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2012年10月30日 (火)

耕作権裁判、白石裁判長の不当な訴訟指揮を粉砕

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 昨日10月29日、千葉地裁で耕作権裁判が開かれました。裁判の中で、NAA(成田空港会社)が、市東さんの「違法耕作」を示す最も重要な証拠として出されていた「境界確認書」「同意書」などが偽造されたものであることが反対同盟の側から示されていました。その偽造の経緯を示すNAA(あるいは空港公団)にある書類の提示を反対同盟の側は求めてきました。NAAの側はずるずると引き伸ばして出そうとしてこなかったのですが、この間の法廷で追い詰められ、ついに10点の文書を提出してきました。ところが、白石裁判長は、そのうち3点しか開示せず、他は却下したのです。事実を隠そうとしてきたNAAを擁護するものでしかないこの白石裁判長の姿勢に怒った反対同盟の側は、全ての文書を開示するよう求めて東京高裁に即時抗告申立書を提出しています。本来ならば、開廷すべきではなく、高裁の決定を待つべきであることは当然でした。

121029_2 しかし、白石裁判長は、農地裁判が最終局面を迎えているのに、それと一体の裁判として進めなければならないという「国策裁判」の縛りに追い詰められ、早期結審策動としてこの日の開廷を強行しようとしたのです。
 当然にも反対同盟弁護団は「開廷に先立って」と猛然と白石裁判長の不当な訴訟指揮を弾劾し、「農地を奪われる市東さんの気持ちがわかるか」と迫ったのです。追い詰められた白石裁判長は、合議で法廷を中断した上で、「2回の期日を入れたい」と弱々しく要請。原告NAAが「進めて問題ない」と裁判長に応えるのに対して、反対同盟弁護団は、「お前たちが事実(文書)を出そうとしないから遅れているのだし、こういう事態になっているのではないか」と声を荒らげて弾劾しました。追い詰められた白石裁判長は、顔を歪めながら「今日は法廷を開きません。期日は追って指定する」と言わざるをえませんでした。結果として、この日の裁判はなかったことになりました。

 この日の闘いは決定的に重要です。一つは、国が成田空港の自由化に向けて市東さんの農地強奪を裁判の場で行うしかなく、2014年年間離発着30万回化の「国際公約」を実現しようと、農地裁判とこの日の耕作権裁判で市東さんの農地強奪を「国策」として強行しようとしているということです。裁判の進行上の常識をも無視して開廷を強行しようとした白石裁判長の姿勢にそのことが如実に現れています。裁判は正に私たちにとって「敵の土俵」ではありますが、47年にわたる闘いによってそこにかけるしかないところに追い込まれた国の現実がこの日暴露されたのです。「民主主義・三権分立」の建前から、いかに国策裁判であろうとも、反対同盟と弁護団を先頭とした私たちの闘い次第でまだまだ何とでもなるものなのだということをこの日の闘いがしめしたのです。
 もう一つは、先日当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-ce1e.htmlでも明らかにしていることですが、いかに多見谷裁判長が不当・不法な訴訟指揮によって農地裁判を早期結審・判決へとのめりこもうが、市東さんの農地をめぐって一体のものであるこの耕作権裁判が動かないことには、その反動的な意図である農地強奪は不可能です。121029_3その点で、この日の闘いは決定的な方向を私たちに示したのです。これまでも繰り返し指摘してきましたが、裁判所を包囲するような闘いと世論を今からでも遅くはありません、組織することです。これほど理不尽な国策裁判を許すのかどうかなのです。そして成田空港自由化が、原発をめぐる福島事態、沖縄のオスプレイ配備強行、新基地建設の強制と一体の、アメリカ追随の反動的な政治であることを暴露することが今こそ重要だということです。それはTPP反対と正に一体のものなのです。

 この日の勝利によって、ますます目前に迫った11月12日、萩原進さんを証人とする法廷、12月10日、市東孝雄さんを証人とする法廷、この2つの農地裁判が決定的に重要であることが明らかになりました。この日、弁護団は2人の証言項目を裁判所に示し、2日の期日では不十分だと要請を行なっています。まず11月12日の法廷を、裁判所を包囲する熱気と闘いで、これを認めさせ、多見谷裁判長の極めて反動的な訴訟指揮を粉砕する道をこじ開けることが必要です。みなさん。11月12日、農地裁判に全力で決起しよう。

 写真はいずれもこの日の法廷後の報告会でのものです。

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2012年10月26日 (金)

耕作権裁判(10月29日)の傍聴を

Photo 市東さんの農地をめぐる「耕作権裁判」が、10月29日(月)午前10時半から千葉地裁601号法廷で開かれます。(傍聴券発行の関係で、傍聴される方は開廷の40分前までに千葉地裁1階ロビーにおいでください)。

 この耕作権裁判は、空港会社が、南台の農地の一部(右写真のC部分とA部分の左側)の市東さんの耕作が、地主に無断の不法耕作だとして返却を求め、農地裁判に先駆けて起こした裁判です。
 すでに繰り返し明らかにしているように、「不法耕作」はまったくのデタラメな言いがかりでしかありません。そもそも、先立って行われた農業委員会への空港会社による耕作権解除申請でまったく誤った畑の位置の特定(右写真)を行なったことを開き直り、強弁するために起こされた裁判です。裁判が開かれ続けていること自体が、千葉地裁の「国策裁判」強行の姿勢によるものでしかありません。

 「市東さんの会」のブログによれば、裁判所(白石裁判長)が文書提出命令を出しながら、空港会社が出してきた文書の開示を「裁判所が見てから決める」としてすべて開示することを拒否しているというのです。市東さんと弁護団は、このことに抗議しすべての文書を開示するよう求めて抗告をおこなっています。ところが、白石裁判長がそれを無視して29日に開廷を強行しようとしているのです。

 先に書いたように裁判が開かれること自体が問題なのですが、今、千葉地裁は総体として「国策裁判」として、市東さんの農地を民事裁判で強奪しようとしています。それは多見谷裁判長が指揮して農地裁判の結審・判決強行への流れとなって襲いかかってきています。白石裁判長は、この流れを前提に、一気にこの耕作権裁判も農地裁判と共に早期結審への流れを作ろうとしているのです。

 その原因は、アメリカ政府の意思により日米航空協定で成田空港の2013年自由化、2014年には年間離発着30万回を実現しようとしているからです。このことを実現するには、来春3月31日の第3誘導路供用開始とともに、市東さんの農地を来年中に強奪し、「へ」の字誘導路問題の解消を強行したいからにほかなりません。

 市東さんの生活と営農を破壊するこのような攻撃が、空港周辺住民の生活と環境を破壊するこのような攻撃が、民事裁判で、しかも農地を守るべき農地法をもちいて行われるなどという不正義をどうして許せるでしょうか。また、そのことを強行するために様々な虚偽と不法を重ね、しかも冒頭に明らかにしたような「不法耕作」なるまったくデタラメな言いがかりで裁判が行われていることに、今こそ怒りを露わにして、白石裁判長を、千葉地裁を、空港会社を、国を弾劾しましょう。

 10月29日、千葉地裁に行こう!

