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2013年12月31日 (火)

萩原進さんを偲ぶ(その5)

『3・11ですべてが変わった(その3)』(2011.9.23)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-db18.html

『10・9三里塚 基調報告(1)』(2011.10.14、全国総決起集会で)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-a80c.html

『10・9三里塚 基調報告(2)』(2011.10.15)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-a44d.html

『進さんの農業への想いと福島・TPPへの怒り』(2011.10.29、10・24市東さんの会学習会での発言より)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/tpp-939d.html

2012年1月7日、鈴木謙太郎さんが心原性脳梗塞で倒れ、亡くなられた。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-b8d9.html 翌日、反対同盟は団結旗開きを闘い抜き、この悲しみを闘いの中で乗り越えていくことを確認した。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-479b.html

『3・25三里塚全国総決起集会に1055名』(2012.3.28)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-be51.html

『7・8現地緊急闘争に参加して』(2012.7.9)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-51a1.html

『「この国の農業と三里塚」の集いとデモに135人』(2012.9.18)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f424.html

『裁判所を圧倒した萩原証言』(2012.11.13、11・12市東さん農地裁判で)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-ce6d.html

13113『反対同盟から方針提起(1)』(2013.1.20、1・13反対同盟・団結旗開き)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0287.html

『反対同盟から方針提起(2)』(2013.1.21)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-ce9c.html

『農地裁判闘争 進さんの証言』(2013.2.6、2月4日の法廷)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-4711.html

『3・7緊急現地闘争でのまとめと提起』(2013.3.11)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-6e15.html

『3・24三里塚 基調報告(1)』(2013.3.31)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-b86e.html

『3・24三里塚 基調報告(2)』(2013.4.1)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-dd83.html

7月29日、千葉地裁多見谷裁判長は、農地法による市東さんの農地強奪の反動判決。怒りが法廷内外に溢れる。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-b739.html

 多くの闘い、裁判などの現場で萩原さんが話されたことを記事の中に書いていますが、そのほとんどは省かせていただきました。

 こころから進さんのご冥福を祈ると共に、新しい年、反対同盟の団結旗開き(1月12日)、関西実行委員会の団結旗開き(1月19日)を出発点に、市東さんの農地を守り、三里塚闘争勝利に向け、正に「弔い合戦」として激しく闘いぬきましょう。

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2013年12月30日 (月)

第37回 三里塚団結野菜市が成功

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 12月27日、もう37回目を迎えた三里塚団結野菜市が行われました。前夜からの雨が降り続き心配されましたが、荷物を降ろすのは大変だったでしょうが、野菜市の前の集まりの頃には完全に雨も上がりました。

 恒例で、明石住民の会の日原事務局長の司会ではじまります。壇上には亡くなられたばかりの萩原進さんの遺影が。挨拶に立たれた永井関実世話人は、37回に及ぶ野菜市が関実と三里塚反対同盟の団結の歴史の証しであることを語られた上で、5日前に亡くなられたばかりの萩原進反対同盟事務局次長への追悼の言葉を捧げられ、最後にみなさんに黙祷を捧げようとよびかけられました。
 野菜を三里塚現地から運んできてくださった三里塚現闘のFさんが、三里塚産直の会からのメッセージを読まれた上で、萩原さんが亡くなられた22日の様子を詳しく語ってくださいました。
 私から、亡くなられる直前の18日、現地調査に訪れた関西生コンの西山執行委員、荒木執行委員や原発監視テントの臼田さんなど6人と反対同盟との交流会が、ほんとに楽しくかつ厳しい雰囲気の中で行われ、萩原さんが楽しんでおられたご様子を報告しました。

 131227_2さあ、山と積まれた野菜を注文された団体ごとのたばに仕分けです。さすがに37回目。みなさん、慣れた様子でどんどん進んでいきます。私たち住民団体も、お元気な故加辺事務局長のつれあいの美智子さんや山田さんの音頭でピーナッツが小袋にどんどん詰められていきます。
 全体が分け終わったところで、私たち東灘は、今度は配る各会員さんごとにご注文に従って箱詰め。大きなダンボール25箱と、大口のところへの袋に入れた大根やごぼう、落花生などを車に積み込んで、さあ、配達だ。

 結局、最後の山本先生の所に運び込んだ時には、もう4時過ぎ。慌てて先生の家で喪服に着替えさせていただいて、先生と成田での葬儀に向かって出発です。車は、JR西宮駅に関西合同労組の石田委員長に取りに来ていただいてすべてが終了。

 なお、反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/index.htmlに萩原進さんのこの秋から年末にかけてのご発言のまとめたものと、葬儀での市東孝雄さんの弔辞、北原鉱治事務局長のご挨拶が掲載されています。ぜひご覧ください。

