« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月31日 (日)

3・24三里塚 萩原進事務局次長 基調提起(上)

13324
 全国から結集されたみなさん。ほんとにご苦労様です。前段で不手際がありましたけれども、それだけ反対同盟がこの集会にかけているという趣旨だけは汲んでいただきたい。

 13324_2ほんとに自分たちはこの間、12月から3月の過程で市東さん裁判、市東さんの農地を取り上げる裁判に対して、みなさんに訴え、そして現地攻防的にも構えながら、現地の人たちはほんとに身に余る闘いを展開してまいりました。その結果、12月、1月、2月の闘いは、文字通り我々の思った通りに闘い抜きました。裁判所を包囲し、人間の鎖を実現し、法廷内では裁判官を追い詰め、正に空港建設そのものを揺るがす闘いとして展開してまいりました。
 であるならば、やはりこの地において市東さんを守り抜く、あるいは三里塚闘争をほんとに勝利し抜く陣形とはどういうことか、こういうことをこの間考え抜いて、闘い抜いてきたわけです。
 ですから本日、今の段階で1200名を超えています。もしこの段階で1000名を下回るような状況であったならば、自分たちは、この発言を終わったら、なぜこれが出来なかったのか、そして今後市東さんの闘いをどう展開するのか、そして三里塚闘争をどうやって勝利するのか、また全国のみなさんの闘いとどうやって一緒に闘い抜いていくのか、式次第を白紙にもどしてみなさんに一人ひとりこの壇上にあがっていただいて発言していただきたいというようなところまでやろうと決意したんですよ。
 でも、1500には達しませんでした。これはまだまだ我々の力が及ばなかった、まだやるべきことをやれなかった、このことを徹底的に反省しながら、1500を絶対的に集めていく。そして2000人に登りつめていく、このことが東京におけるいろんな意味の階層が集会を大きく保証していく礎になるんではないかと思うわけです。

 こういう中で本日の集会の基調報告を大枠、3点にまとめて。
 第1点は、12月から臨戦態勢に突入するという形で闘い抜いて、本集会を1500集めきるということを、ある程度一定の目標に、一歩も二歩も近づいたという段階で、この27日の最終弁論において千葉を揺るがす、裁判所を揺るがす闘いを展開するということを、第1点として押さえていく。
 第2点は、やはり空港会社は、徹底的に守りに入りました。空港はできたんだ、あるいは三里塚闘争は終わったんだと言って、今まで騙しに騙してきましたけれども、今日の状況を見てもわかるように、東西南北、全部、そこを拡張しなくちゃあならん。そして新たに第3の誘導路を作らなくちゃあならん。新たに今度は格安航空のための基地をつくらなくちゃあならん。そして20万回を30万回にしなくちゃあならん。また、深夜・早朝の時間帯を緩和しなきゃあならん。こういう形で地域住民に対して敵対的な立場をとらざるを得ないところまで追い込まれたわけですよ。
 13324_6それだけじゃあなくて、3月末からはオープンスカイと言って自由競争の中に叩き込まれていく、そういう空港の情勢が訪れてきている。どうなっているのか。あの巨大なアメリカの航空会社。今、ほんとに争闘戦の中で、吸収合併、そういう中で生き残りを図っているわけですよ。
 それが成田においては、今、20万回を30万回という大風呂敷を広げたために、第3の誘導路も作らなくちゃあならん、あるいは市東さんの農地を強奪しなくちゃならん、そして格安航空を導入し、本来の空港だけでは足りずショッピングセンター化した形で空港会社の運営をしなければならないところまできている。
 そういうことに対して、何が公共性なのか、国益なのか、あるいは地元民に対してはっきりと「空港はNOである」と共に立ち上がっていこうじゃないかと胸を張って訴えていくことが第2点であります。

 第3点は、先の選挙で自民党政権が誕生した。その安倍が放つところの政策に対してどう闘っていくのかということを三里塚闘争の中から求めていかざるをえない。このことを3点にわたって基調の提起をさせていただきたい。
 第1点は市東さんの農地強奪についてです。みなさんが盛んに言われていますように、耕作面積の65%を強奪するわけですね。生産する畑の65%を奪われたら、農民として生きていけない。これははっきりしている。これだけじゃなくって、農業を行うところの苗を作り、作物を育てるビニールハウス、一つは農機具を置く場所、雨や寒さの中で作業をする場所、それら一切合財を取り壊し、収奪しようとするのが市東さんへの攻撃です。これは、土地収用法によってもこのような事態はあったのか。一農民が、一住民が、このような形で、裁判によってなされていくということは、今の時代の中で有り得ないことだ。しかし、土地収用法で取れなかったから、農民や農地を守る農地法で盗っていく。これは二重、三重に誤りだ、悪どいやり方なんだということを訴えたい。
 13324_5農地法というのは、敗戦直後、全国的には60%、65%が小作人だった。その人たちが血と汗と涙の闘いによって勝ち取った自作農、そういう中から生まれた法律です。労働者のみなさんの労働法。教育労働者の教育基本法。それらもこういうところで生まれたんではありませんか。我々が農地法を守っていく、農地法を死守していく。それは、労働者が労働法、あるいは教育基本法を守る闘いを一緒になってやっていくのと同じなんですよ。そこにもね、勝ち取った労働者の権利、教育労働者が勝ち取ってきた教育の場。それを今、日の丸や君が代を先頭として、悪どいやり方で潰していく。そういうやり方があるわけでしょう。そのことに対して我々農民は、農地法を盾にしながら、労働者のみなさんとともに、この悪どい改悪を、農地法を通して訴え、闘い抜いていくのが市東さんの裁判なんです。
 つい先日、TPP参加表明をしました。本当に酷い言い方です。「農業は守ります」「医療はやります」「社会保険制度も変えません」。だったら参加したって意味ないんですよ。やる必要ないですよ。こんなウソをついてやろうとしているんですよ。そこで問題にしなければならないのは、大手のマスメディアが大半これに賛成しているんですね。あるいは連合も賛成している。ほんとに心ある労働者と三里塚を闘う農民が、これに対して反対を掲げて闘い抜くことが本当に今、重要になってきている。
 この中で、農民を盾にしながら「農民が悪いんだ」「農民のエゴ」というような形で報道されます。そして、そのことを通して労働者と農民の分断を図ろうとしている。本当にそういう意味では、労働運動の中にぶちこまれたTPPの問題という形で、もっともっと拡げていって、労農連帯の闘いでもってTPP反対を勝ち取っていかなければならないと思う。            (つづく)
 

| | コメント (0)

2013年3月30日 (土)

今週の産直野菜(3月30日)

13330 先ほど三里塚から産直野菜が届きました。3・23~27と5日間も成田現地に留まっていたため先週の産直野菜はお休みさせていただきました。それで、冷蔵庫の中は野菜がありません。待ってました・・・。

 からし菜漬け、人参、里芋、のらぼうな、ほうれん草、ネギの6品です。現地にいる間は10度前後のめっちゃ寒かったのでまいりましたが、前後は温かったようで、3・24が成田市の桜が満開。ほうれん草も元気に育ってきましたね。もう少しの辛抱で、いよいよ野菜がどかっと入ってくるかな?昨年のこの時期は多かったのですが・・・。

 先々週の「菜花」というのが意味が分からず、「新しい野菜?」と書いたのですが、今週の『野菜だより』を見ていて納得。寒い中で葉物が育たず種族を残そうと必死で小さいままとうだちして、花をつけていると聞いていたのですが、その畑の花盛りの中で食べられるものを摘み取っていたのですね。納得。これも産直ならではの努力と味わいですね。

 みなさん。3・27農地裁判が結審しました。この美味しい、豊かな野菜たちを、それを育む農地を守れるかどうか。7・29農地裁判の判決に反動判決を出させないために今から、ひとりひとりの周りで声を上げ、輪を拡げていきましょう。

| | コメント (0)

2013年3月29日 (金)

3月27日農地裁判結審 雨中、裁判所を包囲

13327
 3月27日、千葉地裁で農地裁判の結審をめぐって法廷内外で闘いが繰り広げられました。

 雨と厳しい寒さの中、全国から180名が結集して中央公園での集会が開かれました。13327_2反対同盟を代表して北原鉱治事務局長がまず3・24全国集会が意気高く成功したことを確認した上で、「これで日本の国に将来があるのか」と闘う意義を明らかにされた上で、「我々の生きる権利を守る闘いを理解下さい」と千葉市民に訴えられた。そして「世の中を変えよう」「三里塚闘争は健在です」と語りかけられました。
 引き続いて動労千葉、関西実行委員会、市東さんの会、市東さんを守る沖縄の会からそれぞれ連帯の挨拶があり、支援連4党派が決意を述べて団結ガンバローをしてデモに出発しました。
 中央公園周辺を一周した上で、千葉地裁を包囲するようにデモが進みます。13327_3市東さんの農地取り上げに反対する会が用意したサウンドカーが元気にデモの最後尾で「農地を奪うな」「TPP反対」と道行く人々に呼びかけます。
 デモが終わって、今度は千葉地裁を「人間の鎖」で包囲し、シュプレヒコール、そして「反対同盟の歌」をみんなで歌いました。
 北原事務局長が嬉しそうに「人間の鎖」をまわられました。また、3・24集会で決意を語られた約束を果たして、福島の椎名千恵子さんが駆けつけてこられました。

 法廷が開廷し、先ず市東さんが6年にわたる裁判を闘った想いをこめて陳述されました(「13.3.27市東さん陳述.pdf」をダウンロードにその全文)。引き続いて3時間半にわたって7人の弁護団が入れ代わり立ち代わり膨大な最終弁論の要旨を述べていきます。詳しい要点が市東さんの会のブログにすでに掲載されています(http://www.shitou-nouchi02.net/2013/03/post-5e2b.htmlをご覧ください)。

 すでに「結論ありき」の姿勢を露骨に示していた多見谷裁判長が、判決を早ければ5月にも出すかと言われていましたが、この間の萩原さんの証言、市東さんの証言、そしてこの日の闘いに圧倒されて、判決公判は7月29日(月)午後1時半からとなりました。
 3・24全国集会ですでに萩原進事務局次長から、判決に向け3・24の1370名を1500に拡大する闘いを実現し、裁判所を包囲し多見谷裁判長をしめあげ勝利しようと呼びかけられています。新たな段階に突入した7・29判決に向けた闘いに直ちに取り組もう!

| | コメント (0)

2013年3月28日 (木)

3・24三里塚全国総決起集会に1370名の結集

13324
 3月24日、三里塚の市東さんの畑で、全国総決起集会とデモが、1370名の結集をもって闘い抜かれました。決戦に突入した闘いにふさわしく、全国から続々と集まります。寒いですが、心配された雨もなく、早咲きの桜が満開のもとでの集会となりました。

