« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月31日 (金)

人を踏み付ける国策とは  ― 沖縄・福島・三里塚 ―

人を踏み付ける国策とは
 
ー 沖縄・福島・三里塚 ー

2013年の成田空港自由化とは何か?
   日米航空交渉(日米同盟)の影

成田空港反対(三里塚)闘争の今

 成田空港は、1966年、佐藤政権の下でわずか数週間という期間で立案、閣議決定が強行されました。そこには地元対策などの民主的装いすらかけらもなく、機動隊暴力を振りかざし、札束による農民、地主の懐柔のみという驚くべき公共事業としての姿がありました。1990年頃「ボタンのかけ違い」などという言葉が流行りましたが、とてもそんなものではなく、未だに1500人にのぼる警察官の常駐と米軍基地でも見ることのできない2重のフェンスがその破綻を象徴しています。そして47年が経った今も、計画された滑走路のうち横風用滑走路が断念され、完成の目処すらたっていません。三里塚反対同盟の農民のみなさんが、少数になったとはいえ未だ空港用地内にとどまり闘いを続けておられる根拠は、この47年にわたる国のかかげた「国策」の非民主的、権力的あり方への怒りと告発です。沖縄、福島で「国策」への怒りが大きく膨れようとしている今、三里塚、成田空港をめぐり何が起こっているでしょうか。

 成田空港自由化への動き

 一昨年、20101025日、日米航空協定が結ばれ、成田空港の自由化を軸とした新たな空の態勢が作られました。以降それをモデルに、イギリス、韓国、香港、オーストラリア、カナダ、シンガポール、ベトナム、インドネシアなど現在までに17ヶ国を上回る国々と成田空港自由化の2国間協定が結ばれています。
 
この日米航空協定の交渉は、1984年に始められましたが、幾度か暫定協定を結んだものの、最終合意に25年も要した2009年末に基本合意に到達し、翌2010年に正式合意したのです。
 
戦後、1952年の「独立」をもって産声を上げた日本の航空業界をめぐって結ばれていた日米の航空協定は、極めて不平等な条約でした。日本航空の国際線利用客が世界一になった(8387年)ことを背景に、そして当時、全日空が国際線への参入を強く求めていたこともあり、この不平等をただしたいという日本政府・運輸省(当時)によって1984年にアメリカとの航空協定の改訂交渉が始められました。
 
当時、アメリカは、空港の数だけでも日本やイギリスの数十倍というその巨大な国内の航空市場と航空産業のずば抜けた力を背景に、世界の国々に航空自由化を求める交渉に入っていました。そのアメリカにとっては正に「渡りに船」の改訂交渉でした。しかし、各国にとって軍事にも関わる航空協定は、アメリカの航空における力が巨大すぎるだけに保護政策を基調としていました。実際にも、日本以外でアメリカとの航空自由化を最後まで拒否し続けたのが、国内の航空自由化を世界に先駆けて行っていたイギリス(2007年自由化)であったことも、この辺の事情を示しています。
 
しかし、日本の運輸省(後に国交省)・航空局は、「原子力ムラ」という言葉が生まれる前から「航空ムラ」と言われたように、多くの許認可権を有し、独自の権益をもった権力機構でした。それを可能にしたのが「空港特会」(空港整備特別勘定)という独自財源を今に至るも持っていることです。規制緩和、行政改革の嵐が吹き荒れた第2臨調においても、運輸省の機構改革は行われたものの、航空局にはほとんどメスが入らず、そのままでした。航空局は、「航空憲法」(注1)を廃止し、自由化へ舵を切ったかに見せる航空法の制定を行いました(2000年)。しかし、アメリカ(世界)に対して成田空港についてその狭隘さを理由として交渉が最終局面に入っていた2007年でさえ、自由化を拒み続けていました。
 
このように国交省はアメリカとの航空交渉の中で終始一貫自由化を拒み続けてきましたが、2009年末~2010年、鳩山首相の沖縄の普天間基地問題での変節、アメリカ追随への転換と軌を一にして、成田空港の自由化へとアメリカの要求に全面屈服した基本合意をします。その結果生まれたのが、20105月の国交省の新成長戦略、成田・羽田の一体運用、成田空港の自由化・拡張への道だったのです。
 
国交省・航空局、航空ムラの権益をどうやって守るか、アメリカ追随を図るか否かがこの過程の全ての基準でした。航空協定締結と菅首相によるTPP加盟宣言とが同じ時期(ともに201010月)だったということが象徴的です。成田空港周辺に住む住民への影響、また自由化がもたらす様々な問題の本質的な検討、検証など一切行われないままでした。国交省は、この大事な経緯と問題を隠すために、マスコミを使い「羽田・成田の競合、せめぎあい」を大宣伝し、千葉県や成田市など地元自治体、千葉県財界を使嗾(しそう)し「成田空港完成」「成田空港の発着枠30万回化」キャンペーンを行わせたのです(「四者協議会」(注2)による「発着枠30万回」合意 20101013日)。

 闘いの現状は? これほどの人権侵害、住民犠牲が許されるのか

 今、国・国交省は、このアメリカとの新たな航空協定、成田空港の自由化の方針を「国策」として掲げ、2013年発着枠27万回化の実現を条件とした成田空港の自由化、そして2014年の発着枠30万回化実現を国際公約として打ち出し、各国との2国間交渉を続けています。
 
そのために発着枠27万回化には、第3誘導路の20123月末供用開始に向けた建設工事の強行。そして発着枠30万回化には、空港用地内に住む市東さんの農地を強奪し、暫定滑走路の誘導路が「へ」の字に曲がっている問題を解消しようとしています。
 
30万回化とは、昨年までの1.5倍の発着枠であり、これまででも相当な周辺地域への騒音被害が出ているだけに、深刻な周辺住民への環境破壊、生活破壊が引き起こされることは必至です。しかも、旧誘導路と第3誘導路からそれぞれ100メートルしか離れていない市東さんの住宅は、誘導路を自走する航空機の爆音、振動、耐えられない臭気によって住むこと自体が困難な状況となります。
 
