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2019年12月18日 (水)

今週の産直野菜 (12月18日)

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 三里塚から野菜が届きました。箱が大きくて、ずしりと重さがある。「???」。開けてびっくり、先週に続いてでっかい白菜が。まだ先週のが食べきれない・・・。ぼやいても仕方がないか。 
 ジャガイモ、サツマイモ、ニンジン、ラディッシュ、小松菜、白菜、大根、ネギ、カブ 以上9品。完全に台風、大雨の被害から大地が立ち直っていますね。よかった。

 一昨日、久しぶりに三里塚の裁判の傍聴に。三里塚だけでなく、原発などいくつもの裁判に関わっていて最近、あきらめに似た気分が裁判ということで抜けない。「国の機関だから仕方がない」とあっさり片付けることはできないのだが、「三権分立」「司法の独立」がまったくの空文句となっている現実はどうしようもなくある。私たちの力不足であるにしろ、安倍政権の下で世の中が明らかに腐敗し堕落してきている。国家権力と言われるものが、ほとんど戦前の治安維持法下での権力構造を何一つ手が入ることなく引き継がれてきてしまったことが、ここにきてその腐敗と堕落の中でボディブローのように効いてきているように思えてならない。先日、大飯原発再稼働差し止めの素晴らしい判決を裁判官として書いた樋口弁護士の話の中にも、それを示唆する指摘があった。最高裁事務局の圧力の前に、一人一人の裁判官がただの人、自らの出世と延命にその判断基準をおきはじめているというのだ。

 「国策」を真っ向から糺す裁判をするしかない三里塚の裁判で、そのことは顕著になる。亡くなられた北原事務局長が、口癖のように「三里塚は裁判に勝って、いつも判決で負ける」と言われていたが、その傾向が著しくなっているように思える。「国策」と真っ向から闘っている沖縄でもそうだが。

 しかし、諦めるわけにはいかない。「裁判に勝つ」ことをとことん追求して、闘いの中で切り開いていくしかないのだろう。関西生コン支部への弾圧に抗して、関生のみなさんとともに闘いつづけるとき、あらためてそのことを強く思う。

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