2021年7月 8日 (木)

桑原重夫さん、ご逝去 95歳

元日本基督教団摂津富田教会の牧師、桑原重夫さんが、去る6月22日、心不全で逝去されていたことが、朝日新聞Digital版に報じられていたことが判りました。95歳だったようです。1975年の韓国政府による「学園浸透スパイ事件」によるでっち上げで多くの在日韓国人留学生が逮捕されたことに対する救援運動「11・22救援会」の事務局長を務めた。

1960年代後半、靖国神社法案の反対運動や、万博キリスト教館出展反対運動などの先頭に立ち、また天皇制やキリスト教界での戦争責任問題などに重要な論陣を張られていた。そして私たち三里塚関西実行委員会の闘いにも全面的な支持をくださり、結成当初から許される限りの集会に参加され、激励の言葉をいただいた。

心からのご冥福をお祈りいたします。2178

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2020年2月19日 (水)

羽田空港の新しい飛行コース

今朝の朝日新聞に『羽田新ルート 住民に不安』の記事を見ながら、朝っぱらから気分が悪い。
オリンピックによる海外からの「旅行客」の増加に見合う羽田・成田の便数を一気に増やすために、成田では昨年10月27日から、空港の運行供用時間が午後11時までだったものが翌午前0時半まで延長された一方で、羽田で記事の写真にあるように人口密集地帯である品川などの上空から低高度で着陸してくるコースと川崎市上空を離陸するコースが、この3月29日から運用開始されるにあたっての試験飛行が終わったことを伝える記事だ。
当然のことながら成田では、夜間の睡眠が妨げられ住民の苦情が出ている。そして品川区を中心にその凄まじい騒音に驚いた住民の声が、この記事では紹介されている。以前、沖縄の普天間基地の騒音訴訟に携わっている人と話し合った時に、彼が「航空機の騒音は、なってみないとわからないというのが難しいところだ。なる前にやめさせるのがいいのだが」と語ってくれた。
しかし、国、安倍政権は、委細お構いなくこの成田、羽田の事態をオリンピックを口実に住民に一方的に強制している。2030年代に、羽田、成田の首都圏空港でアジアのハブ空港化を目指している安倍政権は、この事態をオリンピック後にも引き続き住民に強制しようとしているのだ。
そもそも羽田の場合のこの窮屈な飛行コースが突然出てきたのは、首都圏の西側に米軍横田基地の存在による巨大な米軍横田空域が存在し、それが壁となって羽田の西側からの着陸コースや西側への離陸コースがほとんど確保できないということが最大の原因である。安倍政権と歴代の自民党政権は日米安保条約を前提化するために、日米地位協定による米軍の自由気ままな運用、運航を認めてきた。厚木基地や沖縄の嘉手納、普天間基地の深刻な騒音被害もこのために放置されたままになって、住民の深刻な生命、健康の被害が放置されてきているのだ。裁判所は、いずれも日米安保条約を理由に、今に至るも住民の訴えを門前払いにしているのだ。
私たちは1970年代、関西空港の建設に反対する(私の場合は、1970年ころ最有力と言われた神戸沖建設に反対して立ち上がった)行動の中で、当時、関西での最大の関心事になっていた大阪空港周辺の住民の騒音被害の深刻さに注目し、それを支援する行動の中で多くのことを学んで、自らの空港反対の根拠の一つとしてきた。大阪空港周辺ではいったんは地裁、高裁段階で住民が勝利しながら、空港の公共性を盾に最高裁で敗訴した。しかし、その過程を通し、内陸空港の限界が社会的に認知され、大阪空港の供用時間が午前7時から午後9時までと大幅に縮小された(現在も)。また川西市の久代地区や豊中市の服部地区など(森友事件の原因となった)は、多額の補償金のもとに移転が行われ、人が住めない地域となった。そして、このことがそれ以降の空港周辺での一つの基準とされていった。成田空港の開港が強行された1978年もその直後であり、この規制が不十分とはいえ適用されていたのだ。
それが、安倍政権の下で人がどうなろうが「自己責任」だと言われ、様々な犠牲が住民に強制される時代となってしまった。今回の羽田をめぐる事態、オリンピックを口実とした住民の犠牲、生活と健康被害を前提とした羽田空港の運用とはそういう事態なのだ。50年前の大阪空港周辺の住民の怒りの声を反映した新聞やテレビ、マスコミの姿勢は、今ではかけらも見られない。以前からの大田区の住民の声も無視し続けられてきたが、今回の品川や川崎の住民の声もそうなるのだろうか。
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2016年9月 6日 (火)

この国の農政=農業破壊を断じて許すな!

 農地を奪い、農民からくらしを奪う
この国の農政=農業破壊を断じて許すな!