 13324_2恒例になったもうすぐ96歳になられる森田恒一さんが実力決起を激烈に訴えて開会の挨拶が行われました。続いて主催者を代表して北原鉱治事務局長が挨拶。「一人一人が自分で立ち上がって、世の中を変えよう」と。13324_3
 続いて、萩原進事務局次長が基調の提起です。闘いが前進していることを確認した上で、農地裁判の判決=農地強奪攻撃に対し、27日の結審、判決に向けて今度は1500を実現し、闘い抜こうと激しい闘志と怒りを露わにして決起を訴えられた。
 13324_4今度は弁護団とともに市東孝雄さんが登壇し、農地裁判での空港会社の偽証をはじめ、農地法を踏みにじる農業委員会・裁判所のあり方を弾劾し、こそ泥の如くに侵入した2・20「公示」を弾劾され、闘い抜くことを宣言された。弁護団は、葉山弁護士を先頭に6人が登壇し、全員が3・27結審(最終弁論)への決意と裁判所勝利に向けた意気込みを語った。
 13324_5続いて特別報告。動労千葉の田中宏委員長に続いて関西実行委員会の永井満代表世話人、13324_6山本善偉世話人が登壇し、3・17三里塚関西集会の成功を報告し、決戦局面に入った三里塚への想いをそれぞれ語られた。
 福島からまず果樹農家の大内孝さんが子どもたちへのネット上での差別的な書き込みを弾劾し、1971年9・16三里塚を起点とした決意を語られた。続いて椎名千恵子さんが、13324_73・11福島集会への想いと成功を報告された。そして土・大地こそいのちの源だと。さらに食品検査が縮小されようとしていることに対し「被ばくを強制するものだ」と弾劾された。具体的に闘いを進め、その中で連帯を深めることを訴えられました。そして3・27農地裁判に行こうと。
 13324_8続いて「市東さんの農地を守る沖縄の会」から安次富浩さんが挨拶された。市東さんの闘いと沖縄の闘いが同じものであることを明らかにした上で、安倍政権が一昨日、辺野古の埋め立て申請を強行したことを弾劾した。この1年を安倍政権をぶっ潰す闘いとしてやり抜き、来年初めの名護市長選を勝利させることの重大性を訴えられた。13324_9また安倍政権が屈辱の日4・28を「主権回復の日」として記念事業を行おうとしていることに怒りを込め弾劾した。
 ここで、壇上で三里塚、福島、沖縄の代表が並び手を結び高々と上げて闘いの方向を示したのです(最初の写真)。すごい演出です。
 続いて「市東さんの農地取り上げに反対する会」、「全国農民会議」がそれぞれ大挙して登壇し、市東さんの農地を守り、TPPに反対する想いと決意を語り、農地裁判勝利を絶対に勝ち取ろうと訴えられた。
 反対同盟の鈴木加代子さんから闘争へのカンパが訴えられた(40万円を超えるカンパが寄せられた)。
 ここで全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部からの連隊のメッセージが紹介されました(反対同盟ブログに全文紹介されています。http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2013/03/post-373.html)。
 13324_12部落解放同盟全国連合会をはじめとした共闘団体からの連隊挨拶の後、支援連4党派の決意表明、そして集会全体の「3・24闘争宣言」(反対同盟ブログに掲載。http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2013/03/post-372.html)が読み上げられ、スローガン採択、デモの方針提起が行われた後、団結ガンバローを全体で唱和して、集会を終えました。

 さあ。デモに出発です。先頭には、市東さんが運転するトラクターを先頭とした4台のトラクターが行きます。13324_13最後のトラクターには萩原事務局次長が。そのあとに、北原事務局長と反対同盟旗を先頭にデモが続きます。
 デモの上空を次々と轟音を響かせて着陸機が暫定滑走路に入ってきます。
 関実のデモの先頭には、先日の3・17三里塚関西集会同様、5つのジャンベが勇壮に鳴り響き、若い人がリーダーでシュプレヒコールが絶えることなく続きます。13324_15驚いた権力が、この写真の後の交差点から並進規制をするだけでなく黒装束の公安警備が襲いかからんばかりに映像を取りながら最後までつきまといました。
 92歳の山本世話人が、前日からの沖縄、三里塚との交流会、そしてこの日の朝からの北原さんとの交流、集会に疲れを見せることなく、このジャンベの響きに足を合わせ、13324_16嬉しそうにデモを貫徹されたのには驚きでした。

 関西の4人、沖縄の2人は、市東さんの離れに泊めていただき、翌日、雨の中を現地調査をしました。5人は初めて見る三里塚の歴史と古戦場に、感動の想いを抱くと共に、1332550年近くもこの空港の中で闘い抜いておられる反対同盟の姿に想いを新たにしました。萩原進さんに朝一番に訪れてお話しを伺い、鈴木加代子さんの所では昼食を取りながらお話しを伺いました。13325_2東峰墓地では、大木よねばあちゃんのお墓である椿の花が見事に咲き誇っている美しさに感動しました。

 写真はいずれもクリックしていただければ大きくなって見やすくなります。
 

| | コメント (0)

2013年3月22日 (金)

若いMUさんが反弾圧を訴える (3・17集会)

反原発闘争への大弾圧との闘い

 弾圧、ほんまに許せないんで、この場を借りて発表させていただきます。
 私、すごく活動歴短いんですね。正直言いまして、三里塚闘争、終わってるもんだと思っていました。ほんとにみなさん、申し訳ないです。

13317mu 活動に目覚めたのは大飯原発です。大飯原発再稼働が1年前問題になったことからオキュパイ大飯行動、吉岡さん、Uさん、クマさん、はちようびと合流させていただきました。

 あの福島の惨状というのは酷いものです。国家破滅のできごとです。それをなかったことのように大飯原発再稼働、絶対に僕、許せませんでした。ほんまに仕事どころじゃないと。ほんまに滅びるんだいうぐらいの気持ちで大飯ゲートオキュパイに参加しました。あの時は、捕まってもいい、なにが起ころうが止めるんだぐらいの気持ちで現地に乗り込みました。それは吉岡さん、Uさん、はちようび、あの日参加したみなさん、同じ思いだったと思います。
13317_2 オキュパイ大飯の監視テントに入っていたときに吉岡さん、Uさんがすごくやさしく受け入れてくださったんですね。全然活動歴もない、全然無知な私たちでも「いいよ、いいよ」てね感じで。最初に泊まらせていただいたんが吉岡さんのテントでした。「ゆっくり泊まり、まあ飲みぃや」みたいな感じで、全然押し付けがましくもなく受け入れ態勢を整えてくれて、ほんとにやりたいことをさせていただいて、言いたいことを言い、「いいなぁ、いいなぁ」という調子ですごく受け入れてくださいました。
 オキュパイ大飯の6月30日から7月2日にかけての36時間行動です。あの時、ほんとに大飯原発止められるとほんとに僕思いました。ほんとに思いました。ああいう動きというのはなかったと思います。ほんとに老若男女、人種を問わず、中核派のひとから、日の丸出す人から、はちようびみたいな人からおとうちゃん、赤ちゃん抱えてる人たちまで、日本全国から集まってきました。
 あの動きでほんとにこの国を変えられるんだと本気で思いました。
 で、その監視テントの吉岡さん、Uさんが大阪のガレキ闘争で去年10月に市役所横にテントを出すというのをいち早く情報をキャッチして僕はそこに合流しました。大阪のガレキ止めるつもりでした。身体張って。

 13317mu_4その前に関西大弾圧の流れについて話しますと、オキュパイ大飯行動で一人、Kさんが事後逮捕されました。人の噂も45日という9月22日に逮捕されたんですが、権力の巧妙な逮捕です。その裁判もすでに忘れ去られようとしています。あれだけの大飯闘争、全然マスコミも取り上げません。今、忘れ去られています。今、めちゃくちゃな裁判が行われています。今、第6回(公判)が終わったんですけれども、Kさんが意見陳述するときに「10分だ」ということで裁判官が停止したんですね。Kさんは叫んで「お前ら、何すんねん」と。「止めてどないすんねん。こんな裁判がまかり通ったらあらゆることが犯罪になるんだぞ」と必死で叫んではりました。でもその叫びも虚しく、ほんとにちっちゃな刑事事件として扱われています。ほんとにマスコミ、取り上げません。

 PhotoそのKさんの原発闘争というところがありまして、再稼働したのは関電だということで、わずか10日後の10月5日に関電前「転び公妨」の不当逮捕がありました(左スケッチは第1回公判に出廷したAさん)。これほんまにデッチ上げ逮捕です。私、現場で見てました。今、その証人とかになっていますし、救援活動の中に深く関わっています。
 その10月5日の関電抗議行動で集まった人たちが決起したんですね。「こんなこと絶対許されへん」と。下地さん、韓(基大)さん、あとぱおんさんとか、関電包囲行動で先頭に立っている人たちが、先陣きって天満署に抗議に行ったんです。権力に向かって。あとから聞いたはなしによると、あまりなかった出来事だといわれていますが、天満署で権力に向かって本気で抗議する、30回くらい続きましたかね。1、2ヶ月続きまして、僕もずっと参加してたんですけれども、その中ではちようびが天満署前で道路封鎖してライブをやるとか、京都からゴレンジャーが来て踊るとか、ミラーボールでディスコを踊るとか、あめだまおやじが踊るとか、なんかほんとに凄いです。あの時の抗議というのは日本最先端の抗議だったと思っています。それに権力は驚いたと思うんです。10月5日の関電での不当逮捕でひるむだろうと思ったら、天満署に抗議したと。

 13317mu_6
 そこで市役所前を拠点にして、関電包囲、市役所抗議、天満署抗議というのがワンセットにして起こっていたんですね。この10月から11月にかけてのほぼ2ヶ月ですか。その時、11月13日の此花区民ホールのガレキ最終説明会というところで、私たちが最後の決戦だということで、阻止行動に入ったんですね。その時、不当逮捕されたのが私、ぱおんさん、韓(ハン)さん、Uさんだったんですね。これは関電行動、天満署抗議、市役所行動を先陣切ってやっていた人間を狙い撃ちしたということです。

 そのあと、下地さんほか2人が逮捕されたんですが、それでもめげなかったんですね。僕はたまたま23日で保釈されて、エネルギー大量で戻ってきました。「絶対にゆるさへんぞ!」と。その時に僕の歓迎会で迎えてくださった方がこの中にも何人かいらっしゃるんですけれども、その方たちと力を合わせて「こんな国家弾圧絶対に許さへんぞ」とそこで決起しまして、行動が大きくなりました。
 まず、下地さんを取り返すべく東京の方に波及しまして、関西大弾圧救援会・東京の会というのが発足しました。そこで、竪川弾圧とか麻生邸ミステリーツアーで弾圧されていた園良太君が呼びかけ人になって東京の会が発足されまして、そこから憲法学者とかほかのいろんな学者さんとか関係人の弁護団とか大きな反弾圧運動ができました。それに続いて2月3日、反弾圧集会で釜ヶ崎の弾圧、労働組合の弾圧、関生の弾圧などいろんな人の弾圧が集まって全国的な広がりが始まっています。

 あれは、権力にとって脅威だったと思います。潰すつもりだったのが、潰せば潰すほど大きくなる、めげない。ほんとに腹をくくった人間が結集しているというところで、すごく大きな意味合いをもっていると思います。

