「成田空港の自由化」について(その3)
アメリカによる自由化要求
25年を超える日米航空交渉の中で頑なに「成田空港の自由化」を拒み続けてきた国交省が、なぜ、2009年末になって突然「自由化」に基本合意したのか。
それは言うまでもなく、2009年8月末の政権交代、民主党政権の誕生という激変の中で起こった。
一つの大きな背景は、「官僚主導ではなく、政治主導を」と標榜して民主党政権が成立したことだ。そのホープとも目されゴリゴリの新自由主義者であった前原誠司が国交相に就任した直後の記者会見において、日本航空の「破綻」「自主再建」を言いつつ「前政権が作られた会議体をそのまま延長線上で議論するということを我々はしない」ことを明らかにした。彼は「自民党時代の航空行政やJAL再建策の否定だった。有識者会議を潰したかった」(『再上場の功罪を問う』より)ことを当面の目標とすることを隠そうともしなかった。そして前原の肝いりで「JAL再生タスクフォース」が立ち上げられた。それ自体は、年末を待たずに失敗し前原失脚の一因ともなった。そしてご存知のように、民主党政権は、多額の税金を「つなぎ融資」として投入しながら、「倒産」を理由に不当極まる日航パイロットや客室乗務員の大量解雇を強行して、発足したばかりの「企業再生支援機構」によるJAL再建へと突っ走っていった。
もう一つの背景は、鳩山首相(当時)が、政策の柱として「東アジア共同体構想」をぶち上げたことだ。各方面からすでに言われつくしているように、鳩山・小沢の外交路線に不信と危機感をつのらせていたアメリカは、この鳩山の姿勢に激しく怒り、激烈に反応したことは言うまでもない。その結果が、鳩山の「辺野古回帰」であり、「抑止力」発言であり、2010年5月28日の「日米同盟」宣言であり、鳩山の辞任であった。同年10月の菅政権による突然の「TPP参加表明」もまた、その結果であろう。今日のあまりにも非民主的な「沖縄へのオスプレイ配備」への野田政権の全面屈服もまた、そうした日米の政治の結果であろう。
JALの破綻をめぐる先に述べた経緯の中でズタズタにされていた国交省が、アメリカによる「追随強制」にぐらぐらになった鳩山政権の中で、それまで堅持してきた路線を放棄し「成田空港自由化」の方針へと雪崩をうつように崩れて行った。それが2009年末の基本合意、2010年10月協定締結への流れを生み出したのだ。
航空政策という超一級の「国策」をめぐってのこの転換は、「国のあり方を壊す」と言われるTPPへの参加と表裏一体のものとして強行されたのだ。この点で、成田空港の自由化がもつ政治的重大性を、私たちが三里塚闘争の中でつかみ切れてこなかったことが重大な意味を持ってしまっていることを指摘せざるをえない。もちろんTPPという露骨な「国のあり方を壊す」と言われてきたものでさえ、多くの人々を捉えた「国を挙げての議論」とすることに成功しきれていない現状で、しかも「成田空港自由化」がほとんど密室の中の出来事として封じ込められてきたがゆえに、「仕方がなかった」と言ってしまえばそれまでだろうが。
しかし、アメリカに強制された2010年を巡る政治過程が、単なる追随、主権放棄といったものではなかったことは明確だ。それは明らかに、1%にも満たないごく一部の人たちによるグローバリズムの中での自分たちの巨大な利権を守ろうとする思惑によって支えられ、99%以上の人々に格差と貧困、差別を強制していくものであることは余りにも明らかであろう。
先にも紹介したアジアゲートウェイ構想の戦略会議の座長である伊藤元重東大教授は自著『日本の空を問う』の中で、国交省の保護主義を露骨に批判しながら、自らのグローバリズムへの期待を隠そうともしない。少し長いが引用する。
