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2019年7月25日 (木)

今週の産直野菜 (7月24日)

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 先ほど三里塚から野菜が届きました。
 玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、シシトウ、ニラ、トウモロコシ、キュウリ、ピーマン、ナス
以上9品です。みなさん、お元気です。実は、若狭の原発を考える会で、昨日、今日と若狭の美浜でアメーバデモ(ビラ配り)をしていて、野菜を二日間放っておくことに。そのままでは野菜たちはボロボロになる。仕方なく、クール宅急便で、帰ってきて受け取れるようにしたのです。
 
高いクール便の値段を考えても、この産直野菜たちの値段は安い!千葉から神戸に送って、しかもクール便で、約2700円。トウモロコシ4本だけでも1000円近いのが市況。
亡くなられた萩原進さんが「産直は販売ではない。野菜の価格ではなく、野菜生産者と消費者の協力の結果としての費用だ」と口癖のように言っていましたが、ここまでくると「ちょっと変」と思ってしまう。「生産者の生活が無視されているのでは・・・」と思ってしまう。いかがですか、みなさん。

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 しかし、暑かった。昨日、今日と「老朽原発うごかすな!@関西・福井実行委員会」の美浜町の町長あてに出した公開質問状(2回目)への回答があったので、それをA3、表裏2枚にまとめたビラを、ほぼ美浜町の全域に戸別に配布。今日の正午過ぎに終わった。なんと帰ってきたら、ラジオで今日の最高気温が全国で一番高かったのがその美浜町で、35.9度。暑かったはずです。お昼前から、きれいな入道雲(積乱雲)がずっと一緒。帰ってきて部屋から眺めても、写真のように、少し崩れてきてはいますが、その端は六甲山の北側にも。さすがに一枚の写真にできません。他方で、各地で「記録的大雨」とか。被害が出ないことを祈りながら、何よりまず、冷水の風呂に浸りました。

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2019年7月17日 (水)

今週の産直野菜 (7月17日)

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 三里塚から野菜が届きました。先月末から、関西生コン弾圧の大阪府警抗議が毎週土曜日(13:30~14:30)にあるため、土曜日配達から水曜日配達に変えてもらったのですが、その水曜日も若狭の原発反対の行動で、ほとんど不在。部屋の前に置いて帰ってもらう始末。今日初めて自分で受け取れました。宅急便の兄ちゃん、お手数かけます。

 さて今週は、ニンジン、ピーマン、ニンニク、じゃがいも、ナス、トウモロコシ、ニラ、キュウリ、玉ねぎ 以上9品。
 ラジオが連日天気予報の中で、特に関東・東北で「低温」「梅雨冷め」「日照不足」と伝えていますが、やはり。根菜系はそれなりに入っているのですが、土の上のものが弱いか、ダメなのですね。しかし、ニラは元気ですね。

 この記事を書いている最中に、関西生コンのSさんからFacebookに投稿。その通りだと思いますので、転載します。―― 「権力は、私達を極左というレッテルを貼り、この建設関連産業から排除しようと躍起だが、少なくとも私達は極左ではない! / 愚直に建設現場で安心安全を求めることや、違法脱法行為を暴露して経営姿勢を改めさせることを犯罪といわれ、レッテルを貼られるのであれば、この評価をする者の頭がおかしい。 / この国が好きで、それぞれを認め尊重する社会の実現を求めることが極左というのか? / それでは、ヤクザ暴力団の類いと薄汚い癒着をする権力を我々はなんと評価すればいいのか?」 ―― その通り!

 

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2019年7月10日 (水)

今週の産直野菜 (7月10日)

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先ほど三里塚から野菜が届きました。今週も多い!

ナス、シシトウ、ピーマン、ニンニク、キュウリ、じゃがいも、玉ねぎ、トウモロコシ、空芯菜、ニラ、ニンジン
以上11品です。
梅雨と言っても、ドカッと降ったり、降らなかったり、非常にいびつな天気が続いています。関西では気温も6月ごろのものだとか。こういう天候不安定が農作物に一番影響があるでしょうね。心配です。

 二度も裁判が流れ、「樫の木祭り」が雨で流れたため、三里塚に3月の全国集会以来行けていませんので、この野菜が唯一私を三里塚につないでくれます。
 7月29日には耕作権裁判と新やぐら裁判が続いてあります。いわば仕切り直しのこの裁判、特に関東のみなさん。集まってくださいね。そして、9月24日、農地裁判の請求異議裁判控訴審第1回口頭弁論、詳しい日程はまだ提起されていませんが、昼からです。集まりましょう! そして10・13全国集会へ!

 

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追悼  森田恒一さんご逝去

 長く三里塚関西実行委員会の世話人を務めていただいていた牧師の森田恒一さんが、7月7日午後4時44分にご逝去されました(102歳)。心からご冥福をお祈りいたします。

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 森田先生は、1940年関西学院神学部を卒業され、朝鮮北部、中国との国境近くの会寧、清津で朝鮮の人々、特に青年たちと交わりながら牧会を続け、敗戦間際に召集されて従軍、ソ連参戦による逃亡の上で日本に戻られました。その経験から「平和と民主主義」を厳しく求められ、亡くなられるまでの74年間を「あの暗黒の時代を繰り返してはならない」と訴え続けられました。その主張から、一度は教会を追われ、長距離運転手で糊口を注がれたと聞きます。

 8・6ヒロシマにその想いを重ねられ、長く島根県の益田教会で活動を続けられ、日本基督教団中国教区の議長を務めておられました。1981年、大阪の岸和田教会に赴任されました。その8月6日、関西空港の岸和田での説明会闘争の現場に居られ、警察機動隊、大阪府の住民無視の暴力的対応(私をはじめ14名が事後逮捕、私をはじめ8名が起訴)を目にされて、知人の加邉永吉さん(故人、当時三里塚関西実行委員会事務局長)を頼って、三里塚関西実行委員会に入られました。その後、関西新空港反対泉州住民の会の代表に就かれ、関西実行委員会の世話人に加わられました。そして、泉佐野市議8期を務め、その渦中で亡くなった国賀祥司さんを泉佐野市議選に強く推したのが森田さんでした(1986年)。

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 お連れ合いの長期治療が深まる中で、森田さんは千葉県佐倉におられた娘さん家族のもとに身を寄せられ、三里塚関西実行委員会世話人を辞され、代わりに「三里塚闘争を続けたい」という意志の下に三里塚芝山連合空港反対同盟の同盟員になることを反対同盟に申し出られ快諾されました(2006年ごろ)。それ以来、森田さんは三里塚全国集会があれば「主催者あいさつ」を集会冒頭にされることが習わしとなり、私たちを喜ばせました(冒頭の写真は、2010年10月10日、2枚目が2013年3月24日、いずれも三里塚現地全国集会)。

 「開会宣言は、94歳になられた森田恒一さん。森田さんは、自らの1940年ごろの朝鮮北部での伝道の中での朝鮮人への日本の権力による弾圧になぞらえながら、市東さんへの農地取り上げ、天神峰現地闘争本部解体に向けた裁判所などの攻撃に対し、「国家犯罪」と弾劾し、この日の集会とデモの成功と闘いへの決起を呼びかけられました」(『関実・三里塚ブログ』より、2011年3月28日)

 森田さんは2013年3月24日の三里塚全国集会まで毎回「開会あいさつ」をされ、その春に、出身教会である益田教会から「老人ホームが新築・整備されたので帰ってきてほしい」と要請され、三里塚反対同盟員を辞退され、益田に移られました。移られても99歳まで自分で運転されて益田教会に行き、時には説教壇に立たれたそうです。娘さんの強い要請で運転は諦められたものの、昨年、山本善偉さんの逝去の報を伝えに訪れた二男の山本幸造さんにかくしゃくとして応えておられたそうです。

 まさに「天寿を全うされた」森田恒一さん、重ねて心からのご冥福をお祈りし、お別れとさせていただきます。

            三里塚関西実行委員会   松原康彦

 

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2019年7月 4日 (木)

今週の産直野菜 (7月3日)

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昨日、若狭での行動から帰ってくると三里塚の野菜が届いていた。セロリ、ニンニク、じゃがいも、モロッコインゲン、キュウリ、ピーマン、玉ねぎ、ナス、ニラ、トウモロコシ、ニンジン 以上11品です。トウモロコシ8本には驚いた。さっそく1本を焼いて遅い夕食の肴に。

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