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2012年12月31日 (月)

激動の年となるだろう2013年を前にして

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 今年も今日で最後となります。上の写真は12月23日、宜野湾市海浜公園野外劇場で開かれた「オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件弾劾!御万人(うまんちゅ)大行動 -愛と怒りのサウンドパレード-」の様子です。121223_2沖縄にしては珍しい10度をきる厳しい寒さを吹き飛ばし、沖縄のみなさん3000人の怒りの声が上げられ、パレードの後、大山ゲートで抗議の赤いリボン付けが40人ほどで行われました(右写真)。

 新しい年2013年は、この沖縄におけるオスプレイ配備撤回、辺野古新基地建設阻止・普天間基地撤去、そして高江のオスプレイパッド建設阻止の闘い、福島で「もう終った」とする安倍政権の施策を許さず福島のみなさんを先頭とした反原発・ガレキ広域焼却処理反対の闘いが極めて厳しい状況の中で闘い抜かれようとしています。年末に下地阪南大学准教授など2人を奪還したとはいうものの、関西における反原発の闘いに対する「見せしめ」的弾圧攻撃は、6人の仲間がこの極寒の中今も勾留され続けており、4人は今なお接見さえ禁止されているという状況にあります。このような理不尽きわまる弾圧などどうして許せるでしょうか。2013年は、元旦からこの獄中の仲間を断固として奪還する闘いを切り口として、ただちに闘いが始まります。

 こうした中で、三里塚闘争は、47年変わらぬ問答無用の「国策」の押しつけに対して最大の決戦を迎えようとしています。先日の関西での12・27第36回三里塚団結野菜市に送られた萩原進反対同盟事務局次長のメッセージが簡潔にこのことを指摘し、訴えておられます。再録します。

― きたる2013年は、従来の延長線の覚悟では闘うことができません。国と成田空港会社そしてその意を受けた千葉地裁は、農地裁判の早期結審を急ぎ、とりわけ多見谷裁判長は年度内結審、5~6月判決の策動を強めております。反対同盟はこの農地決戦を1971年大木よねさんへの代執行決戦以来の闘いと確認し、三里塚闘争47年のすべてをかけた闘いに立ち上がります。
 「公共性」を騙った国策による47年変わらぬ理不尽な農地取り上げ! 生活と営農破壊! 国家暴力による強制執行! このような国家による暴虐を許しておいて、生活権・生存権など民衆の権利は守れません。すべての人びとが一つになり力を振りしぼって立ち上がろうではありませんか。
 勝利のカギはフクシマ・沖縄の湧き上がる怒りと結びつくことにあります。圧倒的な労働者、農民、市民、学生との連帯の輪の拡大にあると思います。自民党・安倍反動政権が誕生し、中間的であいまいな態度の許されない、文字通り激突と激動の時代に突入しました。こうした時代でこそ、三里塚47年の経験と成果がものをいう時、と燃え立っております。3・11大震災とそれに続く原発事故は「国策」と言われるものの正体を全人民の前に示しました。世の中は一変し、直接行動が未来を切り開く時代が始まったのです。―

 この呼びかけに応えようではありませんか。国家権力はこのことを恐れ、数十年をかけてマスコミを使嗾し、「三里塚は終った」「和解した」とキャンペーンを流し続けてきました。その前提とし、1990年代には国交省の大臣が農民の前に土下座をして謝り、「話し合います」「強制的手段をとりません」と国民の前に約束して虚構を築こうとしたのではなかったのですか。しかし、先日の山崎さんが独りで住む横堀の小屋への力づくでの強制代執行は「強制的手段」以外の何だと言うのでしょうか。そして迫る市東さんへの農地強奪の攻撃は一体なんだというのですか。国家権力が、これほど人民を愚弄し、人間社会の中で絶対に守らなければならない信義則を踏みにじる、こんなことがどうして許せるでしょうか。これを許しては、沖縄、福島で、そして障害者や生活保護の切り捨てに象徴される非人道的、非人間的政治が強行されていくことでしょう。
 新しい年、こうしたことを断じて許さない闘いを、直接行動を、広い広い手のつながりの中から勝ち取りましょう。

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2012年12月28日 (金)

三里塚団結野菜市が今年も

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 昨日、恒例の三里塚団結野菜市(第36回)が、晴天に恵まれて日本キリスト教団明石教会で開かれました。

 明け方に到着した大根や白菜などが積み上げられた中で、午前8時から簡単な集会が、明石住民の会の日原事務局長の司会で進められ、36年も続いてきたこの団結野菜市の反対同盟と関西実行委員会の団結の意義が、永井満代表世話人と山本善偉世話人から語られました(上写真)。そのあと野菜を運んで来てくれた三里塚現闘のFさんから簡単な挨拶と萩原進反対同盟事務局次長からのメッセージ(「12.12.27野菜市へのメッセージ.pdf」をダウンロード)が読み上げられました。萩原さんは「きたる2013年は、従来の延長線の覚悟では闘うことはできません」と来る年の闘いを「1971年大木よねさんへの代執行決戦以来の闘い」と呼びかけておられます。重い呼びかけに応える厳粛な気持ちを新たに確認しながら、野菜の各地区への仕分けに入りました。亡くなられた加辺事務局長の奥様が2年ぶりに元気な姿を見せてくださり、以前と同じようにピーナツの仕分けと会計をしてくださいました。

 みなさん、手馴れたもので仕分け作業は順調に進み、各地区の野菜を積み込んで順次出発していきます。配る家庭ごとに箱詰めをその場でしていた東灘区住民の会が最後に出発したのが11時前。売上も、育つのが遅れたためにほうれん草が欠品となりましたが、ほぼ昨年並みに落ち着きほっと一安心。

 萩原さんのメッセージにも「反原発の闘いに対して前代未聞の弾圧が強行され」とありましたが、この日も逮捕者の勾留理由開示公判が同じ時刻に行われていました。今日、明日と弾圧に抗議し、早期奪還を求める連日の闘いが年末が迫る中で闘い続けられています。この闘いのうねりの中から、新しい年の展望を切り開きましょう!



