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2013年4月 4日 (木)

3・24三里塚集会 沖縄から  安次富浩さん

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        (上写真は、2013年3月5日 辺野古浜通信より転載)

 結集された全国の仲間のみなさん。沖縄から来ました。
 私たちは市東さんの農地を取り上げるというこの日本政府の暴挙に対し、私たちは、沖縄の地で、やはり沖縄の主権を奪っていくこの日本政府のやり方と、市東さんへの暴挙は根底的には同じだという思いで「市東さんの農地を守る沖縄の会」を立ち上げてきています。

 13324私たち沖縄の闘いは、正に沖縄の主権、自決権を勝ち取る闘いだと思っています。
 みなさん。一昨日、安倍政権は、辺野古の埋め立て申請を沖縄県に請求しました。いよいよ、辺野古の闘いは、ほんとの意味での正念場を迎える時に来たと思っています。私は辺野古の闘いの、住民運動の指導者の一人として、これから一年間、まっとうに、ほうとうに安倍政権と沖縄のこの闘いが、むしろ安倍政権をぶっつぶす、そういう闘いにつながっていく運動をこの一年間、作っていきたいと思っています。

 あの安倍政権は、4月28日、これを「主権回復の日」として政府式典を行おうとしています。この4・28はまさに沖縄をアメリカ軍に売り渡したし、私たち沖縄県民が27年間、米軍の植民地支配の中で呻吟させられたこの「屈辱の日」です。この屈辱の日を祝うなんてものは、沖縄を根底的に愚弄した式典だということを、私たちは県民一同、沖縄民衆一同そう思っています。これを祝うなんていうのは、沖縄の人間にはとうていできません。
 であれば、私たちはどう闘いをするか。正に4・28を、私たちはそれに対抗する沖縄、ウマンチュウの闘いを作っていきたいと思います。特に、仲井真知事を式典に参加させない、出席させない闘いも同時に作っていきたいと思っています。
 13324_2さらに一昨日出された「辺野古埋め立て問題」について、私たちはこの沖縄の怒りを無視し、1月27、28日に沖縄の41市町村長、あるいは議会、そして県議会含め辺野古への移設反対の建白書。内容的には、オスプレイの配備反対、撤去、そして普天間基地の即時閉鎖、県内移設反対。こういう3つの項目にわたって、沖縄のすべての41市町村長、そして議会、議長、個人の署名で建白書を出して、この沖縄の声を突きつけたにもかかわらず、今の安倍政権は、なお沖縄の基地を強化するために辺野古に埋め立て申請をしたわけです。
 これに対しては、私たちはこの一年間、真っ向からの行動をしたいと思います。

 みなさん。本当に沖縄は、怒りに、怒りに燃えています。この怒りは、私たち沖縄の将来を、私たち自身の沖縄を作っていく、こういう闘いに今なりつつあると思います。
 そして辺野古への新基地建設というのは環境を破壊する、この破壊することは高江のヘリパッド建設と同じです。高江のヘリパッドは実はオスプレイヘリパッドなんです。ヤンバルの森を潰すんです。
 13324_3「世界自然遺産運動」という形で、今、政府が動き始めていることが、この「世界自然遺産登録」というのが実は、裏を返せば辺野古の海を潰す、あるいは高江のヤンバルの森を潰す、そういう自然破壊から国民の目を逸らすために、この「世界自然遺産運動」というのが想定されているということを私たちは見抜かなければなりません。
 これは今、NHKでやっている「八重の桜」というのも、正に福島の怒りを、国民から目をそらすためにああいう番組が放映されているというのと同じことです。
 私たちは、絶対、こういう権力の目論見に対抗していく、そして世界のみなさんに辺野古の海や高江のヤンバルの森を壊さない、この「世界自然遺産」に登録させない運動を、世界のみなさんに訴えていく、国連に訴えていく、IUCNに訴えていく、そういう闘いも同時並行していきたいと思います。

 なお一層の闘いはですね、来年の1月における名護市長選挙で「海にも陸にも新しい基地を作らせない」という現稲嶺進市長の任期切れによる市長選挙があります。この市長選挙に勝利することが、辺野古の埋め立てを潰す大きな闘いのステップになります。

 13324_4このことを含め私たちは、この1年間さまざまな工夫をしながら、明日、第一歩、明日9時から嘉手納の沖縄防衛局前で、埋め立て申請を出した沖縄防衛局に対する糾弾の嵐の緊急集会を県内移設反対県民会議を中心として闘います。

 これからも沖縄の現地で、辺野古新基地建設を阻止し、オスプレイの増強を阻止し、そしてオスプレイをアメリカにもって帰らせる、あるいは普天間基地の閉鎖を勝ち取る、こういう闘いの勝利に、安倍政権と真っ向から対決して、安倍政権を打倒するくらいの闘いを沖縄現地から作っていきたいと思います。

 これをもってみなさんとの連帯の挨拶に代えたいと思います。

 (安次富さんは、この発言の後、「市東さんの会」のいくつかの発言の間、壇上にとどまられ、その後私たちの挨拶もそこそこに翌日の沖縄防衛局への糾弾行動のために、心を残されながら羽田空港に向かわれました。)

 

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