李相泰さんのご冥福を祈ります。
李相泰(イーサンテ)さんが今朝、4時に亡くなられたと先ほど連絡がありました。
彼とは1991年に知り合ったのですから、33年にわたるお付き合い、飲み仲間でした。91年の5月だったか神戸空港の中止を求める市民の会で、彼が集会の一番前に座り、「私ら在日にとっては、埋め立て土砂の工事があれば仕事になるので賛成だが・・・」と言うのに驚いて「ここでそんなことを言っても無理やなぁ。理解されへんわ」と思い、会合が終わってから自己紹介し、「飲みに行きませんか」と誘ったのが、運のつきかな?その夜は暦を超えてはしごし、夜中のセンター街を手をつないで歩いた。
彼は、在日の無年金問題を行政に追求し続けた。1枚目の写真 は、2012年8月28日の兵庫県との交渉です。最初に勝ったのが伊丹市。いろんな行政と話し合った場に居らせてもらいましたが、「馬の耳に念仏」。そんな中で、伊丹市が初めて要求を受け入れた。その場にいて、感動した。それから長いことかかって、神戸市、兵庫県など各自治体が負担を受け入れた。サンテさんの頑張り、粘りにはほとほと感心させられた。(2枚目の写真は、2010年4月4日の関西合同労組主催の団結花見で)
三里塚の萩原進さんとの我が家での交流会で、サンテさんがいつものごちゃを言い出した。怒った私と言い合いになり、「三里塚に行ったこともないものが」という私の怒りに「なら、一度行ってやる」と彼。半年ほどして、2人で新幹線で(彼は車中でビールのロングを3本飲んでいた)現地に向かった。ちょうど現地の反対同盟と支援の忘年会が開かれていたので参加させてもらった。その時、中核派と解放派の全学連の学生が一人づつ、サンテさんの前で、正座し挨拶をするではないか。二人とも在日の学生で、サンテさんに「先生!」と言って挨拶をする。思わず「サンテさんは有名人なのやな」と私がサンテさんにつぶやいた。
最近はお互いに呑むのを控えていた(サンテさんは懲りずに誘ってくれたが)ので、飲む機会は激減しましたが。
サンテさん。あの世でも吞むのでしょうが、ほどほどに。心からご冥福を祈ります。寂しいね。
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