10・11三里塚 関西空港反対住民から挨拶
永井満・関実代表世話人
全国から結集されましたたたかう仲間のみなさまに、僭越ではありますが、今日もまたこの壇上からご挨拶ができることをほんとうに喜びとしております。
あの1970年ころ、初めて自分でハンドルを握ってこの三里塚の地に伺いました時に、大きな農民放送塔というのが目に入りました。その農民放送塔に大書された文字が目に飛び込んできました。「日本農民の名において収用を拒む」という文字でした。そしてもう一面には「反戦平和の砦・三里塚」と書かれておったとそう思います。
三里塚のたたかいは日本の農民のかたがたの土地を守るたたかい、その最先頭、中心のたたかいでありつづけてまいりました。けれども同時にこのたたかいは、全国の反戦平和を願いたたかいぬく労働者、学生、市民の集う場所でもあったかと思います。
時間がありませんから結論的なことを申し上げたいとおもいますが、あの7月の国会、あれを見ておりまして、日本がふたたび自衛隊を海外に派遣して戦争をする国になったのだということを、非常な気持ちにされました。その時、私は、あの三里塚の農地に高々と掲げられておった「日本農民の名において収用を拒む」という大きな看板と「反戦平和の砦・三里塚」というその大きな文字を思い描いたわけであります。
この三里塚のたたかいは、いま、市東さんの農地を守るたたかいとして全力でたたかわれております。私たちも、反対同盟との長い共闘の歴史からしても、どんなことがあっても市東さんの農地を守り抜こうというその決意をもっておりますが、同時にこの三里塚のたたかいは、農民のたたかいであるとともに、日本の平和・反戦の砦としての、その大きな面をもっていると思います。
しかし、あの安倍の、ああした戦争に向っての露骨な動き、これに対して、今、私たちは黙っていることはできない。ほんとうに、この戦争への安倍のこうした政策というものを全力で粉砕していかなければならないとほんとうに危機感をもっております。
かって60年安保のころ、「教え子を再び戦場に送るな」とスローガンをかかげた先生方のたたかいに共鳴したものです。
いままた、そういうたたかいが本当に必要な時がきたと思います。ここにも先生がいらっしゃるかもしれませんが、先生方にお願いして、「教え子を再び戦場に送るな」というたたかいを大きく全国で広めてください。また、労働者のみなさん。市民のみなさん。日本がふたたび戦争へという舵をきったようなこの時、三里塚を先頭にして反戦平和のたたかいを、かって三里塚がそうであったように、全力でたたかっていかなければならない時期がきたように思います。
今日、ここに結集されたみなさんとともに、特別にその決意をうちかためたいと願っております。みなさまも、同感してくださることと信じております。三里塚のたたかいの勝利こそが日本の平和につながるということを固く信じて、ご挨拶を終わりたいと思います。ありがとうございました。
山本善偉・関実世話人
結集されたみなさん。悪天候の中でも、よく来てもらいました。ありがとうございます。
95になって、この戦争法案を国会で通してしまった。その時に、東京で、あるいは全国で万の人民が立ちあがったことにたいして、大阪維新の会の橋下は「1億のほんの1パーセントじゃないか」とケチをつけました。
その1パーセント、そのマイノリティ、それがほんとうの力をもっているんです。
みなさん。われわれは決して「燃えやすく、冷めやすい」と言われるあの日本の根性じゃありません。ほんとに50年、半世紀たたかいぬいてきて、今やほんとうに立たねばならぬ時に、私は残念ながら腰が痛くて、この杖に頼らなければなりませんけれども、絶対に日本は戦争をさせてはならない。憲法をほんとに大切にしなければならない。そのためにこの市東さんの農地取り上げに絶対反対、あるいは第三滑走路を造るのに反対し、あるいは福島のひとたちのことを忘れるようなことは決してしてはならない、沖縄の新しい基地をつくらせてはならない。すべてをやらなければならない。この杖を頼りにやります。
みなさん。ともにたたかいましょう。
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