また、市東さんの農地は、親子3代、100年にわたって耕されてきた1級農地です。空港敷地内にあるとはいえ、空港計画による強制収用で奪うことが出来なかった農地です。「問題ない」と暫定滑走路の建設を強行しながら、今になって「邪魔だから」と本来は農地を守るために制定された農地法を使って裁判で取り上げようとしています。しかし、空港会社の農地取得が農地法違反を犯しており、しかもその根拠とされる農地の区割りの図面が偽造されたものであることなど、様々な国・空港会社による違法が裁判の過程で明らかになっています。ところが裁判所は、国の方針を前提に、これらの違法、デタラメを看過し、国交省・空港会社の「国策」強行を手助けする国策裁判を強行しようとしています。
 
全日空は、201010月、自由化の動きに間髪を入れず「前後1時間、供用時間を伸ばせば、事実上24時間化だ」とぶち上げています。イギリスの基幹空港であるヒースロー空港は、成田空港と同じ並行した2本の滑走路を持つ内陸空港ですが、24時間使用され50万回の発着枠をもっています。航空業界にすれば、これが目標なのです。とんでもない話です。「国策」のためには、住民の生活や環境、営農のことなど構っておれるかとでも言うのでしょうか。

 9・16「この国の農業と三里塚」の集いにお集まりください

 私たちは、このような理不尽な「国策」の押しつけを見過ごすことはできません。47年も闘い続けておられる三里塚農民の国への怒りと、農への篤い想いを全面的に支持します。別紙ご案内にありますように、916日、「この国の農業と三里塚」の集いを開催します。910日の農地裁判、107日の三里塚現地での全国総決起集会と、三里塚は重大な局面を迎えております。ぜひ、お集まりください。

(注1)航空憲法=1970年閣議了解、1972年運輸大臣通達によって以降の航空政策の基本が決められ、廃止される1985年まで、一切がこれによって取り仕切られた。(注2)四者協議会=国、千葉県、空港会社、成田空港圏自治体協議会(成田市を中心に芝山町など地元9自治体で構成)の4者で成田空港の運用規制などを話し合う。(2012.8.18

『憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク』機関誌32号(2012年8月末発行)に寄稿させていただいたものです。

| | コメント (0)

2012年8月25日 (土)

今週の産直野菜(8月25日)

12825 今週の産直野菜が、先ほど三里塚から届きました。

 先日、現地の萩原家を訪れ、ご家族のみなさんと歓談したのですが、何より「雨がほとんど降らない」「盆前と最中に少し降っただけだ」と、強い陽射しの中で話しは行きます。富夫さんが真っ黒に日焼けしているのが印象的でした。

 写真左上から、ミニトマト、オクラ、玉ねぎ、じゃがいも、空芯菜、ししとう、にんにく、ゴーヤ、きゅうり、葉ネギ、ピーマン、なす、モロヘイヤ の13品です。

 先週もそうでしたが、この暑さで、よくこれだけの野菜がとどきます。感謝、感謝。

 モロヘイヤはいつも虫食いがひどく穴あき状態なのですが、今年は驚くほど綺麗です。昨年、天神峰の本部の破壊を前に援農したときも、どれをとればいいのかと悩むほど、凄い穴あきでした。萩原さんにお聞きしたら、暑すぎて虫も出て来れないのだろうとのことでした。「そんなものですか・・・」

 しかし、暑すぎは「農家だより」にもありますように、秋に向けての人参などの植え付けに害が出ているようで、これも大変。水やりも大変です。

 夏バテ防止に、モロヘイヤ、オクラ、ゴーヤをせっせと食べています。しかし、モロヘイヤとオクラの量が半端じゃないですね。ししとうは時折、びっくりするほど辛い。

| | コメント (0)

2012年8月21日 (火)

ストップ伊方原発再稼働 とめよう大飯原発

12819
 8月19日、猛暑の四国・松山に600人近い人々が全国から集まり、「ストップ伊方原発再稼働 とめよう大飯原発 8・19松山行動 in 愛媛」が闘い取られました。主催は、「伊方原発の再稼働を許さない市民ネットワーク」です。

 松尾さんが司会をし「俳句の町から廃炉の一歩を踏み出したい」と語って集会が開始されました。主催者を代表して「市民ネットワーク」の小倉さんが、官邸前の行動などこの日の取り組みまでの経過を語って挨拶。
 12819_2先ず、福島からの訴えとして福島から駆けつけた5人の「原発いらない福島の女たち」が登壇し、こもごもに語られました。冒頭に立った黒田節子さんは、「私たちは今現在も被ばくを強要される生活が続いている」「いったい何人死ねばいいというのでしょうか」と訴えかけられました。国による「収束宣言」が「全国民を愚弄する」ものだと批判。そして大飯再稼働に至った野田政権を弾劾し、「福島原発告訴」の動きが1300人を超える人々によって開始され、全国に広げていきたいと想いが語られた。最後に「女たちのネットワークを強くしよう」と呼びかけられました。
 続いて大飯原発阻止行動を闘い抜いた「オキュパイ大飯の乱」の報告が臼田さんから「再稼働はされたが、誰一人負けたとは思っていない」と行われました。
12819_3 ここで京都大学原子力実験所元講師の小林圭二さんが登壇し、「研究者というより運動している者の一人として」と話しを始められた。
 ところが、臼田さんの頃から雷が鳴り始め、小林さんが話し始めて2分も立たないうちに雨が激しく降り出しました。小林さんは、委細構わず京都や大飯の闘いなどを報告を続けられます。傘を持っていない方は慌ててあちこちのテントや四阿(あずまや)などに避難して行きます。ついにマイクも切れてしまい、傘をもっていた私も避難。しかし、傘などなんの役にも立たない激しい雨と、雷の轟音が響きわたります。12819_5右写真は、この時の舞台になっていたテント一杯に避難した人々と土砂降りの雨を写しているのですが、わかるかなぁ~。積乱雲の下にいるのかあたりは薄暗い。

 しばらくしてハンドマイクで主催者が、「美術館の講堂に移って集会を継続したい」と呼びかけられ、雨の中を移動。多くの方が傘を持っていませんから大変です。それに、傘をさしていても下半身はずぶ濡れ。このまま美術館の講堂に入ることさえためらわれます。ごじゃごじゃ言っている訳にもいかず、入りましたがせいぜい200程度しか席はありません。12819_6演壇、通路にも一杯の人が座り込み、それでも入れず、多くの方が外におられたようです。

