小農による農業経営・農法の基本
幕藩体制が確立し、小農経営の自立が進行した1680年ころに書かれたとされ、作者不詳の農業技術の集大成と体系化を試みたと言われる『百姓伝記』という書物がある。そこにこんな一節がある。
-「不浄をそまつにしては、作毛みのることすくなく、しだいに土やせて、薄田畑となる。然らば土民もしだいに身上おとろえ、一類・けんぞくを失うことたがいなし。そのわざを大切につとむる土民は、土をこやし、作毛をよく作出し、諸民をやしなうこと、おのずから仏菩薩のさいだんなり。」-(以上、大野和興著・編による『百姓の義』(1990年)より引用)-
これを読んで「凄い」「こんな時代に、ここまでまとめたのだ」と感嘆の声を思わず上げた。
17世紀は、「幕府や諸藩の灌漑水利事業の実施」によって農地が拡大し、それに併せて「農民世帯の形態の変化」が大きく起こり、「農民は、成年に到達すれば、誰もが結婚して家族を形成するようになる。そして・・・・耕地拡大が増大する人口を吸収したので、17世紀中は、人口制限の必要はなく、資源との均衡の限界まで増加し続けた」のだ。(この節の「 」内と内容は、『岩波講座・日本通史 第1巻、速水融』による)
当時、世界最大の100万都市であった江戸では、下肥(不浄)が近郊農家の貴重な資源として買い取られていた(『ウンコに学べ』有田正光・石村多門共著、2001年に詳しい。めっちゃ面白い)。
「排泄物の全量を集めて土に返した日本では、下水に流れたのはわずかな量の生活排水だけだった。江戸には総延長が150キロにも及ぶ世界最大の下水道が網のように地下を走り・・・・当然、下水に流れる生活排水も少なく、江戸時代の隅田川は河口の佃島付近でさえ白魚が豊富にとれるほどの清流だった。同時代のパリを流れていたセーヌ川より、はるかに清らかだったことは保証してもいい」(『大江戸リサイクル事情』石川英輔 1997年)のだそうだ。
この17世紀の人口増と耕地の拡大によって、『百姓伝記』にあるように、戦後1950年代まで300年以上にわたって営々と続けられてきた日本の小農による農業経営、農法の基本が形成されたのだ。
なお、18世紀に入るとこの人口増、耕地拡大はいずれも行き詰まったそうである。
「関実・三里塚ブログ」が2週間近くお休みだった(忙しかったのですが)ことをお詫びし、「最近、こんなことに嵌りこんでいます」という「管理人」のお詫びをこめたメッセージです。
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