 13317_5また今も弾圧を通じてはちようびが三里塚の方に行って芋掘りに参加したり、福島の方に野菜を届けたりして、福島と三里塚というのが繋がろうとしています。これも絶対国家権力恐れていますよね。この動き。絶対恐れているはずなんです。虐げられた人々、福島、三里塚で、大飯原発。これに沖縄が繋がれば、これって、吉岡さんがおっしゃてたように「沖縄と福島と三里塚が繋がったら革命が起こるぞ」と。僕。本気で思ってますよ。思ってます。そういう橋渡し、バトンタッチが出来るのは、バトンタッチぐらいしかできないのですね、こうしてみなさん古い活動家と若い世代につなぐ、そのバトンタッチをするのが私のような役目かなと思っています。

 はちようびはじめ、三里塚、沖縄、福島。繋がればいいなぁ。ほんとに大きな大きな運動にしていきたいな。忘れ去られていた人たちが立ち上がって本気で声が出せるように。弾圧、怖いですよね。不当逮捕などされたら。縮んでしまいますよね。でも、言いたいことも言えんようになったら、ほんまに日本も終わりなんで。二日前ですか、TPP参加表明されましたね。あれ、ほんまにあきませんよね。もうカウントダウンですね。悪夢への。
 なので、声を上げ続けたいと思いますので、ママさんたちとか、若い世代の人たちとか、全然関係のないクラブの弾圧とかもありますよね。そういうクラブの若者たちとかも、今後の反弾圧運動に繋げていきたいなと思っています。
 救援活動て、すごく大事だと思うんですね。運動する上で、弾圧というのは最後のセイフティネットだと思っています。もし何かあったら絶対守ってあげる人たちが必要だと思っています。私も不当逮捕されて、救援活動があったおかげで今こうして運動もできるわけですし、この場にも立てています。

 まだ5名、逮捕されています。福井刑務所、大阪拘置所に仲間が残っています。救援活動中心に頑張っています。あちらでカンパ活動やっていますのでよろしくお願いいたします。

 

| | コメント (0)

2013年3月21日 (木)

市東孝雄さんへインタビュー (3・17集会)

 13317_2
 3・17三里塚関西集会で、三里塚の市東孝雄さんに松野尾かおるさん(風をおこす女の会)が35分近くインタビューを行いました。質問は要約し、市東さんの答えは出来るだけそのままに。文責は管理人にあります。

【質問】お忙しい中、ありがとうございます。
【市東】どうも。市東孝雄です。よろしくお願いいたします。

【質問】年間50品目くらい作っておられるそうですが、昨年以来天候不順だったようですがいかがですか。
13317_3【市東】春先、6月、7月頃まではずいぶんいい状態だったのですが、その後の7月~9月ですか長雨と乾燥で、作物に痛みとかなんとかがでました。その後9月から乾燥状態が続きましたんで、種が撒けなかったんですよね。ですから普段より遅れて種をまいたんです。そしたら大寒波がこんど襲ってきまして、この中にも野菜をとっていただいている方が沢山おられると思います。自分たちも産直を初めて24、5年になりますけれども、聖護院大根と三浦大根ですね、今までは三浦大根、持ち運ぶのが大変なくらい大きかった。ですけど今年は、2本で1本分だとか、聖護院だったら3個で1個分。そいうような状態で送らざるをえなかったですね。
 今年は本当に天候不順で、一日のうちでも10何度違う。人間でも大変なのにあんな小さな植物はもっと大変だなと思いました。

【質問】第3誘導路が先日7日に供用開始され左の写真(毎日新聞より転載)に見られるように1337完全に空港の中に市東さんの御宅と作業場や畑などが囲まれたのですが、どんな感じですか。
【市東さん】まあ、騒音の場合は今までは旧の誘導路の場合には、離れのほうが圧力を受けてたんです。そんなには感じなかったんですが、うちの前にあった団結街道が閉鎖されました。そのところに作った第3誘導路が、正面をむいていって流れていく。その分だけうるさくなった。あとは北へ登るときはギンギン、ギンギンと振動とか今までに増して続いています。

【質問】年間の離着陸回数を22万回だったものを今年は27万回、来年には30万回、規制時間の緩和などを行おうとしているようですが。
【市東さん】2500メートル滑走路に誘導路3本などというのはおかしいんですよ。そしてただ追い出したいために第3誘導路を作ったんですが、2本目を200億かけて東峰部落の分断を謀って作ったんですが、3本目を作ったからもうそれはいらないと。そんな無責任なね。自分たちが税金を使って作ったものを、モノを捨てるようなそういうやり方というのは、傲慢なやり方がね絶対に許せない。空港会社がほんとうに何を考えているのか、怒りに耐えない。

13317_4【質問】市東さんの農地を取り上げる農地裁判で、先日2月18日、4時間にわたる証言をされたと聞きましたが・・・。
【市東さん】まず、この農地は100年、誰に文句も言われず耕してきたわけですね。そのことを言ったのと、その後、空港会社のいろんな違法とかペテン、そういうものを、例えば旧地主から15年前に買ってあったのに「2003年に初めて底地を買ったんだ」と、だからそこを出て行けと。それから「不法耕作」というんですが、私の家では一切耕したことのないものを、そこを私が不法に耕作していると、新聞を通して「反対派の農家の不法耕作」と、そういうことを言ったのに、この間の裁判では空港会社が僕が使っていないとみとめたんです。そしたらその後、空港会社は自分たちで「使っていない」と放棄したから、放棄したんなら名誉毀損などといくらでもこちらは文句付けられるんですけれども、それが一切何もできない、よくわかんないのですよね。おかしな話だ。
 それと親爺の「確認書」「同意書」ですよね。鑑定士さんに頼んだんですが、関西で小学校の榊原という子どもを殺した事件がありましたね、その時に鑑定した人がうちの親爺の鑑定をしたんですね。そしたらこれは結局、偽造だと。普通だったらそれは大問題ですよね。それも一切、説明もしないし、後はみんな裁判長の方に助けを求める、そいうやり方ですよね。
 そういうデタラメをやっていても裁判は進んでいく。そういう状況です。

【質問】どの裁判も結論は、国・空港会社の言うとおりですすんでいるんですね。
【市東さん】そのとおりです。

【質問】4時間という裁判所での証言は疲れたでしょう。
【市東さん】いやぁ、疲れたとうほどではなかったです。Photoただ、言っているうちに同じことが繰り返し繰り返し頭に登ってくるんですよね。「あ、またいわなきゃならない」と怒りがこみ上げてきて、終わってみたら4時間、てな感じでしたね。

【質問】農業のことから、そういったデタラメなやりかたについてなど思いのたけを話されたようですが。
【市東さん】そうですね。農地法で農地をとるなんてことは、普通考えられないですよ。だから、もともと土地収用法が失効して、それでもう土地は取られないんだと、それで親爺の後を継いでやるということになったんですよね(左写真は、孝夫さんのお父さんの市東東市(とういち)さん。)
 そしたら今度は農地法を悪用するというか、それで農民から、そこで畑を耕している人間を相手にするなどというのはね、そういうやり方は絶対に許しません。

【質問】農民が農民として生きる、そういう農民を切り捨てるというやり方が最初っから続いていますね。
【市東さん】そうです。行政の方もそうなんですね。成田市農業委員会の方は、書類さえそろえばもうフリーパスだ。空港とは共存共栄だから、評価もしなかれば何もしない。ただ、隣の部落の方から反対意見が出た。「これ、どう考えてもおかしい」と。「話し合いをして、あくまでも合意をするようにしてください」と付帯事項をつけたんです。ですけども、それをそのまま千葉県農業会議にあげちゃった。ですから、今度は千葉県農業会議は審査一切なしですね。それで、知事の方に上げて、知事から許可決定をとったと。ですから国も県も市もすべてグルです。そういう攻撃をかけてきました。

【質問】2月20日に、裁判所が「公示」をベタベタ無断で貼って回った事件ですが。
【市東さん】1337_2本来であれば裁判が始まってすぐにやるべき問題らしいんですね。ですけど、もう6年裁判をしてて、そろそろ結審ということで、向こうもこれでは強制執行をかけても取れないと、それで急遽付けたような感じですね。
 何といっても土地は借りてるんですから「それは認めます」というのはいいですよね。しかし、トイレの中から、離れの中、それから鶏小屋、ハウス、在庫をおくトレーラーの中にも、勝手に貼っていったんですよ。それで、執行官が朝、6時頃来たんですかね。7時頃、戸をトントンと叩いて僕がいるのを確かめたと向こうは言うんですけれども、それも定かじゃないんですよ。ですからこれも全部ことが終わっちゃってから、トントンと叩いて「あ、今日はいないな」と思って帰った。そういうようなやり方なんですね。
 ですから、今更ながらですが、いつもそうそいうことで三里塚はやられてきました。なんで、自分の所有物が、確かに土地の上には立っていますが、取られるのか。普通だったら勝手に入っちゃいけないですよね。不法侵入ですよね。ですからそういうやり方しかできない今の敵の焦りというのが見えていますね。

【質問】これは強制執行するための手段なのですね。
【市東さん】そうです。これは経産省のテントにも同じものが貼られました。文言は同じみたいですね。

【質問】最終弁論が27日にあって、夏前くらいに判決?
【市東さん】6月か7月が判決だと思います。

【質問】三里塚では仮執行を付けて上級審に行かないで強制執行するというのがあるんですが、これはそのために慌ててやった?
【市東さん】ただ、千葉でそうだせるかどうか。1186現闘本部もそうでしたけれども、あの悪い仲戸川が出せなかった。ですけど高裁にいったら何の対応もなしに、あれ(強制撤去)は朝の3時ですよね(左写真は午前4時段階)。暗いときに来て、一気に壊し始めた。
 まあ、恐らく今回もまたそういうやりかたしかできないと思うんですよね。

【質問】そういうことをさせるかどうかも、裁判の中の力関係で決まるのですよね。
【市東さん】そうです。この間、皆さんの力で、傍聴闘争でも裁判所の包囲、大勢の人がやってくれていますので、裁判所が少しでもそのことに気がつく、その時には流れも変わってくると思うのですけれども。
 結局、国家権力のやることというのは、やっぱりいいようには転ばないと思いますよ。

【質問】金城さんがさっき言っていたようにあきらめるかどうかが勝負どころで、結論が予想できるからといって手を緩めるということではないですよね。
【市東さん】帰ってきた時、ここで親爺の後を継いでやると覚悟を決めた時、今さら別に向こうがどう出てこようがそれは関係ないです。それで、弾圧という問題がありましたけれども、僕も2回捕まりました。ですけど自分がやっていることは正しいと思って頑張っていると、捕まって拘置所に入れられていても、日にちがすぎると「もうここには無駄な時間を過ごしていたくない」という気持ちはありますけれども、余計にパワーが湧いてくるというか、そういうことはあります。

