関西実行委員会2019年団結旗開き 事務局提起
みなさん。関実旗開きへの結集、ご苦労様です。ありがとうございます。私、松原の方から事務局の提起をさせていただきます。文章化して配らせていただいています。それを読む前に、一言お断りしておきますが、これは関実、あるいは事務局のなかで討論されたものではなく、関実では40年ほど前の永井さんの基調報告以来、話すことを託した本人に任せることが恒例になっています。その点で、あくまで私の私論です。
まず、昨年12月20日、請求異議裁判で不当きわまる判決が行われたことに、満腔の怒りを表明します。高瀬裁判長は2年間、何を審議したのか、そもそも何ゆえにこの裁判を開いたのか。
私たちを取り巻く情勢は、安倍政権が、沖縄の辺野古への昨年12月14日から開始した土砂投入、あるいは昨年6月以来の関西生コンへの異常きわまる弾圧が、改憲攻撃の激化という中で進んでいることがその大前提、安倍政権の実態を明らかすることが大前提となるだろうとは思いますが、時間的制約もあり、その点を指摘するにとどめさせていただきます。
まず第一に、この13日、三里塚反対同盟の旗開きでの多くのみなさんの挨拶と決意がそうであったように、「いよいよ到来した決戦」とみなさんが呼号されるとき、私たちが直面している局面は、あの1968年から71年の50年前と同じものなのでしょうか。そんな夢想をするとしたら、三里塚闘争の歴史を矮小化することであり、敗北主義であり、無展望以外のなにものでもありません。
多くの皆さんが具体的に触れたことを積極的に理解するとすれば、いつ強行される局面になるか全く見えないのですが、それは「市東さんの農地に国家権力が手をかけることは許さない」という意味での闘いということでしょう。しかし、沖縄の高江、そして辺野古でのわれわれ反対派に対する国家権力の暴力的・権力的対応をだすまでもなく、予想されるイメージはかなり厳しいものではないでしょうか。天神峰現闘本部の封鎖(1990年)、同本部の解体・撤去(2011年)、団結街道封鎖(2010年)、これらの夜陰に乗じた襲撃的攻撃を私たちは忘れません。沖縄のみなさんがその現実の中でなおも「あきらめない」と闘いを継続していることは非常に大切なことであるし、将来への重要な切り口として提示されているとしても、そこまでの運動的実態が、この三里塚で形成されてきたでしょうか。それを「50年の闘いの歴史」や、萩原富夫さん、市東孝雄さん、三里塚農民の個々の人びとの主体に依拠するとするとすれば、あまりにも無責任ではないでしょうか。
第二に、市東孝雄さんが「土は、農地は、私の命です」という言葉の持つ決定的重要性です。
私は、13日の旗開きでの挨拶の中で、「12・20判決」と国会で漁業法の改悪が同じ時に行われたことに触れました。そこで言わんとしたことは、安倍政権が、アジア太平洋における「TPP11」、ヨーロッパとの「EPA」、そして水面下で進められているアメリカとの「FTA」、これらは、この国、地域の農業、漁業など、第一次産業に従事する人々を切り捨て、グローバリズム、巨大金融資本に売り渡そうとしている流れです。辺野古新基地建設や関西生コンへの弾圧に象徴されるように、安倍政権にとっては「人々のくらし」そしてそこでの「自然」、地域のたたずまいなどは、最早どうでもよいことになってしまっています。
実は、こうした安倍政権のあり方を根底的なところで撃ち抜いているのが市東さんの「土は、農地は、私の命です」という言葉なのです。
その意味で、ここでの攻防に私たち関西実行委員会の全力を投入するというのは、きわめて当然な正しい方針だろうと思います。その時がいたれば、私たちも全力で馳せ参じなければなりません。
その上で、第三に、私たちはこの闘いの中にあって「国策」と闘うと表現してきました。
今の農業切り捨て、グローバリズムに日本の第一次産業を切り売りしていくことを通して、日本の大資本が柱となっている多国籍企業の生き残る道を模索している安倍政権の政治、大きくは、戦後の自民党農政に、米問題が象徴するように、農民は展望を失い、離農し、耕作放棄してきたというのが戦後の農民、農業の現状ではないでしょうか。
2030年を目標に進められている1000ヘクタールもの農地、土地の強奪を前提とした成田空港の第3滑走路問題に対して、あるいは成田空港の規制緩和による殺人的な騒音を強制することに対して、反対運動が激しく起ちあがることなく、成田空港会社NAAのキャンペーンであるにしろ、「8割の地権者との交渉は終わった」とされる原因に、予定地域を中心とした農民の「諦め」「農業への展望のなさ」が大きく横たわっているのではないでしょうか。
もちろん、置賜の農民群をはじめ全国各地で苦闘しつつ踏ん張っておられる農民のみなさんがおられることも承知しています。13日にも、唯一、匝瑳市の小川浩さんが農民会議を代表してTPPに触れ、農民の闘いを、傾聴に価する内容をもって語っておられました。この農業、農民が立っている苦境に抗って大きく枠組みを作っていこうとする闘いが焦眉の課題となっています。今更の感はありますが、そうした「枠組み」が形成される中から、市東さんの農地問題を農民共通の基軸的な問題とする流れが生まれてくることが何より求められているのです。農業問題のその流れの中から市東さんを守ろう、支えようとする取り組みが、大きな意味を持つものとなるでしょう。このことについて私たち関西実行委員会がどうできるのかあらためて考えなければならないと思います。
第四に、三里塚闘争50年の中で、萩原さん、市東さんはそれぞれ、親子3代、2代にわたって闘い抜いてこられました。私たち自身を省みればわかることですが、実は大衆運動で親子が引き継いで2代、3代と闘いを継続することは、ほとんどあり得ない、稀有のことです。50年という歴史の経緯の中で農村共同体の体をなさない三里塚の現実にあって、その困難性は言うまでもありません。先日の12月20日の後の市東孝雄さんの決意の表明、あるいは13日の旗開きでの、市東さん、萩原さんの発言を通して、お二人の固い闘いへの想いと決意は明らかにされました(あるいは、この報告の前の萩原さんの挨拶)。そのお二人の後を引き継ぐものがあるかどうかは、最早、お二人の責任ではありません。それは三里塚闘争の闘いそれ自身が解決できるのかどうかの問題です。このことは、私が、本質的な問題とは別に第三の問題を指摘したひとつの原因でもあります。
実は、沖縄の辺野古の新基地建設反対、あるいは全国の原発再稼動反対、これらの闘いも、地域のひとびとが思うように自然に生きていけなくなっているところで、形こそ違え三里塚のこうした問題を共有しています。まさに「国策」に反対する根が一つの闘いなのです。
新しい年を迎えた私たち三里塚関西実行委員会は、こうしたいくつもの問題を引き受け、今年も、三里塚反対同盟のみなさん、萩原さん、市東さんとともに闘い抜いて行きましょう。
当面、まず、別紙案内にあるように2月25日『三里塚農地裁判は、いま』学習会に参加しよう!
そして、成田市内で開かれる3月31日、三里塚全国総決起集会に参加しよう!
また、若狭の原発を考える会の木原壮林さんより提起のあった老朽原発をうごかすな! 3・24高浜現地全国集会、5・19関西電力本店包囲全国集会に参加しよう!
沖縄・辺野古のたたかい、あの自然豊かな海を殺す土砂投入を許さず、辺野古新基地建設反対をともに闘い、とりわけ2・24県民投票に連帯しよう!
2・17狭山集会に連帯し、石川一雄さん、袴田巌さんの再審無罪を勝ち取ろう!
最後に、全日建連帯労組関西生コン支部への警察・国家権力の総力をあげた弾圧攻撃、組織破壊の攻撃を、多くのみなさんとともに跳ね返す闘いにともに起って連帯しよう!
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