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2012年9月29日 (土)

今週の産直野菜(9月29日)

12929 先ほど三里塚から産直野菜がとどきました。

 左上から、さつま芋、玉ねぎ、かぼちゃ、小松菜、ししとう、ピーマン、なす、ねぎ、きゅうり、葉しょうが 以上10品です。残暑がこちらでは思ったほどではないのですが、三里塚はどうなのでしょうか。

 かぼちゃを見ると前回の事を思い出す。かぼちゃの皮が固いので、歯の悪い人に食べてもらうこともあり、無意識に皮をむいて、ひたひたのお出汁で炊きました。なんとか崩れることもなく美味しくいただいたのですが、その歯の悪い彼から、「皮をむいたの?」と驚かれた。それから何人の人に笑われたか。極め付きは山本先生に「僕でもそのまま小さく切って電子レンジに入れて食べてるぞ」と・・・。手が痛かったことを思い出しながら「ぶつぶつ・・・」。余り自慢できることではありませんが、これほど料理を知らない私が、毎週の「産直野菜」を堪能し、健康にものすごい効果がでています。みなさんも、三里塚の野菜を食べましょう!

 さあ、10・7現地へ行こう! 10・21芋掘り大会へ! 間には、15日の農地法裁判へ! 原発問題、ガレキ処理、オスプレイ・・・。忙しいなぁ!

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2012年9月27日 (木)

「成田空港の自由化」について(その3)

アメリカによる自由化要求

 25年を超える日米航空交渉の中で頑なに「成田空港の自由化」を拒み続けてきた国交省が、なぜ、2009年末になって突然「自由化」に基本合意したのか。

 それは言うまでもなく、20098月末の政権交代、民主党政権の誕生という激変の中で起こった。

 一つの大きな背景は、「官僚主導ではなく、政治主導を」と標榜して民主党政権が成立したことだ。そのホープとも目されゴリゴリの新自由主義者であった前原誠司が国交相に就任した直後の記者会見において、日本航空の「破綻」「自主再建」を言いつつ「前政権が作られた会議体をそのまま延長線上で議論するということを我々はしない」ことを明らかにした。彼は「自民党時代の航空行政やJAL再建策の否定だった。有識者会議を潰したかった」(『再上場の功罪を問う』より)ことを当面の目標とすることを隠そうともしなかった。そして前原の肝いりで「JAL再生タスクフォース」が立ち上げられた。それ自体は、年末を待たずに失敗し前原失脚の一因ともなった。そしてご存知のように、民主党政権は、多額の税金を「つなぎ融資」として投入しながら、「倒産」を理由に不当極まる日航パイロットや客室乗務員の大量解雇を強行して、発足したばかりの「企業再生支援機構」によるJAL再建へと突っ走っていった。

 もう一つの背景は、鳩山首相(当時)が、政策の柱として「東アジア共同体構想」をぶち上げたことだ。各方面からすでに言われつくしているように、鳩山・小沢の外交路線に不信と危機感をつのらせていたアメリカは、この鳩山の姿勢に激しく怒り、激烈に反応したことは言うまでもない。その結果が、鳩山の「辺野古回帰」であり、「抑止力」発言であり、2010528日の「日米同盟」宣言であり、鳩山の辞任であった。同年10月の菅政権による突然の「TPP参加表明」もまた、その結果であろう。今日のあまりにも非民主的な「沖縄へのオスプレイ配備」への野田政権の全面屈服もまた、そうした日米の政治の結果であろう。

 JALの破綻をめぐる先に述べた経緯の中でズタズタにされていた国交省が、アメリカによる「追随強制」にぐらぐらになった鳩山政権の中で、それまで堅持してきた路線を放棄し「成田空港自由化」の方針へと雪崩をうつように崩れて行った。それが2009年末の基本合意、201010月協定締結への流れを生み出したのだ。

 航空政策という超一級の「国策」をめぐってのこの転換は、「国のあり方を壊す」と言われるTPPへの参加と表裏一体のものとして強行されたのだ。この点で、成田空港の自由化がもつ政治的重大性を、私たちが三里塚闘争の中でつかみ切れてこなかったことが重大な意味を持ってしまっていることを指摘せざるをえない。もちろんTPPという露骨な「国のあり方を壊す」と言われてきたものでさえ、多くの人々を捉えた「国を挙げての議論」とすることに成功しきれていない現状で、しかも「成田空港自由化」がほとんど密室の中の出来事として封じ込められてきたがゆえに、「仕方がなかった」と言ってしまえばそれまでだろうが。

 しかし、アメリカに強制された2010年を巡る政治過程が、単なる追随、主権放棄といったものではなかったことは明確だ。それは明らかに、1%にも満たないごく一部の人たちによるグローバリズムの中での自分たちの巨大な利権を守ろうとする思惑によって支えられ、99%以上の人々に格差と貧困、差別を強制していくものであることは余りにも明らかであろう。

 先にも紹介したアジアゲートウェイ構想の戦略会議の座長である伊藤元重東大教授は自著『日本の空を問う』の中で、国交省の保護主義を露骨に批判しながら、自らのグローバリズムへの期待を隠そうともしない。少し長いが引用する。

「こうした意見の根底には、日本の航空会社の路線を増やすことが国益であるというような考え方が見え隠れする。しかし、自国航空会社を支援しようとするこうした姿勢は、古い時代の産業政策的な考え方のように見えてくる。日本にとっての本当の国益(国民の利益)は、日本の航空会社の路線をどれだけ確保するかと言うよりは、日本の空港からどれだけの路線が運行されるかということではないだろうか。より多くの路線が組まれれば、たとえそれが日本の航空会社であろうと海外の航空会社であろうと、ユーザーである国民の利便につながる。それだけではなく、そうした航空利用の拡大なしには、関西や中部地域の国際化を進め、地域経済を活性化することは難しいのだ。・・・(中略)・・・海外の多くの事例からも、また航空業以外の多くの産業の経験からも明らかなように、より厳しい競争環境の中でこそ競争力のある企業や産業が育つというものである」と。

ここで一つ触れておかなければならないことがある。1952年以前、アメリカは占領下で日本の空を独占し、9社のアメリカの航空会社が自由に飛び回っていた。古い日米航空協定では、この事実を前提に、アメリカの民間航空法にある「祖父権条項」(注・同法401条=特定路線運航権の恒久的認可)を根拠に、国際線におけるアメリカの航空会社の枠をそのまま維持できるように要求した。実に、自由化される2010年まで、成田空港で27%(日本は39%、世界でこれほど自国の空港の枠が低い例はない。アメリカを含めほとんどの空港で、その国の航空会社の飛行枠は50%以上が確保されている)もの飛行枠を、それも都合のいい時間帯にアメリカは確保していたのだ。1984年に開始された日米航空交渉の中での日本の要求の一つがこの差別の解消であったのだ。ところが、1990年代から航空機の能力が改善されアメリカ本土から中国、アジアへ直接飛べるようになったことと、成田空港の使い勝手の悪さから、「成田空港パッシング」と言われるように、成田を経由しないで中国、アジアへ直行する便が増え、成田空港のアメリカの枠は空いているというのが実情なのだ。では、それでも、アメリカがなぜ「成田空港自由化」を求めたのかである。実は、ここに「成田空港自由化」の本質があるのだ。今、アメリカにとって、日本の保護主義が我慢ならないのだ。TPP参加要求に見られるように。しかも、国策という基幹的政策としての航空政策において。それ故に、当面アメリカにとって利益があるかどうかではなく、航空産業的力量の圧倒的な差をテコに航空政策において日本の保護主義を破壊し、正に新自由主義的競争の中に放り出すことにこそその最大の目的があるのだ。正に、TPPと表裏一体の問題なのだ。それ故に、このことを知る国交省は「路線開放の圧力がますます高まり、日本の空港が各国の航空会社との競争にさらされ、しのぎを削る。そんな競争に、JALANAが勝ち残れるか」(『血税空港』)と悲鳴にも近い不安を隠さなかったのだ。

 地域住民のくらしと人権を破壊する成田空港自由化

国交省(航空局)が長年にわたって日米航空交渉の中で「成田空港自由化」を拒み続けた論理も、アメリカによる自由化の要求も、そしてそれに追随した日本政府の論理も、私たちのくらしや自然そして平和、そういったものへの考え、配慮などただの一片もない。あるのはぞれぞれが属する、きわめてごく一部の人間たちの利権を守ろうとする「国策」でしかない。その点では、繰り返し指摘しているようにTPPと一体のものである。また、沖縄に対する新基地建設とオスプレイの配備に象徴される、沖縄への差別的、植民地的政策と一体のものである。それはまた、「311」をすでになかったことにして(昨年末の「収束宣言」)、アメリカの核政策に追随しようとする輸出も含めた「原発政策」と一体のものである。野田政権が、首相官邸包囲をはじめとした全国100カ所に膨れ上がったとされる「再稼働反対」「すべてを廃炉」の声に恐怖して揚げた「脱原発」の方針を、アメリカの恫喝のもとに数日で取り下げたことが何よりもそのことを物語っている。これほど私たちを愚弄するTPP、沖縄、福島(原発)を巡る国策と、航空政策をめぐる国策とは「同じ穴のムジナ」であり、そこには人々のいのち、くらしへの配慮などあろうはずがない。

直接的には、成田空港の自由化は、成田空港の暫定滑走路の「へ」の字問題の解決、さらなる南への延伸による3000メートル化、そして横風用滑走路の復元による成田空港の完成によって初めて大きな意味をもつ。すでに成田空港社長夏目は、この数日前、成田空港の供用時間の延長をすでに言いはじめ、成田空港自由化のためには「24時間化」を目指すことさえ明らかにした。