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2012年10月25日 (木)

大阪市役所横の監視テントを「在特会」が襲撃

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 大阪市の放射能汚染ガレキ焼却方針に抗議して大阪市役所横には、「監視テント」がついに13張り。いろいろなバナーやポスターも広がっています。

 これに対して「在特会」が襲撃予告を一昨日明らかにしたのです。一昨日の夜、そのことをメールで知った人々が、昨日昼過ぎ、続々と「監視テント」を守ろうと集まって来られました。京大6人衆の海老沢先生をはじめ趙博さん、山本太郎さんなど関西各地からなんと130人も。121024_2昼時も重なり、一帯は時ならぬ賑わいに。そのうち「はちようび」のみなさんを中心にジャンベの演奏。それに趙さんも加わり、周りで踊りだす人も何人か。「来れるのかなぁ~」という雰囲気。

 天満署の前に集合した「在特会」10人ほどが、天満署の警察官を従えて移動を始めた模様という連絡。ほどなく3人ほどが逆の淀屋橋の方から闖入。ただちに始まった「在特会帰れ!」「排外主義を許さないぞ!」の周りからのシュプレヒコールに、トラメガを抱きかかえながら彼らお得意の罵詈雑言は一切できず、ただただカメラを構えて挑発するだけです。その内、一人の若い女性が立てかけられていた自転車に当り倒したのです。121024_3そのはずみでその女性は仰向けにひっくり返りました。彼女は、カメラを構えたまま起き上がろうともせず、駆けつけて周りを取り囲んだ警察官に促されて立ち上がりました(左写真)。それでもカメラを手放しません。同時に左手は、頭に当てたまま。???要するに彼女は、西宮や大津などでもあったように「傷害罪」でもデッチ上げようとしているのでしょうか。写真右のトラメガを持っている男も在特会です。
 警察に護られてその場を離れ、市立図書館のところで他の在特会と一緒になって警察に誘導されて離れていきます。121024_4天満署は、確認しようとする私たちを、なんと手をつないで「通せんぼ」です(右写真)。私はなんとか抜け出したのですが、2人の警察官が追ってきて、中に戻されました。
 驚いたことに、しばらくして10人ほどの天満署の私服刑事が来て、女性が転んだことについての「事情聴取」とやらをやろうとします(左写真)。121024_5「『転び公妨』の次は『傷害』のデッチ上げか」と怒りが。「お前らは傍にいたんだろうが」などとのみなさんの怒りの声にすごすごと帰っていきます。

 いろいろなみなさんが、突然の知らせだったにもかかわらず、130人も集まってくださり、在特会、警察に一指たりとも触らせなかったのです。「脱原発」「ガレキの広域処理反対」がうねりとなっていることが明確に示された一日でした。

 なんと在特会は、10人くらいで20人ほどの天満署の警察官に護られて、この日、午後7時半頃、みなさんが帰られたスキを狙って再び襲撃をかけてきたのです。30分ほどでその卑劣な策動を粉砕された彼らは、「28日にまた来るぞ!」と捨て台詞を残していきました。28日に彼らはデモをして襲撃をかけるつもりのようです。

 みんなの力で『監視テント』を守り抜きましょう!

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2012年10月24日 (水)

暴力的な騒音、空港・第三誘導路の違法性を暴露

121023 20121023日、千葉地方裁判所民事3部において、第三誘導路許可処分取消の第8回口頭弁論が行われました。前回(717)の裁判では、「住民の権利を著しく侵害してはならない」と定めた航空法や国際民間航空条約に違反している問題を追及。本日の裁判では「航空機騒音環境基準違反」と「成田市公害防止条例違反」となっている成田空港の実態を書面で陳述し、国とNAAの問題点を徹底的に明らかにしました。
 
暴力的な騒音実態を追及
 
一瀬弁護士は「国が定めた航空機騒音基準で住宅地について「W70以下」となっているのに、まったく守られていない実態を指摘。NAAの固定測定局が60あるが30の局において基準値をオーバーしている。このような違法状態を無視して第三誘導路建設が許可された。当然にも許可を取り消すべきだ。」と陳述。
 
また成田市公害防止条例違反の実態を明らかにするため、成田市議会足立満知子議員らが暫定滑走路敷地境界周辺の6か所で騒音測定を行った調査報告書にもとづき、一瀬弁護士が陳述しました。この条例の基準では朝夕が55デシベル、夜間は50デシベルと定めているのに、調査では基準をはるかに超えていることが分かりました。この点でも違法性を裁判で明らかにしてゆきます。
 
このように、成田空港が甚大な騒音をまきちらし、何ら改善もされずに放置している違法は許せません。さらに第三誘導路建設によって市東孝雄さんのすぐ脇をジェット機が通過して殺人的な騒音をたたきつける、まさに国家の暴力行為そのものであり断じて認められません。
 
この日陳述したことに対する認否や求釈明の書面提出について裁判所と原告、被告のやりとりがあり、次回の口頭弁論期日を219日午前1030分と決めて閉廷しました。
「生きるために闘う」
 
