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2014年1月30日 (木)

「ほんまやばいで TPP」2・16シンポジウムを成功させよう

 来る2月16日、『ほんまやばいでTPP』2・16シンポジウムが、青栁 林(真宗大谷派速成寺住職)、荒木香人(全日建運輸連帯労組関西生コン支部執行委員)、安藤眞一(自由メソヂスト源氏ヶ丘教会牧師)、北上哲仁(川西市議会議員)、竹本衣江(太鼓隊)、谷川真也(ロックバンドはちようび)、趙 博(歌劇派芸人)、西山直洋(全日建運輸連帯労組近畿地方本部書記長)、朴利明(Park Rimyong)、韓基大(STOP原子力☆関電包囲行動)、樋口万浩(全港湾関西地方大阪支部副委員長)、以上11名のみなさんによって呼びかけられています。

 賛同の呼びかけ

 14216_2安倍政権は、TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉に参加し、私たちの暮らしを根こそぎ破壊しようとしています。TPPは農業の問題だけではありません。医療、雇用と仕事、各種保険、庶民の少ない預金までが、アメリカとグローバル資本の餌食にされてしまいます。もちろん農業は「市場経済」に放り込まれ、株式会社の参入や利益追求の手段に落とされます。農や食の安全など願うべくもないでしょう。
 
ISDS(投資家と国家の紛争解決)条項によって、アメリカと多国籍巨大企業が思うままに日本の市場や経済、つまりは私たちの暮らしを蚕食することになります。
 
一方で、国策の名のもとに沖縄米軍基地の固定化、辺野古新基地の建設がねらわれています。私たちの関西、京都の京丹後市では、農地が戦争のための「米軍のXバンドレーダー」基地建設に取り上げられようとしています。成田(三里塚)では空港拡張のために、いままた市東孝雄さんの農地を強奪しようとしています。それも、ほんらい「農地を守る」ための農地法を不法に使ってです。
 
今、戦争をするための治安強化に向けて、安倍政権は、「国家安全保障会議設置法」に続き、「特定秘密保護法」を手にしようとしています。来年の国会に提出するといわれる「共謀罪」とともに、人々を縛り付け、監視する政治への転換です。
 
こうした国策を掲げ、政治が転換される中で、それらと一体となったTPP加盟は、巨大多国籍企業の動きを一気に加速させ、私たちのくらしを根底から破壊し、農と食の安全を奪うことになるでしょう。
 
私たちは、このようなTPP参加に反対し、下記の要領で『ほんまやばいでTPP 2・16シンポジウム』を開催いたします。
 
多くのみなさんが、この取り組みに賛同していただけるよう心から訴えます。
                   
2013年12月4日

集会は、農業ジャーナリストで脱WTO草の根キャンペーン事務局長の大野和興さんと三里塚反対同盟事務局次長の萩原進さんの講演と対談を中心に、呼びかけ人でもある趙博さん、「はちようび」の演奏、ド・フリーの1分間アピールなどを行い、御堂筋をデモをすることで昨年12月中旬から準備が始まり、上に掲載したビラも作られ、配布がはじまりました。

しかし、昨年末12月21日、萩原進さんが逝去されるという重大な事態を迎えました。しかし、「シンポジウム」という形式は無理でも、国策による農地取り上げと闘う三里塚の市東孝雄さんの問題を「市東さんの農地取り上げに反対する会」の山口千春さん、また農地を借り上げ米軍基地を新たに京丹後市に作ろうと進められている計画に反対して闘っている「米軍Xバンドレーダー基地反対近畿連絡会共同代表」の大湾宗則さんに報告をしていただくことで萩原進さんに代えて進もうと呼びかけ人会議で決定し、賛同と参加の呼びかけを新たに開始しております。
 大野和興さんもこの呼びかけ人のみなさんの決断に快く応えてくださり、メインの講演を快諾いただいております。

日米両政府が、その帝国主義的な野望のもとに、2月末にも合意をはかろうと企んでいると言われる「TPP」に対し、この集会とデモの成功ではね返すステップとしましょう。

【とき】2月16日(日)午後1時半開会Photo

【ところ】大阪市立中央会館ホール
  (地下鉄堺筋線・長堀鶴見緑地線「長堀橋」下車(出口⑦)徒歩6分/近鉄・地下鉄日本橋線「日本橋」下車徒歩10分/地下鉄御堂筋線「心斎橋」下車徒歩12分)

【資料代】1000円

集会後、なんばまでデモを行います。

また、集会では、参加されたみなさんからの「1分間アピール」をド・フリーで募集しています。事前に申し込める方は、下記事務局へ。当日には午後3時までに受付にお申し出ください。

集会賛同をお願いします

【賛同】個人、団体問わず、1口・1千円(複数口歓迎)

【振込先】郵便振替 00950-9-202578

【加入者名】2・16シンポジウム

連絡先/事務局・〒550-0021 大阪市西区川口2-4-28 関西生コン内 ☎06-6583-5546

 

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2014年1月28日 (火)