なによりもまず、100年間、親子3代で耕し作り上げてきた強制収用さえできなかった市東さんの農地を、違法の限りをつくし、偽証までやって、農地を守るべく作られた農地法で奪うというこんなことが民主国家、法治国家といわれる日本であり得るのか。許すのか。そのためには、地域住民との約束をも反故にして地域の重要な入会林を破壊して(結局何の役にも立たなかった)第2誘導路の建設を巨額の税金を投入して強行し、市東さんはじめ空港敷地内に住む住民に圧力をかけてきた。それでも動じないと見るや、今度は軸となる市東さんの居宅を第1誘導路と挟み込む第3誘導路の建設を強行し、来春331日にも供用を開始しようとしている。それによって現在の便数の2割以上も増やして27万回とし、極限的な騒音地獄と振動、悪臭で市東さんを住めなくさせようとする。これが住民に対する国のやることか。これほどの人権侵害、憲法違反があるのか。断じて許されない。

「国策」を掲げて空港建設を進められてきた三里塚には「法はない」とは言われる。この国でそんなことがまかり通っていることを三里塚農民は、今日まで47年間にわたって糾弾しぬいてきている。それを「終わったこと」としてあきらめ、無視し続けている人々が、私たちが問われなければならないのではないか。それは原発を「過疎地」、農漁村に押し付け、電気を、豊かさを、快楽を欲しいままにしてきた都市の労働者、人々の問題として指摘されている問題と同じではないか。日米安保を仕方のないこととし、沖縄の人々に米軍基地を押し付け、今またオスプレイを押し付けるのと同じではないか。

三里塚では、昨年、暫定滑走路の北延伸(2500メートル化)が強行された。直後、効率性から国交省は、暫定滑走路を着陸専用とし、便数が一気に増えるだけでなく、凄まじい騒音地獄が出現した。空港北側の成田市民、南側の芝山町民から直ちに「約束が違う」と怒りの声が上がった。なんと、対策がいつも後手後手に回り、その住民無視が批判されている国交省・成田空港会社が、一方的にわずか一か月で着陸専用を中止するだけでなく、便数を緩和させた。三里塚反対同盟の闘いとの合流を恐れたからであろう。

しかし、2013年の27万回化、翌年30万回化(実に現状の1.5倍だ)は、東峰地区住民はもとより、成田市空港北部、芝山町空港南部に恐ろしい騒音地獄を必ず出現させる。

すでに明らかにしたように、今、民主党政権は、国交省は、空港会社は、住民のことなどかけらも考えようとしていない。また、それが新自由主義なのだ。「出て行けばいい」「死ねばいい」と自分たちの生き残りだけを考えているのが新自由主義であり、グローバリズムなのだ。それは福島でも、大飯の再稼働でも見せつけられた。今、沖縄でのオスプレイ配備で、高江の新基地建設で見せつけようとしている。

私たちは、こんな理不尽な攻撃を、人のいのちを、くらしを何とも思わない政治を許すのか。今、三里塚闘争でこのことが、一点の曇りもなく問われているのだ。

107三里塚現地での全国総決起集会に、1015日、千葉地裁での農地裁判に、全力で起ちあがることの中から、自らの目と手と足で、体で、このことを理解してほしい。

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2012年9月24日 (月)

「成田空港の自由化」について (その2)

 自由化を拒み続けた国交省

 201010月、日米航空協定が最終合意に達し、2013年、年間離発着27万回化達成を前提とする成田空港の自由化が決まった。
 
 実は、国交省(航空局)は、少なくとも2007年初頭までこの日米航空交渉の中で、「自由化」を拒み続けていた。
 
もちろん世の趨勢は自由化への流れの中にあった。1995年、細川内閣による「規制緩和」の流れの中で、航空輸送産業の規制の問題が大きく取り上げられていた。国交省(航空局)もその勢いをかわしきれず、航空自由化に向けて大きく政策を転換せざるをえなかった。しかし、批判をかわすために始められたものでしかなく、自由化を方向づける全体の理念、全体像が欠如し、本質的には自由化をうまくすり抜け、国交省、航空業界がもつ巨大な利権をいかに守るかに、国交省(航空局)の思惑は置かれ続けた。それは原子力ムラといわれる今日の国、経産省、電力資本を軸とした思惑のありようと本質的、体質的に同じものであった。

 アメリカと世界の動き

  世界の航空業界は、1970年代のアメリカでの国内航空政策の全面的自由化、同じくイギリスでの国内空港政策の民営化への新自由主義による政策転換の中で大きく自由化への流れにあった。それでも、2国間の国際協定となると、アメリカ以外の各国、とりわけイギリスをはじめとしたヨーロッパ各国の保護主義的な政策が壁となって、アメリカの自由化への要求ははね返され続けていた。
 
第2次世界大戦末期の1944年、戦後世界の航空体制を確立するためにアメリカが呼びかけてシカゴで会議がもたれた。アメリカは、唯一戦禍を受けず、無傷の数千の空港と軍用機の生産で巨大化した航空産業を持っていた。その巨大な物質力を背景にアメリカは、各国に航空自由化を求めた。イギリスをはじめ国土が焦土と化していた各国はこのアメリカの要求を団結してはね返し、「領空主義を前提とした事前許可制を是とする国家介入の保護主義が色濃く導入された」シカゴ条約を、国際航空体制の基礎として取り決めた。これが1980年代の新自由主義の時代にあっても機能していたのだ。日米航空協定が、1984年に改訂交渉が始められながら26年もかかったのは、新自由主義の先端を行くはずのイギリスとアメリカの自由化が、アメリカとEUとの自由化協定が成立した2007年までずれこんだことが示すように、それほど特異なこととは思われない。それぞれのもつ「利権」をめぐってのせめぎ合いであったのだ。
 
アメリカは、イギリスやフランスなど大国との自由化交渉をいったん諦め、貿易自由化に国の活路を求めていた小国との自由化交渉に全力を投入した。それがヨーロッパにおけるオランダとの自由化(1992年)、アジアにおけるシンガポールとの自由化(1997年)であった。この2つの小国は国の背後に生産拠点をほとんど持たず、世界貿易の中継地点として生き残ることを望んでいたのだ。そしてこの2国の自由化が成功し2国の経済が発展することを通して、ヨーロッパ、アジアの自由化への道がこじ開けられていった(ドミノ理論)。

国交省(当時は運輸省)の動き

 1981年からの鈴木・中曽根両内閣の「増税なき財政再建」、行政改革の流れの中で、運輸省(当時)の機構改革は行われたものの、航空行政を進める航空局については、航空輸送事業の特殊性から再編成は適当でないとして、ほとんど旧来のままに温存された。この判断を背景に、「航空憲法」と言われた「4547年体制」を見直し、「航空憲法」を廃止(1985年)してもなお、その下で作られた「空港整備特別勘定」が今日まで残されたことが、冒頭述べた「国交省、航空業界がもつ巨大な利権をいかに守るか」ということを可能にした。
 
イギリス、アメリカ国内における航空自由化の流れの中に身を置いた財界の新自由主義、規制緩和の合唱の中で、運輸省は高官をアメリカに派遣し、アメリカの規制緩和の実態を半年にわたって調査した(1983年)。その結果、①事業者の収益悪化、②運賃の一部上昇、③主要空港の混雑、④辺地サービス低下などの問題を確認した。その上で成田空港の暫定開港を強行(1978年)したものの、成田二期工事の行き詰まりにより、1984年頃には、「日本の空港容量は限界に近づいており、事業者が自由に新規路線に参入することは困難」と判断していた。国会で航空局長が「航空の自由化といっても実益のないことだろうというのが基本にありまして」と発言していた(1985年 『公共政策の変容と政策科学』 20071月 秋吉貴雄著 有斐閣より引用)。当時、運輸省は、関西空港(1994年開港)、中部空港(2005年開港)の巨大2空港の開港で問題は暫時解決するものと考えていた。そして航空業界の自由競争の促進ということについても、「空港能力の制約の下においては、その実施は極めて困難ではないか」との見解を表明していた(1986年 前掲書より)。このあたりの経緯について伊東光晴京大教授は「航空憲法の廃止で各社は競って新路線獲得に動く。しかし、運輸省の許認可権はそのまま残っている。免許を与えるかどうかは、お役所のさじ加減一つだ。規制緩和とは言っているが、実質的には権限強化だ」と批判した(1986年1月、朝日新聞)。
 
とは言うものの、日米航空交渉でのアメリカからの自由化圧力、そして政財界の「規制緩和・自由化」、新自由主義の合唱の前に、2000年、新規参入の緩和と成田・羽田を除く国内空港への海外航空会社による自由化に踏み込まざるをえなかった。しかし、この時期、関西空港の破綻(海外からの便数が増えないだけでなく、JALANAの日本の航空会社が、欧米便を全面撤退した)と続く中部空港の破綻の前に、国交省は、それまでの航空政策の全面的見直しを迫られた。首都圏第3空港論や横田米軍基地の返還論などが実質的に見込めないことが明らかになる中で、必然的に羽田・成田の首都圏空港の容量拡大しかないことは自明の理であった。世界的な不況、金融恐慌に襲われた経済的行き詰まりの突破をかけようとするときに、「空港能力の制約」と自らの権益を守るための開き直りが許されない状況に追い込まれていった。しかし、羽田の第4滑走路の建設が行われようと、国内航空路線における羽田の重要性は、首都圏一極集中が極限的に進む中で、いかに新幹線網を整備しようが削ることは出来なかった。必然的に、暫定滑走路開港(2002年)を強行したとは言うものの、土地収用法が失効し事業認定を取り下げて半ば諦めかけていた成田空港の拡張、完成へと進むしか道はなかったのだ。それが2003年の市東さんへの農地明け渡しの要求であり、2006年の耕作権解除申請、不法耕作の言いがかり的裁判へののめり込みであったのだ。しかし、それでも、日米航空交渉の中でのアメリカからの強い自由化要求には依然として応じようとしなかった。2007年初頭のIATA運賃を口実とした国際線の「運賃自由化」拒否はこのことを示している。
 