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2012年12月21日 (金)

第36回 三里塚団結野菜市

Photo 12月27日、恒例の第36回三里塚団結野菜市が開かれます。会場は日本キリスト教団明石教会です(左下地図参照・地図をクリックすれば大きくなります。)

 昨日で受注は打ち切らせていただきました。なんとか全体としては前年並みを確保できたという連絡がありました。私のところは、件数は15件と増えたのですが、高齢化の影響か金額ベースで1割足らず減りました。当日、いつも少しは残り、その場で早いもの順で売りますので、お出かけください。ついでにお手伝いも。何しろこの間の反原発運動へのとんでもない弾圧(現在も起訴勾留中6人、逮捕勾留中2人。その中にいつも手伝ってもらっていた方もいます)で、荷受などの準備に心配が出ています(荷受は午前6時からで、前日からの泊り込みが可能です)。Photo_2お手伝いいただける方はお電話ください。

 現地から伝わってきていることでは、今年の三浦大根は天候のせいで小さめだそうです。このところ産直野菜で来ている白菜はめっちゃでっかいです。秋が暖かかったので大きく育ち、このところの厳しい寒さで一気に巻いていったからでしょうね。10月末に見たときには青々と広がっていて「巻くのだろうか?」と思ったのですが・・・。Photo_3野菜は、多くはこの団結野菜市にあわせて、別に植え付けられたものです。出荷(26日)前日、当日で収穫し、トラックに積み込まれるとれとれの野菜たちです。

 市東さん、萩原さん、鈴木さんの反対同盟農家のご家族のみなさんが、無農薬・有機栽培で丹精込めて作っていただいた野菜たちです。その美味しさをぜひ味わって下さい。

 最近、面白く読んだ『農は過去と未来をつなぐ』(岩波ジュニア新書 2010年刊 宇根豊著)には、こめや野菜は「作るのじゃなくって、できるのだ」と書かれていましたが・・・。若い人むけに書かれているのですが、ほんとに考えさせられました。そして田んぼに入りたくなりました(主に田んぼについてか書れていますので)。お読みください。

 何はともあれ、団結野菜市になると「もう今年も終わりか」とつくづく思います。明日から6日間、管理人が沖縄に行きいますので、しばらく当ブログはお休みです。よろしく。

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2012年12月20日 (木)

12・23御万人行動 愛と怒りのサウンドパレード

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 沖縄・普天間の宜野湾海浜公園野外劇場で、12月23日(日)正午から「オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件弾劾!御万人(うまんちゅ)大行動『愛と怒りのサウンドパレード』」が呼びかけられています。

 これに応えて関西でも同じ日、「オスプレイの全国配備・訓練反対!米兵による凶悪事件糾弾!沖縄連帯関西集会」が以下の要領で開催されます。関西のみなさん。西梅田公園に集まろう!
Photo【とき】 12月23日(日)午後1時~
【ところ】 西梅田公園(右地図参照)
集会後、アメリカ領事館前を通り、大阪市役所までデモ。

 管理人は、22日から26日まで沖縄に行きます。「愛と怒りのサウンドパレード」に参加できることを楽しみにしています。

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2012年12月19日 (水)

被告成田市の「類型5」のウソを粉砕

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団結街道裁判で追及

 1218日千葉地裁民事三部(多見谷寿郎裁判長)において、第9回団結街道裁判が開かれ、年末にも関わらず大勢の傍聴参加者がかけつけ、大きな前進を勝ち取りました。

「類型5」の破たんを認めない成田市に傍聴席から怒りの怒号

 121218_2被告成田市の反動的な団結街道の廃道処分に対し、遠藤弁護士を先頭に被告の主張を断罪、「成田市は路線廃止の根拠として、自ら類型5にあてはまるから廃道処分したと主張してきたが、類型というからには団結街道以外にも路線事例があるはずなのに、この一年間何も示して来なかったではないか」との追及に成田市代理人は「事例はないので示せない」と苦し紛れの陳述を行ないました。この発言を聞いて傍聴席から「破たんしたのなら取り消せ」との怒号が起こり、裁判長からも「類型5を適用することは破たんしてますね。」との発言がありました。しかし裁判長は成田市側を擁護するように「ほかの主張に対する問題点、不足点を指摘してほしい」との助け舟を出す癒着ぶりを示しています。

 本来、類型5が失当ならば、裁判長は被告を敗訴にすべきなのに、簡単に「破たんしてますから、次の争点を考えましょう」と不真面目な姿勢を示しました。許すことは出来ません。余談ですが、騒音被害の範囲指定でも「類型」を規定して、その条件に当てはめた行政対策をするものですが、裁判のやりとりを聞いてると成田市が勝手に「類型5」をでっちあげたとしか思えませんでした。

 次回の期日を315日と決めて閉廷しました。

 報告会で新年に向けての決意を述べる

 裁判の後で、きぼーる会議室で「報告会」が行われ、北原事務局長より「市東さんの住居を空港で囲い込もうとする殺人的な攻撃を許してはならない。団結街道は親子三代の開墾魂が籠った道だ。この精神を守ろう。三里塚は今年も健在だったが来年も闘い、必ず勝つ」との決意が述べられました。さらに、弁護士全員が決意を述べ、特に大口弁護士は「行政訴訟では成田市にきっちりした立証責任があるはずなのに、類型5を持ち出して横柄な姿勢を示している。振り出しにもどった気持ちで闘おう」と述べられました。

