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2013年3月19日 (火)

沖縄の彫刻家・金城実さんの講演(その1)

 3・17三里塚関西集会での金城実さんの講演の全文を掲載します。なお舞台上を金城さんが動かれたために録音が聞き取れない部分が幾つかあります。また見出しを含めて文責は全て当ブログ管理人にあります。

虐げられた人たちが火種になる

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 ロックバンドが元気あってですね、「はちようび」というロックバンドを聞いていたんですが、楽しかったです。沖縄の運動も、ほとんど芸が無くて、だいたい左翼運動というのは芸がないですよ(笑い)。理屈が多い。また、演説が多過ぎる。沖縄県民大会もそうです。国会議員とかバッチをつけた人が続々とでてきて、だいたい同じことを言うとる。ええかげんにせえと思うぐらいにね。私、時々疑問に思うのですが、
515とか623とかいろいろあるんですが、行進とかデモとかですね、「葬式でもしてるのかな」と思ったりね。時々、大きな声で「なになに反対」とか、アピールをする時だけは違う雰囲気だけど、どうも芸がない。左翼は。まあ、私も左翼なのかどうかわかりませんが。
 
革命とかものを変革するというのは文化革命とか文化運動が大事なのですね。やっぱり、革命ということばを使うほどの運動がまだ出来上がっていないと思うんです。変革に向けて何かをしなければならないというのは、盛り上がりつつある。例えばフランス革命が有名ですが、フランス革命の先駆けは、「娼婦」がバスティーユ牢獄に火を点けたんですね。なぜ火を点けたかというと、もちろん全世界にもあるんですが、沖縄にもあります。時には遊郭ともいいます。貧しいひとたちですよ。離島や農村、漁村から売られて、税金も払えないようなね、で、娘を差し出すわけでしょ。飲み屋で働いている人と、時折、インテリとか詩人とか芸術家が飲みに来る。もちろん彼(女)らは教育を受けていません。教育を受ける機会もチャンスも奪われた女たちですから。頭の中や、身振り、素振り、唄や、シャンソンであるとかいろんな詩、詩人の朗読などを聞いているうちに、いつのまにか、特別本を読んだり教育を受けていなくても、魂が洗われ、研ぎ澄まされて、大変な抵抗感覚というか、権力に対する鋭い刃を向けるようなところまで成長していくわけです。インテリよりも、どうも音楽とか身体を動かすとか、時には身を売ってまで家族を守っていったそのしがない虐げられた人たちが、結局ものごとを変革していくいちばん火種になるんだということですね。われわれ左翼はもう一度再点検しなければならないと思う。秩父コンミューンとかいろいろあります。日本でもね。
 
農民、漁民というのは忍耐強いです。変革をむしろ好まない、保守的です。沖縄でもそうですよ。昨日まで、台風が来る前までは、砂糖きびも青々として、もうじき夏が過ぎて収穫を待ちに待って、まあ一年の三ヶ月分の収穫が入ると思っていたにもかかわらず、あっという間に、50メートル級の台風が来ると木っ端微塵にとんでしまう。そうしたら失望しか残らない。これ、失望のありようがどうなのかということなのです。それは考える必要がありますね。
 
ふんだりけったり。日米同盟や、沖縄の米軍による事件、事故、性暴力、いろんな暴力にやられ、片一方では台風にやられ、そうすると人間というのは、一番近道は諦めることだと思うわけです。その諦めをどう乗り越えるかという、もう一歩先に立つか立たないかというのが、勝負のしどころというのが、先程から話されている弾圧を受けた特別報告がありましたが、それに市東さんのこともありますけれども、弾圧を受ければ受けるほど、人間は強くなっていき、知恵も付いてくるということなのです。

闘いに負け続けて

 13317_4わたしは1985年、まだ大阪におりました。高校の教師をしておりましたが、1985年、中曽根が初めて威張り腐って胸を張って「俺は政教分離違反になるかどうか、どうでも」と公式参拝を胸を張ってやった時に、初めて6人の(靖国訴訟の)原告に加わるんです。あの時はまだ高校の教師をやっていた。だいたい、高校の教師が、靖国裁判に加わるというのは危ないと思ったしですね、2ヶ月に1回、裁判に出るために高校に欠席届を出さないといかんわけです。その学校がまた右翼的な学校でね。
 
そんな思いでひとまず沖縄に帰ってきて、小泉の靖国裁判、高裁まで行って負けた。今度は靖国神社の本丸、国を攻めるということです。考えてみてください。延べ27年間、靖国裁判を闘っているけれども、一度も勝ったためしがない。そうすると一緒に闘っている人間の中でも、なんでこんだけ負けてもやるんやという話しが出てくる。ここですなあ。負けるのを知っていて、27年間一度も勝ったためしもない。それでもなんでやるんや。「なんで」というやつです。「なんで」。最初のうち8人おったけど、3人がリタイア。去っていった。「もううんざりや。なんべんやっても負けるんや」。親戚の方もやっぱり、親戚に気兼ねがある。
 
70にもなったら何も心配いらん。おっさんらはぜったいに捕まらん。一番捕まる者は、若いもん。親兄弟、親戚に若いから影響力がある。歳をとるとね、年寄りは捕まえる値打ちもないのかなと(笑い)。ね。
 
アセスの時の沖縄の闘争、夜中に・・(不明)・・県庁の中を全部占拠して、機動隊が来るという噂があるので、入口を、山内徳信がそこに号令をかける。65歳以上を集めろと。機動隊が入ってくる入口、3ヵ所あったかな、3ヵ所、そこに65歳以上の人が座り込んだ。機動隊はきよらん。・・・(不明)・・・。
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なんで、負けてもやるのか。先ほど若い青年から弾圧をやられればやられるほど強くなる。権力が見くびって、「弾圧すればこいつは萎むだろう」と思われていたにもかかわらず、それをひっくり返したという素晴らしい報告がありました。あんた、名前何という・・。言わんほうがいいか(笑い)。
 
そうしてみるとね、「なんでやるんや」というとね、私もよく聞かれる、これを言っているときいつも言うんだけれど、負けても負けんのや。これはプライドや。それぞれの。これをやらんと値打ちがない。恥ずかしいと思う。他人のことどうでもはいい、一応。家族もおるし、子供もおるけれど。プライドが許さない。途中で止めるということは。だから沖縄の靖国裁判でも2回もあって、弱気になってやめようという団長がおったけれども。
 
沖縄で初めて靖国裁判で総理大臣と靖国神社を訴えるということについて、団長、私より3つ上だ。弱気になったのに対し、「我々は、この靖国裁判というのはね、負けるか勝つかという前提を考えない。我々は誇り高く、沖縄の歴史の中で初めて首相、総理大臣と靖国神社を糾弾していく裁判であるという誇りはないのか」と。「あの戦争で亡くなったあなたのお母さん、お父さん、親戚。あの戦争で殺されていった人たちに対する悲しみと、それを裏返した怒り。悲しみと怒りはコインの裏と表だ。泣くことも怒ることも、中途半端なやつは、泣くことも怒ることも中途半端だ。怒るということと悲しむということはコインの裏表だということだから、そこに軸となるのが、自分が生きているという誇り。それをあなたの子や孫に伝えていくという歴史的な使命ということをあなたは考えていないのですか。」こっちも勇気がいるんで、一杯アルコールを飲んで迫ったんですが。   (つづく)

 

 

 

 

 

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