 とにもかくにも集会が再開されました。雨で中断させられた小林さんが再登場です。小林さんは「大飯も伊方も加圧水型で、沸騰水型の福島より危険で、ひとたび事故が起これば恐ろしいことになる」と訴えられ、伊方再稼働反対と大飯を止めることの重要性を訴えられました。
 12819_7「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斎間さんから、「竜神様が住んでいた祠を移動させて伊方の原発が作られた。今日の嵐は、龍神様の怒りだ」と話しを始められ、「『核と人類は共存できない』というのは伊方裁判を闘った原告たちの想いだ。次は伊方だ。故郷を失うという凄い恐怖に襲われた」「みんなの手でとめよう」「私の命の重さと野田の命の重さが同じ筈がない。私の命の方が重い」と怒りをこめて語りかけられました。

 この後、松山、四国をはじめ、九州、中国、関西、北陸、東京の各地から「1分間アピール」が続きます。「3時出発予定のデモをどうするんだろう」と心配していたら、途中で事務局から「予定していたデモは中止し、集会を全力で成功させよう。集会後公園の中をデモし、県庁に抗議の声を叩きつけよう」と提起が行われ、集会が続行されます。ドイツから来たというお医者さんも。山口の被曝2世の方も。車椅子の「障害者」の方も。すごい熱気です。

 集会宣言「12.8.19松山行動集会宣言.pdf」をダウンロードを採択して、さあ、デモに出発です(最初の写真。一番奥の建物が会場になった美術館講堂)。外はすっかり晴れ上がり、真夏の空です。雨のおかげで涼しい。12819_8シュプレヒコールを上げ始めると美術館の職員が慌てて飛び出してきて、申し訳なさそうに「観覧の人がいるので静かにしてもらえませんか」と頼みに来られる。少し離れてから、シュプレヒコールを。デモの許可条件であった3時を1時間近く過ぎているので、どうなるのかなと思っていたら、公園の入口のお堀の所でストップ(左写真)、前の建物が県庁です。県庁に向けて「再稼働反対」の声を上げて、この日の行動を終わりました。

 ナップザックの中もずぶ濡れでした。しかし、福島のみなさんもそうですが、小林圭二さんの頑張りには脱帽です。15日には、神戸で開かれた「平和のための市民の集い」で1時間余りの講演、17日には関電包囲行動に来ておられ、この日ですから。連日お会いしていることに思わず「ご苦労様です」と声をかけさせていただきました。多分、この日、続いて行われ今後を相談する全国の交流会にも参加されるのでしょうね。そのことに想いを残しながら、私は帰りのバスに乗り込みました。

| | コメント (1)

2012年8月18日 (土)

今週の産直野菜(8月18日)

12818 今週の産直野菜が、先ほど三里塚から届きました。

 暑さが厳しく、雨がなかった盆まえから2週間ぶり、どうだろうかと心配していたのですが、なんとこの時期に13品も。大きい箱で届きました。

 写真左上からオクラ、ししとう、にんにく、ピーマン、なす、玉ねぎ、きゅうり、ミニトマト、ゴーヤ、うり、トウモロコシ、モロヘイヤ、葉ねぎ の13品です。

 ちなみに昨年の盆明けは、7品で、葉物の空芯菜が入っていましたね。個人的には盆前の最後の野菜を都合で休んだので、3週間ぶり。スーパーで買って補充したものの野菜欠乏症気味。さあ、頑張って食べましょう。

 秋の陣は、9月10日の農地裁判からはじまります。その前に、「再稼働反対」「全ての原発を廃炉に」「放射能ガレキの拡散を許すな!」は、この猛暑の中、闘いの真っ盛り。

 12817_3昨日も、関西電力前での包囲行動に夕方から参加してきました。西陽をまともに受けて暑いこと、暑いこと。関電前正面ではこの3週間、金曜日には抗議の黄色いリボンを結びつけるパフォーマンスをやっていますが、一人が最初の一つをつけた途端に、天満署の警察官20人近くが襲い掛かりました。怒ったみなさんが猛然と抗議。「何の法的根拠があるのだ」と。たじたじになる警察官を尻目に、またたく間に関電正面前の柵が黄色いリボンで一杯に。警察の介入で却ってこれまでより作業が早まったのでは。いつのまにかその横(写真右下、左写真)では「関電前書道展」が開催。12817_2ここではさらに奈良のMさんの演奏などが。薄暗くなりだした時にはシャボン玉があちこちに飛び交います。子どもたちがうれしそう。

 その内に、左側を曲がったところでは数百人による「再稼働反対」などのシュプレヒコールが、この右側では路上での学習会が。思い思いのパフォーマンスが、1000人足らずですが繰り広げられます。東京の首相官邸前とは少し様変わりですが、盆明けひと休み後の心配も吹き飛んで、いろいろな取り組みのビラが沢山撒かれていきます。

 明日は四国の松山で「ストップ伊方原発再稼働、とめよう大飯原発」の松山行動があり、早朝に出て参加してきます。

| | コメント (1)

2012年8月16日 (木)

農地裁判を全力で闘い抜こう! 9・10千葉地裁へ

農地裁判を全力で闘い抜こう! 9・10千葉地裁へ

                          関西実行委員会 事務局

 今、政府・国交省・NAAは、2013年の成田空港自由化(離発着27万回化)、2014年30万回化を実現するために全力で三里塚の地に襲いかかっています。一つは、第3誘導路を来春に供用開始。もう一つは農地裁判を結審、来春に判決に持ち込み、来年内に市東さんの農地を強奪。これによって暫定滑走路の誘導路「へ」の字問題を解決し、あわよくば市東さんを叩き出し、三里塚闘争を解体。
成田空港完成への道をこじ開けようとしています。