 121218_3支援の各団体からも発言があり、関実から安藤が「この年末に大阪では仲間が獄中で闘っている。三里塚を闘い反原発を闘う獄中の仲間と決意を共にしたい。関実は27日に団結野菜市を行い、317日の三里塚関西集会の成功に向けて頑張っている」ことを伝えました。

 報告会の最後にあいさつに立った萩原進事務局次長は「病気は快復した、頑張る。自民党の大勝にまどわされず闘おう。来年は、三里塚、沖縄、福島をさらに押し出して闘う」と語られました。

                   安藤 眞一

 

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2012年12月17日 (月)

12・15佐高信講演会で三里塚の訴え

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 何よりも先ず、この間、先程から言われていますけれども大阪府警、検察庁、裁判所、それに寄り添う形での大阪市、あるいはJR西日本、こういった連中の「原発に反対することは罪だ」と言わんばかりの弾圧に対して、激しい怒りを先ず明らかにしておきたいと思います。先日、大飯の乱のKさんの福井での第1回公判に趙さんなどと行ってきましたが、そこでこの1月10日から2月4日にかけてわずか一ヶ月の間に6回の法廷が福井で開かれることが裁判所から一方的に指示されました。朝10時に福井の法廷に間に合おうと思えば、朝6時過ぎに大阪をでなければなりません。これは明らかにKさんの闘いに対する妨害であり、弁護、あるいは支援の闘いへの妨害です。これが裁判所の姿です。本当に怒りを覚えます。

 その上で、三里塚について時間をいただきます。若い人は「三里塚」と言われてもわからないかも知れません。成田空港の問題です。47年間にわたって闘いが今も続いています。さかんに今日は「国策」ということばが出ていますが、その「国策」と闘い続けています。

 成田空港は、1966年に発表された計画のほぼ半分しかできていません。4000メートル滑走路は出来ていますが、並行の3000メートルは2500、横風の2500は出来ていません。そして管制塔は2500メートルの暫定滑走路を観ることができないので、世界で唯一、テレビモニターで管制をしている空港です。そしてその空港の敷地内には今も6家族の農家が住み、農耕を続けています。公共工事として、最初から公聴会とか説明会とか地元住民への当然取られるべき手続きが一切取られることなく、機動隊の暴力と札束で農民から農地を強奪し、やり続けてきました。つい先日の11月28日にも横堀に住んでおられる山崎さんの家が強制代執行によって破壊されました。そんなことがまだ続いているのです。121215_3先ほど「はちようび」のヤンシが歌の中で「もう党派やなんやかや言っている時ではないだろう」と言っていましたが、30人ばかりの抗議行動の中に私の友人2人が加わってくれて引き抜かれたそうです。その日に報告をくれました。今、そういう事態が起こり、続いているということについて知っていただきたい。

 同時に狭い北総の大地に無理に作ったために、表面化していませんが千葉県で「空港によってこの町は繁栄するのだ」というキャンペーンの中で、空港周辺で多くの人々の航空機騒音の問題が無視され続けています。

 今、この成田空港が国の経済危機の中で、アメリカに言われた成田空港の自由化に向かって、2009年以来、突き進み始めています。今の飛行便数の約1.5倍。今でさえ大変な騒音がある成田空港で、それだけ飛ばせば大変なことになると私たちは思います。実は、自民党政権と国交省は、成田空港の自由化にずっと反対してきました。大変な利権があるからです。しかしアメリカの新自由主義の圧力のもとで、いや安倍自民党政権、民主党政権自身が新自由主義を選択した中で、成田空港の自由化を、2007年の安倍政権のもとで「アジア・ゲートウェイ構想」という形で打ち出しました。しかし、この時には国交省は「抵抗勢力」と言われながらも、このことに反対し続けました。それぐらい利権があるのです。しかし民主党政権は2009年末、あの「GDPの1.5%の農業のために、98.5%を犠牲にするのか」とこんなデタラメを平然と言った前原国交相が、国交省の官僚をねじ伏せて、成田空港の自由化をアメリカの言うとおりに、翌年の日米同盟の言葉が示すように、アメリカに追随するという民主党政権の政策の下で成田空港の自由化が決定されました。

 そして今、市東孝雄さんという一人の農民の農地が、1980年代に土地収用法でも取れなかった農地が、裁判という形で、戦後、あのせ小作争議の闘いの中から農民の耕作権を守るために生まれた農地法を使って、親子3代、100年にわたって耕してきた、しかも今、無農薬・有機農法ですばらしい作物を作っている土を空港にする、農地を奪うということが起ころうとしています。このために農地法を使うというのは明らかな脱法行為です。しかも、裁判の中で偽証をはじめとしたさまざまな違法・脱法行為を国と空港会社がどんどんやる。それを裁判所が支える。正に国策裁判として今進んでいます。そして来年3月には、この市東さんの農地をめぐる農地裁判が結審を迎えようとしています。ほとんど関西では報道されません。関東でもそうです。「三里塚は終った」と言われています。そうではありません。これは明らかに重大な人権問題です。

 47年、国が変わらず理不尽に農民に襲いかかる。これに屈せず、国策に屈せず闘い続けているこの三里塚農民のあり方は、たとえ少数になろうとも、福島や沖縄、こうした闘いと並ぶ非常に重要な中味をもっています。

