現地調査
明日、明後日と3人の方を案内して、三里塚の現地調査に入ります。10ヶ月前に現地調査をしたときは、数年ぶりだったこともありちょっと戸惑いましたが、それがあるので、今回はまだましかなと思っています。それに、今回はみなさんに見ていただく資料や写真なども準備できました。
反対同盟のみなさんにお世話になりますが、よろしくお願いいたします。
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明日、明後日と3人の方を案内して、三里塚の現地調査に入ります。10ヶ月前に現地調査をしたときは、数年ぶりだったこともありちょっと戸惑いましたが、それがあるので、今回はまだましかなと思っています。それに、今回はみなさんに見ていただく資料や写真なども準備できました。
反対同盟のみなさんにお世話になりますが、よろしくお願いいたします。
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昨日、少し暑いくらいの晴天の中、「4・22大飯原発うごかすな!関電包囲全国集会」が関電本店で、750人の結集で開かれ、集会後、御堂筋の多くの買い物客の注目を集めながら、なんばまでのデモがおこなわれた。
集会では、最後に大飯原発4号機の再稼働に反対しようと、5月9日の現地行動が呼びかけられた。「IMG_0004.pdf」をダウンロード
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先ほど三里塚から野菜が届きました。
のら坊菜、サニーレタス、大根、サトイモ、ネギ 以上5品です。
日頃、農業のことについてはいくつかの納得できる論考もあり、三里塚に関わる私にとって1961年農業基本法以来の「農民切捨て、農業切り捨て」の農政について考え続けてきました。それを「第一次産業」というもう一回り大きな論点から見ようとすると、林業の衰退、漁業の衰退がでてきます。林業については、洪水、山崩れなどの繰り返される自然災害で指摘もされています。 農業に比べ産業規模が小さいため、報じられることがあまりないということがあると思います。先述の朝日新聞の記事に、政府の中の機関「規制改革推進会議」で、「政府は養殖漁業に資金力がある地域外の企業が参入しやすくなるよう、漁業権を地元漁協に優先して認める制度の見直しを視野に入れる」というのである。これこそ農業の世界と一周遅れで進んでいる第一次産業破壊の新自由主義的施策でなくてなんだろうか。「いまは官邸に余裕がない」から作業が遅れているというのだが、「やはり、そうなのか」とあらためて思った。 最近、映画『ニッポン国 VS 泉南石綿村』を見たり『国家と石綿』(永尾俊彦著)を読んで、産業革命とともに進んだ石綿、アスベストへの傾斜と、その危険性を知った国々の方向と、それを無視して2000年近くまで石綿を消費し続けたこの国の愚かさと犯罪を知って、なおのことこの想いを強くした。 三里塚の闘いの方向を今考えるとき、こうした課題にも向きあわざるを得ないように思えるのだが、どうだろうか。ところが漁業については、大企業による巨大船団の遠洋航海や養殖産業などに漁業が追いやられていることとしてわずかな知識はありますが、海岸各地に原発が林立し、和歌山や三重、兵庫の揖保など原発を立てさせなかった地域も海岸で、その反対運動を担ったのが漁師を中心とする人たちでした。
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今週の野菜が三里塚から届きました。
しかし、この一か月洪水のように新聞、マスコミを賑わせた成田空港の拡張、機能強化と第三滑走路新設、あるいは第二滑走路の延伸。いずれもが大変な住民生活への影響をともなう「新しい空港建設」、そして内陸空港でありながら夜間飛行の規制緩和というとんでもない出鱈目と思わざるを得ない事態です。そのことに対してこの日の集会に参加した一人一人の想いと立ち位置が問われていたのではないでしょうか。 (松原記)サニーレタス、サトイモ、ホウレン草、ネギ、大根、のらぼう菜 以上6品です。
こちらでは昨日、久しぶりの雨が降りましたが、2週間以上の天気続きで、千葉現地は野菜の生育に影響が出ているようです(関東は、今日が雨のようですが)。「葉物が少し途切れる」とか。今日来た野菜たちを大事にしなければ。
たしかに立ち退くことになるその中心となる農民の多くが高齢化し、後継者問題をかかえ、耕作放棄地も増えていると聞きます。しかし、それ自体が、この国が進めてきた一貫した農業切り捨ての結果ではありませんか。「儲かる農業」などと農民の手から農業を取り上げてきた結果ではないのでしょうか。だからと言って、さらにその上に土地、農地の強奪を、「四者協議」などという何の責任も持たない民間機関で進められることが許されるのでしょうか。そんないらだちをどうしてもぬぐいきれない一週間でした。