 団結野菜市へのメッセージ     三里塚産直の会

 関西実行委員会のみなさんによる団結野菜市への取り組みにあらためて感謝いたします。2013年、反対同盟は市東孝雄さんの農地をめぐる一審の攻防を聞いました。 7月29日の判決では、「農地明け渡し」の命令が出ましたが、成田空港会社が最も望んでいた「仮執行宣言付き」の判決を出すことは阻みました。年初から今までのレベルを超えた闘いを展開した成果だと、自信を深めています。
 緊急3万人署名への熱い協力、ありがとうございました。この過程で私たちは、三里塚闘争史上初めて、周辺、騒音下住民との連帯。結合を求めて、8回にわたる一斉行動を展開し、大きな前進をかちとりました。第3誘導路に対する反撃、成田空港会社による24時間空港化との対決などを闘いぬき、闘いの陣形を発展させてきました。さらに、東京~全国へ、さまざまな闘いの場に同盟自身が参加して、陣形を広く拡大する取り組みも本格的に開始しました。2013年は画期的な勝利の年だったと胸をはって宣言するものです。
 2014年、闘いの場はいよいよ東京高裁へと移ります。私たちは霞が関で、激しく、粘り強く展開されている反原発闘争のうねり、沖縄辺野古新基地建設反対の闘い、反TPPの労農漁民の闘い、そして6000万労働者の只中に躍り込んで、必ず一審。多見谷判決を打ち砕く決意です。
 こうした展望に確信をもちつつある中、さる12月21日、私たちの大黒柱であつた萩原進事務局次長。当会の代表が急性心不全で急逝しました。突然の死去による悲しみとショックは言葉になりません。しかし、闘いは待ってはくれません。萩原代表自身が、闘いの中断を何よりも拒否しているはずです。2013年の勝利を先頭で切り開いた萩原代表の思いを100パーセント以上実現する決意で、私たちは2014年年頭から旧年を倍する市東さん農地決戦の激戦に突入します。
 関西では関西新空港の経営危機がいよいよ深刻化する一方、神戸における規制緩和の攻撃、何よりも八尾空港へのオスプレイ展開の動き、迎撃ミサイルPAC 3の移動訓練、舞鶴港に隣接する京丹後市経ヶ岬へのXバンドレーダー基地建設の攻撃など、安倍政権の改憲・戦争攻撃との闘いがし烈になっていると聞きます。しかし特定秘密保護法反対の闘いで、巨万大衆の地鳴りのような決起が本格的に始まりました。歴史が動いています。勝利は私たちのものです。東西両軍事空港に反対してきた関西。三里塚こそが闘いの先頭に立ちましょう。萩原代表の闘魂の前に、必ずや大きな成果を届ける決意です。
2013年12月 27 日

                         東灘区住民の会 松原記

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2013年12月29日 (日)

萩原進さんを偲ぶ(その4)

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 昨日午前、立ったまま参列された人が数十人出たほどの多くの弔問客が集まられる中、故萩原進さんの葬儀が行われました。天台宗による葬儀の最後に市東孝雄さんから、幾度か涙で止まりながら想いのこもった弔辞が読み上げられました。「進さんの決意を引き継ぎ闘い抜く」ときっぱりと表明。多数の弔電の中から関西生コン武委員長や全港湾関西地本山元委員長など10本ほどが紹介されたあと、喪主の萩原富夫さんから(上写真)、131228_2この秋の運動会で長男のお孫さんが1等になってメダルを貰ったのを進さんがほんとに嬉しそうにしておられた様子などが語られましたが、最後は涙で、言葉にならず。
 遺骨は、東峰墓地のいちばん奥まったところに東峰部落の小泉さんなどみなさんの手で埋められました。残ったみなさんで、改めてご冥福を祈りながら焼香をさせていただきました。

『三里塚と沖縄を結ぶ 進さん(その1)』(2010.9.27)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-bb8b.html

『三里塚と沖縄を結ぶ 進さん(その2)』(2010.9.28)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-a1e6.html

『10・10三里塚 基調報告(その1)』(2010.10.15)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-586d.html

『10・10三里塚 基調報告(その2)』(2010.10.16)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-ed41.html

『第34回団結野菜市への進さんのメッセージ』(2010.12.28)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-e720.html

『1・9反対同盟旗開きでの進さんの提起』(2011.1.12)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-372c.html

『市東さんの行政訴訟、農地法裁判』(2011.4.13)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7622.html

2011年5月20日、東京高裁井上裁判長は天神峰現地闘争本部の撤去解体を認め、仮執行宣言を付けるという極反動判決を強行した。しかも、執行停止を求めていた反対同盟・支援50名を不当にも「不退去罪」で逮捕するという前代未聞の弾圧を強行した。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-d923.html

『5・24行政訴訟・農地法裁判報告(2)』(2011.5.25)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-0962.html

『4・27~28福島現地訪問報告』(2011.5.26)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-ffd5.html

