3・23全国闘争から3・26控訴審闘争へ
いよいよ、一つの大きな節目がやってきました。
言うまでもなく、三里塚に関わってきた私たちにとって「市東孝雄さんの営農を、その農地を守れるのかどうか」という節目です。
昨年7月、千葉地裁多見谷裁判長による極反動判決、そして何よりも昨年末萩原進さんを失ったことです。この余りにも大きい出来事を前に、わたしだけでなく多くの人がたじろぎ、迷ったことと思います。
しかし、今、私が50年近い三里塚闘争を闘い抜いてきた歴史の中にあって思うことは、50年にわたる戦跡、さまざまな経緯ではありません。
市東孝雄さんが、お父さんの東市さんを1999年に引き継ぎ、それまでの貯えを失うほどの様々な試行錯誤を重ね、初めてとも言える農業経験の中から、萩原進さんの支えがあったとはいえ、自立し、無農薬・有機農業の生産と消費者との提携を通じた厚い産直の営みを生み出したことです。親子3代、開墾から100年以上を経緯した農地は、空港闘争の中で、故東市さんの強い「空港反対」の意志により拡大し、孝雄さんにその思いが引き継がれ今や2ヘクタールにちかくなっています。
余談ですが、空港計画が発表される直前の1966年初め、市東さんが中学を卒業された時、市東東市さんが耕しておられたのは、南台の畑の一部と天神峰の自宅前の畑だったろうと思います。農業切り捨て・高度経済成長に向かう世の中の流れを見られて「これでは自活するのは難しい。外に出て手に職を付けろ」と戦前、東京の工場に働きにでていたご自分の経験をもとに、そう息子に進められたのです。孝雄さんは、素直に従い、船橋で、レストランのコック、経営者にも頼られる焼き鳥屋の立派な板前になっておられたのです。孝雄さんは、1999年1月の父の逝去といういう事態と、父のそれまでの「空港反対」にかけた想いを知るにつけ何の躊躇もなく、この地に帰ってこられ、お父さんの遺志を継がれたのです。
それ以来15年、「仕事熱心」ということばはこの人のためにあるのかというほどの作付をはじめとした様々な努力と勉強は、支援の人々の支えがあったにしろ大したものでした。父から引き継いだ無農薬・有機農業の畑は、ほんとにすごいとしか言いようのない、ほんとにやわらかいホカホカとした土を、土壌をつくってきました。天候の不規則な変化や、虫の異常発生など、様々な障害と困難を乗り越え、農業が今後進むべき「産直携帯」という一つのありかたを萩原さんたちとの共同作業と、消費者との協同によって生み出してきたところなのです。
それを世界第3位の経済大国でありながら、たんなる通過空港でしかない韓国のインチョン(仁川)空港の規模にさえどんどん立ち遅れ、追いつける展望などまったくないという現実があります。アジアには、ほかにも中国や香港、シンガポール、タイなどに「ハブ空港」というに相応しい、インチョン空港よりも大きな空港がいくつもあります。英国のヒースロー空港などは成田空港と同じ規模の2本の滑走路しかないのに、年間60万回を超える国際線の離発着をこなしています。
羽田に国際線が移るとよく勘違いされますが、東京一極集中のこの国の経済構造の中で、羽田が持つ年間50万回の国内線の需要を動かすことはできません。羽田を国際線で増便しようとしても、(例えば「東京オリンピック」があろうが)わずか10万回の能力しかありません。インチョン空港でさえすでに40万回を超えている現実の中で、日本政府、国交省、空港会社は成田空港を羽田と一体の「首都圏空港」として30万回~40万回をこなさせようと必死です。その最大の障壁が「への字」誘導路を強制する市東さんの畑であり、空港周辺住民の騒音問題なのです。
しかし、簡単に述べてきましたが、いかにこの国が経済大国の死活を握る問題、「国策」として掲げようが、インチョンを始めとしたアジアの各国が運営するハブ空港の現実と、中国の強力な経済発展を前に、そうした「国策」を強行しようとすることこそが、決定的な誤りであり、無理なのです。それは、今、安倍政権が秘密保護法を制定し、共謀法を策動し、集団的自衛権への道へ、さらには改憲攻撃へと進むのと同じ「決定的な誤り」です。
私たちは、市東さんの農地を取り上げようと、1988年、空港公団が当該の土地を取得して以来の数え上げることが難しいほどのおびただしい違法行為、脱法行為を国、空港会社(空港公団)によって行われてきたことを知っています。ととえ裁判所が、「無視」しようとしてるとしても。
しかし、それ以上問題なのは、無農薬・有機農業で都市生活者との産直提携によって新たな農業の道をもとめるこの国にとっての将来を、子どもたちの未来を形成していこうというこの大切な営みを、むざむざとそのような何の展望もない「国策」によって破壊されることを、農地を取り上げられることを許すのか。これ程の問題を、多くの人々の共有の問題にしようとするかどうかが問われているのではないでしょうか。そうして全く新しい思いからのうねりが生み出すことができてはじめて、「沖縄・福島につなごう」ということが「意味」をもってくるといえるのではないでしょうか。市東さんの問題をほんとに多くの人々、とりわけ若い人々自身の問題として、自信をもって呼びかけていこうではありませんか。これができた時、ほんとうの意味で、三里塚は「全人民の砦」「反戦の砦」とあらためてなるのではないでしょうか。
そういうものとして3・23三里塚全国総決起闘争で提起され、3・26控訴審闘争で軸に据えられることが必要ではないでしょうか。そのうねりを生み出す力として「3万人署名運動」を展開しようではありませんか。
三里塚関西実行委員会 松原康彦
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