半世紀闘争の市東さんの静けさ
明日、東京で吉岡史朗さんを偲ぶ催しがあります。その吉岡史朗さんの盟友として経産省テントひろばにはじまり、大飯の監視テント、そして大阪市役所横の監視テントと常に彼と共にあった南方史朗さんから、18日の市東さんの農地裁判を傍聴した想いが寄せられましたので掲載します。
半世紀闘争の市東さんの静けさ
とても恥ずかしい。無視する罪からは免れられたけれど、この日まで、歴史の文化表象としてしか「三里塚」を知らなかった。特に、小川プロダクションのドキュメンタリー映画や『三里塚と共に三十年 わが心は三里塚』(永井満 御茶の水書房)、田中正造大学のイヴェントや花崎氏などの書籍を通じてしか考えることはなかった。
私事にわたって恐縮ながら、48歳で、自主的「下放」をすることになった。商業的に、絶頂期にあったある出版社をやめて、情報としての危機の場所に実際に行ってみることにしつつ、独立出版を目指したことが、そういうと、下位にあるようだが、やはり、営利主義の企業活動の方が、卑しく、みっともないことが、あきらかになるばかりだった。しかし、自身の癖、こざっぱりとしている人が偉いんだという偏見癖は、ぬけなかった。『ゴドーを待ちながら』のなかの、「おい高貴ってどこに行ったんだ?」「どぶの中だ」という会話をつぶやくときは、何年もたってからだった。
そして、出版社を作ることはできず、ひたすら、放浪遊行するようになって、沖縄で知り合った民族女性解放家のお兄様との生活も一旦出る。ここからが、ゼロからの出発ともいえた。
それこそ、参加は、家の事情で許されなかったが、全共闘運動の主張をあとで読んでみると、その問題提起と処方箋に違和感はなかった。
むしろ、時代は、悪くなっていると感じた。ある「経産省テントひろば」で知り合った方は、「弱者救済を愚と決めつける「水に落ちた犬を撃て」政策が、時代を変えてしまった」と嘆いていた。
アメリカのCIAが、読売・正力に親米政策を命じたのが、ビキニ環礁の水爆実験の年だった。1954年である。水田や畑や雑木林より、ディズニーランドがよいという。癌研はますます充実する。“Japan as number one”は、軽自動車生産による技術工業の勝利とみえたが、真相は、1945年以来の被ばく放射能量であり、プルトニウム製造量にほかならなくなった。
『根を持つこと』でシモーヌ・ヴェイユが書いている。「植民地の人々と同居しない宗主国は、植民地固有の文化を根こそぎ破壊する」。
今日(25日)の読売新聞では、2030年までに原発再稼働ゼロをめざせと安倍首相が米国代表に示唆されたとある。米軍基地の危機はたかまり、核燃料を製造する工場のそばには、いられなくなったのだ。
市東氏の「イワンの摩訶」としての勝利は約束されたものでありながら、自治体と空港会社は、とくとくと弱者を虐待する。真に、この国を救えるのは、市東さんたちのようなひとなのに、売国奴が、ほんとうの正しいひとの命、文化をうばおうとしている。植民地の代官がやりすぎて、宗主国に、相手にされなくなる。なんという悲惨!
もはや、泣いている時ではない。市と航空会社に、謝罪と賠償を求めるのが正しい。
天と生きる者は、静かだというが、法廷に染みわたる市東氏の言葉は、なんという沈勇に満ちたものだったろう。感動的な二日だった。
南方 史朗
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