6月22日、「市東さんの農地を守る沖縄の会」と三里塚反対同盟が共催して沖縄で初めて「6・22三里塚の今を考える沖縄集会」が開かれた。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-f3ff.html 翌日には沖縄慰霊の日、魂魄の塔近くで開かれた「6・23国際反戦沖縄集会」で萩原さん、市東さんの発言が行われた。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-570a.html

『6・22沖縄集会での進さんの挨拶』(2011.6.30)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-8931.html

『7・18緊急闘争 基調報告』(2011.7.20)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-4870.html

2011年8月6日未明、国家権力は機動隊の力で暴力的に天神峰現地闘争本部の解体破壊の攻撃にうって出てきた。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-58d4.html

『3・11ですべてが変わった(その1)』(9・18三里塚関西集会での進さん、2011.9.21)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-9713.html

『3・11ですべてが変わった(その2)』(2011.9.22)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2a27.html

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2013年12月26日 (木)

萩原進さんを偲ぶ(その3)

『10・11三里塚 基調報告』(2009.10.14)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-09f3.html

091025_2『10・20農地裁判 まとめ』(2009.10.23)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-ef22.html

右写真は、10月25日開かれた『産直交流・芋ほり大会』でお孫さんと。

『11・12現闘本部裁判 まとめ』(2009.11.16)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d9bc.html

『農民階層の存在とたたかい』(2009.11.25、『11/22講演&パネルディスカッション(市東さんの会主催)』での進さんの発言)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-4f1f.html

『第33回団結野菜市へのメッセージ』(2009.12.30)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e0e2.html

『関実旗開きでの訴え(1)』(2010.1.21)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fd4e.html

『関実旗開きでの訴え(2)』(2010.1.22)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-4493.html

42514_32010年4月25日、沖縄で9万人が結集した県民大会に進さん、市東さんが反対同盟旗とともにその中央に。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-adf2.html

『萩原事務局次長 語る』(2010.7.4)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f828.html

『7・31緊急闘争 市東さんと萩原さんの挨拶』(2010.8.20)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-11ef.html

【管理人】 今日はパソコンの機嫌が悪いのか、途中で3度もトラブル。そのつどやり直し。明日の野菜市の準備がありますので、これにて。進さんの葬儀が終わって、帰ってきてから継続させていただきます。           

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2013年12月25日 (水)

萩原進さんを偲ぶ(その2)

今日も、萩原さんを偲ぶ「関実・三里塚ブログ」の過去の記事を古い順に紹介します。URLをクリックしていただければ、その記事に入れます。なお、記事名の後の日付はすべて記事の日付です。

『農業問題と三里塚闘争(1)』(関西の7・21湾岸住民研修会での進さんの講演、2008年7月26日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_25ab.html

『農業問題と三里塚闘争(2)』(同上、2008年7月27日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_6138.html

『農業問題と三里塚闘争(3)』(同上、2008年7月28日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_6c1e.html

『農業問題と三里塚闘争(4)』(同上、2008年7月29日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_a993.html

『10・5三里塚へ 萩原進事務局次長の訴え』(9・22関西集会で、2008年9月26日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-b8b7.html

『農地取り上げ違憲訴訟公判』(報告会での進さんのまとめ、2008年10月1日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-b4a5.html

『10・5全国集会 基調報告』(2008年10月10日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-2fc9.html

『萩原進著「農地収奪を阻む」が出版』(2008年10月29日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c260.html

『「農地収奪を阻む」出版記念会』(2008年11月25日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-7ec2.html

『1・11反対同盟旗開き 萩原さんの挨拶』(2009年1月19日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-9025.html

『3・15講演とパネルの集い 基調講演①』(2009年3月20日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-6015.html

『3・15 基調講演②』(2009年3月21日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-f544.html

『3・29全国集会 基調報告 その1』(2009年4月5日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-8218.html

『3・29全国集会 基調報告 その2』(2009年4月6日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-506c.html

この間に、萩原進さんと市東孝雄さんが一緒に沖縄に行かれ、現地視察と貴重な交流が行われた記事があります。http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-a4d2.htmlなど。

『耕作権裁判 萩原さんの報告会まとめ』(2009年5月14日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-9eb8.html

『7・6現地集会での萩原さんのまとめ』(2009年7月7日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-6603.html

『7・27耕作権裁判 萩原さんまとめのあいさつ』(2009年7月30日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-7eed.html

『9・27特別報告 三里塚現地からの報告と訴え』(2009年9月30日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-f718.html

 これで、ファイルされた13冊の「関実・三里塚ブログ」の記録がやっと5冊見終わりました。まだまだ続きます。

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2013年12月24日 (火)