 三里塚闘争50年

 三里塚闘争は50年の長きにわたり闘いぬき、先日、50周年の集会が成功した。その詳しい報告は、当ニュースの他の稿に譲るが、そこで関西実行委員会からの挨拶や決意表明がなかったことが、関実内外から問われた。また批判の声も聞く。永井代表、山本世話人、そして安藤、私の両事務局次長がそろって参加していたこともあり、その人々には奇異に映ったのだろう。

 3月27日のあの成田市での集会で萩原富夫さんが反対同盟を代表して「50年を期して、分裂などの過去の壁を乗り越え、新たなうねりの中から市東さんへの農地強奪の攻撃をはねかえそう」という趣旨の提起を行った。

 この鮮烈な提起を聞いた時、私は、50周年の集会に「従来の枠組み」にこだわる必要はないと思った。残念ながら「7・3東京集会」はそうした準備の時間も討論もなく行われたために、基本的には「従来の枠組み」を引きずりながら、しかし、萩原さん、反対同盟の想いを反映したものとなった。それを支えるために、「時間もない」こともあり、私は関西実行委員会の発言を配慮することはないことを関実事務局会議の決定とし、反対同盟に事前に申し入れていたのです。私たちは、3・27の反対同盟の決意を反映し、新たなうねりを生み出すことをもって、私たちの三里塚闘争への新たな決意、反対同盟への連帯の想いとしようと決断したのです。

 市東さんの農地を守ろう
今、三里塚闘争は、市東さんの農地をめぐり農地法裁判の最高裁決定がいつ出されるか、また、それに引きずられる形で耕作権裁判、あるいは新やぐら裁判がどう進むか、まさに重大な決戦局面にある。同時に「東京オリンピック」を口実とした成田空港の増便、規制の緩和が目論まれており、さらには第
3滑走路の建設、暫定滑走路のさらなる北延伸までもが具体的な過程に入ってきた。

 参議院選挙の結果としての安倍政権による沖縄・高江、辺野古への襲撃的工事強行、あるいは原発再稼働への前かがみな突入。そして改憲攻撃。こうした反動的な安倍政権の攻撃の中の一つとして、三里塚への攻撃が強まっていることをみなければならないだろう。

 その敵の攻撃を前に、三里塚が、従来のままの枠組みにしがみつき、あるいは「スローガン」を徒に叫んでいるだけのものでは、どうにもならないことは余りにも明らかだろう。

 今、私たちは改めて三里塚闘争を多くの人々に訴えることが必要となっているのではないか。

 農民殺しの農政

 三里塚への1966年閣議決定の攻撃は、そのまえの富里空港攻撃と一体のものです。

自民党政権は、1961年の農業基本法で、第1に農家戸数を減らし、農家一戸当たりの経営規模の拡大。第2に「選択的拡大」、単作化への方向付け。第3に生産性の向上を打ち出した。農地法の改悪により農業への企業、法人の参加への道を開いてさらに悪化したとはいえ、この流れは基本的には今日のTPP攻撃に至るまで一つの流れです。それは今日あけすけに語られている「もう農民はいらない」「儲かるものをつくればいい」という流れとして、1960年代に開始された農業切り捨ての流れなのです。だからこそあの機動隊を前面に出した攻撃が起こったのです。

今日、沖縄・高江に全国の機動隊が500人という規模であれ襲い掛かっている。当時、三里塚には全国から1万人を超える機動隊が集められ、傍若無人の襲撃を行った。今も、空港警備隊は全国からの1500人の動員で維持されていると聞く。このことの異常さを今、私たちは沖縄・高江の皆さんの怒りの声で改めて教わっているのではないか。

農民切り捨て、農業切り捨て、そして農地強奪。このことの決定的理不尽さ、暴虐を今一度問わなければならないのではないだろうか。今回の参議院選挙でも、TPPをめぐって争われた東北各県と北海道などでは自民党を打倒したではないか。

TPPの国会批准を許すな

今、三里塚で、萩原さんと市東さんが、柳川さん、島村さん、小泉さん、石井さんなどが農業を続けて行けるかどうか。北総の豊かな大地に、土に魅せられた若い人たちの農業への新たな参入があるとも聞く。こうしたさまざまな農民が生きて行く、農業の新しい在り方が、実は必要とされているのではないだろうか。三里塚闘争とは、そうした本来あるべき農業、農民の生き方を潰そうとしてきた国家権力との闘いではなかったのか。もちろん、ベトナム戦争の時代として「戦争反対」「軍事空港反対」の流れが強く反映した闘いとなったのも事実だが。

もちろんTPP反対がもはや農業だけではなく、医療や労使関係など様々な分野での新自由主義との闘いとなっている。しかし、農業、食糧の問題として非常に重要であることにはかわりはない。少なくとも「農民はいらない」「食糧は輸入すればいい」などという論理がまかり通るようなことがあってはならないことは自明の問題ではないのか。

