3月31日 三里塚全国集会
三里塚の農民、市東孝雄さんの農地を強制収用するとした最高裁決定に対する請求異議裁判に対し、昨年12月20日、千葉地裁高瀬裁判長は、不当な棄却決定を行った。それは、裁判長自身が、自ら開いた異議審の根拠を無視し、2年にわたっていったい何を審理してきたのかと言わざるを得ない無内容極まりないものだった。親子三代、100年にわたって耕されてきた市東さんの畑を、成田空港のために「国策」の名の下に強奪することを、安倍政権に忖度し何の脈絡もなく出されたものに過ぎない。そのことに対する怒りの集会として、千葉市内赤坂公園で、460人が結集して三里塚全国集会とデモが行われた。
安倍政権、 そして戦後の自民党農政は、1961年の農業基本法以来、食管法や農地法を解体し、ついには自らの減反政策をも切り捨て、農協を無力化することを通して、「農業の規模拡大」の名の下に、農民、農業保護の一切を切り捨ててきた。それは「食糧は安いものを輸入すればいい」として農業、農地にまつわるすべてを、利権として大資本、多国籍企業のもとに投げ出すものとして進められた。今日のアジア・太平洋におけるTPPや欧州とのEPAとは、そうしたものの結論でしかない。
聞くところに寄れば、昨年来、100ヘクタール規模の集落営農が、各地で、見過ごせないほどの規模で倒産をしているという。これなど、一方で「農業の規模拡大」を進めているような顔をしながら、基本は農業そのものを「生産性がない」として切り捨ててきたアベ政治の故だからに他ならない。
こうした自民党農政の意を受けて、6年前になるが、千葉地裁多見谷裁判長(注)は、空港会社による証拠偽造などの新たな事実が出てきた過程でそれら一切を切り捨て、農地法裁判の判決を強行したことを忘れてはならない。市東さんの「農地は私のいのちです」という篤い想いを切り捨てたこの判決は、この国の反動的な司法制度のからくりの中で、東京高裁の確定判決というかたちで、今も生き続けている。この農地裁判に先駆けて始められた同じ農地をめぐる耕作権裁判が訴訟開始以来12年を経過した今もなお、千葉地裁で争われ続けており、証拠調べにも入れていないという現実こそ、この多見谷判決の持つ反動性と欺瞞性を何よりも物語っている。
高瀬裁判長による今回の請求異議審切り捨ての判決は、この多見谷裁判長の道を追認したに過ぎない。何のために請求異議審を自ら開始させたのか、改めて糾弾しなければならない。
53年を経過しようとする三里塚闘争が、今、こうした自民党農政、安倍政権の農政の下に苦しみ、展望を失っている日本の農民、農業の新たな道を指し示すものとして立っていることを確認されなければならない。
2013年10月20日、土砂降りの雨の中で開かれた三里塚現地全国集会で、その2ヶ月後の暮れに亡くなられた三里塚農民・萩原進さんが、集会の三か月前に強行された農地法裁判の多見谷判決を糾弾し、「東京高裁は反動の牙城だ。その霞が関へ攻め上る。そこで展開される反原発、沖縄闘争、反TPPの巨大な闘い、およびそれらをめぐる裁判闘争と連帯して、共通の敵である国策を打ち砕く。市東さんの農地を何としても守り抜く」と提起された。まさにこの日の三里塚全国集会の闘いは、請求異議裁判の控訴審を前にして、もう一度、「霞が関に攻め上る」決意を固めるものとなった。展望を失い、苦しむ小規模、家族農業と農民が生き残れる道を、その闘いの中から見出していこうと呼びかけるものとなったと言って過言ではなかろう。
(注) 多見谷はこの千葉地裁判決によって栄転し、現在、福岡高裁那覇支部所長として沖縄・辺野古新基地建設に関わる裁判において安倍政権に忖度している。
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