報告会の冒頭あいさつに立った北原事務局長は「市東さんは昼夜わかたぬ激烈な騒音に囲まれている。人道上許せないことだ。供用が来年春にも強行される危険がある。生きるために闘う、この信念を貫きたい」と宣言。このあと弁護士全員がひとことずつ決意を述べ「ほかの裁判も含め、いよいよ正念場。特に萩原さん、市東さんが証人として出廷する農地裁判は決戦局面で重要だ」と弁護団より決意が述べられました。
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支援グループでのあいさつに立った安藤から「来春決戦の324日全国集会に関西からも大結集するために、317日三里塚関西集会を内定しました。また、本日の裁判で問題となっている航空機騒音基準は、来年の4月から国際基準のLdenに変更となり、W値よりも厳しくなるので、成田空港の違法性が益々明らかになります。共に闘いましょう」との報告をしました。
 
最後に、萩原事務局次長から「北側大臣からの書簡では、話し合いで用地取得すると約束しておきながら国はデタラメなことをやり続けている。共に闘おう」と怒りのあいさつがありました。
             
報告 事務局次長 安藤眞一

 

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2012年10月23日 (火)

好天にめぐまれた芋掘り大会

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 10月21日、雲ひとつない晴天のもと、先日、全国集会が開かれた東峰の萩原さんの畑で、芋掘り大会(上写真)が開かれました。121021_2福島の田村市の仮設から20人のみなさん、関西から「はちようび」のみなさんはじめ7人などを含めて消費者、生産者あわせて150人の賑やかなイベントになりました。

 先ずは、萩原さんのお宅に集合して、富夫さんの先導・説明での畑見学です。

 121021_3ピーマンの畑や落花生の畑では、収穫残りのものを獲ってもいいですよということで、みなさん、富夫さんの説明も上の空で、必死で畑にはいります。子どもたちが大はしゃぎです。

 それから芋ほり会場の清水の畑に移動です。

121021_5 まずは、芋ほり。みなさん、あっというまに大変な量の芋をゲット。1キロ、200円で、多い方は50キロも。後で、多く買った方には商品。関西から行ったKさんも16キロでしっかり4位の商品をゲット。右写真は、「取れたァ~」と大はしゃぎのはちようびのみなさん。

121021_15芋掘りが進む中で、食事の準備の仕上げが進んでいます。左写真は、美味しい野菜のおかずのいろいろを並べている鈴木加代子さんをはじめとした女性のみなさん。この横では具沢山の汁が大きな鍋で・・・。芋掘りを終えて、にぎやかに昼食がはじまりました。天気がいい木立ちの中でほんとに気持ちがいい。

 121021_7その内に、子どもたちのトラクター遊びが始まります。最後には、大人たちも歓声をあげて楽しんでいます。右写真の乗っているのは、萩原進さんのお孫さんたちです。

121021_16さあ、ゲームがはじまります。先ずは左写真。何をしていると思います。ほんとに柔らかい土の中に埋められた「宝探し」です。1等は、山で採れた自然薯です。みなさん必死です。

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「文字合わせ」「綱引き」、そして出荷作業を体験してもらおうとゲームも。萩原さんの提案だそうです。右写真は、里芋の出荷のための作業を萩原さんと市東さんが実演です。

 忙しい中で、これだけのゲームを毎年いろいろ工夫して準備をされるのは大変だろうなと感心。

121021_10 恒例の「でっかい賞」と「長いで賞」のコンテストも。左写真は「でっかい賞」の1位から3位です。

 最後は全員に「参加賞」。私は、加代子さんが3日前から準備して作った「生こんにゃく」でした。生のまま生姜醤油につけて食べたら美味しい。

 121021_13最後に、福島からこられたお二人、消費者の代表、市東さんの会などから挨拶を受けた後、萩原富夫さん、鈴木加代子さん、市東孝雄さん、萩原進さんと生産者の挨拶が続きます。121021_12市東さんの農地裁判が重要な局面にあり、三里塚の闘いが非常に重大な決戦段階を迎えたこともあって、消費者のみなさんに生産者として語られるいつもとはちがって、4人が、今の闘いへの想い、訴えをされていたのが印象的でした。121021_14

 私たち関西から来た7人のうち4人は三里塚が初めて。2人も1回から数回。まだ明るいということで、この日は市東さんのお宅の前にある2つの監視台に登って、第3誘導路工事の状況や、東峰神社の立木が上に伸びてきている様子などを見ながら、私が説明。

 この日は、現地の支援の小屋に泊めてもらって、翌日、朝から現地調査を行いました。先ずは萩原進さんを訪ね、1時間ほど福島の問題や、萩原さんの畑の放射能の問題などについてお話しを伺いました。それから東峰十字路、開拓道路、東峰神社、東峰部落のお墓、市東さん宅の向かいにある開拓道路などを見てから、横堀の小屋に。いつきてもここは、三里塚の闘いの大きさを感じさせられます。それから菱田の砦に行って、加代子さんのお話しを聞きながら昼食。そして岩山記念館を訪ねて、帰途につきました。2日間、非常に天気に恵まれ、関西の仲間同士の楽しい交流もしっかりできて、充実した2日間でした。

 121021_17反対同盟をはじめ、お世話いただいたみなさん。本当にありがとうございました。

 この日、鈴木加代子さんが育てた巨大冬瓜が福島の皆さんのお土産に。実に1個が25キロです。

 私たちも、加代子さんのところを訪ねた折に、「持って帰れ」と言われて、恐る恐るもって帰りましたが、さて、どうするか?

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2012年10月20日 (土)

今週の産直野菜(10月20日)

121020 産直野菜が今とどきました。

 里芋、ター菜、玉ねぎ、間引き大根、かぶ、冬瓜、長ねぎ 以上7品です。昨日の集荷前後が雨だったのか、直前集荷の4品は泥だらけ。軽く水洗いをして化粧直しをしてからの記念写真です。

 今から集会にでかけ、そのあと自動車を借りに行って、明日の三里塚での芋掘り大会に参加するために出かける態勢に入ります。そんなこんなで、野菜を触れるのは火曜日以降。

 明日の芋掘り大会は、久しぶりに晴天の模様。関西からも三里塚が初めての人がほとんどで、8人。外に東京からも3人の友人が参加。福島の田村市からも仮設のみなさんを中心に20人近くがこられるとか。いつもの消費者のみなさんに加えてですから、明日は賑やかなことになりそうですね。

 私たち8人は、現地に一泊して現地調査を行います。今から楽しみです。

 121017体調が今ひとつだったので、今日からのこともあり、昨日のアメリカ領事館への抗議と申し入れ行動、そして関電包囲行動などはお休みしました。集まられたみなさんスミマセン。放射能汚染ガレキの焼却に反対している市役所横の監視テントにもしばらく行けません。みなさん。少しの時間でも訪ねてみて下さい。11月の「焼却テスト」を許すな! 11・11行動に起とう! 右写真は、市役所南の道路に並ぶ監視テントです(10月17日撮影)。白い建物が大阪市役所です。

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2012年10月19日 (金)

第3誘導路許可処分取り消し裁判を傍聴しよう

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 2013年の離発着27万回化実現のため、来春3月31日供用開始に向けて第3誘導路工事が急ピッチで進む中(上写真は、10月6日、小見川県道上の工事部分)、その許可処分取消を求めた裁判の第8回口頭弁論が、10月23日(火)午前10時半から千葉地裁601号法廷で開かれます。

 国・国交省は、アメリカ政府による圧力のもと成田空港の自由化に大きく舵を切り、すでに19ヶ国を超える2国間協定を結んでいます。その大前提が第3誘導路の供用開始、離発着27万回化の実現です。
 しかし、その第3誘導路建設のための環境影響評価が市東孝雄さんが住んでいない、存在しないことを前提とするデタラメ極まりないものであることが明らかとなっています。こうした国・国交省の姿勢によって強行される成田空港の自由化は、市東さんだけでなく、空港の暫定滑走路北側の成田市住民と滑走路南側の芝山町住民に騒音被害をはじめとした生活・環境破壊を必ず引き起こすものとなります。これは、福島の原発事故被害、沖縄のオスプレイ配備、米軍による女性強姦に見られる住民無視・犠牲に連なる「国策」強要による住民への犠牲の押しつけです。断じて許されません。

 裁判では、一方での工事の進捗という現実を背景に、裁判で国・空港会社は、反対同盟と弁護団(原告)の要求する求釈明にまともに答えようとせず、裁判が進まないという状況が起こっています。これ自体が、農地裁判での早期結審・判決策動を強め、先日の「ビデオリンク方式」という証人隠しを強行したその張本人多見谷裁判長によって守られているのですから本当に許せません。

 傍聴闘争によってこの多見谷裁判長と被告・国、空港会社の犯罪を許さず弾劾しなければなりません。

 10月23日(火)午前10時半開廷(傍聴券配布の関係で、その30分前までに裁判所一階ロビーに)に結集しよう。

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2012年10月16日 (火)

10月15日 農地裁判を闘い抜く

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 昨日、10月15日、千葉地裁で農地裁判が開かれました。多見谷裁判長に対する裁判官忌避が最高裁で闘われている中で、石指証人をビデオリンク方式で召喚するという異常な形でこの日の法廷が開かれました。
 冒頭、多見谷裁判長の制止を振り切って、弁護団からビデオリンク方式への弾劾と忌避が最高裁で結論が出ていない中での開廷に対する批判がされました。

 121015_2始めてみるとテレビの映像がしばらく映らない。「証人を神戸から呼べ」などの傍聴席からの野次の中、やっと映ったものの、神戸にいる石指に示した書類が、全体を移すと何のことだか分からず、書記官が慌てて部分を映そうと必死にパソコンを操作。しかし、大きく3行ぐらいを映すと今度は何の書類だか全体がわからないという始末。
 他方、神戸からの石指の映像が小さすぎて、表情など到底わからない。傍聴席からの抗議と野次で、裁判所は必死で映像を大きくしようとしている。何とか画面いっぱいに映ったものの、尋問に対するほんとの表情がわからない。
 これこそ「証人隠し」だと、傍聴席の怒りが高まる中で、4、5人に退廷命令が乱発される。神戸から傍聴に駆けつけた仲間から思わず「神戸から遠くなんかないぞ」と野次が。

 121015_3石指証人への追求の中で、当時の国交省の中に暫定滑走路の北延伸を強行するけれども、市東さんからの農地取り上げについて全くの無感覚でしかなかったことが暴露された。にもかかわらず、石指は繰り返し「話し合いをしています」と強調するのだ。市東さんは、これに対して報告会の中で「権力は力で押さえつけながら、『話し合いをしています』と人をまるで馬鹿にしたような言い方で、本当に許せません。怒りを超えてあきれた」と語られた。

 多見谷裁判長は、神戸に呼んでいる石指を気遣ってか、神戸地方裁判所への遠慮か、5時には終わろうと必死になるが、結局5時半まで、予定を1時間も超えて4時間の裁判となった。しかし、この辺に多見谷が、形式的に片付けて結審、来春判決へと突き進もうとしている意志(「衣の下の鎧」)が丸見えだ。121015_4弁護団からの萩原、市東お二人への証人尋問にもう一日欲しいという要望や、鎌倉さん、元永さんの新たな証人申請を聞き流し、2月4日に最終準備書面(結審)と露骨に結審・判決策動への意志をあらわにする。こんなことが許されるか。
 報告会の最後に萩原進さんは、市東さんへの攻撃の厳しさを明らかにされ、「もっともっと危機感をもって欲しい」「支援それぞれの中で、もう一度闘い方や動員ということについて点検して欲しい」と訴えられた。

121015_5 この日、裁判に先立って裁判所近くの千葉市中央公園で萩原富夫さんが司会をして集会が行われ(最初の写真)、北原事務局長の挨拶の後、動労千葉、関西実行委員会、群馬の市東さんの会から連帯挨拶が行われて、裁判所までのデモを行いました。

 また、この時間、石指証人が出廷した神戸地裁前で、関西実行委員会は15人ほどで、ビラまきと抗議行動を行いました。

 次回の農地裁判は、11月12日(月)午後1時半から、萩原進さんの証言です。また、12月10日(月)午後1時半から、市東孝雄さんの証言です。(1回、法廷をとれという要求が出されていますが)

 さらに10月23日(火)午前10時半から、第3誘導路裁判。
     10月29日(月)午前10時半から、耕作権裁判。
     12月18日(火)午前10時半から、団結街道裁判が入っています。

 傍聴に駆けつけよう。121015_6

 

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2012年10月13日 (土)

今週の産直野菜 (10月14日)

121014 今週の産直野菜が、先ほど届きました。

 じゃが芋、里芋、赤唐辛子(鷹の爪)、水菜、カブ、かぼちゃ、なす 以上7品です。『野菜だより』には、さつま芋となっているのですが、里芋が入っていました。現地は、夏は暑すぎて雨がなく、秋に入ると台風と雨にたたられたもよう。有機栽培で露地栽培の難しさですね。

 今週は、土曜日に沖縄の知花昌一さんを交えた現地調査と反対同盟との交流会。日曜日は全国集会。月曜には「怒りネット」のみなさん9人の現地調査のお手伝いと、三里塚漬けになりました。12108

 一番最後には、突然お邪魔したにも関わらず、北原事務局長が愛犬の「こうちゃん」との散歩をしておられた三里塚第2公園で、夕陽の中、気持ちのいい交流ができました。北原さんから、簡潔でしたが「障害」者のみなさんへの共に闘う想いと励ましのことばをお聴きすることができました。体調を崩された萩原さんの分まで前日奮闘された疲れも見せず力強い北原さんの言葉に、私も皆さんも大いに励まされ、帰途につきました。

 さあ、明後日は重要な局面を迎えた農地裁判です。石指証人の「テレビ会議」による「証人隠し」を許さず、闘いましょう。
 15日、午前11時40分、千葉市中央公園に集まろう。

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2012年10月12日 (金)

大阪市役所横にガレキ焼却に抗議してテント

 関電前の包囲行動に来たら、「テントが立ったよ」と声が、「どこに?」と聞くと、大阪市役所の南西角に。駆けつけました。なんと4張のテントが立派に。

 今、そのテントでこれを書いています。来るなり、大阪市の建設局とついてきた天満署の警察官が「通行人の邪魔になります」「撤去してください」と迫ってくる。「邪魔より、瓦礫によって命の問題になるほうが大事だろう」としばらくやり取り。結局、「撤去してください」と捨て台詞を残して帰りました。
 今、ランプの下で、10人ほどで歓談しています。ここから歩いて数分のところの関電前では今大いに盛り上がっている頃です。今日は早く終えて、ここを通ってみんなで5日の不当逮捕に対して、このすぐそばの天満署に抗議に行くそうですから、最後はここで盛り上がるでしょう。
 準備した皆さんが声明を発しています。
橋下徹市長 ガレキ焼却やめろ!
 
 
  原発再稼働反対監視テントは、本日、10月12日に大阪市役所横にテントを設置し、大阪市長橋下徹の監視行動を開始した。
 大阪市で行われようとしている放射能汚染ガレキは、脱、反原発運動大きな転換点である。
 現在、全国各地で行われようとしている放射能汚染ガレキの焼却は、被ばくを全国に拡散させることになる。この被ばくの拡散は、福島第一原発過酷事故を引き起こした日本政府の責任を曖昧にし、安全神話の復活を意味する。また、ガレキ処理にからむ利権政治を押し進め、復興のための資金を食いものにするばかりか、被ばく意識の低下は、すでにずさんな被曝線管理のもとで行われている福島第一原発の収束作業を進める労働者、原発労働者ををさらに危険にさらすことになるのである。そして、東北、関東から被ばくを避けるため、必死の思いでの避難を無意味なものとし、今、フクシマでたたかわれている被ばくからの避難の権利を貶めることになる。
 9月17日、北九州市で放射能汚染ガレキの本焼却がはじまった。これは、全国での放射能汚染ガレキ焼却を策動する日本政府が、布石として行ったものであり、大阪でのガレキ処理を許せば、なし崩し的に全国でガレキ焼却が進むのは、火を見るより明らかである。
 東北、関東が、今現在も被ばくが進む中、11・11に100万人行動が呼びかけられ、大飯原発を止めろの声が叫ばれ続けている、私たちが、これに連帯することは、当然である。しかし、まだ被ばくしていない関西圏、西日本の果たすべき役割は、被ばくをこれ以上拡散させないことである。
 このたたかいは、地域エゴなどという批判を受け付ける余地は全くない。なぜなら、震災ガレキの広域処理の必要性がないことは、さまざまな知見から明白であり、阪神淡路大震災のガレキ処理においても広域処理は一部行われたものの、全国で焼却されることはなかったものである。
 フクシマの痛みを分かちあう、それは、無意味な被ばくを受け入れることではない。むしろ、被ばくを断固避けることだ。避難の権利と補償を勝ち取るたたかいに連帯し、ともにたたかうことだ。
 原発再稼働反対監視テントは、大阪市の放射能汚染ガレキの焼却処分を、脱・反原発運動の一大転換点と位置づけ、「大阪決戦」をよびかける。
 
                     原発再稼働反対監視テント

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2012年10月11日 (木)

大飯弾圧・不当起訴弾劾!

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 昨日午後5時、「6・30~7・2オキュパイ大飯の乱」への不当なデッチ上げ弾圧によって逮捕されていたKさんに対して、検察が起訴したと担当の笠原弁護士に連絡がありました。断じて許されません。

 「再稼働反対」「すべての原発を廃炉に」の声の高まりと大衆的な抗議行動の広がりに恐怖した国家権力と関西電力は、先週金曜日、関電を包囲した抗議行動の中で、「転び公妨」をデッチ上げ、Mさんを不当にも逮捕しました。

 このKさんへの起訴、Mさんの不当逮捕は同じ問題です。
 国の原子力政策に抗議する人々が、かってない広がりを持って生まれています。東京の首相官邸前や東電前、そして大阪の関電前で始まった抗議の行動は、今や毎週、全国100ヶ所での行動にまでに広がり、新たに「放射能ガレキの広域処理」反対の声の全国的な広がりと重なって、日本で今まで経験したことのない規模にうねろうとしています。マスコミも無視できないように、そのうねりは、小さな子どもさんを連れたお母さんたちや、「政治に無関心」と言われた若い人たちが誰に言われるのでなく、自らの意志で声を上げ、行動しています。「いのちの問題や」と。
 このことに恐怖した国家権力と電力会社、わけても「大飯再稼働に続いて、高浜も」と驕り高ぶる関西電力は、こうしたうねりをつぶそうと、これまで住民運動などを破壊してきた常套手段である「過激派キャンペーン」で闘いに分断を持ち込もうとしているのです。警察権力への恐怖感を根拠にしながら。
 こんな姑息なやりかたを私たちは断じて許してはなりません。

 みなさん。福井県警・検察によるKさんへの大飯の弾圧、起訴攻撃をはね返していきましょう。大阪府警によるMさんへの不当逮捕攻撃をはね返しましょう。
 大飯弾圧へのご支援、とりわけカンパをお願いします。詳しくは「大飯弾圧救援」のブログhttp://oikyuen.blog.fc2.com/をご覧ください。

 最初の写真は、原発再稼働反対テント発行の『オキュパイ大飯の乱』よりお借りしました。

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2012年10月10日 (水)

10・15千葉地裁での農地裁判に結集を!

