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2013年12月30日 (月)

第37回 三里塚団結野菜市が成功

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 12月27日、もう37回目を迎えた三里塚団結野菜市が行われました。前夜からの雨が降り続き心配されましたが、荷物を降ろすのは大変だったでしょうが、野菜市の前の集まりの頃には完全に雨も上がりました。

 恒例で、明石住民の会の日原事務局長の司会ではじまります。壇上には亡くなられたばかりの萩原進さんの遺影が。挨拶に立たれた永井関実世話人は、37回に及ぶ野菜市が関実と三里塚反対同盟の団結の歴史の証しであることを語られた上で、5日前に亡くなられたばかりの萩原進反対同盟事務局次長への追悼の言葉を捧げられ、最後にみなさんに黙祷を捧げようとよびかけられました。
 野菜を三里塚現地から運んできてくださった三里塚現闘のFさんが、三里塚産直の会からのメッセージを読まれた上で、萩原さんが亡くなられた22日の様子を詳しく語ってくださいました。
 私から、亡くなられる直前の18日、現地調査に訪れた関西生コンの西山執行委員、荒木執行委員や原発監視テントの臼田さんなど6人と反対同盟との交流会が、ほんとに楽しくかつ厳しい雰囲気の中で行われ、萩原さんが楽しんでおられたご様子を報告しました。

 131227_2さあ、山と積まれた野菜を注文された団体ごとのたばに仕分けです。さすがに37回目。みなさん、慣れた様子でどんどん進んでいきます。私たち住民団体も、お元気な故加辺事務局長のつれあいの美智子さんや山田さんの音頭でピーナッツが小袋にどんどん詰められていきます。
 全体が分け終わったところで、私たち東灘は、今度は配る各会員さんごとにご注文に従って箱詰め。大きなダンボール25箱と、大口のところへの袋に入れた大根やごぼう、落花生などを車に積み込んで、さあ、配達だ。

 結局、最後の山本先生の所に運び込んだ時には、もう4時過ぎ。慌てて先生の家で喪服に着替えさせていただいて、先生と成田での葬儀に向かって出発です。車は、JR西宮駅に関西合同労組の石田委員長に取りに来ていただいてすべてが終了。

 なお、反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/index.htmlに萩原進さんのこの秋から年末にかけてのご発言のまとめたものと、葬儀での市東孝雄さんの弔辞、北原鉱治事務局長のご挨拶が掲載されています。ぜひご覧ください。

 団結野菜市へのメッセージ     三里塚産直の会

 関西実行委員会のみなさんによる団結野菜市への取り組みにあらためて感謝いたします。2013年、反対同盟は市東孝雄さんの農地をめぐる一審の攻防を聞いました。 7月29日の判決では、「農地明け渡し」の命令が出ましたが、成田空港会社が最も望んでいた「仮執行宣言付き」の判決を出すことは阻みました。年初から今までのレベルを超えた闘いを展開した成果だと、自信を深めています。
 緊急3万人署名への熱い協力、ありがとうございました。この過程で私たちは、三里塚闘争史上初めて、周辺、騒音下住民との連帯。結合を求めて、8回にわたる一斉行動を展開し、大きな前進をかちとりました。第3誘導路に対する反撃、成田空港会社による24時間空港化との対決などを闘いぬき、闘いの陣形を発展させてきました。さらに、東京~全国へ、さまざまな闘いの場に同盟自身が参加して、陣形を広く拡大する取り組みも本格的に開始しました。2013年は画期的な勝利の年だったと胸をはって宣言するものです。
 2014年、闘いの場はいよいよ東京高裁へと移ります。私たちは霞が関で、激しく、粘り強く展開されている反原発闘争のうねり、沖縄辺野古新基地建設反対の闘い、反TPPの労農漁民の闘い、そして6000万労働者の只中に躍り込んで、必ず一審。多見谷判決を打ち砕く決意です。
 こうした展望に確信をもちつつある中、さる12月21日、私たちの大黒柱であつた萩原進事務局次長。当会の代表が急性心不全で急逝しました。突然の死去による悲しみとショックは言葉になりません。しかし、闘いは待ってはくれません。萩原代表自身が、闘いの中断を何よりも拒否しているはずです。2013年の勝利を先頭で切り開いた萩原代表の思いを100パーセント以上実現する決意で、私たちは2014年年頭から旧年を倍する市東さん農地決戦の激戦に突入します。
 関西では関西新空港の経営危機がいよいよ深刻化する一方、神戸における規制緩和の攻撃、何よりも八尾空港へのオスプレイ展開の動き、迎撃ミサイルPAC 3の移動訓練、舞鶴港に隣接する京丹後市経ヶ岬へのXバンドレーダー基地建設の攻撃など、安倍政権の改憲・戦争攻撃との闘いがし烈になっていると聞きます。しかし特定秘密保護法反対の闘いで、巨万大衆の地鳴りのような決起が本格的に始まりました。歴史が動いています。勝利は私たちのものです。東西両軍事空港に反対してきた関西。三里塚こそが闘いの先頭に立ちましょう。萩原代表の闘魂の前に、必ずや大きな成果を届ける決意です。
2013年12月 27 日

                         東灘区住民の会 松原記

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