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2012年11月13日 (火)

裁判所を圧倒した萩原証言(12日農地裁判)

 昨日11月12日、千葉地裁で農地裁判の証人尋問が行われ、反対同盟事務局次長萩原進さんが、反動的な年度内結審策動を強める多見谷裁判長、国・空港会社を圧倒する4時間にわたる証言を堂々と行いました。

 121112証言を始めるにあたって萩原さんは、その想いを3点に絞って語られました。①三里塚闘争47年にわたる国の強権的農地取り上げ攻撃への弾劾、②土地収用法が失効したにもかかわらず農地を守るべき農地法による農地強奪を企む悪辣さ、③3・11で全てが変わった。もう一度原点に帰るべき。従来と変わらず逆行している裁判官、裁判所に対し問題を提起したいと。

 121112_2まず遠藤弁護士が、東峰部落の開墾から1971年の強制代執行闘争にいたる歴史の中での萩原さんの想いを聞かれました。親の開拓の苦労を「自分にはできないだろう」とも。安定するのには10数年を費やしたとも。国策としてのシルクコンビナート計画に「農業の曲がり角」にあるとの思いからの1000万円を借りて参加された経緯と、それを中止し同じ国策としての成田空港建設計画が突然降ってわいたように襲いかかってきたことを「信じられなかった。とことん空港反対を貫くと想いを定めた」と語られました。100回以上の陳情、請願を行なったが、抗議・反対の声は受け付けられなかったと。そして最後に移動すると約束していた御陵牧場が最初に閉場すると突然聞かされ怒りの闘いをして、初めて全国指名手配され逮捕された経緯を。そして第1次、第2次代執行の闘いに延べ3万の市民、労働者、学生が結集したことを「予想以上の反応、大きな社会問題になった」とし、この代執行を「あってはならないことだった」と。最後に大木よねさんへの家屋取り壊しに触れられました。

 121112_3続いて葉山弁護士から東峰部落の開墾の様子が聞かれました。「おがみ」と呼ばれた掘っ立て小屋で両親が開拓を、昼は他の家の手伝いをして日銭を稼ぎながら進められた様子を。ご自身は中学1年から共に暮らしたと。121112_41964年現在の母屋が建てられ、当時、東峰部落には50戸くらいがあったと。そして農地は農民にとって「いのち」だと語られ、市東さんにとってこの裁判で農地を取られることは「死」を意味すると。そして現在の全国の農民がおかれている状況から、この裁判が農民がこれからやっていけるのかどうかを示すものとなるのだと位置づけられました。

 121112_6長谷川弁護士が、有機農業について聞かれます。戦後の農薬漬けの農業のありかたが闘いの中で問われ、消費者の食を考えるに至った経緯を語られ、無農薬有機農法による生産への経緯を語られました。一番苦労するのは「土づくり」だと。空港会社が言うような表土を移して出来るものではないとも。産直の会の運営や様子を語られ、3・11原発事故による放射能汚染の厳しい現実を具体的にしいたけの汚染などを例に挙げながら語られました。後の報告会で、長谷川弁護士が「これまで有機と無機など全く知らなかったが、弁護団会議で食べた人参がほんとに美味しく、驚いた」と語られたことにみなさん爆笑。

 121112_7浅野弁護士が東峰神社について聞かれます。1953年開墾とともに建立された東峰神社が、部落の総有であり部落の人々にとっての大きな拠り所であったことを語られました。その社の高さが4メートルあることで、空港の滑走路面が4メートル盛土され、滑走路南端近くにある神社が危険なものであることが明らかにされました。2003年1月にはすぐそばまで全日空機がスリップし、あわや大事故の状況にあったことが語られました。121112_8そして2002年6月16日、部落そのものの否定でしかない神社の立木伐採が強行され、抗議の中で萩原さんご自身が逮捕された経緯を語られました。

