加瀬都貴子さんのご逝去を悼む
闘病中であった神戸市民救援会議の加瀬都貴子さんが、先日、8月5日午前10時過ぎにご逝去されました。享年88歳。写真は、2005年5月、神戸空港開港反対市民集会で挨拶される加瀬さん。
1969年9月、佐藤訪米阻止の闘いが取り組まれていた最中、「今後70年に向かって益々強化されるであろう破防法を含むあらゆる不当弾圧に抗し、権力による犠牲者の実態を告発し、これを救援する為あらゆる地域で救援活動の重要性が必要とされています。人民大衆の側に立ち、支配者の暴力的秩序からの解放を志向する限り、その思想・信条を超えて凡て救援するという原則に立って、神戸市民救援会議を組織し、力強い救対活動を開始したいと考えます」(『発足にあたって』より)として加瀬さんは神戸市民救援会議を発足させ、今日まで43年間の闘いを続けてこられました。
「スカートをはいてただ一人で三里塚を訪れ、機動隊に追われ、畑の中で呆然としている私を農民の人が助けてくれた」と昔を懐かしんでおられた加瀬さんの三里塚への想いは、強く、深いものでした。救援会議の『救援ニュース』にも71年3月、「関西新空港建設阻止!三里塚土地強制収用粉砕!2・28全関西統一行動(神戸)」の記事が掲載され、三里塚へのカンパが訴えられています(17号)。同『ニュース』18号(3月25日付け)には「三里塚野戦病院ニュース」を掲載。1977年4・17鉄塔決戦全国闘争以降、神戸市民救援会議は三里塚野戦病院に加わって、現地闘争での救援活動を開始し、それは35年を経た今日まで続けられています。ここにも加瀬さんの強い三里塚闘争への想いが働いています。
神戸市民救援会議は、関西・阪神間でのあらゆる政治的弾圧との闘い、逮捕時の差し入れや面会、裁判の取り組みなど、党派を問わず救援活動を行なってこられました。その働きが、どれほど多くの労働者、市民、学生を支え励ましてきたことでしょう。私自身、30年ほど前の不当逮捕、起訴の折に家族ともども大変お世話になりました。
同時に、加瀬さんが関西新空港闘争と神戸空港反対を始めとした私たち住民の会の闘いに大きな関心を寄せ、住民の会結成以来40年を超える共闘関係を築いてくださり、ご支援していただいたことを忘れることができません。特に阪神大震災直後から開始し昨年春まで15年余も続けられた毎月のJR元町駅前での神戸空港反対の街頭宣伝に救援会議のみなさんが加瀬さんを先頭に参加していただいたことは、大きな励ましとなりました。
関実という大衆運動(統一戦線)を担っていく上での様々な悩みを折々に聞いていただき、貴重な示唆と励ましを受けたことも忘れることはできません。加瀬さんが三里塚現地に行くことが出来なくなって以来は、三里塚の様子をお伝えすることが私の仕事のようにもなりました。体調が弱られ、1年ぶりに訪れた今年の2月には、私の心配をよそに、3時間近くも三里塚の様子を本当に嬉しそうに聞いてくださいました。「誰も実際のことを最近は言ってくれない。また来てください」と言葉をかけていただいたのが、加瀬さんとの最後になりました。
誰よりも日本の左翼運動の現状を憂え、最後まで激しい気力をもって闘いに想いを馳せておられた加瀬さんにとって、先立つことがいかほどか残念で悔しかったことでしょうか。加瀬さんの激しいまでの想いと闘いへの気力、その遺志を、私たちが引き継ぎ全力で闘い抜くことを誓いたいと思います。そして心からご冥福をお祈りいたします。
新空港反対東灘区住民の会事務局長 松原康彦
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コメント
そういう人もいたんだなあ。すてきだ。熱くなる。
投稿: 田中洌 | 2012年8月12日 (日) 19時18分