【質問】LCC(格安航空)の導入などから空港を拡張しようと取香などでうごきがあるそうですが。
【市東さん】それは、GSE/ULD(航空機支援特殊車輌)置き場などの設備を作るために拡げている。裁判で自分の畑のところで、その設備を作るんだと。裁判所の方から空港会社の方に抜けているところがあるので、これはどうするんですかと、裁判所自体がやってきた。
 どんどん広げて、すべて空港の中に取り込んで、そこに居る者は排除と、それはもう目に見えています。

【質問】誘導路を作ったり無理やり動かしている、取り繕うために強権発動をする、そういうやり方ですよね。
【市東さん】13317_6そうなんです。ですから色んな面で「話し合い」だとか言いますけれども、「話し合い」じゃなくて出ていくことに対する補償だとかが向こうの言う「話し合い」なのです。ですから自分たちは補償だとかそんなことを望んでいるわけではない。そこでいかに農家をやって、昔からの土地に住んでいたいんだと、そういうことを言ってるんですけれど、何かあると「話し合い」「話し合い」と。ですけど、協議している裏では工事がどんどんどんどん進んでいく。もう第3誘導路もできましたけれども、ですから「話し合い」なんてのはほんとに「飴と鞭」の使い方で、もうそういう妥協すれば向こうはしめたもので、自分のように反対しているものには、最後は国家権力をもってどかっとくる。そういう方法しかない。今の空港会社の焦りがどんどん出てきていますよ。
 ですから、もう拡張しなければ成田空港はもたないと、地盤沈下だということですね。むこうも焦っていると思います。

【質問】もう時間がなくなってきて、沖縄に行かれたのですが、いつ行かれたのですか。
【市東さん】4年前ですね。4月25日の県民大会ですね。

【質問】沖縄に初めて行かれて、どう?
【市東さん】僕は、綺麗なところで、住民の方もやさしい、そういうところだなというような認識しかなかった、最初はね。空港から読谷の方へ行きました。途中でいいところは全部基地なんですね。読谷からちょっと行くと畑がありますので見たときに、なんで農家の人がここまで追いやられなければならないんだと、そういう想いがものすごく強く感じました。畑でさつまいもを植えていましたけれども、ポンポンポンポン投げているんですよね。何をしているのかなと思ったら、後ろに山のように石(サンゴ礁の死骸)が積まれてるんです。あれを見た時にこれは大変だなと思いましたね。

【質問】3・11以降は何回か福島に行かれ交流しておられますが。
【市東さん】福島で農民会議というのを作りまして、今回も11日に行ってきました。福島の人に聞いてみますと、2年経ってもう終わったんだ、復興したんだみたいなキャンペーンが張られていますけれども、目に見えているところだけで、もう全然。ですから赤十字だとか義捐金みたいなものがほんとにどこに消えちゃってるんですかね。自分で直に持っていって渡さないと、ほんとに何に使われているかわからないですよ。ですから復興予算とかありましたけれど、福岡の方で道路工事に使われたとかね、ああいうことがあります。
 福島の人たちに聞くと、飯舘の人が農業会議に参加しているんです。そしたらやっぱり原発が起きてね、「この原発を恨む」と言って自殺した人とか、「私は足手まといになるから」と自殺したおばあちゃんとか、そんな話しを聞くとね、やっぱり原発なんかいらない。それじゃなくとも、作ったのは自分たちじゃないでしょ。作る時だけいい顔をして、作ちゃったら後は構わないというそういうようなね、「国策」としての公共性に反対しながらやっていく。生き続けなきゃならないということは大変なことだと思いました。

【質問】沖縄の基地も、原発も、空港も「国策」で同じやり方がされているということですね。
【市東さん】「長いものに巻かれろ」とよく昔から言いますけれども、ですが、「国策」だから何をやってもいい、だからこれに従わなければいけない、そういう考え方を変えないと、今の世の中は変わりませんよ。ですから、言うべきことは言えるような日本人というか、そういう意味で僕も目指していきたい。

【質問】もう時間がなくなって、ほんとはお父さんの市東東市さんのことや、戻ってくる過程の市東さんご自身の気持ちについてもお聞きしたかったんですが、この春から夏にかけての闘いへの気持ち、参加しているみなさんへの呼び掛けなど。
【市東さん】まあ、僕も関西、沖縄、福島に行くんですけれども、やっぱり遠いですよね。これが近くにあったらもっともっと一緒に闘えるという気持ちがあります。ですが、基地としての沖縄と、原発の福島、そして三里塚。国策としてのやりかたは一つです。ですから、東京で17万人ですか、今、日本で憤りを感じている人は一杯いるんですね。攻撃がかかっている三里塚に集っていただきたい。共に闘っていただきたい。それが結局は福島と沖縄、三里塚とその一つの闘いになっていくと思うんです。みなさんの力が発揮できる一番の時だと思います。
 3・24三里塚現地へ遠くて大変だと思いますが、一人でも多く来ていただき、3・27も裁判所を包囲して、「ここに三里塚あり」ということを世間に知らしめるような闘いかたをしたいと思います。
 ありがとうございました。
 
 

| | コメント (0)

2013年3月20日 (水)

成田空港オープンスカイのための規制緩和に抗議!

1337_2 3月7日に第3誘導路の供用開始を強行した(右写真は、3月7日付毎日新聞より転載)成田空港会社・国交省は、3月31日よりはじまる成田空港の自由化(オープンスカイ)に向けて、空港の朝と夜の供用時間規制の緩和を地元に働きかけていました。

 今朝の新聞各紙(千葉版)が、成田市と芝山町が、夜の供用時間を1時間緩和することを認めたと一斉に報じました。
 成田空港の離着陸コース直下周辺では、現在でも朝と夜を中心に騒音の被害が生まれています。当然にも住民から緩和に対する根強い反対の声が上がっていました。成田市長は、この声への感想を求められて「私の力の及ばぬところ」(日経新聞)と答えて、公然とこうした声を無視する姿勢を明らかにしたのです。
 上の写真中央の木立が市東孝夫さんの住居と畑ですが、空港の中に閉じ込め、市東さんのくらしと営農を切り捨てて空港の拡張を強行しています。そればかりか、自由化(発着回数の拡大)のためには住民の騒音による被害が出ようが知ったことではないというのだ。これほど住民を愚弄した成田空港維持のための「国策」の強制が許せるはずがありません。

 もともと成田空港の自由化(オープンスカイ)とは、アメリカによる新自由主義的航空政策の押しつけであり、TPP(環太平洋経済連携協定)の押し付けと基を一にするものです。安倍政権が、嬉々としてこのアメリカの押しつけに追随し、ごくごく一握りの人の巨大な利権のために私たち住民を、労働者・農民を切り捨てようとするものです。
 福島原発事故をなかったこととしようとする安倍政権の原発政策、沖縄へのオスプレイ配備と新基地建設に向けた防衛政策、こうした「国策」強制と同じものとしてこの三里塚の事態が生まれているのです。

 これと真っ向から立ち向かおうと呼びかけている三里塚反対同盟の農民の皆さんの訴えに応えようではありませんか。
 3・24全国集会へ行こう! 3・27農地裁判の結審攻撃に対し、千葉地裁を包囲する闘いに起とう!

3・24三里塚へ! 3・27千葉地裁へ!

| | コメント (0)

沖縄の彫刻家・金城実さんの講演(その2)

人間扱いされていない沖縄

 13317まあ、そんなこんなで先程の報告を聞いていると、今日の集会の特徴は、やられた話しよりも反撃、逆転をするという話しが今日の話しの特徴的でありまして、大変私も喜んでおります。ややもすると諦めてくる。もう、ダメだと。
 
(沖縄に)帰って、きっぱりと彫刻でも作りながら・・・しようと思ったけれども、友人の息子さんが米軍に轢き殺されるという問題が起こって、沖縄で初めて裁判所の中に米兵を引きずり出すという闘争をやりました。ところが地位協定というやつは、安保条約という美しい毛色をしているけれども、日本人は安保条約がなかったら日本だけでは・・(不明)・・いう毒饅頭だ。安全保障条約と言ったら、日本人は99%「あってもいいやないか」と言う。60年安保を闘った青年がここにもおりますけれどもね。70年か。あの時から生き残ったみなさんが今頑張っている。しかし、安全保障条約が毒饅頭だということを見抜けない。裁判で初めて知った。どういうことかと言うと、地位協定という協定の中に、全部、米軍の言いなりに米軍の都合のいいように法令が作られている。具体的に言うと、公務中には日本の警察が身柄拘束ができないと書いてみたり、裁判で出た結果に、私の知人の息子が殺されたのに防衛庁が来て「弁護士を立てないでくれ」と言ってきた。そんなアホなことがあるか。殺された子どもの親に、防衛庁から「くれぐれも弁護士を頼まないでください」と言ってきた。舐めておるやろう。これが地位協定だ。ほとんど泣き寝入りをしてきた。沖縄の人間は。僕らが高校の頃は1ドルや。人を殺して1ドルや。あの時、360円。今でも変わらない。裁判の決定が出て、判決で出た金額の幾ら払うかというと、日本の政府が決めるのかと思ったらアメリカが決めるんだ。幾ら払うかアメリカが決める。これが地位協定というものだ。まったく動かん。1000万円と出たとしたら150万円という具合。
 
だからそういうところで沖縄の人間は、人間扱いされていない。政治的差別などと、沖縄の人間は言うとるでしょう。沖縄の人間はやっぱり人権問題について疎いです。関西は強い。部落解放運動がそう。在日コリアンの運動もやる。「障害者」の運動もやる。いろいろ連動しながらお互い切磋琢磨をしながら、人権問題に取り組んできた歴史がきわめて重い。私の息子も西成高校だ。松原高校、・・高校、解放運動で作られた高校だ。沖縄の差別は政治的差別であるが、在日の問題とか部落の問題というのは心情的な差別だと言うんだ。人権問題に疎い。だから人権というものをきっちりと見据えた普天間の闘いにまだ食い込めない。地位協定に対する闘いも。逆に地位協定の闘いから基地問題を闘うのが本筋だと僕は思っている。だから「政治的差別構造」という言葉に顔が見えないんだよね。

沖縄と原発と三里塚

 そのことをからめながら、これからの闘争に入ろうと思う。市東さんとは、623慰霊の日の闘いとかいろいろ会うことになるんですが、わたしもこの会(市東さんの農地を守る沖縄の会)に加わるのはつい最近、丸1年になるかならないかです。
 
昔はね、このレジメに書いてあるとおり、1975年に、海洋博の時に彫刻を彫りまして、丸木位里、俊さんのところで、そこに戸村(一作)さんたちにもきてもらって、あの頃いっぱいおりましたな、いいだももさんとか針生一郎さんとか前田(俊彦)さんにも来てもらって、13317_3それから三里塚の鉄塔に「抗議する像」というものを立てることにした。叩き壊されたんですが、その時に戸村一作さんが取に行こうと、前田さんもいた。返すから車一台で取りにこいと言ってきた。警察の言うことだから守る必要もない。支援の学生たちが2、3台でついてきて、僕が機動隊に止められている間に突破していって、鉄塔のところに行った。行って見たら50センチほどにばらばらに切られていた。「お前らは、農民の魂がそれほど憎たらしいのか。この野郎」。鉄塔が切り裂かれていた。俺の彫刻も・・・(不明)・・・。「持って帰るか」と言う。「なに。お前ら泥棒のくせして持って帰るかとは何事だ。丁寧に持ってこい」と。
 