故萩原進さんを偲ぶ

 131210先日、12月21日午後10時10分、急性心不全で萩原進さんが亡くなられて3日が経とうとしていますが、今だに信じることができません。直前の18日夜に現地を6人の仲間と訪れ親しく交流の時を持ったのですから。私たちは大いに呑み、ご馳走をいただきましたが、進さんはいつもの通り、ノンアルコールのビールでした。20日にも用事があって進さんからお電話をいただき、話し合ったばかりでした。

 18日の交流に参加した須藤光郎さんが、どうやって探し出したのか2009年8月21日の当ブログの記事『この日を待っていた(09.7.27萩原進さん)』http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/09627-ecbd.htmlの記事に亡くなられたわずか1時間後に以下のように追悼のことばをコメントしてくれています。
 「謹んでご哀悼おくやみ申し上げます。大阪からついこの間お邪魔して、大変な饗応にあずかりました。もういちどお話いただきたかったです。ご遺族の皆様もお力おとしなく、おすごしになられますようお祈り申し上げます。微力ながら応援し続けます。」

 萩原進さんを偲ぶということで、このブログに残された進さんを追ってみたいと思います。(なお、ネット上の記事は、残念ながら2008年5月9日までしか遡れません。多分、管理人の方で削除したのだと思います。ペーパーには2007年5月14日からプリントアウトされ残されています。)

「8・6ヒロシマで、萩原さん大奮闘」(2007年8月7日)

「8・6被爆者解放集会での萩原進さんの決意」(2007年8月10日)

「安らかに」(母・萩原哲子さん葬儀、2007年8月23日)

「10・7 萩原進さんの基調報告(1)」(2007年10月20日)

「10・7 萩原進さんの基調報告(2)」(2007年10月21日)

「三里塚3000人結集を本気で闘いとろう」(2008年関実旗開きでの萩原さん挨拶、2008年1月21日)

「3・30 萩原進さんの基調報告(1)」(2008年4月2日)

「3・30 萩原進さんの基調報告(2)」(2008年4月3日)

「全国連大会 萩原進さんn挨拶」(2008年5月15日)

「5・19勉強会での萩原さんの発言」(2008年5月21日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6941.html

「6・8集会での萩原さんのアピール」(2008年6月16日)http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d05f.html

今日はこのへんにします。URLが表示された最後の2件は、URLをクリックしていただければこの画面で見ることができます。それ以前のものについては、ご連絡いただければコピーをお送りいたします。(つづく)

 久しぶりにブログ記事のファイルを見ているともう5年以上も前の記事ですので懐かしいこと。「あ~こんなこともあった」と。しかし、2007年5月14日以前(同じ年の2月13日にこのブログを開設してからの)数か月の記事を記録も取らず削除してしまったことが、思い返せば残念。こんなに続けることができるとは当時考えていなかったからです。
 亡くなられた森本さんが、削除したことを激しく怒られ「このブログはお前のものではない。少なくともペーパーにしろ」と叱られたことも、懐かしく思い出しました。)

 

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2013年12月23日 (月)

第37回 三里塚団結野菜市を全力で取り組もう!

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 みなさんへ。三里塚反対同盟の萩原進事務局次長の突然のご逝去に本当に驚き、悲しんでおられることと思います。その葬儀が、すでに当ブログでも告知しましたように、27日通夜、28日お葬式と予定されております。三里塚現地の反対同盟と支援のみなさんは、悲しみにくれながらのその準備に忙しい中でも、正に直前にある私たち関西実行委員会の『第37回三里塚団結野菜市』の準備を行なってくださることを伝えてきておられます。(写真は、一昨年2011年の野菜市)

 Photo_2「よくこんな体力もいる、時間もいる取り組みを37年もやってこれたな」と感慨さえ覚えます。それほど三里塚の48年にわたる闘いは偉大です。

 萩原さんが亡くなられましたが、それゆえに一層市東孝雄さんの農地を「国策」の名のもとに強奪しようとする国、国家権力、空港会社、千葉県、成田市そうぐるみの攻撃は強まってくると考えられます。

 そうであるならば、私たちは、まなじりを決し、かってない「市東さんの農地を守ろう」という一大大衆運動を作り上げようではありませんか。

 その出発点として、12月27日、午前8時からの団結野菜市にお集まりください。永井代表や山本世話人はじめ多くの仲間のみなさんは、その夜に葬儀のために出かけ、年末の大変なラッシュの中を帰ってくるということになり、ほんとにご苦労様ですがよろしくおねがいいたします。

 団結野菜市を成功させ、1月19日、団結旗開き(会場・学生青年センター、阪急六甲)に総結集して、激動の2014年の第1歩をはじめよう!