また、アジアゲートウェイ構想(20075月)を審議していた「戦略会議」の座長を務めた伊藤元重東大教授は、「『オープンスカイ政策』という文言を入れることに国土交通省は難色を示した」(『日本の空を問う』 20078月 伊藤元重共著 日本経済新聞社刊)と書いている。

国交省、航空村の巨大な利権

 では、国交省は自由化を拒むことで何を守ろうとしたのか。それは国交省がもつ巨大な利権であることは明らかだ。ただ、原子力ムラがそうであるように、その実態は私たちにはほとんど見えない。
 
それまでの空港整備の時代は終わったとして、それまでの「空港整備法」が、2008年「空港法」に改正された。それについてこういう指摘がある。「2008年に施行された新しい法律であるにも関わらず、『指定』、『認可』、『立ち入り検査』といった用語が出てくるのは、効率的に民間資本を活用しようとする社会情勢に逆行するものと感じざるを得ない。・・・(中略)・・・空港整備法から空港法への転換という大きな制度変更であるにも関わらず、制度設計の検討は手短に行われて、法律が制定された印象を受ける」(『航空グローバル化と空港ビジネス』 20107月 野村宗訓共著 同文館)と。日米航空交渉が基本合意に達する2009年末のわずか1年あまり前のことだ。ここに、必死で流れに抗って自らの利権を守ろうとした国交省の姿が見えないだろうか。
 
また、こういう指摘もある。「このように(成田空)港内での営業権は権益化しており、国交省のOBを受け入れている企業や、空港会社の資本とOBを役員にしているファミリー企業によって独占されている。『天下ったOBは高額の報酬と運転手付きの専用車、個室を与えられ、子会社を渡り歩いて一生安泰なのである』(『週刊ポスト』 0337日号)。成田空港会社が「国交省の本丸」と称される所以である」(『生まれ変わる首都圏の空港』 20093月 杉浦一機著 交通新聞社)。
 
成田空港が民営化され株を上場すると言われて久しいが、未だに実現していない。一般株主が生まれればこのような無駄遣いは直ちに放逐されることは確実だろう。前社長の森中も民間からだったが、この7月に新たな社長となった夏目誠は、日本国有鉄道生え抜きで、JR東日本で駅売店「キオスコ」を成長させた現場から抜擢されたという。こういう人間から見れば当然にもこの「国交省の本丸」の現実は見過ごせないであろう。この春、成田空港の関連会社のほぼ4分の1にあたる1万人近くが整理され、多くは羽田空港に移ったと言われる。成田空港の経営悪化が原因とも言われるが、確かに、成田空港は厳しい経営状態にあるものの黒字を維持している。新しい社長と株上場を準備する上での整理の面がなかっただろうか。あるいは、日米航空交渉の過程でアメリカからの指弾があったとも考えられるがどうだろうか。
 
しかし、国交省の利権、権益についてこうした幾つもの断片的な指摘があるが、いずれにしろ国交省独自の財源的なものがなければ、こうしたことは可能ではない。それが最初の方で指摘した「空港整備特別勘定」なのだ。この「空港整備特別勘定」は、国の一般財源(税金)への依存度は12%に過ぎないと言われ、その規模は毎年40005000億円と言われている。「道路特別勘定の一般財源は66%、港湾特別会計の一般財源は70%の割合であることを踏まえると、空整特会は、他の特別会計と比べて圧倒的に受益者負担で成り立っている」(前掲書『航空グローバル化と空港ビジネス』)、特異な自主財源と言えるものなのだ。しかも、「空港使用料と航空機燃料税は、JALANAの負担がそれぞれ900億円。一般会計経由のものを含めれば、両者の負担はそれぞれ1000億円を超えていた」(『再上場の功罪を問う』 20129月 町田徹著 講談社現代新書)というのだ。実に、JALANAが「空港整備特別勘定」の4割から5割を負担しているのだ。町田は「空港整備勘定は、・・・・航空官僚や交通族議員の利権の温床」と同書で断じている。
 
こういう指摘がある。「路線開放の圧力はますます高まり、日本の空港が各国の航空会社との競争にさらされ、しのぎを削る。そんな競争に、JALANAが勝ち残れるか。国交省は、そこに不安が残るから、思い切った政策を打ち出せないまま、逡巡しているように映るのである」(『血税空港』 20095月 森功著 幻冬社新書)と。つい最近にも、中東のエミレーツ航空が日本の旅客の満足度2位になっていることを紹介した上で「こうした中で日本の航空会社は何を強みに戦っていこうとしているのか。世界規模の大競争の中で、日本の航空会社が買収の標的になる可能性も皆無とは言えない時代がやってきた」(日経ビジネス 201272日号)と結論づけられている。

 国交省が、2009年末、アメリカによって基本合意に追い込まれるまで、実は自らの利権とJALANAとの関係で自由化を拒み続けていたのだということが理解いただけただろうか。

 

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2012年9月22日 (土)

今週の産直野菜(9月22日)

12922 先ほど、三里塚から産直野菜が届きました。

 左上からじゃがいも(北あかり)、ネギ、なす、オクラ、唐辛子、ピーマンの6品です。ちょっと淋しい・・・。
 しかし、現地は「野菜だより」にあるようにまだ暑さが残る日照りの中で収穫の後片付け、草取り、冬野菜の苗作りや畑への移植など絶え間なく続いているようです。虫も出だしたようで大変ですね。周囲が空港のために荒れてしまってるから虫がいろいろと大量発生するのだと思います。先日16日の集会のために来てくださった萩原進さんも真っ黒になっていましたね。

 10・7全国集会、10・15農地裁判、10・21芋ほり大会、10・23第3誘導路裁判、10・29耕作権裁判と重要な局面に入った取り組みが目白押しです。ついでにと、10・8、10・22に2度にわたって現地調査をさせていただきます。
 何はともあれ、10・7全国集会に全力で集まりましょう!

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2012年9月19日 (水)

団結街道裁判 傍聴記

NAA空港会社の奴隷となった裁判所と成田市

2012918日、千葉地方裁判所民事3部において、団結街道廃道化処分(2010)の取消しと工事強行の差し止めを求める第八回口頭弁論が行われました。地裁前の歩道では反対同盟の街宣ビラ(1015日の石指証人取調べ裁判の違法性など追及)がまかれ、反動裁判への怒りが表明されていました。

NAA空港会社の奴隷となった裁判所と成田市を許してはなりません。

成田市が一方的に市道の再認定を強行

12918_2実は、本裁判までに成田市は市東さんの住宅など南台63に対し「市道として再認定する」決定を下し、さらに耕作地の南台41は再認定は認めず「不利益の恐れがあるので通行する道を確保する」との決定をしました。(成田市の第十準備書面で判明)

この決定は反対同盟と弁護団が市道廃止の違法性を徹底的に追及した反動の動きです。市東さんの南台63を再認定するのなら、耕作地に通う団結街道も再認定すべきですが、そうすれば来春の第三誘導路供用開始が出来なくなるため、違法を百も承知で通そうとしています。

 この日の法廷では、遠藤弁護士から「原告適確性について」の陳述を行い、裁判所の「門前払い攻撃」に歯止めをかける意見表明をしました。成田市が道路法10条によって市道の廃止処分を決めたので、市東さんらに原告としての資格はない、との主張に対し「道路法を公共の利益優先のみに解釈してはいけない。直接道路を利用する市東さんらの自由権、生活権も保障するべきで、改正された行政訴訟法でも原告の権利が拡大されている」など遠藤弁護士が陳述。さらに、一瀬弁護士から成田市の第十準備書面に対して反論。突然の市道再認定などの動きは不可解であり、きっちり釈明せよ。と強く詰め寄りましたが、成田市の代理人は「回答すべきことは回答した」と開き直りました。一瀬弁護士は食い下がって、「以前の被告第五準備書面と比べて第十準備書面はあきらかに矛盾している。本件訴訟を混乱させて裁判が成り立たない、裁判長の訴訟指揮はこれで良いのか」と詰め寄りました。裁判長はしぶしぶ被告成田市に釈明の文書提出を指示し、成田市は1018日までに提出することを表明。

 次回の弁論期日を1218日と決めて閉廷しました。

萩原事務局次長から「1015日裁判当日の決起集会と107結集の提起」

 12918
 裁判終了後に「報告会」がきぼーる会議室で行われ、冒頭北原事務局長より「来年の春には市東さんの住居が空港に囲い込まれる危険がある。攻撃を跳ね除けて闘いぬこう。」との挨拶があり、各弁護士からひとことずつの挨拶、特に一瀬弁護士から「今日の陳述は判りにくく複雑で追及する方も苦労した」とのコメントがありました。また、支援団体からの意見表明は、動労千葉と関実が行い、安藤からは「
916三里塚関西集会が大成功した。107に全力決起します」との挨拶をしました。報告会の最後に萩原事務局次長より「1015日の石指証人調べのビデオリンク攻撃を粉砕するためにも千葉中央公園で集会をして、その後デモをしたい。裁判所の一方的な裁判攻撃を打ち破ろう。107日大結集をかちとり、政府のごり押しを跳ね除けよう。