TPPの国会批准が叫ばれるこの重大な局面でこそ、三里塚闘争に込められた農業のこうした課題を、今一度、私たち自身の軸に据えきって、たたかいの方向を定めなければならないのではないか。それができるとき、はじめて「沖縄、福島とともにたたかう」多くの人々との共闘の輪ができてくるのではないだろうか。

この秋の取り組みを、その第一歩としよう。9月7日、最高裁へのデモ、署名の第3次提出行動、10月9日、三里塚現地全国総決起集会、そして9月26日、新やぐら裁判、10月17日、耕作権裁判の傍聴に。

               関実事務局  松原康彦
           (関実ニュース 第157号より転載)

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2015年12月 4日 (金)

「国策」をふりかざした 住民犠牲の強制を許すな!

関実ニュース154号より転載

 50年目を迎えた三里塚

 三里塚農民による「成田空港反対闘争」が、1966年以来50年目に入っています。北総台地に住み農業を営む農民が50年もたたかいつづけ、空港(国策)の完成を阻み続けていることそれ自体が驚異的であるとともに、素晴らしいことです。
 11月22日、大阪であった集会で、沖縄の彫刻家の金城実さんが、「人間の誇りを奪われることへの怒りが沖縄のたたかいにあることが、大きな広がり、『オール沖縄』と言われるものを生んだ」と語っておられた。
 「空港を理由に農地を奪う」ことが、「農地はいのち」と、土を耕してきた農民の人間としての誇りを奪うものでしかなかったがゆえに、市東さんは2代目に、萩原さんは3代目にたたかいが引き継がれ、50年にわたってたたかい継がれてきたのではないか。三里塚闘争は「反戦の砦」として全国の市民、労働者、学生の主体的な取り組みによって、全国闘争としてのたたかいの歴史を作り上げてきたことはたしかですが、この農民の想いとあり方の大切さを今こそ、私たちは見据えなければならないのではないだろうか。そのことが沖縄の人々の想いに、そして福島の原発事故被害者、避難者をはじめとした人々の想いに通じていくのではないだろうか。
 ところが国、安倍政権は、「担い手農業」「集約化」の掛け声のもとに農地法の改悪、農地の流動化=小農・家族農業の解体へと大きく舵を切り、その流れの中で、空港敷地内に住む市東孝雄さんの農地を国策(成田空港の完成、拡張)の名によって奪おうとしています。土地収用法では強奪できないところに追い込まれた国は、司法の力を使って農地法を無視し、違法・不当な千葉地裁の多見谷裁判長による反動判決を東京高裁も引き継ぎ、当然の審理をもすることなく判決を強行しました(6月12日)。

 5万人署名の実現で市東さんの農地を守ろう

 この流れの中で最高裁の判断を待つ限りは結論はあまりにも見え見えでしょう。いま必要なのは、こうした国の流れに対する私たちの側のたたかいの高揚の力しかありません。反対同盟が訴えている最高裁への5万人署名が決定的に重要となっています。
 さらに農地法裁判と一体になっている同じ農地をめぐる耕作権裁判が現在千葉地裁で争われています。裁判提訴自体は「市東さんの耕作が不法だ」とする許せないものですが、農地法裁判で争点としきれなかった空港会社・国側の偽証をはじめとした違法・不法が明らかにされつつあります。これもまた、裁判所である以上、最高裁と同様、たたかいの高揚なくして期待することはできません。耕作権裁判の傍聴闘争をはじめとした「市東さんの農地を守ろう」という大きな声が裁判所を包囲することが必要であることはいうまでもありません。

 空港の拡張・増便による騒音被害の拡大を許すな

 さらに国、安倍政権は東京オリンピックや「観光立国」を口実として、首都圏空港(羽田と成田)容量の拡大を叫んでいます。具体的には、成田空港に関して離発着する航空機の間隔の縮小と、午後11時以降の飛行禁止規制の緩和・撤廃を行うことで、離発着する航空機の便数の大幅な増加をたくらんでいます。今年7月東京高裁の判決で受忍限度を超えるとして住民の訴えを認めた厚木基地の騒音被害の10倍近い騒音被害が現状の成田空港周辺で起こっていることが、航空機騒音被害問題の専門家から指摘されています。この現状からさらに4割も5割も増便すれば、しかもそれが夜間に拡大されれば、その被害がさらに深刻なことになることは確実です。
11124 しかも国、安倍政権は、こうした増便にとどまらず、さらに増便を可能にするために、東京オリンピック以降2030年をめどに3本目の滑走路の新設を目論んでいます。これは騒音問題の更なる深刻化、住民切り捨てを招くことは火を見るよりも明らかです。その上、この計画は、さらなる周辺住民、農民からの土地、農地の強奪を前提としています。それは、現在、空港敷地内に住み、農業を続ける市東さんをはじめとした農民をたたきだし、50年続いてきたたたかいを根絶やしにすることなしには不可能です。

