昨日、控訴審闘争を闘い抜く
昨日、3月26、いよいよ市東孝雄さんの農地をめぐる控訴審闘争です。裁判所近くの日比谷公園霞門に反対同盟のみなさんを先頭に250人近い人が集まりました。
簡単な「打ち合わせ」が始まります。北原鉱治事務局長が東京都民に「なんで私たちが48年も闘ってきたか考えて欲しい」と訴えかけながら話されます。1966年、6月22日に内定し住民に何の説明も無く2週間後の7月4日に閣議決定が行われた横暴を「こういうふざけた話しが成田空港だ」と弾劾された。1978年福田内閣の「3・30開港宣言」を自らの横堀要塞闘争と管制塔占拠の闘いではね返したことに触れながら「日本の未来はどうなるのか」と語られ、「今日の法廷闘争から新たな決戦にいどむつもりだ」と想いを語られました。
つづいて萩原富夫さんが、「霞が関へ攻め上ってきた」とされ、この日の闘いを通して「裁判をさっさと終わらせることなど許さず、徹底審理をさせよう」「国策優先ではいかないということを裁判長にわからせよう」と提起し、この日の闘いの予定を説明された。
デモは、いつもの裁判所を離れていくデモではなく、検察庁、法務省、そして東京高裁を直撃するデモが行われました(冒頭写真)。関実の隊列も、
山本(東灘)、日原(明石)、安藤(淡路)各氏を先頭に。
裁判所前では、早朝から東京高裁に対し、徹底審理を行うよう街頭宣伝が行われた。
そして1時には、反対同盟と弁護団が集められた8000余筆の署名を携えて裁判所に提出(左下写真)。その後傍聴の抽選が行われ、半数近い100名が傍聴に。
法廷では、先ず市東孝雄さんが、
20数分にわたるスライドによる自らの畑の様子を交えながらの陳述を行い、最後に持参した畑の土を裁判長に手渡した。
裁判長による規制をはね返し、弁護団による多見谷千葉地裁判決を弾劾し、農地法による農地取り上げという憲法にも反する犯罪を弾劾した堂々の弁論が展開された。弁護団の弁論は時間が足らず、次回口頭弁論の期日(6月25日)までに進行協議を行うことを決めて、予定を30分以上上回ったこの日の法廷闘争を終えた。(筆者は傍聴できず、法廷の外にいましたので、皆さんの後での話からの報告です。)
場所を参議院議員会館講堂に移し、裁判の報告会が行われました。冒頭の北原さんの挨拶に続き、市東孝雄さんが壇上に立ち挨拶をされました。「いつものことだが、意見陳述をやりながら、なんでいつも同じことを言っているのだが、裁判所に通じないのかと思う。それほど裁判所がひどいということだ」と怒りを露わに語られた後、8000筆の署名が提出されたことを確認し、「是非ともこの控訴審を勝たしてください」と訴えられました。
続いて、葉山弁護士を先頭に、浅野、一瀬、長谷川、吉田、遠藤、西村、大口の各弁護士が、弁論の説明や、時間が足らなくて弁論できなかった想いなどをこもごも語られました。
「帰らなければならないから」と関実の山本善偉先生に指名があり、挨拶を。山本先生は「傍聴して(耳が悪く)ほとんど聞こえない中で、しかし、市東さんが有機農法の実践をされていることが十分わかった。最後に土を(裁判長に)出されたときは感激した。市東さんがいのちをかけて農業をしておられることがしみじみと感じられた。弁護士の先生方の話しは、ほとんど判らないなりに、迫力は十分感じ、みなさんの自信にみちた、怒りにみちた感じがよくわかりました。あくまで市東さんの農地を守るということがもっと大きな、日本の農業にとって一番大切な闘いだと思う」と話され、「今日は参加できてほんとによろこんでいます」と、法廷から出てこられた直後のほんとにお疲れの様子だったのが、みなさんの話しを聞かれてすっきりされたようでした。
先生に続いて埼玉大学名誉教授の鎌倉孝夫さんが、「証言のために法廷に立ったことは、何度かあるが、傍聴をしたのは今回が初めてです」「市東さんの陳述に感動した」と挨拶をされるのをお聞きしてから、帰途につきました。多分、後、動労千葉、市東さんの農地取り上げに反対する会、市東さんの農地を守る沖縄の会などが挨拶されて報告会を終わったのだと思います。
反対同盟が配慮してくださり、おかげさまで、賑やかな車中での交流を終えて、帰りつくことができました。
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