               報告 事務局次長 安藤眞一

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2012年9月18日 (火)

「この国の農業と三里塚」の集いとデモに135人

12916

 9月16日、大阪市立中央会館ホールに135名の皆さんが集まってくださり、『この国の農業と三里塚』の集いが行われ、集会後なんばまでデモをして、道行くみなさんに三里塚を訴えました。

 集会に先立って、7・8現地闘争の折の写真を使って、現地、とりわけ市東さんのお宅周辺の第3誘導路建設や団結街道の具体的な様子などを通して市東さんの農地を守る闘いが緊迫の度合いを深めていることが訴えられました。
 12916_2集会の司会は、「大阪の海と空を戦争につかわせない会」の長澤民江さんです。永井満関実代表世話人から、主催者の挨拶です。永井さんは、萩原さん、村上さんのこの日のメインのお二人を紹介された上で、市東さんの家の周りで第3誘導路建設が昼夜をわかたぬ工事で強行され、農地強奪によって空港の中に家だけが取り残され追い出そうとされている決戦情勢を訴え、これを断固として迎え撃とうと立っておられる市東さんの闘いを全力で支えていきたいと訴えられました。
 続いて、9・9県民集会を闘い抜いた沖縄の「市東さんの農地を守る沖縄の会」からのメッセージ(「12.9.16沖縄メッセージ.pdf」をダウンロード)が司会から代読されました。

 12916_3ここで昨年3・11によって飯舘村から三重の伊賀市に避難されている村上真平さんが登壇されました。村上さんは、飯舘村には10年、その前には20年の海外協力、これらを通して農業の問題に向き合い、この社会の有り様を考えてきたと話し始められました。80年代にイラン難民、エチオピアの問題などから海外協力を考え、82年インドに行くことをきっかけに取り組むようになった。最初は貧しい人たちがいるからお手伝いをしたいと始めたが、20年の中で、「貧しい人々がいるということは、豊かすぎるモノを盗っている人々がいるからだ」「貧しい国があるのは、必要以上のものを盗っている国があるからだ」と思うようになった。開発途上国では人々が自然の中での暮らしを奪われ、山々の木がなぎ倒さ森がなくなっていったと。グローバリズムの先は人類の滅亡しかないと。生き続けていくには、自然を収奪しない農のあり方を考えたい。「勝ち組」経済のシステムによるグローバリズムが、今回の3・11の犠牲を生み出したのだと。
 12916311その考えを実践するために飯舘村に入り自然農業を軸としたくらしとそういう考えを共有するコミュニティを作りたいと活動を始められた2002年4月以来の経緯を、ほんとに綺麗な飯舘の山や畑などのスライドを交え、自然農法の様子やおくさんや「放し飼い」された子どもたちとの暮らしなどを、その折々の考えを添えて話されました。右写真は、その最後、3・11当日に棟上げができた直後のバンガロウの上に村上さんはおられた、その折の写真です。
 30年前から反原発の活動に関わっていて「全電源喪失」がいかなる事態かを知っていたことから、12日午前3時、家族と一緒にいた研修生ともども飯舘村を後にされました。「飯舘にはもう帰れない」と感じながら。そして飯舘村に対して政府の情報隠しによって多くの住民が被害を受けたことを断罪された。チェルノブイリで強制移住させられ25年経ってもかえってこれない地域の4倍の値だと。そして「この国は人々の命を守ろうとしない」「彼らに力ある人間の言葉しか聞かない」と。
 現在、伊賀市美杉村の池の平高原で30町歩の耕作放棄地を仲間のみなさんと畑にもどす取り組みを始められ、飯舘村で頓挫したコミュニティづくりなどを目指されています。

 12916_4萩原進三里塚反対同盟事務局次長の登壇です。萩原さんは、福島では農業による食の一部を作っていくことを突然奪われ、沖縄では一番いい農地を基地に奪われ差別的な生活を今も強いられていることを冒頭話された上で、三里塚で国策、国益の名のもとに農地がコンクリートで固められたと。先ず、根は同じではないかと訴えられた。99%を死に至らしめても生き残ろうとする、民衆をだます政治の中で保身を図る、それが福島、沖縄、三里塚ではないかと。
 農業高校はなくなり、1年に生まれる農業後継者が1000人にもならない、企業一社の採用にも満たない、親が胸を張って「農業をやれ」と言える状況じゃない。「100万円上げれば篤農家だ」と言われた。卵も野菜も30年前と値段は同じだ。コメは半分ですよと。「コストを下げろ」「大規模でやれ」が今の農業政策だ。そんなことやったってダメなんだと。自然淘汰され、なくなっていく。
 その結果、TPPだとか、工場野菜だとか、安いもので食料確保という状況に今ある。農民が、自分たちが食べる分を作ればいいんだという時代じゃない。
 12916_5行政に対する放射能測定を要求した闘いを語りながら、汚染に対する「灰色でも出荷を止める」という想いと、消費者への「食をつくるものの血の叫び」の提起を語られ、生産者と消費者、労働者とのつながり、団結にまで話しが及んだ。そして騙して被爆させ、福島では目の前の土地に作物が作れない、食べれない現実への悔しさと怒りを、同じ農民として明らかにされた。空港、国策の名のもとに農地が奪われコンクリートの下にされた悔しさと怒りは同じものだと。
 福島から避難して離農するのではなく、それでも農業を続けていこうとする人々とともに、農地を奪い返し、共にやっていきたい。
 市東さんの裁判で、県の農業会議の人間が「1億8千万円で十分だ」と言い切るがとんでもない話だ。作業場も取られ、農地を削られ、結果、「農業をやめろ」と言ってるのと同じじゃないかと。県の農業会議の人間も成田市の農業委員会の人間も「国のやることであれば、書類が揃ってれば通します」「空港と一体ですよ」とはっきりと裁判の中で述べている。
 日本有数の農業立地の富里案を断念し、御領牧場、県有地があり開拓農民が多い三里塚へともってきた、これ自体が農民蔑視だと。
 今こそ日本の農業を守るため、食料を確保するため、そして人間が生きるために、そして国策強要のデタラメさ、欺瞞さ、インチキさをはっきりさせるべきだ。そして国策だ、国益だと言ってやった福島の原発に対して誰も責任を取ろうとしないのに対し、はっきりと責任を取らせる。そして農業、食料の問題に対しても責任を取らせる。食料を確保することこそ国策、国益じゃないのか。
 我々が空港に反対するのは正当なんだと、今、声を大にして言える。あらためて福島も、沖縄も同じなんだと、一緒に闘い抜いてやっていく。

 ここでもう一度村上さんに登壇いただいてお二人のお話しを続けていただきました。
12916_6 村上さんから「農民が減少している」という萩原さんの指摘を受ける形で、飯舘村での集落営農への地域ぐるみの取り組みを検討したけれども、中山間地での難しさで行き詰まったことを話された。
 そして農地法の改悪を通して「農業が政府によって捨てられている」「お金にならないお荷物とされている」と指摘された。「農業を安楽死させる状況」になっていると。希望を失って、耕作放棄地が増えてきた。
 それに対し、農地を守り、自然を守る人々を増やしていくしかない。「農業では食っていけない」という言い方の中に国の考えが現れている。お金で考えれば農ではやっていけない現実がある。12916_7(村上さんがおられた頃)日本のお米の10分の1の値段のバングラディシュで、労働者の賃金は20分の1だったと。高い、安いにはこのトリックがある。資本主義体制が今、末期的症状にあることを見据え、そうじゃないあり方、自然をベースにした生き方を見据える人間が増えていくことが必要だろうと思うと。

 萩原さんは、この村上さんのまとめに、「末期的症状にあることは心ある人ならばそう思っているだろう」と応え、そういう中でどうするのかが課題だろうと。水も空気も大事になってきている、その中での大地。政府は「想定外だ」という、天災、大雨でも大変なことになっている。その背景に耕作放棄地が増えていることがある。農地を耕すによるこのことへの効果は5兆円、6兆円とも試算され「自然を守っている」と言われている。この自然を壊している。空港なんてその最たるものだ。それに至る道路、鉄道、駐車場、ホテル、そういうものだけでも空港の何倍にもなる。それに20万回、30万回と簡単に言うが、そのジェット機、1機、1機が凄い燃料を消費して空にまき散らされてるわけだ。
 それを経済効率のためにするという、簡単に言っていいものかどうかだと。人間が生きるためにそれがいいのかどうか。その大きな転換点が「3・11」じゃなかったのか。
 今日の裁判も、「判決ありき」ですよ。昨年の「8・6」同様、代執行をやってくる。これが国策裁判でなくてなんだ。でたらめだ。それを覆すにはいかに広範な人々が関心をもってくれ、声を出していただくかだと。

 村上さんは最後に、今、池の平の農地が30年余り放棄され大木が育っているようなところを5、6人の仲間で開墾しており「人々が生きれる場として再生したい」と話された上で、「人間に必要なものは綺麗な水と空気、それに衣食住だ」「幸せかどうかはお金ではなく心のありようだ」とされ、農が自然を壊さない限りやっていけると。「お金がなくても生きていける」と。