 「農地はいのち」この声を 沖縄・福島とともに守ろう

 市東さんをはじめ三里塚反対同盟のみなさんは、「農地はいのち」だとして周辺住民に農地裁判を訴え、5万人署名への協力を求めて語りかけています。そして、こうした理不尽きわまる「国策」「成田空港の拡張」を口実とした地域住民の切り捨てに強く反対し、騒音問題に悩む住民の人々とのあらたな共同のたたかいを作って行こうと取り組みをはじめています。
 私たちは、沖縄の辺野古新基地建設反対のオール沖縄の取り組みへの共感と共闘を持たねばなりません。そして収束することのない福島原発事故に怒り、苦しむ福島のみなさんのたたかいを「福島を忘れてはならない」としてともにたたかい、原発再稼働反対のたたかいの中に活かしていかなければなりません。そして、私たちは、50年かけて闘いぬかれているこの市東さんをはじめとした三里塚のたたかいを、この沖縄・福島と連帯・共闘するたたかいの中から大きく支え抜かねばなりません。
 来春3月、成田市で取り組まれる予定の全国集会、そして50周年を期して首都圏に打って出ようとする反対同盟農民のたたかいに、ともに立ちあがろうではありませんか。
                    (関実事務局  松原康彦)

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2015年11月29日 (日)

農民作家・山下惣一さんの講演

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 昨日(11月28日)、西宮で「市民の力で社会を変えよう! 第4期 連続市民講座」で農民作家の山下惣一さんを講師に『農業の株式会社化は農業を壊滅させる -日本農業の再生は小農立国にあり-』と題する講演会が開かれました。
 会場には主催者の予想を超える60人余りのみなさんが集まられ、慌てて椅子を持ち込む状態に。

 151128_2山下惣一さんは、先ず参加者から「どういう話しを聞きたいですか」と問い、会場から希望が。そのうえで、最近の農政が進める「農地中間管理機構」の話などから話された。
 そしてご自身が農業を継いできた想いとして、農家とは「家」であり、一族の拠点だとされた上で、家族農業が「くらしを目的とする」自給農家は減っていないが、時代の流れとして「もうかることを目的とする」販売農家は減少している。
 そもそも国は「担い手農家」をいい続けているが、その延長として今、株式会社化がいわれている。日本全体で企業といわれるものが125万社あるが、100年続いているのはわずか2%足らずであり、残りのうちの80%が創業者一代で終わっていることが明らかにされていることを紹介し、「続くことが目的」である農業が一代で終わっていいのかと。
 株式会社になる農業とは、単作で大規模化を目指すが、それでは地域社会は成り立たないなどと話された。

 参加者のみなさんからも熱心な質問が続き、終了時間をオーバー。終わってからの懇談会に20人近くがその場に残り、さらに1時間余りの懇談が続けられました。

 農業経験者がほとんどいないこの地で、みなさんが熱心に山下さんの話しを聞き、交流しておられるのに想いを新たにしました。お世話くださった、連続市民講座実行委員会のみなさん。ご苦労様でした。

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2015年3月 1日 (日)

早期結審策動許さず、3・4東京高裁へ

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尼崎・伊丹実行委員会『抵抗の旗』より転載。

「三里塚農地裁判は、いま」学習会を開催
      3月の決意固める

 2月15日、大阪市内に反対同盟市東孝雄さんと顧問弁護団の一瀬敬一郎弁護士を招き、2回目の学習会が開催されました。

 安倍反動政権に怒り

 最初に関西実行委の山本世話人の主催者あいさつ。氏は1985年5月8日ドイツの敗戦40周年にあたって、当時の西ドイツ大統領R/ワイツゼッカー氏が行った演説で「過去に目を閉じる者は、現在に盲目になる」と先の侵略戦争を反省し、非戦を誓ったことを引き合いに出し、これとは真逆の安倍政権の戦争政治を厳しく弾劾しました。
 そしてこの学習会でさらに裁判闘争の「今」を学び、3・4東京高裁から3・29全国闘争(成田市内)に結集する決意を明らかにしました。94歳にしてこれらの提起と行動力にはただただ頭が下がるばかりです。