 許すのか 住民犠牲を前提の国策
 市東さん、北原さん、萩原さんをはじめ三里塚反対同盟、そして私たちは、今、三里塚闘争47年を画す重大な局面、岐路に立っています。
 そもそも47年も経過して、「国策」を掲げて、なお完成しない空港を押し付けてくる理不尽を許すことはできません。親子3代、100年も耕してきた一級農地を、偽証や違法を重ねて農地法で取り上げようなどという、憲法をも踏みにじる人権侵害の犯罪がどうして見過ごせるでしょうか。さらに、30万回化の実現は、空港24時間化への道をこじ開け、空港周辺に重大な環境破壊、生活破壊を引き起こします。
 このような人の命とくらしを踏みにじる「国策」を許してはなりません。ここに、沖縄そして福島の怒りと闘いに通じ、一体となる三里塚の闘いがあります。その最大の焦点が、市東さんの農地をめぐる農地裁判(行政訴訟と農地法裁判が併合された)です。
 農地裁判はすでに2回の証人尋問を終え、9月10日に(06年当時)千葉県農地課長・渡辺清一証人、10月15日に(06年当時)国交省成田空港課課長・石指(いしざし)雅啓証人、11月12日は反対同盟・萩原進さん、12月10日に反対同盟・市東孝雄さんと、4回の証人尋問を控えています。千葉地裁・多見谷(たみや)裁判長は、反対同盟の側から出されている要求の一切を無視し、この4回の裁判を「粛々と終えて」来年早々の結審、来春判決(仮執行宣言付き)をねらっています。国の30万回化のプランに追随する国策裁判です。石指証人を千葉地裁に呼ばず、ビデオリンク方式で護ろうともしています。
 三里塚の様々な裁判はもとより、原発訴訟に係わっては裁判所が原発建設にゴーサインを出し、沖縄基地、米兵による事件をめぐる数々の不当判決に見られるように、国策裁判は「敵の土俵」でしかありません。しかし、だからこそ私たちは法廷を弾劾の嵐で取り囲み、法廷を怒りで埋めつくそうではありませんか。裁判長をして震撼させ、その企みを打ち砕きましょう。そこにこそ「反戦と平和の砦」と言われてきた三里塚闘争の真髄があるのではないでしょうか。

 市東さんの農地を守ろう
 重ねて言わせてください。
 成田空港に関する用地は、すでに20年以上前に収用法が失効し強制収用はできません。
 市東さんの農地を強奪できなければ、暫定滑走路の誘導路の「へ」の字問題は解消できません。30万回化は「絵に描いた餅」となってしまいます。成田空港自由化が破綻し、アメリカをはじめすでに17ヶ国と結んだ航空協定が果たせなくなってしまいます。
 追い詰められた国・NAAが考えついたのが、現誘導路と第3誘導路の2本でわずか100メートルの距離に市東さんの住居を取り囲もうという暴挙です。轟音と振動、耐えられないような臭気で、市東さんを住めないような状況に追い込み、たたき出そうというのです。これが来春供用開始と言われる第3誘導路問題です。「国策」の名のもとに強行される、このような理不尽は許されません。
 市東さんは、無農薬・有機栽培で豊穣な土を育て、美味しい安全な野菜を消費者に届けることに人生をかけて励んでおられます。その市東さんから、空港会社が偽証と違法を重ねて農地を取り上げるなど絶対に許されません。裁判所が、その国・NAAをかばい、偽証と違法を許し、農地取り上げに手を貸すなどにいたっては言語道断です。

 連続した闘いに決起する反対同盟に応えよう!
 一人ひとりのこの市東さんの農地をめぐる問題への立ち位置が求められています。
 時間の余裕はありません。
 まず、9月10日、千葉地裁を包囲し、法廷を怒りと弾劾の熱気で満たす闘いに決起しましょう。そして、9・16「この国の農業と三里塚」の集い(関西)を成功させ、10・7全国総決起集会(三里塚現地)で新たなうねりを生み出しましょう。
 9月18日は、団結街道廃止処分取消し裁判が開かれます。10月15日に農地法裁判(石指証人)、23日に第3誘導路許可処分取消し裁判、29日には、これも市東さんの農地に係る耕作権裁判があります。
 反対同盟は、秋の農作業をやり抜きながら、この決戦を迎え、各地での集会などの取り組みに駆けつけます。その上で毎週のようなこれらの裁判を全力で闘い抜いておられます。私たちはこの反対同盟のふんばりにに応えなければなりません。
 首相官邸前をはじめとした「脱原発・再稼働反対」「子どもたちを守ろう」という福島のみなさんを先頭とした数万、数十万の熱気、「オスプレイ配備反対・普天間全面返還・辺野古新基地反対・高江ヘリパッド建設阻止」に燃える沖縄の怒りに合流し、三里塚の旗を高々と掲げ、三里塚を訴えて闘い抜きましょう。

  (2012年8月15日 関実『実行委ニュース 第140号』巻頭より)

| | コメント (0)

2012年8月15日 (水)

関実『実行委ニュース 第140号』発行

12815_2 関西実行委員会の『実行委ニュース 第140号』が発行されました。

 決戦を迎えた三里塚闘争、10・7現地全国総決起集会と市東さんの農地をめぐる農地裁判への結集を呼びかけています。

 巻頭は、関実事務局から、住民犠牲を前提とした国策裁判を許すなとして、9・10農地裁判への結集を訴えています。

 尼崎・伊丹実行委の弥永さんから、『二つの「8・6ヒロシマ」に参加して』との報告と脱原発への想いが語られています。

 この8月5日ご逝去された神戸市民救援会議の加瀬都貴子さんへの追悼文も。

 「関実ブログ」から、『7・8三里塚現地闘争に参加して』と『7・23耕作権裁判を傍聴して』が転載されています。そして三里塚裁判の日程が。

 会員や賛同会員のみなさんには、数日中にお届けします。9・16「この国の農業と三里塚」の集いのご案内と、反対同盟から出された「三里塚裁判支援運動」への参加の訴えが同封されます。

 9・9県民集会を始めとしたオスプレイ配備反対・普天間基地撤去の沖縄の闘い、「全ての原発を廃炉へ」の闘い、そしてTPP反対とこの秋も極めて厳しい闘いが続きます。その中で、9・10~10・15~11・12~12・10と連続して開かれる農地裁判の証人尋問の闘いと、9・16「この国の農業と三里塚」の集い、10・7全国総決起集会(三里塚現地)に全力をあげて決起していこうではありませんか。

| | コメント (0)

2012年8月13日 (月)

平和と共存できない原発と空港

12716
さよなら原発集会に17万人(7月16日東京)

 この8月は「6日ヒロシマ、9日ナガサキ、15日敗戦の日」と忘れることのできない記念日が続きます。私たちにとって平和の尊さをかみしめ、戦争を二度とくりかえさない決意を固める特別な月です。