「こうした意見の根底には、日本の航空会社の路線を増やすことが国益であるというような考え方が見え隠れする。しかし、自国航空会社を支援しようとするこうした姿勢は、古い時代の産業政策的な考え方のように見えてくる。日本にとっての本当の国益(国民の利益)は、日本の航空会社の路線をどれだけ確保するかと言うよりは、日本の空港からどれだけの路線が運行されるかということではないだろうか。より多くの路線が組まれれば、たとえそれが日本の航空会社であろうと海外の航空会社であろうと、ユーザーである国民の利便につながる。それだけではなく、そうした航空利用の拡大なしには、関西や中部地域の国際化を進め、地域経済を活性化することは難しいのだ。・・・(中略)・・・海外の多くの事例からも、また航空業以外の多くの産業の経験からも明らかなように、より厳しい競争環境の中でこそ競争力のある企業や産業が育つというものである」と。
ここで一つ触れておかなければならないことがある。1952年以前、アメリカは占領下で日本の空を独占し、9社のアメリカの航空会社が自由に飛び回っていた。古い日米航空協定では、この事実を前提に、アメリカの民間航空法にある「祖父権条項」(注・同法401条=特定路線運航権の恒久的認可)を根拠に、国際線におけるアメリカの航空会社の枠をそのまま維持できるように要求した。実に、自由化される2010年まで、成田空港で27%(日本は39%、世界でこれほど自国の空港の枠が低い例はない。アメリカを含めほとんどの空港で、その国の航空会社の飛行枠は50%以上が確保されている)もの飛行枠を、それも都合のいい時間帯にアメリカは確保していたのだ。1984年に開始された日米航空交渉の中での日本の要求の一つがこの差別の解消であったのだ。ところが、1990年代から航空機の能力が改善されアメリカ本土から中国、アジアへ直接飛べるようになったことと、成田空港の使い勝手の悪さから、「成田空港パッシング」と言われるように、成田を経由しないで中国、アジアへ直行する便が増え、成田空港のアメリカの枠は空いているというのが実情なのだ。では、それでも、アメリカがなぜ「成田空港自由化」を求めたのかである。実は、ここに「成田空港自由化」の本質があるのだ。今、アメリカにとって、日本の保護主義が我慢ならないのだ。TPP参加要求に見られるように。しかも、国策という基幹的政策としての航空政策において。それ故に、当面アメリカにとって利益があるかどうかではなく、航空産業的力量の圧倒的な差をテコに航空政策において日本の保護主義を破壊し、正に新自由主義的競争の中に放り出すことにこそその最大の目的があるのだ。正に、TPPと表裏一体の問題なのだ。それ故に、このことを知る国交省は「路線開放の圧力がますます高まり、日本の空港が各国の航空会社との競争にさらされ、しのぎを削る。そんな競争に、JALやANAが勝ち残れるか」(『血税空港』)と悲鳴にも近い不安を隠さなかったのだ。
地域住民のくらしと人権を破壊する成田空港自由化
国交省(航空局)が長年にわたって日米航空交渉の中で「成田空港自由化」を拒み続けた論理も、アメリカによる自由化の要求も、そしてそれに追随した日本政府の論理も、私たちのくらしや自然そして平和、そういったものへの考え、配慮などただの一片もない。あるのはぞれぞれが属する、きわめてごく一部の人間たちの利権を守ろうとする「国策」でしかない。その点では、繰り返し指摘しているようにTPPと一体のものである。また、沖縄に対する新基地建設とオスプレイの配備に象徴される、沖縄への差別的、植民地的政策と一体のものである。それはまた、「3・11」をすでになかったことにして(昨年末の「収束宣言」)、アメリカの核政策に追随しようとする輸出も含めた「原発政策」と一体のものである。野田政権が、首相官邸包囲をはじめとした全国100カ所に膨れ上がったとされる「再稼働反対」「すべてを廃炉」の声に恐怖して揚げた「脱原発」の方針を、アメリカの恫喝のもとに数日で取り下げたことが何よりもそのことを物語っている。これほど私たちを愚弄するTPP、沖縄、福島(原発)を巡る国策と、航空政策をめぐる国策とは「同じ穴のムジナ」であり、そこには人々のいのち、くらしへの配慮などあろうはずがない。
