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2012年12月31日 (月)

激動の年となるだろう2013年を前にして

121223
 今年も今日で最後となります。上の写真は12月23日、宜野湾市海浜公園野外劇場で開かれた「オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件弾劾!御万人(うまんちゅ)大行動 -愛と怒りのサウンドパレード-」の様子です。121223_2沖縄にしては珍しい10度をきる厳しい寒さを吹き飛ばし、沖縄のみなさん3000人の怒りの声が上げられ、パレードの後、大山ゲートで抗議の赤いリボン付けが40人ほどで行われました(右写真)。

 新しい年2013年は、この沖縄におけるオスプレイ配備撤回、辺野古新基地建設阻止・普天間基地撤去、そして高江のオスプレイパッド建設阻止の闘い、福島で「もう終った」とする安倍政権の施策を許さず福島のみなさんを先頭とした反原発・ガレキ広域焼却処理反対の闘いが極めて厳しい状況の中で闘い抜かれようとしています。年末に下地阪南大学准教授など2人を奪還したとはいうものの、関西における反原発の闘いに対する「見せしめ」的弾圧攻撃は、6人の仲間がこの極寒の中今も勾留され続けており、4人は今なお接見さえ禁止されているという状況にあります。このような理不尽きわまる弾圧などどうして許せるでしょうか。2013年は、元旦からこの獄中の仲間を断固として奪還する闘いを切り口として、ただちに闘いが始まります。

 こうした中で、三里塚闘争は、47年変わらぬ問答無用の「国策」の押しつけに対して最大の決戦を迎えようとしています。先日の関西での12・27第36回三里塚団結野菜市に送られた萩原進反対同盟事務局次長のメッセージが簡潔にこのことを指摘し、訴えておられます。再録します。

― きたる2013年は、従来の延長線の覚悟では闘うことができません。国と成田空港会社そしてその意を受けた千葉地裁は、農地裁判の早期結審を急ぎ、とりわけ多見谷裁判長は年度内結審、5~6月判決の策動を強めております。反対同盟はこの農地決戦を1971年大木よねさんへの代執行決戦以来の闘いと確認し、三里塚闘争47年のすべてをかけた闘いに立ち上がります。
 「公共性」を騙った国策による47年変わらぬ理不尽な農地取り上げ! 生活と営農破壊! 国家暴力による強制執行! このような国家による暴虐を許しておいて、生活権・生存権など民衆の権利は守れません。すべての人びとが一つになり力を振りしぼって立ち上がろうではありませんか。
 勝利のカギはフクシマ・沖縄の湧き上がる怒りと結びつくことにあります。圧倒的な労働者、農民、市民、学生との連帯の輪の拡大にあると思います。自民党・安倍反動政権が誕生し、中間的であいまいな態度の許されない、文字通り激突と激動の時代に突入しました。こうした時代でこそ、三里塚47年の経験と成果がものをいう時、と燃え立っております。3・11大震災とそれに続く原発事故は「国策」と言われるものの正体を全人民の前に示しました。世の中は一変し、直接行動が未来を切り開く時代が始まったのです。―

 この呼びかけに応えようではありませんか。国家権力はこのことを恐れ、数十年をかけてマスコミを使嗾し、「三里塚は終った」「和解した」とキャンペーンを流し続けてきました。その前提とし、1990年代には国交省の大臣が農民の前に土下座をして謝り、「話し合います」「強制的手段をとりません」と国民の前に約束して虚構を築こうとしたのではなかったのですか。しかし、先日の山崎さんが独りで住む横堀の小屋への力づくでの強制代執行は「強制的手段」以外の何だと言うのでしょうか。そして迫る市東さんへの農地強奪の攻撃は一体なんだというのですか。国家権力が、これほど人民を愚弄し、人間社会の中で絶対に守らなければならない信義則を踏みにじる、こんなことがどうして許せるでしょうか。これを許しては、沖縄、福島で、そして障害者や生活保護の切り捨てに象徴される非人道的、非人間的政治が強行されていくことでしょう。
 新しい年、こうしたことを断じて許さない闘いを、直接行動を、広い広い手のつながりの中から勝ち取りましょう。

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