返されて、修復して元のところにもどしたというようなことが書いてありますが。私の三里塚との関わりもそんなに深くない。せいぜい彫刻を持っていったということぐらいだが、沖縄の連中は何度も行きましたよ。古波津英興さんとかね。知念さんとか・・・(不明)・・・。何回か行ってますけどね。
 
確かに三里塚というのは見落とされているというか、原発の問題や沖縄の問題の谷間に影をひそめ、どことなく置き忘れられているような気がする。だから先ほどの演説(反弾圧のMuさんの報告)にあったように、沖縄と反原発と三里塚がもう一度きちっと歯車が合って回るのであれば革命が起こるであろうという発言がありましたけれどもね、まさしくそう思う(拍手)。
 
微力ながらわたしも沖縄で、・・・・靖国裁判も最高裁で負けて、今度、普天間にオスプレイが来た時も、ゲートに機動隊と右翼がうじゃうじゃしているところで、話しをつけるのは年寄りだからね、知花昌一も県外にいていなかった時に、誰が警察や機動隊や右翼との間で話しをつけるんだというと結局・・・・。この時に警察の野郎が「金城さん、お願いがある」と言う。「お願いがある」「なんだ」「右翼の挑発には乗らないこと。お願いします。2番目。青いヘルメットをかぶっているのがいるんだが、あのヘルメット何とかなりませんか」と俺に言うわけだ。「気になるの? 彼らは誇り、プライドを持っているんだ。あんたがた警察が着ているユニフォームと同等に、青いヘルメットはシンボルだ。闘う魂だ。あんた方、とりなさいと俺から言えるか」。
 13317_4
年寄りは捕まるほど役はないと言ったけれども、そういう役はある。警察は孫みたいなもんだ。僕もごぼう抜きされたけれど、ゲートの前に座り込んで。軽々もって外に出されたけれど、その代り向こうに行く時に、・・・・・、「あぶない、あぶない。人を離せ。あんたがたはね、今、立派な警察の職業に就いているけれどもね、あんたがたのじいさん、ばあさんが沖縄戦で4人のうち1人が死んだ中、生きたのがてめえなんだ。オスプレイや戦争に反対する、あんたがた沖縄の人間の警察としてね、・・・生き残ってあんたがた立派な警察官となったんだ。・・・。道路のこっち側からむこう側にわたるんだったらちゃんと脇を抱えて連れて行け」。・・・(不明)・・・。脇をかかえて連れて行かれたもんだ。

何が「4・28 国権回復」だ!

 まあ、闘いには笑いがある。さっき音楽があったね。あれは、野性的でいいなあ。(笑いと拍手。会場の本人から声もあがり金城さんも応答)野性的であり、時にはゆるやかに、時には激しく、時には思いやりがありながらいくつかの綾を繋ぎながら・・。
 
そろそろ時間も来ますが、428屈辱の日、天皇も呼んでですね、沖縄県知事も呼んで、1952年の沖縄、奄美大島、小笠原切り捨てを、安倍は「主権回復、国の回復」、これを言うとる。あいつは沖縄の歴史の疫病神。なぜかというと、・・・の麻生太郎のおじいさん吉田茂が、印鑑を押して沖縄を切り離した。安倍晋三の岸信介、60年安保。安倍のおじさんである佐藤栄作、沖縄の密約の嘘をついてノーベル平和賞、12千万円をかっぱらって逃げて行った野郎。安倍晋三のおじさん。サンフランシスコ条約から沖縄返還。今度のオスプレイの問題と沖縄の基地の問題。ぜんぶ、岸信介であり吉田茂。こいつらがまた化け物、亡霊のように現れて、日本で妖怪のごとく暴れているという姿が、今の日本の現状です。
 
それに気づいて、闘い方には先ほど言ったようにいろんなやり方、色合い、風を吹かしながら闘っていきましょう。終わり。(拍手)

 

 

 

| | コメント (0)

2013年3月19日 (火)

沖縄の彫刻家・金城実さんの講演(その1)

 3・17三里塚関西集会での金城実さんの講演の全文を掲載します。なお舞台上を金城さんが動かれたために録音が聞き取れない部分が幾つかあります。また見出しを含めて文責は全て当ブログ管理人にあります。

虐げられた人たちが火種になる

 13317
 ロックバンドが元気あってですね、「はちようび」というロックバンドを聞いていたんですが、楽しかったです。沖縄の運動も、ほとんど芸が無くて、だいたい左翼運動というのは芸がないですよ(笑い)。理屈が多い。また、演説が多過ぎる。沖縄県民大会もそうです。国会議員とかバッチをつけた人が続々とでてきて、だいたい同じことを言うとる。ええかげんにせえと思うぐらいにね。私、時々疑問に思うのですが、
515とか623とかいろいろあるんですが、行進とかデモとかですね、「葬式でもしてるのかな」と思ったりね。時々、大きな声で「なになに反対」とか、アピールをする時だけは違う雰囲気だけど、どうも芸がない。左翼は。まあ、私も左翼なのかどうかわかりませんが。
 
革命とかものを変革するというのは文化革命とか文化運動が大事なのですね。やっぱり、革命ということばを使うほどの運動がまだ出来上がっていないと思うんです。変革に向けて何かをしなければならないというのは、盛り上がりつつある。例えばフランス革命が有名ですが、フランス革命の先駆けは、「娼婦」がバスティーユ牢獄に火を点けたんですね。なぜ火を点けたかというと、もちろん全世界にもあるんですが、沖縄にもあります。時には遊郭ともいいます。貧しいひとたちですよ。離島や農村、漁村から売られて、税金も払えないようなね、で、娘を差し出すわけでしょ。飲み屋で働いている人と、時折、インテリとか詩人とか芸術家が飲みに来る。もちろん彼(女)らは教育を受けていません。教育を受ける機会もチャンスも奪われた女たちですから。頭の中や、身振り、素振り、唄や、シャンソンであるとかいろんな詩、詩人の朗読などを聞いているうちに、いつのまにか、特別本を読んだり教育を受けていなくても、魂が洗われ、研ぎ澄まされて、大変な抵抗感覚というか、権力に対する鋭い刃を向けるようなところまで成長していくわけです。インテリよりも、どうも音楽とか身体を動かすとか、時には身を売ってまで家族を守っていったそのしがない虐げられた人たちが、結局ものごとを変革していくいちばん火種になるんだということですね。われわれ左翼はもう一度再点検しなければならないと思う。秩父コンミューンとかいろいろあります。日本でもね。
 
農民、漁民というのは忍耐強いです。変革をむしろ好まない、保守的です。沖縄でもそうですよ。昨日まで、台風が来る前までは、砂糖きびも青々として、もうじき夏が過ぎて収穫を待ちに待って、まあ一年の三ヶ月分の収穫が入ると思っていたにもかかわらず、あっという間に、50メートル級の台風が来ると木っ端微塵にとんでしまう。そうしたら失望しか残らない。これ、失望のありようがどうなのかということなのです。それは考える必要がありますね。
 
ふんだりけったり。日米同盟や、沖縄の米軍による事件、事故、性暴力、いろんな暴力にやられ、片一方では台風にやられ、そうすると人間というのは、一番近道は諦めることだと思うわけです。その諦めをどう乗り越えるかという、もう一歩先に立つか立たないかというのが、勝負のしどころというのが、先程から話されている弾圧を受けた特別報告がありましたが、それに市東さんのこともありますけれども、弾圧を受ければ受けるほど、人間は強くなっていき、知恵も付いてくるということなのです。

闘いに負け続けて

 13317_4わたしは1985年、まだ大阪におりました。高校の教師をしておりましたが、1985年、中曽根が初めて威張り腐って胸を張って「俺は政教分離違反になるかどうか、どうでも」と公式参拝を胸を張ってやった時に、初めて6人の(靖国訴訟の)原告に加わるんです。あの時はまだ高校の教師をやっていた。だいたい、高校の教師が、靖国裁判に加わるというのは危ないと思ったしですね、2ヶ月に1回、裁判に出るために高校に欠席届を出さないといかんわけです。その学校がまた右翼的な学校でね。
 
そんな思いでひとまず沖縄に帰ってきて、小泉の靖国裁判、高裁まで行って負けた。今度は靖国神社の本丸、国を攻めるということです。考えてみてください。延べ27年間、靖国裁判を闘っているけれども、一度も勝ったためしがない。そうすると一緒に闘っている人間の中でも、なんでこんだけ負けてもやるんやという話しが出てくる。ここですなあ。負けるのを知っていて、27年間一度も勝ったためしもない。それでもなんでやるんや。「なんで」というやつです。「なんで」。最初のうち8人おったけど、3人がリタイア。去っていった。「もううんざりや。なんべんやっても負けるんや」。親戚の方もやっぱり、親戚に気兼ねがある。
 
70にもなったら何も心配いらん。おっさんらはぜったいに捕まらん。一番捕まる者は、若いもん。親兄弟、親戚に若いから影響力がある。歳をとるとね、年寄りは捕まえる値打ちもないのかなと(笑い)。ね。
 
アセスの時の沖縄の闘争、夜中に・・(不明)・・県庁の中を全部占拠して、機動隊が来るという噂があるので、入口を、山内徳信がそこに号令をかける。65歳以上を集めろと。機動隊が入ってくる入口、3ヵ所あったかな、3ヵ所、そこに65歳以上の人が座り込んだ。機動隊はきよらん。・・・(不明)・・・。
 13317_3
なんで、負けてもやるのか。先ほど若い青年から弾圧をやられればやられるほど強くなる。権力が見くびって、「弾圧すればこいつは萎むだろう」と思われていたにもかかわらず、それをひっくり返したという素晴らしい報告がありました。あんた、名前何という・・。言わんほうがいいか(笑い)。
 
そうしてみるとね、「なんでやるんや」というとね、私もよく聞かれる、これを言っているときいつも言うんだけれど、負けても負けんのや。これはプライドや。それぞれの。これをやらんと値打ちがない。恥ずかしいと思う。他人のことどうでもはいい、一応。家族もおるし、子供もおるけれど。プライドが許さない。途中で止めるということは。だから沖縄の靖国裁判でも2回もあって、弱気になってやめようという団長がおったけれども。
 
