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2016年5月31日 (火)

新やぐら裁判口頭弁論 (5月30日)傍聴記

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      (法廷後の弁護士会館で報告会、最後のまとめをする萩原さん)

 5月30日、千葉地裁で「新やぐら裁判」(第5回)口頭弁論が開かれた。市東さんの農地を巡る耕作権裁判と同じ内田博久裁判長と右陪席裁判官が代わったことで、Img_6687この日は被告(反対同盟)弁護団による更新意見陳述が1時間にわたって、5人の弁護士によって行われました。

 市東さんの自宅の前にある天神峰の農地、作業場がある敷地の中に、やぐら(右写真、その右側に大看板があるのが写っています)、誘導路への監視台、そして県道わきに建てられた大看板(左写真、ビニールハウスの左手に後ろ側から写っています。この写真が天神峰の畑)、この4つの物件を巡って争われている裁判です。

 Img_6733当初、空港会社は、市東さんにこの物件の撤去を求めていました。農地法裁判で農地取り上げを企んでいるものの一環として求めてきたのです。ところが反対同盟から、この4つの物件は市東さんのものではなく、反対同盟のものだとその法廷で指摘され、空港会社は慌てて、最初の裁判を取り下げ、あらためて反対同盟に撤去を求めてきて「新やぐら裁判」が始まりました。
 ですから、この日の更新意見陳述は、これらの物件の取り上げと市東さんの農地取り上げに係る農地法裁判は一体のものであるという原点に立って、もっぱら空港会社による農地取り上げの違法性、とりわけ農地法の制定趣旨である農地を守り耕作者を守るという趣旨に反し、憲法を始め関連法規を無視したものだとの具体的指摘などに集中して弁論が行われました。

 次回(第6回)口頭弁論は、9月26日(月)、次々回(第7回)口頭弁論は、12月5日(月)、いずれも午前10時半開廷で、傍聴券配布がありますのでその20分前には千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

 なお、次回耕作権裁判も、この日と同じで裁判官交代にともなう更新意見陳述が行われます。内田裁判長に、農地とは何か、農地法とは何か、そもそも国策による農地取り上げとはなにか、徹底した「教育」が行われるものと思われます。期日は、7月11日(月)午前10時半開廷です。なお、反対同盟は、この耕作権裁判の再開の重要性から、開廷に先立ってデモを行うようですが、詳しいことはまだわかっていません。

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2016年5月28日 (土)

今週の産直野菜 (5月28日)

16528 三里塚からの産直野菜が、少し遅れて届きました。なかなかにぎやかです。

 ニラ、コスレタス、玉レタス、玉ねぎ、そら豆、きゅうり、ズッキーニ、キャベツ、カブ、ニンジン、大根 以上11品です。

 まっていたキュウリ、ニンジンの登場。来週からはじゃが芋も。いよいよ豊富に。

 明日の現地のじゃが芋ほり大会も、天気がよさそうでよかった。暫定滑走路南側にある清水の畑でだそうです。

 昨日、関西実行委員会の『実行委ニュース』第156号ができあがり、印刷、発送作業をしました。16527折り込みの集会告知のチラシの多かったこと。

巻頭は、事務局の安藤さんの「三里塚闘争50年の勝利を確認し、農地と命を守り抜きましょう」

「3・27全国集会に参加して」は東灘区住民の会の粟井さん。

「3・27集会 主催者あいさつ」の萩原富夫さんの挨拶全文。

 結果的には、少し遅れた「3・27全国集会」の報告と、「7・3東京集会」の呼びかけでした。

 みなさん。全力で、7・3東京・錦糸町の隅田産業会館に集まろう。

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2016年5月24日 (火)

山本先生 96歳の沖縄紀行

山本先生が、3・27三里塚全国集会、4・9部落解放同盟全国連大会にそれぞれ参加し、思いのたけを語られた。ほんとにお元気です。それに自信をつけたか、16520突然「沖縄に行きたい」と言いだされた。「無理でしょう・・・」と言うわけにもいかず、「ダメもとで」と知花昌一さんに相談し、517日~20日の旅行を決定し、航空券を予約した。