「家族農業」ということについて

『実行委ニュース』第147号より転載。

「家族農業」ということについて

           新空港反対東灘区住民の会事務局長 松原康彦

 進さんを偲んで

 三里塚の萩原進さんが年末に突然亡くなられました。その3日前に気持ちのいい時間を4時間も共に過ごし、前日もお電話で話していただけに、未だにその事実が受け入れられず戸惑っています。
 進さんはよく「家族農業」の大事さということを話しておられました。この場合の「家族」は「核家族」ということばで表現されるものとは大きく違います。「家族」が孤立して農を営むというのとは違うのです。アメリカの歴史学者トマス C・スミスは、「江戸時代の農業は世界で最も進んだ農業だった」と書いています(1959年、日本語版大塚久雄監訳 1970年『近代日本の農村的起源』)。彼が美化する江戸時代の農業は、農民にとっては「生かさず殺さず」の厳しい年貢による収奪を背景としたものであったことがきれいに見落とされています。しかし、江戸時代にいたる「結(ゆい)」という繋がりを背景とした「ムラ」の形成が、2千年にわたる日本の農業の営みの中で山を、森を、林を、川を、平野を、つまり自然総体を作り上げてきたことが知られています。亜熱帯モンスーンの気候と厳しい山々に大半の土地が占められている日本でこそ、豊かな水を背景に、わずかな土地を切り開き、棚田の文化を中心にこの「素晴らしい」と彼が評価した収奪をはね返し生き抜いていくための自給自足を前提とし、自然との循環を前提とした農業が生まれたのです。それが「家族農業」でした。
 明治からの80年近い「戦前」は富国強兵を生み出す原資として都市住民に比べて圧倒的に過重な課税が「地租」として農民にかけられ、耐えかねた農民の小作化、労働者化を生み出しながら、世の中は帝国主義的発展を謳歌する背後で江戸時代の農業が引き継いで行かれました。

 戦後農業の変遷

 ところが、第1次世界大戦、第2次世界大戦の毒ガス研究の中から生まれた農薬、化学肥料などの投入と様々なトラクターなどの農機具の導入によって戦後の農業は大きく一変しました。Photoそれは1960年代に始まるこの国の自由化の流れの中で、自給自足の農業から農産物の商品化の農業、単一作物の生産と規模拡大を追い求める農業へと変わっていく(1961年、農業基本法制定)ことと一体のものでした。
 それはこの国の貴重な基盤であった自然との循環を断ち切り、同時に「子孫のために美田を残す」「未来からの預かりもの」といわれた土地を、土を戦後経済の発展の原資としたことによって簒奪が行われていったのです。開発によって自然が奪われていったのはもちろんですが、農業のこの変化が自然を破壊していったのです。
 そして長い営農の中で、農民の血と汗の結晶として育まれてきた肥沃な大地が、土が、農薬と肥料によって、あるいは重機の重さによって破壊されていったのです。農民の山下惣一さんは、戦後40年で田んぼがそれまでの貯えを失い、コメが死んで収穫できなかった事態を書いておられます。
 ある意味で、2千年かけて作ってきた「世界でもっとも進んだ農業」と言われたものを、農地を、自然を、戦後わずか60年でほとんど破壊し尽くしてきたと言えるのではないでしょうか。

 2・16シンポに

 しかも今、「GDPのわずか5%のために、95%を犠牲にするのか」といった主張を先頭に、今も農民の90%以上を占める「家族農業」を破壊しようとする政治が、この国の農業政策として進められようとしています。141
 その上、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加が安倍政権によって進められようとしています。これはISDS条項(投資家と国家の紛争解決条項)に象徴されるように、農地法をも解体し、土地を、農地を経済の原資として最終的に解体していくことにしかなりません。
 しかし、一方で世界の人口が2030年代には100億になると言われ、農業生産はこれ以上増えることは難しいと言われる時代の中で、「飢餓の時代」があちらこちらから囁かれ始めています。そんな中で、真面目にもう一度「自給自足」を、「農」と自然を軸とした人間の関わりとつながりを見据えることが必要となっているのではないでしょうか。福島原発事故の現実とそれ以降の推移は、「自然科学の発展」を根拠とした発達神話のおぞましさを暴露し、こうした「農」への想いを強く指示しているように思えてならないのですが、いかがでしょうか。
 こんな想いを抱きながら、みなさんに「ほんまやばいで TPP2・16シンポジウム」をご案内いたします。

(なお、右上の田んぼの挿絵は山形県高畠町の農民詩人の星寛治さんの著書『「耕す教育」の時代』(2006年)の挿絵を無断で転載させていただきました(高田美果さん絵)。右下の挿絵は、松田妙子さんに描いていただきました。)

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2014年1月27日 (月)

反対同盟が「3万人署名にご協力を」と呼びかけ

 三里塚反対同盟から市東さんの農地裁判控訴審勝利にむけた「3万人署名」への呼びかけが発せられましたので、全文を掲載し、みなさんの取り組みを訴えます。

控訴審勝利!3万人署名にご協力をお願いします

                      三里塚芝山連合空港反対同盟

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん。
 1366反対同盟は、市東さんの農地裁判控訴審闘争に勝利するため、1月12日の旗開きから、新たな3万人署名の取り組みを開始しました。
 昨年、12月、闘いなかばで無念にも倒れた萩原進事務局次長の遺志を引き継ぎ、わたしたちは三里塚闘争に必ずや勝利する決意です。
 一審千葉地方裁判所の闘いでは、7月29日の判決にいたる2ヵ月半で1万2千筆の署名を全国のみなさんのご協力で集め、多見谷裁判長に突きつけました。この署名の力によって、判決の確定を待たず強制執行を可能にする「仮執行宣言付き判決」を阻止することができました。
 親子3代100年近く耕し続けてきた農地と作業場などが暴力的に奪われる――こんな理不尽なことを許すわけにはいきません。控訴審の闘いに勝利するために、さらに多くの署名の力が必要です。ぜひとも、高裁にむけて3万人を集め切りたいと思います。

