今週の産直野菜 (7月28日)
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猛暑の中、三里塚から野菜が届きました。玉葱、オクラ(昨夏以来です!)、シシトウ、青唐辛子、ジャガイモ、ピーマン、キュウリ、ナス、トウモロコシ、枝豆 以上10品です。
11日の「樫の木祭り」に関連して報じましたが、祭りが終わるころからものすごい雨と風。そのためにトウモロコシが倒れる被害が。その後、全国的に梅雨明けの大雨が続いていましたが、三里塚には降っていないのでしょうか? 野菜たちに泥が付いていない。どろんこの中で収穫作業をすると、泥が一杯ついてくるのですが。わずか2本ですが、トウモロコシが入った。3週連続です。これが最後かな? しかし、「初出荷が遅れそう」と『野菜だより』にかかれたオクラが、ちゃんと入っていて、それにナスの多いこと・・・。
『野菜だより』には、「野菜のミネラルをしっかりとって免疫力をつけ、猛暑とコロナを乗り切りましょう」とありますが、この野菜たちを毎週、一人でこなしている私など、その優等生のはずですが、さて、どうでしょうか?
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三里塚から今週の野菜が届きました。ピーマン、ししとう、万願寺唐辛子、ナス、トウモロコシ、玉ネギ、キュウリ、ジャガイモ、ニンジン、枝豆 以上10品です。11日、「樫の木祭り」が終わりかけた、市東孝雄さんの挨拶中に突然、強い風と猛烈な雨が降り出した。翌朝、トウモロコシがなぎ倒されているのが畑で。
あきらめていたトウモロコシが、先週の9本にくらべれば少ない3本ですが、入っています。よかった! 何しろ大好物ですので。
昨日、13日、大阪地裁前で、関西生コンの武委員長への不当な弾圧の判決公判に抗議する全国集会がもたれ、全国から400人のみなさんが集まられた(奴ら広域協も必死の動員で300人。珍しくこっちが圧倒した!)。そこに「樫の木まつり」から駆け付けた三里塚反対同盟の太郎良さん。三里塚の闘いの報告と連帯の挨拶をされた。
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雨を予想した三里塚でしたが、薄日が差す、蒸し暑い中で、南台の市東さんの農地で、簡単な集会と、そこから市東さんの自宅がある近くの開拓道路までのデモが、参加した150人によって闘い抜かれた。
そして、市東さん宅の前にある作業場で、「樫の木祭り」が始められた。
主催者挨拶に立った萩原富夫さんは、この6月8日の請求異議裁判の最高裁判決に対して淡々と想いを語られた。「第3滑走路の用地交渉をしている最中で、市東さんの農地を獲るなどという乱暴なことは考えにくい」としながら、「市東さんには母屋があり、所有する畑もある。市東さんはそこでやり抜くと言われている」「私たちが、市東さんの暮らしをともにどうやって守り抜き、闘い抜いていくかだろう」。「その上で実際に何かあれば、私がその先頭に飛び込んでいるだろう」とも。「ともかく、耕し、暮らしをここで続けていくことです」と。
しかし、その後の集会は、やはり「6・8最高裁判決」への怒りと糾弾の声が最後まで続いた。
動労千葉、そして私が関西実行委員会を代表してそれぞれ闘いへの想いを語った。その後、関西生コン、沖縄、若狭の原発を考える会、あるいは地元の住民からのメッセージが紹介された。
そして関東の仲間の歌が先導して、京都からこの日に駆け付けた川口真由美さんが登場。まず冒頭、萩原富夫さんとのデュエットに全体が驚いた。後で、私のFacebookに「音、はずしてました」とご本人からコメントがありましたが、どうしてどうして、大したもの。
その上で川口真由美さんの熱唱がつづきました。常に辺野古や沖縄の離島、そして韓国などの闘いの現場に立っておられる川口さんの想いのこもった歌に、全体が浸りこんでいた。
そこへスイカが配られ、みなさん、大いにその甘い味わいにゆったりと。正に「まつり」を実感。
しかし、それで終わらないのが三里塚(?)。市民団体の連帯の挨拶と、現地支援4党派の決意表明が、1時間余り続いた。「これ、なんとかならない?」というボヤキの声も。
それから「お待ちかね」の抽選。市東さん、萩原さんが作った産直野菜、玉葱、ジャガイモ、ニンジンの袋が、次々とみなさんに配られる。私も当たるが、毎週の産直野菜で過剰気味のものなので川口さんに譲った。
市東孝雄さんから、最高裁判決に触れながら「裁判がすべてではない。私たちにはこの現地の闘いがある」と闘いつづける想いが明らかにされた。最後に決戦本部の太郎良さんから「三里塚に来てください」と語り掛けられたうえで「闘うぞ!」の三唱が行われた。その頃から、待ちかねたように強い雨が降り出した。(この強い雨が一晩続き、翌朝、畑を見るとトウモロコシがなぎ倒される被害がでていたと現地から報告があった。)
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元日本基督教団摂津富田教会の牧師、桑原重夫さんが、去る6月22日、心不全で逝去されていたことが、朝日新聞Digital版に報じられていたことが判りました。95歳だったようです。1975年の韓国政府による「学園浸透スパイ事件」によるでっち上げで多くの在日韓国人留学生が逮捕されたことに対する救援運動「11・22救援会」の事務局長を務めた。
1960年代後半、靖国神社法案の反対運動や、万博キリスト教館出展反対運動などの先頭に立ち、また天皇制やキリスト教界での戦争責任問題などに重要な論陣を張られていた。そして私たち三里塚関西実行委員会の闘いにも全面的な支持をくださり、結成当初から許される限りの集会に参加され、激励の言葉をいただいた。
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三里塚から今週の産直野菜が届いていました。ピーマン、ジャガイモ、玉ネギ、ニンジン、ナス、シシトウ、セロリ、トウモロコシ、キュウリ 以上9品です。箱が大きく、しかも重い! 何が入っているんだろうと、正に「開けてビックリ」。あれほど待ち望んでいたトウモロコシが、何と9本も。一人で食べるには、多すぎる・・・。早速、今晩から・・・。
7月7日、そう「七夕」。しかし、それよりも「1937年7月7日」日本軍が盧溝橋事件をでっち上げ、日中戦争が開始された日だ。一気に天皇制ファシズムが強まり、「挙国一致」の翼賛体制が造られていった大本だ。あれから84年。「戦後」という中で、私たちは何を勝ち取ってきたんだろうか。そんなことを想うこの頃です。
今日は、午前中、京都で「老朽原発うごかすな!実行委員会」実務者会議。12月5日、「老朽原発このまま廃炉」の大集会を開き、それまでの1ヶ月余(10月23日~12月4日)を「老朽原発このまま廃炉」のキャンペーン期間とすることの論議が開始された。
午後は神戸で「三里塚関西実行委員会」の事務局会議。市東孝雄さんの農地などを強制収用する動きを認めた最高裁による「上告棄却」決定。それも「門前払い」で。その事態の中でどうしていくのかが話し合われた。
さすがに疲れた。
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