沖縄で初めて靖国裁判で総理大臣と靖国神社を訴えるということについて、団長、私より3つ上だ。弱気になったのに対し、「我々は、この靖国裁判というのはね、負けるか勝つかという前提を考えない。我々は誇り高く、沖縄の歴史の中で初めて首相、総理大臣と靖国神社を糾弾していく裁判であるという誇りはないのか」と。「あの戦争で亡くなったあなたのお母さん、お父さん、親戚。あの戦争で殺されていった人たちに対する悲しみと、それを裏返した怒り。悲しみと怒りはコインの裏と表だ。泣くことも怒ることも、中途半端なやつは、泣くことも怒ることも中途半端だ。怒るということと悲しむということはコインの裏表だということだから、そこに軸となるのが、自分が生きているという誇り。それをあなたの子や孫に伝えていくという歴史的な使命ということをあなたは考えていないのですか。」こっちも勇気がいるんで、一杯アルコールを飲んで迫ったんですが。   (つづく)

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2013年3月18日 (月)

3・17三里塚関西集会に120人

13317
 昨日、三里塚から市東孝夫さん、沖縄から金城実さんをお迎えし、「3・17三里塚関西集会」が120名の仲間が集まって開かれました。

 13317_2若いロックグループ「はちようび」の4人と応援する3人のジャンベによる激しいロックのサウンドで幕が開きました。年配者が多くなっている関実ですのでちょっと心配しましたが、沖縄からこられた金城さんをはじめみなさんから大好評。
 永井満関実代表世話人から主催者の挨拶です。
 Muさんからこの間の関西での原発反対運動への大弾圧、裁判の状況などの報告、支援への呼びかけが行われました。
 13317_3沖縄からきていただいた彫刻家の金城実さんは、まず冒頭ロックと弾圧に抗した闘いから始まった集会に賛辞を述べられた上で、靖国訴訟を幾つも闘いぬいてこられた「負け続けた闘い」の中で、闘い続けることの意義を語られ、沖縄、福島の闘いの中での三里塚の闘いの意義を明らかにされました。
 市東孝夫さんには、風をおこす女の会の松野尾さんがインタビューする形で、市東さんの思いを聞きました。今年の厳しい畑、農作業の様子。第3誘導路が供用開始されての状況。2月20日の許し難い裁判所による侵入、「公示」。そして経産省前のテントで同じことが行われたと。13317_4沖縄や福島に行かれた想いの中から、沖縄・福島・三里塚が一つとなって闘いが爆発することの重要性が語られ、最後に3・24全国集会、そして3・27裁判への結集が呼びかけられました。
 部落解放同盟全国連、福島支援の古河さん、宝塚保養キャンプの3人のリレートークが行われ、最後に関実世話人の山本善偉さんから「新しい関実運動が今日から始まった」とお元気なまとめの挨拶が行われ、さあ、デモに出発です。

 デモは、金城さん、市東さんを先頭に、はちようびのヤンシーをはじめ5人のジャンベが先導して、13317_5日曜日の買い物客で賑わう心斎橋からナンバまで、「農地はいのち」「農地を守ろう」「TPP反対」「仲間を返せ」「オスプレイいらない」などと最後まで元気に行われました。

 デモをやり抜いたあと、30人あまりで交流会が行われ、3・24三里塚現地へ行こうと大いに盛り上がりました。

| | コメント (0)

2013年3月16日 (土)

今週の産直野菜(3月16日)

13316 先ほど、三里塚から産直野菜が届きました。

 小松菜、人参、里芋、からし菜漬け、ほうれん草、菜花、ネギ の7品。菜花というのは初めて? のら坊菜と同じようなものでしょうか?
 『野菜だより』によれば、13日の強風、気温の激しい変化で現地は大変そう。それでも、ほうれん草が小さかったのが大きくなってきたのは、やはり春の訪れ。これからですね。

TPP参加表明弾劾!

 今朝の新聞が安倍政権がTPP(環太平洋経済連携協定)に参加することを昨日夕方、正式に表明したと報じた。「農業問題をなんとかすれば・・・」のような取り上げ方(朝日新聞)をしているが、とんでもない。農業問題はもとより、医療や保険をはじめこの国の経済だけでなく雇用など様々な問題に波及し、アメリカが今「貧困大国」となっているように、労働者が新自由主義によって「生きられない」現実を強いられている、そういう社会にこの国の仕組みを変えようとするものであり、断じて許されない。

 同じ朝日新聞の1面下に安倍政権のもとで「成長戦略づくり」を担うとされる「産業競争力会議」で民間議員から「お金を払えば解雇を自由にできるようにするべき」との主張がなされたことが大きな記事になっている。これは「TPP参加」と一体の、さらに労働者に「生きられない」現実を強制するものであり、ほんとに腹が立つ。

 安倍が言う「経済へプラス」とは、一部の資本家が巨大な利益を上げていくための「経済へプラス」でしかなく、多くの人々がその犠牲とされるということではないか。許されない!

| | コメント (0)

2013年3月13日 (水)

団結街道裁判の第10回口頭弁論を傍聴して(3月12日)

13312

 昨日、3月12日、千葉地裁で団結街道裁判の第10回口頭弁論がひらかれました。一日120台も車両が通り市東さんが畑への農作業に毎日10回以上も使っていた生活道路である市道(団結街道)を成田市が廃止して2010年5月に封鎖、空港会社に売却したことに対して市の決定の無効と妨害物の撤去を求めて起こした裁判です。この道路廃止ができなければ、先日供用が開始された第3誘導路はできなかったのです。

 前回までの裁判で「路線廃止処分が適正であったことを立証する」としてきた成田市の主張が、実は、地域住民が生活道路とし、営農に頻繁に使われていた道路であるにもかかわらず、その隣接関係住民の同意を得ていない(道路法10条違反)、前例のない処分であったことが明らかになっていました。市東さんの生活権を破壊する憲法違反でもあります。
 完全に破綻した成田市に対し、なんと多見谷裁判長は「主張を再構成して出して下さい」と露骨に助け舟を出したのが前回の口頭弁論でした。

 ところが成田市が新たに出してきた「第14準備書面」は何と2年前の第1準備書面を引き写しただけで、そればかりか空港の公共性と第3誘導路の必要性を主張するとんでもないものでした。違法、違憲を開き直り、自治体として住民のくらしと営農を擁護する立場をかなぐり捨てた、ただただ「空港ありき」「空港の奴隷」としての姿を主張としてだしたのです。
 ところが多見谷裁判長は、「新たな主張を認めない」と成田市が余計なことを言い出さないように釘をさした上で、「釈明になっていない」と新たな弁論を求めた弁護団に対し、「新たな主張?」と妨害し、行き詰まると「簡単な弁論を出してください」と被告側・成田市に要請してお茶を濁そうとし、立証に早く入りたいことをさらけ出したのです。何が「簡単な」だ!

 市東さんの農地裁判で結審を強行し、反動判決を目論んでいる多見谷裁判長のこの露骨な「空港ありき」の訴訟指揮に怒りの声が傍聴席から上がったことは言うまでもありません。

 13312_2次回口頭弁論は、6月18日(火)午前10時半から、千葉地裁601号法廷で開かれます。こんな卑劣な訴訟指揮を許さないよう、全力で傍聴に起とう。

 法廷後の報告会で、北原事務局長は、第3誘導路の攻撃が市東さんを囲い込むもので許せないとされた上で、団結街道が明治時代からの開墾で作られた道路であり、これの封鎖は断じて許されないとされました。そして3・24全国集会を訴えられ、「政治を変える闘いをやろう」と檄をとばされました。

 動労千葉、関西実行委員会、市東さんの会、全学連などが決意の表明を行なった上で、萩原事務局次長がまとめの挨拶をされました。13312_3萩原さんは、3・24全国集会に1500の結集を絶対的目標としていることを訴えられた上で、「三里塚が闘って爆発することが、今、いかに重要か。福島の地で、言いたいことも言えず、やりたいこともやれない、そういう人たちが一歩も二歩も踏み出すことが出来る。沖縄でも、あれだけ反対してもこうなんだという、ある意味で本土の人たちを恨んでいるかもしれない。我々がここで一緒になってやれなければ、沖縄の人たちの闘いをもつぶしちゃうことになる。ここで頑張ってやり抜く。そして三里塚がここまでやってきて今までできたんだから、もう一歩やろうと、そういう形で24日を達成し、そして27日、18日を上回るような大結集で、もう一度千葉地裁を包囲して、へたな判決を出させないものを作りましょうや」とまとめられました。

 3・17三里塚関西集会を成功させ、3・24、3・27へ渾身の力をふりしぼり三里塚へ、千葉へ向かおう!

| | コメント (0)

2013年3月11日 (月)

3・7緊急現地闘争での萩原事務局次長のまとめと提起

 1337
 旗開きから決戦突入という形で1月、2月、そういう意味で120%の闘いを展開したという風に総括できると思います(右写真、萩原さんが発言している横をANA機が)。
 2月の4日、18日、そして本日の闘いという形で、ホップ、ステップ。我々の闘いの描いた通りの構図が、予想を上回っているような形でもあります。だけども、ほんとに現地における支援の人たちの闘い、頭が下がります。ほんとにこれだけやってるんだという形であります。であるならば、それに対して反対同盟としてもね、なかなか独りで闘うというのは無理なんだけれども。独りでは闘えませんよ。多くの全国の仲間の人たちが、我々を支え、支持し、共に闘う、そして決起してくれる。このことがあるからこそ50年闘い抜いてきたわけです。

 今決戦だということを自らが自覚し、ほんとに自らの闘いとしてやりぬいていく。その一つ一つをするにしたって大変な作業です。ですから2月に出しましたパンフ、ビラについてね、まだまだ撒ききりません。24日の集会に向けて今からでも遅くはありません。一人が1万枚撒くつもりで頑張って欲しい。そして現地に立って、空港の中から空港を見るんじゃなくって、空港の外から空港を見てね、この不様な姿、闘えばこのようにになるんだということを我々と一緒に確認する、そういう場を作ってほしい。

 今、言われているように、福島においたって、あるいは原発再稼働。これは許せないんだという声が全国的に巻き起こった。そして沖縄においたって、もう基地はいらない、オスプレイはいらない。そういう形である。労働者にしてもそうだろう。不正規職を強いられ、首を切られ、職場を追われ、そういう中で今一人立ち上がっている、水戸や動労千葉、そういう戦闘的労働運動を、今こそ再生させて、そういう闘いと共に一緒になって、労働者階級と一緒に農民や漁民や市民が闘い抜く。そういう構図が今、一番求められているわけです。
 1337_2沖縄や福島や、そして三里塚がここに存在しているのだという圧倒的に有利な土俵、構図、これを活かそうではありませんか。なによりもその最先頭に三里塚はあるんだということを天下に示す、そういう重要な時期だと思います。

