明後日10・7三里塚へ全力で結集しよう
成田空港の自由化、来年離発着27万回化、2014年30万回化を掲げて、市東さんの農地強奪が図られています。こんなことがどうして許されようか。また、その実現のために市東さんの生活を根底から破壊するものでしかない第3誘導路の建設が、来春3月31日供用開始を目指して急ピッチで昼夜を分たず強行されています。市東さんの人権、営農、生活全てを奪って三里塚闘争47年の一切合財を暴力的に奪い去ろうとするこのような暴挙を許して、この国に未来などあろうはずがない。全ての力を出し切って、明後日、10月7日、三里塚現地に集まろう。
先ほど帰ってくる途中で訃報が舞い込みました。豊中で癌と闘い抜いておられた森本正三さんが亡くなられていたのです。
オフセット印刷の労働者として働いておられた森本さんは、印刷機械に右手を巻き込まれ、指のほとんどを切断される重傷を負いました。関西実行委員会には、そのオフセット労組の解雇攻撃に対する闘いの中で結集してこられたのです。闘いは勝利し、定年まで勤めてフリーになってからは、個人として、関実、三里塚に関わってこられました。自由になって猫のブログにはまっておられたようで、ちょうど関実ブログを始めた頃、「猫の合間に見ているんだ」と言いながら、いろいろと意見を言ってくれました。特に、ブログの記録をとっていないことには、大変叱られ、最初の50回から80回は既に記事を削除していたのですが、森本さんに「ペーパーぐらいにはとっておけ」と叱られて以降、現在では1117もの記事がたまっていますが(ファイルで12冊も)、これも森本さんの指摘があればこそと思っています。
党派の分裂で、私が非常に厳しい立場に立たされた中で、いくどもその現場におられたこともあり、全力で支えてくださったことを忘れることができません。また、労働組合に関わってこられたことから国鉄の5・27臨大の弾圧に対する裁判に毎回傍聴支援を続けておられたのですが、「その必要がなくなった」と、三里塚のすべての裁判に傍聴闘争に立ち上がってくださったのです。さすがの私も全てとは考えていなかっただけに、大いに反省させられ、それから関実としてすべてに傍聴に加わろうということになったのです。
しかし、その頃から長い癌との闘いが始まっていました。癌摘出の手術をされた時、もう元気になったとの知らせを聞いて見舞いに病院にいったのですが、「無駄なことをするな」と叱られました。
昨年末、松永優さんの「藍染め展」が池田であり、共通の知人であったことから、「来れれば、来て欲しい。久しぶりに会いませんか」とメールしたところ先に来て待ってくれていたのです。松永さんを交え1時間ほどの会話が出来たことが忘れられません。
しかし、今年の春、メールでご機嫌を伺ったところ「生きている」という簡単な言葉が、変換されないローマ字で届いたので、非常に心配していました。幸い「8・6ヒロシマの夕べ」の賛同に名があったので安心していたのですが、9・16三里塚集会にいつもある賛同の名が無く、心配していたのですが、その時にはもう亡くなっておられたのです。
いつも三里塚反対同盟に驚くほどのカンパをしておられただけでなく、私にもお会いするたびに5万、10万円とカンパしてくださり、その三里塚への熱い想いに感動していました。
森本さんが独り寂しく亡くなられたことを、「森本さんらしい」と自分を慰めながら、森本さんの闘いにかけた執念、篤い想いを決して無にしないよう、霊前に誓いたいと思います。10・7三里塚への結集がその何よりの手向けと念じる次第です。心より、森本さんのご冥福をお祈りいたします。
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