 121112_9大口弁護士からは暫定滑走路問題の経緯と成田空港シンポジウム、円卓会議の犯罪、国・千葉県堂本知事のペテンなどへの萩原さんの想いが聞かれました。無理に北へ伸ばしたために起こったテレビ管制など様々な欠陥が起こり「78年の暫定開港」も修正されないまま、「暫定滑走路」でしかなかったことが明らかにされました。また成田空港シンポジウムや円卓会議に参加しなかったことについて、国交省が当事者能力のない知識人や「農民」と言われる人々を使い、マスコミも使った「ウソでしかない」と。そしてそこで全国の人々に約束をしたはずの「それまでのやり方への反省」、強権的手段はとらない、合意がなければB、C滑走路は白紙化するという約束が守られていないというのが、この裁判だと。また堂本千葉県知事が現地視察をし、「これは人が住むところじゃない」と表明しながら、住民の生活を守るべき自らの責務を放棄し、認可した犯罪を弾劾されました。

 121112_10西村弁護士は、暫定滑走路使用による住民への被害を聞かれました。「並行滑走路」と言うけれども、まったく違う場所にできた2つの空港のようなものだ。形だけ作って「完成した」と強弁し、住民を追い出したらあとはうまくいくというやり方への批判が語られました。前回の証人尋問で、国交省の石指証人が、2002年の航空機同士の接触事故について「接触であって事故ではない」と強弁した証言を批判されました。121112_11そして滑走路横の清水の畑、誘導路横の横川の畑での萩原さん自身の騒音と機体が襲ってくるような恐怖感を語られました。

 一瀬弁護士が、次回の証人尋問で農地裁判そのものの立件、市東さんへの解約申請の問題を明らかにする前提として東峰部落そのものを根こそぎなきものにしようとする空港拡張構想や、2005年の北側国交省による東峰部落住民への手紙や、2005年5月9日の黒野空港会社社長の部落の住民への謝罪の手紙と、同じ日に出された黒野社長名での部落への「回答書」での工事強行の脅しなどについて聞かれました。萩原さんは、それぞれがまったく矛盾していることを指摘し、「理解できない」「血も涙もないやりかただ」と弾劾されました。

 そして全ての証言の最後に、萩原さんは、この裁判の行く末が、単に市東さん一人の問題ではなく、TPP問題などによって正に大変な局面にある全国の農民、日本の農業がどちらへ進んでいくのかを決すると行っても過言ではないことを明らかにされ、そうした問題だということを裁判所、裁判長が理解しなければならないと提起されて終えられました。

 121112_12裁判後、会場を移して裁判の報告会が簡単に行われました。冒頭挨拶された市東さんは、「聞いていて、国と空港会社によってほんとにひどいことをやられてきたことが明らかになった。ああいうことをやられた以上は自分も負けられない。ますます勇気が湧いてきた。そういう裁判でした」と笑を浮かべながら決意を語られました。萩原さんが立たれて「証言しながら当時を思い浮かべていたんですよ。涙がでた。その上でぐーっと怒りがわいてきた。人間、やっぱり話してみるもんだね。表現し、そして行動していくというのが大事なんだとしみじみ思った」と勝利感をかみしめながら証言した想いを語られました。121112_13弁護団がひとりひとり思いを語られ、「市東さんの農地の取り上げに反対する会」の山口さんから、11月25日に予定されているシンポジウムへの訴えを行ったあと、事務局長の北原さんが最後のまとめの挨拶です。「先生方がそれぞれの個性をもってやってもらえた。非常によかった。とくとくと萩原事務局次長が述べたわけです。『わかったか』ということなんですね。」「いよいよ佳境に入ってきた。来年の春は闘いに入る。日本の農業が潰れるか、残るかだ。」「1戸や2戸の農民を支援している訳じゃない。世界の農民の農業のあり方についてはっきりさせるべく闘っているのだ。全力でがんばろう」と呼びかけられました。

 それぞれの写真を見ていただいておわかりいただけるだろうと思いますが、長丁場の法廷でしたが、萩原さんを先頭にほんとに頑張り、圧勝したという短い中に勝利感に満ちた報告会でした。いつも野次が飛び交う法廷ですが、この日は、みんなが萩原さんのことばを聞き漏らすまいと、必死で聞いている緊張感にみちた法廷でした。

 次回、12月10日、この日の法廷を引き継ぎ、再度萩原さんからの証言です。全力で結集しましょう。

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