 とりわけ今年は昨年の3・11福島原発大爆発の深刻な出来事を受けて「ノーモア広島・長崎・福島」の思いを強くしている人々が何百万という単位で立ち上がっています。7月16日東京・代々木公園で開催された「さよなら原発集会」には17万人を超える人々が集まり、集会呼びかけ人の落合恵子さんが「原発と共に、オスプレイも全ての基地も反対です。なぜなら命を脅かすものだからです」と語ると、作家の澤地久枝さんも「核に汚染され、命が細々と生きる地球にしないため、日本が率先して核を捨てる選択をしてほしい。政府は日本人からふるさとを奪った。小さい国土にふさわしい規模で、生まれて良かったと思う国にしなくては」と訴えました。会場各所では様々なイベントも行われ、代々木公園に入りきれない人があふれるほどでした。この日の集会には淡路島からも大勢のみなさんが参加し、私も演壇の近くで歴史的な集会に参加している感動を覚えました。

 改めて思うことは、原発推進の政治が核武装を推進する戦争政治だということです。京大原子炉実験所の小出裕章先生は、「核兵器に転用できるプルトニウムを保持したい国家的欲望がある」(2011年12月29日毎日新聞)と指摘しています。原発推進を止めない本音が日本の核武装にある点を、私たちは忘れてはなりません。平和を続けるためにも、原発の再稼働を止めて、全ての原発を廃炉にしましょう。

関空と伊丹が合併、新会社がスタート(7月1日)

 関西国際空港と大阪(伊丹)空港は7月1日から「新関西国際空港会社」として一体運用が始まりました。経営戦略では、2014年度の両空港の発着回数を2011年度比で30%増の計30万回に増やすほか、2014年度の売上を同26%増の計1500億円に引き上げるなどの目標を掲げているようですが、絵に描いた餅、実現不可能な目標だと思います。

 開港18年間、毎年赤字の連続で国の補給金で「黒字の粉飾決算」を行なってきた関空。発着回数も10万回前後の関空が、伊丹空港と合併しても、改善されないでしょう。1兆円超の有利子負債にあえぐ関空の財務改善という目標もあるようですが、伊丹の儲けを借金払いにまわす姑息なやり方です。本来なら関空二期を止めるべきなのに、強行しました。このままズルズルと関空を存続させ、二期を軍事空港にする本音が見えてきます。原発と同様、空港が巨大な軍事基地として活用されないように監視してゆきましょう。

 経営統合の結果、人員削減、コスト縮小となり、環境対策を弱めるのではないか、淡路島住民は大いに心配な点です。淡路の空を守る会では、経営統合後の飛行実態を監視して、悪化させないように関空会社や関係当局に申し入れを行います。

 共に平和を実現する運動を続けてゆきましょう。

                    事務局長  安藤眞一

―― 『空港反対新聞』第235号(2012年8月12日淡路町空港反対同盟発行)より転載 ――

| | コメント (0)

2012年8月12日 (日)

加瀬都貴子さんのご逝去を悼む

05522 闘病中であった神戸市民救援会議の加瀬都貴子さんが、先日、8月5日午前10時過ぎにご逝去されました。享年88歳。写真は、2005年5月、神戸空港開港反対市民集会で挨拶される加瀬さん。

 1969年9月、佐藤訪米阻止の闘いが取り組まれていた最中、「今後70年に向かって益々強化されるであろう破防法を含むあらゆる不当弾圧に抗し、権力による犠牲者の実態を告発し、これを救援する為あらゆる地域で救援活動の重要性が必要とされています。人民大衆の側に立ち、支配者の暴力的秩序からの解放を志向する限り、その思想・信条を超えて凡て救援するという原則に立って、神戸市民救援会議を組織し、力強い救対活動を開始したいと考えます」(『発足にあたって』より)として加瀬さんは神戸市民救援会議を発足させ、今日まで43年間の闘いを続けてこられました。

 「スカートをはいてただ一人で三里塚を訪れ、機動隊に追われ、畑の中で呆然としている私を農民の人が助けてくれた」と昔を懐かしんでおられた加瀬さんの三里塚への想いは、強く、深いものでした。救援会議の『救援ニュース』にも71年3月、「関西新空港建設阻止!三里塚土地強制収用粉砕!2・28全関西統一行動(神戸)」の記事が掲載され、三里塚へのカンパが訴えられています(17号)。同『ニュース』18号(3月25日付け)には「三里塚野戦病院ニュース」を掲載。1977年4・17鉄塔決戦全国闘争以降、神戸市民救援会議は三里塚野戦病院に加わって、現地闘争での救援活動を開始し、それは35年を経た今日まで続けられています。ここにも加瀬さんの強い三里塚闘争への想いが働いています。

 神戸市民救援会議は、関西・阪神間でのあらゆる政治的弾圧との闘い、逮捕時の差し入れや面会、裁判の取り組みなど、党派を問わず救援活動を行なってこられました。その働きが、どれほど多くの労働者、市民、学生を支え励ましてきたことでしょう。私自身、30年ほど前の不当逮捕、起訴の折に家族ともども大変お世話になりました。

 同時に、加瀬さんが関西新空港闘争と神戸空港反対を始めとした私たち住民の会の闘いに大きな関心を寄せ、住民の会結成以来40年を超える共闘関係を築いてくださり、ご支援していただいたことを忘れることができません。特に阪神大震災直後から開始し昨年春まで15年余も続けられた毎月のJR元町駅前での神戸空港反対の街頭宣伝に救援会議のみなさんが加瀬さんを先頭に参加していただいたことは、大きな励ましとなりました。

 関実という大衆運動(統一戦線)を担っていく上での様々な悩みを折々に聞いていただき、貴重な示唆と励ましを受けたことも忘れることはできません。加瀬さんが三里塚現地に行くことが出来なくなって以来は、三里塚の様子をお伝えすることが私の仕事のようにもなりました。体調が弱られ、1年ぶりに訪れた今年の2月には、私の心配をよそに、3時間近くも三里塚の様子を本当に嬉しそうに聞いてくださいました。「誰も実際のことを最近は言ってくれない。また来てください」と言葉をかけていただいたのが、加瀬さんとの最後になりました。