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2013年12月22日 (日)

萩原進さん葬儀日取り 

先ほど、三里塚反対同盟ブログに萩原進さんの葬儀の日取りが発表されました。

お通夜 12月27日(金) 18時

告別式 12月28日(土) 午前10時30分

場所 八富成田斎場  成田市吉倉124-11
    ☎0476-23-4511

施主  萩原富夫

以上です。

なお、三里塚関西実行委員会の第37回三里塚団結野菜市は、予定通り、12月27日(金)午前8時より行います。

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2013年12月21日 (土)

訃報 萩原進三里塚反対同盟事務局次長が亡くなられました

131210 今夜、10時20分頃、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長・萩原進さんが心臓発作で倒れ亡くなられたとの訃報が入りました。

 昨日も電話で話し合い、「裁判で疲れた」とは言っておられたのですが、言葉もありません。

 萩原さんのシルクコンビナート問題への国家権力による裏切り、三里塚空港建設、国策への怒りを、そしてその怒りをバネにした48年にわたる闘いを知るだけに、その無念さははかり知ることもできません。

 私たちは、萩原さんの生きて勝利を迎えることができなかったその無念さを私たち一人ひとりのものとして、市東さんの農地を守り抜き、三里塚闘争の勝利を何がなんでもかちとりましょう。

 詳しいことがわかり次第、当ブログにてお知らせいたします。写真は、12月10日、団結街道裁判の説明会のおりのものです。

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今年最後の産直野菜

131221 先ほど、今年最後の産直野菜が届きました。

 雨の中での集荷作業だったのか、それぞれに泥が。特にラディッシュが見る影もないほど。撮影の前の「化粧直し」をしました。

 ニンジン、里芋、ラディッシュ、水菜、ネギ、大根 以上6品。

 淋しいかぎりです。天候の不順・・・。
 先日、現地調査に行ったときに、「白菜はどうですか」とお聴きすると、「毎日頭をなでてやってるんだよ。巻いてくれよな」と言っておられた。今日も入らず。
 08年に産直野菜に取り組み始めて丸5年。年末に白菜が入らなかったのは2010年に一度ありましたが、それ以来です。

 さあ、残すのは、12月27日、第37回三里塚団結野菜市です。注文締めは昨日でしたので、今年はどうかな? みなさん。27日、午前8時に明石教会にお集まりください。

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第3誘導路裁判を傍聴して

3誘導路裁判・・国のズサンな空港建設を追及

 1216日千葉地裁民事三部(多見谷寿郎裁判長)において、第3誘導路裁判の第13回口頭弁論が行われました。三里塚の裁判としては本年最終の裁判とあって傍聴席もほぼ埋まり、勝利感があふれていました。開廷前から傍聴席の数名より「裁判長、NAAへの文書提出期限の1217日を守らせなさい。いい加減な訴訟指揮は許さないぞ」との厳しい追及の声が相次ぎました。131216この「文書提出命令」とは反対同盟のブログ記事によりますと『12月9日、千葉地裁民事第2部(岸日出夫裁判長)は、弁護団の主張を全面的に認め、成田空港会社(NAA)が「存在しない」と言い張っている文書について、「所持していると認めるのが相当」として関係文書の提出を命令したのです。しかも今度はインカメラ(まず裁判所だけが見て、認めたものだけを開示)によるのではなく、直直に法廷に提出させる命令です。』という素晴らしい勝利の決定です。

この勢いで弁護団は裁判長や国、NAAなどを追及する弁論を行い、第三誘導路や東側誘導路の設置が航空法に違反し、憲法に違反しているかを再度強調。国やNAAの書証裏付け資料のコピーは「表紙」だけのものばかりで、内容を隠している、直ちに提出しなさい。との求釈明を求めました。

さらに、市東孝雄さん宅を中心にして「大規模な騒音調査」を1118日から23日に行い、この結果を北海道大学の松井准教授に分析を依頼し、報告書を裁判所に書証とする許可を求めたところ、裁判長はすんなり認めました(反対同盟の追及に押された)。この報告書は69日の口頭弁論で主張される予定となりました。そして次回の口頭弁論期日を310日と決めて閉廷しました。

 裁判報告会で来年323日芝公園での集会、

  26日高裁闘争決起を確認

 報告会の中で「文書提出命令」の勝利判決が報告され、131216_2当時の空港公団が偽の同意書や境界確認書などの重要文書(詳しくは市東さんの会のブログを参照)が法廷で明らかになれば高裁訴訟にも活用でき、決定的な勝利を勝ち取れることが確認されました。この勝利は、この一年間反対同盟、弁護団、そして傍聴闘争の大きな成果です。

 報告会の最後に反対同盟萩原事務局次長は「一本の滑走路を造るのに、次々と3本もの中途半端な誘導路つくるというツギハギだらけのやり方だ。我々が国やNAA追い込んでいる証拠だ。市東さんを不法耕作者だと決めつける判決は許せない。不法、違法をやっているのは国やNAAだ。新たな署名活動を続け、323を成功させて326の高裁闘争に決起しよう」との呼びかけがありました。関西実行委員会から、年末の野菜市、旗びらき、新たな署名活動への取り組みなどを報告しました。