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4月1日満開の桜吹雪が舞う成田市栗山公園で700名が結集して全国集会が開催されました。この日は穏やかな桜日和にもかかわらず、反対同盟市東孝雄さんの農地取り上げとの厳しい状況下での緊迫した集会となりました。
2月4日の関実旗開きでも懸念されていましたが、この3月8日の請求異議裁判で千葉地裁高瀬順久(よしひさ)裁判長は早々に証人尋問、本人尋問を終わらせ、7月最終弁論でもって早期結審を目論んでいることが明らかになりました。
加えて3月13日、国とNAAは千葉県と空港周辺9市町でいわゆる4者協を開き、3本目の滑走路(3500㍍)の新設と運用時間拡大で合意しました。最後まで「抵抗」していた横芝光町の佐藤町長も結局は地域振興策という「アメ」のために町民を見捨て、森田知事にいたっては「(当該住民には)真摯に丁寧に説明していく」と安倍首相のペテン答弁をそのまま「採用」している始末です。新たに多くの住民に住居移転、騒音被害を強制することをどうやって「真摯に丁寧に」説明出来るというのか、怒りに耐えません。
新たな北総住民の反乱を
このような状況下で基調報告に立った萩原富夫さんは、1971年の大木よねさんへの暴力的強制収用を国とNAAがその養子である小泉英政氏に2015年に謝罪と補償を行い「二度と繰り返さない」と約束したことにふれ、この裁判で市東農地の強制収用を可能にする判決を求めるペテンと矛盾を糾弾しました。
そして4者協の「合意」に対しては「とてつもない規模の用地と広範な騒音被害の影響がある・・・50年前と何ら変わらぬ住民無視の暴挙と対決し、新たな北総住民の反乱を」と訴えました。そして「沖縄、福島と連帯し、改憲阻止、安倍打倒へ」とさらなる闘いの連帯を訴え報告を終えました。
農業破壊と闘おう
動労千葉・田中委員長の挨拶の後に立った関西実行委の松原さんも4者協決定に怒り、新しい空港(滑走路)が国会にも諮られず(4者協という)一民間組織の判断だけで決められることの不当性を指摘し、70年代の関空闘争の経験から騒音問題が多くの住民を苦しめる大問題になることを強調し「再びナリタでそれをさせてはならない」と訴えました。
そして今日の日本の農業政策が家族農業を否定し、農家として生きていけない状況を作り出している現実を踏まえ、三里塚先頭にこのような政策と闘うことを訴えました。
全日建連帯労組関生支部の西山さんの排外主義や春闘における御用組合との闘いの報告と三里塚連帯、安倍打倒の決意表明の後、当該の市東孝雄さんが「訴訟は圧倒的にこちらが押しています。私が闘う所それが天神峰で農地を守ることです。これからも全国の闘う人々と共に」といつもの落着き払った発言は故北原事務局長の「三里塚は健在です」という名言を彷彿とさせ力強く感じました。
そして農地取上げに反対する会、全国農民会議、カンパアピールと続き、その後は関西実の旗開きにも来ていただいた川口真由美さんのお楽しみのミニライブです。彼女は約15分にわたり沖縄の闘いを中心にした歌を会場と一体になって唄いました。彼女ももうすっかり三里塚勢力の一員になったようです。
健一さん飛び入り発言
その後、福島(椎名千恵子さん)、沖縄(知花昌一さん、金治明さん)、若狭(木原壯林さん〔メッセージ〕)、全国連(滝岡さん)等の挨拶が続き最後に太郎良陽一さんが行動提起に入ろうとしていたとき、故北原事務局長の長男健一さんが飛び入り発言。
昨年10月の全国集会では事務局長が亡くなられた直後でもあり、悲しみをこらえた発言でしたが、この日は50年前この栗山公園(当時は成田市営グランド)で親子で闘ったことを懐かしむように穏やかな発言でした。そして驚いたのは顔は勿論、その低音で太い声が親父さんそっくりだったことです。「(親父の)50年間は正しかった・・・闘わなければ未来はない」とこれからも同盟の先頭で闘うことを表明しました。
反対同盟事務局長の家族として、これまで何度も卑劣ないやがらせや脅迫を経験してきたことでしょう。しかしその「親父の50年」を心から尊敬できるなんて何とすばらしいことでしょうか。私もそんな親父になれるかなあ・・・まあ無理やな。
それはさておき、請求異議裁判が、5月24日(木)、6月28日(木)いずれも午後2時より千葉地裁で証人尋問、本人尋問が予定されています。多数の結集をお願いします。
尼崎伊丹実行委 弥永 修
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