 萩原さんが最後に訴えられました。裁判が年度内判決、第3誘導路が3月31日供用開始という状況を迎えている。市東さんの周りが一変する。今度の裁判は、千葉地裁で仮執行宣言がつく可能性が大だ。千葉地裁で判決が出た時点でいつでも市東さんの周りを整地できるという状況だ。それに対する対応を考えなければならない。仮執行というのは要するに代執行だ。どうやって代執行を拒み、阻止するかと構えなければならない。
 10月には、当時の国交省の責任者であった石指の証人調べだ。あくまでも彼を法廷に晒さないために神戸地裁を使ってビデオリンクで行うという形をかたくなにとってきた。そういう訴訟指揮に対して裁判官を前回の裁判で忌避した。10月の予定された期日までに結論はでるだろうから、裁判所の近くの公園で集会をやってデモをする。みなさんには、神戸地裁でビラまきなどで抗議・宣伝活動をして欲しい。
 市東さんのところは寝起きしている母屋だけしか残らないんですよ。後ろは誘導路が通る。囲まれるというようなものじゃない。空港の中に埋没させるということだ。こんなやり方を、許すことは絶対にできない。この怒りをあらゆる形で表明したい。ですから、非常な意味を持つ10月集会です。10・7現地に一人でも多く駆けつけていただきたい。

12916_8 ここで4人の方々からリレートークによる挨拶が行われました。全日本建設運輸労組近畿地本関西生コン支部執行委員の福嶋さん、部落解放同盟全国連合会中央執行委員の寺下さん、STOP原子力★関電包囲行動の韓さん、「福島弾圧裁判」当該の古河さんの4人です。

 すべての最後に関西実行委員会の山本世話人がまとめの挨拶をされました。
 山本さんは、村上さんのお話しに自らの生き方を考えさせられた「哲学的なもの」と評され、萩原さんからは半世紀に及ぶ闘い、しかも市東さんを住めなくさせようとするものへの闘いが語られたと。12916_910・7に総決起することと、日本の農業が国によってTPPなどで破壊されようとしている中で、村上さんが言われたように人間が生きられる未来、世界を作っていくということと結びつけて三里塚の闘いの正義さを、こんどの10・7の闘いで総決起したいと思います。9月10日、千葉に裁判に行きましたが、ほんとに国策裁判、どこにも司法の独立などありません。これを許さず、我々は闘う。その闘いは、3・11以降、あれだけの東京で、大阪で、そしてオスプレイ配備反対で沖縄で10万の人が集まっている。怒りは満ち満ちている。三里塚を今まで闘ってきたことを誇りに思ってさらに頑張ろうと。

 12916_10さあ、デモに出発です。初めて2人の女性がジャンベをデモの先頭で叩いてくれます。暑い中、シュプレヒコールが絶えることなくジャンベのリズムに乗って続けられます。山本先生などは信号で止まっていても、ほんとに楽しそうにステップを踏み続けておられました。その元気さに脱帽でした。初めてこういうデモをされたという村上さんも終わってから「楽しかった」とご感想。

 終わってから萩原さんが「10数年ぶりに農業に真正面から向き合った人の話しが聞けた」と嬉しそうに語っておられたのが印象的でした。村上さんからも「萩原さんとのコラボは、より良き出会いがありました」とメールをいただきました。集まられた皆さんが、シーンとなってお二人の話に一生懸命に聞いておられる様子が伝わってきましたし、デモに出る前に数人の方が、感銘深そうに感想を私に言っていただけたことも、非常にうれしかったです。

 さあ、10・7現地へ、10・15千葉地裁へ連続決起しよう!



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2012年9月15日 (土)

今週の産直野菜(9月15日)

12915 今週の産直野菜が、先ほど三里塚から届きました。
 写真左上から、ピーマン、オクラ、ししとう、なす、じゃがいも(北あかり)、ミニトマト、玉ねぎ、きゅうり、ごーや 以上9品です。

 『野菜だより』が、「夏から秋への移行期、野菜は少なめ」と書いています。私たちが関西で三里塚産直を、「地産地消」を無視して無謀にも始めたのは4年前ですが、その最初の冬から春が大変な寒冷で不作に見舞われ、あちこちから不満が噴出。なだめ、説明するのに一苦労したことを思い出します。5品くらいしか来なかったですから。それに比べれば楽勝、楽勝。これくらいなら今週は楽にこなせると内心ほっとしたり・・・。それでも玉ねぎがだぶついています。

 昨日は、関電包囲行動に行ってきましたが、直前に滝のような雨。12914そのせいか、昨日は少し少なく、5~6百人というところかな。山本太郎さんも先週に続いて顔を見せています。「大阪人になります」と言っていたが・・・。
 いつも布で手製のバナーを作っておられるOさんが、「今日はこれを作ってきた」と嬉しそうに見せて下さる。生憎の雨ですから「今日は無理かな」とみんな。なんと関電本店前の大看板にかぶせるバナーで、「関電は原発を動かしている悪い会社です」と大書。小学生でも読めるようにと、ふりがなも。
 それを見ておてんと様も考えたか、雨が上がり、みんなで大看板に付ける算段をはじめるが、この看板が大きくて高い。傘をつないだりいろいろするがうまくいきません。両はしに紐をつけ錘をつけて放りあげたら何とか引っかかって右写真のように広がった。ここで天満署の警察官が「お前ら、やりすぎやぞ」と飛んできた。12914_2「何がやりすぎや。何という法律に違反してるんや」と押し問答。下地さんの説得調の応答の横で、韓さんが凄まじい剣幕で、「お前らにどんな資格があってここにおるんじゃ」と叱りつける。たじたじとなった警察は、ついに退散。横では、黄色いリボンと、この日は沖縄に連帯して赤いリボンも登場して委細お構いなく結び始めていました。関電のガードマンもあきらめ顔で、忘れた頃に「リボンを結ぶのはやめてください」と小さな声で。「原発の稼働をやめたら、はずしたる」と即座に言われた人が応えています。そのうち、「再稼働反対」のコールが始まりました。毎週金曜日の夕方、関電前は賑やかですよ。来たことのない人は、ぜひ、覗いてください。

 明日は、「この国の農業と三里塚」の集いです。大阪市立中央会館においでください。

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2012年9月14日 (金)

団結街道裁判(9月18日)の傍聴を

 成田市による団結街道の廃道化処分が不当であるとして処分取り消しと、空港会社による封鎖を解除せよと求めている「団結街道裁判」が、9月18日(火)午前10時半より、千葉地裁601号法廷で開かれます。傍聴券配布の関係で、開廷30分前には千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

 Photo_2団結街道は、明治以来天神峰、東峰、堀ノ内、十余三など周辺住民が生活道路として使われてきた道路です。右写真は古いものですが、左下の木立(市東さんの家と畑)から写真中央上部に真っ直ぐ延びているのが団結街道です。それを住民や利用者に何の断りもなく、空港会社の要望だけで成田市が廃道化したことは明らかに違法な処分です。今、法廷では、成田市や他の自治体でこうした例が以前にあるのか、成田市の処分の根拠を問い質していますが、それへの回答の文書が出されてくるかどうかが今回の法廷の中心です。
 裁判長は、先日の農地裁判で空港会社に露骨な助け舟をだし、農地強奪の国策裁判を悪質な予断を持って進めているいる多見谷です。重大な局面を迎えている農地裁判と一体で、この裁判において多見谷裁判長と空港会社を追い詰めていくことは重要な闘いです。是非、傍聴に駆けつけてください。

 1278左写真は変わり果てた団結街道周辺の様子です(7月8日撮影)。途中で団結街道を遮断し、左に大きく曲げてフェンスが作られています。最初は現場ではわからなかったのですが、右上の写真をご覧ください。中央部を白いコンクリートが、市東さんの畑に分断されてあります。これが滑走路に平行に作るとされた誘導路で、現在使われていません。ここで「へ」の字誘導路になっているわけです。
 この団結街道を横切り、左に曲がったフェンスは、天神峰現闘本部を不当に解体・撤去した上で、市東さんの畑の際までこの白いコンクリートを延長し、市東さんの畑が裁判で取り上げられれば、直ちに「へ」の字を解消しようとする目論見で工事が準備されていることを示しています。一部はすでに始まっているのかも知れません。市東さんの御宅の前の畑の東側にある暫定滑走路前の監視台から見えるはずです。本当に怒りなしにはおれません。

 9・16「この国の農業よ三里塚」の集いとなんばまでのデモを成功させ、10・7三里塚全国総決起集会へ新たな怒りのうねりを生み出そう。連続して10・15農地裁判(裁判官忌避の推移によりますが)に決起しよう!