 安倍内閣は、「アベノミクス」で幻想をあおりながら、住民の命よりも金儲け優先の反動政治をおし進めています。非正規化で労働者に賃下げと長時間労働を強制し、農業や医療を切り捨てるTPPを推進し、原発の再稼働と新設を叫んでいます。そして特定秘密保護法を強行し、沖縄での辺野古新基地建設から憲法改悪、国防軍創設など戦争への道を突き進んでいます。
 こうした反動政治を止めるのは民衆の力です。私たちは、福島-沖縄-三里塚をひとつのものとして闘い、労働者、農民、学生、市民運動などあらゆる階層と幅広く共闘し、農地死守・実力闘争で闘います。力を合わせ、この政治を変えていきましょう。

 私たちは、3月23日に東京芝公園で全国総決起集会を行います。3月26日午後2時東京高等裁判所の控訴審第一回公判に多くの皆様の結集を呼びかけます。
 市東さんの農地を守り抜く闘いは、農民をはじめすべての人びとの生きる権利を守る闘いです。「農地取り上げは許さない」の怒りを3万人署名として実現することで、「国策裁判」をくつがえす力になると確信します。各地のさまざまな闘いが激しさを増す中で、ご多忙中の折りとは存じますが、職場の仲間、友人・知人など、ひとりでも多くの方々に署名を呼びかけていただければ幸いです。
 不当な訴訟指揮・判決を許さないためには、署名運動の広がりを随時、東京高裁・貝阿彌裁判長に示していく必要があります。第一次集約を2月15日にいたしておりますので、集まりました署名はできるだけ早くお届けください。
 ぜひとも3万人署名の実現にご協力いただきますようお願い申し上げます。

                            2014年1月24日

 私たちは、関西で広くこの3万人署名を実現するために以下の「署名呼びかけ人」のみなさんが立ちがあり、全力で取り組むことを決定いたしました。添付された署名用紙(PDF版「3.pdf」をダウンロード)を用い、集めてください。そして以下の送り先「コラボ玉造」までお届けください。

【署名呼びかけ人】 青栁 林(真宗大谷派速成寺住職)、荒木香人(全日建運輸連帯労組関西生コン支部執行委員)、竹本衣江(太鼓隊)、谷川真也(ロックバンドはちようび)、趙 博(歌劇派芸人)、永井満(自由メソヂスト岩屋教会牧師)、西山直洋(全日建運輸連帯労組関西生コン支部執行委員)、韓基大(STOP原子力☆関電包囲行動)、山本善偉(元高校教師)

【送付先】 〒543-0013 大阪市天王寺区玉造本町8-18 酒井ビルⅠ 203号室 コラボ玉造  (署名第1次集約 2014年2月15日)

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2014年1月25日 (土)

今週の産直野菜(1月25日)

14125 先ほど、三里塚からの産直野菜が届きました。

 さつまいも、ニンジン、チンゲンサイ、キャベツ、聖護院大根、ネギ 以上6品です。現地が天候によって厳しい状況にあるのを感じさせる中身ですね。

 しかし、土の中はしっかりと。ごぼうも美味しかったですが、昨年、小さなのが2個とどいてすぐ終った聖護院大根が立派なので入っています。

 しかし、開いたままで硬そうなキャベツが土の上での悪戦苦闘を物語っているようです。

 市東さんの署名のためのチラシ(リーフレット)の追加が届きました。みなさん。署名を集めましょう。

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2014年1月23日 (木)

萩原進さんを追悼する

『実行委ニュース』第147号より転載

萩原進さんを追悼する

永井 満(三里塚関西実行委員会代表世話人)

 131210三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長 萩原進氏の突然の訃報に接し言うべき言葉を知りません。12月28日、現地で営まれた葬儀に参列し、花に埋もれて棺内に眠る萩原さんに一茎の花を献げ、最後のお別れをしたその時、動かしようのない現実を改めて知らされ、深い喪失感を覚えました。しかし、式後館外に出た私たちを待っていた、一点の雲もない、真っ青な澄み切った空のもと、故萩原さんは旅立って行かれました。それは三里塚闘争を一点の曇りもなく指導し、闘い抜かれた故萩原さんの生涯を象徴しているように思われました。
 四十余年に及ぶ三里塚闘争を指揮し常に闘いの最先頭に立って牽引された一方、私たち関西住民の関西新空港反対闘争に対して、その発端である淡路国際空港反対闘争とそれに続く泉州沖建設に対する湾岸住民の闘いに、萩原さんは度々体を運び、支援し指導して下さいました。改めて深く感謝申し上げる次第です。
 私たち関西の住民は、故萩原さんの遺志を深く身に体し、勝利の日までともに闘い抜くことを霊前にお誓いいたします。

山本 善偉(三里塚関西実行委員会世話人)

 強制測量か第一次代執行の闘いかはっきり覚えていないが、映画「三里塚の夏」の中で闘う青年行動隊長・萩原進さんが、鎌を高くかかげて先頭に立ったあの精悍な姿がはっきり目に浮かぶ。
 同盟事務局次長として私たちとの交流会の席でいつもご自分はノンアルコールのビールで、酒好きの私たちと和やかに話されていた萩原進さん。
 困難な状況の中で冷静に反対同盟の闘いをリードされた指導者・萩原進さん。
 余りにも早い死別は悔やんでも悔やみきれません。だが、進さんが急死の直前まで考え、推し進めようと努力されていた事はなんだろうか。
 悲しみを乗り越えて、彼が遺された道を、私たちは引き継がねばならない。

