「成田空港の自由化」について (その1)
2010年10月、日米航空交渉が「成田空港の自由化」を柱に1984年の交渉開始以来27年もかけて妥結した。以降、その日米航空協定をモデルに、イギリス、オーストラリア、韓国、シンガポール、ベトナム、香港、インドネシア、カナダなどに直近のオランダ(2012年8月合意)を含めすでに19ヶ国との成田空港の自由化をめぐる航空協定の改訂が進められた。その前提が、「成田空港の発着枠が年間27万回化を実現する2013年以降」となっている。今、成田空港ではこの前提を実現するために、第3誘導路の完成が急がれ、来春2013年3月31日の供用開始に向け、昼夜をわかたぬ工事が強行されている。そして、国交省は、「四者協議会(注)の合意(2010年10月)」を口実に2014年30万回化を国際公約として打ち出している。(注 四者協議会=国、千葉県、空港会社の3者と、成田市を中心とした芝山町など地元9自治体で構成した「成田空港圏自治体協議会」の合わせて4者)
私たちは、この「成田空港の自由化」がもつ重大性を見誤ってはならない。もちろん、アメリカは、1984年の改訂交渉の開始以来、その巨大な航空産業の力を背景に日本に「航空自由化」を求めていた。対して、1952年、航空法を制定して「日本の空」を育ててきた運輸省(当時)、国交省は一貫して徹底した保護主義による航空政策をとってきた。この改訂交渉の過程でも、2000年に航空法を改訂し、羽田空港と成田空港を除くほとんどの空港の自由化を行なったものの、確認できるだけでも、少なくとも2007年初めまでは、頑強に「成田空港の自由化」は拒んできた。それが、なぜ2009年末に「成田空港の自由化」の基本合意、2010年10月の協定締結に進んだのか。
この日米航空交渉の中で、日本・国交省は、羽田・成田以外のほとんどの空港の自由化を認めたものの「航空運賃の自由化」は、IATA(国際航空運送協会 注)の運賃規定を盾に、2007年まで認めなかった。(注 IATA=1945年に設立された世界の航空会社による国際団体。運賃、輸送条件やその他の重要事項の決定に際し強い力をもっていた)
政・財界を中心にした新自由主義の流れの中で、国交省は「航空ムラ」「抵抗勢力」と揶揄されていたのだ。安倍政権のもとでの「アジア・ゲートウェイ戦略会議」の座長を務めた伊藤元重東大教授は、その著作『日本の空を問う』の中で「2007年5月に出された政府のアジアゲートウェイ戦略会議(議長は安倍総理)の報告書では、『オープンスカイ政策』という文言を入れることに国土交通省が難色を示した」と書いてはばからなかった。
基本合意した2009年末とはどういう時だったのか。普天間基地の移設について「少なくとも県外」との公約を鳩山首相が破棄する過程が始まった時だ。そして、自民党政権が決断できず先送りを続けていた日本航空の破産を国交相就任早々に行なったのが前原だ。新自由主義の申し子とも言うべき前原が、TPPについて「GDP(国内総生産)の1.5%でしかない農業を守るために98.5%を犠牲にしてよいのか」とぶち上げたのを忘れてはならない。
アメリカによる「成田空港自由化」の要求を、前原は自らの新自由主義的立場から、国交省の保護主義をぶっ倒して受け入れたのだ。この経緯自体が、「成田空港の自由化」の重大性を物語っている。
先に上げた伊藤東大教授は同書の中で「こうした意見の根底には、日本の航空会社の路線を増やすことが国益であるというような考えが見え隠れする」と国交省を批判し、「より多くの路線が組まれれば、たとえそれが日本の航空会社であろうと海外の航空会社であろうと、ユーザーである国民の利便につながる」と新自由主義の自論をあけすけに展開する。1%の人間に依拠した「成田空港自由化」の本質がここにあるのだ。もちろん、本論はこれまでの国交省の保護主義を弁護する意図など持ち合わせてはいないが。
こうした国交省の保護主義の歴史と「成田空港自由化」への転換については後日論じるとして、市東さんへの農地強奪の攻撃が、2003年の空港会社による「農地の取得」公表と明け渡しの要求、2006年から始まる空港会社による農地法で取り上げようとする攻撃の開始が、2009年末の「成田空港自由化」以前であることについて触れなければならないだろう。
国交省(当時は運輸省)は、「空港を作れば需要ができる」と関西空港に反対する私たちに言ってはばからなかった。三里塚反対同盟の農民を先頭とする三里塚の闘いは、1990年代初め国を完全に追い詰め、土地収用法の失効を認めさせ、空港計画の事業認定が取り消された。その結果、羽田・成田の首都圏空港の狭隘さはいかんともしがたい事実として国交省は受け止めざるをえなかった。それゆえ、関西空港、中部空港が巨大な資金を投入して完成された。
しかし、1994年開港した関西空港の破綻が、この国交省の航空政策の基盤である空港政策を完全に行き詰まらせた。なにしろ、JAL、ANAがともに関西空港の欧米便を早い時期に撤退し、未だに就航させないことがなによりもそのことを物語っている。このことは、東京一極集中が極度に進むいびつな経済構造の日本では首都圏空港を拡張するしかないという判断を国交省に迫ったのだ。しかし、国内線の唯一の最重要拠点である羽田空港の拡張(滑走路4本化)を行なったところで、現在でも国際線に割り当てられる路線は10万回がやっとであることは明らかだった。第3空港の展望もなく、国に横田基地の返還を迫る気概もないことは明らかだった。追い詰められた国交省が取れる道は、一度は断念した成田空港の拡張、完成しかなかったのだ。これが2003年、2006年に始まる市東さんへの攻撃を生んだ。
しかし、民主党政権のアメリカ追随、新自由主義への雪崩うつ転換は、この2003年、2006年当時の国交省の判断とはまったく質を異ならせた「成田空港自由化」のもとでの市東さんへの農地強奪、第3誘導路建設へと走らせているのだ。当初彼ら国交省自身が想定していたものとは全く違う政治性と緊迫性をもったのだ。それゆえにその攻撃の本質は、かってなく凶暴であり、正に1%の側に立った、地域住民に何が起ころうが構わないというものとなっているのだ。こんなことが許されようか。(つづく)
想いを新たにして、9・10農地裁判、9・16「この国の農業と三里塚」の集い、10・7全国総決起集会、10・15農地裁判へと連続決起しよう!
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