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2019年12月17日 (火)

新やぐら裁判(12月16日)を傍聴して

 昨日16日、千葉地裁で新やぐら裁判の証人調べが始まるということで、傍聴にかけつけた。

 191217 この日は、加瀬勉さん、平野靖識さん、伊藤信晴さんの3人が証人台に立った。午前10時半から午後4時半まで、昼休みと一度の休憩をはさんで、びっしりと証言が行われた。

 国が農地裁判で市東孝雄さんの農地の強奪を強行しようとしている市東さんの自宅前の天神峰の作業場、農地にある二つの大看板、やぐら(櫓)が反対同盟の所有になることから強制収用の邪魔になるというので、空港会社がその撤去を反対同盟に求めた裁判が、新やぐら裁判だ。 191217_20191217135302

 1991 加瀬勉さんは、北総の大地の素晴らしい農地で、農民が小作人として戦前、厳しい収奪と一家離散もふくめた貧しい生活と戦争に徴兵されたことによる非人間的なくらしを強制されたことを糾弾した上で、戦後、不十分とはいえ農地解放によって耕作する者としての権利が保障された中ではぐくまれた農民の矜恃を烈々と語った。その上での成田空港の一方的な押し付けの不当性、不正義性、そして今日の第3滑走路をもその流れの中で弾劾した。85歳とは思えない激しい語り口に、私などは自らの生き方さえも問われているような厳粛な気持ちにさせられた。また小泉よねさんへの1971年9月20日の機動隊による強制収用、よねさんへの暴力的襲撃と、家屋、田畑の強奪の様子を、よねさんをかばいながら自らも闘われたその激しい様子を語られた。(大木よねさんに襲い掛かる機動隊の写真は、三留理夫さんの写真集『三里塚 成田闘争の記録』より転載)

 平野靖識さんは、ベトナム反戦を闘う中で第一次代執行の折に米軍の出撃拠点とされることに反対し、191217_20191217135301 三里塚に入り、地下壕を掘ることから始まった自らを語った。取香で小泉よねさんのところで闘い、市東東市さん(孝雄さんのお父さん)に親しくしていただいたことなどを語った上で、1990年の成田空港をめぐる円卓会議、成田空港問題シンポジウムとそれ以降の経緯を詳しく語り、「2度と強制的手段をとらない」とする政府、空港会社と交わされた約束に対して、 その後の多見谷判決をはじめ191216_20191217152601裁判所が「話し合いがとん挫した場合」として強制収用を認めていった判決などの欺瞞性を弾劾した(右写真)。

 伊藤信晴さんは、三里塚反対同盟事務局員として立ち会った、大看板ややぐらが建設された2002年からの経緯と闘いの現実の中でのその根拠を語り、この裁判の空港会社の姿勢を厳しく弾劾するとともに、裁判所が当時の用地部長や、強制的手段の放棄を社会的に公約した黒野元公団総裁などの証人調べを行うよう強く求めた。

 191216 この12月19日、裁判所と空港会社、弁護団による進行協議が行われ、来春、1月22日の証人尋問に当時の用地部長や黒野元公団総裁を敵性証人として尋問するかどうかが話し合われる。(上写真は、法廷後の報告会)

内田裁判長は、この裁判を自らの任期中(来年3月)までに終えたい(反動判決を意図している)と願望し、この敵性証人の採用を頑として拒否している。断じて許されない。

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