福島や沖縄について語る時間はもうありませんけれども、一つだけ言いたいと思います。TPPです。これもあの前原を中心にして新自由主義によって進められている政策です。今の総選挙での一つの争点でもありますけれども、このTPPによる日本の農業破壊が言われます。確実に農業は立ちいかなくなります。しかしそれだけではありまあせん。国民全員の健康保険という医療制度、あるいは雇用の問題、さらには郵貯の問題に象徴される金融機関の問題など、明らかにこの国のあり方をとことん変えてしまうそういう政策です。

今、三里塚の農民は、自分たちにかけられた47年間の闘いは、このTPPに反対する闘いとしてあるんだと位置づけて声を上げておられます。

残念ながら、この三里塚についてほとんどの方がご存知ない。今日の集会で、様々な問題が原発を中心に語られておりますけれども、正にそうした問題を47年間、自らの問題として担い続け、闘い続けてこられた方々、三里塚農民があるのだということについて知って下さい。そして私たち関西実行委員会に声をかけてください。

三里塚のみなさんとともに、そして沖縄、福島のみなさんとともに、こんな弾圧は絶対に許さない。その力は、もうこの選挙に任せるわけにはいかない、我々自身が街頭に出て、現場に出て闘う中からしかないんだ、これを三里塚の農民のみなさんが私たちに示してくれています。どうかみなさんが三里塚に注目してくださることを心から訴えまして、私たちの訴えを終わります。どうもありがとうございました。

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2012年12月16日 (日)

今年最後の産直野菜(12月16日)

121216 今年最後の産直野菜が、先ほど届きました。かぶ、じゃがいも、里芋、人参、紫芋、ター菜、ネギ、白菜、大根の9品です。

 『野菜だより』に「雨続きで、夏野菜を片付けて畑を耕すのが遅れた上、その後の育ち具合が一様によくありません。日照不足?・・・」とありますが、それなりにどっさりと。白菜のでっかいこと。

 野菜を受け取るのが一日遅れたのは、昨日『12・15佐高信講演会』があり、その準備から関わり、最後の交流会の途中まで参加したため。

 凄まじいまでの大阪府警、検察、裁判所が一体になって反原発の闘いと運動に襲いかかってきていることへの怒りが充満したいい集会でした。121215会場を一杯にする300人あまりが会場のクレオ大阪西を一杯にしました。

 今日は部落解放同盟全国連番町支部準備会の「忘年会」に駆けつけ、兵庫県スモンの会の元会長の春本さんもお元気な姿を見せてくださり、和やかな一時を過ごしました。
 連日の会合で少し疲れました。
 
 

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2012年12月14日 (金)

12・18 団結街道裁判を傍聴しよう

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 来週、12月18日(火)午前10時半より、千葉地裁601号法廷で、団結街道の廃道化差し止めを求めた口頭弁論が開かれます(傍聴券配布の関係で30分前までに裁判所1階ロビーにお集まり下さい)。案内が間違っていましたので記事を抹消し、改めてご案内いたします。写真左手のフェンスが団結街道の一部ですが、市東さんの家のところからここまでを「市道として再認定する」としながらその先は「認めない」というデタラメな書面を成田市側が前回の口頭弁論で出してきました。そして依然として市東さんが「原告不適格である」とする許し難い主張を引っ込めていません。

 写真にあるように来年3月31日の第3誘導路供用開始に向けて突き進み、市東さんの農地の強奪(農地裁判、耕作権裁判)に進もうとする空港会社、国の暴挙を食い止めるためにこの裁判も重要な意味を持っています。団結街道を元の姿に戻させるために、市東さんの営農を守るために、傍聴に駆けつけましょう。

 

大阪府警による異常な弾圧を許すな!

 2ヶ月も前のことで、大阪駅構内にいたことが鉄道法違反などと、12月9日、不当に逮捕されたもじもじ先生(下地さん)から、不当勾留された中から発せられた逮捕に抗議する声明が11・13弾圧救援会のブログに掲載されましたので転載します。

 「逮捕状の被疑事実は、すべて、事実ではありません。当日現場にいた公安の警察官もすべてを見ていたはずなのに、堂々と事実と異なる被疑事実に基づいて逮捕を行ったことに、とても驚いています。
 なぜ警察がウソをついてまで私を逮捕するのか。それは私が、原発の再稼働に反対し、放射能の拡散に反対する市民運動に参加してきたからであり、とりわけ、運動の中で出会った警察の不正行為についても厳しく批判してきたからです。悪いことはなにもしていません。

 いま、私たちが暮らす日本は、そして世界は、危機的な状況にあります。福島の原発事故はいまだ収束せず、4号機の使用済み核燃料プールが倒壊すれば、日本だけでなく、世界が終わると言っても過言ではない大惨禍をもたらすことになるでしょう。放射能汚染への対応もまったくできておらず、食品その他の流通を通じて、汚染は拡大しつつあります。そんな中、「電気が足りない」とうそぶき、原発を使い続けようとしているのです。すべてが狂っているとしか言いようがありません。

 この半年か1年の間に、政府がどのような施策を行うか、それによって私たちの未来は大きく変わるでしょう。日々、学生たちの顔を見ながら思います。二十歳そこそこの彼らが私と同じ四十歳になる頃、どんな世界に暮らすことになるのかと。そのたびに、今回の原発事故を防げなかったこと、先輩世代として申し訳なく思います。彼らには罪はないのですから。せめて、少しでもマシな世界を残せるよう、微力を尽くしたいと思っています。事故はすでに起きてしまいましたから、時間はあまり残されていません。しかし、希望はあります。

 私は、いま、動くことができなくなりました。でも、諦めてはいません。こうして、私の声を外に届けることもできます。そして、もっと多くのみなさんが行動してくれれば、声をあげてくれれば、きっとまだ間に合います。
 私はとりわけ、私と同じように大学で教えている人、医師や科学者などなんらかの意味で専門家と呼ばれている人たちに呼びかけたいと思います。「無知で冷静さを欠いている」かのように見える市民にこそ学んで下さい。その声が無視され、軽んじられている人のために語って下さい。

