反原発の闘いへの大阪府警による弾圧を許さない!
昨日、12月4日、「11・13ガレキ焼却説明会弾圧」で不当逮捕されていた4人のうち小松さん(MUさん)は処分保留で釈放されたものの、残る3人が「威力業務妨害罪」で起訴され、不当な勾留が続いています。怒りに耐えません。
この件をご存知の方は「威力業務妨害」に「えっ?」と思われるでしょう。そうです。3人とも「建造物不法侵入」で逮捕され、昨日まで23日間も不当に拘留されていたのです。一昨日の2人の勾留理由開示公判でも、裁判所が勾留する理由としたのは「建造物不法侵入」だったのです。昨日、検察庁は突然、罪状を変えてきたのです。「建造物不法侵入」では裁判を争えない。3人の勾留を続け、原発反対運動をやめさせることができないと変えてきたのです。一種の脱法行為です。本当に許されません。弾圧を強めるには何をやってもいいのかと怒りを覚えます。
実は法律の中に「求令起訴」というのがあるそうです。逮捕理由と違う理由で起訴できるというものです。この法律は戦前の治安維持法下で、政治犯をいろいろな警察の留置場をたらい回しにして長期に勾留するために設けられていた治安法規だそうですが、戦後の法律にもぐりこませて残されていたのです。そんないかがわしい法律を引っ張り出して、3人の起訴、勾留を強行したのです。こんな卑劣、不当なことが許されるのでしょうか。
3人は、11月13日、大阪市が此花区で行う放射能汚染ガレキ焼却の説明会に抗議しようと会場に行っていました。会場ホールのある建物の1階ロビーは、図書館の利用者なども使っている状態でした。そのロビーの2階に上がる階段の踊り場で、もじもじ先生をはじめとしたみなさんが大阪市の担当者に説明会のもたれ方に30分ほど申し入れを行なっていました。3人はそこにいたのです。大阪市が話を打ち切ったのでもじもじ先生は説明会に参加するために建物の外に並びに出ました。大阪市民でない人間は排除されていた大阪市の方針で3人は、そこに留まっていました。周りには同じように排除された30人ほどがいました。突然、警察官が数十人なだれ込み、周りにいる30人には目もくれず、3人を指さしながら襲い掛かり、「建造物不法侵入」で逮捕したのです。小松さんは、その中の一人の逮捕を妨害したとして「威力業務妨害」で逮捕され、処分保留で釈放されました。まだ説明会の開会の2時間も前のことです。
11月22日行われたPさんの勾留理由開示公判で、私たち傍聴に集まった人々が法廷前に集まったとき、すでに廊下奥には衝立があり、その奥に30人以上の天満署の警察官が隠れていて、裁判官の乱暴な訴訟指揮に抗議の声が上がったとき、瞬時に警察官が飛び出してきて「退去命令」が叫ばれ、逮捕されるかと昨年の5・20東京高裁を思い出しながら、驚きました。これは、裁判所が要請したとしても、行政(警察)が司法に介入していることであり、明らかな憲法違反であるとともに、裁判所がこの法廷に異常な予断をもっていたことを示しています。
そして、一昨日、Uさん、Hさんの2人の勾留理由開示公判では、傍聴券配布に10数名の裁判所職員が取り巻くという異常な雰囲気でした。千葉地裁や東京高裁で傍聴券配布を経験していますが、4、5人の裁判所の職員しかいません。「何だろう」と思いながら、法廷がある6階に上がったところ、何と10人ほどの廷吏(これ自体が異常ですが)に加えて、30人以上の裁判所の職員が私たちを取り囲むようにいるではありませんか。何をするでもなく裁判が終わるまで3時間近く「職務命令ですから」とそこに突っ立っているのです。しかも廊下の奥には衝立があり、一階の外を窓から見ると機動隊の大型のかまぼこがあるではありませんか。この日も、「何かあれば」と衝立の奥に警察官が隠れているのは明らかです。しかも、裁判官は、何の根拠もなく勾留理由(この時点では先に書いたように「建造物不法侵入」ですが)のなかで「凶暴な事案」とまで言ったのです。こうした裁判所のあり方に信じられないような「反原発は許さない」という警察の言いなりになった裁判所の予断を見ることができるのではないでしょうか。
今、国が福島はなかったことにしたいと昨年末の「収束宣言」以降様々な策動を強め、大飯の再稼働を切り口に、今やもんじゅの稼働まで言い出している状況の中で、「反原発・脱原発」「ガレキの広域処理反対」「ガレキ焼却反対」は犯罪である、悪であるとして大阪府警、検察庁、裁判所が襲いかかって来ているのだと断じざるを得ません。本当に許されません。
こうした渦中で、経産省前のテントの闘い、大飯原発再稼働に反対した監視テント、6・30~7・2の大飯の乱、大阪市役所横の監視テント、こうした闘いの中心として常にふんばってきた吉岡史朗さん(本名・奥田満さん)が、脳内出血で倒れ入院していた先で、昨夜遅く23時20分頃、再度の脳内出血に襲われ意識が戻らないまま亡くなられました。反原発、とりわけ福島のみなさんと共に闘い抜きたいと昨年の3・11直後から、福島に救援物資を幾度も届ける活動以来ふんばってきた過労がその因だろうと思うだけに、吉岡さんの闘い半ばで倒れた無念さはいかばかりだろうと思います。彼といくつか相談しながら始めようとしていたことがあっただけに、その衝撃は私にもほんとに大きなものがあります。1971年の関西空港反対闘争以来の仲でもあります。遺志を引き継ぎ、反原発、沖縄、福島、三里塚と共にとことん闘い抜いていくことを誓い、心からご冥福を祈ります。
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