 「すがすがしい」発言

 続いて当該の市東孝雄さんからは、スライド上映で、耕作農地や農業施設などの説明がありました。そして「私からこの農地を取り上げるということは農業をやめろということ」と農地取り上げの不当性と非人間性を訴えました。
 この間、市東さんの集会などでの発言はいつも「すがすがしい」と感じています。それはこの裁判に負けたら何か生活の一部の権利だけが奪われるというのではなく、全生活が奪われることを覚悟したうえで「絶対に負けない」という究極的決意を表す迷いのない発言だからこそ「すがすがしい」と感じるのではないでしょうか。
 様々な嫌がらせなどにも屈せず闘い続ける市東さんの姿には、いつもこちらが身の引き締まる思いです。私たちは市東さんを絶対孤立させてはなりません。親子三代百年の月日を費やした有機農地を必ず守り抜きましょう。

 空港会社に資格なし

 15215_2そして顧問弁護団一の熱弁家で知られる一瀬弁護士の裁判報告になりました。氏は、旧地主と空港公団(当時)との売買契約は農地法3条に違反して無効であること、そのため現空港会社には契約解除を要求する資格がないことなどを強調しました。その他法律の詳しい内容の話しになると私たちには少し難しいところもありました。
 ところでここでも氏は熱弁ぶりを発揮して、60名ほどの小さな学習会にもかかわらず、まるで大集会のアジテーションのような口調になっていき少し可笑しかったです。そして最後も「(裁判傍聴を)これまでの数倍する結集を!」と締めくくり、私たちにカツを入れました。

 その後場所を変えて交流会になり、(私は)たまたま市東さんの隣になり、手のひらを見せてもらったのですが、その硬さにびっくり! 日々黙々と農作業を続けている姿が目に浮かびました。この人から農地を取り上げるなど絶対に許さないとあらためて思いました。

 この3月、3・4から3・29への決意を固めた学習会でした。

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2013年12月17日 (火)

市東さんの農地を守り抜こう

市東さんの農地を守り抜こう
来春3・26控訴審(東京高裁)始まる
-10・20荒天をものともせず全国集会闘いぬかれる

 去る10月20日、三里塚全国集会が現地、東峰部落の萩原さんの畑を会場に開催されました。折悪く激しい風雨に見舞われましたが、それをものともせず、集会は進められました。原発事故のため、田畑を失い、故郷を負われた福島の農民の方々が参加され、「農地を失ってはならない」と怒りをこめて訴えられたのが強く印象に残りました。
 反対同盟の北原事務局長の主催者の挨拶の後、動労千葉の田中委員長に続いて、関西住民団体を代表して私が、「市東さんの農地を守る闘いに関西住民は全力で起つ」と決意表明し、成田空港会社の悪辣な土地取り上げ策動とそれを援ける国交省、裁判所一体の攻撃に屈せず、敢然と闘い抜く市東さんの闘い、を全力で支え、共に闘うことをあらためて決意表明しました。

         *         *

 今を去る、40余年前、関西新空港を淡路島に建設する案が持ち上がった時、反対運動に立ち上がった私たちを支援するために、戸村委員長、北原事務局長を先頭に三里塚反対同盟の方々が淡路島に駆けつけてくださいました。それに励まされ、「淡路を第二の三里塚に!」をスローガンに、私たちは空港絶対反対の闘いに立ち上がり、勝利したのでした。

         *         *

 いま、成田空港会社はアジアのハブ空港、B_2中心としての地位を韓国のインチョン空港やシンガポールに奪われまいとして、また有事の際の米軍の軍事空港として必要として、空港の拡張-滑走路の増設、24時間化を推し進めています。これに対して周辺住民の人たちから、深夜・早朝の騒音に対して抗議運動が起こっています。祖父の代から100年近くも営々として農業を営んできた市東さんの農地に「不法耕作」など、あらぬ言いがかりをつけてこれを奪おうとするのもその一環です。(右写真は、成田空港B滑走路とその周辺。白線矢印の白線囲み部分が奪われようとしている市東さんの農地など)
 空港会社の悪辣な攻撃をはね返し、断固として闘う農民・市東さんの闘いを全力で支援したいと思います。

                 淡路町空港反対同盟代表  永井 満
(淡路町反対同盟2013年12月15日発行『空港反対新聞』第239号より転載)

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2011年1月 4日 (火)

尼崎・伊丹実行委 「抵抗の旗」 第250号より

沖縄との絆を強め市東さんの農地を守ろう!

第3誘導路許すな!

新たな関空闘争で橋下反動政治を打倒しよう!

