長谷川正夫さん ご逝去
被災地雇用と生活要求者組合の代表の長谷川正夫さんが、今日、3月25日、午後1時59分、ご逝去されました。1950年生まれの70歳でした。(写真は、2018年11月3日の「山本善偉さんを偲ぶ会」で)
長谷川さんは、阪神淡路大震災で長田で焼きだされ職を失った靴工場の労働者、ミシン工の皆さんとともに「雇用と生活を守る」闘いの先頭に立たれた。以来26年、長谷川さんは企業組合を立ち上げ、もっぱら看護婦さん用のナースシューズに特化して前進させ、各方面からの注目を浴びるまでになった。四半世紀の経過と時代の流れの中で、企業組合は昨年「倒産」せざるを得なかったが、その功績は大きなものがあり、賞賛に価します。しかも、その経験を土台に、それまで政治に全く無縁だったにも拘わらず、「大震災の深刻な被害」が政府や自治体の無策によるものだったことに怒り、労働者、労働組合の闘いとして政治に関わってこられた。
阪神淡路大震災の半月も経ない中で「神戸空港は震災復興の希望の星」と当時の笹山市政が、被災者に「自助努力」を強制しながら、神戸空港建設と震災を口実とした巨大開発に手を染めようとしていた。東灘の南部が焼け野原になる現実を前に新空港反対東灘区住民の会は狼狽えることなく、神戸空港反対を水路に笹山市政批判に立ち上がりました。その私たちにとって、長谷川さんの闘いは大きな励ましとなり、共に歩むことが多くなりました。西の要求者組合、東の住民の会とお互いに励まし合いながら。三里塚闘争にも、私たちの訴えに応え、繰り返し現地に足を運んでくださいました。
ちょうど一か月前の2月25日、ともに闘ってきた被災地連絡会の会議に長谷川さんは「私がいなかったら、会議にならない」と出席されました。その日の冒頭の長谷川さんからの報告でも、昨年来、肺ガンが進行し、身体の各所に転移などの中で、失明の恐れが出てきており、医者も見放すというそんな状態でした。それでも闘志をむき出しにして、闘いに向き合おうとされる長谷川さんに、私たちは、「もう考えないで治療に専念してほしい」とお願いするより術をしりませんでした。
長谷川正夫さん。長い間、一緒に闘えたことを心から感謝し、喜びます。詮無いことですが、心からご冥福をお祈りいたします。心安らかに私たちの闘いを見守ってください。
新空港反対東灘区住民の会 事務局長 松原康彦
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