 ややもすると今日の供用に対して「押されてるんじゃないか」という見方がなされるかもわからない。しかし、再三言われているように、1本の滑走路に3本の誘導路を作らなければもう三里塚(空港)はもたないんだというような状況を醸し出しているんですよ。それ以上に、20万回を30万回にしなければならないと大風呂敷を広げましたよ。しかし、それが、そういう形でしなければ、三里塚(空港)は存在しなくなる。そこまでいってるんですね。そのためには、今まであった駐機場にしたって、何にしたって拡張しなければならない。通常運賃、そして・・・、格安運賃。3つの飛行形態をとって何とか運営して、やっていかなければならない。
 そしてこの3月末からオープンスカイと言われる時代に入ってくる。今、航空業界はどうなのか。つい先日もアメリカの航空会社が合併することで明らかなように、大手のアメリカでさえ死活問題がかかっている。争闘戦の中に叩き込まれているんですよ。日本の航空会社はどうなんだ。押せば倒れるような状況の中で、必死になってるんでしょ。
 そういう中で空港の情勢といったら、同じような情勢の中にいるわけです。しかもその中に、闘って闘って50年。闘い抜いている組織と人士がいるということが、決定的なんですよ。
 このことの事実の上に立って彼らは、拡張もしなければならないという形で、東西南北、全部やったでしょう。横堀の拡張もやる、東は東峰をやる、北は滑走路を延長する、そして今度は取香までやる。そういう形で今までの飛行場の姿ではできえない。「さあ、これまでやりましたよ」という形を作らなければ、もう30万回も夢になっちゃう。成田空港そのものが夢になっちゃう。オープンスカイなんていう形でアメリカから押し付けられて、一部の政治家の利権が吹っ飛んじゃってる状況の中で、そこまでいかなきゃあしょうがない。

 1337_4それが、TPPもそうだし、そういう形で大不況の中で、経済がダメ、政治体制がダメ、社会が混乱する、そういう状況の中に叩き込まれている彼らと、我々は真正面から闘える、この現状をよしとすべきであるし、このことを勇気をもって闘い抜いていこうではありませんか。
 そして先程もいいましたが、あらゆる戦線、あらゆる階層の闘いと競合しながら、お互いに闘い抜くことをもって連帯し、押し上げて大きな炎として突き進んでいくんだと。それを求めて闘い抜きましょう。

 先程も聞かれました。「24日、ほんとに1500集まるんですか」と。「集めます」と言った。このことについて徹底的に追求していただきたい。自分は、全責任をもってそれを全うしたいのです。やってやってやり抜いた上で、答えを出していきたい。
 今、帰ったらひとりを、集めきって欲しい。それが今の状況の中で市東さんを守る第一歩だ。大きな力になるということを確認していただきたい。そして三里塚闘争の勝利もそこにあるんだと。そして沖縄や福島や労働運動、あらゆる戦線がそういう中で、大きな展開が出来るんだということを確信をもって今日の闘いを締めたいと思います。

 今日は110名の結集をもって、休みでもない中で我々の予想を上回りました。100を切るかどうかと思ってきましたけれども、それを上回った数を出してくれましたので、ほんとにありがたいと思います。この力を24日にぶつけていただきたい。そして27日、最終弁論にぶつけていただきたい。我々はやります。闘います。お願いします。

| | コメント (0)

2013年3月10日 (日)

さよなら原発3・10関西行動が雨の中で

13310
 今日、「さよなら原発 3・10 2万人行動」が大阪の中之島公園の3会場にわかれて開かれました。集会が始まる頃から降り出した雨の中、身動きできない立ったままの集会が、女神像前の会場でも行われました。3会場全体で 1万1千人。関西ではこれまでで最大の原発反対行動でした。昨日の東京での1万5千人をはじめ京都などの集会、そして今日、全国150ヶ所といわれる集会が各地で開かれました。

 ストップもんじゅの池島さんの開会挨拶によって始められた女神像前の集会で、遠路福島からお出でいただいた武藤類子さんは、被爆労働者の問題など現在の様々な問題、現状を明らかにされた上で、13310_2莫大なお金を投入して行われる除染の効果に余り期待はもてない、甲状腺異常・癌の発生について「技術の進歩で他県と大差ない結果だ」とする公式見解に対し、「本当にそうなのでしょうか」「そう簡単に結論づけていいのでしょうか」と訴えられました。そして具体的な中味が放置されたままの「子ども被災者支援法」への注目を訴えられました。そして一番の問題として、「意図的に、あるいは無意識に行われる人々への分断」として①賠償範囲の線引き、②新たな安全神話の流布、③強引とも思われる復興策の数々などを上げられ、人々がさらに引き裂かれ、ものが言えない状況があると訴えられたのです。「怒りと悲しみが消えることはありません」と。

 福井からの報告などの後、集会宣言が採択されて、デモへ出発です。雨が降る、寒い中ですが、元気にデモが出発しました。私たちは「韓基大さんを守る会」のジャンベのリズムを先頭にナンバまで2時間近いデモをやり抜きました。

| | コメント (0)

2013年3月 9日 (土)

3・7緊急現地闘争での北原事務局長挨拶

1337_2

 今日は緊急動員をかけました。たいへん季節があったかくなった。

 何を空港会社は考えているんだろうか。3・7、今日から第3誘導路の使用が開始されました。また、2月は市東さんの住居、作業場とか、裁判所がビラ(公示)を貼った。あれはどう見てもまともな考えを持っているとは思えない。人権侵害もはなはだしい。これが相手で、47年間続いてきている成田空港の建設過程である。

 今日は突然の呼びかけに対して、よくこれだけ集まってくれた。・・・(爆音で聞き取れない)・・・・。今回、これから小集会をもって連帯を深め、デモを行います。市東さんの畑において再度小集会を開いて、そしてここへ戻ってくる。そして解散という形になります。

 1337_3彼らが「使用禁止」のビラ(公示)を貼ったことは、トイレまで、住居の一部、作業場とか、十何ヶ所もベタベタ貼っていった。そういうことがあるわけです。
 いずれにせよ市東孝夫は囲いこまれ・・・・た。これが普通の人間のやり方ですか。
 生きる権利がある。

 3・24全国集会が現地で行われる。
 TPPの問題があります。これは農業解体の第一歩だということを私たちは認識しております。

 いずれにせよ成田空港をここまで作ってきた、多くの犠牲を出した。逮捕者、5000名近くも逮捕されております。・・・・を失い、身体にケガを負い、「障害者」になっている方もおります。人を殺してまでも、カネ儲けならばなんでもやろう、やってしまえという今の国策のあり方はまったくおかしい。生きる権利を虫けらのように奪っていく。それが成田空港建設の47年の経過であったということ。
 裁判が幾つも行われております。しかも裁判長も、カネ儲けの会社のためならばと偏った判決を出してきています。

 これを見たとき、生きるために闘わなければならない。そういう時代が来ているということです。
 これからも三里塚闘争は、政治を変える。労働者と農民は連帯して。今の政治、自民党だろうが民主党だろうが何も変わってはいない。世の中を変えるまで三里塚闘争は闘い抜く。
 これを宣言して挨拶に代えます。

 

 

| | コメント (0)

3月12日 団結街道裁判口頭弁論  傍聴に行こう

 三里塚は連日闘いが続いています。来週3月12日、団結街道(成田市道)の廃道化決定取り消しを求めた団結街道裁判の口頭弁論が開かれます。農地裁判の結審を3月27日に強行しようとしている多見谷裁判長に断じて許さない私たちの意志を叩きつけるために傍聴に駆けつけよう!

団結街道裁判

【とき】 3月12日(火)午前10時半~
【ところ】 千葉地裁601号法廷

傍聴券の配布がありますので、開廷30分前に千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

 1339先ほど三里塚から産直野菜が届きました。人参、さつま芋、ターサイ、からし菜漬け、小松菜、ほうれん草、ネギの7品です。久しぶりに葉物が3品あります。

 連日の厳しい闘いの中で、黙々と農作業を続けておられる反対同盟のみなさんと支援のみなさんに本当に頭が下がります。
 厳しかった今年の冬の寒さもどうやら峠かなという雰囲気の先日、7日の現地でした。11月のシンポジウムで市東さんが、夏から秋の厳しい天候、暑さと雨による不作を語っておられましたが、冬は一転しての厳しい寒さと雪。1337露地栽培なだけに厳しさは増していました。しかし、もう少しの辛抱です。
 私たちも箱いっぱいの野菜が届くことを楽しみに待ちましょう。

 右写真は、3月7日、南台の畑での集会の間、畑の手入れをしておられる市東さんです。

 3月17日、市東さんを迎えての三里塚関西集会、3月24日、現地全国総決起集会へ行こう!
 まずは、明日、「さよなら原発2万人集会」を成功させよう!

| | コメント (0)

2013年3月 8日 (金)

緊急現地闘争に110人

1337
 昨日、3月7日、第3誘導路の供用開始に抗議して緊急現地闘争が、110名の結集で開かれました1337_2(上の写真は市東さんの南台の畑をデモするところ)。

 集会は昼からでしたが、現場の様子を見たいと午前9時過ぎに市東さんのところへ。監視台に上がってみていると、風がいつもと違い南風なので着陸機は北から降りてきて、1337_3そのまま旧(第1)の誘導路へ(右写真、クリックすると大きくなります)。しばらく着陸機だけでしたが、その内に音がするので振り返ると離陸機が第3誘導路に入ってくる。1時間足らずの間に、5機以上が第3誘導路を通って離陸した。多分、将来は着陸専用に使うと思われる暫定滑走路(でないと、30万回は無理?)。1337_4いつも離陸機は少ない。にもかかわらずこの頻度は、供用開始のセレモニーかと思ってしまう。なんと目の前で、第3誘導路を出てきたジェット機が「へ」の字部分に侵入し、離陸するジェット機と交叉するではないか(右写真)。あの部分は80メートルあまりしか離れておらず安全など無視している。
 これでは200億円をかけて、住民のくらしに大きな役割を果たしていた東峰の森を破壊して作られた第2誘導路などまったく必要ない。国、空港会社の出鱈目にあらためて怒りを覚えた。1337_5しかも取香地区の買収策動が、空港拡張のために始まっているという。さらには、LCCを理由に早朝、深夜の空港供用時間が1時間伸ばされようとしている。住民への騒音や生活などまったく眼中にないままの50年変わらない国の暴挙に怒りが倍加する。
 しかも農地裁判の反動判決(3・27結審予定)を前提に、裁判所が市東さん宅に無断で侵入しところかまわず「公示」の看板を立てて回った。1337_6トイレの中までだ(右写真)。市東さんに対する「出て行け」という脅し以外の何ものでもなく、第3誘導路供用開始への怒りに加えて、怒りを収めようがない。こんな人の命とくらしを顧みず、心の中まで土足で入ってくる国家権力、裁判所、空港会社の所業をどうして許せるだろうか。

 市東さん宅の南にある開拓組合道路で集会が快晴で暖かい風(ちょっと強いが)の中始まった。1337_7北原事務局長から、供用開始への怒りとTPP加盟への安倍政権の動きを弾劾する主催者の挨拶が行われた(明日のブログで詳しく紹介します)。動労千葉、関西実行委員会、婦民、市東さんの会などの挨拶の後、団結頑張ろうをして、さあ、デモに出発です。反対同盟のみなさんが先頭です(右写真)。1337_8市東さんの南台の畑へ。
 市東さんの南台の畑で、集会の続き。現地支援連4党派が決意を述べます。横を見ると、いつの間にか市東さんがご自分の畑の中で土をかけてやったりしておられる。1337_9ほんとに「農に勤しんでおられる」という雰囲気が・・・。風が強くなってきて、育ち始めた芽が土が飛ばされているのを見ておられる。この豊かな農地を、1337_10育つ野菜たちを守ろうと決意表明の中でも語られている。
 1337_11最後に萩原さんから、此の間の2月以来の裁判とこの日の現地闘争が、厳しい中でしっかりと勝ち取られていることを確認した上で、3・24全国集会への1500人結集を実現すること、そして引き続いて3・27農地裁判で千葉地裁を包囲する再度の結集が訴えられました。