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 今回、現地に行ってこの7月からも様変わりしていることに驚かされました。上の写真は、市東さんのお宅の監視台から北側に団結街道に沿って見た写真です。12108_3空港(暫定滑走路)との境界にあったフェンスが全て取り払われ、第3誘導路が現在の誘導路と接合する部分の工事が進んでいることがわかります。右写真は、その一部を少し拡大したものですが、正面のフェンスが南台の畑に接して新たに作られたものです。そしてこの写真の右手の白い部分とトラックの上のかすかに見える白い部分の間が、南台の畑が強奪された時に「へ」の字部分を解消し、誘導路を直線化させ、左写真の白い部分が繋がるところのようです。最初の写真の右手の道路の上側にトラックが3台停められていますが、Photo左写真の中央下側の白い誘導路(本来の)中央部分に停っているのです。またそのトラックの中に変なものが立っていますが、かって航空機の安全のために離陸や着陸する航空機があると、誘導路を自走して進んでいる航空機を停止させるための信号機で、なぜか今は「大丈夫」として使われていません。また、右下写真は、同じ監視台から正面(西側)を見たもので、小見川県道のトンネルの上の誘導路の基礎工事が終わっていることがわかります。12106この上にさらに誘導路の表面の舗装をする準備が進んでいます。全体として来年3月31日供用開始、年間離発着を27万回(今の22%増)にする準備が進んでいます。

 先日の9・16集会で萩原さんが、「市東さんの家が空港の中に埋まってしまう」と言われた現実が、物質力をもって進んでいます。永井さんが先日の10・7集会で、「言葉を失う」この現実の中で淡々と営農を続けられている市東さんの現実の凄さを語られ、「私たちは何ができるか」と言われました。

 今こそ、私たちは現下の「戦場」となっている農地裁判に全力を投入し、裁判所を包囲し、多見谷裁判長と千葉地裁が、法務省が国策裁判として進めようとしていることを阻止する闘いを実現することが必要ではないでしょうか。そのうねりの実現の中から世論に訴え、第3誘導路の市東さんへの生活破壊、人権蹂躙を暴露して、第3誘導路を止めさせることが必要ではないでしょうか。「裁判の敗北」を予定調和のように言う発言が、10・7集会でも散見されていましたが、それは明らかに間違いです。三里塚闘争が47年の闘いの中で貫いてきた実力闘争、不屈非妥協の闘いとは、「国策」を振りかざし、裁判をもって「土地収用法」に代わらせようとする無法を粉砕することではないのでしょうか。

 とりわけ目前に迫った10月15日の裁判の証人は、暫定滑走路の北延伸を決定した当時の国交省の責任者(成田空港課長)石指雅啓ではないか。しかも裁判所・多見谷裁判長は、この証人を護るために許し難いテレビ会議での証人尋問を強行するのではないか。こんな露骨な証人隠しを強行して、何がなんでも市東さんの農地強奪に裁判を進めようとすることを許すのかなのです。全力での10月15日、農地裁判への結集を訴えます。
 反対同盟は、この日の法廷の重要さから、先立つ午前11時40分から、裁判所近くの千葉市中央公園(千葉パルコ前)で集会を行い、千葉地裁を包囲するデモを呼びかけています。11時40分からの集会、そして13時30分からの法廷に、千葉地裁を包囲する人垣を実現して闘いぬこうではありませんか。

 なお、関西実行委員会は、千葉に全力で決起すると共に、この闘いに呼応し、この10月15日、証人石指がコソコソと神戸地裁での「テレビ会議」に参加することに抗議し、石指の暫定滑走路北延伸・市東さんへの農地強奪攻撃の犯罪を糾弾するビラまき宣伝活動を、神戸地裁前で行います。正午、神戸地裁前に集合しよう!

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2012年10月 9日 (火)

10・7三里塚全国総決起集会に970名

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 10月7日、時折小雨が降る中で、三里塚反対同盟が主催する全国総決起集会が970名の結集で開かれました。前夜からの雨が降り続いていただけに足許を心配しましたが、驚くほどの畑の水はけで大丈夫でした。

 萩原富夫さんと宮本麻子さんの司会で、正午定刻に集会が始まります。96歳と感じさせない決意を込めた森田恒一さんの迫力あふれる開会挨拶に続いて、北原鉱治反対同盟事務局長が、主催者挨拶を兼ねこの日体調を崩されて出席できなかった萩原進反対同盟事務局次長に代わって、ほんとに久し振りの基調提起を行いました。
 12107_2北原さんは、国家権力、国策と闘い続けてきた47年間であったと始められた。そして国には国民のことなど頭にもないことを糾弾された。自らの軍隊生活などから「領土問題」で揺れ動く政治を批判された。未来を創るために三里塚が闘い抜かれてきたと。目の前にある空港を指し示し、みんなのものである山野を、誰がこうしたのかと糾弾された。市東さんに国が矢を突きつけているとし、それへの闘いを呼びかけられた。「声あるものは声を、勇気あるものは勇気を」と。そして農業を変えるTPPを批判した。そして「他力本願ではだめだ」として、一人ひとりが生きるために闘い抜くことを呼びかけた。
12107_3 市東孝雄さんは、「市東さんの農地取り上げに反対する会」のみなさんと一緒に登壇され、決意を語られました。市東さんは、第3誘導路の建設と農地裁判がデタラメな裁判所ぐるみの攻撃が日々行われていることに「はらわたが煮えくり返る」と弾劾された。また、先祖から譲られた土地で営農を続けることが何が問題があるのだ、「ふざけるんじゃない」と言いたいと怒りを語られた。そして沖縄、福島の闘いに触れ、あれだけの民衆が集まるのと同じようにこの三里塚で3千、4千の人々がまた再び集まるようにしたい。デタラメな空港を完全に潰すまで頑張ると語られました。