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2012年9月13日 (木)

「福島支援弾圧」裁判 有罪の不当判決

12913
 今日、大阪地裁で「福島支援弾圧」裁判の判決公判が開かれ、古河さんに対して検察の求刑通りの「懲役1年、執行猶予3年」の有罪判決が不当にも強行されました。

 裁判長は冒頭、判決文の主文で罪状について自ら語ることなく、「起訴状の通り」と始めるというデタラメなものでした。前回公判での検察官の論告求刑が、「驚くほど短い」(弁護士談)ものでしたが、なんとこの日の裁判長の判決文はそれよりも短いという「スカスカ」(弁護士談)なもので、その内容のなさに怒りを通り越して、傍聴席のあちこちから失笑がもれる有様でした。
 警察・検察のでっち上げ、起訴自体がデタラメなどの弁護側の主張に対し、裁判長はそれに向き合うことなく、「証拠がない」と一言ですまそうとするなど、本当に許せないものでした。

 判決の法廷が終わってから、隣の弁護士会館で報告会(最初の写真)が行われました。12913_3弁護士のみなさん(右写真、右から2人目は古河さん)から、判決の説明とそれへの感想が述べられました。古河さんからは、「これほど許せない判決はない」と怒りを込めた感想が述べられた。
 そのあと、報告会に参加したひとりひとりが、「闘い続けることでこの弾圧をはね返そう」などと感想と怒りをこもごも語られました。この日初めてこの裁判を傍聴された方が3人もおられました。
 12913_4福島事故をもはやなかったことにしたいと許し難い願望を持つ国家権力にとって、古河さんが三里塚と福島を結び、毎月のように福島に入り込んでいることが「目障り」なのでしょう。最後に古河さんが、この弾圧を通して大家さんとの関係や職場や重度の被介護者のみなさんとの関係がまったく揺るがなかったし、いろいろな関係の仲間や福島のみなさんとの関係もびくともしなかったことに謝辞を述べられた。そして来週20日からも福島に三里塚で野菜を買って行くことを明らかにされて、「堂々と闘いをやり抜いていきたい」と決意を述べて、報告会を終わりました。

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9・16「この国の農業と三里塚」の集いへお集まりください

市東さんの農地を守ろう  第3誘導路建設反対  TPP(環太平洋経済連携協定)反対  10・7三里塚現地へ  三里塚・沖縄・福島を結んで闘いぬこう

 この国の農業と三里塚

Photo いま三里塚、沖縄、福島で野田政権がすすめている国策は、農民・住民、私たちを切り捨てるものです。福祉や復興を口実に消費増税を強要し、農業はもとより国民のくらしを根こそぎ破壊しようとしています。そのうえ、農業、医療をはじめ広い分野で住民生活を塗炭の苦しみに追いやるTPP(環太平洋経済連携協定)加盟の道を開こうとしています。
 7月、代々木公園に集まった17万人。毎週金曜日の官邸前はじめとした各地の怒りのうねり。オスプレイ阻止の沖縄県民の怒り。Photo_29・9沖縄県民集会10万人の声。私たちは「もう黙っておれない」と立ち上がる人々と連帯し、三里塚における「犯罪的な国策」をやめさせたいと考えています。
 47年間、国家権力を相手に非妥協に闘い続けてきた三里塚反対同盟農民の萩原進さん(右上写真)、福島・飯舘村で3・11に直面した農民の村上真平さん(左写真)。お二人のお話しを聞き、考えようではありませんか。立ち上がろうではありませんか。9・16「この国の農業と三里塚」の集いにお集まりください。

【とき】 9月16日(日)午後2時~4時半Photo_4
 (開会前に、現地の様子のスライド上映があります)

【ところ】 大阪市立中央会館ホール(右案内地図・クリックすれば大きくなります)

【主催】 三里塚決戦勝利関西実行委員会/三里塚芝山連合空港反対同盟

 集会後、なんばまでデモを予定しております。

【資料代カンパ】 1000円(学生・高校生 500円)

 

 

 

 

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10・7三里塚全国総決起集会 招請状

        招請状

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん。時代は変革へと大きく動き出しました。「原発ゼロへ、今すぐに」の巨万の直接行動が堰(せき)を切り、消費大増税とTPP(環太平洋経済連携協定)、オスプレイに対する人々の怒りが、野田政権を倒壊寸前にまで追い込みました。民衆の行動にこそ時代を動かす力がある! この巨大なうねりとひとつになって、反対同盟は10月7日に「国策」=空港建設と対決し身体を張って農地を守る全国総決起集会を開催します。多くの皆さんの結集を強く呼びかけます。
 3・11大震災と原発事故による被曝の脅威は、この社会に対して根本的な問題を突き出しました。競争原理のもとで利益だけを追求し、「国策」の名の下に人の命と尊厳までも踏みにじるこの社会のあり方を転換することが問われています。
 野田内閣はこれに応えるどころか、政治主導の事故収束宣言やストレステストから原子力規制委人事に至るまやかしの政治で原発の再稼働を強行し、その存続に血道をあげています。民衆を裏切りあざむく政治の裏で、軍事利用を可能にする原子力基本法の改訂までも強行しました。
 さらに、生活苦を追い打ちする消費大増税。生計がたたず次代に引き継ぐこともできない農業、非正規化・低賃金の労働政策、16分間に一人という自殺社会! TPPはまったく異常なこの現実をさらなる競争原理に叩き込み貧困と格差を促進する最悪の選択です。日米同盟の強化に向かう露骨な動きが、「尖閣」「竹島」北方領土の軍事的緊張と排外主義を激化させています。
 反原発・脱原発の一点で行動する巨万の決起と官邸前抗議の底流には、変革を求める民衆の怒りが渦巻いています。
 歴史が動くこのときに、三里塚は市東孝雄さんの農地をめぐる決戦を迎えました。
 みなさん! 成田空港は実力抵抗の闘いによって、アジアハブ(基幹空港)から陥落し、羽田国際化へと政策転換を余儀なくされた未完の欠陥空港です。市東さんの農地強奪の動きは、このぶざまな現実に追いつめられたあげくの暴挙です。それゆえ攻撃は凶悪であり、現闘本部北側の農地だけにとどまらず自宅前の出荷場や農機具置き場など営農手段のすべてを奪う収用攻撃そのものです。市東さんの闘いは農業壊滅と闘う日本の農家の縮図です。この秋から来春、三里塚は拙速審理─不当判決と第3誘導路供用開始(3・31)に対決して闘う文字通りの決戦に入ります。
 三里塚闘争は、「労農連帯」の旗の下、北富士─砂川の闘いを引き継ぎ「国策」=空港建設と46年間闘い続けてきました。反戦・反核・反基地闘争の砦です。脈々と受け継がれる民衆闘争の歴史、絶対反対の実力闘争、三里塚が堅持してきた真価が、巨大な変革へのうねりのただ中で、未来に向かって解き放たれるときがきました。10・7三里塚全国集会は、新たな歴史の扉をひらく決戦突入集会です。
 反対同盟とともに車の両輪として闘い続ける動労千葉、動労水戸の組合員が10・1外注化阻止の決戦に入りました。労働組合の真価をかけた国鉄1047名解雇撤回、非正規職撤廃に向かうストライキに連帯して闘おう。
 いまこそ大胆に、違いをこえて連帯し、巨万の力を生み出そう! 反対同盟はなによりも被災地・福島の闘いと連帯します。反原発・反TPPの全国農民会議に闘う農民を糾合しよう。オスプレイの普天間配備を許すな! 沖縄を始めとする反戦・反基地闘争、関西を始めとする住民運動、市民運動と連帯しさらにすそ野を広げよう。あらゆる差別・抑圧を粉砕し、排外主義を打ち破り、韓国やアメリカ、全世界の労働者・農民と連帯して闘おう。10・7全国集会総結集へ、青年・学生の力強い決起を訴えます。

2012年9月2日
                     三里塚芝山連合空港反対同盟

【集会名称】第3誘導路粉砕・市東さんの農地を守ろう!/ フクシマ連帯・原発再稼働許すな!/ TPP(環太平洋経済連携協定)反対!/ 軍事空港粉砕・改憲阻止!
  1210710・7全国総決起集会

【日時】 10月7日(日)正午

【会場】 成田市東峰 反対同盟員所有畑

【主催】 三里塚芝山連合空港反対同盟

(右地図はクリックすれば大きくなります)

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2012年9月12日 (水)

市東さんの農地裁判傍聴記

 910日「市東農地裁判」を傍聴しました。

 私は都合で途中退席し、かつ公判後の報告会にも参加できませんでしたので、詳細は他の方の報告に委ね、個人的な感想だけを述べます。

 マイクは拡声器ではない?

 今回の証人は渡辺清一という元千葉県農林水産部農地課の課長だった人物でした。その渡辺は声が小さく証言が聞き取りにくく、特に「イエスかノーか」「右か左か」的な肝心なところがほとんどわかりませんでした。そんなことで、しばらくすると傍聴席から「マイクを通して証言してほしい」との声があがりました。私は当然多見谷裁判長がその要請にすぐ応えるだろうと思っていましたがさにあらず、完全無視でした。当然傍聴席からは次々と抗議の声があがり、大口弁護士も「(証人の)そばにいる私でさえ聞き取りにくい、マイクをつけてほしい」と訴えましたが、多見谷から返ってきた答えは「マイクは拡声器ではない」(??)でした。何もややこしいことを要請しているわけでもないのに・・まさに敵意むきだしの裁判長です。そして傍聴席からすこしでも声が出るとすかさず廷吏が「静かに!」を連発するのでよけいに聞き取りづらく、私は思わず廷吏に「静かに!」と言ってしまいました。

 また多見谷は弁護団が少しでもミスをすると被告側と一緒になって揚げ足をとり、逆に証人がまずい返答をすると割って入り、被告側に有利な証言に直させたりしました。まさに「悪奉行」でした。

 血も涙もない証人

 12910尋問の途中で市東孝雄さんが挙手し、「私は農地を取り上げられたら生きていけません。あなたの言動に私の命がかかっていることがわかりますか?」と訴えました。すると渡辺は「農地法に従って処理します」とぶっきらぼうに答えただけでした。「血も涙もない」とはまさにこのことです。農業と農民を守る立場の人間の言葉とは到底思えません。「(NAAから)金もらっとるんだろう」傍聴席からヤジが飛んだのも当然です。