 謹賀新年

 中国漁船衝突事件や朝鮮半島をめぐる緊迫した情勢の中、新年を迎えました。ふりかえれば昨年は三里塚と沖縄が固く結ばれた一年でした。まさに農地死守、実力闘争の三里塚と基地撤去を闘う沖縄が共通の目的を持った闘いとして飛躍していくような時が到来しようとしているのではないでしょうか。

 今年も尼崎・伊丹実行委各人、深酒を慎み、体調を整えて頑張りますので、一層のご指導よろしくお願いいたします。

叩き出しが狙い

 Photo 今三里塚現地ではNAA(成田空港会社)が第3誘導路工事のために、市東さん宅すぐ横の県道(取香2号線)の切り回し道路(右写真のA-Bの間の下側)への切り替えをこの1月と通告してきました。従来の団結街道を通ればすぐに自分の畑に行けるのに、NAAは昨年6月28日に闇討ち的に閉鎖を強行し(左下写真)、今度は危険な迂回道路を通ることを強制してきたのです(右写真矢印)。工事の騒音や振動だけでも大問題なのに、この仕打ちは市東さんに対するまさに営農破壊、人権侵害以外の何ものでもありません。断じて許されません。

 それにこの第3誘導路は仮に完成したとしても、第1誘導路の「への字」を通らねばならず、誘導路としての欠陥はそのまま残り、空港機能が「改善」されたことには全くならないのです。先の第2誘導路も距離が長すぎるという欠陥と滑走路上空の直下を2回も潜らなければならないという危険極まりない代物のためほとんど使い物になっていないのが現状です。05 結局は東峰部落の生活の糧であった東峰の森を破壊し、住民を部落から追い出すことがその目的であったことが明らかになりましたが、この第3誘導路も市東さんをたたき出すための工事であることは明白です。こんな理不尽をどうして許せるでしょうか!

 関西の私たちもこの第3誘導路阻止を反対同盟と共に闘いましょう。そして多くの裁判闘争も可能な限り結集を勝ち取り、実力闘争として闘いぬく1年にしましょう。

新たな関空闘争がスタート

 101121 昨年11月21日、一昨年秋に発足した「大阪の海と空を戦争に使わせない会」と兵庫の住民3団体が主催して、大阪の中心部で久しぶりに関西空港反対集会とデモが勝ち取られました。この間、組織的な混乱もあり闘争が取り組めませんでしたが、ついに新たなスタートラインに立つことができたのです。結集した皆さん、そして発言者もそれぞれ意気揚々、この再出発を喜びました。とりわけこれからの関空闘争が「橋下打倒」の大きなカギとなる闘いであることが確認されました。

橋下知事の暴走許すな

 関西空港は「軍事使用はしない」という約束で建設されました。(無論その約束の信憑性に疑問を抱き長年闘ってきましたが・・)しかし、残念ながら幾度か自衛隊員の海外派兵などに使われ、私たちはそのつど弾劾してきました。これからも軍事使用されないよう監視しなければなりません。

 そんな緊張関係で推移してきたにもかかわらず、今回の普天間の基地機能の一部移設に関して橋下知事はいの一番に手をあげ、「沖縄の痛みを関西も分かちあうべき」といとも簡単に表明しました。彼には「軍事使用しない」ことの重みなどはなから念頭にないのでしょう。しかし知事のどんな権限でそんなことができるのか全く理解できません。さも沖縄の負担軽減のポーズをとっていますが、事実は莫大な借金を抱える関空の帳尻合わせがその狙いです。その証拠に、伊丹との統合案が現実味を帯び、伊丹の黒字が利用できる可能性がでてくると、仲井真沖縄県知事の移設要請にも「神戸空港がよい、私も一緒に行ってあげる」ところりと話をすり替える始末です。戦争(大量無差別殺人だ!)に直結する基地問題をもてあそぶ橋下は絶対に許せない。

 そもそも橋下には知事という役職が、府民の生活を守るべき最大の責任者であるという自覚など全くなく、「私が大阪府の社長だ。その私の方針に従えないものはやめてもらって結構」とまさに公僕とは思えないとんでもない発言をして平然としています。一般社会の社長でもこんな発言をすれば大問題です。しかし、そのタレントとしての知名度を背景に支持を拡大し、暴言暴走を繰り返しています。

 私たちは、今こそこのような独裁政治を徹底弾劾し、新たな関空闘争の発展と大阪港軍港化阻止の闘い、そして差別教育反対の闘いなど様々な分野で反動攻撃を強める橋下と対決していきましょう。

                    (2011年1月1日)

 

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2010年9月 8日 (水)

9・19から10・10へ 沖縄と三里塚を結ぶ

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 東灘区住民の会のニュース 「おしらせ」第81号が発行されました。その記事を転載します。(最初の写真は、9万人が結集した4・25沖縄県民大会)

 民主党の菅と小沢の権力争いにマスコミは注目させようとしていますが、この流れは、いずれが勝ちを収めようと、昨年の8・30で私たちが勝ち取った道筋を何とかご破算にしようとするうごめきに見えるのですがいかがでしょうか。消費税増税、日米合意、この争点が、そのことを物語ってはいないでしょうか。
 私たちは、このような姑息な、反動的なうごめきを断じて許さず、沖縄のみなさんと三里塚、岩国をはじめとした反基地・軍事空港反対をたたかうみなさんと一緒に、今こそ、「日米安保体制はいらない」の声を上げなければならないのではないでしょうか。