 誰よりも日本の左翼運動の現状を憂え、最後まで激しい気力をもって闘いに想いを馳せておられた加瀬さんにとって、先立つことがいかほどか残念で悔しかったことでしょうか。加瀬さんの激しいまでの想いと闘いへの気力、その遺志を、私たちが引き継ぎ全力で闘い抜くことを誓いたいと思います。そして心からご冥福をお祈りいたします。

           新空港反対東灘区住民の会事務局長 松原康彦 

| | コメント (1)

2012年8月 7日 (火)

8・6ヒロシマ 平和の夕べ  「すごかった・・・」

1286
 昨日、広島で5回目を迎えた「8・6ヒロシマ 平和の夕べ」が、用意した資料もなくなり、補助席を追加する約320人が集まって、3時間余り、感動と熱気の中で開かれました。(上写真は、この日の司会をされた河野美代子さんのブログから拝借。管理人も、感動の渦に巻き込まれ、全体の写真を撮り忘れたのです。スミマセン)

 67回目の8・6、「核と平和は共存しない」という森瀧一郎さんの言葉を借りながら、産婦人科医で集会呼びかけ人の河野美代子さんが司会をして集会が始められました。

1286_2 まず、ミュージシャンの三代目春駒さんが、「原爆で生き残ってくれた人にありがとうと言いたい気持ちをこめて」と、ご自身のおじいちゃんの被爆体験をもとにした「その男 ヨシオ」、そして「横を向いて歩こう(替え歌)」「光のうた」の3曲が唄われました。

 1286_5「核兵器反対と原子力発電反対」と題して、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが講演をされました。「核兵器と原子力発電がどんな関係にあるかを話したい」と切り出された小出さんは、1286_6まずポツダム会談の日に初めて落とされた原爆の歴史からスライドをまじえて話しを初められました(右写真)。ウラン濃縮(広島型)、プルトニウム(長崎型)の違いなど。そして原子炉がこのプルトニウムを作るために生まれたこと。「濃縮」「原子炉」「再処理」の3つの作業が核兵器を生み出した。そこから「劣化ウラン」「減損ウラン」というゴミが生れ、1286_7劣化ウラン弾として使われた。
 そして原発を導入するために流された嘘の様々。1286_9出てくる放射能(死の灰)のゴミ。そして起こった3・11福島の事故。犯罪者・日本政府が出した数字でも168発分(右写真)。実際はその4、5倍だろうと指摘された。しかも広島の原爆は成層圏に吹き荒れ世界に散らばった。しかし、福島ではこの放射能が地を這うように広がったと。放射線管理区域での作業の様子を話された上で、それ以上の汚染が東北・関東に及ぶ1286_10広大な地域に広がり大地全部が汚れていることを解りやすく示された上で、「人々は住んではいけないのだ」と(クリックすれば写真が大きくなり見やすくなります)。128626私たち大人一人ひとりの責任を問いながら、平和利用という名目に隠れながら、「濃縮」「原子炉」「再処理」の技術を持つ日本が核兵器保有の能力を持ち、ロケットをどんどん飛ばしていることを弾劾された。そして最後に、核・原子力と平和が共存できないことを右のようにまとめられ、訴えられた。1時間を超える講演でしたが、解りやすくまとめらました。

 ここで司会の河野さんから、「はだしのゲン」の中沢さん、伊方原発訴訟などを闘ってこられた草薙弁護士、そして前広島市長の秋葉さんが集会に駆けつけてくださっていることが紹介された。
1286_11 ここで、ドイツの緑の党・副代表、連邦議員のベーベル・ヘーンさんが登壇され、「答えは私たち一人一人の手の中にあるのです。私たちはこのリスク多い核の道を歩き続けるのですか?それとも実り多い、そして緑豊かな新しいエネルギーの道を選ぶのですか?私のように子どもたちや孫たちを持っている人々は誰でもその答えを知っています。それは単に技術や運命の問題ではないのです。それは私たちがいかに正しい選択をするかということなのです」と訴えられました。

 ここで、戦後ノーモアヒロシマズを提唱し、原爆乙女の治療、原爆孤児の養子縁組などに奔走した流川教会の谷本清牧師の娘で、1286_1245年の8・6を生後8ヶ月で迎え、家屋の下敷きになる体験をされた近藤紘子さんが、戦後、被爆したお姉さんたち、被爆孤児たちなどと出会い、育つ中での思いを語られた。特に、子ども心に憎み、敵をうとうと思っていた広島に原爆を落としたB29の副操縦士と小学校5年生でアメリカで会う体験などを通して、また10代でABCCの調査によって自らが裸で世界の医者たちの前に立たされた屈辱、悔しさを語られながら、戦争の犠牲、とりわけ子どもたちが世界で犠牲になっていることへの「傍にいることしかできないが」という想いを語られた。その切々とした訴えは、聞いている私たちの中に染み渡りました。

 1286_13全ての最後に、講談師の神田香織さんの登壇です。ここからは写真、録音が禁止されましたが、幸い、神田さんのツイッターブログに早速、昨日の写真が掲載されていましたので、無断で転載させていただきます(右写真は原爆ドームでの神田さん)。神田さんは福島県いわき市の出身。高校まで浜通りで育ち、女優になろうと上京したものの、言葉が違いうまくいかないことを、講談を学ぶ努力の中で、講談師の道を選んだこと。そして、サイパンへの旅行の中で、戦争犠牲を語ることを目ざし、沖縄、広島を訪れ、その広島で「はだしのゲン」との出会いを語られた。そして漫画の講談化を快く了解してくれた中沢さんを「自分の2人目の師匠だ」と紹介された1286_14(左写真は、昨日の集会後の交流会でのスナップですが、中沢さんの目が嬉しそうに笑っておられるようなのが印象的ですね。)
 その後、神田さんは「通常は1時間かかるが、25分しかないので」と断られながら、『講談はだしのゲン』の原爆投下直後からゲンが、被爆直後の広島の様子との格闘、父や姉、弟が生きたままの焼き殺される様子を目の当たりにし、1286_15その業火の現場から母と逃れた中で妹が生まれるまでの話しが、講談として演じられました。
 いやあ、すごい迫力でした(右写真は交流会で小出さんと)。

 3時間を超え、小出さんへの質疑の時間がなくなるというびっしりと詰まった集会でしたが、それぞれのお話し、演奏と講談に、時間の経つのも忘れて引き込まれていました。福島と共に、そして被爆者のみなさん、あるいは2世や3世の皆さんと共に、核廃絶、全原発廃炉へ闘い抜く決意を新たにできる貴重な経験でした。交流会に想いを残しながら、神戸への車にのりました。

 

| | コメント (0)

2012年8月 5日 (日)

オスプレイ配備を許すな!