             報告 事務局次長 安藤眞一

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2013年12月20日 (金)

久しぶりの三里塚現地調査

131219
 一昨日から、昨日まで三里塚現地調査を6人で行いました。ゆっくり行けるほうがいいと関西生コンさんの宣伝カーを、しかも、西山さん、荒木さんの関西生コンさんがすべての運転をしていただけたので、めっちゃ楽でした。

 18日夕方には、市東さんの南台の農地に行って説明。暗くなりかけ、雨が強くなりだしたのですが、二つの監視台にあがり、トイレなどの「公示書」を説明。そこにある市東さんの離れに行くと、もう、反対同盟のみなさんが「待ちくたびれた」ようなご様子で待っておられた。それから4時間余り、映画『襤褸の旗』や『85年10・20戦闘と浅草橋戦闘』の記録映画、関西生コンさんの最近の闘いの記録映画などを見ながら、鍋をつつき楽しい交流会でした。反対同盟のみなさん、また準備してくださった支援のみなさん。ほんとにありがとうございました。

 翌朝は、昼に東京に出る用事があるということで、午前7時から現地調査を再開。東峰神社、東峰部落の小泉さんや島村さんのお宅。そして東峰墓地へ。それから東峰十字路の「開拓道路」へ。そして「清水の畑」。萩原さんの御宅を見ながら、横堀へ。131219_2横堀の『案山子亭』とその鉄塔を見上げてから、成田用水の古戦場で説明。そして岩山の大鉄塔跡(岩山記念館)に。

 三里塚闘争48年が、過去のものでなく、TPPをはじめ、福島、沖縄と共に、すべての原発廃炉の闘いとともに国家権力、国策を向うにまわして、今も闘い抜かれていることをあらためて実感しました。

 昼前には、経産省テントを激励訪問し、帰途に。

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2013年12月17日 (火)

市東さんの農地を守り抜こう

市東さんの農地を守り抜こう
来春3・26控訴審(東京高裁)始まる
-10・20荒天をものともせず全国集会闘いぬかれる

 去る10月20日、三里塚全国集会が現地、東峰部落の萩原さんの畑を会場に開催されました。折悪く激しい風雨に見舞われましたが、それをものともせず、集会は進められました。原発事故のため、田畑を失い、故郷を負われた福島の農民の方々が参加され、「農地を失ってはならない」と怒りをこめて訴えられたのが強く印象に残りました。
 反対同盟の北原事務局長の主催者の挨拶の後、動労千葉の田中委員長に続いて、関西住民団体を代表して私が、「市東さんの農地を守る闘いに関西住民は全力で起つ」と決意表明し、成田空港会社の悪辣な土地取り上げ策動とそれを援ける国交省、裁判所一体の攻撃に屈せず、敢然と闘い抜く市東さんの闘い、を全力で支え、共に闘うことをあらためて決意表明しました。

         *         *

 今を去る、40余年前、関西新空港を淡路島に建設する案が持ち上がった時、反対運動に立ち上がった私たちを支援するために、戸村委員長、北原事務局長を先頭に三里塚反対同盟の方々が淡路島に駆けつけてくださいました。それに励まされ、「淡路を第二の三里塚に!」をスローガンに、私たちは空港絶対反対の闘いに立ち上がり、勝利したのでした。

         *         *

 いま、成田空港会社はアジアのハブ空港、B_2中心としての地位を韓国のインチョン空港やシンガポールに奪われまいとして、また有事の際の米軍の軍事空港として必要として、空港の拡張-滑走路の増設、24時間化を推し進めています。これに対して周辺住民の人たちから、深夜・早朝の騒音に対して抗議運動が起こっています。祖父の代から100年近くも営々として農業を営んできた市東さんの農地に「不法耕作」など、あらぬ言いがかりをつけてこれを奪おうとするのもその一環です。(右写真は、成田空港B滑走路とその周辺。白線矢印の白線囲み部分が奪われようとしている市東さんの農地など)
 空港会社の悪辣な攻撃をはね返し、断固として闘う農民・市東さんの闘いを全力で支援したいと思います。

                 淡路町空港反対同盟代表  永井 満
(淡路町反対同盟2013年12月15日発行『空港反対新聞』第239号より転載)

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2013年12月14日 (土)

今週の産直野菜(12月14日)

131214 今週は早々と産直野菜が三里塚から届きました。

 先週と違ってこの時期にしたら品薄(?)。レタス、じゃが芋、ほうれん草、ニンジン、里芋、大根、ネギ の7品。

 寒ければこの頃から白菜が来るのですが、先日裁判の折に萩原さんに聞くと、白菜が「青菜」になっているとか。まかなくて元気にはっぱを広げているのです。気温が高すぎるのだそうです。
 急に寒くなったと半月ほど前から思っていたのですが、野菜から見れば例年に比べて気温が高いのだそうです。今回の寒波で「白菜」に転身してくれるといいのですが・・・。来週には?