日原 年和(関西空港反対明石住民の会事務局長)

 萩原進さんが亡くなられたことを聞いたとき、まさか、とてもお元気な萩原さんが亡くなるなんて「うそぉ」と信じられませんでした。
 現地の集会でお会いしたとき、発言される一言、一言にとても励まされたし、関西にこられたときも、大変お元気で、その発言に大いに感銘を受けていたものですから、その萩原さんが、まさか亡くなられるなんて信じられませんでした。
 それが現実となったいま、自分にできることはと問いながら、三里塚の闘いを我がこととしていくことが萩原さんの思いにかなうものだろうと思っています。

弥永 修(三里塚闘争勝利尼崎・伊丹実行委員会)

 萩原進さん、あなたとこんなに早くお別れしなければならないとは考えてもいませんでした。本当に無念でなりません。
 萩原さんと我が実行委員会は直接的なお付き合いはあまりありませんでしたが、関西実行委員会を通じてしっかりと繋がっていました。
 人の話からすると萩原さんは温厚な顔つきに似合わず相当頑固者らしかったそうです。三里塚闘争のあり方についても周囲からいろいろ提案されてもあまり聞き入れず「三里塚かくあるべき」の主張を曲げなかったとのことです。もっともそうでなければ裏切りと分裂が続いた三里塚において、若い頃から筋を曲げずに闘い続けてはこれなかったのかも知れません。
 また萩原さんは思いやりの人だったと思います。
 全国集会での萩原さんの発言は党派のアジテーションのように決して流暢ではありませんでしたが、そのぼくとつとした語り口調からは三里塚に結集する一人一人の組織とか立場を決して無視することなく、それぞれが抱えている課題と三里塚をしっかりと結び付けようとする配慮がいつもなされているように思っていました。「三里塚に集う人はみんな大切な同志」が漂う発言でした。もうあの基調提起を聞けないと思うと寂しい限りです。
 萩原さんの最後の檄は市東農地裁判の控訴審に向って「霞ヶ関(東京高裁)に攻め上ろう」でした。その遺志を引き継ぎ、悲しみを乗り越えて市東さんの農地を守るため闘い続けようと思います。

白石 裕(新空港反対東灘区住民の会世話人)

萩原さん逝去のニュースを聞いた時には大変に驚きました。残念無念な思いです。
 先の11月の私たちの小さな集まりで1968年の小川プロ制作「三里塚の夏」を見ました。
「萩原さんは若いね」なんて言いながらです。私自身が初めて見た時の高ぶった気持ちを懐かしみました。北総の台地の豊かな自然とそこで農業を営む人々を踏みしだいて破壊する国家に怒りをおぼえました。萩原さんたち青年が「やられているのだから自分たちも力で押し返そうではないか」と高まっていくさまに、そうだそうだと思いを重ねていました。
 戦後の民主主義が導入されたはずの日本で国の政策に翻弄された第一が農政でしょう。萩原さんの痛切な思いが現地集会での基調・その他の集会などの発言から伝わります。時に激しく、過激に国の政策への糾弾がほとばしります。しかしいずれも萩原さんは絶叫される様子ではなく順々と語られました。
 いずれの話をされる時も農業が国民の生活を支えていること、それを自分たちはしていることの自負があることが伺えました。
 欧米諸国等と農業の形態も違います。日本の農業は単純ではありません。大規模な経営が宣伝されてみても日本の農業は繊細な感性が大切ではないでしょうか。産業優先で豊かな農地をコンクリートの下に埋めて農民を追い立て工業団地が出来ても、巨大空港が造られることも農業を踏みにじり農民を悲しませても恥じない国の農政とは何でしょうか。
 いまTPP政策が驀進していませんか。日本の農業は破壊されてしまうでしょう。モンサントの種とそれにあう農薬の毒性にまみれた食品で国民に異常が発生しようが仕方のないことでしょうか。それがグローバルなんだなんてことではありますまい。
 萩原さんの国のありように対しての強く深い怒りは、日本の農業の問題、そして沖縄の基地の問題、地震の後の福島のこと、そしてなによりも三里塚のことに怒りをぶつけています。私は萩原さんの思いを共有します。
 今、市東さんの農地を守ります。

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2014年1月22日 (水)

萩原さんの遺志を受け継ぎ闘いぬこう

『実行委ニュース』第147号より転載

萩原さんの遺志を引き継ぎ闘い抜こう
2014年を勝利の年にしよう

                淡路町空港反対同盟事務局長 安藤眞一

 昨年末12月21日、「萩原事務局次長逝去」の悲しい知らせがありました。何度もなんども「本当か、本当か」と聞き返したことを思い出します。
 新年が開け「農地死守・空港廃港」の萩原さんの遺志を受け継ぎ、必ず勝利する決意をますます強めています。私たち関西実行委員会とともに闘う仲間の皆さんも、決意と思いは同じだろうと思います。
 1月19日の「関実旗びらき」で闘いの陣形をととのえよう。3月23日の東京芝公園での「三里塚全国集会」に決起し、3月26日「市東さんの農地裁判控訴審闘争」に立ち上がることを心からみなさんに訴えます。関西のたたかう仲間が萩原さんの遺志を受け継ぎ断固たたかいぬいている姿を天国の萩原さんに届けましょう。
 個人的なことで恐縮ですが、萩原さんとの出会いは、淡路空港反対の時代から40年以上もの交わりをいただき、私にとっては「不屈非妥協の手本」のような存在でした。1414あの『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968年小川プロダクション作)の映画で登場した若き青年行動隊長の萩原進さんは「我々は竹やりと鎌を持って武装した」と国家権力機動隊に対する戦闘宣言を発する一方で、「農作業を必死で続ける」という農地死守の決意も述べられています。この萩原さんの姿は、私たちに「生活を土台にして、命をかけて権力の不正義に立ち向かえ」と強烈にせまるものでした。この萩原さんのメッセージは40年以上経た今も新鮮であり、全国で闘う一人でも多くの皆さんに伝えたいメッセージです。
 あらためて萩原進さんのご冥福を祈るとともに、ご家族の皆さんに哀悼の気持ちを表します。