 基地撤去こそ沖縄の民意
 8・30の政権交代を受けて、沖縄のみなさんはこの1年全力で闘いぬいてこられました。
 昨年11月8日の2万1千人を集めた県民集会。そして今年に入って、1月24日、辺野古新基地建設反対を掲げた稲峰進名護市長の誕生。3月、沖縄県議会の全員一致による「普天間基地の県外移設」決議。4月25日には、仲井真知事をも出席させて9万人の県民集会が、基地撤去を求めたのです。そして、今なお84%にのぼる県民が、普天間基地の県外、国外移設を求めているのです。これ以上に明確な「民意」はあるでしょうか。いかに国であろうと、この「民意」を無視したいかなる決定も許されません。それが民主主義ではないでしょうか。
 10623 にもかかわらず、鳩山前首相は、自らの「少なくとも県外」という約束をも反故にし、この「民意」を無視して「辺野古に新基地建設」なる日米合意を5月28日に強行しました。
 これに対し、沖縄のみなさんは、この5月28日を、第2の琉球処分といわれる沖縄の米軍支配を前提とした日本が独立した1948年4月28日を第1の「屈辱の日」とするならば「第2の屈辱の日」だと言っておられます。あるいは「第4の琉球処分」と。(右写真は、6月23日、摩文仁で菅首相の沖縄慰霊式典への出席に抗議するみなさん)
 私たちは、この沖縄のみなさんの腹の底からの怒りを、私たちヤマトに対する糾弾を、当然のことと受け止めなければならないのではないでしょうか。沖縄の知花昌一さんは、「もう日本の政治にも、運動にも一喜一憂しない」「期待しない」と言い切られました(8・6平和の夕べ)。
 そもそも、日米合意を進めようとする鳩山や菅の「抑止力」というのはまったくのデタラメです。彼らはその根拠として「中国の脅威」「北朝鮮の脅威」と口にしますが、そんな言葉を「抑止力」論議を支持する財界人も、アメリカの政財界も本気では信じていません。何よりも、中国経済の前進、繁栄抜きに日本もアメリカも経済的にも政治的にももたないことは、衆目の一致するところです。また、北朝鮮の貧弱な軍事力で日米の巨大な軍事力に対抗するなどあり得ようもないことは、今や世界の常識です。ただただアメリカの巨大な産軍複合の政治・経済とそれに群がる日本財界が、「抑止力」論議を必要としているだけです。「核なき世界」を標榜したはずのオバマ政権の今年度の核予算が、ブッシュ時代を超えて最大規模となていることが、そのことを何よりも物語っています。
 今こそ、このでたらめ極まる「抑止力」論議を可能とする日米安保体制そのものをなくしてしまうことが本当に求められています。
 沖縄の「民意」を守り、基地撤去の道筋を求めて現在、名護市議選(9月12日投票)、そして県知事選(11月28日投票)に向けて、ヤマトの政財界あげての妨害(巨大な金の流れ)に抗して闘いぬいておられる沖縄のみなさんと、私たちヤマトの民衆がどうやればともに歩み、ともに平和を守ることができるかなのです。

 三里塚農民への襲撃を許すな
 他方、成田空港がある三里塚では、6月28日、夜陰に乗じて団結街道の閉鎖が強行され(下写真)、7月26日には、反対同盟も支援も裁判にでかけ現地がもぬけの殻となったのを狙って市東さんの農地をフェンスで囲い込む襲撃が行われました。10731 いずれも、機動隊に守られた民間企業・成田空港会社(NAA)による暴挙です。その理由は、農民・市東孝雄さんの営農と生活が成田空港の拡張、「ハブ化」を阻んでいるから叩き出そうというのです。こんな人権侵害が許されるでしょうか。
 日本の航空政策は、世界の航空自由化の流れに乗り遅れ、韓国の仁川(インチョン)空港に象徴されるアジアのハブ空港化の流れに取り残されています。それは日本航空の破たんとなって表面化しました。これは、アメリカの巨大な産軍複合の力に依拠し、日米安保体制の傘のもとに生き残ろうとしてきた根幹が揺るがされていることを示しています。
 農地強奪に反対し、軍事空港化に反対して44年間闘いぬかれてきた「反戦の砦」といわれる三里塚闘争こそは、民衆の側から、日米安保のもとでのこの日本の政治にこのことを強制してきた闘いなのです。
 そうであるだけに、国も、空港会社も、成田空港が44年もたってなお完成しない、市東さんの営農と生活によって阻まれ続けていることに我慢がならないのです。それが、先に述べた許しがたい人権侵害の根拠です。
 これは日米合意による沖縄への新基地押し付けと全く同じ問題です。実は、つい先日、中国電力による原子力発電所の建設に反対して28年間闘われている山口県上関(祝島)で、夜陰に乗じた工事の強行(9月1日)がありました。また、厚木基地から米軍艦載機部隊の移駐に反対して町ぐるみで闘っている岩国に対して、移駐する米軍のための住宅建設を目指して199億円もの防衛予算が民主党政権によって今年、確保されています。これらはすべて同じ根から出てきているのではないでしょうか。日米安保体制をなくさない限り、このように「民意」は無視され、私たちの生活は、平和は脅かされ続けるのです。これは、沖縄のみなさんの問題ではなく、私たち自身、ヤマトの問題なのです。