 明日は、完全にダブったのですが、先ずは午後3時から、大阪の港区民センターで『原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて 12・15中嶌哲演講演会』。パギやん(趙博)、はちようびの演奏、笑福亭竹林さんの「あっと驚く古典落語」、「いのちか原発か」と題した中嶌哲演さんの講演、下地真樹さんと西谷文和さんの報告、福島からの報告とほんとに盛り沢山です。
 他方で、午後2時からは、京丹後市役所前で『京丹後市・経ヶ岬に米軍基地はいりません 平和の叫び&人間のくさり』が開かれます。安倍政権の秘密保護法が強行採決され昨日公示され、新年の通常国会には共謀罪が提出され、防衛予算の増額と増税が目論まれている中で、新たな米軍基地を作らせないこの闘いは、沖縄・辺野古の新基地建設反対の闘いと連帯した大事な取り組みです。

 身体が2つあればとほんとに思います。雪になりそうな京丹後ですが行ってきます。みなさんも、どちらかに参加してくださいね。

 月曜日、16日には千葉地裁で第3誘導路裁判の口頭弁論が開かれます。市東さんの農地を守るために注目し、行ける人は傍聴に。
第3誘導路裁判 口頭弁論
【とき】 12月16日(月)午後1時半開廷
【ところ】 千葉地裁601号法廷

傍聴券の配布がありますので、開廷30分前までに千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

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2013年12月11日 (水)

団結街道裁判の口頭弁論開かれる(12月10日)

 P131210_1thumb200x1141843昨日、団結街道裁判の口頭弁論が千葉地裁で開かれました(右写真は、法廷後の報告会。反対同盟ブログより転載)

 法廷では反対同盟弁護団が、新たな準備書面を提出。それを遠藤、一瀬両弁護士が説明しました。
 先ず、西側(第3)誘導路を根拠として団結街道の閉鎖が行われていることに対し、原告(反対同盟)側が西側誘導路の違法性を主張しています。これに対し被告(空港会社、成田市)側は、訴訟で取り消されない限り行政処分の「公定力」によって争うことはできないと強弁しています。これに対して、遠藤弁護士が、この日の準備書面でそれを否定して、第3誘導路の違法性を問われなければならないことを明らかにしました。
 また、一瀬弁護士は、1970年の空港公団による東峰、天神峰の4ヶ所の開拓道路の収用採決申請に於いて、評価額が周辺土地(農地)の70%~74%で評価されているのに対し、それらの道路に近い形状も似ている団結街道を空港会社に売った価格は周辺土地の20%程度でしかないことを暴露し、違法な格安売却であると弾劾したのです。多見谷裁判長は、しぶしぶと被告に答弁することを促さざるを得なかったのです。

 次回口頭弁論は、4月28日(月)午前10時半から。

 法廷後、報告会が裁判所向かえにある弁護士会館で開かれ、葉山弁護士が全体的な感想を語られた上で、報告会に先立って、耕作権裁判の新しい岸裁判長との交渉を行い、反対同盟の側から出されていた文書提出命令が東京高裁によって認められ差し戻されている問題について、岸裁判長も概ね要求通りの提出を空港会社側に命じる意向であることが明らかにされたと報告されました。

 遠藤、一瀬両弁護士による報告の後、質疑が行われました。そして、動労千葉、関西実行委、市東さんの会から3月に向けた決意がそれぞれ語られました。

3・23東京芝公園で総決起集会131210

 その上で、反対同盟事務局次長萩原進さんから、「ここで決意を固めよう。3月はすぐだ」と今年の闘いの簡単な総括の上に立った、綱渡りをしている安倍政権に対して、3月が消費税問題を軸にあらゆる意味での決戦情勢にあることを明らかにされた上で、「霞が関に攻めのぼる」闘いをその渦中で切り開こうと「3・23全国闘争を東京芝公園」を埋め尽くして闘い取ることを提起され、その力で3・26第1回控訴審を東京高裁を三里塚の旗で取り巻く闘いとして実現しよう。そのために、1月反対同盟の団結旗開き(12日)を出発点に一大署名運動とカンパ要請行動を取り組もうと提起されました。(発言の概要が、反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2013/12/post-416.htmlに掲載されています。)

 私たちも、12月27日の第37回三里塚団結野菜市を成功させ、1月19日団結旗開きを出発点に、3・23東京芝公園、3・26東京高裁控訴審闘争へと全力で決起しよう。

 なお、今年最後の裁判、第3誘導路裁判が、12月16日(月)午後1時半より、千葉地裁601号法廷で開かれます。

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2013年12月 9日 (月)

『実行委ニュース 146号』発行(12月1日)