 市東さんの農地を守る新たな署名運動に全力を

 すでにご承知のとおり、市東さんの農地裁判は東京高裁に闘いの場が移り、控訴審勝利を目指して3月26日の第一回口頭弁論が開始されます。この闘いを絶対勝利させるために、全国から関西から多くの声を高裁に届ける必要があります。この署名活動はなによりも市東孝雄さんを勇気づけ、農地強奪の違法・不正義を明らかにする署名活動です。
 萩原さんはお亡くなりになる直前の12月16日の第三誘導路裁判の報告会で「市東さんを不法耕作者だと決めつける判決は許せない。不法、違法をやっているのは国やNAAだ。新たな署名活動を続け、3・23を成功させて3・26の高裁闘争に決起しよう」との呼びかけられました。私たちは、3・23と3・26を闘いつつ、関西実行委員会の総力をあげて署名活動に集中しましょう。
 前回(昨年の4月~7月)に取り組んだ署名は千葉地裁の反動判決を阻止する声と市東さんへの励ましを込めた緊急的な署名活動でした。関西からも3000ちかくの多くの署名を届けました。このたびあらたに取り組む署名は、前回ご協力いただいた皆さんをはじめ、何倍もの方々に声がけを行い、市東さんの正しさ、故萩原さんの無念の思いを伝えましょう。
 皆さん方の周辺には「え!三里塚はまただ終わってないの」とか「お金をもらって出ていったらよいのに」などと間違った印象をお持ちの方がたくさんいると思います。そんな方々に「国の暴力で空港をつくり、法律を守っていないのが国やNAAだ」「市東さんは補償金よりも農業を続け、皆さんに命の糧をつくりたいと願い闘っている」と熱心に伝えましょう。
 皆さん方の熱意の度合いが高ければ高いほど、署名に賛同してくれる皆さん方の数が大いに盛り上がると確信いたします。

 2・16シンポを成功させよう

 趙博さん(歌劇派芸人)や関西生コンの西山直洋さん、全港湾の樋口万浩さんをはじめ11人(1月9日現在)のみなさんが呼びかけておられる『ほんまやばいでTPP 2・16シンポジウム』を、みなさんの力で成功させていただくことを最後に訴えます。
 「TPP反対の先頭に三里塚が立つ」「市東さんへの農地強奪は、全国の農民への攻撃だ」とこの『2・16シンポジウム』で話しをされることを誰よりも楽しみにしておられたのが萩原進さんでした。それがかなわなくなった萩原さんの無念を、まさに「弔い合戦」として多くのみなさんの賛同と結集を勝ちとることで成功を実現しましょう。そのことで、市東さんの問題を多くの人に伝え、署名運動にはずみをつけ、3・23→3・26への新たな過程を生み出す力としていきましょう。
 2・16中央会館に集まろう!

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2014年1月21日 (火)

『実行委ニュース』 第147号 発行

14110 関西実行委の機関紙『実行委ニュース』第147号が、1月10日付けで発行されました。

 昨年末、反対同盟の萩原進さんの突然のご逝去に直面し、意図したわけではありませんが、「追悼特集」になりました。

 巻頭は、淡路町反対同盟事務局長の安藤眞一さんの「萩原さんの遺志を受け継ぎ闘い抜こう ― 2014年を勝利の年にしよう」
 以下、順次、
 「第37回団結野菜市が成功裏に終わる」事務局Tさん
 「萩原進さんを追悼する」
  関西実行委代表世話人 永井満さん
  関西実行委世話人 山本善偉さん
  明石住民の会事務局長 日原年和さん
  尼崎・伊丹三里塚実行委 弥永修さん
  東灘区住民の会世話人 白石裕さん
 最後に「『家族農業』ということについて」東灘区住民の会事務局長 松原康彦

 萩原さんの遺志に応え、市東さんの農地裁判への署名運動、2・16シンポジウム、3・23全国総決起集会(東京・芝公園 午後1時)、3・26農地裁判控訴審闘争に全力で立ち上がりましょう。

 昨日、発送作業をしましたので、会員のみなさんのところには、今日か明日に届くと思います。

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2014年1月20日 (月)

関西実行委 2014年団結旗開き

14119
 昨日、関西実行委員会恒例の「2014年 団結旗開き」が60名の参加のもと賑やかに開かれました。

 14119_2安藤眞一事務局次長が司会。山本善偉世話人が主催者挨拶。「乾杯の音頭の方がいいんだが」と登壇し、「萩原さんの遺志をついで、3月にむけ頑張ろう」と。つづいて反対同盟の市東孝雄さん、萩原富夫さんからのメッセージが紹介されました。

 連帯の挨拶に部落解放同盟全国連合会の滝岡さん、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川さんが。

