三里塚反対同盟の団結旗開き(1月8日)
岸田政権が、「敵基地攻撃能力」など沖縄先端の南西諸島のミサイル基地化を軸とした戦争態勢の構築と、CO2問題を口実とした60年超え原発再稼働を軸にエネルギー、原発政策を大きく転換する方針を明らかにするなど、かってない反動的政策、戦争前夜ともいうべき政策を明らかにしています。それに対応して、浜田防衛相が成田空港と下地島空港の軍事使用を明言しています。
これに応じるように、市東孝雄さんへの天神峰農地と南台農地、作業場や離れを含む天神峰の土地への強制収用の動きが、昨年末、裁判所の決定を根拠に11月24日から始まりました。三里塚反対同盟の方針として、その攻撃を迎え撃つべく、その日から昼夜を分かたぬ泊まり込み、監視体制が現地で始まりました。特に若い学生の諸君が、その先頭で頑張っている姿は、久方ぶりの「三里塚」を実感させました。初めて三里塚を訪れる学生もあり、その行動の中で岩山までの成田空港周辺を現地調査をしたり、その歴史を学ぶことを通して、生き生きと三里塚を語っている姿が、私たちを勇気づけさえしていました。
こうした状況の下で、2023年の三里塚反対同盟の団結旗開きが、1月8日、晴れ渡った空のもとで開かれました。文字通り決戦の渦中での旗開きとして、闘いの熱気の中で開かれました。
先ずは、南台の農地に集まり、団結のシュプレヒコールをした上で、市東さん宅(開拓道路)までのデモが行われました。(反対同盟は、これに先立って恒例の東峰神社のしめ縄の架け替えをしています。)
旗開きは、いつもなら作業場の前の中庭ですが、その隣、県道沿いの天神峰の畑にブルーシートを敷いての会場です。木陰の中では朝は零下に下がった気温の中、寒さも厳しいのですが、青空の下で、日差しも暖かく気持ちのいい会場でした。そこへ全国から200名が参加しました。
伊藤信晴さんからの主催者挨拶、萩原富夫さんからの闘争宣言(別掲)、そして市東孝雄さんからの挨拶が行われました。昨年末の団結芋煮会(12月11日)で、市東さんは「ようやく気持ちの整理がついた」「全国のみなさんのところでできる形でこの問題を広げてほしい」と語っておられましたが、この日は闘いの連帯、団結の大切さを語り、その中で闘い抜く想いを語られました。
続いて、趙博さんが久しぶりに登場して、唄と演奏を聞かせてくれました。
その後、連帯挨拶として、動労千葉、関西実行委、関西生コンが行い、関実からは私が。
反対同盟の顧問弁護団から、葉山岳夫、一ノ瀬敬一郎、大口昭彦の3弁護士が登壇し、それぞれから挨拶が。そして、市東さんの農地取り上げに反対する会や部落解放同盟全国連合会など支援団体の挨拶が続きました。
この後、いなのとひら・のとこばの皆さんが登壇し(この日はお二人でしたが)、しばらく演奏。歌を聞かせていただきました。
さらに、支援団体の挨拶が、申し込みを受け付けて自由に発言するという形で続きました。その上で、支援連から3党派が決意を述べ、最後に決戦本部長の太郎良陽一さんから、闘いに向けた方針提起と、団結頑張ろうが行われて、2023年の団結旗開きが終了しました。
太陽が西の方に傾き、最後は肌寒くさえ思いましたが、終始、気持ちのいい集会でした。しかし、200人分の焼きそば、お汁もの、果物の梨と準備された現地の支援や学生さんたちは本当にご苦労様でした。
この後、私は関西生コンの西山洋さんとともに、「離れ」に移り、萩原富夫さんや伊藤信晴さん、市東さんの会の小川正治さん、さらにこの数日座り込み行動に参加されていた三角忠さんをはじめ東京の数人の方などが残られて、交流会が開かれました。
すでに昨年11月24日に座り込みの闘いが開始されて2ヶ月が経過する中で、私たちはNAA、国家権力の攻撃を阻んでいます。国家権力は、12月には機動隊官舎と市東さん宅の間にあった林の立ち木を刈り取り、機動隊官舎の屋上から市東さん宅への出入りを24時間監視できるようにして、機を伺っています。
私自身も、この1月16日から再々度市東さん宅での座り込みに参加します。多くの皆さんが、「市東さんの農地を守ろう」という私たちの三里塚での最大のスローガンにこたえて、この座り込み行動に参加されることを訴えます。とりわけ、私たちのように遠路の参加ではなく、東京・千葉近郊に住んでおられるみなさんに呼びかけます。
市東さんの農地強奪を許すな!天神峰、南台の農地を守ろう!市東さんの営農を守ろう!
最後に、戦後の農政が、1961年の農業基本法にあるように「農業規模の拡大、家族農業の破壊」によるこの国の農業を解体し、農地を簒奪して、高度経済成長をあくまで追求しようとする流れの中での三里塚反対同盟農民への襲撃、破壊の攻撃としてあることを怒りをもって確認しよう。私たちの「市東さんの農地を守る」闘いは、こうした国による農業破壊の攻撃への反撃の闘いであることを確認して、闘いの渦中で開かれた三里塚反対同盟の団結旗開きの報告とします。
(松原康彦)
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