13121 12月1日、関西実行委員会の『実行委ニュース 第146号』を発行しました。年末の第37回を迎えた「三里塚団結野菜市」と、来春の「関西実行委団結旗開き」を告知するとともに以下の記事が掲載されています。

10・20現地総決起集会の「報告」と「集会宣言」/「控訴審に結集し、市東さんの農地を守り抜こう」/大阪航空局への湾岸住民・市民団体の申し入れ「報告(11月1日)」/「取られてたまるか!農地・いのち 市東さんの会シンポジウム「報告」(11月24日)/12月12日学習会案内/米軍Xバンドレーダー基地建設に反対しよう! などです。

控訴審闘争に結集し、市東さんの農地を守り抜こう

 親子3代、百年近く耕されてきた一級農地を、「国策」「空港」を理由に、それも農地と耕作者を守るために戦後制定された農地法を使って取り上げるなどという違法、不法がどうして許されるか。あらためて7月29日の千葉地裁多見谷裁判長による農地取り上げの反動判決を弾劾する。そこには一片の道理すらない!
 そもそも空港会社(当時、空港公団)は、当該農地の取得に当って(1988年)、農地法で義務付けられている小作人であった市東東市さん(孝雄さんのお父さん)の立ち会いもなく、知らせることもなく取得を行なった。しかも、その取得を隠すために15年間も登記を行わなかったのだ。しかも、空港会社は、農地取り上げの訴訟を提起するために、借りた土地の境界などを示す「確認書」などを偽造したのだ。偽造されたものを根拠に裁判を進め、裁判所もまたその事実を指摘されながらそれを無視して審理を進め、判決を強行した。そもそも、裁判の前提となる成田市農業委員会、千葉県農業会議もまたこの事実を知りながら、空港会社の農地取得を許可したという許し難い犯罪を犯している。空港会社、国、千葉県、成田市のこの裁判における犯罪はまだまだある。
 こんな違法、市東孝雄さんへの人権侵害、生活権の破壊が「国策」だからと許されていいはずがない。
 今こそ、私たちは、この国による違法な暴挙を徹底的に弾劾し、東京高裁の反動的な企みを許さない闘いを、広範な人々の注目の中で起こしていかなければならない。
 それは福島における原発事故による深刻な放射能被害と事故そのものの隠蔽をはかろうとする国、東京電力の責任を問う闘いと一体のものです。また、沖縄県自民党国会議員の屈服を強制して新基地建設へ突っ走ろうとする国、安倍政権に対する沖縄のみなさんの島ぐるみの闘いと一体のものです。
 3月26日(水)午後2時、東京高裁102号法廷で開かれる行政訴訟・農地法裁判の第1回口頭弁論の闘いに全力で起ちあがろう。3月23日、三里塚現地での全国総決起集会を成功させ、霞が関に攻め上ろう! 

明日、団結街道裁判口頭弁論です

 明日、12月10日(火)午前10時半より、千葉地裁601号法廷で、団結街道の廃道化の認可差止めと空港会社による閉鎖差止めを求める口頭弁論が開かれます。傍聴券の配布がありますので、傍聴希望の方は、開廷30分前に千葉地裁1階ロビーにお集まり下さい。

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2013年12月 8日 (日)

今週の産直野菜(12月8日)

13128 今朝、産直野菜を受け取りました。大根、サニーレタス、ゆず、さつま芋、ニンジン、ラディッシュ、ルッコラ、からし菜、水菜、かぶ、ネギ 以上11品。だんだん品数が増えてきて、食べるのが大変。がんばります。

 受け取りが今朝になったのは、昨日、早朝に敦賀にバスででかけ、『もんじゅを廃炉へ!全国集会』に参加したからです。

 雨の中、増殖動力炉もんじゅの正面の白木海岸に全国から1000名を超える人々が結集し、簡単な集会の後、もんじゅの正面にデモで向かい、「直ちに廃炉にする」よう求める要望書を手渡しました(右写真)。
 13127バスで敦賀市の会場に移動し、鎌田慧さんの講演などを集会で聞いた上で、再度、敦賀市内をデモをしました。

 もんじゅは度々の事故と、定期点検が1万ヶ所以上も行われていないことが露見し、現在は完全に停止中。にもかかわらず、液体ナトリウムを固まらすことができないなどのその維持だけに毎日6000万円もの税金が投入されています。
 13127_2そして冷却媒体に他の原子炉の水とちがって液体ナトリウムを使うことから、その危険性は沸騰水型や加圧水型とは比較にならない危険なものです。事故が起こっても、福島のように水をかけて冷却することは、ナトリウムと水が反応して大爆発を起こしますから出来ません。事故が起これば、その爆発による放射能の拡散は関西にとどまらず、全国に広がることは確実です。
 しかも直下にはM6.9を引き起こす活断層が2本も走っているというシロモノです。

 ただちにもんじゅを廃炉にするべきです。怒りの声を上げましょう。

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