 事務局次長の松原が、闘いの現況、「ほんまやばいでTPP 2・16シンポジウム」の取り組みの重要性を訴えた上で、14119_33月23日、26日に向けて、市東さんの農地署名を軸に2・16から3月への大きな流れを作っていこうと訴えました。

 所用があって遅れて参加された永井満代表世話人が、萩原さんの葬儀の様子などを語られた上で、「萩原さんの遺志を引き継いで関西実行委員会がこれからどう闘うかが問題だ」と提起され、乾杯の音頭をとられました。

 14119_4歓談をしながら、関西合同労組の石田委員長、福井から駆けつけてくださった渡利さん、昨年末の「現地調査」の感想を熱く語られた村上さんなど次々と想いと決意が語られていきました。風をおこす女の会のみなさんの「寸劇?」が行われている最中に、ネット上に「稲嶺進 当選確実」の報が入り、14119_6一気に会場の雰囲気が熱くなりました。最後に、永井さん、山本さんはじめクリスチャングループによる讃美歌。

 最後に恒例になった「反対同盟の歌」「インターナショナル」をみんなで肩を組んでの斉唱をして、新しい年の団結と闘いの勝利に向けた旗開きを閉じました。

 2・16シンポ、3・23東京芝公園、3・26控訴審闘争へ攻め上ろう!

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2014年1月18日 (土)

今年最初の産直野菜(1月18日)

2014118 今年最初の産直野菜が、三里塚から今とどきました。

 ごぼう、ニンジン、さつま芋、玉レタス、チンゲン菜、カブ、ネギ、大根 以上8品です。
 年末の団結野菜市ではなんとか届いた白菜が、「野菜だより」によれば「巻かなかった白菜」と書かれていて、届きませんでした。残念。
 私たちの体感は寒いのですが、白菜には温かったのですね。

 一緒に、市東さんの農地の署名運動のためのパンフレットとチラシがどんと届きました。

 萩原さんが亡くなられた最初の産直野菜でもあります。萩原さんの悔しさ、無念をはらし、3・26農地裁判控訴審闘争に向けて、「ほんまやばいでTPP 2・16シンポジウム」を成功させ、3・23全国集会(東京・芝公園)から3・26へと新たな流れを生み出しましょう! その過程を「農地はいのち」の署名運動で作り出していきましょう。明日の関西実行委員会の団結旗開きがその出発点です。お集まりください。

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2014年1月13日 (月)

2014年 三里塚反対同盟団結旗開き

14112
 昨日1月12日、三里塚反対同盟の新年団結旗開きが、130名の参加の下、14112_2萩原進さんの突然の逝去という悲しみを乗り越えて盛大に行われました。

 旗開きに先立って行われる集会とデモに参加するために早朝に現地に。14112_3時間があったので、東峰墓地の進さんのお墓に線香をあげて、お参りしました(右写真)。手前にある大木よねばあちゃんのお墓にも(左写真)。

 14112_4そこから東峰神社に。みなさんが集まられて、新しいしめ縄を反対同盟がつけられ、そこで北原事務局長が年頭の挨拶。気力あふれる挨拶の後、ご自分で「団結ガンバローをやろう」と音頭を取られたのには、参加者から「おーっ」と驚きとも感動とも取れる声も。14112_5早朝から来ていたので先立って、市東さんのところにある古い方の監視台から東峰神社の遠望を(左写真)。冬のこの時期にもかかわらず立木が大きく滑走路面に食い込んでいるのがわかります。14112_6

 それから市東さんのお宅の南側にある開拓道路で集会。ここでも北原さんがお元気に提起。ここでは動労千葉、市東さんの会、葉山弁護士とともに、私の方から挨拶をさせていただきました。
 14112_7デモに出発です。ここでも北原さんがお元気に先頭に立たれたのが印象的でした。
 デモは、開拓道路から市東さんのお宅の前を通って、南台の畑に。

 その後直ちに車に分乗して、成田市内の旗開きの会場へ。
 14112_8旗開きでは、朝の集会でも紹介された「闘争宣言」が読み上げられ(「14.1.12闘争宣言.pdf」をダウンロード)、14112_9北原さんのこの日3度目の挨拶。市東さんの想いのこもった挨拶が続きます。市東さんの音頭で乾杯。しばらく歓談のあと、動労千葉の田中委員長の挨拶に続いて、関西実行委員会から代表世話人の永井さんが挨拶。その後は、延々と挨拶が続きます。14112_10それぞれが、萩原進さんの壮絶な「戦死」を越えて、3・23、3・26控訴審闘争を闘い抜くことと、新たに反対同盟から提起された「市東さんの農地取り上げに反対する」署名運動への決起を決意していきます。
 最後に、萩原富夫さんがまとめの挨拶をされ、野平さんの音頭で団結ガンバロー三唱をして旗開きを終えました(最初写真)。

 北原さん、富夫さん、市東さんをはじめ反対同盟のみなさんの悲しみを乗り越え、踏ん張り、闘い抜こうとされている想いがひしひしと伝わってきました。直ちに署名活動を取り組むと共に、3・23東京芝公園に、そして3・26東京高裁に総決起しよう!