 集会には沖縄から知花昌一さんが、福島からは果樹農家の大内孝さん、椎名千恵子さんなどが駆けつけ連帯の想いを語られました。
 12107_4オスプレイが12機配備された中で闘い抜いてこられた知花さんは、前日、市東さんの家の周辺の状況、横堀の小屋などを視察してきた感想として「空港の中に幾つもの楔が打ち込まれている」と語り、47年間も凄い闘いが行われてきたと改めて実感することができたと。そして社会の矛盾に向き合えば、自然とこうした闘いになるんだと。その上で、9月27日からの世界で一番危険なオスプレイを世界で一番危険な普天間基地に配備することに反対して基地の入口を封鎖して闘い抜いてきていることを報告されました。29日まで普天間基地は機能が停止したと。30日、機動隊による強制排除が強行され、オスプレイの強行配備が行われたと。9・9県民集会、全市町村の首長が反対していることをこの国は無視すると。4度にわたる県民集会に何一つ応えない国。これに対し「想定外」の闘い、基地に突入するのだという声が起こっていると。諦めてはいない。三里塚のように実力でやるしかないと。オスプレイを阻止し、沖縄を基地から解放すると。「三里塚の闘いこそ私たちの先生です」と。そして集会参加者に共に戦ってくれるよう訴えられた。
 福島から先ず大内さんが、2年目の収穫期を迎えて頑張っていることを明らかにされた上で、放射能汚染の中での栽培方法が県の農業試験の中で取り上げられ、十分な放射能制限効果があることが新聞等で発表されたことを報告された。12107_6しかし、闘いはこれからだと。山下をはじめ県の方針は「余計なことをするな」であり断じて許されないと。そして「私たちは勝ちたいからここに来ます」と三里塚への想いを決意と共に語られました。
 住民団体の最初に発言された「子どもたちを守る福島ネットワーク」の椎名さんは、「今回、誘われることなく自ら来ました」と語り始められた。先ほど大内さんが明らかにした行政の姿勢の中で、子どもたちは日々悩み、お母さんたちも不安ですと。そして国や行政による数字の操作による開き直り、「ならされた数字」の虚構を弾劾されました。また「福島に来てください」「福島は安全」キャンペーンを弾劾された。前回3月に来た帰りに市東さんの家の周辺の様子に「国家権力と闘う」ことを実感したと明らかにされ、「こここそ国家権力と闘う現場だ」とともに闘う決意を表明されたのです。

 12107_7三里塚、沖縄、福島からのこうした発言に応え、関西からは永井満関実代表世話人、山本善偉世話人が登壇されました。お二人は、知花さんとともに前日、現地調査で激しい攻撃の最中にある様子を自ら確かめての発言でした。
 永井さんは、どんなことがあっても市東さんを守り抜かねばならないと改めて思い定めたと。40年以上反対同盟とともに歩んできたことを振り返りながら、改めてあの時のような闘いを実現しようと。9・16関西での農業問題についての論議に触れながら全国の農業を中心として三里塚を闘い抜こうと。
 12107_8山本さんは、「3月とまるで様子が違っている」、それでも反対同盟は闘い抜いていると。3・11事故の「収束宣言」や大飯再稼働を弾劾し、関西で一昨日三里塚を共に闘う仲間が関電前の抗議行動の中で不当逮捕されたことを紹介し、「再び戦争をする国」にならないように、沖縄、反原発の闘いで満ち溢れる怒りを一つにすることだ。そのためには三里塚に学び闘い抜くことだと訴え、「92歳になって、こうやって皆さんに訴えることができることを誇りに思う」とされました。

 その他に、動労千葉の田中康宏委員長による特別報告、市東さんの農地取り上げに反対する会のみなさん、大内さんを始めとした全国農民会議のみなさん、反対同盟顧問弁護団のみなさんからの挨拶が続きました。12107_9婦人行動隊の鈴木さん、木内さんからのカンパアピールの後、住民団体、共闘団体の発言がありました。最後に集会宣言(「12.10.7集会宣言.pdf」をダウンロード)・スローガン採択、そして団結ガンバローをやって、さあ、デモに出発です。

 反対同盟を先頭に、デモは集会場から東峰神社に出て、東峰部落の中から市東さんの御宅の前、そして第3誘導路の下を通るトンネルを通り、建設中の第3誘導路に怒りのシュプレヒコールを叩きつけながら市東さんの南台の畑までです。12107_13

 市東さんの会の山口事務局長が訴えたように、この日の最大の方針は、目前に迫った10・15の農地裁判で、テレビ会議による証人尋問を強行した多見谷裁判長への弾劾(神戸では、当日同時刻、神戸地裁に出廷する石指証人への弾劾行動を行います)、12107_14そして11・12、12・10と続く農地裁判に全力で結集し、裁判所を包囲して、結審・判決策動を阻止する中から、市東さんの農地を守る裁判勝利の道筋をこじ開けることです。10月15日、午前11時40分、千葉市中央公園に決起しよう!

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2012年10月 5日 (金)

明後日10・7三里塚へ全力で結集しよう

 成田空港の自由化、来年離発着27万回化、2014年30万回化を掲げて、市東さんの農地強奪が図られています。こんなことがどうして許されようか。また、その実現のために市東さんの生活を根底から破壊するものでしかない第3誘導路の建設が、来春3月31日供用開始を目指して急ピッチで昼夜を分たず強行されています。市東さんの人権、営農、生活全てを奪って三里塚闘争47年の一切合財を暴力的に奪い去ろうとするこのような暴挙を許して、この国に未来などあろうはずがない。全ての力を出し切って、明後日、10月7日、三里塚現地に集まろう。

