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2018年4月 5日 (木)

4・1 三里塚全国集会 報告

 41日満開の桜吹雪が舞う成田市栗山公園で700名が結集して全国集会が開催されました。1841この日は穏やかな桜日和にもかかわらず、反対同盟市東孝雄さんの農地取り上げとの厳しい状況下での緊迫した集会となりました。

 24日の関実旗開きでも懸念されていましたが、この38日の請求異議裁判で千葉地裁高瀬順久(よしひさ)裁判長は早々に証人尋問、本人尋問を終わらせ、7月最終弁論でもって早期結審を目論んでいることが明らかになりました。

 加えて313日、国とNAAは千葉県と空港周辺9市町でいわゆる4者協を開き、3本目の滑走路(3500㍍)の新設と運用時間拡大で合意しました。最後まで「抵抗」していた横芝光町の佐藤町長も結局は地域振興策という「アメ」のために町民を見捨て、森田知事にいたっては「(当該住民には)真摯に丁寧に説明していく」と安倍首相のペテン答弁をそのまま「採用」している始末です。新たに多くの住民に住居移転、騒音被害を強制することをどうやって「真摯に丁寧に」説明出来るというのか、怒りに耐えません。

新たな北総住民の反乱を

 1841_2このような状況下で基調報告に立った萩原富夫さんは、1971年の大木よねさんへの暴力的強制収用を国とNAAがその養子である小泉英政氏に2015年に謝罪と補償を行い「二度と繰り返さない」と約束したことにふれ、この裁判で市東農地の強制収用を可能にする判決を求めるペテンと矛盾を糾弾しました。

 そして4者協の「合意」に対しては「とてつもない規模の用地と広範な騒音被害の影響がある・・・50年前と何ら変わらぬ住民無視の暴挙と対決し、新たな北総住民の反乱を」と訴えました。そして「沖縄、福島と連帯し、改憲阻止、安倍打倒へ」とさらなる闘いの連帯を訴え報告を終えました。

  農業破壊と闘おう

 18413_2動労千葉・田中委員長の挨拶の後に立った関西実行委の松原さんも4者協決定に怒り、新しい空港(滑走路)が国会にも諮られず(4者協という)一民間組織の判断だけで決められることの不当性を指摘し、70年代の関空闘争の経験から騒音問題が多くの住民を苦しめる大問題になることを強調し「再びナリタでそれをさせてはならない」と訴えました。

そして今日の日本の農業政策が家族農業を否定し、農家として生きていけない状況を作り出している現実を踏まえ、三里塚先頭にこのような政策と闘うことを訴えました。

1841_4全日建連帯労組関生支部の西山さんの排外主義や春闘における御用組合との闘いの報告と三里塚連帯、安倍打倒の決意表明の後、当該の市東孝雄さんが「訴訟は圧倒的にこちらが押しています。私が闘う所それが天神峰で農地を守ることです。これからも全国の闘う人々と共に」といつもの落着き払った発言は故北原事務局長の「三里塚は健在です」という名言を彷彿とさせ力強く感じました。

 そして農地取上げに反対する会、全国農民会議、カンパアピールと続き、1841_5その後は関西実の旗開きにも来ていただいた川口真由美さんのお楽しみのミニライブです。彼女は約15分にわたり沖縄の闘いを中心にした歌を会場と一体になって唄いました。彼女ももうすっかり三里塚勢力の一員になったようです。

健一さん飛び入り発言

 その後、福島(椎名千恵子さん)、沖縄(知花昌一さん、金治明さん)、若狭(木原壯林さん〔メッセージ〕)、全国連(滝岡さん)等の挨拶が続き最後に太郎良陽一さんが行動提起に入ろうとしていたとき、故北原事務局長の長男健一さんが飛び入り発言。

 1841_6昨年10月の全国集会では事務局長が亡くなられた直後でもあり、悲しみをこらえた発言でしたが、この日は50年前この栗山公園(当時は成田市営グランド)で親子で闘ったことを懐かしむように穏やかな発言でした。そして驚いたのは顔は勿論、その低音で太い声が親父さんそっくりだったことです。「(親父の)50年間は正しかった・・・闘わなければ未来はない」とこれからも同盟の先頭で闘うことを表明しました。

 反対同盟事務局長の家族として、これまで何度も卑劣ないやがらせや脅迫を経験してきたことでしょう。しかしその「親父の50年」を心から尊敬できるなんて何とすばらしいことでしょうか。私もそんな親父になれるかなあ・・・まあ無理やな。

 それはさておき、請求異議裁判が、524日(木)、628日(木)いずれも午後2時より千葉地裁で証人尋問、本人尋問が予定されています。多数の結集をお願いします。

         尼崎伊丹実行委  弥永 修

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