辺野古新基地反対 辺野古を訪れて
18日夜に名護に入り、19日はカヌー隊に伴走する平和丸に乗船させてもらい一日、海に。20日、21日は、キャンプシュワブゲート前の座り込みに朝のテント設置から参加させてもらい、22日に翌日の「2000人集会」に参加できないことを残念に思いながら、神戸に帰りました。
前日18日に大浦湾側(左写真)と辺野古崎(右写真)の2ヶ所、「調査」
のヤグラが建てられた。そして工事領域全体という広大な範囲に各ヤグラの前にあるブイ(フロート)が張り巡らされ、そこに近づけないように右上写真のように海上保安庁(以後、海保)のゴムボートが我が物顔に走り回っている。
辺野古のフェンス横の浜で準備していたカヌー隊(左写真)
を迎えに行き、先ずはロープで曳航(右写真)。海保のゴムボートと警備艇がしつこくついてくる。途中で、カヌー隊を離し、辺野古崎のヤグラ近くの長島へ。
猛然と海保が迫ってくる。
しかし、この日、そして20日は「拘束」はなかった。海保が「逮捕するぞ」と言わず、「拘束するぞ」というのは、その行為の法的根拠がないということなのだ。許し難い違法な暴力だ。20日、21日とカヌー隊はブイに触りに行き、22日には、Sさんが飛び込んでブイの周りを泳いだ。驚いた海保が10名ほど飛び込んでSさんを「拘束」。辺野古の浜に運んで解放した。しかし私が帰途についた22日、追い詰められた海保が凶暴な暴行を行い、2人が「拘束」され、1人は頚椎捻挫のケガを負わされた(右沖縄タイムス記事)。
キャンプシュワブゲート前のテントは毎日、午前8時に建てはじめ、8時半から、午後4時半までその日の昼間の行動、午後7時から夜の行動。私は、テントの組立から、昼間の行動に参加。19日は、時折、スコールが襲う中でテント張り。この週は、
月曜に350人、火曜日には250人。なかなか賑やか。火曜日には、基地敷地内での工事のための砂利ではなく、明らかに埋め立てのための頭の大きさ程度の石を運び込もうとしたトラック3台に対し、「何に使う資材だ」と迫り、ついに追い返すという闘いが勝ち取られ、
少なくとも21日まで入らせていないことが、山城博治さんから報告された(左写真、手にしておられるのがその石)。
問題の「殺人鉄板」は少し下げられたというものの今もゲート前に敷かれたままだ(右写真)。午前中、テントの中での集会を挟みながら3回のゲート前での周回デモとゲート前での抗議行動。
昼からも2~3回の周回デモと抗議。
入ってきたダンプカーに対して直ちに「帰れ!」「埋め立ての資材を運ぶな」と抗議のコールが叩きつけられる。テントにはいろんな人が来る。
20日には、『標的の村』の監督の三上さんと、「主演」の安次嶺さん一家が高江から駆けつけられた。
21日には超党派の国会議員が、山本太郎さんなど10人、訪れ、まず海をカヌー隊とともに視察して、最後にテントに寄られて交流を深めた。三線の演奏と唄に合わせて、踊りも。
21日には京都から駆けつけたミュージシャンの唄も。私も、20日、21日と続けて挨拶をさせてもらった。
パトカーなど警察車両がテントを訪れる車を待ち構えて「直ちに動きなさい」と嫌がらせ。不当なフェンスが歩道と車道の間に張り巡らされて、ついに20日には事故が。21日に懲りずに妨害するパトカーに怒りが爆発。山城さん(写真中央)を先頭に「違法な脅しをやめろ。フェンスを撤去しろ」と抗議をした。
21日から、ゲート前での行動が終わり休憩に入ると、ダンプカーが6台、10台と連なって入ってくる。無線で連絡をとって、こちらの動きに合わせているのだ。直ちに、テントの道路反対側の土手に監視の人間を立てて、積荷を確認して、前述の「石の積載」かどうかを確認することに。「石の積載」であれば直ちに実力で入らせないことが確認された。
昨日23日、「止めよう新基地建設! みんなで行こう、辺野古へ」と呼びかけられた「2000人、ゲート前県民大集会」がご存知のように3600人の規模で勝ち取られた(写真は、下地さんのFacebookより借用)。厳しい暑さの中、暴力的な防衛施設局、沖縄県警、海上保安庁に一歩も退くことなく対峙し、調査阻止、工事阻止に向け沖縄の皆さんの闘いが前進しています。
私たちも、三里塚の市東さんへの農地取り上げ、第3滑走路建設のデタラメ極まる国策の押しつけをはね返し、沖縄のみなさんの闘いに応えよう。
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