「この国の農業と三里塚」の集いとデモに135人
9月16日、大阪市立中央会館ホールに135名の皆さんが集まってくださり、『この国の農業と三里塚』の集いが行われ、集会後なんばまでデモをして、道行くみなさんに三里塚を訴えました。
集会に先立って、7・8現地闘争の折の写真を使って、現地、とりわけ市東さんのお宅周辺の第3誘導路建設や団結街道の具体的な様子などを通して市東さんの農地を守る闘いが緊迫の度合いを深めていることが訴えられました。
集会の司会は、「大阪の海と空を戦争につかわせない会」の長澤民江さんです。永井満関実代表世話人から、主催者の挨拶です。永井さんは、萩原さん、村上さんのこの日のメインのお二人を紹介された上で、市東さんの家の周りで第3誘導路建設が昼夜をわかたぬ工事で強行され、農地強奪によって空港の中に家だけが取り残され追い出そうとされている決戦情勢を訴え、これを断固として迎え撃とうと立っておられる市東さんの闘いを全力で支えていきたいと訴えられました。
続いて、9・9県民集会を闘い抜いた沖縄の「市東さんの農地を守る沖縄の会」からのメッセージ(「12.9.16沖縄メッセージ.pdf」をダウンロード)が司会から代読されました。
ここで昨年3・11によって飯舘村から三重の伊賀市に避難されている村上真平さんが登壇されました。村上さんは、飯舘村には10年、その前には20年の海外協力、これらを通して農業の問題に向き合い、この社会の有り様を考えてきたと話し始められました。80年代にイラン難民、エチオピアの問題などから海外協力を考え、82年インドに行くことをきっかけに取り組むようになった。最初は貧しい人たちがいるからお手伝いをしたいと始めたが、20年の中で、「貧しい人々がいるということは、豊かすぎるモノを盗っている人々がいるからだ」「貧しい国があるのは、必要以上のものを盗っている国があるからだ」と思うようになった。開発途上国では人々が自然の中での暮らしを奪われ、山々の木がなぎ倒さ森がなくなっていったと。グローバリズムの先は人類の滅亡しかないと。生き続けていくには、自然を収奪しない農のあり方を考えたい。「勝ち組」経済のシステムによるグローバリズムが、今回の3・11の犠牲を生み出したのだと。
その考えを実践するために飯舘村に入り自然農業を軸としたくらしとそういう考えを共有するコミュニティを作りたいと活動を始められた2002年4月以来の経緯を、ほんとに綺麗な飯舘の山や畑などのスライドを交え、自然農法の様子やおくさんや「放し飼い」された子どもたちとの暮らしなどを、その折々の考えを添えて話されました。右写真は、その最後、3・11当日に棟上げができた直後のバンガロウの上に村上さんはおられた、その折の写真です。
30年前から反原発の活動に関わっていて「全電源喪失」がいかなる事態かを知っていたことから、12日午前3時、家族と一緒にいた研修生ともども飯舘村を後にされました。「飯舘にはもう帰れない」と感じながら。そして飯舘村に対して政府の情報隠しによって多くの住民が被害を受けたことを断罪された。チェルノブイリで強制移住させられ25年経ってもかえってこれない地域の4倍の値だと。そして「この国は人々の命を守ろうとしない」「彼らに力ある人間の言葉しか聞かない」と。
現在、伊賀市美杉村の池の平高原で30町歩の耕作放棄地を仲間のみなさんと畑にもどす取り組みを始められ、飯舘村で頓挫したコミュニティづくりなどを目指されています。
萩原進三里塚反対同盟事務局次長の登壇です。萩原さんは、福島では農業による食の一部を作っていくことを突然奪われ、沖縄では一番いい農地を基地に奪われ差別的な生活を今も強いられていることを冒頭話された上で、三里塚で国策、国益の名のもとに農地がコンクリートで固められたと。先ず、根は同じではないかと訴えられた。99%を死に至らしめても生き残ろうとする、民衆をだます政治の中で保身を図る、それが福島、沖縄、三里塚ではないかと。
農業高校はなくなり、1年に生まれる農業後継者が1000人にもならない、企業一社の採用にも満たない、親が胸を張って「農業をやれ」と言える状況じゃない。「100万円上げれば篤農家だ」と言われた。卵も野菜も30年前と値段は同じだ。コメは半分ですよと。「コストを下げろ」「大規模でやれ」が今の農業政策だ。そんなことやったってダメなんだと。自然淘汰され、なくなっていく。