1285
 今日、8月5日、台風11号が直撃のため沖縄でのオスプレイ配備に反対する県民大会は延期になりました(延期の具体的プランは未定)。しかし、大阪、東京など各地で、この沖縄県民の怒りに応えた集会、行動が取り組まれました。

 1285_2大阪では、「沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会」「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」2団体が呼びかけ、37団体が賛同して『オスプレイ配備NO!普天間基地の即時無条件全面返還!辺野古、高江の基地建設NO!を求める関西集会&デモ』が、400名を上回る人々の参加で行われました。主催団体の挨拶や20人あまりの人々による昨日の森本防衛相のアメリカでの「体験」への怒りの声など「1分間アピール」が行われた後、集会には、忙しい中を服部衆議院議員(右写真)も参加し挨拶をされました。1285_3「大阪行動」の大森さん(左写真)が集会決議(下に掲載)を朗読し、主催団体のまとめと閉会挨拶、そして延期された県民大会が行われれば再度集まろうと確認して、団結ガンバローをして(右写真)、さあ、デモに出発です。
 1285_4アメリカ大阪領事館前では怒りのシュプレヒコールがさらに高まります(左下写真)。デモはその先の市役所横、中の島公園で解散。暑かったですが、少し曇り空で助かりました。赤いシャツや、鉢巻きなど、県民大会に応えたいろいろな工夫がされていました。

【集会決議】
 私たちは、沖縄への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの強行配備に断固として反対し、普天間基地を即時無条件全面閉鎖させ、沖縄に返還すること、高江、辺野古の基地建設強行を白紙撤回させることを求め、ここに集まった。
 1285_5辺野古、高江では連日、住民たちによる新たな米軍ヘリパッド、基地建設阻止のための座り込みが続けられている。特に、高江では7月10日から施設局による作業が再開され、連日必死の阻止行動、全国への応援の呼びかけが行われている。加えて、「世界一危険」とされる普天間基地には、「構造的欠陥機」であるオスプレイの配備が予定され、10月から本格運用されようとしている。沖縄ではこれ以上の危険の放置、機能の強化、基地の負担は許さないと、辺野古の基地建設に関しては、沖縄県知事をはじめ、名護市長、名護市議会、41の全市町村長が反対の意思を表明し、オスプレイ配備配備についても全ての市町村議会で反対決議があがっている。文字通り、全沖縄をあげた反対の声にもかかわらず、これらの計画が強行されようとしている。私たちは強い怒りをもって日米両政府に抗議し、この強行を絶対に止めさせる決意である。
 1995年9月、3人の米兵による少女暴行事件が発生し、同年10月には8万5千人もの人が結集する県民総決起大会が開催された。沖縄の怒りのマグマを押さえきれない日米両政府は、1996年の日米特別行動委員会(SACO)において普天間基地の全面返還を合意した。しかし、合意から16年もたった今もなお、普天間基地は市街地の真ん中に居座り続け、いつ何時も重大な事件・事故に巻き込まれる状況に沖縄の人々は脅かされ続けている。ここへきてさらなるオスプレイの配備は到底許されるものではない。しかし、そもそも一刻も早く普天間基地は無条件に沖縄に全面返還されるべきことをここに強く訴えたい。
 なぜ、全沖縄が反対しているにもかかわらず、このような政府の強行が許されてしまうのか。これほどの事態を黙認し続けてきた自分たち一人ひとりの問題、そして沖縄への差別を問い、私たちは様々に行動を続けてきた。今、改めてその思いを結集し、このような事態を絶対に許してはいないということを日米両政府へ訴えたい。
 オスプレイ配備を許さず、辺野古、高江の基地建設に反対する声は、7月23日の米軍岩国基地での強行的な陸揚げに際しての大きな反対運動、東京での大規模な集会、京都の防衛事務所前での座り込みなど、全国各地で大きな高まりを見せ、これからも様々な行動が企画されている。政府は「配備はアメリカの方針」「配備に地元の合意はいらない」などというアメリカ追随一辺倒の態度ではなく、真摯にこの声に耳を傾け、速やかにアメリカ政府と交渉のテーブルにつき、オスプレイ配備を撤回すべきである。そして、直ちに普天間基地を閉鎖、沖縄に返還し、高江、辺野古への基地建設計画を白紙撤回させることを強く要求するものである。
 以上、決議する。
                        2012年8月5日

| | コメント (0)

2012年8月 4日 (土)

「福島支援」弾圧裁判を傍聴して

1283
 昨日、大阪地裁で古河さんへの弾圧、「福島支援弾圧」裁判が開かれました。裁判長から「立証が終った」ことが確認され、先ず検察が求刑の論告を行いました。しかし、延べ19ヶ所もの家宅捜索が示すように明らかに公安事件、政治弾圧として不当な逮捕、起訴をしながら、そのことに関しては何一つ言うこともできず、ただ弱々しく、そして短く「自動車登録制度への悪質な行為だ」と言うのがやっとで、最後に「裁判で黙秘を通したことが示すように反省がない」と言いだす始末。その上で、懲役1年が求刑されました。傍聴席からは、あまりの弱々しさに抗議の声すらでません。

 1283_2太田弁護士(右写真)が弁護団を代表して最終弁論を行いました。太田弁護士は冒頭「黙秘は反省がない証し」とした検察論告に対し、逮捕から裁判に至る古河さんの完全黙秘は憲法に保障された権利であり「反省がないとかあるとかに関係ない」と検察官を批判してから弁論を始められました。先ず古河さんの介護の仕事や福島へのボランティア活動などや、問題となった「デリボーイ」購入のいきさつを明らかにし、逮捕までの経緯を語られた。
 別件逮捕から始まる警察の捜査のデタラメさと、勾留延長を裁判所も認めなかった経緯などを明らかにした上で、この逮捕・起訴攻撃が、1283_3ALSの患者さんの命を奪いかねない悪質な、古河さんの介護活動とボランティア活動への破壊攻撃であることを明らかにした。(左写真は位田弁護士)
 そしてこの起訴が公務員職権濫用罪もしくは特別公務員職権濫用罪に当たるとして、公訴権の濫用として公訴棄却するよう裁判所に求めました。