途中退席のため一人廊下に出ると、そこには屈強な身体の廷吏が10人ほどたむろしていて私をにらみつけました。あの裁判長にこの暴力的廷吏の連中・・私は「まあまともな裁判やないな」と心の中でつぶやきました。しかし、しかし負けるわけにはいきません。「敵の土俵」には変わりませんが、これからも駆けつけようと思っています。

       ― 尼崎・伊丹実行委  弥永 修

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2012年9月11日 (火)

昨日、農地裁判  裁判長忌避を叩きつけた

 昨日、9月10日、農地裁判(市東さんの農地をめぐる行政訴訟と農地法裁判を併合)の証人尋問が行われました。出廷した証人は、2006年7月に千葉県が空港会社の申請を鵜呑みにし市東さんの耕作権の解約手続に許可を与えた張本人である当時の千葉県農地課の課長・渡辺清一です。

 12910弁護団の8人は徹底的に渡辺を追求しました。しかし、渡辺は、騒音問題やシカゴ条約違反をまったく検討もしていないことを、耕作者本人の同意もなく農地を奪うという憲法違反などを、「書類が揃っておれば許可するのが当然」と言わんばかりに傲然と開き直ったのです。市東さんが直接みずからの命がかかっていることを追求されても、「十分な補償だ」と「農民をやめておとなしくすればいい」(萩原さんの報告会での弁)と言わんばかりの態度だ。当然にも弁護団と傍聴席はこれに対し、怒りをあらわに弾劾し抜いたのです。
 多見谷裁判長は、何と、この法廷の状況に慌てて助け舟を出す訴訟指揮をして、その予断を隠そうともしなかったのです。しかも、次回の証人に予定されている当時の国交省成田空港課長・石指(いしざし)証人を、多忙と重責を理由に千葉に呼ばず神戸地裁に呼んでビデオ会議で行うというのだ。弁護団から「神戸に法廷を移して出張尋問すればどうか」という提案にも耳を貸さず、「証人隠し」をやろうとしたのです。このあまりに一方的で予断に満ちた訴訟指揮をする多見谷裁判長に対し、弁護団は「裁判官忌避」を叩きつけたのです。

 12910_23時間半に及ぶ法廷後、会場を移しての報告会が行われました。冒頭、市東さんから挨拶。市東さんは「頭にきた」と怒りをあらわにしながら「行政・お役所というのは空港を作るためなら何でも許可するというのが見え見えだ」と弾劾し、「ビデオ会議であろうがどんどん追求して頑張っていこう」と呼びかけられました。
 葉山さんをはじめ7人の弁護士のみなさんが次々に立って怒りを表明され、「裁判官忌避」をめぐる闘いは、これから裁判所内外で怒りを叩きつけてやり抜こうと提起されました。
 北原事務局長が「早く判決を下したいという裁判長の態度」を糾弾し、「あらたな戦場に入る10・7全国集会」の重大性を訴えられ、「反対同盟は健在です」と結ばれました。動労千葉から滝口さん、関西実行委から山本さん、群馬から青柳さんが挨拶をされました。
 最後に萩原事務局次長が立ち、昨日の沖縄、岩国、東京の闘いに連帯し、現地で障害者の闘いが取り組まれたことを報告した上で、「福島といい、市東さんについてといい、国・行政に絶対に責任をとらせることが必要だ」と訴えられました。「裁判の場で、我々が裁判をつくり、かたくなに自己保身に汲々としている連中を粉砕しているとして、これが三里塚の闘いだ」と。「市東さんに億の補償で150年暮らせると当時ほざいた渡辺の頭をぶち割ってやりたい」「怒りを共有して闘えば勝てるんだ」と訴えられました。そして「10・7全国集会の翌週だけれども10・15石指証人を追い詰めるために、集会、デモをやる。そのためにも10・7が大事だ。この夏・秋の闘いの成果を規定するものとして10・7を闘い抜いていきたい。圧倒的な結集を」と呼びかけて結ばれました。

 多見谷裁判長に対する裁判官忌避は、「国策裁判」を強行しようとする千葉地裁総体の現状の中、予断を許しません。10・7、10・15への連続した決起をもって闘い抜くことが求められています。まずは、来週の9・16「この国の農業と三里塚」の集いとなんばまでのデモを成功させよう。

 なお、管理人は傍聴者があふれ、関西からも8人が決起したこともあり、法廷には入れず、報告会の様子からまとめましたので、不十分なところがあるとは思いますが、お許しください。また、たまたまカメラの調子が悪く写真が撮れませんでした。お詫びします。

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2012年9月 8日 (土)

今週の産直野菜(9月8日)

1298 先ほど三里塚から産直野菜が届きました。写真左上から、さつま芋、ピーマン、ししとう、なす、瓜、オクラ、きゅうり、ゴーヤ、玉ねぎ、空芯菜、葉しょうが 以上11品です。モロヘイヤは終了だそうです。

 暑さと旅疲れで空芯菜はぐったり。今、水に浸けてやっています。1時間もしてから冷蔵庫にいれてやれば1週間以上元気になります。今回は大きな瓜が真ん中で割れていました。別に支障はなさそうなので、すぐに小さく切って漬物にしてやります。

 夏場でこの賑やかさですから、毎回の食事に野菜の小皿が6品、7品と並びます。そのお陰か、秋に入ると共に毎年夏バテとなるのですが、今年は今のところ大丈夫。この9月、10月も残暑の中で、スケジュール過多の取り組みが続きます。

 昨日も、関西電力本店前では、1000人を上回る人々が、「再稼働反対」「すべてを廃炉に」と声を上げていました。山本太郎さんが来ていて、何度かアピール。今や恒例になった黄色いリボンをつけるのも、関西電力は諦めたのか、時折小さい声で「やめてください」というだけ。天満署の警察官も見ているだけです。

 さあ、みなさん。明後日、9月10日、午後1時、千葉地裁に集まりましょう。

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2012年9月 7日 (金)

「成田空港の自由化」について (その1)

 2010年10月、日米航空交渉が「成田空港の自由化」を柱に1984年の交渉開始以来27年もかけて妥結した。以降、その日米航空協定をモデルに、イギリス、オーストラリア、韓国、シンガポール、ベトナム、香港、インドネシア、カナダなどに直近のオランダ(2012年8月合意)を含めすでに19ヶ国との成田空港の自由化をめぐる航空協定の改訂が進められた。その前提が、「成田空港の発着枠が年間27万回化を実現する2013年以降」となっている。今、成田空港ではこの前提を実現するために、第3誘導路の完成が急がれ、来春2013年3月31日の供用開始に向け、昼夜をわかたぬ工事が強行されている。そして、国交省は、「四者協議会(注)の合意(2010年10月)」を口実に2014年30万回化を国際公約として打ち出している。(注 四者協議会=国、千葉県、空港会社の3者と、成田市を中心とした芝山町など地元9自治体で構成した「成田空港圏自治体協議会」の合わせて4者)

 私たちは、この「成田空港の自由化」がもつ重大性を見誤ってはならない。もちろん、アメリカは、1984年の改訂交渉の開始以来、その巨大な航空産業の力を背景に日本に「航空自由化」を求めていた。対して、1952年、航空法を制定して「日本の空」を育ててきた運輸省(当時)、国交省は一貫して徹底した保護主義による航空政策をとってきた。この改訂交渉の過程でも、2000年に航空法を改訂し、羽田空港と成田空港を除くほとんどの空港の自由化を行なったものの、確認できるだけでも、少なくとも2007年初めまでは、頑強に「成田空港の自由化」は拒んできた。それが、なぜ2009年末に「成田空港の自由化」の基本合意、2010年10月の協定締結に進んだのか。

 この日米航空交渉の中で、日本・国交省は、羽田・成田以外のほとんどの空港の自由化を認めたものの「航空運賃の自由化」は、IATA(国際航空運送協会 注)の運賃規定を盾に、2007年まで認めなかった。(注 IATA=1945年に設立された世界の航空会社による国際団体。運賃、輸送条件やその他の重要事項の決定に際し強い力をもっていた)
 政・財界を中心にした新自由主義の流れの中で、国交省は「航空ムラ」「抵抗勢力」と揶揄されていたのだ。安倍政権のもとでの「アジア・ゲートウェイ戦略会議」の座長を務めた伊藤元重東大教授は、その著作『日本の空を問う』の中で「2007年5月に出された政府のアジアゲートウェイ戦略会議(議長は安倍総理)の報告書では、『オープンスカイ政策』という文言を入れることに国土交通省が難色を示した」と書いてはばからなかった。

 基本合意した2009年末とはどういう時だったのか。普天間基地の移設について「少なくとも県外」との公約を鳩山首相が破棄する過程が始まった時だ。そして、自民党政権が決断できず先送りを続けていた日本航空の破産を国交相就任早々に行なったのが前原だ。新自由主義の申し子とも言うべき前原が、TPPについて「GDP(国内総生産)の1.5%でしかない農業を守るために98.5%を犠牲にしてよいのか」とぶち上げたのを忘れてはならない。
 アメリカによる「成田空港自由化」の要求を、前原は自らの新自由主義的立場から、国交省の保護主義をぶっ倒して受け入れたのだ。この経緯自体が、「成田空港の自由化」の重大性を物語っている。
 先に上げた伊藤東大教授は同書の中で「こうした意見の根底には、日本の航空会社の路線を増やすことが国益であるというような考えが見え隠れする」と国交省を批判し、「より多くの路線が組まれれば、たとえそれが日本の航空会社であろうと海外の航空会社であろうと、ユーザーである国民の利便につながる」と新自由主義の自論をあけすけに展開する。1%の人間に依拠した「成田空港自由化」の本質がここにあるのだ。もちろん、本論はこれまでの国交省の保護主義を弁護する意図など持ち合わせてはいないが。