 9・19関西集会に集まろう
 日米安保条約そのものの是非は別にしても、1980年代末の世界の冷戦構造の崩壊、そしてソ連の倒壊は、少なくとも日米安保体制を終わらせるべき責任を私たちヤマトに負わせていたのです。それができず、今、あらためて第4の琉球処分が言われ、三里塚への人権侵害がその故に行われようとしている時、私たちに残された最後のチャンスではないでしょうか。三里塚と沖縄を結び、「日米安保体制はもういらない」という動きを始めるべき時ではないでしょうか。
 住民が日に150台もの車の通行で使い、市東さんが毎日の営農のために日に4度も5度も使っている道路を、たとえ成田市が市道であることを廃止しようと、道路であることを廃止することは住民の生活権を保証した道路法によってできません。成田市にその道路を空港会社に売る権利も資格もありません。ましてや、民間企業でしかない空港会社が、違法に取得した道路を閉鎖するなど論外であり、道路法だけでなく、生活権を保障した憲法に違反する行為です。Photo
 国や、国に従う民間企業が、こんな乱暴なしたい放題をすることを許していてはなりません。その根拠が日米安保体制なのですから、それも必要もなくなった日米安保体制なのですからやめるべきではないでしょうか。
 9月19日、大阪市立中央会館で開かれる「三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」で、沖縄・名護のヘリ基地反対協の共同代表である安次富(あしとみ)浩さんのお話しと、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長の萩原進さんのお話しから、こうしたことを考えてみませんか。ぜひ、お出でください。そして、10・10三里塚現地に行きましょう。

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2010年9月 7日 (火)

9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会の成功を!

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 尼崎・伊丹実行委員会のニュース 「抵抗の旗」第248号に、以下の記事が掲載されましたので転載いたします。

フェンス囲い込み弾劾! 市東さんの農地を守ろう!

10・10三里塚へ! 9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会の成功を!

 7月26日、NAAは市東孝雄さんの南台の畑をフェンスで取り囲むという暴挙に出ました。この日はまさにその畑が「不法耕作」とでっちあげられた裁判の公判闘争のため、反対同盟のみなさんや支援の大半が千葉地裁におもむき、留守とわかった上での卑劣極まる工事です。6月28日の団結街道の閉鎖は、全国集会が終わり参加者が各地に帰ったその深夜に「コソ泥」的に強行されましたが、今回のフェンス囲い込みは留守宅に忍び込んだ「空き巣」行為そのものです。断じて許せません。これらの事態は、NAA自身が工事の違法性を百も承知しているがゆえに、堂々とはできないという彼らの姑息さの表れです。工事の正当性など全くありません。またこの違法工事を容認している政府や成田市も徹底弾劾あるのみです。(上の写真は、設置されたフェンスに怒りをぶつける市東孝雄さん。7・31緊急闘争。)

正義は同盟にあり

 しかし現地では、当該の市東孝雄さんの逮捕も恐れぬ実力決起をはじめ、反対同盟、支援一丸となって連続闘争が勝ち取られています。また現闘本部控訴審闘争や市東さんに関わる三つの裁判闘争なども実力闘争の一環として闘われています。そして来る10月10日には第3誘導路建設阻止全国闘争が予定されています。是非結集して反対同盟とともに闘いましょう。

三里塚と沖縄を結ぼう

 それに先立つ9月19日、大阪市内で三里塚と沖縄を結ぶ大切な集会があります(詳しい集会要項は、当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ffe9.html をクリックしてご覧ください) 。 最初の写真の市東さんのTシャツの背中の文字が象徴的ですが、今、三里塚と沖縄(そして我が関西実行委も)はまさに赤い糸で結ばれようとしています。沖縄が、岩国が、そして各地の反戦闘争が三里塚と一緒に闘えば、日米安保体制を根底的に揺るがし、世の中の変革を実現することも可能です。沖縄の安次富浩さんの講演と三里塚の萩原進さんの訴えを軸にしたこの9・19集会にこぞってご参集ください。

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