 真実は、批判と応答を通じて初めて、姿を現します。政府をはじめとする権威が語ることではなく、その反対側に立ち、権威に対して反問することを通じて真実が明らかになるように行動して下さい。まちがってもいいのです。常に弱い側に立ち、その軽んじられる言葉や存在を擁護し、自らが仮にまちがうとしても、逆説的に、権威との言説の応酬の中で真実が明らかになるように、語って下さい。あなたの専門分野が何であるかは、関係がありません。勇気をもって下さい。

 最後に、私がもっとも深く関わってきた震災がれきの問題について述べます。大阪市は11月末に試験焼却を強行し、来年2月の本焼却開始に向けて着々と準備を進めています。
何度もあちこちで述べてきましたように、震災がれきの広域処理は誰のためにもなりません。それは被災地支援どころか復興予算の横取りであり、かえって復興の足を引っぱります。同時に、放射能をばらまき、かつ、汚染地の人々に放射能を受忍させ、加害者である東京電力の責任を軽減するものです。代償は、私たちの、子どもたちの、そして、これから生まれてくる子どもたちの命です。こんなデタラメな施策が許されていいはずがありません。絶対に止めなければなりません。これまでともに学び、取り組んできたみなさん、諦めずに戦ってください。また、これまで震災がれき問題について知らなかったみなさん、是非、今からでも知って力を貸して下さい。これは、私たちの未来そのものを守るための戦いです。

 私はいつ出られるかわかりません。でも、いつかきっと出られます。姿は見えなくても、心はともにあります。この間、不当に逮捕されている他の仲間たちもきっと同じ気持ちです。みなさんに会える日をたのしみにしています。

2012.12.12                      下地真樹」

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2012年12月13日 (木)

原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!12・15佐高信 講演会

 「いま、日本を撃つ」と題して、「原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて! 12・15 『佐高信講演会』」が以下の要項で呼びかけられています。
 大阪で反原発・放射能汚染ガレキ焼却反対の運動への弾圧が吹き荒れている今、決定的に大切な取り組みとなっています。ぜひ、お集まりください。(なお、入場料は徴収いたしません。事前に『参加協力券(¥1,000)』をお求めください。詳細はチラシ「12.12.15PDFチラシ.pdf」をダウンロードをご覧ください。)
 三里塚関西実行委員会も参加し、決戦局面にある市東さんへの農地強奪の攻撃に対する闘いを呼びかけさせていただきます。

【とき】 12月15日(土) 15:30開場、16:00開演 20:00終演予定
【ところ】 クレオ大阪西(大阪市此花区西九条6-1-20)
  西九条駅(JR環状線、阪神なんば線)下車、徒歩3分

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 なお、この間の11・13、12・09と続いている弾圧に対する抗議を呼びかけるビラが作られました(「120901.pdf」をダウンロード)。ぜひ、みなさんの周りでも伝えて下さい。併せて弾圧救援へのカンパもよろしく。(詳しくはビラをご覧ください)

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2012年12月11日 (火)

昨日、農地法裁判の口頭弁論

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 昨日、12月10日、農地法裁判の口頭弁論が開かれました。当初、11月12日に引き続いて萩原進さんの証言の予定でしたが、1週間前に萩原さんが体調を崩されたため大事をとって萩原さんの証言を次回期日に予定されている2月4日に延期し、この日は口頭弁論を行いました。

 法廷に先立って、支援連によるリレートークが裁判所前で行われ(上写真)、道行く県民や裁判所の職員に、農地法による市東さんの農地の取り上げ攻撃の不当性と多見谷裁判長による「国策裁判」「早期結審」策動への抗議の声を上げました。早く裁判所に着いていた私も、一言訴えさせてもらいました。こうした行動をもっともっと多くの人の結集で、裁判所に圧力を加えていきたいものです。

 成田空港会社NAAは、この日提出した準備書面で、一つは訴えの変更を、今一つは、「天神峰南台41-9番地の土地に係る請求を放棄する」を出してきました。
 121210_2開廷した直後、市東孝雄さんが立って、NAAに対して「放棄するというなら、私が耕してきた農地だということを認めるのか、『不法耕作』という言いがかりを直ちに撤回せよ」と怒りをこめて弾劾しました。「41-9番地」を賃借地だと請求したことは、NAAの請求がでたらめなものであることを何よりも示しています。そのデタラメな農地の「確定」によって耕作権裁判で市東さんが耕している「41-1番地」などが「不法耕作地だ」と言いなしているのですから、市東さんの怒りは当然です。
 また訴因の変更とは、天神峰の畑にある2つの櫓(やぐら)と北側の大看板、南側の立看板を「市東さんのもの」として撤去の対象にするというものです。弁護団から、この4つのものは反対同盟の所有物であり、「市東さんのもの」とする変更など認められないと厳しく指摘されました。
 ここに多見谷裁判長、NAAが願望する「早期結審」などとんでもないことだという一端が示されています。偽証問題をはじめまだまだ明らかにされなければならないことが、沢山残されているのです。

 法廷後の報告会で冒頭に立った市東さんは、「冒頭に言いましたが、空港会社は紙1枚で放棄したというのですよ。あれだけ自分に不法耕作だと裁判にかけながらね、謝りもせず紙切れ1枚で、絶対に許せない。今年も忙しい中傍聴などいろいろ来ていただきましたけれど、来年はもっと攻防がひどくなると思うんです。ですから皆さんも、今年以上に傍聴、そして闘争と現地の方にも来ていただいて共に闘いたいと思いますのでよろしくお願いします」と挨拶と想いを語られました。