 先ほど帰ってくる途中で訃報が舞い込みました。豊中で癌と闘い抜いておられた森本正三さんが亡くなられていたのです。
 オフセット印刷の労働者として働いておられた森本さんは、印刷機械に右手を巻き込まれ、指のほとんどを切断される重傷を負いました。関西実行委員会には、そのオフセット労組の解雇攻撃に対する闘いの中で結集してこられたのです。闘いは勝利し、定年まで勤めてフリーになってからは、個人として、関実、三里塚に関わってこられました。自由になって猫のブログにはまっておられたようで、ちょうど関実ブログを始めた頃、「猫の合間に見ているんだ」と言いながら、いろいろと意見を言ってくれました。特に、ブログの記録をとっていないことには、大変叱られ、最初の50回から80回は既に記事を削除していたのですが、森本さんに「ペーパーぐらいにはとっておけ」と叱られて以降、現在では1117もの記事がたまっていますが(ファイルで12冊も)、これも森本さんの指摘があればこそと思っています。
 党派の分裂で、私が非常に厳しい立場に立たされた中で、いくどもその現場におられたこともあり、全力で支えてくださったことを忘れることができません。また、労働組合に関わってこられたことから国鉄の5・27臨大の弾圧に対する裁判に毎回傍聴支援を続けておられたのですが、「その必要がなくなった」と、三里塚のすべての裁判に傍聴闘争に立ち上がってくださったのです。さすがの私も全てとは考えていなかっただけに、大いに反省させられ、それから関実としてすべてに傍聴に加わろうということになったのです。
 しかし、その頃から長い癌との闘いが始まっていました。癌摘出の手術をされた時、もう元気になったとの知らせを聞いて見舞いに病院にいったのですが、「無駄なことをするな」と叱られました。
 昨年末、松永優さんの「藍染め展」が池田であり、共通の知人であったことから、「来れれば、来て欲しい。久しぶりに会いませんか」とメールしたところ先に来て待ってくれていたのです。松永さんを交え1時間ほどの会話が出来たことが忘れられません。
 しかし、今年の春、メールでご機嫌を伺ったところ「生きている」という簡単な言葉が、変換されないローマ字で届いたので、非常に心配していました。幸い「8・6ヒロシマの夕べ」の賛同に名があったので安心していたのですが、9・16三里塚集会にいつもある賛同の名が無く、心配していたのですが、その時にはもう亡くなっておられたのです。
 いつも三里塚反対同盟に驚くほどのカンパをしておられただけでなく、私にもお会いするたびに5万、10万円とカンパしてくださり、その三里塚への熱い想いに感動していました。
 森本さんが独り寂しく亡くなられたことを、「森本さんらしい」と自分を慰めながら、森本さんの闘いにかけた執念、篤い想いを決して無にしないよう、霊前に誓いたいと思います。10・7三里塚への結集がその何よりの手向けと念じる次第です。心より、森本さんのご冥福をお祈りいたします。

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2012年10月 3日 (水)

「オキュパイ大飯の乱」への弾圧許すな!

12630 昨日10月2日、福井地方裁判所で、大飯原発再稼働反対を闘い抜いた『オキュパイ大飯の乱』への弾圧としてかけられた川崎さんへのデッチ上げ、不当逮捕・勾留の「勾留理由開示公判」が開かれました。

 『オキュパイ大飯の乱』とは、6月30日午後3時過ぎから、7月2日未明まで35時間にわたって大飯原発への唯一の道路である大飯原発PR館前を占拠して「大飯原発再稼働」を止めようとして闘いぬかれた闘いであった。国、関西電力はこそこそと海上から原発労働者などを運び込み再稼働は「予定通り」強行したものの、官邸包囲行動が数万人、10万人とふくれあがる中でこの『乱』が一人の逮捕者も出すことなく闘い抜かれたことに強烈な衝撃を受けていた。(『大飯の乱』については、少し長いですがhttps://fr.twitter.com/yuzulin/status/248724229971914752で映像が見られます)

 そして「再稼働反対」「すべての原発を廃炉に」「放射能ガレキの広域処理反対」のうねりが、静まるどころかますます大きくなろうとしている現状の中で、闘いのうねりを分断し、破壊しようと策動されたのが今回の川崎さんへのデッチ上げ、不当逮捕・勾留でした。「過激派キャンペーン」を背景にした「傷害罪のデッチ上げ」が警察発表を鵜呑みにしたマスコミの力を使って行われようとしているのです。

 デッチ上げられた事件は、6月30日、『乱』が開始された直後、川崎さんが発炎筒をかざし、警備員に襲い掛かり1週間の火傷を負わせたというものです。しかし、当時、すでに警察官が現場を取り囲み、「違法だ」などと襲いかかる準備をしていた最中です。『乱』を始めたみなさんは、その警察官たちに「いのちをまもるための正当な抵抗権だ」と語りかけていた中での出来事だというのです。そうならば、もしそのようなことが起こっておれば当然にも「現行犯」逮捕が行われたであろうし、なぜ、3ヶ月も経ってからの逮捕なのか。ここに、この事案のデッチ上げ性の一切があります。

 勾留理由開示公判には、『乱』を終始先頭に立ってひっぱりぬいた埼玉のUさんが22時間もかけてバイクで駆けつけたのをはじめ、『乱』前後の大飯のテント村でともに闘い抜いた仲間が、夜行バスで東京から駆けつけたのをはじめ、福井で頑張っているみなさん、滋賀、京都、大阪、神戸など老若男女30人が傍聴に駆けつけました。
 川崎さんは非常に元気に出廷し、検察の妨害や裁判官の制止をも振り切って、大飯原発再稼働の犯罪性を弾劾しました。そして勾留中の取り調べで何一つ事件に関する尋問が行われていないことを暴露して、この自らへの逮捕・勾留の不当性を糾弾しました。

 国、関西電力によって強行された今回のデッチ上げ弾圧は、彼らの『乱』への消耗感と闘いの高揚への恐怖感の表明以外の何ものでもありません。「みせしめ攻撃」のつもりなのでしょうが、川崎さんの踏ん張りと、以降の闘いの高揚がその彼らの目論見を粉砕しています。しかし、川崎さんへの長期勾留を狙ったこのような不当な弾圧を許せるはずがありません。闘いが長期に及ぶ恐れもあります。みなさんの注目と、裁判へのご支援を訴えます。

 裁判支援、カンパの送り先などについては、大飯弾圧救援のブログhttp://oikyuen.blog.fc2.com/をご覧ください。

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