 最後に言っておきたいことはないかという裁判長からの求めにも、古河さんは「起訴されること自体がおかしい」という意志表示として、一切を無視して黙秘を貫きました。1283_4

 判決公判は、9月13日(木)午後4時30分から大阪地裁1005号法廷で開かれます。(右写真は、脇田弁護士)

 閉廷後、弁護士会館に移って報告会が開かれました(最初の写真)。各弁護士から、「論告が、これまで経験した中で1,2を争う短さだ」などと今日の報告と感想が述べられた上で、参加者全員から感想と意見が語られました。

 1283_5最後に被告とされた古河さんから、福島に行った経緯などが簡単に明らかにされた上で、逮捕されて以降に公安警察との緊張が続いたことなどが明らかにされた。しかし、5・25集会の成功をはじめ、毎回の公判での傍聴などを通して、あらためて「ふくしまっ子 大阪においでよ プロジェクト」の大切さを、2度の中止を経ながら感じていることなどが語られた。同プロジェクトに関わっておられるみなさんからも、中止に至った経緯や、寄せられたカンパや声などへのお礼が述べられて、この日を終えました。

 9月13日、判決公判の傍聴にかけつけよう。

| | コメント (0)

2012年8月 3日 (金)

沖縄県民大会 延期

 沖縄からの連絡で、台風11号の接近という事態のため、オスプレイ配備反対の沖縄県民大会が延期となりました。

 関西のみなさんは、8月5日、西梅田公園で同じ日午後2時45分開会の『オスプレイ配備NO!普天間基地の即時無条件全面返還!辺野古・高江の基地建設NO!を求める集会&デモ』に集まりましょう。詳しくはhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-7484.htmlをご覧ください。

| | コメント (0)

2012年8月 2日 (木)

8・5沖縄県民大会の呼びかけに応えよう

 8月5日、『オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会』が、「世界一危険な普天間基地に、世界一危険なオスプレイを配備させちゃダメだ!みんな!いかなくっちゃ!8・5県民大会」と呼びかけられています。

【ところ】沖縄県・宜野湾海浜公園・多目的広場
【とき】8月5日(日)午後3時開会(雨天決行)

851
 大阪でも

これに応えて、大阪でも『オスプレイ配備NO!普天間基地の即時無条件全面返還!辺野古、高江の基地建設NO!を求める集会&デモ』が下記要領で呼びかけられています。ぜひ、お集まりください。

【呼びかけ】沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会/辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動
【とき】8月5日(日)午後2時45分開始/午後3時~沖縄県民大会実況中継・参加者の1分間アピール/午後4時~デモ アメリカ領事館前~市役所南側解散
【ところ】西梅田公園(大阪市北区梅田2)

【ビラ案内文より転載】
 沖縄の高江、辺野古では連日、住民たちによる新たな米軍ヘリパッド、基地建設阻止のための座り込みが続けられています。特に、高江では7月10日から施設局による作業が再開され、連日必死の阻止行動、全国への応援の呼びかけが行われています。加えて、「世界一危険」とされる普天間基地には、垂直離着陸輸送機 MV22 オスプレイの配備が予定され、10月から本格運用されようとしています。周知の通り、沖縄ではこれ以上の危険の放置、機能の強化、基地の負担は許さないと、辺野古の基地建設に関しては、沖縄県知事をはじめ、名護市長、名護市議会、41の全市町村長が反対の意志を表明し、オスプレイ配備についても全ての市町村議会で反対決議があがっています。文字通り、全沖縄をあげた反対の声にもかかわらず、これらの計画が強行されようとしているのです。私たちはこの事態を絶対に止めなければなりません。
 沖縄への差別を問い、過重な基地負担に苦しむ沖縄の問題を自らの問題としてとらえ、様々な行動を続けてきた私たちは、改めてその思いを結集させ、日米両政府に「NO!」をつきつけるアクションを提起したいと思います。
 事故が多発し、欠陥機であるオスプレイの配備はもってのほかです。しかし、そもそも一刻も早く、普天間基地は無条件に全面返還されるべきです。そして、高江、辺野古への基地建設計画を白紙撤回させねばなりません。
 オスプレイは全国でも6つのルート(7つの案も)で低空飛行訓練が予定されており、7月23日の米軍岩国基地での強行的な陸揚げに際しての大きな反対運動など、全国各地で反対の行動が巻き起こっています。8月5日、沖縄ではオスプレイ配備反対の県民大会が開かれます。これらの声と繋がり、一人ひとりの意志をもって、大きな声を日米両政府に届けたいと思います。8月5日、ぜひとも沖縄をはじめ全国のオスプレイ配備反対の声に連なる関西の集会にご参集ください。(以上)

 三里塚芝山連合空港反対同盟は、この沖縄県民大会に代表を派遣します。私たち三里塚関西実行委員会もそれに応え、代表を派遣いたします。みなさん。ともに闘いましょう。

| | コメント (0)

2012年8月 1日 (水)

「福島支援弾圧」裁判 第4回公判の傍聴を

 古河潤一さんへの不当な弾圧、逮捕・起訴攻撃をめぐる「福島支援弾圧」裁判の第4回公判が以下の予定で開かれます。傍聴に駆けつけてください。

【とき】8月3日(金)13:30~ 
【ところ】大阪地裁 1004号法廷

 今回は、早くも結審になりそうです。検察からの論告求刑、弁護側の最終弁論が行なわれます。傍聴席を埋めて、裁判所にまともな判断をさせるよう取り組みましょう。

 なお、『救援会ニュース(Vol.4)』で、同時並行的に準備が進められてきた「ふくしまっ子 大阪においでよ プロジェクト」が、福島現地の事情から突然中止になったことが告知されています。3月には、古河さんへの不当な弾圧によってできなかっただけに、「またまた」との事態に、非常に残念です。準備してこられたみなさんの落胆がいかばかりかと推察します。これにめげず、次回を準備していってくださることを念じております。

| | コメント (0)

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »