に我々があることを思います。

 私たち関西実行委員会は、三里塚の集会の前に必ず関西集会を開くんでありますが、今年は特に、3・29の前に3月15日の関西実行委員会の集会は、いつもと趣を異にしました。それは何か。三里塚にもっともっとたくさんの人に来てもらわなければならない。たくさん三里塚を知っている人はいるんだけれども、なかなか結集はできない。私たちはそのために、今問題の一番の根幹は米軍再編であろうと思います。米軍再編を考えるために、三里塚、沖縄、岩国、関西を結ぶ講演とディスカッション、そういう集会をもったわけです。その席に、中田書記長も来ていただいて、われわれのその計画に対して、非常に力強く、全国連の立場から、共に闘うことを約束していただいたわけであります。

 そして09411_3 、今、伊藤さんが言われたとおり、3・29には今までと違った意味での大きな三里塚の全国大会をやることができました。三里塚の44年にわたる闘いを、広く、労働者、人民国民全部が支える、そういう場にならねばならないと我々は願ってはじめたこの間の3・15から3・29への成功を見て、今ここに立って思いますのは、新しい水平社を作りだす、生み出す全国連だと。これを見て本当にうれしく思います。差別はますます激しいにもかかわらず体制内の運動しかしない解同本部派に対し、徹底的に差別と闘い、反戦・反核の砦である三里塚を共に、全国連の立場として一緒に闘うということを非常に力強く(3・29で)発言していただきました。

 私は、88歳、もう過ぎましたけれども、このままいけば必ず戦争になります。戦争を食い止めるものは誰か。不正なる権力、不正なる力に対して、力でもって闘う人民がこれを食い止めるものであります。解放同盟中央本部がほんとに融和団体になっていくのに対して、皆さんが歯をくいしばっても闘われる。私は、私たち関実は、共に三里塚を闘うことを固く約束しまして挨拶といたします。09411_4

 

 この日、三里塚からは伊藤信晴さんが遠路見えられ、連帯挨拶の冒頭に挨拶され、決戦に入った三里塚を共に闘うことを訴えられました。

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3・29三里塚全国集会⑨ 山本さん・井村さんの挨拶

山本善偉さん(関西実行委員会世話人)

09329  永井代表の熱烈な訴えに対し、彼を支えている88歳になる山本です。私の一番の想いは、二度と戦争をしてはならない。「一回目は誤りでも、二回目は裏切りだ」と言われた栗原さんの詩が、どうしても忘れられない。今、そういう危険な状態になっていることをはっきり確認したいと思います。

 今日は、昨年の10月よりもたくさんの人が集まってくれています。しかし、もっともっと平和を願っている人間はたくさんいるんです。

 その闘いを、先頭になっているのはやはり「反戦の砦」三里塚です。この三里塚の闘いに勝つことによってこそ、二度と誤った戦争をしない国が作れるはずです。

 若いひとたち、頑張ってください。88でも、私は、歩ける限り、しゃべれる限り、闘います。共に闘いましょう。 (集会特別報告の永井さんとともに登壇して挨拶)

井村 弘子さん(市東さんの農地取り上げに反対する会共同代表)

09329_2  みなさん。こんにちは。井村です。とにかくですね、市東さんの会、みなさんで本当に応援して下さい。

 こうやって、今日、たくさんの人が集まってくださいましたが、国が法律を変えてまでも私たちの裁判に勝ち抜こうとしている。全然、根拠がない。それでですね。空港側の方に根拠を出せと言っても、出してこないんですよ。出してこないのに裁判をやっている。続けている。結果が出てこない。おかしな話です。そこまでして、なぜ、われわれを貶めるのか。これは、本当にもっと、今のこの国の、・・・・そういう馬鹿な事をしていたら日本は潰れてしまう。

 今、沖縄の方からお話しがありましたが、とにかくね、みなさん、この沖縄の状態。私は一昨年行きまして、ほんとにびっくりしました。これほどにですね、日本が、この沖縄の人々を見捨ててるのかと思いましてね。私は、これは、日本の内地の人たちみんな沖縄に行ってもらいたいと思いました。沖縄を日本の内地の人たちは守っていかなければダメだと思っています。市東さんのこの農地取り上げの問題も非常にひどい。しかし、同じ事をやっている。

 こういうことをどんどんどんどんやられたら、われわれは生きる所がない。農地を企業が取り上げ、そして農民にお前たちは労働をやれと言われたって、この労働者がまた切り捨てられている。モノにされている。そういう風な中で、われわれは、われわれの生きる権利、これを本当に、高らかにですね、声をあげていきましょう。みなさん。よろしくお願いします。 (市東孝雄さんと「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんと登壇しての挨拶)

 この素晴らしい88歳のお二人の想い、そして昨日掲載しました92歳の森田さんの想い。すぐる戦争を体験した中からのこのみなさんの想いと訴えを、私たちはもう一度襟を正して受け止めることが必要ではないでしょうか。そして、三里塚反対同盟とともに、三里塚闘争を通してうねりのような怒りの広がりを生み出す中から日本帝国主義の野望を打ち砕き、打倒する道を切り開きましょう。とりわけ、海上自衛隊の戦闘行動を前提としたソマリヤ出兵がおこなわれ、北朝鮮の「ミサイル」発射を口実とした「独自の攻撃力」が公然と国会内外で、今日、叫ばれているのですから、なおさらです。

 幸い、私たちは、この数か月の闘いによって、とりわけ「3・29三里塚現地全国集会」の大成功と、それに先立つ「3・15米軍再編と闘う集い」の成功によって、私たちが進むべき、築き上げるべき一つの道筋を明確にすることができるとともに、歩み始めることができました。もちろん、まだまだ端緒についたばかりですが、日本帝国主義の攻撃に対し仁王立ちして闘う市東孝雄さん、そして三里塚反対同盟がその先頭に立ってくれています。全力をあげ、死力を尽くし、暫定滑走路北延伸の共用開始を阻止し、市東さんの農地を絶対に守り抜く中から、三里塚闘争勝利、日本帝国主義打倒へ、大きなうねりを生み出し、新しい世の中を建設していきましょう。

 「3・29三里塚全国集会」は本当に素晴らしい闘いでした。これで報告を終わります。

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3・29三里塚全国集会⑧ 開会あいさつ・森田恒一さん

09329

 本日、この全国総決起集会に結集されたみなさん。本当に御苦労さまです。主催者の一人として、感謝の思いでいっぱいであります。

 さて、本日の決起集会では、ここに掲げられたスローガンにありますように、国家権力による様々な悪政を阻止し、粉砕するものでありますが、中でも反対09329_3 同盟にとって緊急な闘争課題は、天神峰現闘本部の裁判、もうひとつ、市東さんの農地を取り上げる裁判。この二つであります。

 現闘本部の裁判におきましては、これまでの数々の強圧的な裁判長の法廷指揮に対して二度も忌避を申し立てております。これに対する最高裁の判断はまだでておりません。ところが裁判長が、裁判を進めようとすることに対して反対同盟が抗議しているその最中に、裁判の中でも重要な弁護側の証人を無しにして、突如として結審を言い渡すという暴挙を行ったのです。これはもう裁判ではありません。

 市東さんの裁判に関しても同様でありまして、この市東さんの裁判の根拠というのは何かというと、農民と農地を守るために作られた農地法という法律がありますが、この法律の中の1ヵ所を拡大解釈して、これを悪用して、それを根拠に市東さんの農地を取り上げるというとんでもない裁判であります。もちろんこういうことは全く根拠のないことでありまして、この裁判の中でずっと経過を見ておりましても、空港会社の言うことは全くデタラメでありまして、一つ一つつぶされている状態です。しかし、こういうことだから我々の方が裁判が勝てるというわけではありません。安心できません。

 なぜかといいますと、現在の司法は、政府の奴隷です。全く根拠のないことを根拠にして、国家権力の意思が介入してくれば、必ず国家側に立っている。憲法におきましては、司法と立法と行政の三つが、まったく分離独立し、お互いに侵さないということが明記されているにもかかわらず、裁判官は必ず国側を擁護するという状態であります。

 市東さんの裁判におきましても、必ず勝てるという我々は考えをもって臨んでいるのでありますけれども、そういうことは理屈にならない。変な理屈をつけて市東さんを負けにし、空港会社を勝ちにするという、これはみえみえであります。おそら09329_4 く近い将来に、市東さんの農地取り上げの裁判は、国側を、つまり空港会社側を勝ちにして、そして強制代執行と称して、機動隊の暴力でもってこれを取り上げるということが、この近い将来に起こるだろうとと思います。

 私事ですが、私はあと一月ばかりで92歳になります。足の痛い、老人特有の膝関節を患っております。ここに立っているのもやっとというような健康状態でありますけれども、市東さんの農地に代執行が行われるとすれば、私は必ずこれに対して、これを粉砕する思いで代執行に臨む覚悟でおります。みなさんも同じ思いだろうと思います。本日のこの決起集会に、この思いでもって、最後のデモにいたるまで、敵の心胆を寒からしめるような集会、デモをやろうではありませんか。

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3・29三里塚全国集会⑦ コメ農家・小川浩さんの挨拶

09329  (写真は、壇上に並ぶ「市東さんの農地取り上げに反対する会」のみなさんと、3・29集会全体)

 みなさん。今日はご苦労様です。農地法は、戦後、農民の憲法と言うべきものでした。その農地法が今、改悪されようとしています。そしてその農地法によって、今、市東さんは農地を奪われようとしています。

 今、なぜ農地法改悪なのかということについて、はっきりさせていかなければ09329_2 いけないと思います。

 戦後、1961年の農業基本法以来、農業改革といわれるものが随分やられてきましたが、結局、日本の零細農家はどんどん辞めて行っても、農地は絶対手放したくないということで、取り上げることが出来ませんでした。そして、2年ほど前ですか、戦後農政の大転換ということで、担い手新法、担い手に農地を集中して、農業をやってもらって、そこには全面的に支援する、国が支援するという形でやってきましたが、去年の石油価格とか穀物の高騰によって、その担い手農家が軒並みやっぱり赤字になっていく、農業ではやっていけないような現実が昨年、ほんとに起こりました。そういう中で、この2年間で担い手新法そのものが破綻したといっても過言ではありません。また、世界金融恐慌の中で、もはや農民を自然淘汰というか自然に切り捨てるというような悠長なことをやっておられない。農地法の改悪というのは日本の支配者にとっては、ずっと悲願だったんです。ところが、それが何回もやろうとしてもできなかった。ところが、今回は、その農地法の改悪が具体的日程に上ってきて、今年なんとかやろうとしています。

 と同時に、石破農水相は、1971年以来40年近く、三里塚闘争と一緒の頃に「減反政策」を始めましたけれども、そこを進めて農政を根本的に大転換していくというようなことを今年まとめて、来年からやって行くというようなことを言っています。このことは、農地法を改悪して所有と利用を分けるとか言ってますけれども、これはまったくまやかしで、企業を参入させれば農家が農地を持っていられなくなるのははっきりしています。そういうことで、今までの農業が社会中で変わっていく、そういう政策の大転換として行われていくんじゃないかと思っています。

 そういう意味で、今、市東さんの農地法による農地の取り上げは、全国の農民にかけられた攻撃とも完全に連動してるんじゃないかと思っています。そういう意味で、1971年、代執行の時に大木よねさんがだまし打ち的に家や土地を取り上げられましたけれど、市東さんの農地は絶対にそういうことにしてはならないと思っています。何としても、反対同盟は腹を固めて闘うといってますけれども、われわれもほんとに腹を固めて市東さんの農地を守る闘いを全力をあげて闘いぬいていきたいと思います。

 F もう一つは、戦前の農民運動は、小作争議として、1930年代、大爆発しましたけれど、日本の農業問題の矛盾を満州移民というような形で、当時、日本の農民に土地を与えるという形で「満洲へ」ということで、三井とか、三菱、住友、大財閥がカネを出して、関東軍とか陸軍省と連携の下に、日本から農民を満州に送りだしていった。つまり、侵略戦争に直接的に、日本の農業問題を解決するというようなことで、動員していったというそういう歴史があります。

 今、軍事空港反対ということが三里塚闘争の根幹として今言われましたけれども、そういうものとしてもね、日本の農業問題を捉えていく必要があるんじゃないかと思っています。

 そういう意味で、三里塚の農民の闘いは、日本全国の農民の将来と密接に結びついた、ほんとに農民のこれから生きるための闘いとして、三里塚農民の闘いがあるんだというふうに考えて、共に闘っていきたいと思います。どうか、市東さんの農地を絶対に守っていきましょう。

 

  管理人=昨日は、淡路の永井満さん(関実代表)のお誘いで、淡路島にある県立公園の桜を楽しんできました。まさに春うらら、おだやかな雰囲気の中、缶コーヒーとペットボトルのお茶を飲みな0948_2 がら、のんびりと永井さんと3時間余りの時を過ごすことができました。「花見」と言えば、「酒を飲むための理由」としか考えていなかった私には、実に驚きの時間でもありましたが。春霞で、神戸空港や、関西空港が見えるはずの場所だそうですが、残念でした。それでも、本当に凪いだ海と桜に心行くまで楽しむことができました。右写真で、明石海峡大橋が真ん中左よりに、かすかに写っているのがわかるでしょうか?

 

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3・29三里塚全国集会⑥ 市東孝雄さんの挨拶

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 こんにちは。市東孝雄です。全国から集まったみなさま。ご苦労様です。

 三里塚勝負の年、沖縄から遠路駆け付けてくれました知花さん、ありがとうございました。

 三里塚闘争はこれからが本番だという言葉を、しっかり受け止めて頑張りたい09329_2 と思います。農地法第1条「耕すものに権利あり」。今、話題の映画でも、ゲバラが「土地はそこを耕す農民のものだ」と叫ぶそうです。私は、胸を張ってこれまで通り畑を耕作していきたいと思います。今、国会では、この農地法の大本を削り取るとしています。私は、自分の畑を耕すことで、この「歴史的大罪」、これは秋田の坂元進一郎さんの言葉なんですが、国を優先、農家切り捨てに対し、心ある農民とともにこれからも闘っていきます。

 この2月3日に、3つ目の裁判が始まりました。これは農地法による農地取り上げ裁判です。先日の現闘本部裁判の暴挙と司法の反動は、許せないという気持ちをこめて闘おうと思っています。みなさんも是非、傍聴闘争に参加してください。

 2つ目に、皆さんも先ほど来から出てます事故のテレビを見たと思います。実はあれと同じ原因で、あわや大惨事の事故が、6年前の1月、家の前で100人が乗った旅客機、エアジャパンの飛行機ですが、同じことが起こっています。神社 の手前で止まりましたが、突っ込めば爆発、炎上の大惨事です。力づくで作った成田は欠陥だらけ。そしてまた、北延伸で、進入灯の下を東09329_4 関東(自動車道)が横断している。こんな空港はありません。廃港して出直すべきです。

 3つ目に、みなさん。ここに集まった労働者、農民、学生、そして反戦闘争や市民運動のみなさんとともに必ずや勝利しましょう。労働者から職場を奪い、農民から農地を取り上げる今の政権に政治を任せることはできない。戦争に絶対反対、道州制に反対、改憲に反対。反対同盟の原則を守り、労働者の先頭で闘う動労千葉との絆をさらに深く、これからも、同盟、まあ、これから何十年続くかわかりませんが、一生懸命闘いますので、みなさん、よろしくお願いいたします。

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3・29三里塚全国集会⑤ 沖縄からの報告・知花昌一さん

09329   【写真は、3・29当日の朝、北原さん宅での交流会で、挨拶される知花さん(右端)】

 紹介された知花です。「日の丸」焼却闘争、そして「象の檻」の奪還闘争。この際には、皆さんの絶大なるご支援をいただきまして闘い抜き、そして「日の丸」も勝利的な闘いをやり抜きました。そして「象の檻」に対しても、完全に基地を撤去させ、跡地を更地にして跡地利用に向かっています。勝利をいたしました。そして、そのあおりで、今、読谷飛行場、70万坪の飛行場が、一昨年取り返すことになりました。この読谷飛行場、70万坪は、戦前、日本軍によって国家総動員法によって分捕られたところです。それを、米軍が押さえ、さらに沖縄返還と同時に日本政府にそのまま引き渡した。所有権が奪い取られたままでした。そ09329_2 れを、私たちは50年間にわたって、闘い、たたかい、あるいはパラシュート訓練闘争を実力で闘い抜きながら、返還運動を継続してきました。そして一昨年、70万坪が私たちの手に入ったわけです。その闘いも多くのみなさんのご支持とご支援で闘い抜いた結果であります。これを報告します。

 そして、昨日はこの近くのホテルの8階に泊まりました。8階の上の方からこの飛行場を見ました時に、この飛行場が、欠陥だらけのものであるということが如実にわかりました。滑走路のまん中に、鉄板で囲われた緑の敷地があります。そして誘導路が、市東さんの土地のところで曲がっている。上から見ると、ほんとになんでこんな飛行場で通用するんかなと思うぐらいのところです。かろうじて飛行機が飛んでいるものの、国際的信頼をなくしている。この前の事故もそうです。そういったものからするとこの三里塚空港は、もう破綻している。こういうものだと思います。43年間、反対同盟のみなさんや、支援のみなさんが闘い抜いてきた結果、この権力の圧倒的な力で、自ら作った法をも無視してまでもやり抜いたこの空港が、今の状態で破たん状態。この闘い、これまで闘い抜いた三里塚の同盟のみなさんの闘いを、沖縄にも持っていきたい。そう思います。

 去年10月に盛康さんが来ました。沖縄の一人として挨拶をしたはずです。今日は、私が来ました。今、辺野古に新しい基地を作ろうという目論見があります。高江でもヘリパッドを作ろうとしています。いわゆる米軍再編です。米軍再編というのは、「日米同盟、未来への変革」という言い方を彼らはしています。権力側からしても、変革ということを謳っているわけです。今のままでは、彼らの目論む戦争はできないと。さらに、軍事基地を再編をして、日米同盟を変革をして戦争ができる体制にもっていく。これが米軍再編です。その中心的なものが、岩国であるし、そして辺野古です。いわゆる海兵隊の基地を出撃基地として強化をし、そして嘉手納以南の陸軍関係の基地をグアムに移転する。そしてその間を、自衛隊が肩代わりをして、日米一緒に戦争ができる体制を作っていく。そして、グアムから飛行機で約1時間、何か有事のときにはすぐ動員できる。そしてグアムの基地の整備を、ほとんど私たちの税金から出していく。こういったことがなされようとしているわけです。

 Photo 私たちは、辺野古(下写真は、新基地予定地の米軍キャンプシュワブがある辺野古崎・朝日新聞より)で精いっぱい闘い抜きました。特に、ボーリング調査を阻止し、やぐらを占拠し、夜までかけて一日中やぐらに入り、防衛施設庁との、あるいは作業員との肉弾戦をしながら、阻止闘争をして勝ち抜きました。そして・・・・・ています。しかし、彼らも諦めていません。新しく場所を変えて、そして埋め立てをして、基地を作ろうということで、今、環境調査をしてます。その環境調査もちゃんとやれば、認められないことです。ジュゴンがおり、そしていろんな希少動物がたくさんいます。こういうのがあり、そして環境調査をまともにし、そしてそれを守るなら、基地は作れません。だけど、グアム協定。グアム協定というのは、国際協定になるわけです。日本の法律よりも上にあるという認識が、今の司法の見方です。そうすると、グアム協定、米軍再編を遂行するために、日本の憲法や法律を一切飛び越して行くということが言われています。このまま、グアム協定をただ、私たち日本政府がアメリカのために金を出すということだけではなくて、日本に米軍の基地を作るには日本の国内法が通用しないというような状態です。こういった状態、この辺野古を作らせてしまうと、岩国と一緒になって米軍再編がほとんど完成する状態になるわけです。新しい米軍の変革。いわゆるアジア戦争です。北朝鮮を軸とした、中国をも見据えた戦が、この日本を含めてなされていく。こういう体制をつくろうとしているわけです。この辺野古に対しては是非阻止せんといかんと思います。

 その阻止する力は、その方法はどこなのかと言うと、43年も闘い抜き、空港を阻止してきた三里塚の闘い、これこそが、米軍再編、辺野古の飛行場を止める、そういうような私たちの戦術になって行くと私たちは思っています。これから、沖縄の闘いも厳しくなります。その時には、三里塚の闘いを私たちは学びたい。三里塚のこの現地にも、これからもずっと来たいと思うし、また三里塚を闘っている人たち、同盟の方々も沖縄に来て多くの人たちに話しをしてほしいと思っています。そうした意味でも、広がりを作って、ほんとに全人民的な包囲の中で闘いを組んでいく。この空港を廃港にしていく。辺野古を勝ち抜いていく。そういう陣形が作れたらと思っています。

 私たちは、譲れるものと譲れないものがあると思います。私たちは、一人ひと09329_3 りの生活や生き様から言っても、多くの人が、いろんな形で譲り合いながら生きてきたでしょう。しかし、譲れないもの、私たちには絶対に譲れないものがあります。それは命に関わることです。今、労働者が仕事を追われる、仕事を取られていく、会社から追い出されていく、これは生きられなくなるのです。そして農民が農地を奪われていく。生きられなくなります。こういうときは、ほんとに譲れない。そういう闘いを私たちは組む必要があります。これまで三里塚は、組んできました。確かに大きな力によって、徐々に徐々に今の状態になっています。でも、今、この43年間闘ってきた成果を、私たちももう一回問い直し、共有化し、各地方で、沖縄で、生かしていきたい。これは、私たちのいつも言ってきていることです。徹底した抵抗闘争を通して勝利するんだということです。

 昨日から来て、非常に寒い状況です。でも、この寒さをみなさんの熱い思いの中で引き取りながら、ぜひ、沖縄で三里塚と連帯する闘い、そしてそれを通した沖縄の勝利を撃ちぬくために、一歩一歩闘っていきたいと思います。みなさんのこれからの限りないご支援と、共に闘う決意をこめて挨拶とします。

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3・29三里塚全国集会④ 基調報告・萩原進事務局次長(その2)

09329  そういう意味では、市東さんの闘いを、現在のそういう基調と、そこから醸しだされる戦争状況下における普遍的課題として、農民・市東さんの問題として単にあるんじゃなくって、まさしく全人民の課題として存在してるんだということを確認していただきたい。そういう形で、市東さんも2月3日の裁判の弁論で述べておりますけれども、労働者にとっての職場と農民にとっての農地、これが守られないでどうして社会が成り立つのか。農民にとってみれば農地は正しく命です。この農地を取り上げようとするものは、死を意味することなんですよ。こういう市東さんを守り抜く、こういう闘いを第2点としてやり抜きたいと思います。

 第3点として、やはり農地法改悪との闘いですね。これは、教育基本法、労働基本法と同じですけれども、憲法を先取り的に改悪していく。今国会で農地法改正案が審議されております。農地を所有から利用促進だと軸足を移していく。我々は耕作するものが権利があるんだと、戦後革命情勢の中で農民の闘いによって確立し、今日まで守り通してきたものを、休耕農地がある、作らない土地がある、それを有効利用するんだという名目のもとに民間会社、企業がそこまで参入して、農地を買い漁って行くというようなやり方を、今日、法改正してやろうとしている。法改正する前に、もうトヨタなんかはそういう形でどんどん農地を転用している。それを法律的に固めていこうと。まさしく日本経団連の御手洗なんかが、日本経済に対する最大の貢献は企業に農地を差し出すことなんだと、真っ向から言っている。こんなことに我々は負けていられない。こんな農地法の改悪などあり得ない。われわれが勝ち取った権利を、この三里塚闘争の中で生かし、勝利し、全農民の力になってそういう闘いを展開していく。そういうのが農地法の闘いなんだ。だから、農地法そのものは、農民自身の決起を促し、全人民にそれを返していく闘いなんだということを第3番目に確認をお願いしたい。

 第4番目には、いわゆる軍事空港との闘いです。先ほど述べましたけれども、恐慌は保護主義を生み出していく。これは歴史が物語っています。その先は戦争です。この2,3日にぎわしていますけれども、北朝鮮の衛星ロケットを問題にしながら、PACⅢの配備、実戦的配備を今、行っているわけです。首都防衛という形で、習志野から持って行く。習志野を移す必要ないんだけれども、移すことで実戦的訓練を行う。首都へ持って行く。国民を保護する、守るんだという名目で、そういうやり方をしていく。撃ち落とせということは戦争体制に入るということですよ。PACⅢの配備、全国的配備、これはものすごく重要です。横のつながりを徹底的にわれわれは重視しなければならない。習志野の配備は、成田の空港を見据えた上での防衛の中での配備なんです。これは、朝鮮半島の戦争の時に成田空港は閉鎖されるということは、何度も言われた通りであります。そういう中で要するに有事を想定した日米共同作戦の抜本的見直しも図られてきています。民間機の選定や将兵の搬入、受け入れ態勢、そういうことも含めて昨年度の秋までに「国民保護法」の名の下に、この成田の周辺では調査を終わっているはずなんです。その上での、今日のPACⅢの配備、そして移動訓練。そういう態勢に入ってるわけですね。その喉元を、市東さんは、土地を守るということをもって、労働者の動員を阻止している。戦争体制のために自治体労働者、医療労働者、運輸労働者が、全部そういう中に組み込まれようとしているんですね。しかし、市東さんは、その土地を守る、その土地で闘い抜くことをもって、その喉元を押さえているんです。そこに大きな闘いの勝利性があるんじゃないかと思います。

 我々は空港に絶対的に反対なんだ。農地死守、実力闘争、この原則を守りながら、動労千葉を先頭とする闘う労働戦線と連帯をし、闘い抜いていく。一方、09329_2 沖縄や関西をはじめとする、反戦・反核・反権力・反差別の広範な市民運動、住民運動との連携も図っていく。そういう中で、市東さんの農地裁判と天神峰現闘本部裁判、一坪裁判を、そういう形での収用攻撃との激しい闘いを、現地闘争の一環として、そして現地闘争をも見据えた上で、現地闘争の準備をし、現地闘争の体制を確立し、そういう闘いとしてやっていく。そういう中で、今ちょっと述べましたけれど、我々は、今までの常識や価値観を投げ捨てて日常を観る必要があるんじゃないか。今かけられている攻撃というのは、ほんとに常識的な攻撃じゃないんですね。先ほどの仲戸川の攻撃も、法政大学の攻撃もそうです。あるいは組対法の攻撃もそうですね。市東さんへの土地取り上げにしても、農地を守るべき法律で、「耕すものに権利あり」というのがその法律の精神なんです、その法律をもって農民から土地を取り上げようとする。こんなやり方を今やろうとしている。国民を守るんだといいながら戦争を遂行する。こういうやり方に対しては、いわゆる非常識なやりかたを彼らはやってきているわけです。だから我々は、今までの価値観の延長線上で物事を考えていたら遅れをとります。そうじゃなくて、既成の枠にとらわれず、人民の中に飛び込んでいく。

 今の情勢の中では、われわれを乗り越えるような形で闘いの主人公になろうとする人がたくさんいるんですよ。その人たちを、われわれが旗を振ることで、手を差し伸べることをもって引き上げ、あるいはわれわれ自身が学び、そして共に闘い抜いていく。そういう闘いが求められてるんじゃないか。今だからこそ、闘う主人公になる人たちがどんどん創出していく。そういう闘いをやっていきたい。本日でも、一回り大きくなった三里塚の姿が見られると思います。今日の集会の中で、4点について述べました。そして10月の集会も打ち出しました。10月の集会のときには、この段上に北総の農民だけじゃなくって、全国の農民が我々と一緒に段上に並ぶことをみなさんに約束して基調報告としたいと思います。

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  (昨日、被災地雇用と生活要求者組合、しごと開発就労者組合、関西合同労組兵庫支部の3者が共催した「団結花見」が開催され、30人を超える参加で、大いに飲み、語りあってきました。同じ日に開かれた三里塚反対同盟の花見を想いながら。)

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3・29三里塚全国集会③ 基調報告・萩原進事務局次長(その1)

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 ごくろうさまです。寒い中ですけれども頑張ってください。

 冒頭に二つほど訴えたいと思います。一つ目は、先ほども出ましたけれども、千葉地裁・仲戸川裁判長の常軌を逸した訴訟指揮に対して、怒りを込め弾劾する。現闘本部の実地検証を最初から拒否する。そして証人に対して、ビデオリンクを導入して証人隠しをする。挙句に欠席裁判を強行して、それだけに懲りず、認めていたわが反対同盟側の証人までも却下する、取り消す。これは、そういう意味では長い三里塚の裁判闘争の中でも類を見ないような暴挙であります。断固、それに対して、・・・・・裁判を見つめてやろうと思っています。

 二つ目は、先の23日に、アメリカのフェデックス社が起こした空港事故の問題であります。原因はウインドシアといわれる突風とか、気流の問題とか、いろいろ理由づけしておりますけれども、これは、成田空港の姿を表した事故でありま09329_3 す。欠陥空港である、内陸空港であるという決定的な事実の上に立ってろくな調査もせず、偽善で固めて、強権的な土地取り上げを行った結果が、今日の事態を招いているわけですよ。そういう欠陥だらけの中で、北延伸を図って、ますます欠陥空港としての位置を高めざるを得ない状況の中で、仲戸川裁判長は、その土地取り上げの尖兵になり下がろうとしている。空港会社は、ますますそういう中で、今日の経済危機の中で、利益優先、安全無視。この双方が一体となって推し進めようとするこの今日の姿、この空港はまさしく廃港以外にないということを先ず冒頭申し上げておきたいと思います。

 皆さんが、誰でもおっしゃるように、このいう中で、激動する情勢の中で、三里塚がどういう位置を占めているのか。みなさんもご存じのように、この世界の中で数千、数万の人たちが決起をしております。労働者に対する攻撃と同様に、農民の決起も行われております。最早、生きることそのものが、闘わなければ駄目なんだと、そういう時代に入っておるわけです。こういう深まる資本主義の危機の中で、政府・財界は自分たちの現実をますます深めつつ進まざるを得ない。安倍が打ち出した「アジア・ゲートウェイ構想」が、福田が継ぎ、今日の麻生まできて、よたよたの内閣の中で、立ち消えになったんじゃないかと言われてきたわけだけれども、もう一度ここでその路線を引き継いでいかざるを得ないという状況を作り出している。洞爺湖サミット等において貿易交渉も決裂と、いわゆるWTOにおいて入口までも入れないという状況の中で、FTA,EPAという貿易交渉そのものにどんどん加速させて、弱い者を切り捨てる、そういう時代に入っていく。そういう中でなんとか成田の空港の立て直しを図っていきたい、そういう状況を今、迎えているわけですね。

 だけども、見てください。今の麻生の姿の中で、文字通り、民衆を、人民を敵に回してやり切れるのか。今日の状況こそ、われわれが43年間闘い抜いてきて作り上げてきたそういう状況ではないのか。確かに自己崩壊的な要素は含まれております。しかし、厳しいけれども、資本家やあるいは支配者が文字通り危機にあえぎ、そういう中から一切攻撃を加えられない、今日の事態を迎えるために我々は43年間闘い抜いてきたんだと言っても過言ではないという風に思います。

 ですから、「へ」の字に曲がった誘導路。着陸帯には開拓道路があります。オーバーラン帯にも神社。南側の飛行直下には、二度にわたって誘導路を横切らなくちゃあならない。あるいは高速道路が・・・。2500メートルでは、近距離の国際便しか使えない。先ほど言いましたけれど、先の事故、ウインドシアによる事故は、初めてじゃあないんですよ。2003年の1月にこの暫定滑走路をオーバーランしたんですよ。その時も、同じようなことを言ってる。もう少しで神社に突っ込もうとした。これは完全な墜落なんですね。オーバーランという形で誤魔化してますけれど、その時に起こっている事故、それが、つい先日それを上回るものとして証明された。こういう欠陥だらけの空港が、すべて国と空港会社、裁判所の暴挙によって、ますます明らかになってくるわけですけれども、推し進めようとすればするほど。だから、成田がアジアにおけるハブ空港の地位から陥落せざるをえないんだ。

 09331 そこに追い打ちをかけたのが、今日の恐慌、経済恐慌ですね。昨年12月の貨物便、輸出が前年比、48%、半分になっちゃってる。夏のダイヤ改正、つい先日行われましたけれど、減便を強いられている。だけども、この誘導路、あるいは滑走路の延長をもって今の20万回を30万回にするんだということをもって、世界からここに増便を図ろうという形で引き上げようとしているのが今の姿なんです。北へ、北へと二度にわたって滑走路を伸ばしたんですね。2500メートルのうち1200何メートルか、半分近くも北側へ伸ばさざるを得なかった。本来は南へ伸ばして東峰、天神峰の部落、そして反対同盟の闘いを潰そうとしたんです。しかし、それができえないために北に持っていかざるを得なかった。しかし形だけを作っても中身が伴わない。そういう状況であっても形だけでも作ると、いう形で今この秋にも開業し、来年3月の共用開始ということをもって、飛ばすことをもって、再度われわれを追い出そうとしているわけです。そんな暴挙を絶対に許せない。それが今日の裁判であり、先日の工事の姿です。しかし、もうそれ以上のことは出来得ないんです、彼らは。いわゆる他力本願の空港としてしか建設は出来得ない、ところまで追いつめた。北へ、北へと、われわれは固定化した。そのことを、アジアからのハブの陥落と、羽田への・・・、成田のますます地盤沈下、そういうのを通しながら、暫定滑走路の闘いを通し、市東さんの闘いを通し、空港本体に上りつめて、廃港への闘いを推し進めていく。そういうのが我々の闘いです。

 空港会社、あるいは支配者側はこの道を、先ほど言いましたけれど「アジアゲートウェイ」によってアジアにおける搾取と、そういう中で羽田と成田の二期をもって何とかしのぎたいという形をするわけですけれども、それだけじゃあ支配を出来得ない。そういうところで、大きくは成田を軍事使用の中で位置づけていく。それが今日の姿であろうと思います。

 そういう中で、本集会で強調したい4点があります。先ず第1点は、北延伸のための現闘本部撤去を真っ向から闘い抜いて、仲戸川裁判長の常軌を逸した訴訟指揮に、そういう意味では決戦はだぐり寄せられたわけです。そして夏から秋に向けての状況は、そういう意味では状況が実質的にも一変するだろう。現地における実力闘争と農地死守の闘いを断固としてやりぬく態勢と、そういう気構えを先ず固める。

 そして第2番目には、市東さんの農地を守る闘い、そしてその陣形を文字通り、もう一度、ひと旗、ふた旗立てる必要がある。承知のように、三里塚の状況は、収用法によってはもう土地を取り上げることは出来得ないというところまでは来ているんですね。そこで、追い詰められた形として、もうあってはならないことなんだけども、農地法によってそれを取り上げるという前代未聞の裁判が行われているわけですね。賃貸借契約の解約という、ほんとにデタラメな、空港用地として使うための公用収用なんですよ。こういうところまでしか出来得ないという土地収用法の粉砕と、攻撃としての農地を守る三里塚の闘い、この原則は、農地死守して、実力闘争をもって闘うという、そういう市東さんの大衆的な陣形の拡大と、そしてもう一つの闘いの仕方という形が第2点目に求められている。 (明日に続く。3枚目の写真は、3月31日、うどを掘り起こしている萩原さん。)

 

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3・29三里塚全国集会① 特別報告・永井満関実代表

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 ご紹介をいただきました、関西の住民を代表しまして、結集されました皆様に一言ご挨拶を申し上げます。

 私たちは、これはもう30年来続けておりますことですけれども、現地で集会を持たれます時には必ず関西で、前段的な集会を開催してまいりました。今年も、さる3月15日、大阪中央会館におきまして185名を結集してその集会をいたしました。これは、しかし従来のいわゆる身内の総決起集会ということに止まらないで、この3・29にむけて、否、三里塚闘争そのものがもっと拡大していくための闘いとして、この集会をやろうと私たちは固く決意いたしました。

 思えば、この三里塚の闘い、ただ今の委員長のお話にもありましたけれど、動労千葉との固い共闘の中で築き上げられ闘い抜かれてきたその闘いの様子を私たちもつぶさに見てきましたし、時には一緒になって闘ってこれた、そういう ことを思い起こします。

 そして、今、ここ2~3年でしょうか、特に先ほどの基調報告にも出てきましたけれど、この三里塚の闘いが、三里塚の農民の土地を守る闘いだけにはとどまらない闘いである。日本農民を守る闘い、日本農業を守る闘いであるという風に今、大きく闘われようとしている。そのために反対同盟も非常な努力をしておられます。今、日本農業がどういう方向に行きつつある、否、支配者たちによってむしろ農業がほんとうに農民の手から資本の手に移されるような攻撃が加えられていて、ですから三里塚農民の土地を守る闘いは、単に三里塚農民の闘いだけではなくて、日本農民全体の闘いである。300万戸の農民をわずか14万戸に切りちじめて、しかもそれを資本の手に売り渡すような攻撃であることにに断固として反対する闘いであるということを反対同盟は掲げて、全国の農民の方々と共に闘うという姿勢をはっきりとさせ、しかもそれが市東さんの農地を守る運動という形で今、拡大しつつあると思います。私たちも、全面的に市東さんの闘いを支え、もし権力が市東さんの土地に手をつけるというようなことがあるならば、ほんとにかってのあの第1次、第2次代執行の時のような決意を打ち固めて、体を張って闘うんだということを決意しております。

 そしてもう1点のことを思いました。それはかって「全人民共闘」ということがありました。それは、具体的に言えば、砂川闘争を闘い抜いた宮岡さん、そして09329_3 北富士闘争を闘いました忍草母の会、そういった方々、さらには佐世保、その他、全国で闘う住民、市民の闘いを一緒に闘っていこう、三里塚とともに全国のそういう市民、住民の運動を連帯して闘おうという運動でした。「全人民共闘」という名前がつけられて、東京の野外音楽堂で集会をやりました。しかし、残念なことに、宮岡さんがその後まもなく病をえて亡くなられました。いろんなことがありまして、それは中途で途切れたような状況になっておったわけです。

 私は思いますのに、今、米軍再編ということが言われて、再編という名前で実質この日本を、ほんとに恒久的なアメリカ軍の基地に作り替えてしまうという変容が進もうとしているそういう中にあって、また来年はあの憲法を変えようという国民投票法がいよいよ実施されるという時、そして、今の状況で先ほどお話もありました、「北朝鮮のミサイル発射」ということを口実にしたPACⅢの配備といったそんなことが言われて、それを聞いている国民の方も「北朝鮮が無茶をやるから、防衛のためにそういうものを配備するのは仕方がない」というような受け止め方が大部分ではないかと思うんですけれども、思い起こせば、かって30年、40年も前、私たちの関西でもナイキというミサイルを配備しようということがあって私たちも現地の人と一緒に全力でそれを反対してそれを撤回させたということがあったのを思い起こしますけれども、そのころ、この三里塚現地にまいりますと、「反戦平和の砦・三里塚」という大きな横断幕というか縦の幕が掲げられていました。そして、こここそ、ほんとに「二度と戦争をしてはいけない」、戦争を阻止するための、軍事基地づくりを阻止する実力の闘いがここにあるんだということを反対同盟は高らかに宣言し、参加する私たちもみんなそのことを深く決意したものであります。

 今、そのことを思い起こしながら、その米軍再編ということが言われ、憲法がないがしろにされ、次々と事実上の出兵が繰り返されるという時代の中にあって、それを何としても阻止していく力、その闘いがもう一度この三里塚から始まらなければならないという思いを強くいたします。そのために、私たち住民は、反対同盟を先頭にして全国で同じ志を持つ人々とともに「反戦平和の砦・三里塚」、米軍の大動員の拠点となろうとしているその成田空港を絶対にそうさせないための闘いを広く呼び掛けて、そういう闘いを作っていこうとこう思います。

 そしてその米軍再編のいわば最も渦中にあります沖縄の方々ともいろいろと相談をし、ともに闘おうということを呼びかけさせていただきました。それが3月15日の集会で、現地からあの日の丸焼き捨ての闘いをし、その後も反戦地主として闘い抜いておられる知花さん、今日も見えておられます、に来ていただきました。そしてご存じの方も多いと思いますが、米軍再編の波をまともにかぶっておられる山口県・岩国の市民団体「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表で、反戦の闘いの先頭に立っておられる大川さんをお招きして、その闘いをつぶさに聞きました。それに、闘い抜いておられるその姿に私は感動を覚えました。

 そして、09329_4 関西新空港もまたその最初から軍事空港を意図されていたということは確かです。あの田中角栄が、「関空が軍事空港として作られることを認めれば明日にもできるんだ」ということを宣言していたことがあります。私たちも、淡路国際空港、40年前の闘いの時から「淡路をそうした軍事基地にするな」という闘いをやってきました。「こんな平和な時代に軍事空港とか、基地とかそんなことを言うのは何かためにする運動じゃないのか」というようなことをさんざん言われましたけれども、「そうじゃない。私たちは、この郷土から滑走路が4本もある基地から、軍事基地としてアジアへ爆撃機が飛びだして行くことを許さない」、あるいは、「自分たちの郷土が標的になることも許さない」という闘いを始めました。だから関西新空港も、闘いの一番初めは軍事空港反対なのです。単なる環境を守るという運動ではありませんでした。そんなことを思い出しながら、今、関西国際空港の現状を見ますと、一昨年8月に2本目の滑走路を作らせてしまったんですけれども、4000メートル、いまだにその空港からは、まあ1機もとは言いませんけれども、その新しい4000メートル滑走路からは飛行機はほとんど飛び立っていません。ぺんぺん草が生え、たくさんの海鳥がたむろしているという状況です。そういう滑走路を、かたや1兆数千億円の借金を抱えながら、さらに1兆円以上のカネをかけてなぜ作ったのか。今も飛行機がほとんど飛んでない滑走路は何のためなのか。その空港に行く橋があります。今まで関空のものでした。昨年でしたか国がそれを国有化しました。何のためでしょうか。あの関空というのは海上軍事要塞です。私たちはこのことをずっと叫び続けてきました。

 大阪の岸知事と会ったときにもこのことを言いました。そうすると彼は「このもっとも民主的に作られた平和空港を軍事空港などと言いなす奴はためにするものだ。出て行け」と言ったんですよ。けれども私は、彼に会って「頭をそって土下座してあやまれ」と言いたい。ほんとに今、この状態の日本の中で北朝鮮との戦闘に備えた米軍の計画5055ですか、そういう中に(関空は)組み込まれているでしょう。ましてやこの成田、ここの空港が、今やだれの目にももはやハブ空港ではない、あるいは羽田に中心がどんどん移っていってる、向こうは滑走路を5本も作ろうとしているんでしょう。むこうがどんどん中心になろうという時に、なんでここを1.5倍の、30万機を飛ばし、2500メートル滑走路を、いや4000メートル滑走路を作るんですか。これはもう、はっきりしている。ですから私たちは、あの最初に帰って、原点に立ちかえって、絶対にここを軍事空港にさせないという闘いを全国に呼びかけたいと思うわけです。そしてそれを旗印でもってもっと多くの人たちを、関西でも、いろんな闘いの人たちを三里塚に結集するように頑張らんといかんと思っています。

 幸い沖縄の方からも、これから一緒に三里塚をやろうという、今日、そういうお話しをいただけると思っております。また山口で米軍再編の波をもろにかぶって、住民を騙して、住民投票までしたのにそれを騙して、卑劣なやり方で補助金までカットして、そしてカネでほっぺたをひっぱたくやり方で、ついに基地延長、さらに住民にとってかけがえのない山を米軍住宅にするというような攻撃をやられています。そういう中で住民が立ち上がっています。そういう方々ともこれか09329_5 ら一緒にやりましょうと、三里塚と一緒にやりましょうと、集会で固く握手をしたんですよ。だから、私たち、労働者の方々の力強い決意の表明を今聞きました。心から拍手を送りますけれども、私たちは私たち住民として、ほんとに市民として、多くの市民に語りかけ、呼びかけ、平和のために、反戦平和のために、二度と戦争をさせないために私たちは三里塚を闘っていきたいと思います。えらく長くなって申し訳ないんですけれども、これからこういう闘いを反対同盟とともに力を合わせてやっていきたいと思っておりますので、皆さんの力強いご支援、ご賛同をいただきたいたいと思っております。どうもありがとうございました。

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3・29三里塚と援農・現地調査

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 晴天の3月29日、三里塚の市東さんの畑をいっぱいにして1580人が結集し、全国集会が開催されました(上写真は、発言する萩原進さんと集会の様子)。

 私は、現地に永井、山本両関実世話人などとともに前夜に入り、沖縄から参加された知花昌一さんも交え、反対同盟との素晴らしい交流会に参加。夜遅くまで話しがつきませんでした。09329_2

 翌朝、29日朝には、恒例になった北原事務局長宅での前段集会(交流会)に、関西から駆けつけた30人ほどとともに参加。美味しい煮物などをいただきながら、北原さんの今日の闘いの意義などの訴えや、永井さん、知花さんの話と、初めて三里塚を訪れた仲間の話などに耳を傾けました。終わるころには、今や反対同盟員となられた森田恒一元関実世話人も駆け付け、参加された。(右写真は、特別報告をする永井さんと山本さん)

 それから市東さんの畑での集会に参加。すでに同盟ブログなどで報じられているように、昨年を上回る結集のもと、「市東さんの農地を守るぞ」「暫定滑走路北延伸の共用開始を許さないぞ」という決意と熱気に満ちた素晴らしい集会でした。出来るだけ詳しく、これからご報告していきたいと思っております。(左写真は、報告される沖縄の知花昌一さん)09329_3

 援農と現地調査のために残った関西の6人の仲間が、その日から4月1日まで、現地の三芝物産にお世話になりました。

 私は、30日、東京高裁と東京高検への狭山要請行動とデモを前日に引き続いて闘い抜いた部落解放同盟全国連の取り組みに参加しました。

 31日には、萩原さん宅での援農と産直の出荷作業に一日加わりました。前日から援農に入った6人の皆さんは、天気にも恵まれ、萩原さん、市東さん、鈴木さんの3軒に分かれ、援農と交流を楽しみました。さすがに、31日の夜には、みんな、慣れない仕事で、足腰の痛みを訴えていましたが、夜の私たちだけの交流会も楽しいものでした。

 最後の4月1日には、夜中からの雨が降り続く中、現地調査を行いました。市東さんの家や、天神峰、南台の畑を見ながらの市東さんの闘いの説明。天神峰現闘本部裁判の説明も。東峰の墓地では、雨も上がり、大木よねさんのお墓に0941 花が咲いているのに感激(右写真)。島村さんのお宅の騒音の説明や、東峰神社、清水の畑、東峰十字路の開拓道路と暫定滑走路の破綻を実感。それから萩原さん宅に挨拶に伺ってから、横堀の小屋に。成田空港の破産と三里塚闘争の勝利を何よりも実感できる場所だ。それから鈴木さんのお宅を訪問し、菱田砦で成田用水闘争を説明。岩山大鉄塔跡の記念館に上り、鉄塔決戦を説明。最後に北原事務局長宅を訪れ、1時間近いお話しを聞いて、三里塚を後にして帰途につきました。参加されたみなさん。ご苦労様でした。そして反対同盟と現地のお世話をいただいた三芝物産のみなさん、ありがとうございました。

 31日には、結審攻撃を跳ね返して、天神峰現闘本部裁判が、4月23日、午前10時半から午後4時半までかけて、北原鉱治事務局長、萩原進さん、元永修二さんの3人の反対同盟側の証人尋問が勝ち取られたことが、出荷作業の最中に裁判所からの通知が届きわかりました。裁判傍聴に駆け付けよう。

 また、今回の援農の中で、次の援農と現地調査を6月8日夜出発して、12日まで行うことを決めました。みんさん。参加されませんか?

 私は、これから片付けです。(最後の写真は、29日の市東孝雄さんと反対する会のみなさん)09329_4

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3・15 講演とパネルの集い⑨ パネルから大川清さん(その2)

09315  住民投票のあった2006年の12月には、先ほど知花さんがおっしゃってくださいましたけれども、建設中の市庁舎への補助金全面カットするというんです。それを聞いた時には、怒りで体が震えました。ゴルフ接待を何回もやって捕まった守屋のやり口でしたけれども、本当に許せない思いでした。今、いろんな教育の現場で、いろんなところでいじめの問題が深刻化していますよね。国あげてとりくんでるところですよね。でも、補助金カットというのは基地の町に対するいじめ以外の何物でもない、そんなふうに思いました。国がこんなにもあからさまにすでに約束されていた補助金を、あからさまに約束をやぶっていいものだろうか、嘘をついていいものだろうか、本当にはらわたが煮えくり返る思いがいたしました。こんなことをまかり通らせては、ほんとにこれから岩国はどんどんどんどん圧力で痛みを押し付けられてくる、そんな風に思いました。本来なら、そこで市長、議会、市民こぞってこんなひどいやり方をする国に、文句を言うて行くのが当たり前だと思います。ところがやはり保守王国の山口県の岩国ですから、議会が「市長が反対するからだ」と言って市長を問責するんですね。容認派の議員たちに先導されて、問責決議が通ってしまうんです。街頭で訴えかける私たちにも「お前たちが反対するから、ほら、こんなことになった」。町がだんだんと分断されていくんですね。

 時をおなじくして再編交付金、先ほど知花さんが言われましたが、岩国市の周りの町には配られるんです。当の一番被害の大きい岩国市だけそれを受けられない。周りの町はそれでどんどんどんどんいいことをしていくんですね。小学校までの医療費をタダにするとかそういう風に使うわけです。岩国市だけがおいてけぼりになる。そういうことで、ほんとに大変な思いをいたしました。

 でも、ここでくじけてしまったら、これからどんどん痛みを押し付けられてしまう町になってしまうということで、私たちは一生懸命声を上げましたけれども、議会はその年、2007年ですけれども、5回、一般予算を否決するんです。一般予算を否決するということは、公共工事とか滞るんですね。ですから市民に多大な迷惑がかかってしまうわけです。最後に12月議会で、井原さんが、私は一番前で傍聴していましたからはっきり覚えていますが、前の市長の井原さんが、自分の首に手を当てて「私の首と引き換えに、市民生活にとって大事なこの一般予算だけは通してくれ」ということで辞任されたのです。出直し選挙が、2008年の2月に行われましたけれども、この時のやり方というのもほんとに凄まじい、国総がかりの選挙です。国総がかりというか、国とアメリカ総がかりなんですよね。選挙の間は米軍機も静かでした。そういう風に米軍に要請するんですね。井原さんになると、何がなくなる、かにがなくなる、そういうことがずっと言われて、容認派の候補が通ると、生活給付金じゃないですけれど、一人2万円もらえると実しやかにひろまって、実際選挙が終わった後に市役所に、2万円もらえるという話しを聞いて「うちは5人家族です。10万円もらえるはずですが、どういう手続きをすればいいんでしょうか」と言いに行った人もいるくらいで、本当に、ありとあらゆることが行われた選挙でしたが、一つ一つ申しませんけれども、一つだけ、お金で票が左右されるというのは選挙違反だと思うのですね。僕は今回の選挙は、国が公然とそれをやってきたと思うんです。だって、井原さんに投票すると35億は出さない。でも容認候補の福田に投票すると35億は出すよというやり方です。で、実際、福田が通ったとたんに手のひらを返したように35億を出したわけです。こんなことが許されてなるものかと思いましたし、選挙の日というのは、腰が砕けるというのはああいうことかなと思ったんですが、座り込んだまま立てない状態だったですね。みんなで一晩泣き明かしましたけれども、でも、こんな醜いやり方に負けてしまったら、それこそ岩国に未来はなくなるとそんな風に思いました。沖縄から電話をくださって、沖縄の名護もやっぱり同じ状況Photo だったんですね。「市民投票で勝利して、そのあと市長選で敗れて、そして岩国とまったく同じ状況だったけれども、それから10数年新しい基地を建設するための杭は1本も打たしていない。大川さん、闘いはこれからですよ」そんな風に電話して下さったんです。その言葉にすごく励まされました。基地の町が分断されるんじゃなくって、こんな風に手をとりあって行けれる。そのことに僕はすごく希望を見出しました。

 そうですね、沖合移設と愛宕山のことをちょっとお話ししたいと思います。そもそも沖合い移設というのは、今ある滑走路から、騒音対策、安全対策のために海を埋め立てて1キロ、滑走路を海側に出そうというのが沖合移設なのです。そのための土砂を愛宕山という山を半分に削って土砂を持ってくるというのが愛宕山開発なんですね。そもそも安全対策、騒音対策であったものが、蓋を開けて完成してみれば、そこに倍の戦闘機が来るという。市民はまんまと騙されたわけですよね。そんなこと許されるはずないですよね。愛宕山開発にしても、私は京都の出身ですが、愛宕山というのは火の神様でね、信仰の山です。岩国にあっては、町の中心にあって市民の憩いの山だったんですね。鎮守の森の映画がありますけれども、ほんとに市民の憩いの場だったんです。そこを病院ができるだとか、学校ができるだとか、福祉施設ができるだとか、あるいは店ができてよりよい、住みよい地域になるんだ。埋め立ての騒音対策になるんだとそんな風に言われて、泣く泣くその山の地権者たちは土地を売ったわけです。それが、蓋を開けてみれば、「バブルもはじけて住宅地として売れる見込みもないから国に買ってもらって米軍住宅にする」っていうんです。滅茶苦茶ですよね。ここまで岩国市民を馬鹿にした話があるかと思います。始めから画策されていたことですよね。僕は、始から画策されていたことだと思います。

 私たち市民のほんとの心からの願いっていうのは、爆音に苦しめられずに、犯罪におびやかされずに、ほんとに安心して暮らせる町が、市民の心からの願09315_2 いです。でも、議会や一部の人たちは、振興策を国から引っ張ってこようとか、そういうことでしかないわけですが、でも、安心や、安全をなくして振興策なんてないと思うんです。市民が安心して暮らせる、それこそが一番の町の振興ということじゃないでしょうか。僕は、そんな風に思います。容認派の市長が、市長になった時に、私たちは公開の質問状をだしました。その時市長は「市民の安心・安全が確保されない限り、自分は移転は容認しない」と明言したんですね。僕は、移転、つまり艦載機がくることと安心・安全ということはまったく対立することだと思っています。だって、彼らというのは基地の中で、人助けの訓練をしてるわけじゃないですよね。戦争のための人殺しの訓練をしているわけです。そういう米兵が町にあふれることを、私たちは決して許してはならないとそんな風に思っています。戦闘機だって安全に飛ぶ訓練をしているわけじゃないですよね。ほんとに、絶えず戦闘状態を想定した危険極まりない訓練を日常的にしているわけです。そういう戦闘機が倍以上になるなんてほんとに考えられないことです。そんなことで、私たち市民も、ほんとに諦めなければ、必ずこのことはできない。そういうことで、今、これまで以上に市民が連帯して頑張っています。愛宕山の署名に至っては、当初5万人を目標に集めていましたけれど、岩国市民だけで5万人、そして全国から寄せられたのが5万人。合計10万人の署名が集まりました。3年前の岩国では考えられなかったことですけれども、とうとう爆音裁判の提訴に向けて準備しています。今月終わりには提訴できます。原告が477人決まりました。岩国では画期的なことなんです。命だとか、町の未来だとか、平和だとか、いうことがらは、私はこれまでいろんな事をあきらめながら生きてきましたけれども、命とか、町の未来、平和だとかいうことがらは決してあきらめてはならない事柄だと思います。私たち市民がほんとにあきらめずに声を上げ続ける。権力者にとって一番怖いのは何でしょうか。一番恐ろしいのは何でしょう。圧力を加えても、加えても立ち上がる、声を上げる、そういう市民ではないでしょうか。これまで以上に連帯して、いろんな、沖縄や、三里塚や、いろんな方と連帯して声を上げ続けていきたいなと思っています。何よりも、負けた市長とは思えない井原さんが、元気に全国を駆け巡っていろんな国の横暴さを訴えかけておられますので、また井原さんの登板ということも念頭に頑張っていますので、これからもよろしくお願いいたします。

 「3・15 講演とパネルの集い 米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」の素晴らしい講演、報告の数々を掲載してきました。起こしながら改めて感動を覚えています。3・29三里塚全国闘争が担おうとしているでっかさがと、新たな統一戦線の形成、共闘と連帯の大事さが明らかにされていると思います。関実事務局としては、今後の、三里塚闘争と米軍再編・改憲攻撃への一つの出発点となったこの集会の、掲載していないパネルディスカッションも含め、早急にパンフレットに編集して出版したいと考えております。

 なお、管理人は、28日から三里塚現地に向かい、10人近い人々と、集会後も現地に残り、援農と現地調査を行います。そのため、当ブログは4月2日までお休みさせていただきます。みなさん。3・29三里塚現地に総決起しましょう。

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3・15 講演とパネルの集い⑧ パネルから大川清さん

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 みなさん。こんにちは。岩国から来ました「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」の大川と申します。キリスト教の牧師をしていまして、牧師がこの時間にこの場所にいるというのはほとんど奇跡に近いことでして、綱渡りの状態で、今日何とか間に合いました。時間がありませんので、早速岩国の闘いの報告をさせていただきたいんですが、なかなか岩国の情報というのは関西の方には伝わってこないと思います。隣の県の広島でさえ、そうなんですね。というのは広島と山口は全国版の新聞の本社が違うんです。広島は大阪本社で、山口、岩国は九州本社なんです。ですから岩国で起こったことを広島の人たちが知らなくて、逆に沖縄の方々がよく知っていてくださるというようなことなんですね。

 ですから岩国の情報はなかなか伝わらないんですが、これまで戦後63、4年09315_2 間ですか、岩国でも米兵による犯罪、事件、事故、日常的には戦闘機の爆音、そういうほんとに深刻な被害があったわけです。でも、何と言いましても、岸、吉田、佐藤、安倍の保守王国ですから、みんな何らかのしがらみがありますから声を上げたくてもあげられない、そういう状況がずっと続いていたんですね。そういう中で、2004年の夏に、初めて厚木からの艦載機を岩国に持ってくるという話しが報道がされました。今いる戦闘機だけでも減らしてほしい、無くしてほしいと考えているところに、いきなり倍にするというんですね。だから、もう岩国市民は、当然、それに反発して、その次の年、その時は合併前でしたから10万人の市民でしたが、その中で6万人の(反対)署名が集まりました。前の市長の井原さんも徹底して反対の姿勢でした。市議会もその時は、全員一致で反対決議をしているんですね。ところが、2005年の秋、米軍再編の中間報告が10月に出て、いろいろ保守系の市議たちも、国の政治家からいろいろ言われたんでしょう。なでられたりいろいろされて、そして議会の中でもめ出したんですね。「反対、反対いっていたら振興策がもらえなくなる」というようなことを言いましたし、「どうせ国が決めることなんだから、小さな町が反対しても最終的には国はこのことを通すだろう」というようなことを、保守系の議員たちが言い始めました。はては、「お上の言うことに盾ついても」というような発言を堂々と議会の中でするんですね。びっくり致しました。議会がだんだんとそういう意見で乖離してくるんですね。

 そういう中で、2006年の2月に、前の市長の井原さんが住民投票を発議されたわけです。私は、そん時に、その住民投票をやると井原さんが言った時に、ほんとにまずはすごく喜んだんです。これまで声にだすことができなかった声を、初めて上げることができる。反対の意思を初めて国に訴えることができる。そういう喜びがありました。でも次の瞬間には「まてよ」と、これまで基地に対してそういう思いはあっても、ほとんど反対の意思を表してこなかった岩国市民が、このままいけば、反対の意思を表せるだろうか、そういう思いがあったんですね。50%を越えなければ、開票もせずにゴミになるという50%条項というのがありましたから、その発議から投票まで1ヶ月の間でしたけれども、いてもたってもいられない気持で、いろんな人と呼びかけあって、何とかその1ヶ月を悔いのないように闘おうということで、寒い2月でしたけれども、雨の日も雪の日もありました。なんせね、ビラを5種類も、6種類も作って、毎日、毎日それを配り歩くPhoto_3 んですね。ただポストに入れるだけじゃあなくてね、会う人会う人みんなに訴えかけよう。米軍機が飛び交う、米兵が街にあふれる、事件や事故が絶えない、そんな街を子供たちに残していいんだろうかと、そのことをみんなで訴えかけようということで、毎日、ビラ配りや、プラカードをかかげて駅前で訴えかけました。沖縄からもね、知花さんや高里さん、安次富さん、いろんな方が駆け付けてくださって、訴えかけてくださいました。ほんとに励まされました。80代の後半の女性は、「自分の子や孫のことを思ったらじっとしておれない」と言って、「もういいですよ。雪だからいいですよ」と言っても、「じっとしておれないんだから」と言って200枚も300枚も、毎日、毎日、ビラを抱えて配ってくださるんですね。こういう市民の努力があって、58.68%。もうこの前の3月12日で3年を迎えましたけれども、3年前の2006年3月12日には、住民投票で、58.68%、43,433票という、これは投票者の9割近い反対票でした。この3年間、やっぱりそのことが運動の中で大きな力になってるんですね。沖縄からも「あの岩国がこうして反対の意思を表してくれた。このことは私たちんとっても大きい励みだった」と声をかけてくれ、私たちも喜んだんです。

 このとき私たちにいろんな圧力がありました。住民投票自体を無効とする運動が起こったり、そして私は幼稚園の園長でもありますけれども、幼稚園の前に黒塗りの車が横付けされたり、いろんなことがありましたけれども、でもみんなでふる里の街のことを考えて頑張ってそういう結果でしたけれども、自分たちの街のためにみんなが知恵を出し合って、そして助け合って、自分たちの街をどうしていくのか、そのことを応援するのが国の役割だとずっとそんな風に思っていたんです。でも、カネと圧力で、国が一つの街を力で持ってずたずたに分断していく。住民投票の後3年間、ほんとに凄まじさですか、ほんとに許せない限りですけれども、本来なら、住民投票で示された民意を、これは岩国市民の心からの叫びだったんですね、その心からの叫びを聞いて政治をするのが国の政治家の務めでしょう。それが民主主義、主権在民ということですよね。なのに、アメリカの顔色をうかがって、そして自分たちの国を戦争をする国に変えていこうというそんなことで、一つの街をずたずたにする、そんなことを本当に許せませんでした。  (明日につづく)

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3・15 講演とパネルの集い⑦ 特別報告2 中田潔さん

081005   写真は、昨年の10・5三里塚全国集会

 こんにちは。部落解放同盟全国連合会の中田でございいます。萩原さんが話しされて、それから知花さんが話しされて、なんでやねんということですが、これは恐らく私に発言をしろということは、大変な段階に来ている三里塚の闘い、そしてその闘いをもういっぺん大きな人民の力の中で支えていこうという情勢の中で、あらてめて三里塚をもう一遍大きくしていこうとこういう中で、多分、関実に参画をする団体の中で、「全国連よ、われわれ、こういう思いでいてるんだ。もういっぺん部落解放運動の立場から大きく三里塚を支え共に闘う陣形を広げていこうやないか」こういうために、私に発言をしろということであったんではないかなと思っております。まあ住宅闘争のことについてもいろいろ訴えなければならないことはあるんですが、そうした主催者の意図というか、腹の内を察しまして、先ずあらためて部落解放運動の立場から、三里塚の闘い、反戦平和、軍事空港反対の闘いの一翼をしっかり部落解放運動の中から担っていきたい。そして3・29には、18回大会を前にして全国連的には大変な時期ではあるけれども、しっかりと3・29現地でのたたかいを取り組んでまいりたいという決意を先ず冒頭申し上げておきたいと思います。

 三里塚が大変な情勢を迎えているという背景に、今日の経済危機、あるいは その経済危機を突破していくために戦争もやむなし、こういう戦争への道の強まりが三里塚の情勢を規定していると同じように、部落解放運動もまたそうした情勢に規定されて大変な局面を迎えているということがあります。私たちは18回目の大会を4月に開催をするわけでありますが、あらためてこの情勢の中で部落解放運動をどういう風に進めていかなければならないのかということについて私たちは今、真剣な討議、討論を積み重ねているところであります。まあ、部落解放運動をめぐってはですね、様々な攻撃が強まってきています。部落解放同盟本部派の飛鳥会事件をめぐる不祥事から、いわゆる部落解放運動バッシング、あるいは同和バッシングいうようなものと競合されながら、非常に部落09315_3 解放運動への無理解や差別的な考え方がどんどんどんどんここ数年間、煽られてきました。こういった中で特に、部落解放運動の中で一番大きい団体は部落解放同盟です。私たちは通称本部派と言っています。この本部派は、この間の不祥事に関わるバッシングの中で、この3月に大会を行いまして、大幅な組織改革、あるいは規約の変更、運動方針の変更、見直しというものをを行いました。私たちは、こうした解同本部派の方針の変更や規約の変更を、大きくは融和運動への屈服、転換、このように批判をしております。数年前から解放同盟本部派の中では、水平運動に敵対をしてきた、あるいは水平社の闘いを妨害をするためにどんどんどんどん時の権力者がテコ入れしてきた融和運動の再評価という風な形を通しながら、今日の部落解放運動の大きな変質、私たちから言えば融和運動への大きな転換の道がさぐられてきました。いよいよ今年は融和運動に屈服する大きな解放同盟本部派の元年、いう風な大会になってしまったんじゃないかな。非常に残念でなりません。こうした既成解放運動の大きな崩れと融和運動への転換は、たしかに解放同盟本部派自身がだらしない、弱すぎる、いい加減だということもあるんですが、まさにこうした戦争をできる国にしたてあげていこうという、そのために労働運動や住民運動や、あるいは私たちのように部落差別とたたかうような運動すら認めない、そういう体制翼賛の国づくりを推進していこうという攻撃にその根本があると私は思います。特に、ここ数年間、こうした部落解放運動の根絶やし的な弾圧、あるいは運動つぶしというものが強められてきました。その結果、解同本部派は体制内の中で認められる運動、あるいは行政に容認される運動、こういう形で大きく融和運動への転換が始まったんではないかなと思っています。まあ、解同がこの間の不祥事の問題を通して、提言委員会というものによって組織の立て直しを図ろうとしております。本来、組織の中で生み出された腐敗や組織矛盾は、組織の中でしっかりと討論し解決されるべきものでなければならないと思います。多くのまじめな部落大衆は、解放同盟本部派の不祥事に対して本当に心を傷めておられたと思います。私たちも心を傷めました。そしてこの中からなんとかほんまもんの部落解放運動をやっぱり立ち直らせていこうという強い想い、力はまだまだ部落大衆の中に残っているはずです。しかし、なぜ第3者委員会なのか。部落民自身の手によって部落解放運動が再生させる事が出来なかったのか。ここに私は大きな落とし穴があるように思っております。国が認め、行政が認め、マスコミが認め、差別者も含めて容認できる部落解放運動でなければ、これから部落解放同盟という名前すら名乗れない、こういうほんとに厳しい時代を迎えているんだな。これが、こうした部落解放運動を取り巻く厳しい環境の、まあ、鏡に写した形が融和運動への転落という風になっているんではないかなと今思っています。

 私たちは、こうした部落解放運動をめぐる大変厳しい状況の中で、じゃあ部落解放運動はどうあるべきなのか。

 住宅問題について私が与えられた時間は10分ですので、住宅問題についてはあまり触れられることは出来ませんけれども、この4月1日から、政令であらたに同和住宅に対する規制が強められるていくことになります。今まで15万数千円の政令月収があれば同和住宅に入居できた。それが例えば改良住宅で09315_2 は13万円そこそこの政令月収でなければ入居を認めない。まあ、それぞれの家族世帯構成によって違いますけれども、だいたい政令月収15万ちょいというのは夫婦と子供、1人か2人ぐらいのあわせた家族構成で、年収で約260万円程度というのが政令月収15万の額に大雑把な数字ですがなります。ところが年収にしたら260万の人たちが、もう同和住宅に住めない、改良住宅に住めない、明け渡し義務を課せられてしまうという事態が起こっています。まあ、4月1日から起ころうとしています。ですから当然、これから結婚をして、生まれ育った部落に自分たちは住んで、そこでもう一ぺん全国連の支部に団結して差別をなくすために頑張るんやとか、あるいは年老いた両親が村に住んでて、自分も親の近くで一緒に暮らしながら生きていきたいんやとかいう風に思っても、この規定によって村に住むことすらできないという事態が、4月1日から起こってきます。そういう人たちはいったいどうするのか。高い民間の家賃を払うか、それとも、今は35年まで銀行ローンが可能なようですが、高い金利を払ってですね、銀行資本と大手ゼネコンに一生奉仕させられるという、こういうふうな住宅ローン地獄の中にたたきこまれていく。部落解放運動はこれまで、同じところに生れ、そして同じ差別を受け、そして同じ学校に通い、同じ職場で共に働き、そういう地域的な連帯や、そういう意識が団結をはぐくみ、差別に負けない、差別されたとしても決して泣き寝入りしない団結の力を部落は育くみ続けてきました。その部落の共同体を根底から破壊しようとするのが、この4月1日から始まる新たな規制であります。私たちは、応能応益家賃制度の導入に対してこの10年間、家賃値上げ反対で徹底的に闘ってまいりました。その中で広島の兄弟や山口の兄弟にも明け渡しの決定が下されるというふうな事態の中にあります。私たちは、こうした事態は決して住宅闘争、家賃が高い、低いの問題に関わらず、部落解放運動そのものを否定する攻撃であるというふうに思っています。こうした攻撃に対して、西宮の兄弟を中心にしながら全国連の兵庫の仲間はこの攻撃をいかにしてはね返すのか。もちろん徹底的に実力闘争で闘うということを基本に据えた上で、この部落の苦しみ、家賃の値上げをめぐる、あるいは4月1日以降からの部落解放運動そのものをつぶしてしまう、あるいは部落の共同体をこなごなに解体してしまうような攻撃に対して、必ず全国の部落の兄弟たちは、いや兵庫県下の部落の兄弟たちは必ず怒るはずだ。そして融和運動に屈服した解同はすでに住宅家賃値上げ反対闘争を完全に放棄してしまいました。むしろ行政と一体となってこの間応能応益家賃を推進し、それに闘う人たちを背後から裏切ってくるというような事態がこの10年間続いています。兵庫県下のある部落に、私たちは署名とビラを持って入りました。「ほんまに大変なことになった。役所のやり方はめちゃくちゃや。でもこの村の中にはもうなんの運動もあらへん。もし私でよかったら。私とこが連絡先になってもいいよ。このまま黙ってられへん。」 こういう部落の人たちの立ち上がりが始まっています。

私たちは、あらためて差別に苦しむ、そしてこの不況のもとで生活破壊がどんどんどんどん進行していく部落の現状の中で、解同本部派にとって代わる、こういう思いで「全国連5万人組織建設」を17年間叫び続けてまいりました。今こそ、その情勢が来ているんだというふうに確信しています。その時に、私たちの運動は、これまでの、いろいろセクトと親しくつき合わせていただいたということもありますが、そうした私たちの運動が持っている弱さ、全体、こういうものをこの間見つめなおしてきた経過があります。18回大会では、こうした部落大衆の想いとしっかりと結びついていく。あの全国水平社が、全国6千万の部落の兄弟たちにに大きな影響と立ち上がりを訴えたように、私たちは、18回大会を通して今日の全国水平社のこの再現を何としても18回大会を契機にしながら実現をしてまいりたいというふうに思っております。こういう私たちの部落解放運動の闘いこそが、反対同盟の訴えに応えられる闘いであり、そして関実世話人の皆様方の私に発言をさせた目論見ではないだろうかと思っております。ともに頑張りましょう。

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3・15 講演とパネルの集い⑥ 特別報告1 知花昌一さん(その2)

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 しかもまた、今日、岩国の方もいらっしゃるということで勉強したいと思ってるんですが、岩国の市庁舎の建設にかんして、建設の途中で補助金を日本政府は止めました。あのときのお金はSACO(日米特別行動委員会)ということで、基地負担を縮小するための名目で、日米特別行動委員会というのを作って、基地をかかえている地方の市町村に補助金を出しましょうということであったのがSACOというものです。岩国の方もそれをとって、約束をして市庁舎の建築をしたわけですね。所が、途中でSACOが打ち切られて、米軍再編基金ということに変わったんですね。読谷も実は陸上競技場をつくるということをSACOで約束をしていました。6億円の補助金をとるということだったんですが、建築する直前に金が来ないということがわかって中断となったのですが、岩国に対してはほんとに建築途中で、こんなことがあり得るかと思うんですが、実は日本政府はそれをやったんですね。理不尽なことが通るかと思ったんですが、残念ながら選挙で岩国は負けたんですね。何を言いたいかというと、これまでにないやり方をしているわけですね。出来高払いということです。達成度、例えば、辺野古で基地を作るということをやっているんですね。話し合いをしてテーブルに就いたら何パーセント。工事をしたら50パーセント。完成したら100パーセントという形で、出来高払いで再編交付金を地域にやると。それを、出来高払いですから、そこまでこなければお金が下りないわけですね。これはねえ、僕らもこんなやり方があるのかなと思ったんですが、実際に沖縄でも、いろんな出来事があったかどうかわからないんですが、僕は見たことないんですが、このような途中から補助金の理由を変えて、しかも出来高払いに変えて、そして出来高を達成しないと事業を一切途中でも止めさすというような政府の横暴なやり方、これが再編交付金、米軍再編の中で、それを達成するために作った制度というか補助金制度が再編交付金ということです。

 みんな今、政府から地方交付金がカットされている状況です。お金は喉から手が出るほど欲しい。いろんな資金を活用しています。各市町村はですね。こういうなものがもらえたら、もらうとやってるんですが、出来高払いですから、岩国の状態にまだ沖縄もなる可能性もあるんですね。途中で事業が切られる。そういうことになると、地域同士のいがみ合いというか、岩国でもなったようになってくSave0004 るだろうと思っています。そういうことで、いずれにしても、カネ、カネ、カネで、みんなからめとられるというようなことが、今なされようとしているわけですね。じゃあ、沖縄では。もちろん沖縄では県民所得も低いし、県の自己財源比率も23パーセント、24パーセントという非常に脆弱な財政基盤しかありません。そうした意味でカネが欲しいのはどこも一緒です。だけど、じゃあ、これまで米軍に頼ってた、頼るようなことが、これからもする必要があるかということです。

 皆さんの所に資料を付けてある「経済効果を誇示する米軍」という少し古い新聞ですが2006年の資料ですが、これを見てください。これをなぜつけたかというと、米軍は、基地依存度を出すために金を計算して公表したわけです。いつ出したかというと(最初は)1996年です。少女が暴行されて全国的に基地反対運動が起こった。そういう時に基地撤去。太田知事も米軍基地の撤去を正面から謳う。私も含めた反戦地主の闘いが高揚する。こういう中で米軍が出したのが、この「依存度」の記事だったんです。アメリカの基地がいることによって、米軍がいることによって、沖縄は潤ってますよということが言いたかったんでしょう。そして次に出したのがサミットの時です(2000年)。サミットの時も全世界から資本主義の親玉たちが来ていろいろやるわけですが、その時も見せたかったんでしょう。今回も出してきています(2005年)。これをみてわかると思うんですが、全部日本のカネなんです。日本が7割を出しているんですね。ここで、項目があるんですが、軍用地料(米軍調査765億円)、これは「おもいやり予算」から出ます。軍雇用員給与(同521億円)、これも「おもいやり予算」からでます。米軍消費支出(同737億円)、これだけはアメリカが出しています。あと施設整備費、光熱費、基地交付金、これ(同388億円)は全部日本政府が出しています。彼らアメリカ自身がドルで出すのは、米軍消費支出、これを非常に誇大に誇示しています。県が(計算で)出したのが523億円、ところがアメリカが出したのは737億円。200億円余りも上乗せをして、アメリカが居ることが経済効果があるんだということを言いたいんでしょう。そういう状態です。しかし、その(記事の)端っこにあるとおもうんですが「基地依存度」というのがあります。これは現在は、5.2パーセント。これは2002年度で、今ではもっと下がって、5パーセントを切っているんじゃないかと言われています。理由は、観光客が増えていること、そしてドルが下落したこと、そういうこともあわせて基地に対する依存度は5パーセント以下だということです。そうしたらわれわれは、基地を撤去しても沖縄は十分やって行けるということです。その上で、目の前に札束をちらつかせて、地域を分断しながら、基地を、戦争体制を作る、そういうことに対して5パーセントを、例え貧しくなっても乗り切れるし、やって行けるというのが私たちの想いです。

 最09315_2 初の話しにもどりますが、薩摩侵略400年、琉球処分130年、こういった中で、経済的自立まではいかなくても、やはり民族の自尊心というのですか、そういうことも含めて独立ということが大きくなることも十分理解できると私は思っています。私もまたそういう方向に今、あります。何はともあれ、しかし、こういう事態を生じさせているのは日本政府の沖縄政策なのです。

 そういうことで、特に今、当面する問題としては、辺野古、高江、特に辺野古の基地建設に対しては絶対阻止しようということで、おおく動いています。毎日、毎日、毎日の闘いです。特に高江というところ、行かれた方もいらっしゃると思うんですが、私たち読谷村からまるまる2時間かかります。那覇からだと3時間です。山奥ですね。そこで、4か所のポイントが、工事現場の道があるんです。そこに、仕事もしながらそういう人たちが輪番制を取りながら、立ってるんです。今2か所です。4か所は抑えることはできていません。2か所にいます。何かがある時には辺野古からも行って阻止をする。阻止をして工事が今できていないということで、防衛施設庁は、立ち退きの仮処分を申請しています。その立ち退きの申請の名簿に乳飲み子まで書かれているということで問題になっているんですが、いずれにしろまだ頑張って阻止をしています。辺野古に関しても、今、表だってぶつかるということはしていません。でも、今、米軍再編の強行の中で、いずれそういう状態が来る。その時には、私たちはこれまでやぐら闘争、海上やぐらを必死になって闘いをしたんですが、そして第1案を断念させました。そういう闘いをやっていきたいという風に思っています。そして読谷村、僕の地域も、毎日、毎日は人手はいけません。仕事をしながらですから。私たちはグループがあって、輪番制で、月曜日は僕、火曜日は盛康さん、水曜日は誰々という形で輪番を決めて一人ひとりが行って闘いをするということも含めてやってきましたし、またやるつもりです。

 後でちょっと内容的な話しをしたいと想うのですが、もう時間も来ているんですが、僕は今日ここに来て三里塚と連帯をして話しをするということで僕の仲間たちに話しをしました。沖縄では「もあい」、無尽講ですね、これが非常に盛んです。私も選挙をやってちょうど11年目に入りますが、11年間ずっと「もあい」仲間、選挙態勢を作った仲間が「もあい」をしています。14~15名います。そこで今日ここに行くと話しをしたんですが、ところがその中に三里塚で闘って下獄までしたメンバーが二人います。もちろんこれまで言われたことは「脱落派」だとか言われたグループではあります。しかし、その中で、盛康さんも一緒なんですが、その中で話しをして、辺野古を闘っている中にも多くの三里塚を闘った人たちがいます。そういうことも含めて、この「もあい」の仲間で決めたことは、三里塚から現地で闘っている市東さんか萩原さんに時間をとって一度沖縄に来てもらって連帯していこうと、そしてそういうことをやろうと。ただ、「脱落派」でどうのこうのということは抜きにして。あの時、僕の友達は横堀で必死になって闘って逮捕された奴なんです。そういうのを抜きにして、抜きにしてというのは無責任ですが、そういうことを乗り越えて、もっと広げて。みんな三里塚を語る時にいきいきとして語ってくれるんです。いろんな人たちがいます。全国に三里塚を闘った人たちが沢山いるはずです。そういう人たちと結びついていく。そこからまた三里塚に来たい、来るという。盛康さんもそう言ってましたが、ぜひ呼んで、話しを聞いて、その中から三里塚にも何名かがツアーで行けるような形で連帯ができたらなあ、一緒に闘うことができたらなあと、そういう動きを作り出していきたいと話しを決めました。今日は、僕はその任務を負って萩原さんと皆さんとも話をしようということで、行ってこいと言われてきました。

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3・15 講演とパネルの集い④ 基調講演 萩原進さん(その2)

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 この不況、恐慌をどうやって突破しようという時に打ち出してきたのが、「農業の振興と観光なんだ」というかたちで言いだしはじめてきたんですね。これも新聞で添付してあると思いますけれども(左写真)、そのために農地法を改正し09315_2 て、農地をどんどん流動化すると、流動化というのは適切な言葉じゃないんだけれども、いわゆる資本家がどんどん取り上げることができるというかたちに農地法を改正しようと。われわれは、農地を耕すものが権利を有するというかたちで農地法の第1条に農地法の精神ともいうべきものが書かれておるんですけれども、そういうものを取っ払って、所有と耕作、所有するものは農民であってもそれを耕作するものは誰でもいいんだというところに持って行って、最後は資本家が農地を取り上げるというかたちにするんだと。そのためには、御手洗も、露骨に日本経済に対する最大の貢献は企業に農地を差し出すことだということまではっきりと述べてるわけですね。農民が農地を持って、売却して何千万も懐にするなどとんでもない話しだ。そんなものは全部国によこせ、企業によこせ、資本によこせということをはっきりここで言ってるわけですよ。そうするために農地法を改悪するというかたちで今国会に提出してきたわけですね。このことは、単なる農地法というかたちで存在するんじゃなくって、農業の存続を決するような状況としてあるんだ。農地法や農地解放は、戦後の農民運動の中で、文字通り勝ち取って権利としてとった農民の闘いの成果なんですね。労働法も教育基本法もそうだし、そういう中で出来上がった憲法に等しいわけですよ。それを根本から変えようとする。そういうやり方が、今、国会で審議して変えようとしている。

 一方では、農地法を今日まで、部分的に改悪してきているんですが、そういう中で三里塚の土地については、三里塚の空港用地にするには、公共用地であるということで優先的に取得できると、付随する形で農地法の中に書き込んでいる。そういうやり方をもって市東さんの土地を取り上げようとしているのが、今日の市東さんの農地取り上げのやり方なんですよ。ですから、市東さんの農地を守るための闘いというのは、農地法=憲法改正と同じような体制の骨格を供しうるような攻撃に対して文字通り体を張って農地を守る、農民として農地を守りぬいていくんだということを通して、明確に市東さんは「カネじゃない。農地なんだ」という形で表現してるわけです。そういう意味では市東さんは2月の裁判での冒頭陳述で「労働者にとっての職場、農民にとっての農地。これが守られないでどうして社会がなりたつんだ」とはっきり述べておりますけれど、そういうところまで踏み込んでやっていかなければもうしょうがないという時代に入っている。

 農業政策などというのは全然打ち出せない。集約農業だ、あるいは法人化すればいいんだというやりかたが、もう2年前に、3年前に言い始めててやってみたんだけれど、それがもう全部ぺしゃってる。今度言い出したのは、農業の振興だ、観光だと言うけれども、その農業というのはとんでもない話であって、車でいう「エコ車」と同じで、花粉症に抵抗力のあるイネを作るとか、バイオテクノ09315_3 ロジーを用いてあらゆる病気に対応できる作物を作るんだとか、そういう机上の計算みたいな言い方で、ブッシュがガソリンに代わるものは何かないかという形でトウモロコシや大豆を使ってそれに代替えしてやるんだという形で始めたんですが、農産物そのものを投機の対象にもっていっちゃう、食べ物を。そういう形で「農業の発展なのだ」と、いう形で農業を歪曲して資本家のいいような方向性の中で農業振興だと持って行こうとしているのが今回の「農業振興」なんです。観光だと言ったって、外国から日本に呼び寄せて日本の良さを世界に知らしめればいいんだなんて言い方をしていますが、この不況の中で、今でも減ってる、貨物も減ってるそんな中で打ち出してもいいっていうことじゃあない。机上の計算で、われわれ素人が見たって破産するような状況でやらざるをえない。

 そうじゃないわけですよ。農民はもうコメを作っても20年前の半値にしかならない価格で農業やれないんだ。このことをどうするんだ。あるいは、政府はコメを作るなと減反政策をやってるわけですね。だから、それが出来ないから農業をやめるんだという形をとってるわけですね。それを、休耕地や耕作地を有効利用するという形で企業が今度は参入してそれを取り上げようとする。そのための農地法改正に向かっていく。農業を文字通り育成する、育て上げていくという方向じゃ絶対ないわけですね。

 その辺を市東さんの農地取り上げの中で、自分たちははっきりと見据えて、こんなやり方はダメだと。その頂点にある、われわれのところでは空港というものが百害あって一利もない、何が公共性なんだと。ここで農民として農業を営んで、しかもそれが民衆に喜ばれる農業として存在するのが一番なんだと。これこそ公共性なんだ。ということを大上段にかかげて闘い抜いているのが、今、市東さんの裁判なのですね。このことは決して農民だけの話じゃないんです。これを食べる側、あるいはそれを育てる側、それを理解する側、そして共に手をつないで行く、消費者と言われる労働者がそれを理解し、共に手を携えて闘い抜いていかなければしょうがない時代なんだと。それが今の時代なんですね。そのことを土地取り上げ反対の中から、われわれは40年間闘って「労農同盟論」という形で作り上げてきたわけです。三里塚の闘いはここにある。いうところでそういう闘いを作り上げてきた。そういうものをもう一度、あたふたしている既成の体制に対してぶつけて、それを打ち砕いていく。そういうのができるのが3・29じゃないかと。それを自負して3・29を闘い抜いていく。そう思っています。

 軍事論については、あとのパネルディスカッションで展開したいと思いますけれども、何といっても先ほどでましたけれども、月に二度も三度も市東さんの裁判だけでもありますけれども、そういう中で裁判所が先頭に立って土地取り上げの役割を今、果たし始めた。裁判というのはあっちの土俵じゃないのかと言う人もいますけれども、確かに普通にやってたらそうです。しかしその与えられた土俵を、われわれの土俵に持ってくるんだという形で、裁判そのものを自分たちの闘いの場に引き込んで闘い抜く。いわゆる現地闘争として位置づけて闘い抜くというやり方が三里塚の裁判の闘いとしてあるんです。

 そういう闘いを展開したからこそ、先ほど弾劾声明に出てきましたが、現闘本09315_4 部裁判で、空港会社も認めて、われわれも認めて、現地調査をするんだと両者が認めているにもかかわらず、裁判長自体がそれを却下するわけなんですね。やる必要ないんだと。こんな裁判ないですよね。こんな裁判長いらないですよね。現場を見るのが一番いいのですよ。それをもやらない。それに対して忌避を申し立てて、審理中であるにもかかわらず、期日指定をやって、証人調べをやるというかたちで、しかもその証人調べが初めて別室でビデオを通して尋問をやるという。こんなやり方許せないというかたちで抗議をしていたら、勝手に開廷して、とたんに北原さんと自分、そして法対やってた人の3名が証人として申請して受理されてるんですよ。それをも全部却下して次回は最終弁論だと、それに応じなければ結審で、判決だという。そのような裁判を今進行しようとしている。先ほどもありましたが、決して一裁判官の判断ではありません。最高裁判所の指令もあるだろうし、今の政府の意を受けて、そして何としても土地収用法で取れない土地を農地法で獲る。農地を守る、農民を守る法律で、土地を獲りあげようとする。こんなことが許されていいのか。ここで、これを許したならば、これは全国に波及するわけですよ。こんなことは許せないという形で、次回の裁判は全員逮捕も覚悟して臨むという形をとって闘い抜いていきたい。そのためには、決定的に3・29の全国の人たちの結集をもって、現体制に突きつけてるということをもって闘い抜いていきたい。そして全国の労働者に戦場の中での闘いの決起と、そして何よりも、われわれ農民の立場から、全国の農民に訴えて、農民よ決起せよと、今こそ第二の農民騒動、農民決起を、農民暴動を起こそうじゃないかという形を三里塚から発したいと思います。そのために、みなさんにもお力をいただきたいと参上しました。そして、大きくは沖縄をはじめとする地域で闘っている人たち、あるいは既成の住民団体の闘い、そういう意味での市民、住民闘争を含めた広範な陣形を作り上げて勝利したいというふうに思いますのでよろしくお願いいたします。

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3・15 講演とパネルの集い③ 基調講演 萩原進さん

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 ごくろうさまです。支配階級の自己崩壊も含めて、恐慌と、究極的には戦争ができるそういう国に向かわざるを得ないような今日の状況。確かに日々厳しい生活と階級情勢を迎えるわけですけれども、このような状況を自分たちは喜びを持って闘う側として迎えたい。いや、もっと言えば、今日の状況をかもしだすために反対同盟は40数年、闘い抜いてきたわけです。この決定的な情勢を自分たちの手によって、新たな社会をつくり、そして全世界的な人民の解放を勝ち取っていきたいと思います。そういう中で、3・29の三里塚の現地の全国集会が、決定的な位置を示すだろうという風に思います。

 レジメが入っていると思いますけれども、これは3・29で自分が述べることをつい先日作ったばかりで、まだ練れていませんので、今日うまくできるかどうかというのがありますが、3・29にはもう少し練った発言ができると思います。ここに書かれているように、三里塚の情勢も非常に煮詰まっておりますけれども、それ以上に昨年秋から今日までに至る情勢は、われわれの予想を超えたところにあるんじゃないかと思います。人民にたいする搾取や暴力的な攻撃ははびこるだろうと一方で思いますけれども、それ以上に支配者が今後体制を維持していくためには、今までのようなやり方では行きえないというところまで陥っている。三里塚的にも、安倍をはじめとして、福田、そして今の総理大臣にしても、よれよれの中で何をやっても支持率ゼロにひとしい状況の中で、自らの延命のためにしか物事を考えられない、そのような状況の中に叩き込まれている。労働者も農民も、一切の今まで与えられたというより勝ち取ってきた権利をはく奪していくという攻撃がはびこってくる。先の北海道におけるサミットにおいても、貿易問題が主だと言っておったにもかかわらずWTOがここでも決裂し、その年の暮れの会議においても入口で決裂しちゃうと。自国が大恐慌の中でもはや生きるためには、何としても自分を守るために防衛的にならざるを得ないというところで、保護主義がはびこってくるだろう。その行きつく所が戦争への道をたどっていく、そういう歴史が日本においても、世界的にも立証されてきているんじゃないか。そういう状況が今日、世界的に、同時に同じ問題として発生してるわけです。そこで三里塚においても、この問題から発生する問題として土地取り上げがそこで発生するし、現在行われている・・・完全空港化を彼らが唱えている北延伸をそういう作業として行われているんだということを現在の情勢が物語っているんです。

 彼らは秋までに工事を完成させて来年3月に共用するというスケジュールです09315_2 けれども、考えてみていただきたいけれど、三里塚空港が、今は1本の滑走路ともう1本は非常に短い滑走路でおいて飛行を展開してきたという状況がありますけれども、ご多聞にもれず、現在の大恐慌の中で、昨年12月の状況を見てみれば、新聞を添付していますけれど(右写真)、現在の輸出額をとってみても49%も減少、半分になってるんですね。こんなことが考えられるのかどうか。あのトヨタが2兆円の利益を出していたのが、一夜にして赤字になっちゃう。こんなことは今、ほんとに考えられるのかどうかということが、現実として起こっているんですね。手品師がやったってこんなことできないですよ。マジックでやったってできないようなことが、ドラマティックに展開されている。そのことが今の社会の姿、経済の姿、政治の姿でなはいのか。我々は、先ほど言いましたけれど、このような事態をわれわれが闘い抜いてきた成果として迎え撃つ、このことを自分たちは願っていたんだ、喜びを持って迎え撃つし、この日のために闘って来たんだということをはっきりした上で、問題を立てていきたいというふうに思います。

 先ず第1に、そういう攻撃はありますけれども、三里塚の現地においては、北へ北へと2度、北延伸と言う形で騒音区域だとか空港の保安施設だとかいうかたちで買収してきた土地に滑走路を延長してきたわけですね。第1回目には、北へ800メートルずらして、そして2180メートルの滑走路を作った。そして飛ばしてみたら、これじゃあ非常に短いと。そして事故を起こしたりなんかしている。09315_5 これじゃあしょうがないと、2500メートルにするためには、もう320メートル延ばさなきゃあならんとやっているのが今の姿なんですね。いわゆる「平行滑走 路」というけれど、平行じゃなくって、北へ北へと、800と320、1120メートルも伸ばしてるんですね。2500メートルのうち1120メートル北側へずらしている。半分近く北側へ滑走路を追いやっている。これは何かと言うと、南側にわれわれの土地があったり、そして民家があったり、反対する1坪があったり、開拓道路があったり、墓地があったり、そういうものがあるために、そういう状況にしかなりえない。われわれを叩きのめしてその土地を奪うことができえなかった。その結果が、つぎはぎだらけの空港を造らざるを得なかった。40何年経ってもまだできえないという状況を醸しだしたんです。こういう形で作った2500メートルが、ほんとに国際空港として通用するのかしないのかと言ったら、世界的にも明らかになってるんです。現にそういう意味で旅客数も減少し、そして航空会社も減便を余儀なくされて現在きているわけですね。そういうところでしか10月の完成も見ることができないし、3月の共用開始を迎えざるを得ないところまで追いつめているわけです。これは、みなさんの力のおかげで、われわれもそこにがんばりぬいて闘い抜いた結果として今日、そういう形になってるわけですね。

 だけども、もう一方で、これを何としても形だけでも作らざるを得ない、そして1メートルでも長い滑走路を作って、何にしても一方である軍事に使用するためにもこういう滑走路を造らざるを得ないという形で、今、しゃにむに行われている工事が北延伸の姿なわけです。承知のように、三里塚の闘いと言うのは、そういう意味で、土地を取り上げて滑走路を作り、飛行場を完成させていく、そういうものに対する闘いと、もう一つは飛行場がもつ政治的、社会的な意味でもつ軍事性という問題で、軍事空港としてとらえて反対して、われわれは闘い抜いておるわけですけれども、そういう形で、2500メートルの滑走路を作って、4000メートルと2500メートルの滑走路を作って完成したという姿を世の中に示さなければならないというところが今あるわけですけれども、それじゃあ、これを先ほど言いましたけれど世界的に見てどうなのかというと、完全にアジアにおけるハブ空港としての位置は陥落したと言っていいわけですね。そういう意味では、韓国における仁川(インチョン)空港ですか、これなど一つの空港で25を上回る地方の空港に対する乗り継ぎができるし、年間53万回の飛行回数を備えているわけですね。今度成田を今、20万回、これを30万回にするんだといったって、成田と羽田を足して一つの空港にひとしいような状況を醸しだしてるわけです。ですから支配者の中では、距離的に見ても、そして何よりも反対運動の強い成田を日本の表玄関にするんだったら羽田の方がいいんじゃないかというところで、羽田の拡張問題がなされて、同じ時期に4本目の滑走路ができるわけですけれど09315_7 も、今度5本目の滑走路を検討すると言った途端に千葉県側は、非常な反発を起こして、羽田にみんな持っていかれちゃう、話しが違うという形で反発を強めてるわけです。ですから、余計にそういう意味では2500メートル滑走路を早く完成して、旅客数を増やして、便数を20万回から30万回に増やすんだ。そして 24時間の空港化にするんだと、民間を組織して、あるいは地方自治体を組織して総仕上げしようという動きに出てきている。

 そういう動きの中で市東さんの土地取り上げという問題が出てきてるわけです。そう意味では、単にここに市東さんの土地があって、これが邪魔だから土地 をどかせとか、奪いとるなどという個別の話じゃないんですね。体制側にとって見れば、体制をかけたものとしてそこに存在している。ですから体制をかけて収奪をしなければならないというところで出発したのが市東さんの農地取り上げの問題としてあるわけです。ですから情勢を先ほど述べましたけれども、そういう中で、今日の航空需要も含めて、それじゃあ10万回増やしたらそれで全部埋まるのかと言ったら、そういう情勢でもないし、空港自体そのものがつぎはぎだらけで、そういう意味での実際の国際空港の体をなしていないというところまで追いつめてるわけですね。三里塚の空港というのは。だけども、一方では軍事使用するのと、もう一つはこのような闘いに支配者が屈したという姿を見せたくないという形が往々にしてあるわけですね。ですから、何としてもこの空港を作ることをもって反対運動をつぶし、三里塚の名をこの世の中から消したいというような状況が、この秋から来年3月に向けた状況の中で、そういうものが民間の反革命も使いながらやってくるだろう。そういう意味では非常に厳しい闘いとしてあるし、また一方でそこまで引きづり出したものとして我々の成果としてあるし、それを徹底的に打ちのめしていく闘いが必要なんだ。そのことを日本の全人民に訴えて、もう一度三里塚の闘いを根底から広範な闘いとして闘いを作りなおし、そういう中で三里塚のように闘おうじゃないかという闘いを展開する。ややもすると、今までは三里塚は非常に暴力集団だ、あるいは過激派の闘いだと宣伝され、現にそういう闘いもしました。しかし、それだけの闘いでもありません。だけども、今日迎えている状況は、正に労働者も、あらゆる層の人たちも闘わなければ生きられない世の中になるわけですね。そうすると三里塚のような闘いをやることを通してしか勝てないんですよ。そいうことを民衆もわかっている。また、そういう言葉も、素直に聞いてる情勢を迎えたんじゃないか、という風に思うわけですよ。ですから、われわれの位置というのは非常に大きな位置を占めてくるんじゃないかと思うし、一方ではそれに対する責任もひしひしと感じる時代だと思うわけです。ですから、あらためて、3月29日の集会というのは、決定的な要素を持っていると同時に、数の力を持って空港を包囲するような闘いを展開したいと思います。(つづく)

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3・15 講演とパネルの集い① 主催者あいさつ 永井満さん

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 みなさん、今日は。ご苦労様でございます。待ちに待った今日の集会を、こうしてみんな揃って開会できること本当にうれしく思っております。お越しの皆さんは、今日の集会がどういう趣旨の集会であるか等々、すでにいろいろお読みくださってご存知かと思いますけれども、今までと違ったと申しますか、三里塚を中心とした集会ではありますけれども、単なる私たち関西実行委員会の内部的な決起集会ということではなしに、三里塚の闘いを、3・29を中心にしながら、より大きな闘いに広げていきたい。かっては全人民共闘というような闘いの陣形がございまして、砂川の宮岡さんであるとか、北富士であるとか、佐世保であるとか、そして私たち関西であるとか、そういう市民、住民たちも、そういう形で三里塚を闘ってまいりました。今のこの経済的にもですが、何よりも米軍再編と言われる問題、それに関連した三里塚、沖縄、岩国、そして関西、こういう問題についても市民として関心を持たなければならないという思いがありました。今度の3月の現地集会に対し09315_2 ましても、今までのような決起集会だけではなく、もっと闘う陣形を広げて、もっと多くの方に現地に総参加していただきたいという願いをもちまして、今日の集会という運びとなりました。

 お忙しい中、沖縄から知花さんがお越しくださいました。また岩国から、大川先生が、今新幹線の中かと思うんですが、私同様礼拝を終えて飛んできているところだと思うんですけれども、駆け付けてくださいます。私も、岩国に行ったことはありません。大川先生が書かれたものやパンフレットをちょっと読んだ程度で、今日、直に聞かせていただける、あの素晴らしい闘いを聞かしていただけるのを楽しみにしています。

 これから三里塚を闘う者が、こういう全国の米軍再編に対して「ノー」の声をあげて、手をつないで闘っていくことです。三里塚ということで考えますと、私たちが訪れた40年前にお邪魔した時には、「反戦の砦・三里塚」という大きな看板を掲げられていました。三里塚は、本当に戦争をさせない「反戦の砦だ」と、その時私たちは頭に叩き込んだわけなんですけれども、それ以来40有余年、闘いは、厳しい闘いが続いておりますけれども、現在闘い抜いておられる北原さんを先頭とした反対同盟の方々、人間として、本当に良心を持って闘っておられる。本当に敬服いたします。こういう三里塚を闘う中で、三里塚の方々のような素晴らしい人間、共に闘っておられる方々、人間として超一流と思えるような方々と一緒に親しくこの闘いに参加させていただける。このことは、少し大げさに言うかもしれませんが、生まれてきた甲斐があるというか、望外な喜びとそんな風に思っております。

 今日はまた、こういう中で、大川先生をお迎えして、岩国の闘いについて聞かせていただき、これから共に闘っていきたいし、大川先生にもまた三里塚を共に闘っていただきたいとそんな風に思っております。

 確かに今日の集会についてご批判があることも聞いております。これまでの前段の集会と違うじゃないかと。多分、違うんです。しかし、違う理由は、今も申しましたように、単なる前段集会と言うと、私たちの仲間内の集会で、総決起集会のような形になりますけれども、この3・29を、関実が総決起することはもちろんですけれども、一人でも多くの方々に、今までと違った方々にも三里塚を知ってほしい。私たちもまたそうした闘いに参加させていただきたいという願いがあります。今日はその最初の試みです。どうかみなさんの協力をいただきながら、ほんとにやってよかった、これで三里塚の闘いが大きく地平が広がったと言えるような集会に是非していただきたいと思っております。それぞれの闘いについては、それぞれの方々からご報告がいただけますし、また討論の時間があとであります。また皆さんのほうからお尋ねのことがあれば手を挙げていただいてお聞きすることができると思います。どうかその心づもりでいていただきたいと思います。

 私が言うまでもなく、三里塚現地は今、大変なことになっています。後ほど萩原さんからも詳しくご報告もあろうかと思います。今日の新聞でしたか、羽田が5本の滑走路を作って、50万回ですか国際空港としてこれから羽田はやって行く09315_3 んだという記事が大きくありましたが、「成田はどうなるの?」ということですよね。成田は一生懸命、滑走路を伸ばしたり、発着回数を1.5倍にするなんて言ってますけれども、やっぱりもう国際空港、日本の中心の空港としては羽田という体制になっていく。それなのになぜ、飛行回数を1.5倍、30万回ですか、滑走路も3500、4000メートルをつくる。これはもう、やはりいわゆる米軍再編の問題、いざという時に大量の米軍、軍隊とその物資を集約できる基地として、三沢とか、成田。関空もそうですね。飛行機が1機も飛んでいない、ほんとにペンペン草がはえている4000メートルの滑走路。何で作ったんですか。1兆何千億もの借金がありながら、その上にさらに借金を重ねて。これなど軍事使用をめざしたものであることは明らかですね。

 そういう中で、来年、憲法をめぐって国民投票法がいよいよ施行されるということですね。昨日は、自衛艦が出ていきました。私のような年代ですと、「居留民保護」などという名目で軍隊を海外に出し、たとえば上海で邦人が殺されたという名目で、日本の砲艦を派遣して、それが上海事変となったり、満州事変となったり、支那事変となったり、戦争と言わないわけですね。軍隊をなんやかんや言いながら派遣して、いつの間にか戦争になっているから、日中戦争と言わないで支那事変とこう言っていた。そういう同じやり方がまた今復活してきたと思いますね。イラクの問題やインド洋の問題で出ていきましたけれど、建前だけでもイラクは復興支援でしたでしょ。インド洋は、燃料補給ですよね。今度は建前としても、武器を使うことを前提として出て行っています。そういうことを考えると明年はどんな年になるんだろうかと思うんです。それまでに闘う陣形をしっかりと組み上げなければならない。何よりも沖縄、三里塚、そして岩国を中心とした闘いぬく住民の陣形を作りたい。大それた願いかと思いますが、絶対にそれをやらなければならない、私たちにその責任があるんだということを、ほんとに感じております。今日お越し下さった皆様方も、お招きした方々のお話しを通して、一層そういう思いを共有してくださると信じます。どうぞ最後までこの集会を盛り上げて、ほんとに意義のある集会にしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

事務局よりのお知らせ=一昨日、3月16日、部落解放同盟全国連合会婦人部顧問(前婦人部長)の三木輝子さんが逝去されました。享年83歳。本日、八尾の玉泉院において、全国連書記長中田潔さんを葬儀委員長に、しめやかに告別式が行われたことをお知らせいたします。心からのご冥福をお祈りいたします。

 

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3月16日 暫定滑走路変更認可取消控訴審最終弁論

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 3・15集会大成功の余韻も冷めやらぬ、翌3月16日、大奮闘の萩原進さんとともに上京。東京高等裁判所で開かれた「暫定滑走路変更認可取り消し控訴審」の最終弁論の法廷に行きました。この裁判は2000年2月に提訴。1審(千葉地裁)は、「変更認可は違法ではない」と暫定滑走路建設を追認したのみならず、住民被害についても「病人が出ていないから」「社会的受忍限度を超えていない」という非常に乱暴な開き直りを行いました。

 これに対し、反対同盟は2008年3月に控訴し、市東孝雄さんの証人調べに加えて、松井利仁さん(京大准教授)の証人調べも勝ち取りました(08年12月、詳しくは当ブログ http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-dcec.html をご覧ください)。

 この日、弁護団から膨大な最終弁論が提出され、その要約を葉山弁護士が、一瀬弁護士からは、先日の仲戸川裁判長(千葉地裁)の国の意向に沿った乱暴な訴訟指揮を指弾しながら、「国策裁判」となってはならないと富越裁判長に迫りました。 

 法廷後、小さな報告会を行い、弁護団全員の挨拶と、同盟から萩原さんの挨拶をもって、この日の闘いを終えました。

 葉山弁護士の挨拶

みなさんどうも。このB暫定滑走路変更認可処分というのは地上げ屋的発想によって東峰地区の頭上40メートルを飛ばす、市東さんの家、畑にジェット騒音をふりまく、そういうことを分かっていながらあえてやったということで、これは本当に地上げ屋的な暴力行為です。この変更認可処分について、これがいかに変かと言いますと、99年5月までに東峰地区を取得できなかったということで、当時の川崎運輸大臣などが自ら減給処分をするという格好で、できない相談のことをやっぱりできなかったということで、部内で処分をする。その一方で報復的に、ワール09316_5 ドカップを行うという、これは単なる口実なのですが、5月10日にできなかった、その翌日の11日までの間に、北側に約1キロ、2180メートルを延長して作っちゃうということを打ち出す。これは完全に言うことを聞かなかった反対同盟を主力とした者たちへの報復的攻撃として暫定滑走路が建設された。

 そういうことを許しておけるかということで取消訴訟を提起した(2000年10月)。

 (昨年、控訴審で)市東さんの証言だけであとはやらないと打ち切り寸前までいったんですが、頑張って松井証人の証言、さらに鑑定書など膨大なものを提出して、騒音被害が人体的にきわめてひどい、心筋梗塞症状を起こすまでにひどい状況の騒音被害だと。要するに人殺し空港だということを明らかにしたわけです。

 それに対して富越裁判長がどういう判断を下すか。不当判決と言うのは恐らくそうだろうというのは確実なんですが、こういう格好で司法権力そのものが空港公団、空港会社と一体になって襲い掛かるということをあらゆる時点で許さず、断固、それぞれの時点で追及していく。現地における反対同盟を中心とした所の大きな大衆行動、実力闘争の中で決着をつけるということになると思う。その一環としてこの裁判闘争を行ったということなんで、今後、この闘争、あるいは千葉地裁における闘争と、萩原さんも言っているように現地闘争と一体という風に闘っていくことになると思うので、今後ともよろしくお願いいたします。

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3・15「米軍再編と闘う 講演とパネルの集い」(速報)

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 昨日、「米軍再編と闘う - 三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ 3・15 講演とパネルの集い」が、大阪市立中央会館のホールをいっぱいにして熱気のある本当にいい集会がもたれました。三里塚とともに、沖縄、岩国の闘いが、全国の反基地を闘う人々をはじめいろいろな人々が一つになって、この国を変えていこう、変えていける。そういう決意と確信にあふれた萩原進さん、知花昌一さん、大川清さん、そして関実の永井満さん、あるいは中田潔さんのそれぞれの報告と09315_2 提起に、参加した185人の皆さんが熱心に聞き入り、3・29三里塚現地へ行こうという熱い想いを抱いておられるのが感じられました。3時間を超える密度の濃い集会でしたが、長さを感じさせませんでした。

 主催者の挨拶に立った関実代表の永井満さんから、3・29三里塚に向けたこの集会の意義と、米軍再編と闘うことの意味が提起された。

 そのあと、事務局から、先日の3月12日に起こった天神峰現闘本部裁判での仲戸川裁判長とその背後にある国家権力の不当、暴虐な攻撃に対する三里塚反対同盟の弾劾声明を紹介しての緊急アピールが行われた。

  主催者でもある三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進さん(事務局次長)から、基調講演が行われた。3・29全国闘争での基調を考えているそのままを話し09315_6 たいとされて、安倍の「アジア・ゲートウェイ構想」に象徴される、農地法改悪攻撃をはじめとした国の暫定滑走路北延伸攻撃を断罪した。そして勝利の確信も固く「三里塚のように闘おう」と提起された。

 沖縄の読谷村村議の知花昌一さんから、特別報告が行われた。沖縄が平和憲法の下に「復帰」したのではなく、日米安保条約のもとに入っただけだとされ、具体的にこの3月に起こったいくつもの米軍による事件を紹介しつつ、沖縄の闘いを報告された上で、沖縄における三里塚への熱い思いを紹介しつつ、「過去のいきさつを乗り越えてともに闘っていこう」と提起された。09315_4

 部落解放同盟全国連の中田潔さん(中央本部書記長)からも特別報告として、部落の共同体を破壊する攻撃としてかけられている「住宅家賃値上げ」に対する、闘いの決意と、全国連5万人の組織建設を実現することを通して全国水平社の今日的再現を勝ち取っていきたいと語られた。そして3・29三里塚への全力での取り組みと、反対同盟と関実とともに闘い抜くことを明らかにされた。

 休憩の後、パネルディスカッション。永井さんが司会をして進める。遅れて駆けつけられた「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表の大川清さんから、住民投票(06年)から市長選(08年)に至る闘いの経緯と国、米軍が総がかりでかけてきた卑劣な攻撃を弾劾された。そして沖縄の方々をはじめとした励ましによって「闘いはこれからだ」という確信にみちた想いを語られた。

 09315_5 大川さんの話しの後、三里塚の萩原さん、沖縄の知花さん、そして永井さんも交え素晴らしい意見交換が行われた。「3・8分裂」をめぐる今日の闘いの状況について萩原さんに率直な問いが出されるなど、それぞれの闘いの重さからくるその真剣な討論に私たち聴くものは本当に引き込まれた。1時間20分ほどの時間を感じさせない密度の濃い、しかも、共に闘う熱意にあふれた交流が実現されたのです。最後に、萩原さんから知花さん、大川さんへの3・29への招きを持ってパネルを終えました。

 最後に関実世話人の山本善偉さんから、まとめの挨拶が行われ、3・29三里塚現地へ総決起しようと団結ガンバロウで締めくくられた。

 関実としては、この集会の全てを掘り起こして、早急にパンフレットにしてご報告したいと考えております。ご期待下さい。今日は、これから東京高裁での「暫定滑走路認可差し止め裁判控訴審」の最終弁論が行われますので、萩原さんとともに東京に向かいます。その報告もご期待下さい。

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仲戸川の暴挙弾劾! 怒りの反撃を

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 今日、3月12日、千葉地裁で、仲戸川裁判長による違法きわまる訴訟指揮が行われ、現場検証どころか、自ら決めていた証拠調べ(証人尋問)すら切り捨て、天神峰現闘本部裁判を「結審」させ、4月23日に「最終弁論」を行うと決定するという暴挙が行われた。3・29闘争を水路に新たな決戦局面に突入した三里塚闘争の爆発に恐怖した国家権力と、その意を戴した仲戸川によるこの暴挙を、怒りを込め弾劾する。

 何より、仲戸川は、前回の口頭弁論において不当な権力の導入と逮捕という09312_2 事態の責任を問いただされたにもかかわらず、一方的に法廷から逃亡しつつ、現場検証を行わないことと、証人採用を大幅に切り捨てる暴挙を行い忌避を申し立てられ、最高裁で争われていたのだ。その結果が出ていないにもかかわらず、仲戸川は、再三にわたる弁護団の抗議と期日変更の申し入れをも無視して今回の口頭弁論の期日指定を強行してきた。

 毎回の石橋への同盟から出されていた地代への石橋本人、あるいは息子のつれあいの恵美子による領収書が「意味のない紙切れ」の如くにNAA側は扱うという前代未聞の開き直りをした上で、その恵美子本人に「地代はもらっていない」などという嘘の陳述をさせていました。今日の口頭弁論で、この石橋恵美子の証人調べを行うにあたって、仲戸川は「ビデオリンク方式」で行うことを一方的に通知してきたのです。

 「ビデオリンク方式による証人調べとは、裁判の重要証人を法廷には召喚せず、別室09312_3 に隔離してモニターをとうして『尋問』するというものです。そもそも『犯罪被害者保護』の要請から導入された例外的な方式なのに、建物撤去・土地明け渡しの本件に適用することなど考えられません。石橋恵美子証人は『犯罪被害者』でもなんでもないのです。本件にビデオリンク方式を適用するのは、別室に隔離する証人隠しであり、公開裁判を否定するものであり、偽証を助長する不当きわまるものです」(今日の裁判事務局の資料より)。しかも、石橋恵美子は先に述べたように明らかに嘘の陳述をしているのですから、その嘘を裁判所が守ろうとしている許し難い誤った訴訟指揮をしようとしていることが明らかです。このことを指摘し、繰り返し撤回を求めた弁護団に対し、聞く耳を持たぬ仲戸川の姿勢が明らかになった。

 やむなく弁護団は、昨日、あらためて裁判官忌避を行った。ところがそれ自体を忌避された当事者である仲戸川自身(民事第5部)が、簡易却下を行った。理由は「忌避をする権利の乱用」というのである。仲戸川の乱暴な訴訟指揮が一切の根源であるにもかかわらずである。「盗人猛々しい」とはこのことだろう。

 弁護団は当然にも、直ちに今朝、特別抗告を行い、千葉地裁はそれを受理09312_4 した。民事訴訟法334条には、特別抗告が行われた場合、執行が停止される規定があり、口頭弁論を開くことはできない。そのことを弁護団、同盟を先頭に地裁民事第5部書記官室に申し入れに訪れた。ところが、驚いたことに、仲戸川は口頭弁論を開くと主張し、法廷で説明すると開き直ったのだ。立法の権限のない裁判官が、法律で決められたことを破って、審理を進めるというのだ。こんなことが許されるか! 怒りの抗議と追及が1時間以上にわたって粘り強く、丁寧に行われた。しかし、口頭弁論は強行された。

 しかも、二人の証人の陳述が本人のものであるかどうかが確認されただけで、仲戸川は同盟と弁護団が「尋問権を放棄した」と強弁し、前回の裁判で逃げながら、誰にも聞きとれないような形で(書記官さえ聞こえなかったと言っているのだ)、新現闘本部を建てたとび職の人たちなどの証人採用を却下し、北原さんと萩原さんなど3人のみを証人採用したのだが、それさえも却下し、結審を宣言し「最終弁論」を4月23日に行うと宣言して、早々と審理を終えたというのだ(新聞記者と、一人事務局が傍聴して判明)。こんな暴挙がどうして許されようか。

 当然にも、弁護士会館09312_5 で開かれた報告会と記者会見は、弾劾集会に切り替えられ、怒りの発言が続けられた。そして、最後に立った萩原進事務局次長は、4月23日、全力で決起し、逮捕も辞さず抗議の闘いで反撃しようと提起された。44年にわたる三里塚闘争に追い詰められ、「三権分立」のポーズさえかなぐり捨てた国家権力、裁判所のこの攻撃を許してなるものか。「3・15米軍再編と闘う」集会を関西で成功させ、3・29三里塚現地全国闘争を大爆発させ、4・23千葉地裁に反撃の火柱を立てよう!

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3・15 講演とパネルの集いを宣伝

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 昨日、3月7日、JR元町駅前で、「3・15 講演とパネルの集い」のビラまきと宣伝を、8人が参加して行いました。

 買い物客でにぎわう人の流れに負けないように、「市東さんの農地を守る」三里塚のたたかいを訴え、「いのちを守る」ことを語りかけました。そして、憲法改悪の動きの中で、一朝有事には、成田空港(三里塚)、関西空港が軍事基地と0937_2 なること、沖縄、岩国など米軍基地の強化が進められていることなどを訴えました。そして、3兆円も日本が負担して進められている「米軍再編」とは何なのか。先日の中曽根外相・クリントン国務大臣の日米の協議でグアムの米軍基地整備、海兵隊の一部移駐のために6千億円ものわれわれの税金が投入されている一方で、非正規雇用の労働者をはじめ何十万もの労働者が解雇され、住む家まで奪われている現実を訴えました。

 ビラは500枚がまかれました。残すところ1週間。3・15集会を成功させて、3・29三里塚現地に総決起しよう。集会賛同も、110の個人・団体を超え(200口以上)ています。

 今日の「止めたいんや戦争! 守るんや命! 3・8行動」の集まりで、小さな三里塚写真展を開きます。そこで、新しく作られた「三里塚写真展パンフ」(B5版、12ページ)を、展示コーナーでは無料で配布してい0937_3 ます。右上がその表紙で、左が、その例で、5ページです。同盟のみなさんの今の様子を伝える写真と、説明満載です。ぜひ手にとってご覧ください。

 また、展示コーナーでは、三里塚の落花生も販売しています。

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ますますデタラメな証拠を出してきた。許せない!

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 216日、千葉地方裁判所民事2部において「耕作権裁判、第10回口頭弁論」が開催されました。

 いつもとおり、裁判所前の歩道で「傍聴券の抽選」のために並んでる皆さんに、反対同盟から「傍聴のために」というビラが配られます。そこには、今日の裁判の焦点が分かりやすく解説されており、参加意欲が高まります。傍聴券は30枚程度しかなく、大半の参加者は法廷に入れません。その点、この解説ビラは法廷内外が一体となる、大切な役割を果たすものです。

 この日の裁判にも、100名ぐらいの、大勢の皆さんが傍聴にかけつけ、原告と裁判所を圧倒し続けました。

 裁判は10時半丁度にはじまり、被告(反対同盟)弁護団の葉山団長から「原告の準備書面の釈明を求める」と求釈明の弁論を行い、さらに一之瀬弁護士が補強する弁論。「焦点になっている地番49-1の賃借権を市東東市さんと藤崎氏が交換したというメモはデタラメで納得出来ない」と怒りをあらわにして追及しました。49-1という耕作地は石橋氏の自宅近くの土地で、日当たりが悪く、耕作地には不向きのため石橋自身も植木を植えていたようです。そんな土地を交換するはずはありません。また原告が証拠として提出したこの「市東・藤崎メモ」には、「赤線を越えなければ行けないので交換した」と交換の理由を記していますが、赤線なんか書かれ09216_7 ていないことも指摘していてました。

 さらに、反対同盟弁護団は「航空写真は1949年から撮影されているので、これを提出せよ。それを見れば、耕作地として使用されているかどうか判明する」と原告に要求。原告が出している航空写真は、最近のものばかりで、誤魔化そうとしていることが見え見えです。

 このように、原告から提出される証拠書類は裁判で追い詰められいい加減なものとなり、市東さんは、裁判終了後の記者会見、報告会の冒頭で「ますますデタラメな証拠を出してきた。許せない!!」と、怒りをあらわにして、さらに闘う決意を述べられました。

 報告会の中で、安藤は関西から発言を行い「裁判闘争を全力で闘う。329三里塚闘争の成功に向けて、315三里塚関西集会を開催する。また、野菜市、写真パネル展を継続して開催してゆく」との挨拶を行いました。

 次回の裁判期日は511日午前10時半 新しい裁判所建物の6601号法廷の予定。

            関実事務局次長 安藤 眞一

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神戸空港反対闘争 2月15日

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 今日は、神戸空港が3年前に開港を強行した日です。 

 昨日、2月15日、開港して丸3年を迎えた神戸空港を廃港にしようと「神戸空港反対市民集会」が、123人の結集のもとで開かれました。開港した翌年は、参加者が減りましたが、それから2年続けて、わずかずつですが増え続けています。

 この集会では恒例になった「はるまきちまき」さんの心温まる演奏と唄から集会が始まりました。三里塚芝山連合空港反対同盟からのメッセージが紹介された後、粟原富夫新社会党市議から、市議会報告として財政問題を中心に神戸空港の破たんの現状が報告されました。ついで、神戸空港への財源投入が市民生活に犠牲をすでに生んでいると市営住宅家賃の値上げ、減免制度の廃止、そして追い出しという市民の生存権を奪う神戸市行政を批判する09215_4 「家賃値上げ反対番町住民の会」からの特別アピールがありました。

 「近ごろ考えること-神戸に住んで30年」と講演に立たれた早川和男さん(右写真・神戸大学名誉教授)は、神戸に住む学者の多くの物言わぬ現状をユーモアを交え指摘しながら、震災に対する被災者対策の「住んでいる人の目線から」の対策が行われている各地の様子を明らかにして、神戸市のこの40年以上にわたる経緯の中で明らかになったひどい市民不在の行政の在り方を指弾された。そしてそれをどうしていくのかだと私たちに問いかけられたのです。

 基調報告に立った讃岐田訓さん(左写真・京都学園大学教授、市民の会代表) は、09215_6 粟原市議の報告を受ける形で、売れない土地処分の問題、空港の赤字化などを指摘した上で、市民病院の移転問題に見られる市政の流れが、神戸を戦争に向けた基地の街にしようとしていると指摘。その上で、市民の会が行ってきた海洋調査で神戸空港の埋め立てが大阪湾を破壊している現状を専門家として明らかにされた。

 そのあと、リレーアピールが行われました。淡路の空を守る会の代表永井満さん。関西新空港絶対反対泉州住民の会の国賀祥司事務局長。神戸再生フォーラムの高田富三さん。止めよう戦争!百万人署名運動・兵庫県連絡会の梶原義行さん。被災地雇用と生活要求者組合の蒲牟田宏さん。神戸YWCAの寺沢京子さん。そして市民の会。次々と、それぞれの立場からの神戸空港に対する怒りの声と、お互いに手を結んで繋がっていこうという提起が行われました。

 最後に市民の会の後藤尚生さんがまとめの挨拶と団結ガンバロー(最初の写真)をして、熱気のこもった集会を終了。さあ、デモの出発です。

 鯉川筋から、生田新道、トーアロード、そしてセンター街、そごう前からフラワ09215_7 ーロードを南下して神戸市役所前に。30分余りのデモでしたが、「神戸空港反対」「市税の投入を許さないぞ」「護岸を撤去させるぞ」と終始シュプレヒコールを上げ続け、神戸の最大の繁華街を行く市民の人々に訴えかけました。多くの市民が、驚きの目を投げかけながら注目していました。番町住民の会の若い仲間が、いつの間にか先頭に立ち、大きな声でシュプレヒコールを上げ続けていたのが印象的でした。

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コメ農家 小川さんの挨拶 (2月3日 農地死守裁判報告会)

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 今日、市東さんは、裁判の中で裁判自体が不当な裁判で、その不当な裁判で市東さんの農地の取り上げを絶対に許さないということを、農地自体が市東さんの命そのものだという、断固闘うという決意をはっきりしめしたと思います。

 今、いろいろ調べてるんですが、今、百年に一度の世界金融大恐慌という中で、戦前のことをちょっとしらべたんだけれど、1929年は、昭和4年で、当時地主制度の中で農家はほんとうに高額な小作料と度重なる飢饉とか、同時に29年恐慌によって繭(まゆ)が大暴落し、コメが半値になるという中で、農業恐慌という形で言われていますけれど、コメ作ってる農民が飯米もないというような状況で、ものすごい窮乏化に陥った。そういう中で、必然的に地主と闘わなければ生きていけない時代、農民が東北とか北海道では、夜逃げしたり首つり自殺したり、子女を身売りしたりという大変な事態の中で、地主との闘いを現実に闘い抜いていく時代だった。

 今、そういう農民の闘いを見るとき、地主が恐慌のあおりで、大変な時代の中で、なかなか農民の要求にこたえられないということで、逆に小作地の取り上げとか立ち入り禁止とかそういうことをやってきて、激烈な闘いになっていったわけです。そういう当時の地主とか、土地取り上げ闘争を見ると、今の市東さんの闘 い、あるいは市東さんにかけられた問題そのもの、その再現という感じがしています。当時の警察や裁判所が一体となって小作人の土地を取り上げっていったことを見ると、当時は農地法がなかったもんで、逆に今の方が戦前よりもむちゃくちゃなやり方で市東さんの農地が取り上げられようとしているということをはっきり見る必要があるんじゃないか。

 今、新たな農政改革、食料と農業、あるいは農村の基本計画というのは見直0923_5 されて大きく変えられようとしています。麻生内閣が新たな農政改革の諮問を出したり、6大臣の閣僚会議とか、今年度中にははっきりさせ、来年度にそういう政策をやってくると言われています。そういう中で、東大の本間正義が、まだニュースの範囲でしかわからないんですが、100町歩の農家を1万戸作る。これでやってける農家はやっていくけれども、それ以外は淘汰していく、こういう提言をしています。これは、かって「担い手新法」で300万戸農家を40万戸、あるいは14万経営体にする言われていましたけれど、それ以上に1万戸の農家で、もちろん農地法は改悪して企業が参入できるようにするという提言をしていますけれども、これはもっともっとひどい、悪辣な農業つぶしそのもの。おそらくそういう方向に新しい農政改革の方向が行くんじゃないか。

 そういう攻撃に対して、先ほどの戦前の農民の闘い、当時の地主、警察権力や裁判所、あるいは右翼とか暴力団を使って対決してきたけれど、本当に実力闘争として闘われた闘いが全国各地にいっぱいありました。号令一つで、夜中に300人、500人が集まって、立ち入り禁止の所に自分たちで田植えをやったり稲刈りやったりとか、凄まじい闘いをやっていました。市東さんの闘いは、新たなそういう今度の農政改革、農民つぶしとの凄まじい闘いとの闘いであるし、まして、今年、市東さんの闘いをはじめ三里塚がほんとに正念場を迎えている。われわれ農民の決起という点でも、夜陰に乗じて100人、200人あつまるような、そういう闘いを是非とも作っていきたいなと考えています。

 よろしくお願いいたします。

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北原さんの千葉市民への訴え(2月3日集会で)

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 中央公園で集会を開くことは、めったにありません。今日は寒い中、みなさんご苦労様です。

 千葉市民のみなさん。今日、私たちが訴えることは、国の理不尽な攻撃に対して44年間闘い続けております。とりわけ今日、地裁で闘われる市東さんの公判は、一昨年、権力の暴力によって農地の収奪を認める決定があった。いったい日本の国の将来はどこへ向かっているでしょうか。一人一人が、これを訴える時に必ずやむにやまれぬ気持ちになるでしょう。44年と言うと確かに長い。だが、なぜここまで私たちは闘ってきたのか。それは、国の行政の在り方がい0923_3 かに間違っているか、これを明らかにするために。

 若い人たち、今生まれた子供たちもいます。この将来を見た時に、自分たち が何ができるか。私は最近こういうことを考えっています。まず自分が動かなければ、何も世の中は変わりはしない。それが三里塚の闘いの44年であったと思います。今日、大変お騒がせしますけれども、私たちにはやむにやまれぬ気持ちがある。そういう風に今日の闘争集会、それとデモ行進を行って、表現せざるを得ない立場であります。どうか、千葉市民のみなさん。この私たちの集会を見て、いろいろ見る方があるでしょう。だけど日本の将来を考えるのは、ここに集まった人たちではないかと自負しております。

 今日一日、これから集会を開きデモ行進を行います。千葉市民の皆さんに、まだ三里塚の反対同盟というのはあるんだぞと、これは決して自分自身の精神的になされているばかりではありません。未来を作るために、私たちはこうしてやっているのです。どうか、よろしくお願いいたします。今日一日、がんばりましょう。

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2月3日 農地死守裁判 市東さんの陳述

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 この裁判は、千葉県の不当な決定に基づく不当な提訴です。まったく認めることができません。

 私の身に起きたことは賃貸借の「解約」というものではなく、農地の取り上げです。その目的は空港建設。空港のための「土地収用」です。農地と農民の権利を守るはずの農地法を使った、あからさまな農地強奪です。こんなことが許されて良いはずがないのです。

 しかも明け渡しを迫る畑の位置が間違っています。「南台41-9」の土地について、1984年当時、地主の藤崎政吉さんは、私の家の借地ではなく石橋政次さんの借地としていました。別の裁判で、空港会社はこのことを認めています。ところが「それは藤崎の間違いだった」と言い訳し、今回、提訴におよんだのです。不誠実としか言いようがありません。

 私は、このような不当な提訴は、ただちに却下するよう求めます。

●農地法による農地取り上げは不当

 空港会社が明け渡しを求める畑は、南台と天神峰の畑です。このうち天神峰 には、離れや作業場、ハウスなどの建物があり、これらの撤去も求めています。みんな、私の生活にとって大切なものばかりです。

 借りた土地である以上、地主との信義に反することは許されません。私の祖父は、当時、原野だった土地をひらき、農地に作り上げ、以後約90年間、大切に守り続けてきました。地代もきちんと払い続けてきました。信義を破らず、これからも誠実にこの畑で農業を続けたいと望んでいます。

 農地法は第1条に「耕す者に権利あり」をかかげています。

 この農地法のおおもとを勝手にねじ曲げてはなりません。千葉県知事が空港会社のお先棒をかついではなりません。まして、農家の代表であるはずの農業0923_5 委員会や農業会議が、農地取り上げを手助けするなど言語道断です。

 土地収用法は、公共事業のために個人の権利を取り上げる法律です。それ自体不当ですが、では、いま成田でこの収用法を使わないのはなぜか? 空港建設があまりに強権的で不当なために、事業認定が失効したからです。

 では、土地収用法で取ることができなかった農地を、農地と農民の権利を守る農地法で取り上げることができるのか。できることではありません。農地法のおおもとを、ふみ破ることだからです。

 そもそも、空港会社は私に対して、明け渡しを要求する資格があるのでしょうか。いったいどれほどの違法を、空港会社は重ねたことか。

 無断で売買したこと、それを隠し続けたこと、地代をだまし取ったこと、転用目的で買い上げながら転用せず、農地を農地として所有し続け、それを貸し出したこと。これらについて農業委員会に手続きもしていません。農地法違反だらけじゃないですか。これこそ信義を破ることではないですか。

 これらの悪事を隠すために、空港会社は、売買年月をいつわって農業委員会に申請しました。決定が下りてから、「間違っていた」などと訂正しました。まったくメチャクチャとしか言いようがありません。その空港会社が農地法をたてに明け渡せと迫ることなど、許されることではないのです。

●親子代々90年耕作のこの土地こそが私の畑

 空港会社は空港建設のために、知事に対して解約の許可を申請しました。千葉県は「農地を農地以外のものにするのが相当」として許可しましたが、空港用地とすることが「相当」だとする判断は、正しいのか。断じて違います。

 暫定滑走路の誘導路は、南台の畑を避けてつくったため「へ」の字に曲がっています。天神峰の畑は空港用地にかかっています。だから、畑を取り上げて誘導路を直線にすることが相当だというのです。

 じつに身勝手な話です。完成の見通しの立たない平行滑走路を、欠陥をかか えたまま、無理に作ったのは空港公団です。畑や現闘本部の建物や共有地があるのに、「運用にはまったく問題がない」と言いはって強行したのです。

 それを今になって、「非効率だ」と言って、取り上げようとすることは本末転倒です。地域の住民を苦しめる欠陥空港など、農地にもどすことこそ「相当」です。

 あげくに、県の役人は「1億8千万円の離作補償は、農業収入の150年分にあたる」から十分だろうと言う。農業を守るべき役人が、カネさえ出せばいいという姿勢に、たまらなく腹がたちます。

 私は、代々守ってきたこの畑で野菜を作り続けることに生きがいを感じます。農地は単なる土地ではないのです。長い年月をかけて、有機の土、完全無農薬の畑につくりあげてきたのです。祖父が切り開いた時から親子3代にわたって精魂込めた、この土地こそ私の畑です。そして農地と農業を大切にする考え33_3 方が、いま、大事だと思います。

 私が畑を守る理由はこればかりではありません。国と空港会社が、力ずくで取り上げようとしていることが問題です。政府は「強制的手段を放棄する」と約束し、空港会社の社長は「謝罪」文を書いて頭をさげました。だが、40年間、農家を虫けらのように扱った空港建設は、今もまったく変わりません。法律も民主主義もない。あるのは強権とカネの力です。このやり方は絶対に受け入れることができません。

 だからここに住むし、この畑を耕すのです。私の畑は「この農地」でなくてはならないのです。

●守られるべき、働く者の権利

 農業会議を傍聴して驚きましたが、千葉県では、月に300件の農地が農地以外のものに変えられています。まともな審査もしないこの無責任が、耕作地放棄や休耕地を生み出しています。

 これを進めているのが、農業切り捨ての政策です。いま、大半の農家は農業で食べていけません。トヨタやキャノンの輸出と引きかえに、農産物をどんどん輸入しているからです。

 食糧自給率40%、農薬混入の輸入食材、汚染米や食品偽装、世界的な穀物不足などが、大きな問題となっています。そのうち本当に食えなくなるという不安など、おかまいなしに、農水省は農地の「利用権」と「所有権」の分離を言い0923_7 だしました。もうけを追い求める企業に、農業と農地を引き渡せと迫っています。これは「耕す者に権利あり」の否定です。農家を無くすということです。

 農地法で農地を取り上げるという私の農地の問題は、農業つぶしそのものだ と言えると思います。このことからも、私の裁判を大切だと考えています。

 裁判所による強制執行に対して、品川のホテルの従業員が身体を張って闘う姿が大きく報道され、共感を感じました。人は働くことに生きがいを感じます。労働者の職場、農民にとっての農地――これが守られないで、どうして社会が成 り立ちますか。農地は私たちの命なのです。

 行政による一片の決定がなんですか。誠実に働こうとするものが正しい、と私は思う。私は正々堂々と、自分の農地を守ります。千葉県知事の無責任で不当な決定や、まったく卑劣な空港会社の農地取り上げに対して、一歩も引かず闘います。

 最後に――

 私は、露地栽培を基本とする、有機・無農薬の産直農家です。毎日、休む暇のない仕事を続けています。空港会社の不当な提訴は、生活に大きく影響します。とりわけ火曜日は産直の出荷日でもあり、本当はとても出廷できる状態ではありません。

 南台と天神峰の2つの裁判と、行政訴訟の併合を強く要請して、意見陳述とします。

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農地死守裁判 第1回口頭弁論 (2月3日)

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 2月3日、千葉地裁でNAAが耕作権解除を求めた市東孝雄さんの農地の明け渡しを求めた「農地死守裁判」の第1回の口頭弁論が開かれました。上写真は、裁判に先立って千葉市内での集会、デモをやりぬき傍聴闘争に結集した150人。千葉地裁を取り囲む怒りを、不当にも遠巻きして弾圧の意図を隠そうともしない権力、機動隊にたたきつけました。

 法廷では、市東孝雄さんから冒頭にこの不当な提訴への弾劾が「私の身に起09232 きたことは賃貸借の『解約』というものではなく、農地の取り上げです。その目的は空港建設。空港のための『土地収用』です。農地と農民の権利を守るはずの農地法を使った、あからさまな農地強奪です。こんなことが許されて良いはずがないのです」と始められました(後日、全文掲載します)。

 そして弁護団から、堂本知事による「耕作権解除申請許可決定」自体が違法であり、現在行政訴訟で争われている。その違法な決定を根拠として行われた提訴は裁判の体をなさない。直ちに訴えそれ自体を却下すべきであることが弁論として行われました。そして、弁護団から、「そもそも賃貸契約の解除と言うが、いったい何時、どういう形で空港会社(原告)と市東さんの間で契約が行われたのか示してほしい」と、極めて当然の釈明が求められたのに対し、原告側代理人は答えられません。(後の「報告会」で、「借金取り立ての裁判で借金額を示せないまま裁判を起こしたようなものだ」とその破たんがわかりやすく説明されました。)許せないことは、このやり取りの時に「答えろ」と怒りの声を上げた萩原富夫さんに対して、堀内裁判長は寸刻をおこず退廷を命じたのです。ここに、堀内裁判長のこの裁判に対する反動的な正体が露わになっています。法廷内外を取り巻く傍聴団から怒り0923_4 の声が上がり騒然とする中で、法廷は「行政訴訟と併合して進めるべき」とする弁護団の要求を根拠に、次回期日を決めないまま閉廷されました。

  圧倒的な勝利感の下に開かれた裁判後の「記者会見」「報告会」では、反対同盟と弁護団はもとより、傍聴した各団体の代表者からの鮮明な挨拶が続きました(後日、できるだけ詳しく、当ブログでも掲載したいと思います)。

 この日、千葉中央公園で早朝の9時より集会が、北原鉱治反対同盟事務局長による千葉市民への呼びかけによってはじめられました。市東孝雄さんの挨拶と支援党派の発言があって、すぐデモに出発し、150名のデモが、道行く市民に訴えました。

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市東さんの農地取り上げ違憲行政訴訟 第6回公判

09120_2  (公判前の裁判所前に駆け付けた同盟、支援のみなさん)

 昨日、1月20日、千葉地裁で市東さんの農地取り上げに抗して市東さんが原告になって闘われている違憲行政訴訟の第6回公判が開かれました。

 法廷では、「土地収用法で取り上げられなかった農地を農地法で取り上げることは、憲法違反である」とする原告側準備書面(8)を一瀬弁護士が、「被告千葉県の釈明に対する7点にわたる全面的な反論」である同準備書面(9)が葉09120_4 山弁護士から明快に概略が述べられました。裁判長は「それで原告の主張は全てですか」と早く終わりたいという意志を隠そうともしません。しかし、被告千葉県の確信のない、姑息な釈明と裁判所の露骨な訴訟指揮を、原告である市東さんと弁護団の奮闘が圧倒し、勝利的に裁判を進めていることが傍聴席にも 伝わってきます。

 公判後開かれた記者会見と報告会で、まず市東孝雄さんは「2月3日にまた、3つ目の裁判として新しい裁判が起こされます。それは今日の行政訴訟と裏表の関係なんですよね。ですから、皆さんも大変でしょうけれども、2月3日、裁判所の周りをいっぱいにするような、そういう闘いにしたい」と訴えられました。

 同盟を代表して北原鉱治事務局長は、「手前たちが作った法律を無視して土地をとっちゃう。09120_5 農地を守る権利がある」「裁判闘争は徹底的に闘います」「43年を振り返ってペテンとごまかしだ。実力で闘うしかない。当然の権利ですよ」「現地において、当然の権利があるのだから、体を張って闘う。そこに活路がある。強制収用、代執行は必ずやってくる。大木よね。地下壕戦。開港阻止決戦」「全国の農民がいきれるかどうかがかかった一つのひな型だ」「農地が勝手に奪われる、そのひな形として市東さんの土地を奪おうという陰謀だ」「もう一度、第一歩から新しい闘いを作り出そう。未来のある社会にしましょう」「全国に呼び掛けて、日本列島の農民の決起を」と迫りくる決戦への決起を呼びかけられました。

 最後にまとめに立った萩原進事務局次長は、「2月3日の裁判を反対同盟としては重視する」と提起された上で、「事業認定による立ち退き攻撃、成田用水攻撃などを通した三里塚闘争破壊の攻撃だった」と総括しつつ現下の裁判をはじめとした攻撃を位置づけられ、絶対に許されないと語られました。そして「代執行を迎え撃つという闘いを展開せざるを得ない」とされた上で、「『あまりにもひどい成田の裁判』ということをそういう闘いの中で示して行き、民衆を獲得し、陣形を作って09120_6 、代執行を迎え撃つんだ」「市東さんは流血も辞さず闘い抜くと決意を述べてます。今の時点で市東さんにそういうことを言わせたら駄目なんですよ。我々が実力でもって闘うから市東さん見ていてくれ。そういう中で闘い抜いていくんじゃないのか」「そういう陣形を作って行こうよ」と厳しく三里塚陣形、支援のあり方を訴えられました。

 2月3日、三里塚反対同盟は午前9時から千葉市中央公園での集会とデモを行ってから、この日の明け渡し訴訟第1回公判(午前11時から)に臨む方針を固めておられます。関西からも全力で駆け付けましょう。

 また、この日の裁判に臨む上での要約の資料が「市東さんの農地取り上げに反対する会」ブログhttp://www.shitou-nouchi.net/2009/01/120-8fd5.htmlに掲載されておりますのでご覧ください。  

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関実・団結旗開き

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 昨日、1月18日、神戸学生青年センターで関西実行委員会の「09年団結旗開き」が、安藤真一関実事務局次長の司会で、70人余りが参加して開催されました。冒頭、4日前に亡くなられた三浦五郎さんに全体で黙祷を捧げました。

 先ず関実(主催者)を代表して永井満関実代表世話人より「今年は市東さん09118_5 の農地をめぐる決戦の年だ」「関実あげて全力で闘い抜こう」と挨拶が行われた 後、三里塚反対同盟から北原鉱治事務局長、市東孝雄さんお二人の挨拶がありました。

 10年ぶりに関西に来られた北原さんは、14年前の阪神・淡路大震災から説き起こされ、「戦争になれば労働者は食っていけるのか」「他力本願ではだめだ。自ら決起して世の中を変えなければならない」「闘わなければ生きていけない」「若い人たちの未来のために三里塚闘争を勝利させなければならない」「関西の皆さんと一緒にがんばりましょう」と呼びかけられました。

 続いて立った市東さんからは、来る新幹線の車中で反対同盟と関実の30年を超える共闘の歴史を北原さん09118_6 から聞かされたことを紹介しながら、「裁判闘争を現地での攻防と一体のものとして考えている」「少数だけれども、同盟は誰一人負けてるという感じを持っていない」 「関西から大変でしょうが3・29に結集してください」と訴えられました。

 山本善偉関実世話人の「勝利のために乾杯」という乾杯の音頭の後、賑やかな旗開きが続けられました。

 10数年ぶりに参加された部落解放同盟全国連合会の中田潔書記長、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫代表、泉州住民の会から国賀祥司泉佐野市議と年頭の決意をこめた挨拶が続く。

 とめよう戦争・百万人署名運動兵庫県連絡会の梶原さんが扇子をかざしながらのアメリカの戦争、憲法9条に関連したトーク(落語?)を披露。全学連の学生から「史上空前の大弾圧」を跳ね返しての闘いと決意が烈々と語られた。高槻医療労働組合から吉岡さんがギターを弾きな09118_7 がら自慢の歌を数曲披露。関西合同労組関トラ分会の辻本さんから報告と決意の表明が続く。

 劇団ほうき星(風をおこす女の会)が、北原事務局長も引っ張り込んでの熱演。音響がおかしくなったりのトラブルを乗り越えて、北原さんも楽しそうに(右写真)演じられた。最後に遠路参加いただいた全国連狭山支部09118_8 の井田さんから報告と挨拶が行われました。

 ここで全体が丸く輪になって肩をくみあい、反対同盟歌を全員で歌って、団結ガンバローで最後に締めて、次は、「3・15 講演とパネルの集い 米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」を成功させ、3・29三里塚現地闘争に総決起することを誓い合って旗開きを散会しました。

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1・11反対同盟旗開き 萩原進事務局次長の挨拶

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 おめでとうございます。今日は、みなさん一人ひとりが発言したくてうずうずしていると思います。それほど今日の情勢が、確実に現実の世界の中で急展開しているわけです。そういう中で旗開きを迎えられるということは、文字通り喜びを持って迎えたいという風に思います。

 反対同盟の闘争宣言、そして北原さんの発言の中に全部網羅されております。食事を前に、若干時間をいただきたいと思います。昨日の動労千葉の旗開きに参加させていただいて、盛大な旗開きを体で受け止めて、本日躍動して参加しております。

 多くの労働者が、首切りや、あるいはこの寒空に路頭に投げ出される、そうい09111_2 う時代を招いておりますけれども、今、本当に、テレビ、あるいはマスコミでいわれておりますけれども、われわれの言葉以上に過激な表現で書かれていると思います。そこで言われている「百年に一度の恐慌」だとか「かってないリストラ」いうような形で表現されておりますけれども、文字通りそういう意味では、暮れにちょっとでましたけれども、「パーフェクト スコール」という言葉で表現された記事がでました。「究極の嵐だ」と。1991年、アメリカの東海岸の沖で3つの暴風雨が重なり合って、波が30メートルを超える大波が襲ってきた。これは現実にあったことが映画にもなった。そういう形で表現されております。アメリカから発した恐慌が、ほんの2、3ヶ月の間に全世界を駆け巡って、あのトヨタが、2兆円を上回る利益を出していたのが1年で赤字に転落する。どんなマジシャンだってこんなこと出来ないですね。自分は「トヨタをぶっつぶせ」と言ってましたけれども、先にギブアップされては、まだ困るんですよね。まだまだこれから追及していく、攻撃をかけていく、そのような闘いを展開したい。

 商品が出口のないかたちで今日存在せざるを得ない。新自由主義の政策をとって、資本の新たな流動的なものとしてグローバリゼーションとかいろいろ政策をとってやってきましたけれども、みな破産したんだと。その結果が、今日こういう形で現れている。それが、全世界で同時に、そして広く表面化している。このことの現れは、資本主義の終わりが今始まったんだということを認識していいんじゃないんかという風に思います。

 であるならば、われわれの闘いをどういう形で組んでいくのか。生きるためには支配階級は、露骨な、あるいは過激な攻撃をかけてくるだろう。しかし、余裕があってわれわれに襲い掛かってくるのか。決してそうじゃない。我々42年闘い抜いて、こうやって立ってる地平というのは、最初に新たな希望を持てる年として迎えられると言いましたけれども、42年間闘い抜いた成果がほんとに現れ、出てきたんだという風に思います。こういう闘いが、あらゆる戦線が反対同盟とともに闘い抜いていただいて、しかもそういう中で、労働者である動労千葉を先頭にする労働者がこういう形で闘い抜いてきていただいた。その労働者が、今、文字通り「生きることが闘いなんだ」というところまでいきついできた。中間派的なもので生き延びようとしたって、絶対生き延びられないんですよ。資本に、権力にすがって、おこぼれをもらって生きようとしたって、もう駄目なんです。そういう時代は終わった。常識が常識じゃない、非常識が通るような時代なんですね。先に言ったけれども、あのトヨタが1年にして赤字に転落する。しかし、今までのもうけを絶対吐き出していない。彼らは彼らで生きるために隠して、労働者にやらない。そのために首切りをし、この場を逃げようとしているんですよ。彼らにその責任を一切取らせるという闘いを絶対にしなけりゃならん。それは、労働者、あるいは人民に対して、今、ここで1食の食事を与えることじゃなくてね、救済じゃないんですよ、こういう今日の事態を作ったその体制に対して、今は厳しいけれども、将来われわれは正しく、代表されるんだということを徹底的に追求していく闘いが必要なんだと。銀行が破産しそうになったとき、政府は日本の経済の中で銀行が潰れたら日本の経済はガタガタになる、労働者は明日09111_3 から食べていけませんよと言われた。しかし、そうじゃないんですよ。それにすがって行ったら、もっと上回る規模で労働者は死に押い込められる。その元を切らなければならない。我々の決意が本当に問われている。安易な妥協をしてはいけない。安易な方針を出してはいけない。文字通り、現実に即して闘い抜いていかなければならないと思います。それが42年間の教訓だという風に思います。

 そこから三里塚の現状を見た場合に、今年度は北延伸の工事が終了するんだ、来年春からの共用、成田空港は完成するんだ、日本の表玄関として存在するんだという宣伝を彼らはするだろう。またそういう形でしか言うことはできないだろう。しかし、見てください。2度も北へ、北へとおしやって、そこに滑走路を作って、そこに押し込めたのは、この間の闘いなんですよ。いわゆる「平行滑走路」といったて平行じゃないんですよ。新たな空港が別の方にできた、作らざるを得ない。本来であれば南側へもっていって、あのような誘導路なんて作る必要ないんです。あるいは、市東さんの畑、そういうものに今襲い掛かってきていますけれど、これがわれわれの闘いの真価として発揮できてるんです。こういう闘いでもって、今平行滑走路といってるけれども平行じゃない、あくまで「暫定」でしかない。こういうところに今押し込んでわれわれは勝ってるんですよ。そしてどんどんどんどん成田の空港が地盤沈下していく、それをわれわれは追及していくんだ。そして平行滑走路を切り離して廃港に持っていく。そういう闘いをやっていきたい。

 そういう中で市東さんの農地を守る闘いは、非常に大きな位置を占めている。一つは今日の司法の反動の中で、司法改革だという名の下に裁判がちゃんとした審理を行わずに、不当判決を出そうというのが三里塚の裁判で、ほんとに明らかになってきている。だって、地番が間違ってて、しかも土地収用法で取れない土地を、農地法で取る。土地収用法で取れないという、土地を取るための判決が一回出てるんですよ。取れないからと別の裁判をやる。二重の裁判をやって取り上げようとする。そのような裁判に対して、それは裁判自体がおかしいんじゃないかという、誰でもが気付くような裁判に作る。そういう司法反動に対する闘いが一つ。

 もう一つは、空港反対のスローガンである軍事空港という問題で、あの滑走路をつくらせないということでもって。成田では7月の末から9月にかけて国民保護法という名の下に5千名規模の自衛隊、警察、各自治体、そして関係の機関そういうものが集まって訓練がなされてるわけです。それとは別個に米軍が40万、50万、成田に来た時にその宿舎があるか、あるいは・・・・、そういうことが昨年の秋までに調査が行われているわけです。そういうことを市東さんは土地F を守ることをもって、あらゆる人民の戦争への動員を押さえてるんです。このことはものすごく重要なんですよ。自治体労働者、運輸労働者、医療労働者、あらゆる労働者の動員されることを、彼が土地を守ることで、一切の反動をはねのけて守ってるんだという、このことの重要性、その闘いの正当性ということがあるんですよ。

 もう一つは、土地を持つ、耕作するということ、耕作することが土地を守り抜いていくという農地法の精神の中で、それを転覆し、改悪しようとしているのが、今の通常国会で農地法の改悪を行おうとしている。このことに対する徹底的な闘いの最先頭に立っている。このことは重要です。農地は、支配者から我々農民が与えられたものじゃないんです。農民が戦後、食糧難のなかで、農民として決起して農地を自分のもの、権利として取ったんですよ。与えられたんじゃなくて、闘いによって勝ち取ったものを、今度は国のもんだというところに持って行こうとしているこういう悪辣な策動が今なされてるんです。これを徹底的に粉砕しなきゃならん。そのことは300万戸農家そのものを守る闘いとして市東さんの闘いが存在している。

 自分たちは、農地取り上げ反対と、もう一つは、結論的になっちゃいますけれども、あらゆる政策を打ち出し、実現しようとする支配階級が、これからやろうとするのは、もはや評論家も言ってますが、戦争でしかもうけが回復できないんじゃないのかいうところに右足が傾いている。一歩入ってるんですよ。それが田母神の発言とか文章とかに現れてくる。改憲と戦争と我々は対決しなけりゃならん。その闘いを勝たなきゃならん。軍事空港反対というのはそこにあるんじゃないのか。我々は農地取り上げを阻止する闘いを通してそれを阻止するんだ。そういう時代になっていく、そういう社会に対して対峙して闘っていく。恐慌と戦争、それに対して闘い抜いていく。そういう形でやっていきたいと思います。

 北海道のサミットでも、WTOでも入口で破産しちゃう。いつ再開できるかわか07830 らないという状況がある。戦争に向かっていくしかない。「足音」じゃなくて現実の意味でそういう政策をとっていくということの怖さ。それをわれわれはひしひしと感じて、捉えて闘い抜いていかなくちゃならんだろうと。今度は中国やインドが大国の間に入ってきて、WTOなんかまとまらない時代に入った。ますます全世界が一挙にそういう闘いの中に落ち込んでいく。そうであれば自分たちは、世界の労働者、農民との連帯を積極的に、そして勝利のために求めざるを得ないだろう。そういう中で、昨日は動労千葉の旗開きに参加して平成採が6人入ってきたという形で、非常にみなさん喜んでおりましたけれど、われわれは、成田、芝山の地域を限定しないで、日本の農民をどんどんどんどん獲得する。そして反対同盟に入ってもらう。そういう闘いを展開していきたい。

 韓国の農民も同じです。アメリカの農民も同じです。そういう農民と闘いを共有し連帯し闘い抜いていきたい。そういう意味では、壮大な闘いが展開される09年だという風に思います。

 そういう中で敵も必死になって空港を総仕上げしようという、そういう攻撃があろうと思います。しかし、今、市東さんの闘いとして裁判所というかたちで闘い抜いておりますけれども、現在においてはその裁判の闘争という風に見えますけれども、決してそうじゃない。現地闘争なんです。あの代執行の闘いを振り返って見ていただきたい。代執行がきましたからそこでスクラム組んで、さあ闘いました。そうじゃないでしょう。先ず砦を作ったでしょう。建物を作ったでしょう。そして我々は塹壕を掘ったんです。この塹壕はあのベトナムの農民につながるんだというかたちで、掘って掘って掘り抜いて、そして代執行を闘い抜いたんです。今、それなんです。今、裁判闘争をやってるのは、われわれはここにおいて砦を作って、城を作って、塹壕を掘って、そして市東さんの土地に手を着けるんだったら大変なことになるよという闘いを今やってるんですよ。裁判そのものとは別のことなんですよ。この闘いを粗末にしては絶対に駄目なんですよ。そういう闘いを本当に準備してコツコツと積み重ねることが必要なんですよ。正直言って市東さんの闘いは後れを取りました。慌てて慌てて、そして弁護士先生達の尻をたたいて。しかし、今、それ以上に支配者はひっくり返ったんですよ。その機に乗じて我々は突き進む必要がある。ほんとに地に足を付けて、文字通りノッシノッシと誰からもどこからも手を出せない確かなものをやっていく。そのためにも、三里塚はこういう形で労働者を先頭にしながらも、そしてあらゆる戦線とともに闘い抜き、沖縄の住民、そして関西の住民、全国の市民団体とともにあらゆる闘いを展開していきたい。それをもって09年の闘いをもう一歩飛躍して、具体的な勝利を勝ち取りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 

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1・11反対同盟旗開き 北原事務局長挨拶

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 お集まりの皆さん。こんにちは。今日、反対同盟の旗開きを開催するにあたりまして、振り返ってみると、足かけ44年目に三里塚闘争も入ります。今まで闘い続けてこれたことは、ここに集まった全国の皆さんが、一人一人、一丸となって三里塚闘争の勝利のために人生をかけて闘い抜いてくれたからです。私たちはこう思っております。

 昨年一年間を振り返ってみますと、多くのことがいろいろあります。だが43年09111_2 間の反対同盟のたたかいは、まったく一貫して闘い抜いてきた43年間であったと自負しております。

 それは常にみなさんがたの共有の闘いとして三里塚はあるからです。今年も、おそらく裁判闘争と現地闘争と熾烈を極める時期に入るでしょう。とりわけ市東孝雄の農地を取り上げる、しかもそれが農地法で取り上げるというのだから、ますます今の情勢そのものはどこへ向かっているのか、それを真剣に考えなければ日本の将来はなくなってしまうんじゃないのか、そんな感じがしてなりません。我々の手によってこのかたちを根本から変えない限り、決して人類の未来はないんじゃないか、いう風に感じられます。

 そのために今日ここに一堂に会して、そして44年目に入った三里塚闘争の勝利を目指そう。三里塚闘争だけでは勝利はできません。

 三権分立を証明する闘いは、今、全国の人民にかけられている問題ではないでしょうか。そういう意味で三権分立の証明をしっかりと代理人の方々にはたたかってもらって、そして国民が真の平和に到達するよう闘っていかなければならない、ということをお願い申し上げておきたい。

 09111_3 今日一日、現地において集会とデモ、現地闘争を闘い抜いて、今、同盟の皆さんと一緒にここに同席しています。今日一日、いろんな意見の交歓があると思いますが、是非ともその意見の交歓が三里塚勝利に結びつくような交流会であってほしいという風に考えております。

 今日、青柳晃玄さんから電話がありまして、今日是非とも参加したいんだけれども、出席ができないことを非常に残念に思っているようでした。

 今日一日、どうか三里塚闘争、全国が共有する三里塚闘争の勝利を目指すことは日本の未来を作る礎になるだろうと考えています。私も、みなさんともども年頭にあたって、闘うことを宣言して私の挨拶といたします。ありがとうございました。

(09年1月12日、三里塚芝山連合空港反対同盟旗開きでの北原鉱治事務局長の冒頭のあいさつ。1月18日の関実の団結旗開きに北原さんが久しぶりに来られます。ぜひ、お話しを伺うとともに大いに交流を楽しんでください。)

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1・11三里塚反対同盟旗開き

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 今日、11日、成田市で三里塚芝山連合空港反対同盟の新年団結旗開きが開かれました。関実の永井満代表世話人が出席し、あいさつを行いました。詳しいことは、「同盟ブログ」で報告されると思いますので、発表された闘争宣言を先ずお伝えします。

 闘争宣言

 わが反対同盟は恐慌と戦争がもたらす惨禍にこみあげる怒りをおさえること09111_2 ができない。

 資本は多くの非正規雇用の労働者を年越し前に路頭に放り出した。労働者のクビを切り賃金を引き下げる一方で、巨額の内部留保をためこんでいる。農漁民は生きる道を閉ざされ、医療・福祉の切り捨てが人々の命を奪っている。このさなかに、イスラエルは空爆と地上戦でパレスチナ人民を虐殺した。全世界で激しい怒りが渦巻いている。09年は文字通り闘いの年である。

 わが反対同盟は決意も新たに闘争を宣言する。矛盾の一切を働く者に押しつける自公政府・財界と闘い、改憲と戦争への道を阻止しよう。

 昨年、反対同盟は北延伸工事をものともせず、空港絶対反対・農地死守を不屈に貫き、空港会社と千葉県を圧倒する裁判闘争をうちぬき勝利した。

 見よ、空港のぶざまな姿を! 「へ」の字誘導路は直線化できない。欠陥だらけの北延伸は敗北の象徴である。平行滑走路は永遠に完成しない。空港会社も地元自治体・財界も、ハブ空港からの陥落と羽田の国際化にうちひしがれて、「年間飛行回数1・5倍化(30万回)」と「24時間運用」にしか生き残るすべはないと絶叫している。

 闘争43年、鍛えぬいた闘魂のもとで、わが反対同盟は自信に満ちている。

 「北延伸工事10月完成―来春共用」による生活破壊・闘争つぶしを断固とし09111_3 て粉砕する。民家上空40メートルのジェット飛行を許すな!

 裁判闘争は現地闘争と完全に一体である。収用委員会に代わって農地取り上げの前面に立つ司法反動を打ち破り、市東さんの農地を守り抜こう。

 FTAに反対し農業切り捨てと闘う農民の先頭に立ち、今通常国会における農地法改悪を阻止しよう。反対同盟は動労千葉と共に闘いとった労農連帯、沖縄や関西住民を始めとする広範な住民運動、市民運動との共闘をさらに強く発展させて闘う決意である。

 成田軍事空港建設阻止! 空港廃港へ。3・29全国集会に総決起しよう。

2009年1月11日          三里塚芝山連合空港反対同盟

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第32回 三里塚団結野菜市

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 昨日、12月27日、明石教会で第32回団結野菜市が開かれ、盛況のうちに今年最後の三里塚の取り組みが行われました。081227_2

 上の写真は、午前8時過ぎに始められた集会です。雪で名神が一部通行止めになり心配された野菜も無事に予定通りに降ろされ、各地区、団体への仕分けの準備も整った教会の庭での集会です。集会では、永井満関実代表、山本善偉世話人の挨拶の後、萩原進反対同盟事務局次長からのメッセージ(後に掲載)が紹介された後、事務局から段取りの説明が行われて、スタートしました。永井さんは「毎年言っているのだが、この野菜市が続けられているということは三里塚反対同盟の闘いが勝利しているということの証しだ」と語られた。

 各団体の分担で、野菜それぞれの仕分け作業が開始された。081227_3 住民団体などは、恒例になった落花生の仕分け。永井さん、山本さんが先頭に立っての作業が進められた。081227_4 右の写真は、豊中の皆さんの人参の仕分けの様子。教会の庭には、どんどん野菜が注文に従って、分けられていく。1時間余りでほとんどの作業が終わった。手慣れてきて、早い早い。

 多くの皆さんは、清算が終わり次第、どんどん車に積み込みそれぞれの地元に向かう。東灘区住民の会だけが、その場で配達順に箱詰めを行い、081227_5 11時にはすべてが終了。少し残っていた野菜も近所の皆さんが買い求められて完売。朝の寒さも小春日和の温かい天気に変わり、風もなく本当に楽でした。

メッセージ

 第32回の団結野菜市にお集まりのみなさん。ご苦労様です。毎年、この年末に三里塚支援のために開催し続けてこられたこの野菜市も今年で32回目と聞きます。それだけ長い期間にわたって、関西の労農学の仲間と三里塚の連帯がつづいてきたことを示すものと感謝申し上げます。また今年からは特に、関西の仲間にも産直野菜の会員になっていただき御礼の言葉もございません。今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、2008年、政府・国土交通省、空港会社の「開港30周年キャンペーン」を始めとする反対同盟破壊攻撃を完全に打ち破りました。彼らの「キャンペーン」を逆手にとって、暫定滑走路の欠陥性とぶざまさを全社会に知らしめること081227_6 ができたと考えています。

 関西の皆様の力も借りて3月、10月の全国集会では、1500人前後の人びとに結集していただき、三里塚が新たに飛躍する拠点を築けたと思います。

 市東孝雄さんの農地を守るための裁判、天神峰現闘本部を守るための裁判など多くの裁判闘争でも、空港会社、県、千葉地裁を圧倒する闘いを実現できたと考えております。一言でいって、43年間の抵抗闘争の力をはっきりと敵権力に示せた年だったのではないでしょうか。

 来る2009年ですが、08年以上にきびしい決戦の年となります。2009年10月完成とされる北延伸工事がいっそう露骨に強行されます。成田新高速鉄道081227_7 などの付帯工事も激しさを増して来ます。それに伴うキャンペーンなどが展開されるでしょう。

 さる11月17日には、生活道路を破壊するトンネルを開通させ、営農破壊に出てきました。深夜、早朝の飛行時間も延長が強行されました。アジアのハブ空港から転落し、羽田の拡張計画に戦々恐々とする地元自治体、経済団体、利権団体の連中は、暫定滑走路の3500メートル化、年間飛行回数の1.5倍化(30万回)、そして空港運用の24時間化を求めて、地域反動を組織してくるでしょう。

 来年はこれらの重層的な攻撃との激しい攻防の年になります。何年後かには081005 直面する市東さんへの農地強奪攻撃を跳ね返す実力闘争陣形を作る闘いも2009年の課題です。しかし、44年目に突入する三里塚闘争の力があれば、08年以上の勝利をかちとることは必ずできると確信しています。何よりも金融大恐慌に始まる未曾有の経済危機に対し、労働者・農民の根底的な怒りの決起が始まっています。韓国、アメリカ、ヨーロッパはじめ世界的な闘いのうねりが始まっています。三里塚は彼らと結びつき、漁民など第一次産業の勤労者とも連帯し、2009年を勝利の年にする決意です。よろしくお願いいたします。

2008年12月27日                                    三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長・萩原進

 (写真は08年10月5日の全国闘争での萩原進さん)

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暫定滑走路認可取り消し控訴審裁判を傍聴(12月17日)

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 昨日、12月17日、東京高裁で暫定滑走路認可取り消し控訴審の公判が開かれました(写真は、公判後の報告会で。中央が証言された市東孝雄さん)。

 前回、9月10日の公判で証人調べを一人も行わないまま審理を打ち切ろうとした裁判長に対して、弁護団、反対同盟は猛然と反撃し、この日の証人調べが勝ち取られた。

 京都大学大学院工学研究科の環境衛生学講座准教授の松井利仁さんが証081217_4 言に立たれた。松井さんは、日本だけでなくイギリスをはじめ各地の航空機騒音の実態の調査を手掛けられてきた。05年~06年には成田市の依頼で「成田空港周辺での騒音による生活妨害、健康被害」の1万人アンケート調査の鑑定、意見書を出されたりの具体的な疫学調査をしてこられている。

 証言の中で、航空機騒音の健康被害が、これまで、「感覚影響」「生理的影響」から考えられてきた経緯を述べられた上で、最近になってWHOでも、そうではなく「健康影響」が重大であると注目をはじめ、基準を考え始めていることを指摘された。聞きながら、1970年代の大阪空港騒音訴訟の中で、厳しい騒音被害を切々と訴える周辺住民(原告)に対して、運輸省の秋山飛行場部長(当時)が、証言台で「私は航空機の騒音が好きだ」と言い放って、騒音被害は「個人的な感覚の差」とした被告国側の主張を支持したことに、傍聴していて激しい怒りを覚えたことを思い出した。これは、長年航空機公害に関わってきた私にも、新鮮な主張です。

 そして心理的影響よりも、具体的に睡眠障害から心臓機能の弱い人などへの具体的な影響が、疫学調査で明らかになってきたことが示された。発育の阻害、幼児の育ち方、子供たちの記憶力、そして心筋梗塞などが、現在のWHO案でも、55dB(デシベル)以上で影響が確認されているとした。夜間では平均で50dBを超えると障害が。

 さらに裁判を前に、市東さん宅と島村さん宅で三日間にわたって調査した結果を述べられた。家の中で、6時半から9時ころまで、市東さん宅で80dB、島村さん宅で95dB、60dBの状態が、23000秒(6時間)以上あることなどを証言された。そして、EUですでに夜間55dBで頻繁に健康障害がおこることを環境基準とする動きがあり、早晩WHOの基準となるだろう。日本の基準がそれに準ずる事を望むと証言を結ばれた。

 続いて市東孝雄さんが証言に立って、離発着機の爆音、排気ガス。ジェットブラスト(待機中の排気ガス)。着陸機のブレーキをかけた時のゴムの焼けた臭いが排気ガスのにおいに混じって家の中に入ってくる。離発着のときは会話や電話ができない。誘導路を自走している時の騒音の方が不快感がある、などの具体的な公害の状況を訴えられた。その上で、堂本千葉県知事が視察して「こんなところは人間が住む所じゃない」と語ったことや、NAAの黒野社長の謝罪文を指摘した上で、この裁判の第一審に対して、人が病気になったり死ななければ被害を認めないなどという主張は断じて許せないと弾劾した。そして、現在進められようとしている2500メートル化、ジャンボの飛行、そして30万回、24時間化の攻撃が航空需要が伸びない中で強行されようとしていること、そして飛行時間が午前6時から午後11時に来春4月から延長されることなど、追い出そうとすることが目的としか考えられないと証言した。081217_5

 親が残した土地だ。完全無農薬農業は移れと言われても、できるものじゃない。今の場所でできる限りやっていきたい。土地収用法で取れないものを耕作者を守る農地法で取るなど絶対許せない。絶対に守る。最後は、流血を辞さず闘い抜くと、決意をこめた証言が繰り広げられた。最後に、39%の自給率しかない現状で、食の安全が社会的な問題となっている。その中で農地を奪い、農業を破壊して公共の目的など成り立つのかと裁判長に訴えて証言を終わられた。

 暫定滑走路は、今日の証言で明らかにされた住民への殺人的な犠牲の強制をはじめ、滑走路に50メートルに迫る東峰部落の開拓道路、東峰神社、そして「ヘ」の字誘導路など国際航空協定の安全基準を最初から無視して違法状態のまま開港を強行した。それ自体が、東峰部落をはじめとした住民追い出し、部落の消滅を前提としていることは明らかである。こんな横暴な国家権力による国策の強行などどうして許せようか。このことが改めて確認された裁判闘争でした。松井さんの2時間近い証言と市東さんの鮮明な、勝利感あふれる証言で、この日の法廷を圧倒しきった。

 次回公判は、3月16日(月)午後3時から、最終弁論の予定。

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12・8耕作権裁判 第9回公判傍聴報告

081208

 昨日、12月8日、市東さんの農地の「耕作権裁判」の第9回公判が開かれ、関西から2人が傍聴に参加した。

 たくさんの傍聴団(報告会で、座る席がないくらい)が詰めかける中、裁判がPhoto 開かれた。地主の藤崎が空港公団(当時)に売り渡すために作った地積測量図(84年2月作成)などによって、この間問題となっている41-9番地(右図D)が、石橋政次(元同盟副委員長)が小作として耕作していたことを地主・藤崎が認識していたことを空港会社側が認めた。そして1972年以降の耕作状況については、空港会社、市東さん双方で認識が一致していることが明らかになった。ただ、1950年当時の耕作状況として、41-9番地(右図D)を市東東市さん(孝雄さんのお父さん)が契約し、耕していた(図のCは耕していなかった)と空港会社側が固執している点が、相違点として争点化されている。

 裁判後行われた記者会見と報告会の冒頭、挨拶に立った市東孝雄さんは、以下のように述べられた(反対する会ブログより転載)。081208_2  

 「皆さん、ご苦労さまです。まだ12月は終わってないですが、今年は裁判はじめ、いろんな取り組みに、皆様の力が、本当に力になりました。それとともに、いろいろと自分の生き方を再認識させてもらう一年だったと思います。この裁判もいよいよ佳境に入ってきたかなと。押し気味になってきたんで、面白くなってきたかなあと思います。ですから、弁護士の先生方にも、もっと頑張ってもらって、一緒に闘いたいと思います。よろしくお願いします。」

 この日、次回公判が2月16日に決まったことで、1月20日の行政訴訟公判、2月3日の第2の耕作権裁判第1回公判と合わせ、わずか一ヶ月足らずのうちに3回もの公判を闘わなければならない。これがどれほどの負担になるかは、想像に難くない。しかも、この12月17日には、東京高裁で開かれる「暫定滑走路認可取り消し控訴審」で、暫定滑走路の理不尽な生活破壊の現状などについて30分にわたって立証されることになっている。正に獅子奮迅の闘いだ。先の言葉にもあるように勝利感あふれて闘っておられる市東さんの闘いを、私たちは、文字通り全力で支え抜き、勝利しなければなりま081208_4 せん。裁判が関西から遠いなどというのは、理由にはなりません。頑張りましょう。

 報告会の後、「反対する会」が主催する第4回の勉強会が「農地裁判の現段階と争点」と題して、一瀬弁護士(左下写真)を講師に、同盟の萩原進さんや鈴木謙太郎さんをはじめ30人近い参加のもと開かれました。

 3つの裁判が出そろったところで、その関係と争点を整理しようというもので、3時間にわたる熱心な討議が繰り広げられました。詳しくは、「反対する会」のブログなどに掲載されると思いますので、省略させていただきます。その上で、先述しているように、「41-9番地081208_5 」を空港会社側がこだわっているために、「畑の位置の誤認」という問題として争点化し、解約請求権の時効の問題とあいまって農業委員会の決定や知事決定の無効に行きつく可能性があることが指摘された。「安易に、1988年の市東東市さんの『同意書』に飛びついたとのだとは思うが、もうひとつ何か狙いがあるのかどうか、判然としない」と一瀬弁護士は指摘した上で、裁判としてはやはり「農地法違反」と「憲法違反」が争点の柱だと指摘された。

 

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「農地収奪を阻む」出版記念会

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 昨日、萩原進さんが三里塚闘争の今の局面への想いをこめた著作「農地収081124_3 奪を阻む」の出版記念会が、83名の参加を得て千葉の動労千葉会館で開かれた。

 関西実行委員会の永井さんが、この日の呼びかけ人を代表して、「三里塚との長い関わりを思ってしまい第1部が強く印象に残ったが、特にすがすがしさを感じた」と感想を述べながらのあいさつがされた。081124_4

 続いて、反対同盟の北原事務局長が乾杯の音頭。それからこの本が生まれた意義の大きさを語りながらの北原節。本当にうれしそうでした。

 そこから、呼びかけ人と本にかかわっ081124 た方々のあいさつが続く。農業問題の鼎談をされた匝瑳市のコメ農家・小川さんは、萩原さんとの出会い(1967年?)に触れながら、「この本は全国農民の決起の大号令だ」と。また、八郎潟の坂本さんは、「脱落と裏切りの歴史が、読んでみてよくわかった」「八郎潟でも青田刈り反対闘争で、わずか4年だったけれども、脱落と裏切りを経験した」と語られた。

 農業問題の鼎談のもうひとつ、市東さんと鈴木さんが、ともに闘う決意を込めながらのあいさつ。「市東さんの農地取り上げ081124_2 に反対する会」の共同代表・井村さんが続かれる。さらに、動労千葉顧問の中野さん、同じく委員長の田中さん、ス労自主の入江さん、群馬の青柳さん、そして反対同盟の顧問弁護団6人が葉山弁護士を先頭に全員が挨拶されるなどが次々とお祝いと決意を込めた挨拶が続いた。

 さらには、出版に携わった方や、宣伝に努力して下さった方のあいさつや紹介があった。

 続いて、現地支援の各党派からのあいさつの後、しばらく歓談。萩原さんのその場でのサインを入れた本の販売などが行われた。081124_3

 それから萩原進、静江ご夫婦が登壇し、お二人への記念品と花束の贈呈が行われたあと、進さんからお礼の言葉として書いてきた気持ちが語られた。「原則的な闘いをやってきたからこそ、今日まで闘い抜いてこれた」「現在進行中なんだ」「43年を振り返るといっても、渦中にいる自分、当事者でもあのときどうだったかと思うと、風化している。全国の人にとってもっとそうだろう」「沖縄のことが書けなかったが、本土の闘いとしてやり抜くことで沖縄と手をつないでいけると思っている」などと語られた。081124_4

 最後に、静江さんに挨拶が求められると「そんなのプログラムにないだろう」と言いながら、本当に嬉しそうのお礼の言葉を言っておられたのが印象的でした。

 本の制作を担い、この日の進行をされた三角さんが、すでに半月もしないで「2刷り」に入れたことを喜びながら、自ら宣伝と販売に駆け回り、一般の書店で売れるようにしていきたいと抱負を語られながら、この本の出版の意義を改めて強調されて、記念会を閉じられた。本当にいい記念会でした。

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食と農業・農地問題を考える 11・16集会

081116  昨日11月16日、千葉で「市東さんの農地取り上げに反対する会」が主催して、「食と農業・農地問題を考える 11・16講演&パネル・ディスカッション」が開かれ、150人が集まり、3時間半に及ぶものでしたが、緊張感のある中身の濃い集会として大成功しました。関西からも、3人が参加させていただきました。

 井村弘子「反対する会」共同代表の開会のあいさつの後、科学ジャーナリストで、市民バイオテクノロジー情報室代表の天笠啓祐さんが「穀物価格高騰と農業危機 食糧危機に脅かされる食の安全」と題して講演されました。レジメを見ただけで、「これを30分でやるの? 無理だろ~」と想わせる凄いテーマ。しかし、にこやかに笑みを浮かべながら「金融危機に至る世界、日081116_2 本政府の『解決策』」を簡潔に表現しながら「第1次産業がワーキングプアが一番多いことが問題だ」と問題点をえぐりだされる。そして「なぜ食料危機が起きたのか?」と途上国の深刻さを食料の輸出国と輸入国の対比の中から浮かび上がらせる。そして「脅かされる食の安全」を500円のコンビニ弁当1個の原料が、16万キロ(地球4周分)を運ばれていることを例に挙げながら中国と向き合った安値合戦の本質を語られた。そして「では、どうすればよいのか?」として、「国際的な途上国・貧困層との連帯」と核心を提起した上で、「代替えエネルギーではなく、地域循環型社会」「拡大から縮小へ」「ものを大切にする社会へ(『エコにだまされるな』)」、「自由経済から主権尊重へ」「人間を大切にする社会へ」と非常に判り易く考え方、あり方の基本を提示された。

  081116_4 今度は、三角忠さんがコーディネーターを務めて、反対同盟の萩原進さん、農民新聞記者の林伸子さん(全日農アルバイト)、坂本進一郎さん(秋田県大潟村農民)、そして天笠啓祐さんのパネルディスカッション。萩原さんが、「我々は大地を食べている」「作物は自分たちの子供だ」「家族農業が農業形態としてもっともいい」などと述べられた上で、労働者が自分の問題としてこの農業問題を考え共に動いていくことの重要性を提起されたが、全体の論議を非常に緊張感のあるものにしたし、市東さんの厳しい決意に全体をひっぱって行った。全体的にも、多くの貴重な示唆に富んだ論議