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2014年1月23日 (木)

萩原進さんを追悼する

『実行委ニュース』第147号より転載

萩原進さんを追悼する

永井 満(三里塚関西実行委員会代表世話人)

 131210三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長 萩原進氏の突然の訃報に接し言うべき言葉を知りません。12月28日、現地で営まれた葬儀に参列し、花に埋もれて棺内に眠る萩原さんに一茎の花を献げ、最後のお別れをしたその時、動かしようのない現実を改めて知らされ、深い喪失感を覚えました。しかし、式後館外に出た私たちを待っていた、一点の雲もない、真っ青な澄み切った空のもと、故萩原さんは旅立って行かれました。それは三里塚闘争を一点の曇りもなく指導し、闘い抜かれた故萩原さんの生涯を象徴しているように思われました。
 四十余年に及ぶ三里塚闘争を指揮し常に闘いの最先頭に立って牽引された一方、私たち関西住民の関西新空港反対闘争に対して、その発端である淡路国際空港反対闘争とそれに続く泉州沖建設に対する湾岸住民の闘いに、萩原さんは度々体を運び、支援し指導して下さいました。改めて深く感謝申し上げる次第です。
 私たち関西の住民は、故萩原さんの遺志を深く身に体し、勝利の日までともに闘い抜くことを霊前にお誓いいたします。

山本 善偉(三里塚関西実行委員会世話人)

 強制測量か第一次代執行の闘いかはっきり覚えていないが、映画「三里塚の夏」の中で闘う青年行動隊長・萩原進さんが、鎌を高くかかげて先頭に立ったあの精悍な姿がはっきり目に浮かぶ。
 同盟事務局次長として私たちとの交流会の席でいつもご自分はノンアルコールのビールで、酒好きの私たちと和やかに話されていた萩原進さん。
 困難な状況の中で冷静に反対同盟の闘いをリードされた指導者・萩原進さん。
 余りにも早い死別は悔やんでも悔やみきれません。だが、進さんが急死の直前まで考え、推し進めようと努力されていた事はなんだろうか。
 悲しみを乗り越えて、彼が遺された道を、私たちは引き継がねばならない。

日原 年和(関西空港反対明石住民の会事務局長)

 萩原進さんが亡くなられたことを聞いたとき、まさか、とてもお元気な萩原さんが亡くなるなんて「うそぉ」と信じられませんでした。
 現地の集会でお会いしたとき、発言される一言、一言にとても励まされたし、関西にこられたときも、大変お元気で、その発言に大いに感銘を受けていたものですから、その萩原さんが、まさか亡くなられるなんて信じられませんでした。
 それが現実となったいま、自分にできることはと問いながら、三里塚の闘いを我がこととしていくことが萩原さんの思いにかなうものだろうと思っています。

弥永 修(三里塚闘争勝利尼崎・伊丹実行委員会)

 萩原進さん、あなたとこんなに早くお別れしなければならないとは考えてもいませんでした。本当に無念でなりません。
 萩原さんと我が実行委員会は直接的なお付き合いはあまりありませんでしたが、関西実行委員会を通じてしっかりと繋がっていました。
 人の話からすると萩原さんは温厚な顔つきに似合わず相当頑固者らしかったそうです。三里塚闘争のあり方についても周囲からいろいろ提案されてもあまり聞き入れず「三里塚かくあるべき」の主張を曲げなかったとのことです。もっともそうでなければ裏切りと分裂が続いた三里塚において、若い頃から筋を曲げずに闘い続けてはこれなかったのかも知れません。
 また萩原さんは思いやりの人だったと思います。
 全国集会での萩原さんの発言は党派のアジテーションのように決して流暢ではありませんでしたが、そのぼくとつとした語り口調からは三里塚に結集する一人一人の組織とか立場を決して無視することなく、それぞれが抱えている課題と三里塚をしっかりと結び付けようとする配慮がいつもなされているように思っていました。「三里塚に集う人はみんな大切な同志」が漂う発言でした。もうあの基調提起を聞けないと思うと寂しい限りです。
 萩原さんの最後の檄は市東農地裁判の控訴審に向って「霞ヶ関(東京高裁)に攻め上ろう」でした。その遺志を引き継ぎ、悲しみを乗り越えて市東さんの農地を守るため闘い続けようと思います。

白石 裕(新空港反対東灘区住民の会世話人)

萩原さん逝去のニュースを聞いた時には大変に驚きました。残念無念な思いです。
 先の11月の私たちの小さな集まりで1968年の小川プロ制作「三里塚の夏」を見ました。
「萩原さんは若いね」なんて言いながらです。私自身が初めて見た時の高ぶった気持ちを懐かしみました。北総の台地の豊かな自然とそこで農業を営む人々を踏みしだいて破壊する国家に怒りをおぼえました。萩原さんたち青年が「やられているのだから自分たちも力で押し返そうではないか」と高まっていくさまに、そうだそうだと思いを重ねていました。
 戦後の民主主義が導入されたはずの日本で国の政策に翻弄された第一が農政でしょう。萩原さんの痛切な思いが現地集会での基調・その他の集会などの発言から伝わります。時に激しく、過激に国の政策への糾弾がほとばしります。しかしいずれも萩原さんは絶叫される様子ではなく順々と語られました。
 いずれの話をされる時も農業が国民の生活を支えていること、それを自分たちはしていることの自負があることが伺えました。
 欧米諸国等と農業の形態も違います。日本の農業は単純ではありません。大規模な経営が宣伝されてみても日本の農業は繊細な感性が大切ではないでしょうか。産業優先で豊かな農地をコンクリートの下に埋めて農民を追い立て工業団地が出来ても、巨大空港が造られることも農業を踏みにじり農民を悲しませても恥じない国の農政とは何でしょうか。
 いまTPP政策が驀進していませんか。日本の農業は破壊されてしまうでしょう。モンサントの種とそれにあう農薬の毒性にまみれた食品で国民に異常が発生しようが仕方のないことでしょうか。それがグローバルなんだなんてことではありますまい。
 萩原さんの国のありように対しての強く深い怒りは、日本の農業の問題、そして沖縄の基地の問題、地震の後の福島のこと、そしてなによりも三里塚のことに怒りをぶつけています。私は萩原さんの思いを共有します。
 今、市東さんの農地を守ります。

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