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2013年3月22日 (金)

若いMUさんが反弾圧を訴える (3・17集会)

反原発闘争への大弾圧との闘い

 弾圧、ほんまに許せないんで、この場を借りて発表させていただきます。
 私、すごく活動歴短いんですね。正直言いまして、三里塚闘争、終わってるもんだと思っていました。ほんとにみなさん、申し訳ないです。

13317mu 活動に目覚めたのは大飯原発です。大飯原発再稼働が1年前問題になったことからオキュパイ大飯行動、吉岡さん、Uさん、クマさん、はちようびと合流させていただきました。

 あの福島の惨状というのは酷いものです。国家破滅のできごとです。それをなかったことのように大飯原発再稼働、絶対に僕、許せませんでした。ほんまに仕事どころじゃないと。ほんまに滅びるんだいうぐらいの気持ちで大飯ゲートオキュパイに参加しました。あの時は、捕まってもいい、なにが起ころうが止めるんだぐらいの気持ちで現地に乗り込みました。それは吉岡さん、Uさん、はちようび、あの日参加したみなさん、同じ思いだったと思います。
13317_2 オキュパイ大飯の監視テントに入っていたときに吉岡さん、Uさんがすごくやさしく受け入れてくださったんですね。全然活動歴もない、全然無知な私たちでも「いいよ、いいよ」てね感じで。最初に泊まらせていただいたんが吉岡さんのテントでした。「ゆっくり泊まり、まあ飲みぃや」みたいな感じで、全然押し付けがましくもなく受け入れ態勢を整えてくれて、ほんとにやりたいことをさせていただいて、言いたいことを言い、「いいなぁ、いいなぁ」という調子ですごく受け入れてくださいました。
 オキュパイ大飯の6月30日から7月2日にかけての36時間行動です。あの時、ほんとに大飯原発止められるとほんとに僕思いました。ほんとに思いました。ああいう動きというのはなかったと思います。ほんとに老若男女、人種を問わず、中核派のひとから、日の丸出す人から、はちようびみたいな人からおとうちゃん、赤ちゃん抱えてる人たちまで、日本全国から集まってきました。
 あの動きでほんとにこの国を変えられるんだと本気で思いました。
 で、その監視テントの吉岡さん、Uさんが大阪のガレキ闘争で去年10月に市役所横にテントを出すというのをいち早く情報をキャッチして僕はそこに合流しました。大阪のガレキ止めるつもりでした。身体張って。

 13317mu_4その前に関西大弾圧の流れについて話しますと、オキュパイ大飯行動で一人、Kさんが事後逮捕されました。人の噂も45日という9月22日に逮捕されたんですが、権力の巧妙な逮捕です。その裁判もすでに忘れ去られようとしています。あれだけの大飯闘争、全然マスコミも取り上げません。今、忘れ去られています。今、めちゃくちゃな裁判が行われています。今、第6回(公判)が終わったんですけれども、Kさんが意見陳述するときに「10分だ」ということで裁判官が停止したんですね。Kさんは叫んで「お前ら、何すんねん」と。「止めてどないすんねん。こんな裁判がまかり通ったらあらゆることが犯罪になるんだぞ」と必死で叫んではりました。でもその叫びも虚しく、ほんとにちっちゃな刑事事件として扱われています。ほんとにマスコミ、取り上げません。

 PhotoそのKさんの原発闘争というところがありまして、再稼働したのは関電だということで、わずか10日後の10月5日に関電前「転び公妨」の不当逮捕がありました(左スケッチは第1回公判に出廷したAさん)。これほんまにデッチ上げ逮捕です。私、現場で見てました。今、その証人とかになっていますし、救援活動の中に深く関わっています。
 その10月5日の関電抗議行動で集まった人たちが決起したんですね。「こんなこと絶対許されへん」と。下地さん、韓(基大)さん、あとぱおんさんとか、関電包囲行動で先頭に立っている人たちが、先陣きって天満署に抗議に行ったんです。権力に向かって。あとから聞いたはなしによると、あまりなかった出来事だといわれていますが、天満署で権力に向かって本気で抗議する、30回くらい続きましたかね。1、2ヶ月続きまして、僕もずっと参加してたんですけれども、その中ではちようびが天満署前で道路封鎖してライブをやるとか、京都からゴレンジャーが来て踊るとか、ミラーボールでディスコを踊るとか、あめだまおやじが踊るとか、なんかほんとに凄いです。あの時の抗議というのは日本最先端の抗議だったと思っています。それに権力は驚いたと思うんです。10月5日の関電での不当逮捕でひるむだろうと思ったら、天満署に抗議したと。