幸い直前、「腰は痛いが、大丈夫」とご本人。杖に頼って3本足の先生と私の「弥次喜多道中」が始まった。

17日、那覇空港について、カーナビのセットを間違え遠回りしながら7時すぎに読谷についたものの暗い中でわからず、思わず昌一さんにSOSを発信(以降は、カーナビで大丈夫でしたが)。着くなり先生、昌一さん、私の3人で旧交を温め、宴会。泡盛4合瓶1本を開けて、「寝ましょう」と。昌一さんが経営する民宿「何我舎(ぬーがや)」に3日間お世話になる。

16518翌日18日、午前中は金城実さんのお宅へ。前夜、酔っ払って帰ってきて土間に毛布を掛けて寝ておられた実さんが起きだし、先生と抱き合うようにして挨拶。コーヒーを肴に、実に2時間余り、実さんの彫刻を始めるきっかけをはじめ、デッサンなしで作られる彫刻の話しの独演会。断片的にお聞きしたことがあるものの、めっちゃ面白く、先生と私は、もっぱら聞き役。録音していなかったのが残念。それに、私はここには何度もお寄りしているが、酒抜きは初めて。

16518_2失礼して、車を飛ばして、残波岬の近くのレストランで沖縄料理、豆腐チャンプルなどを美味しくいただきました。

それから近くの知花盛康さん宅へ。盛康さんの連れ合いさんとは、先生が沖縄に行きだしたころからの知己。4人であれやこれやと話していると、今日は京都の中学生4人の民泊とか。先生は、子どもたちにあってから帰りたいと言いだして、待ている間、1時間余り、畳の上で横になられ、眠られた(これが、この夜の交流会に元気で過ごされる源に)。2時間近く待って子どもたちが来ると、ほんとに嬉しそうにご自分と沖縄の係わりなどを話される。ほんとに子どもたちが好きなのです。16518_3そしてやっぱり「先生」や。子どもたちの民泊への想いを一通り聞かれてから、失礼した。

何我舎にもどって、1時間余り休んだ頃に、金城実さんや辺野古の金治明さん、三線の宮城さん、盛康さんも遅れて駆け付けられ、結局、10人余りの交流会。あいにくの雨でしたが、屋根の下でバーベキュー。三里塚の現局面への先生の話しが中心。16518_4「ライオン」と異名をとられたように久しぶりで大声で「叫ばれる」。沖縄では大声で有名な金城さんも顔負け。私が顔負けするほどに相当呑まれたようですが、最後まで一人一人と肩を抱き合い、そばにいる私を心配させた。

ぐっすり眠れた先生は、翌朝19日、お元気に起きてきた。金城さんの原稿をパソコンで打つことを頼まれた私は、二日酔いの中で、早朝からやりあげ、昌一さんに添削してもらって、先生と二人でまず金城さんのお宅に。それから一路、辺野古の浜へ。安次富浩さんにお会いしたかったが、16519連日の活動で疲れからか風邪で休まれていた。しばらくテントで話しをした後、キャンプシュワブ前に。先生は2年前、キャンプシュワブの闘いがはじまる前の5月に来ておられて、この現場は初めて。てっきりテントの横あたりで揉めているとイメージしておられたようで、現場に立って驚いておられた。ちょうど島ぐるみのうるま市の方々50人程などが来ておられ、集会をしておられた。それだけでも興奮気味の先生を、16519_2おばあの島袋文子さんの横にすわっていただいた。しばらく怪訝そうにしておられた文子おばあが、先生の話しを聞き、まわりのみんなから「おばあも、まだ10年やれるね」と言われ、先生と抱き合うようにして、中座された。

16519_3その前にちょうど来られた山城博治さんが驚いたような表情をされながら挨拶に来られ、「96歳の人がいる。話をさせろ」とみなさんから声が。私も横に立って、話しはじめられた先生は三里塚のことを十数分訴えられたうえで、16519_8


「国策といえども、諦めるわけにはいかない。皆さんと一緒に死ぬまで闘う」と。大きな拍手が起こったことはもちろんでした。

それから関西の神戸行動、大阪行動から現地のカヌー隊に入って頑張っているY君が働いているレストランにつれていってもらって昼食。出勤してきたY君にばったり。16519_9驚いたような顔をする彼に別れを告げて、時間があるようなので、高江に足を延ばした。

