悲報 萩原進氏逝去 『抵抗の旗』より転載
反対同盟事務局次長 / 初代青年行動隊長
悲報 萩原進氏逝去
遺志を引き継ぎ 霞ヶ関に攻め上ろう
本年も尼崎・伊丹実行委員会へのご支援よろしくお願いします。
しかし今年はとても新年の挨拶をする気になれません。昨年末、私たちに非常に悲しむべき連絡が入ったからです。三里塚反対同盟事務局次長の萩原進さんが急性心不全で急逝したとのことです。(12月21日午後10時過ぎ 享年70歳)
その報に接したとき、何がどうなったのか、まさに頭の中が真っ白になりました。確かに以前から心臓に違和感がありアルコールも控え節制されているとは聞き及んでいましたが、年齢的にもまだまだ同盟を牽引していただけると思い込んでいました。
氏は1966年22歳の若さで反対同盟に参加し、初代青年行動隊長として最先頭で闘い続け、そして現在は事務局次長として長年にわたり北原事務局長とともに闘いを担ってきました。
我が関西実とも親交が深く何ども関西にかけつけて檄を飛ばしました。また沖縄にも足を運び連帯を深め、最近では被災地福島の人々に新鮮な野菜を届けたり三里塚に招いたりとまさに大車輪の活躍の年月でした。
しかし裁判闘争はじめ責任感の強い氏には私たちには判らない心労が重なっていたのでしょうか、突然帰らぬ人となりました。本当に無念です。
【決意引き継ぐ】
12月28日、成田市内でしめやかに告別式がもたれた。用意された椅子が足らず、数十人の方が立ったままだったというほど多くの参列者があったとのことです。
関西実からも永井代表や山本世話人らがかけつけました。そして市東孝雄さんが「進さんの決意を引き継ぎ闘い抜く」と涙ながらに弔辞を読まれたとのことです。そして遺骨は東峰墓地に埋められました。
萩原進さん、長い闘いの人生ほんとうにご苦労様でした。安らかにお休みください。
【霞ヶ関に攻めのぼろう】
市東農地裁判は東京高裁に移りますが、「敵の土俵」であることには変わりありません。市東孝雄さんは、11月24日のシンポジウムで「裁判長に分からせる何かをやってみたい。(進さんが言うように)霞ヶ関に攻めのぼるという感じでやりたい」と決意しています。
私たちも悲しみを乗り越えてこの市東さんの決意に続こうではありませんか。3・26控訴審闘争に故人の遺志を引き継ぎ、立ち上がりましょう。
(「三里塚闘争勝利・関西新空港粉砕 尼崎・伊丹実行委員会」機関紙『抵抗の旗』第268号 1月7日発行 より転載させていただきました。最初の写真は、昨年7月14日、千葉市内で開かれた全国集会でまとめの提起をされる萩原進さん。)
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