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2014年1月11日 (土)

1・19関西実行委 2014年団結旗開き

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 2014年 関西実行委員会団結旗開き

◆ 2014年1月19日(日)午後6時~8時半
◆ 所・神戸学生青年センター ホール

 Photo2014年、市東さんの農地を守る闘いを中心に、48年の三里塚闘争の成否をかけた闘いのときを迎えました。
 市東さんの農地を守る農地法・行政訴訟の控訴審(東京高裁)が3月26日から始まります。「国策」裁判を打ち破り、「耕す者に権利あり」とする農地法の趣旨を守り、徹底審理と公正な裁判を実現しよう。3・26東京高裁に総結集しよう。
 この決戦の只中、私たちは反対同盟と三里塚闘争の大黒柱である萩原進事務局次長を突然に失うという悲しみとくやしさの中で迎えることになりました。
 闘い半ばで逝った萩原進さんの無念に、私たちは2014年の闘いの爆発と高揚で何としても応えたい。
 その闘いの第一歩を、旗開きから踏み出そうではありませんか。共に参加を呼びかけます。

●旗開き会費 1000円
 例年通り、酒・ビールなどアルコール類は各団体持ち寄りでお願いします。
 また団体・個人の出し物の準備をお願いします。
 団体旗、組合旗をお忘れなく!

                三里塚決戦勝利関西実行委員会

 (最初の写真は、昨年の団結旗開きより)

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2014年1月10日 (金)

日本経済の破綻の象徴 (『おしらせ』92号より転載)

日本経済の破綻の象徴、港湾貨物取り扱い量の激減
ヒト・モノ・カネの流れを失ったアベノミクス

 右の表は、朝日新聞が神戸港の活性化に向けた日銀神戸支店の提言を報じた記事(2013年11月27日付)に掲載されたものです。朝鮮戦争当時世界1の貨物取り扱い量を誇った神戸港が、1980年には世界3位(以降はコンテナ取扱量)、1985年には同5位、1995年(阪神大震災の年)には同23位、2005年には同39位、2012年には同52位と留まるところをしらない転落状態が明らかにされています。子どものころに、「神戸港は世界1だ」と地元自慢を叩き込まれた身には、ある意味感慨を覚える数字です。
 1419しかし、この表を見て重視しなければならないことがあります。一つは、1980年に1位だったニューヨークが1990年には5位以下に転落し、同じく2位だったロッテルダムも2005年には5位以下に転落。欧米の港に代わって、上位5港は全てアジアの港が押さえています。これはアジアの経済発展が、中国の驚異的な成長を軸に進んだことを示しています。
 第2に、そのアジアの巨大な成長の中で、日本の港が東京、横浜、名古屋を含め、大阪、神戸も軒並み転落しているという惨状です。現在、日本最大の取り扱いをもつ東京港が、1995年の12位を最後に、転落を続け現在は28位なのです。これが経済大国、GNP世界3位といわれる日本の港湾における「ヒト・モノ」の流れなのです。
 左下図は、同じ朝日新聞のアジアの港湾の激しい競争の現況を示した図(13年4月11日付)です。日本の港は、東京・横浜をあわせた京浜港、大阪・神戸をあわせた阪神港として表示されていますが、それでもごくごくわずかにしかなっていないことが示されています。13124_2しかも、この図には成長著しい中国の深チェン(世界4位)が省かれています。深チェンを含めてこの図に表された総量の中でも、京浜港は5%、阪神港は3%を占めているだけです。アジアの港湾はこれら以外にも沢山ありますから、日本のコンテナ扱い量は、アジア全体の5%程度だということです。
 上海や釜山をはじめこれらの中国や韓国のアジアの港における整備の凄さと、利用料の安さから、この状況は日本にとって現在の1995年以降の状況が示すように悪化することはあっても改善することなどはありえないとしか考えられません。
 安倍政権が、アベノミクスの幻想(すでに破れ目が見えるとはいえ)を振りまきながら、他方で、国家安全保障会議設置法の成立を強行し、今また「特定秘密保護法」成立へ突っ走っている、あるいは年明けの通常国会では「共謀罪」をも成立させ、改憲クーデターによる強権国家の成立、人民支配強化を目論んでいるその根拠が、この港湾における取り扱い量の激減、アジアの中で完全に立ち遅れ、取り戻しようもないこの現状に追い詰められ、「また再びの道」である戦争衝動、侵略への衝動に駆られているからなのではないでしょうか。それは、TPP(環太平洋経済連携協定)加盟衝動と日米安保(軍事同盟)=属国化による徹底したアメリカ追随の結果とは言えないでしょうか。
 毎日5500万円もの巨額の税金を注ぎ込みながら、にっちもさっちも行かない増殖炉もんじゅの維持を図り、放射性廃棄物の再処理過程を何がなんでも維持しようとするのは、プルトニウムの保持による核戦略からであることが明らかです。福島原発事故の原因の究明も廃炉の過程も、現在の垂れ流され続けている放射能の問題も何一つ目処が立たないまま、いや、それらを闇から闇に葬ろうとしながら、原発の輸出を具体的に進める安倍政権の意図もまた、アメリカの核戦略に追随しながら、戦争、侵略への衝動を隠そうともしていないと見るべきではないでしょうか。
 私たちは、この港湾における明確な破たん、アベノミクスの虚構に示された安倍政権の政治を断じてゆるしてはなりません。何よりも、福島事故で今も避難を余儀なくされている16万といわれるみなさんをはじめとした福島の人々、わけても子どもたちの未来を守るために、全力で立ち上がろうではありませんか。また、沖縄選出の自民党国会議員を恫喝し、「県外移設」の旗を下ろさせた強権政治を断じて許してはなりません。年内の仲井真知事の屈服を迫る安倍政権の政治を許さず、1月名護市長選挙で、「辺野古新基地建設反対」を掲げた稲嶺進市長の再選をなんとしても勝ち取ろうではありませんか。そして国策をかかげ、農地を守るべき農地法で市東孝雄さんから農地を奪い取ろうとする成田空港拡張の蠢きを断じて許してはなりません。3月26日、市東さんの農地に係る行政訴訟・農地法裁判控訴審第1回口頭弁論闘争に全力で結集しよう。また伊方原発をはじめとした原発再稼働を絶対に許さず、すべての原発の廃炉に向け闘おう!
                  (住民の会事務局長 松原康彦)