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 そこで市役所前を拠点にして、関電包囲、市役所抗議、天満署抗議というのがワンセットにして起こっていたんですね。この10月から11月にかけてのほぼ2ヶ月ですか。その時、11月13日の此花区民ホールのガレキ最終説明会というところで、私たちが最後の決戦だということで、阻止行動に入ったんですね。その時、不当逮捕されたのが私、ぱおんさん、韓(ハン)さん、Uさんだったんですね。これは関電行動、天満署抗議、市役所行動を先陣切ってやっていた人間を狙い撃ちしたということです。

 そのあと、下地さんほか2人が逮捕されたんですが、それでもめげなかったんですね。僕はたまたま23日で保釈されて、エネルギー大量で戻ってきました。「絶対にゆるさへんぞ!」と。その時に僕の歓迎会で迎えてくださった方がこの中にも何人かいらっしゃるんですけれども、その方たちと力を合わせて「こんな国家弾圧絶対に許さへんぞ」とそこで決起しまして、行動が大きくなりました。
 まず、下地さんを取り返すべく東京の方に波及しまして、関西大弾圧救援会・東京の会というのが発足しました。そこで、竪川弾圧とか麻生邸ミステリーツアーで弾圧されていた園良太君が呼びかけ人になって東京の会が発足されまして、そこから憲法学者とかほかのいろんな学者さんとか関係人の弁護団とか大きな反弾圧運動ができました。それに続いて2月3日、反弾圧集会で釜ヶ崎の弾圧、労働組合の弾圧、関生の弾圧などいろんな人の弾圧が集まって全国的な広がりが始まっています。

 あれは、権力にとって脅威だったと思います。潰すつもりだったのが、潰せば潰すほど大きくなる、めげない。ほんとに腹をくくった人間が結集しているというところで、すごく大きな意味合いをもっていると思います。

 13317_5また今も弾圧を通じてはちようびが三里塚の方に行って芋掘りに参加したり、福島の方に野菜を届けたりして、福島と三里塚というのが繋がろうとしています。これも絶対国家権力恐れていますよね。この動き。絶対恐れているはずなんです。虐げられた人々、福島、三里塚で、大飯原発。これに沖縄が繋がれば、これって、吉岡さんがおっしゃてたように「沖縄と福島と三里塚が繋がったら革命が起こるぞ」と。僕。本気で思ってますよ。思ってます。そういう橋渡し、バトンタッチが出来るのは、バトンタッチぐらいしかできないのですね、こうしてみなさん古い活動家と若い世代につなぐ、そのバトンタッチをするのが私のような役目かなと思っています。

 はちようびはじめ、三里塚、沖縄、福島。繋がればいいなぁ。ほんとに大きな大きな運動にしていきたいな。忘れ去られていた人たちが立ち上がって本気で声が出せるように。弾圧、怖いですよね。不当逮捕などされたら。縮んでしまいますよね。でも、言いたいことも言えんようになったら、ほんまに日本も終わりなんで。二日前ですか、TPP参加表明されましたね。あれ、ほんまにあきませんよね。もうカウントダウンですね。悪夢への。
 なので、声を上げ続けたいと思いますので、ママさんたちとか、若い世代の人たちとか、全然関係のないクラブの弾圧とかもありますよね。そういうクラブの若者たちとかも、今後の反弾圧運動に繋げていきたいなと思っています。
 救援活動て、すごく大事だと思うんですね。運動する上で、弾圧というのは最後のセイフティネットだと思っています。もし何かあったら絶対守ってあげる人たちが必要だと思っています。私も不当逮捕されて、救援活動があったおかげで今こうして運動もできるわけですし、この場にも立てています。

 まだ5名、逮捕されています。福井刑務所、大阪拘置所に仲間が残っています。救援活動中心に頑張っています。あちらでカンパ活動やっていますのでよろしくお願いいたします。

 

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