その結果、TPPだとか、工場野菜だとか、安いもので食料確保という状況に今ある。農民が、自分たちが食べる分を作ればいいんだという時代じゃない。
行政に対する放射能測定を要求した闘いを語りながら、汚染に対する「灰色でも出荷を止める」という想いと、消費者への「食をつくるものの血の叫び」の提起を語られ、生産者と消費者、労働者とのつながり、団結にまで話しが及んだ。そして騙して被爆させ、福島では目の前の土地に作物が作れない、食べれない現実への悔しさと怒りを、同じ農民として明らかにされた。空港、国策の名のもとに農地が奪われコンクリートの下にされた悔しさと怒りは同じものだと。
福島から避難して離農するのではなく、それでも農業を続けていこうとする人々とともに、農地を奪い返し、共にやっていきたい。
市東さんの裁判で、県の農業会議の人間が「1億8千万円で十分だ」と言い切るがとんでもない話だ。作業場も取られ、農地を削られ、結果、「農業をやめろ」と言ってるのと同じじゃないかと。県の農業会議の人間も成田市の農業委員会の人間も「国のやることであれば、書類が揃ってれば通します」「空港と一体ですよ」とはっきりと裁判の中で述べている。
日本有数の農業立地の富里案を断念し、御領牧場、県有地があり開拓農民が多い三里塚へともってきた、これ自体が農民蔑視だと。
今こそ日本の農業を守るため、食料を確保するため、そして人間が生きるために、そして国策強要のデタラメさ、欺瞞さ、インチキさをはっきりさせるべきだ。そして国策だ、国益だと言ってやった福島の原発に対して誰も責任を取ろうとしないのに対し、はっきりと責任を取らせる。そして農業、食料の問題に対しても責任を取らせる。食料を確保することこそ国策、国益じゃないのか。
我々が空港に反対するのは正当なんだと、今、声を大にして言える。あらためて福島も、沖縄も同じなんだと、一緒に闘い抜いてやっていく。
ここでもう一度村上さんに登壇いただいてお二人のお話しを続けていただきました。 村上さんから「農民が減少している」という萩原さんの指摘を受ける形で、飯舘村での集落営農への地域ぐるみの取り組みを検討したけれども、中山間地での難しさで行き詰まったことを話された。
そして農地法の改悪を通して「農業が政府によって捨てられている」「お金にならないお荷物とされている」と指摘された。「農業を安楽死させる状況」になっていると。希望を失って、耕作放棄地が増えてきた。
それに対し、農地を守り、自然を守る人々を増やしていくしかない。「農業では食っていけない」という言い方の中に国の考えが現れている。お金で考えれば農ではやっていけない現実がある。(村上さんがおられた頃)日本のお米の10分の1の値段のバングラディシュで、労働者の賃金は20分の1だったと。高い、安いにはこのトリックがある。資本主義体制が今、末期的症状にあることを見据え、そうじゃないあり方、自然をベースにした生き方を見据える人間が増えていくことが必要だろうと思うと。
萩原さんは、この村上さんのまとめに、「末期的症状にあることは心ある人ならばそう思っているだろう」と応え、そういう中でどうするのかが課題だろうと。水も空気も大事になってきている、その中での大地。政府は「想定外だ」という、天災、大雨でも大変なことになっている。その背景に耕作放棄地が増えていることがある。農地を耕すによるこのことへの効果は5兆円、6兆円とも試算され「自然を守っている」と言われている。この自然を壊している。空港なんてその最たるものだ。それに至る道路、鉄道、駐車場、ホテル、そういうものだけでも空港の何倍にもなる。それに20万回、30万回と簡単に言うが、そのジェット機、1機、1機が凄い燃料を消費して空にまき散らされてるわけだ。
それを経済効率のためにするという、簡単に言っていいものかどうかだと。人間が生きるためにそれがいいのかどうか。その大きな転換点が「3・11」じゃなかったのか。
今日の裁判も、「判決ありき」ですよ。昨年の「8・6」同様、代執行をやってくる。これが国策裁判でなくてなんだ。でたらめだ。それを覆すにはいかに広範な人々が関心をもってくれ、声を出していただくかだと。
村上さんは最後に、今、池の平の農地が30年余り放棄され大木が育っているようなところを5、6人の仲間で開墾しており「人々が生きれる場として再生したい」と話された上で、「人間に必要なものは綺麗な水と空気、それに衣食住だ」「幸せかどうかはお金ではなく心のありようだ」とされ、農が自然を壊さない限りやっていけると。「お金がなくても生きていける」と。
萩原さんが最後に訴えられました。裁判が年度内判決、第3誘導路が3月31日供用開始という状況を迎えている。市東さんの周りが一変する。今度の裁判は、千葉地裁で仮執行宣言がつく可能性が大だ。千葉地裁で判決が出た時点でいつでも市東さんの周りを整地できるという状況だ。それに対する対応を考えなければならない。仮執行というのは要するに代執行だ。どうやって代執行を拒み、阻止するかと構えなければならない。
10月には、当時の国交省の責任者であった石指の証人調べだ。あくまでも彼を法廷に晒さないために神戸地裁を使ってビデオリンクで行うという形をかたくなにとってきた。そういう訴訟指揮に対して裁判官を前回の裁判で忌避した。10月の予定された期日までに結論はでるだろうから、裁判所の近くの公園で集会をやってデモをする。みなさんには、神戸地裁でビラまきなどで抗議・宣伝活動をして欲しい。
市東さんのところは寝起きしている母屋だけしか残らないんですよ。後ろは誘導路が通る。囲まれるというようなものじゃない。空港の中に埋没させるということだ。こんなやり方を、許すことは絶対にできない。この怒りをあらゆる形で表明したい。ですから、非常な意味を持つ10月集会です。10・7現地に一人でも多く駆けつけていただきたい。
ここで4人の方々からリレートークによる挨拶が行われました。全日本建設運輸労組近畿地本関西生コン支部執行委員の福嶋さん、部落解放同盟全国連合会中央執行委員の寺下さん、STOP原子力★関電包囲行動の韓さん、「福島弾圧裁判」当該の古河さんの4人です。
すべての最後に関西実行委員会の山本世話人がまとめの挨拶をされました。
山本さんは、村上さんのお話しに自らの生き方を考えさせられた「哲学的なもの」と評され、萩原さんからは半世紀に及ぶ闘い、しかも市東さんを住めなくさせようとするものへの闘いが語られたと。10・7に総決起することと、日本の農業が国によってTPPなどで破壊されようとしている中で、村上さんが言われたように人間が生きられる未来、世界を作っていくということと結びつけて三里塚の闘いの正義さを、こんどの10・7の闘いで総決起したいと思います。9月10日、千葉に裁判に行きましたが、ほんとに国策裁判、どこにも司法の独立などありません。これを許さず、我々は闘う。その闘いは、3・11以降、あれだけの東京で、大阪で、そしてオスプレイ配備反対で沖縄で10万の人が集まっている。怒りは満ち満ちている。三里塚を今まで闘ってきたことを誇りに思ってさらに頑張ろうと。
さあ、デモに出発です。初めて2人の女性がジャンベをデモの先頭で叩いてくれます。暑い中、シュプレヒコールが絶えることなくジャンベのリズムに乗って続けられます。山本先生などは信号で止まっていても、ほんとに楽しそうにステップを踏み続けておられました。その元気さに脱帽でした。初めてこういうデモをされたという村上さんも終わってから「楽しかった」とご感想。
終わってから萩原さんが「10数年ぶりに農業に真正面から向き合った人の話しが聞けた」と嬉しそうに語っておられたのが印象的でした。村上さんからも「萩原さんとのコラボは、より良き出会いがありました」とメールをいただきました。集まられた皆さんが、シーンとなってお二人の話に一生懸命に聞いておられる様子が伝わってきましたし、デモに出る前に数人の方が、感銘深そうに感想を私に言っていただけたことも、非常にうれしかったです。
さあ、10・7現地へ、10・15千葉地裁へ連続決起しよう!
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