直接的には、成田空港の自由化は、成田空港の暫定滑走路の「へ」の字問題の解決、さらなる南への延伸による3000メートル化、そして横風用滑走路の復元による成田空港の完成によって初めて大きな意味をもつ。すでに成田空港社長夏目は、この数日前、成田空港の供用時間の延長をすでに言いはじめ、成田空港自由化のためには「24時間化」を目指すことさえ明らかにした。
なによりもまず、100年間、親子3代で耕し作り上げてきた強制収用さえできなかった市東さんの農地を、違法の限りをつくし、偽証までやって、農地を守るべく作られた農地法で奪うというこんなことが民主国家、法治国家といわれる日本であり得るのか。許すのか。そのためには、地域住民との約束をも反故にして地域の重要な入会林を破壊して(結局何の役にも立たなかった)第2誘導路の建設を巨額の税金を投入して強行し、市東さんはじめ空港敷地内に住む住民に圧力をかけてきた。それでも動じないと見るや、今度は軸となる市東さんの居宅を第1誘導路と挟み込む第3誘導路の建設を強行し、来春3月31日にも供用を開始しようとしている。それによって現在の便数の2割以上も増やして27万回とし、極限的な騒音地獄と振動、悪臭で市東さんを住めなくさせようとする。これが住民に対する国のやることか。これほどの人権侵害、憲法違反があるのか。断じて許されない。
「国策」を掲げて空港建設を進められてきた三里塚には「法はない」とは言われる。この国でそんなことがまかり通っていることを三里塚農民は、今日まで47年間にわたって糾弾しぬいてきている。それを「終わったこと」としてあきらめ、無視し続けている人々が、私たちが問われなければならないのではないか。それは原発を「過疎地」、農漁村に押し付け、電気を、豊かさを、快楽を欲しいままにしてきた都市の労働者、人々の問題として指摘されている問題と同じではないか。日米安保を仕方のないこととし、沖縄の人々に米軍基地を押し付け、今またオスプレイを押し付けるのと同じではないか。
三里塚では、昨年、暫定滑走路の北延伸(2500メートル化)が強行された。直後、効率性から国交省は、暫定滑走路を着陸専用とし、便数が一気に増えるだけでなく、凄まじい騒音地獄が出現した。空港北側の成田市民、南側の芝山町民から直ちに「約束が違う」と怒りの声が上がった。なんと、対策がいつも後手後手に回り、その住民無視が批判されている国交省・成田空港会社が、一方的にわずか一か月で着陸専用を中止するだけでなく、便数を緩和させた。三里塚反対同盟の闘いとの合流を恐れたからであろう。
しかし、2013年の27万回化、翌年30万回化(実に現状の1.5倍だ)は、東峰地区住民はもとより、成田市空港北部、芝山町空港南部に恐ろしい騒音地獄を必ず出現させる。
すでに明らかにしたように、今、民主党政権は、国交省は、空港会社は、住民のことなどかけらも考えようとしていない。また、それが新自由主義なのだ。「出て行けばいい」「死ねばいい」と自分たちの生き残りだけを考えているのが新自由主義であり、グローバリズムなのだ。それは福島でも、大飯の再稼働でも見せつけられた。今、沖縄でのオスプレイ配備で、高江の新基地建設で見せつけようとしている。
私たちは、こんな理不尽な攻撃を、人のいのちを、くらしを何とも思わない政治を許すのか。今、三里塚闘争でこのことが、一点の曇りもなく問われているのだ。
10・7三里塚現地での全国総決起集会に、10月15日、千葉地裁での農地裁判に、全力で起ちあがることの中から、自らの目と手と足で、体で、このことを理解してほしい。
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