 こうした国交省の保護主義の歴史と「成田空港自由化」への転換については後日論じるとして、市東さんへの農地強奪の攻撃が、2003年の空港会社による「農地の取得」公表と明け渡しの要求、2006年から始まる空港会社による農地法で取り上げようとする攻撃の開始が、2009年末の「成田空港自由化」以前であることについて触れなければならないだろう。

 国交省(当時は運輸省)は、「空港を作れば需要ができる」と関西空港に反対する私たちに言ってはばからなかった。三里塚反対同盟の農民を先頭とする三里塚の闘いは、1990年代初め国を完全に追い詰め、土地収用法の失効を認めさせ、空港計画の事業認定が取り消された。その結果、羽田・成田の首都圏空港の狭隘さはいかんともしがたい事実として国交省は受け止めざるをえなかった。それゆえ、関西空港、中部空港が巨大な資金を投入して完成された。
 しかし、1994年開港した関西空港の破綻が、この国交省の航空政策の基盤である空港政策を完全に行き詰まらせた。なにしろ、JAL、ANAがともに関西空港の欧米便を早い時期に撤退し、未だに就航させないことがなによりもそのことを物語っている。このことは、東京一極集中が極度に進むいびつな経済構造の日本では首都圏空港を拡張するしかないという判断を国交省に迫ったのだ。しかし、国内線の唯一の最重要拠点である羽田空港の拡張(滑走路4本化)を行なったところで、現在でも国際線に割り当てられる路線は10万回がやっとであることは明らかだった。第3空港の展望もなく、国に横田基地の返還を迫る気概もないことは明らかだった。追い詰められた国交省が取れる道は、一度は断念した成田空港の拡張、完成しかなかったのだ。これが2003年、2006年に始まる市東さんへの攻撃を生んだ。
 しかし、民主党政権のアメリカ追随、新自由主義への雪崩うつ転換は、この2003年、2006年当時の国交省の判断とはまったく質を異ならせた「成田空港自由化」のもとでの市東さんへの農地強奪、第3誘導路建設へと走らせているのだ。当初彼ら国交省自身が想定していたものとは全く違う政治性と緊迫性をもったのだ。それゆえにその攻撃の本質は、かってなく凶暴であり、正に1%の側に立った、地域住民に何が起ころうが構わないというものとなっているのだ。こんなことが許されようか。(つづく)

 想いを新たにして、9・10農地裁判、9・16「この国の農業と三里塚」の集い、10・7全国総決起集会、10・15農地裁判へと連続決起しよう!

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2012年9月 4日 (火)

9月10日 農地裁判の傍聴を

 すでに幾度か訴えておりますが、市東さんの農地などに係る農地裁判(行政訴訟と農地法裁判を併合)が極めて重要な段階を迎えております。すでに、5月、6月と2回の証人尋問が行われました。多見谷裁判長は、年内毎月の証人尋問を「粛々と」行い、来年早々にも結審、判決へと進めようとしています。

 最重要証人として暫定滑走路北延伸着工を決めた責任者であった2006年当時の航空局成田空港課長・石指雅啓証人を、多見谷裁判長は、自ら4月の法廷と一旦は決めながら、空港会社(あるいは国交省そのもの)から指摘されたのか、直前になって10月の法廷に変更しました。しかも、「現在第5管区海上保安庁(神戸)の本部長という重責を担っているので、神戸からテレビを使って証言をしてもらう」(ビデオリンク方式)という空港会社の主張に沿った訴訟指揮を明らかにしたのです。反対同盟弁護団は、この不誠実な裁判所の姿勢を批判すると共に、(百歩譲って)それなら神戸に出張して裁判を行えと求めていました。しかし、この要請を多見谷裁判長は拒否して、千葉でのビデオリンク方式を指揮しています。ここにも、「粛々と」裁判を進めようとする多見谷裁判長、千葉地裁の意志が露骨に示されています。

 民主党政権は、2013年成田空港の自由化、2014年30万回化をアメリカとの航空交渉によって突きつけられ、2010年に、辺野古新基地をめぐる日米合意、TPP参加表明とともに、アメリカ追随の国家意志として、第3誘導路強行着工(2013年3月31日供用開始)、2013年内の市東さんの農地強奪を前提とする新成長戦略、成田空港の自由化と羽田・成田の一体運用、2014年30万回化を「国策」としました。このことに千葉地裁、そして多見谷裁判長が全面追随し、それを支えるための司法判断を行う意志を固めているということです。そのためには、空港会社が違法行為の数々を行なっているとか、農地法に違反した農地強奪であるとかに委細関わりなく、とにもかくにも「国策だ」という結論ありきの裁判でしかありません。

 これは沖縄で「安保条約・日米地位協定を憲法より上位とする」司法判断、あの「在日米軍基地の存在は憲法違反である」とした伊達判決をアメリカの意志に依拠して覆した最高裁判決、あるいは「国が原発は安全であると言っている」ことを前提として全ての原発反対の訴訟を門前払いしていった数々の最高裁判決。戦前のどす黒い人民圧殺の機関としての裁判所の血に塗られた歴史を何一つ反省することなく引き継がれてきた司法権力のこうした歴史が、今正に、三里塚をめぐる裁判で、福島をめぐる裁判で息をしているのだということを私たちは怒りを込め確認せざるをえません。「国策」の不正義を、反人民性を、司法が「三権分立」の名のもとに正当化するこの犯罪を、私たちはこれ以上許してはならないのではないでしょうか。

 今、首相官邸前で、関西電力前をはじめ全国30ヶ所以上の電力会社前で、毎週金曜日に数万、数十万の人々が「再稼働反対」「すべての原発を廃炉へ」と怒りの声を上げ続けるように、千葉地裁を包囲し、法廷に私たちに怒りの声を充満させることが求められているのではないでしょうか。

 親子3代、100年も耕され続けてきた一級農地を強奪し、周辺地域住民の生活と営農を破壊する騒音地獄をはじめとした惨禍におとしこむものでしかない、成田空港自由化、30万回化の攻撃を、民主党政権のアメリカ追随の政策によって「国策」として強制することなどどうして許されるでしょうか。市東さんの農地に係る農地裁判の傍聴に駆けつけて下さい。

● 9月10日(月)午後1時半~ 千葉地裁601号法廷
 06年当時千葉県農地課長として、市東さんの訴えに耳を貸さず、空港会社の違法、デタラメな農地取り上げの要求に手を貸した渡辺清一証人です。

● 10月15日(月)午後1時半~ 千葉地裁601号法廷
 06年当時、国交省航空局成田空港課長として暫定滑走路北延伸を直接指揮し、市東さんの農地強奪を指示した張本人である石指(いしざし)雅啓証人。なおこの日は、開廷前に、反対同盟主催の集会とデモが千葉地裁の近くでおこなわれる予定です(詳細未定)。

● 11月12日(月)午後1時半~ 千葉地裁601号法廷
 反対同盟の萩原進事務局次長が証人です。

● 12月10日(月)午後1時半~ 千葉地裁601号法廷
 当該である反対同盟の市東孝雄さんが証人です。

 いずれの法廷も傍聴券配布の関係で、開廷40分前には千葉地裁1階ロビーにお越しください。

 9月10日、千葉地裁へ。そして9月16日、『この国の農業と三里塚』の集いへ(大阪市立中央会館)。

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2012年9月 1日 (土)

今週の産直野菜(9月1日)

1291 今週の産直野菜が、先ほど三里塚から届きました。なんと凄い品数です。

 写真左上から、唐辛子、ピーマン、さつま芋、じゃが芋、きゅうり、なす、カボチャ、オクラ、葉しょうが、モロヘイヤ、瓜、ミニトマト、赤ネギ、ゴーヤ と14品です。例年なら飽きるほど入るきゅうりが、毎週わずかしか入らず、今回はついに1本です。このへんに、猛暑と水不足が現れています。空芯菜が、先週わずかに入っただけで、もう、今週はありません。このへんにも厳しさが。

 それでもこの沢山。萩原さん、市東さん、そして現闘さんたちの汗水流した大奮闘が目に浮かびます。

 同時に、10月21日の現地での『芋ほり大会』の正式の案内が入っていました。今回は、関西からも現地が初めての4人をはじめ参加が予定されています。翌日は、現地調査も。

 12828この数日、神戸で28日に『在日外国人「障害者」無年金問題』での兵庫県交渉(右写真)、30日には門真3中の『「君が代」処分取消裁判』の控訴審、そして夜は、中之島公会堂での大阪市・橋下市長による『ガレキ処理・埋め立て説明会』に対する抗議アクション(左写真)。12830そして昨日は、関電前包囲行動と大忙しでした。

 しかし、9月はさらに大変そう。9月10日には千葉で市東さんの農地裁判、16日には大阪で『この国の農業と三里塚』の集い、9日には沖縄でオスプレイ配備反対の県民集会、11日には経産省前テント1周年です、すごいですねぇ~。港合同の南労会闘争の裁判が重大な局面を迎え、裁判所前での座り込みも呼びかけられています。12日には西宮の芦原住宅追い出し攻撃との攻防の控訴審裁判。13日には、「福島支援弾圧」裁判の判決公判。23日には「従軍慰安婦」問題をめぐって出てきた橋下大阪市長への抗議の闘い。などなど、この他にもいろいろあります。目が回りそうな過密なスケジュールですが、出来るだけ取り組み、10月7日、三里塚現地への流れを生み出す9月にしましょう。

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