1337_12 強い風と暖かさですっかり花粉症に見舞われ、うんざりしましたが、全ての裁判の傍聴と、こうした闘いにも必ず姿を見せて下さる95歳の森田先生のお元気な姿に、愚痴っているわけにはいきません。3・12団結街道裁判、3・17三里塚関西集会、3・24全国総決起集会、3・27農地裁判へ、全力で闘い抜こう!

| | コメント (0)

2013年3月 5日 (火)

10・5関電前「転び公妨」弾圧Aさんの第1回公判

 昨年10月5日、関西電力前で警察官に対して公務執行妨害をし、傷害を負わせたとして逮捕され、5ヶ月を経て今も不当に勾留され続けているAさんに対する第1回公判が、昨日、大阪地裁で開かれました。40人余りが傍聴に駆けつけ、22人の法廷を交代で傍聴しました。

 私は途中から入りましたが、ちょうど検察官が起訴状を朗読している最中。まずAさんの元気な、弾圧への厳しい怒りの表情を確認。Photo右のAさんの横顔のスケッチは、早速昨夜、メールに流れてきたFさんのスケッチを無断借用しました。
 なんと検察官は、党派の名を混じえながら関西電力前での抗議行動をおどろおどろしく表現。その上、Aさんが現場に来る前にお酒を買ってきたことをわざわざ強調(法廷後の報告会で、「酒飲んで抗議したらあかんのか!」の声が)。「全治3週間の骨折」と「傷害」を言い立てます。ところが、報告会で明らかにされたのですが、診断書が出ているがレントゲンを撮っていないらしいことがわかる。
 変だと思います。私事ですが、1985年に交通事故で私は骨折したのですが、医者が「大丈夫のようだけれど念のためレントゲンを撮りましょう」と言われて撮って、初めて骨折していることがわかりました(全治2ヶ月)。「骨折」と診断したのだったら必ずレントゲンを撮るはずです。レントゲンを証拠として出せなかったのは、骨折していなかったから?
 そもそも現場にいた人たちの中から、Aさんが警察官を倒したのではなく私の足につまずいただけだと証言する女性と映像ものこされているのです。ですから私たちは典型的な逮捕するため、デッチ上げるための「転び公妨」と言っているし、直後の天満署(当初、そこに勾留された)への抗議行動が大きくなったのです。

 このAさんの逮捕以降、すでに延べ11人もの反原発を取り組んでいた人々が不当に逮捕され、5人が起訴され、未だに4人が不当に勾留され続けているのです。
 裁判後の寒い戸外で開かれた報告会で、弁護側の証人がすべて採用されたことが報告されました。そして先日釈放されたばかりのぱおんさんの近況や、新たに立ち上げられた「韓基大(ハンキデ)さんを守る会」の活動が始まったことが報告されました。特に韓基大さんが2つの起訴攻撃を受けている上に、日本軍性奴隷(「慰安婦」)問題の集会を妨害しようと襲ってきた「在特会」の暴力から集会と参加者を守ろうとしたことを理由に起訴されようとしていることを批判するとともに、その問題が世界で話題となっていることが、特に韓国で批判の声が大きくなっていることが報告されました。さらにMtさんやUさん、二人の今も勾留されている人たちの近況も。そして3日前に6回目の公判が開かれた福井で逮捕・起訴されているKさんの裁判の様子が報告されました。

 Aさんへの検察の起訴状に見られるように、不当な12人もの逮捕、6人の起訴が示すように、原発に反対する、あるいはガレキの広域処理に反対することが犯罪といわんばかりの現在の国家権力、警察、行政の動きを断じて許してはなりません。同じ報告会で、富山で放射能汚染ガレキが搬入されようとしたことに抗議した十数人の主婦を始めとした人たちを行政(富山市長)が告発したことに抗議して前日3日に200人の集会が富山でもたれたことが報告されました。

 Aさんをはじめ今も勾留が続く韓基大さん、Mtさん、Uさんの早期釈放、そして、Aさん、ぱおんさんはじめ皆さんへの不当な起訴攻撃を打ち破りましょう。

| | コメント (0)

2013年3月 3日 (日)

3・7三里塚現地緊急闘争へ

三里塚反対同盟から、3・24全国総決起集会に先立って、3・7第3誘導路供用開始粉砕に向けて、3・7三里塚現地緊急闘争が呼びかけられています。これに応えて現地に結集しよう!

3・7三里塚現地緊急闘争へ

                    三里塚芝山連合空港反対同盟

 全国の闘う仲間の皆さん! 成田空港会社は、市東さん宅を2本の誘導路で囲い込み、市東さんの追い出しをねらって第3誘導路の供用開始を3月7日に強行しようとしています。反対同盟は、現地緊急闘争を闘います。皆さんの決起を心から訴えます。
 2・18行政・農地法裁判では、早朝からの街宣、千葉地裁を包囲する2回のトラクターデモ、人間の鎖、リレートークなど、不屈に闘う市東さんの法廷証言と呼応して終日闘いぬきました。
 しかし、この間の連続的な裁判闘争と支援陣形の全国的発展に追い詰められた成田空港会社と千葉地裁は、市東さんの人権を踏みにじる暴挙を強行しました。2月20日早朝、機動隊と公安警察を引き連れた千葉地裁執行官が、天神峰南台の畑および市東孝雄宅前の畑や「はなれ」などの建物の中に断りもなく無断で侵入し、「占有移転や占有名義の変更を禁止する」という看板を設置したのです。反対同盟と顧問弁護団はただちにこの暴挙を弾劾する声明を発しました。
 深夜の飛行禁止時間を2時間も短縮しようとするための説明会にたいして、いま周辺住民の激しい怒りが爆発しています。また第3誘導路に隣接する取香(とっこう)地区に空港敷地を拡張しようとする買収策動が強まっています。

 全国のみなさん! くりかえされる「生命の安全よりも金儲け優先」のこの思い上がった大資本のでたらめをどうして許せるでしょうか! 地域破壊、住民無視の空港建設・第3誘導路の供用開始粉砕のため3・7緊急闘争への決起を呼びかけます。
 「ここで農業を続けることが福島や沖縄の闘いとひとつになること。私は負けない、空港廃港まで闘う」という市東さんの訴えに応えぜひともお集まりください。

3・7三里塚現地緊急闘争

●日時  3月7日  午後1時30分集合

●場所  市東孝雄さん宅南側開拓組合道路

●デモ  午後2時出発(旧現闘本部跡地脇の畑まで      の往復デモ)

| | コメント (0)

2013年3月 2日 (土)

福井の弾圧への裁判長による反動的対応を許せない

 昨日、福井地方裁判所で「オキュパイ大飯の乱」で3ヶ月も経ってから逮捕されたKさんの裁判がありました。Kさんは「証拠隠滅の恐れ」ということで、6ヶ月近く未だに勾留されているばかりか接見禁止の処遇を受けています。この日の裁判で、すべての検察側立証が終わり、次回公判で(弁護側立証を裁判所が認めなければ)川崎さんの意見表明もありうるし結審することもあることを鵜飼裁判長は匂わしました。

 当然にも、担当する海道弁護士は保釈請求を行いました。ところが鵜飼裁判長は、検察側立証の終了を宣告しながら「証拠隠滅の恐れ」を理由に保釈請求を却下したのです。こんなデタラメな理由があるでしょうか。「証拠」は全て法廷に出されたから「検察側立証」が終了したのではないのか! 一体、何を「隠滅」するというのか! これでは裁判所が「罪人」「敵」と予断をもった者は「有罪だ」「保釈などあるものか」と断じているということではないか。言い換えれば、警察、検察の言いなりになって予断をもって裁判を進めていることを自ら認めているようなものではないか。

 しかも、鵜飼裁判長は、昨日の段階で接見禁止は、3月1日24時までと言っていたものを、あらためて保釈請求却下と共に、次回公判の3月26日まで接見禁止を新たな決定として出してきたのだ。こんなデタラメな権力行使がどうして許せようか。裁判が被告弁護側の立証(反証)のみを残すだけになっている(それさえも認めない可能性が大きい)今になって、新たな接見禁止決定を行うことは、被告の防御権を侵害することだけを目的にしたものであり、明白に違法な決定です。断じて許されません。

 直ちに準抗告と特別抗告を行うのは言うまでもありません。このような不当な裁判長の訴訟指揮のもとで身柄を拘束されたKさんへの支援の声を上げて下さい。3月26日、(弁護側立証があれば27日も)午前10時からの福井地裁での裁判の傍聴にかけつけよう!

| | コメント (0)

今週の産直野菜(3月2日)

1332 先ほど三里塚から今週の産直野菜が届きました。さつま芋、相変わらず可愛い聖護院大根、人参、白菜、ネギの5品です。おもわず「厳しいなぁ~」とため息。萩原さん、市東さんの苦労が伝わってきます。

 昨日の福井でのKさんの公判(「12/6/30オキュパイ大飯の乱」被告)がありましたが、明後日、昨年10月5日、関西電力前での金曜行動の際に警察官の「転び公妨」で現場逮捕され、すでに勾留が20週(140日)を超えたAさんの第1回公判が、明後日、3月4日(月)午後2時から開かれます。傍聴券配布の関係で、来れる方は1時半までに裁判所正面にお集まり下さい。

 そのAさんから先日、手紙が来ましたので紹介します。

 『先日Tさんが来られて神戸空港の中止を求める市民の会のみなさんの寄せ書きを見せてもらいました。とっても元気がでました。ありがとうございました。 
 2月22日で20週め、140日を過ぎてしまい毎日読書と漢字のクロスワードパズルで漢字の勉強をやりながら日々過ごしております。拘禁ノイローゼにも成らず、勾留が長いとかなり気が滅入るとか落ち込む様な事が本などに書いて有りますが、もう通り越して今は前よりも元気に成って居る自分がおり「こいつはなーんも考えてないんかい?」と自分であきれております。
 今日の午後弁護士の小谷さんがPさんの保釈の手続きをすると聞いて居ました。6時過ぎに大阪拘置所の外からP救出チームの元気な声が聞こえて来ました。無事奪還された様です。暖かい物食べて自分のふとんでゆっくりやすんでまた元気な顔を見せて欲しいです。
 Aは、3月4日に大阪地裁1004号法廷14:00から公判です。もうちょっと出られそうに無いですがなんとか大丈夫そうです。それまで応援お願いします。   2013.2.25 A』

| | コメント (0)

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »