7月16日、千葉地裁で「新ヤグラ裁判」の法廷が開かれ、結審になりそうだというので、私は関西から駆け付けた。この裁判はあまり傍聴してこなかったこともあり、裁判の進行状況、経過についてはあまり知らない。
ただ、市東孝雄さんの農地などを「成田空港の完成」(国策)を理由に強奪する意図で行われた農地法裁判で東京高裁判決が確定したものの、現在、請求異議裁判の控訴審が争われており、それがこの9月2日に結審するという重大な局面にある。この裁判で、市東孝雄さんの南台の農地と、ご自宅前の天神峰の農地と作業場、離れなどを強奪することが目論まれている。しかし、そのうちの天神峰の農地などには三里塚反対同盟所有の大看板やヤグラなどが存在し、「農地強奪」の「邪魔」になっている。その撤去を空港会社NAAが求めて始められたのが、この新ヤグラ裁判だ。
反対同盟と弁護団は、この現下のコロナ情勢の中で、ほかの三里塚に係る裁判がすべて9月以降に延期されているのに、なぜこの新ヤグラ裁判を強行し「結審」するというのか疑問を呈していた。また、そのコロナ情勢の中で成田空港の利用が急激に低下し、貨物以外の国内線も含めてほとんどない状態にある。そのためNAAは、第2滑走路の使用を現在中断している。この最中、先日6月25日に市東さんのところに泊めていただいたが、ほんとに静かなものである。コロナ禍により世界の航空会社の破綻が続いている現状の中で、これまで言われてきた成田空港の未来図(第3滑走路も含め)が、大きく変わらざるを得ないのではないのか、「作られてきた需要」と言われてきた問題が問われるべきではないのかと、実証すべき新しい論点が生まれていることによる裁判の継続を反対同盟と弁護団は求めていた。
こうした要請に対し、この春、東京高裁に移動した内田裁判長が、千葉地裁で新しい裁判官が赴任している(耕作権裁判は、内田裁判著から新しい本田裁判長に代わっている)にもかかわらず、東京高裁から出張ってきて結審を行おうとするのは問題がある。
こうした論点が反対同盟と弁護団から千葉地裁に示されていたにもかかわらず、この日、内田裁判長が指揮して結審が強行されようとしていたのだ(私は遠く関西から推測するしかなく、裁判資料もないので、正確に欠ける点があることはお許しください)。
やむなく弁護団は、内田裁判長の忌避を申し立てることになるだろうとは思っていた。
66名の法廷に、わずか27名の傍聴という裁判所の指示にやむなく従いながら、開廷予定の1時半少し前に法廷の傍聴席についた。NAAの代理人と3人の裁判官は着席しているが、弁護団席は空っぽ。
傍聴席から直ちに、「とっとと東京に帰れ!」「法廷に入る資格なんてない」「最も悪玉だ!農民殺しをするのか!」と様々な野次と怒号が傍聴席から。裁判長は沈黙し、上を向くだけだ。この状態が55分も続いたころ、弁護団が入廷し直ちに裁判長を糾弾した。裁判長は「忌避を簡易却下する」と宣言。弁護団は「簡易却下など法律のどこの条文にもない」と弾劾を続けた。本来、忌避は裁判所の別の部に申し立て、その部が判断するのが普通だ。何を揉めているのかと聞いていると、内田の所属していた以外の部に忌避を申し立てたが、それが千葉地裁の中で内田が属していた第2部に所管が移されたようなのだ。「忌避が行われる」のを予想していた千葉地裁が、先にそういう手を打ったのだ。忌避された当該の裁判長が判断するという事態だ。よく法廷の中で突然の忌避が行われた時に、その裁判長が却下するのは経験しているが、何か変だ!
後の報告会で弁護団から、先にこの内田の移動をめぐる経緯がおかしいのではないのかと最高裁に申し入れようとしたが、最高裁が門前払いをして、弁護団を裁判所の中にも入れようともしなかったのだ。ということは、この千葉地裁の忌避をめぐる経緯を含め、千葉地裁、東京高裁、最高裁一体となって、この新ヤグラ裁判の結審、判決の流れを前提として動いていたのだ。こんな裁判所の在り方が許されていいのか!
我慢に我慢を重ねながら、弁護団は、最終意見陳述に触れながら、先に述べた第2滑走路の封鎖という事態、コロナ禍による世界的な航空業界の破綻という事態をあらためて問題とするために、審理を継続し、専門家の意見陳述などを行うよう求めた。しかし、それらに聞く耳を持たない姿勢を貫こうとする裁判長に対して、再度、弁護団から裁判官忌避の怒りの要求が出された。それに対して内田裁判長は、なんと「裁判の長期化を目的としたものですから却下します」と開き直り閉廷を宣言した。
怒った傍聴席からの怒号は凄まじいものとなった。その中で太郎良さんなど3人が傍聴席の最前列に出て、裁判長への怒りの弾劾を行った。廷吏がその前にずらっと並ぶ。呆然とする内田裁判長に、廷吏の一人が近づき、「退廷命令」を要請した。それで気を取り直した内田裁判長から退廷命令が出され、3人は法廷外に連れ出された。しかし、それは内田裁判長が閉廷を宣言した後ではなかったかと思う。なおも続く、弁護団、傍聴席からの弾劾と裁判の継続を求める声を聞きもせず、3人の裁判官は逃げるように法廷から出て行った!
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