 2月4日の萩原さんの2度目の証言、2月18日の市東さんの証言を、裁判所を圧倒する傍聴闘争を実現させて、多見谷裁判長の早期結審策動を阻止しましょう。とりわけ、18日には、市東さんが11月25日の市東さんの会のシンポジウムで訴えられたように、500人、600人の力で裁判所を包囲しようではありませんか。

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2012年12月 7日 (金)

12・10農地裁判の傍聴を

 12月10日(月)、農地裁判が開かれます。ただ、事情で萩原進さんの証言が延期され、2月4日(月)に、2月4日に予定されていた市東孝夫さんの証言は2月18日(月)にそれぞれ延期されました。いずれも千葉地裁601号法廷で、午後1時半に開廷します。傍聴券配布の関係で、開廷の30分前には千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

 今日、福井地裁で6月30日~7月2日の36時間にわたって闘いとられた「大飯の乱」に消耗した福井県警、検察、裁判所によって行われた報復的なデッチ上げ弾圧裁判の第1回公判が開かれました。傷害罪などをデッチ上げられ今も接見禁止という弾圧を受けている川崎さんが元気に出廷し、「大飯の乱」の闘いへの報復弾圧としてかけられた攻撃を弾劾する意見陳述を堂々と行いました。うろたえた裁判長は、川崎さんの陳述を警察官の力でねじ伏せ中断させるという暴挙をはたらきました。その上で、傍聴席に対して退廷命令を乱発したのです。驚いたことに、裁判長の退廷命令がでるや制服警官が傍聴席に乱入し、傍聴席から暴力的に連れ出したのです。先日、大阪地裁での裁判所・警察が一体となった不様な事態を報告しましたが、裁判所の廷吏は見ているだけで、警察官が乱入してくるなど、多くの裁判を傍聴してきましたが、初めてのことです。
 傍聴席からは「恥ずかしくないのか」と裁判長への弾劾の声がとびました。警察の指示のもとに予断に満ちた訴訟指揮を強行する福井地裁を断じて許せません。
 次回以降の証拠調べ、証人尋問などの日程が、1月10日、1月22日、1月24日、1月28日、1月29日、2月4日と拙速裁判を図ろうとする裁判長によって提示されました。これも許されません。
 司法が司法としての役割を果たさず、警察、検察の手先となりまともな審理を行おうとしない現実に対し、福井という遠い、しかも雪の季節に大変ですが、川崎さんの闘いを傍聴席から支え、共に裁判所を弾劾して闘い抜きましょう。

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2012年12月 5日 (水)

反原発の闘いへの大阪府警による弾圧を許さない!

 昨日、12月4日、「11・13ガレキ焼却説明会弾圧」で不当逮捕されていた4人のうち小松さん(MUさん)は処分保留で釈放されたものの、残る3人が「威力業務妨害罪」で起訴され、不当な勾留が続いています。怒りに耐えません。

 この件をご存知の方は「威力業務妨害」に「えっ?」と思われるでしょう。そうです。3人とも「建造物不法侵入」で逮捕され、昨日まで23日間も不当に拘留されていたのです。一昨日の2人の勾留理由開示公判でも、裁判所が勾留する理由としたのは「建造物不法侵入」だったのです。昨日、検察庁は突然、罪状を変えてきたのです。「建造物不法侵入」では裁判を争えない。3人の勾留を続け、原発反対運動をやめさせることができないと変えてきたのです。一種の脱法行為です。本当に許されません。弾圧を強めるには何をやってもいいのかと怒りを覚えます。
 実は法律の中に「求令起訴」というのがあるそうです。逮捕理由と違う理由で起訴できるというものです。この法律は戦前の治安維持法下で、政治犯をいろいろな警察の留置場をたらい回しにして長期に勾留するために設けられていた治安法規だそうですが、戦後の法律にもぐりこませて残されていたのです。そんないかがわしい法律を引っ張り出して、3人の起訴、勾留を強行したのです。こんな卑劣、不当なことが許されるのでしょうか。

 3人は、11月13日、大阪市が此花区で行う放射能汚染ガレキ焼却の説明会に抗議しようと会場に行っていました。会場ホールのある建物の1階ロビーは、図書館の利用者なども使っている状態でした。そのロビーの2階に上がる階段の踊り場で、もじもじ先生をはじめとしたみなさんが大阪市の担当者に説明会のもたれ方に30分ほど申し入れを行なっていました。3人はそこにいたのです。大阪市が話を打ち切ったのでもじもじ先生は説明会に参加するために建物の外に並びに出ました。大阪市民でない人間は排除されていた大阪市の方針で3人は、そこに留まっていました。周りには同じように排除された30人ほどがいました。突然、警察官が数十人なだれ込み、周りにいる30人には目もくれず、3人を指さしながら襲い掛かり、「建造物不法侵入」で逮捕したのです。小松さんは、その中の一人の逮捕を妨害したとして「威力業務妨害」で逮捕され、処分保留で釈放されました。まだ説明会の開会の2時間も前のことです。