先生は『標的の村』はご覧になっているが、辺野古からさらに1時間半、車を飛ばして、北部ヤンバルの森の中でテントを組み闘っている現場に立って、感激。ちょうどノルチゲラなどの産卵期(3月~6月)で、動きも少なくテントには6人くらいの方々が。一応の位置関係や、ヘリパッド建設とオスプレイの説明を受けられ、その上で、涙ながらに「沖縄のみなさんにもうしわけない」と繰り返しながら、ご自分の学徒動員から、16519_10その後の70年の歩みを語られた。みなさんからは驚きの感嘆の声が。「帰ってからもう一度『標的の村』を見せてくれ」と私に。

そこから引き返して、名護の「ジュゴンの海」を尋ねて、金さんとしばしの交流。それから読谷に帰って、前日のレストランで沖縄料理に舌鼓。

「このまま寝るのははやいな」という先生のことばにとびついて、泡盛を一本購入。何我舎にもどって二人で、「大成功」を確認し、祝杯をあげた。なんと3分の2を空けてしまった(翌日、昌一さんから「寝てなかったのか、なら一緒に呑んだのに」とご不満のことばを)。

16520_4朝起きると、3週間前から行方不明になっていた20歳の女性が遺体で発見されていたことが沖縄タイムスのトップ記事にあるのを見せてもらった。

空港への帰途に就くなかで、嘉手納基地の正門前では、「米軍基地撤去」の大きな横断幕が貼られ、機動隊が防御の準備をしていた。その1時間後くらいから抗議闘争が闘われたと後で聞いた。

正直、16520_5「何かあったらどうしよう?」という不安を抱えながらの先生の沖縄旅行でしたが、なんのなんのめっちゃお元気でした。「闘いが先生を作ってきた」とよく言われましたが、96歳になってなおそうなのですから、素晴らしい先生の人格、お人柄にあらためて脱帽した4日間でした。

念のためにと帰ってきて3日目の今日、お電話したら、「帰ってきた翌日はさすがにぼーっとしていたが、もう大丈夫」だそうです。ご安心ください。次は、三里塚の『7・3東京集会』ですね。

 

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2016年5月22日 (日)

今週の産直野菜 (5月21日)

16521 昨日、昼前に三里塚から産直野菜が届いた。すぐ出かける必要があったため、報告が今朝に。

 そら豆、エシャロッテ、菊菜、キャベツ、玉レタス、水菜、サラダ菜、ニラ、カブ、大根 以上10品。

 「三里塚闘争50周年! これからも闘うぞ- 農地を守り、沖縄・福島とむすぶ 7・3東京集会」のチラシがやっと届いた。

7月3日(日)10時~(第2部は13時~)
会場・すみだ産業会館(錦糸町駅前)
主催・三里塚芝山連合空港反対同盟

第1部で映画「三里塚の夏」など上映
1673第2部では、趙博(パギヤン)のミニライブの後、新崎盛吾(新聞労連委員長)、天笠啓祐(ジャーナリスト)の二人の講演と、三里塚・市東さんのたたかい、沖縄・辺野古の海から、福島・反原発運動からと盛りだくさんです。

 今日、大阪・生野区民センター7で開かれる『原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!5・22金時鐘講演会』で関西で初めて、このチラシが折り込まれ、三里塚の野菜が販売されます。反対同盟から萩原富夫さんも参加されます。

 みなさん。今日の『5・22金時鐘講演会』、そして『7・3東京集会』を成功させよう。

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2016年5月14日 (土)

今週の産直野菜 (5月14日)

16514 はやばやと三里塚から野菜が届きました。

 ルッコラ、ニラ、春菊、エシャロット、玉レタス、サラダ菜、広島菜、ラディッシュ、カブ、大根

 以上10品です。4月以来、この時期に入ってくる小松菜がずっとないですね。しかし、凄い葉物。

 この29日にはじゃがいも掘り産地交流。楽しみです。じゃが芋掘りは雨だったらできないので、テルテル坊主でも出そうか。久しぶりに参加することにしたので楽しみです。

 7月3日、『三里塚50周年! これからも闘うぞ! -農地を守り、沖縄・福島と結ぶ7・3東京集会』まで、あとわずか1ヶ月半。みなさん、準備してくださいね。東京だから行きやすいですよ。ゲストスピーカーは沖縄の新聞労連委員長の新崎盛吾さんとか。映画『三里塚の夏』上映。パギやん(趙博さん)のミニライブもあります。あわせて、「福島菊次郎と三里塚の今」写真展も。

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