8・6ヒロシマ 平和の夕べ 「すごかった・・・」
昨日、広島で5回目を迎えた「8・6ヒロシマ 平和の夕べ」が、用意した資料もなくなり、補助席を追加する約320人が集まって、3時間余り、感動と熱気の中で開かれました。(上写真は、この日の司会をされた河野美代子さんのブログから拝借。管理人も、感動の渦に巻き込まれ、全体の写真を撮り忘れたのです。スミマセン)
67回目の8・6、「核と平和は共存しない」という森瀧一郎さんの言葉を借りながら、産婦人科医で集会呼びかけ人の河野美代子さんが司会をして集会が始められました。
まず、ミュージシャンの三代目春駒さんが、「原爆で生き残ってくれた人にありがとうと言いたい気持ちをこめて」と、ご自身のおじいちゃんの被爆体験をもとにした「その男 ヨシオ」、そして「横を向いて歩こう(替え歌)」「光のうた」の3曲が唄われました。
「核兵器反対と原子力発電反対」と題して、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが講演をされました。「核兵器と原子力発電がどんな関係にあるかを話したい」と切り出された小出さんは、
まずポツダム会談の日に初めて落とされた原爆の歴史からスライドをまじえて話しを初められました(右写真)。ウラン濃縮(広島型)、プルトニウム(長崎型)の違いなど。そして原子炉がこのプルトニウムを作るために生まれたこと。「濃縮」「原子炉」「再処理」の3つの作業が核兵器を生み出した。そこから「劣化ウラン」「減損ウラン」というゴミが生れ、
劣化ウラン弾として使われた。
そして原発を導入するために流された嘘の様々。出てくる放射能(死の灰)のゴミ。そして起こった3・11福島の事故。犯罪者・日本政府が出した数字でも168発分(右写真)。実際はその4、5倍だろうと指摘された。しかも広島の原爆は成層圏に吹き荒れ世界に散らばった。しかし、福島ではこの放射能が地を這うように広がったと。放射線管理区域での作業の様子を話された上で、それ以上の汚染が東北・関東に及ぶ
広大な地域に広がり大地全部が汚れていることを解りやすく示された上で、「人々は住んではいけないのだ」と(クリックすれば写真が大きくなり見やすくなります)。
私たち大人一人ひとりの責任を問いながら、平和利用という名目に隠れながら、「濃縮」「原子炉」「再処理」の技術を持つ日本が核兵器保有の能力を持ち、ロケットをどんどん飛ばしていることを弾劾された。そして最後に、核・原子力と平和が共存できないことを右のようにまとめられ、訴えられた。1時間を超える講演でしたが、解りやすくまとめらました。
ここで司会の河野さんから、「はだしのゲン」の中沢さん、伊方原発訴訟などを闘ってこられた草薙弁護士、そして前広島市長の秋葉さんが集会に駆けつけてくださっていることが紹介された。 ここで、ドイツの緑の党・副代表、連邦議員のベーベル・ヘーンさんが登壇され、「答えは私たち一人一人の手の中にあるのです。私たちはこのリスク多い核の道を歩き続けるのですか?それとも実り多い、そして緑豊かな新しいエネルギーの道を選ぶのですか?私のように子どもたちや孫たちを持っている人々は誰でもその答えを知っています。それは単に技術や運命の問題ではないのです。それは私たちがいかに正しい選択をするかということなのです」と訴えられました。
ここで、戦後ノーモアヒロシマズを提唱し、原爆乙女の治療、原爆孤児の養子縁組などに奔走した流川教会の谷本清牧師の娘で、45年の8・6を生後8ヶ月で迎え、家屋の下敷きになる体験をされた近藤紘子さんが、戦後、被爆したお姉さんたち、被爆孤児たちなどと出会い、育つ中での思いを語られた。特に、子ども心に憎み、敵をうとうと思っていた広島に原爆を落としたB29の副操縦士と小学校5年生でアメリカで会う体験などを通して、また10代でABCCの調査によって自らが裸で世界の医者たちの前に立たされた屈辱、悔しさを語られながら、戦争の犠牲、とりわけ子どもたちが世界で犠牲になっていることへの「傍にいることしかできないが」という想いを語られた。その切々とした訴えは、聞いている私たちの中に染み渡りました。
全ての最後に、講談師の神田香織さんの登壇です。ここからは写真、録音が禁止されましたが、幸い、神田さんのツイッターブログに早速、昨日の写真が掲載されていましたので、無断で転載させていただきます(右写真は原爆ドームでの神田さん)。神田さんは福島県いわき市の出身。高校まで浜通りで育ち、女優になろうと上京したものの、言葉が違いうまくいかないことを、講談を学ぶ努力の中で、講談師の道を選んだこと。そして、サイパンへの旅行の中で、戦争犠牲を語ることを目ざし、沖縄、広島を訪れ、その広島で「はだしのゲン」との出会いを語られた。そして漫画の講談化を快く了解してくれた中沢さんを「自分の2人目の師匠だ」と紹介された
(左写真は、昨日の集会後の交流会でのスナップですが、中沢さんの目が嬉しそうに笑っておられるようなのが印象的ですね。)
その後、神田さんは「通常は1時間かかるが、25分しかないので」と断られながら、『講談はだしのゲン』の原爆投下直後からゲンが、被爆直後の広島の様子との格闘、父や姉、弟が生きたままの焼き殺される様子を目の当たりにし、その業火の現場から母と逃れた中で妹が生まれるまでの話しが、講談として演じられました。
いやあ、すごい迫力でした(右写真は交流会で小出さんと)。
3時間を超え、小出さんへの質疑の時間がなくなるというびっしりと詰まった集会でしたが、それぞれのお話し、演奏と講談に、時間の経つのも忘れて引き込まれていました。福島と共に、そして被爆者のみなさん、あるいは2世や3世の皆さんと共に、核廃絶、全原発廃炉へ闘い抜く決意を新たにできる貴重な経験でした。交流会に想いを残しながら、神戸への車にのりました。
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