 11月22日行われたPさんの勾留理由開示公判で、私たち傍聴に集まった人々が法廷前に集まったとき、すでに廊下奥には衝立があり、その奥に30人以上の天満署の警察官が隠れていて、裁判官の乱暴な訴訟指揮に抗議の声が上がったとき、瞬時に警察官が飛び出してきて「退去命令」が叫ばれ、逮捕されるかと昨年の5・20東京高裁を思い出しながら、驚きました。これは、裁判所が要請したとしても、行政(警察)が司法に介入していることであり、明らかな憲法違反であるとともに、裁判所がこの法廷に異常な予断をもっていたことを示しています。
 そして、一昨日、Uさん、Hさんの2人の勾留理由開示公判では、傍聴券配布に10数名の裁判所職員が取り巻くという異常な雰囲気でした。千葉地裁や東京高裁で傍聴券配布を経験していますが、4、5人の裁判所の職員しかいません。「何だろう」と思いながら、法廷がある6階に上がったところ、何と10人ほどの廷吏(これ自体が異常ですが)に加えて、30人以上の裁判所の職員が私たちを取り囲むようにいるではありませんか。何をするでもなく裁判が終わるまで3時間近く「職務命令ですから」とそこに突っ立っているのです。しかも廊下の奥には衝立があり、一階の外を窓から見ると機動隊の大型のかまぼこがあるではありませんか。この日も、「何かあれば」と衝立の奥に警察官が隠れているのは明らかです。しかも、裁判官は、何の根拠もなく勾留理由(この時点では先に書いたように「建造物不法侵入」ですが)のなかで「凶暴な事案」とまで言ったのです。こうした裁判所のあり方に信じられないような「反原発は許さない」という警察の言いなりになった裁判所の予断を見ることができるのではないでしょうか。

 今、国が福島はなかったことにしたいと昨年末の「収束宣言」以降様々な策動を強め、大飯の再稼働を切り口に、今やもんじゅの稼働まで言い出している状況の中で、「反原発・脱原発」「ガレキの広域処理反対」「ガレキ焼却反対」は犯罪である、悪であるとして大阪府警、検察庁、裁判所が襲いかかって来ているのだと断じざるを得ません。本当に許されません。

 こうした渦中で、経産省前のテントの闘い、大飯原発再稼働に反対した監視テント、6・30~7・2の大飯の乱、大阪市役所横の監視テント、こうした闘いの中心として常にふんばってきた吉岡史朗さん(本名・奥田満さん)が、脳内出血で倒れ入院していた先で、昨夜遅く23時20分頃、再度の脳内出血に襲われ意識が戻らないまま亡くなられました。反原発、とりわけ福島のみなさんと共に闘い抜きたいと昨年の3・11直後から、福島に救援物資を幾度も届ける活動以来ふんばってきた過労がその因だろうと思うだけに、吉岡さんの闘い半ばで倒れた無念さはいかばかりだろうと思います。彼といくつか相談しながら始めようとしていたことがあっただけに、その衝撃は私にもほんとに大きなものがあります。1971年の関西空港反対闘争以来の仲でもあります。遺志を引き継ぎ、反原発、沖縄、福島、三里塚と共にとことん闘い抜いていくことを誓い、心からご冥福を祈ります。

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2012年12月 2日 (日)

今週の産直野菜(12月1日)

12121 昨日、今週の産直野菜がとどきました。
 じゃがいも、さつま芋、キャベツ、カブ、間引き大根、人参、大根の7品です。

 『野菜だより』によれば、11月が雨が多くて影響がでているようですね。先日の市東さんの会のシンポジウムでも、市東さんが作付などが一ヶ月近く遅れていると言っておられましたが。

 最近読んだ本で、ラジ・パテル著(佐久間智子訳)の『肥満と飢餓』が非常に面白く、学ぶことができました。

 世界貿易機関(WTO)、世界銀行に勤務したことがある著者が、グローバリズムによって世界でどれほどの格差、その結果としての肥満と飢餓が進んでいるかを、インド、南アフリカ、ブラジル、韓国など各国での実例を上げながら、具体的に農民と都市の労働者の問題として明らかにしています。

12122 最後の方で「食糧主権」に結論が至る中での2つの著者の文章を紹介しておきます。興味をもたれた方は是非、お読みください。

 『私たちの味覚を変えることは、毎年限られた時期にだけ食べられ、輸送することも加工することもできない、深遠かつ絶妙な食の楽しみをもたらしてくれる。それは、私たちの五感に訴える喜びである。以前よりも豊かに深く食を満喫する能力を回復することは、味覚に対する主権の奪還がもたらす喜びの一つだ。最も深くこの喜びを感じるには、自身で食事を準備する技と官能を取り戻すのが近道だ。』

 『これらは、自然と共生し、土地の生産力を維持・涵養し、多品種を栽培し、それぞれの地域とコミュニティの需要や、天候、地形、生物多様性、および希望にあった農業を行うという農業哲学に裏打ちされた農法である。これらは、地域の農民の専門性を高める農法であり、それゆえに「工業的な有機農業」の支配下では使い捨ての代替え可能な労働力とされている彼らは、かけがえのない存在と認識される。この農法で地球上の人口を養うことは可能である。そして、なによりも重要なのは、この農法では、地域社会に農業が根付くことを目指しているということである。』

 著者は、昨日の当ブログでも紹介した村上真平さんが指導者とあおぐ福岡正信さんのことも簡単ではありますが、2ヶ所で言及されています。

 また、訳者の佐久間さんが第5刷の「日本語版解説」の「付記」として書かれた(2012年9月)『その後の世界と日本の食料問題』は、短い文章ながら、東日本大震災、原発事故、そしてTPPに向き合う佐久間さんの想いを込めたものがあり一読に価します。

 ちょっと長いですが、一読をお薦めします。作品社出版 初版は2010年9月 2600円。

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2012年12月 1日 (土)

三重の池の平に村上真平さんを訪ねて

121127
 9月16日、三里塚関西集会で萩原さんとともに話してくださった村上真平さんが、三重県津市の池の平で耕作放棄地を開墾されているところを、11月27日、山本先生をはじめ4人で訪ねました。