(新空港反対東灘区住民の会機関紙『おしらせ』第92号 2013年12月7日発行より転載しました)
 

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2014年1月 9日 (木)

三里塚反対同盟の新年デモと旗開きの案内

 三里塚反対同盟から、新年デモと団結旗開きの案内が出ております。以下に転載してご紹介します。

   2014年 新年団結旗開きの案内

 全国の闘う仲間のみなさん!三里塚闘争は48年目に突入し、霞ヶ関に攻めのぼる決戦の年を迎えました。反対同盟は、1月12日(日)新年最初のデモと団結旗開きを行い、新たな3万人署名とカンパの取り組みを開始します。
 市東さんの行政訴訟・農地法裁判の控訴審が3月26日(水)から始まります。反対同盟は、この控訴審闘争で一審千葉地裁・多見谷寿郎裁判長による農地強奪・農民殺しの極反動判決を覆し、勝利を切り開くため全力で闘います。3月23日(日)には、東京・芝公園で全国総決起集会を開催し、東京高裁に向けたデモをおこないます。
 安倍政権は、戦争・改憲にむけた日本版NSC法案や特定秘密保護法案を強行採決させ、原発の再稼働・輸出を狙い、さらにTPPの強行を策動しています。
 労農連帯のもと、安倍政権に対する全国の労働者人民の怒りを結合し、福島、沖縄、反TPPの闘いと一体となって、霞ヶ関に闘いの渦を巻き起こそうではありませんか。
 12月21日、47年間先頭で闘いを担ってきた萩原進事務局次長が急逝されました。かけがえのない指導者を失い、断腸の思いです。悲しみのただ中ではありmすが、三里塚闘争勝利にかけた萩原事務局次長の思いに応えるためにも、多くの結集を呼びかけます。

            記

  2014年  新年デモと旗開き

期日  1月12日(日)
   ●新年デモ                     
      午前10:30集合
      場所:市東孝雄さん宅前南側開拓組合道路
   ●団結旗開き
      午後1時
    会場  レストラン「ハナマサ」(成田市並木町)
      参加費  1人2500円

 主催・三里塚芝山連合空港反対同盟

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2014年1月 8日 (水)

悲報 萩原進氏逝去  『抵抗の旗』より転載

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反対同盟事務局次長 / 初代青年行動隊長
悲報 萩原進氏逝去
遺志を引き継ぎ 霞ヶ関に攻め上ろう

 本年も尼崎・伊丹実行委員会へのご支援よろしくお願いします。

 しかし今年はとても新年の挨拶をする気になれません。昨年末、私たちに非常に悲しむべき連絡が入ったからです。三里塚反対同盟事務局次長の萩原進さんが急性心不全で急逝したとのことです。(12月21日午後10時過ぎ 享年70歳)
 その報に接したとき、何がどうなったのか、まさに頭の中が真っ白になりました。確かに以前から心臓に違和感がありアルコールも控え節制されているとは聞き及んでいましたが、年齢的にもまだまだ同盟を牽引していただけると思い込んでいました。
 氏は1966年22歳の若さで反対同盟に参加し、初代青年行動隊長として最先頭で闘い続け、そして現在は事務局次長として長年にわたり北原事務局長とともに闘いを担ってきました。
 我が関西実とも親交が深く何ども関西にかけつけて檄を飛ばしました。また沖縄にも足を運び連帯を深め、最近では被災地福島の人々に新鮮な野菜を届けたり三里塚に招いたりとまさに大車輪の活躍の年月でした。
 しかし裁判闘争はじめ責任感の強い氏には私たちには判らない心労が重なっていたのでしょうか、突然帰らぬ人となりました。本当に無念です。

  【決意引き継ぐ】

 12月28日、成田市内でしめやかに告別式がもたれた。用意された椅子が足らず、数十人の方が立ったままだったというほど多くの参列者があったとのことです。
 関西実からも永井代表や山本世話人らがかけつけました。そして市東孝雄さんが「進さんの決意を引き継ぎ闘い抜く」と涙ながらに弔辞を読まれたとのことです。そして遺骨は東峰墓地に埋められました。
 萩原進さん、長い闘いの人生ほんとうにご苦労様でした。安らかにお休みください。

  【霞ヶ関に攻めのぼろう】

 市東農地裁判は東京高裁に移りますが、「敵の土俵」であることには変わりありません。市東孝雄さんは、11月24日のシンポジウムで「裁判長に分からせる何かをやってみたい。(進さんが言うように)霞ヶ関に攻めのぼるという感じでやりたい」と決意しています。
 私たちも悲しみを乗り越えてこの市東さんの決意に続こうではありませんか。3・26控訴審闘争に故人の遺志を引き継ぎ、立ち上がりましょう。

(「三里塚闘争勝利・関西新空港粉砕 尼崎・伊丹実行委員会」機関紙『抵抗の旗』第268号 1月7日発行 より転載させていただきました。最初の写真は、昨年7月14日、千葉市内で開かれた全国集会でまとめの提起をされる萩原進さん。)

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