 途中でコンビ弁当でも買って昼食にと話しながら現地に向かったのですが、途中ずっと何もない山道。これは食い逸れるかもと不安になりだした時に、村上さんと待ち合わせ場所にしていたすぐ傍に、105年の歴史を閉じた街道沿いの旅館を、太郎生(たろう)地域での拠点施設として復活した「たろっと三国屋」が見つかり、土地のおばさんたちとの和やかな雰囲気で昼食と休憩ができ、幸先のよいスタートになりました。121127_2そこは国道沿いにある中太郎生の集落の中にあります。そこへ村上さんが駆けつけてくださり、さあ、「現地調査」のスタートです。

 集落からさらに200メートルほど上がり、高度は620メートル。凄い見晴らしです。最初の写真は開墾している場所から西を向いたもので、正面は北海道の層雲峡のような切り立った倶留尊山(くろそ)、1040メートル。シーズンには尾根を歩く人たちの会話が聞こえてくるとか。山の岩場には風穴があり、そこから吹き出る風は夏でも12℃、昔は氷結も見られたとか。立っている場所は池の平と呼ばれ山も含め一帯は国定公園。東に向いた方角が右上の写真で、ほぼ水平線に朝日の出るときは素晴らしいそうです。右上写真の左奥は湿原で、戦後の開拓前までは池だったそうですが、開拓で水を使って湿原に変わったそうです。上に泥炭層が出来、今は歩けるそうですが、湿原回復運動が取り組まれているそうです。あたりは夏場には、今年で30℃を超えたのは4回、昨年は超えなかったそうで、もともと戦後の開拓で、関西に大根やキャベツ、ほうれん草など夏の高原野菜を出荷して有名だったそうです。しかし、大根を10数年作り続けたことで土が痩せ、徐々にみなさんが耕作を放棄されていったのだそうです。

 121127_3上のいずれの写真も、約1.6ヘクタールの開墾された跡です。2メートル近い茅(かや)や4メートルはあろうかという自然の桑の木などの潅木が密集していたものをこの9月から切り開かれたそうです。思ったより早くでき、もう80%近くは終ったそうです。後はトラクターで整地をして来春には畑に出来るそうです。斜面や雪のあるところにはブルーベリーやかこう(花?)を植え、広いところは30~40種類の野菜を作りたいと話されました。
 土は、三里塚の赤い土と違い真っ黒の火山の溶岩かなにかの跡です。三里塚の土が粘土質なのに比べ、作業はしやすいそうですが、肥料など養分を抱える力は三里塚の土の方があり、ここはすぐ流れてしまうとか。121127_4右の写真は、鹿かイノシシの歩いた跡だろうということでした。
 来年にはもう少し下にある土地を借りて(この辺り一帯に約30ヘクタールの耕作放棄地)、麦とか大豆を作りたいとも。村上さんのつれいあが飯舘村ではパンを焼き、レストランをしておられた。
 子どもさんたち(4人おられます)と何度かテントを張ってキャンプをされたそうですが、夜には鹿がキョンキョンと鳴くのが聞こえるそうです。できれば畑の上の方に子どもたちが体験できるような場所を創り、子どもたちや若い人に来て楽しんで欲しいとも。
121127_5 この冬は開墾の残された畑の整備と、猿、鹿、イノシシ対策のフェンスづくりだそうです。猿がほんとに多いそうです。来る途中にも大きな猿を目の前で見かけました。もう田んぼは、この畑と少し離れた所に借りて、今年の収穫を終えられたそうです。そのうちの60キロと醤油を東京の小さなお菓子屋に送って無添加のせんべいを作ってもらったそうで、後で、御宅でいただきました。美味しかった。左写真は村上さんと山本先生。
 T先生が、「実際の仕事は大変なんでしょうが、見ていると胸が踊ってくる」とたびたび訪ねてもいいだろうかとお願いをしておられました。

 121127_6畑から車で30分くらいのところにある村上さんの御宅へ。見るからに古い感じの立派な農家です。180年くらい経っているそうで、現在の所有者のお父さんとお祖父さんがこの村の村長さんだったのですが、息子さんが出られたので村上さんが属している愛農会が借り受け、拠点として使っていて、ちょうど管理人が居なくなったので、頼まれて入られたとか。
 右写真は、招かれた座敷ですが、村上さんの膝にいるのは、3人目、次女の日那(ひな)ちゃんです。飯館村を出るときにはあかちゃんだったのですが、9月に村上さんが「うちでは子どもたちは放し飼いです」と言っておられましたが、ほんとに屈託のない、相そうのいいお嬢ちゃんです。121127_7左写真は、おつれあい(お名前を聞きそこねました。スミマセン)と、この9月に生まれた太朗(たお)ちゃんです。
 おつれあいは、「飯舘村に雰囲気がよく似ていて、二人とも一目見て惚れ込んだんです」と語られるとともに、飯舘村で始められたパン作りとレストランが、最初から村の人たちには見向きもされず、誰も来てくれない中で、徐々に人づてに伝わり、雑誌などに紹介されて、東京や仙台など遠くから来てくれるようになって、ようやく10年目に目鼻がついて、暮らして食べていけるかなと思った矢先でした」と、昨年の3・11を思い起こしておられました。

121127_8 私たちは、再訪をお約束し、お二人の願いが成就することを願いながら、帰路に着きました。
 右写真は最後に撮った「ハイ!チーズ」写真です。
 この日、ずっと運転してくださったT先生にはほんとに申し訳なかったのですが、なんとそれからT先生宅での大宴会。山本先生の盛り上がったこと。ほんとに楽しい、有意義な一日でした。

 なお、来年、2月23日には宝塚で、同24日には神戸で、いずれも村上真平さんを迎えての講演会が準備されています。ぜひ、お集まりください。

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