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2012年7月 3日 (火)

6・30~7・1大飯現地行動

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 6月30日、おおい町のあみーシャン大飯ふれあいホールに650人が全国から結集して、「STOP原発再稼働!6・30おおい集会」が開かれました。前日の夜、首相官邸前が20万人の人々の「再稼働反対」「野田は辞めろ」の声で埋めつくされ、また、関西電力本店前が2200人という関西でも画期的な闘いが展開されたことを引き継いで、主催者の予想を倍する熱気と怒りが溢れた集会となりました。(写真はすべてクリックしていただければ、大きくなり見やすくなります。)

 「明日、午後9時、歴史でもっとも愚劣で蛮行の日となる」という仲尾宏さん(京都造形芸術大学客員教授)の開会挨拶で集会が始まりました。昨日の闘いの影響で、東京・福島などのみなさんの到着が遅れていましたが、順番を入れ替えてのスタートです。
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 最初は小林圭二さん(元京大原子炉研究所・右写真)です。小林さんは、大飯再稼働の問題点として、先ず大飯の敷地に破砕帯と呼ばれる断層が走っており、それが活断層である危険性が高いということが判明したことをわかりやすく指摘し、これを無視する関電、福井県の動きを批判されました。「この破砕帯の調査なく、再稼働を強行することは非常に危険だ」と。そして「安全だ」と言う専門家は地震学者で、活断層の専門家ではないという指摘を紹介し「素人が安全だと言っているに過ぎない」と断じられた。そして福島ではあったベントや免震棟が大飯には無い、あるいは加圧水型の方がメルトダウンなどの事故を起こしやすいなどの問題点を指摘し、再稼働を絶対に許してはならないと結ばれました。
 続いて、再稼働の恐れがある伊方原発(「原発さよなら四国ネットワーク」の愛媛県・堀内さん)、志賀原発(石川県・「いのちのネットワーク」代表の田中さん)の地元から報告と訴えが行われました。
12630_3 「使い捨て時代を考える会」の和田さん(京都)に続いて、「とめよう原発・関西ネットワーク」の韓基大さん(左写真)が27日の警察・関電による妨害を許さず闘い抜かれた関電株主総会に対する闘い、昨日29日の関電本店前での2200人の闘いの報告を行いました。
 「原発再稼働反対監視テント」の臼田さんからおおい町の総合運動公園に集まったテントの仲間は「まだ諦めていない。勝負はこれからだ」「余力を残すような戦いをして、どう未来の子どもたちに顔向けができるのか。全力で闘いましょう」と力強くアピールされた。この時点で、東京・福島のみなさんが到着です。
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 福井の「森と暮らすどんぐり倶楽部」の松下さんに続いて、地元おおい町から宮崎宗真さん(右写真)です。宮崎さんは「こういう形でなく、観光などで集まっていただければ幸せだなと思います」と始められ、「いかに非科学的な人たちが原発を牛耳ってきたかを痛感し恐ろしくなった」「絶対に再稼働は有り得ないと思う」と想いを語られた上で、「知ったことは周りに知らせよう」「雇用など次のステップを考える真剣な人のつながりを作ろう」「福島のことを絶対に忘れてはならない」と訴えられ、「先祖の人々が守り抜いてきた素晴らしいふるさとをみんなの力で守っていきたい」と結ばれました。
12630_5 「原発設置反対小浜市民の会」の中嶌哲演さん(左写真)です。東の原発銀座・福島の方々の言葉を紹介しながら、西の原発銀座・福井の者としてそれをかみしめてきていると語られた。そして「3・11以前と以降」で乖離をさせられている福島の人々を思いながら、ふるさとを「末期(まつご)の眼」で眺めていると。「地元が踏みつけられながら、痛いよと40年間も声を上げられなかったのはなぜかと考えて欲しい」と呼びかけられました。
 続いて「たんぽぽ社」の柳田さんと奥野さんが昨日の20万人の首相官邸前の闘いを報告されました。「再稼働をやめろ」と同時に「野田は辞めろ」が叫ばれ、「民意は私たちにある」と。
12630_6 ここで福島からこられたお二人、森園一恵さん(福島郡山・右写真)と佐藤幸子さん(左下写真)です。
 森園さんは、6月27日、放射能の入ったプールが学校で再開され、子どもたちは「1年待った大好きなプールに入った」と声を詰まらせながら報告され「これがどういうことを先にもたらすのか」、「それを大人である私たちが許してしまった」と。「子どもたちをプールやマラソンなどに参加させる今の大人たちを私は許せません」「余りにも醜い」「浅ましい」「そういう大人を見て、正しいことと間違っていることを解る大人に育っていけるんでしょうか」と涙ながらに訴えられた。「第2、第3の福島を作ってはならない。どれほどの苦しみが待ち受けているのか分かって欲しい」「本当に苦しいです。辛いです」と。「権力は、私たちが疲れて黙るのを待っている。何年も、何年も。絶対にそれは許せない」「福島は捨てられるのか」と想いを語られ、「絶対に再稼働を許さないよう、みなさん頑張ってください」と呼びかけられました。
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 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」「原発いらない福島の女たち」の佐藤さんは、前日29日、女性の国会議員5人を招いての院内集会(400名)、そして国会正面、正門前で集会をしたと報告された。国に対する宣戦布告として「一票一揆」、女たちでこの国を変えるという趣旨で集会を開いたと。カンショ踊りをしながら国会前を占めたことに「聞いていません」と言う国の職員に対し「私たち、原発なんて聞いていませんでした」と押しかけながらカンショ踊りをしたと。「押しかけ、やればできるんだ」と。さらに首相官邸前に。「女の力は強い」と。最後に「脱原発バッジ」を作ったので、「脱原発宣言」をした福島の全ての議員に議員バッジの隣に付けてもらうのだということをはじめとした「福島バッジプロジェクト」に取り組んでおられることが報告された。そしておおい町の方には無料で贈りたいと、「おおい」という文字が入った特別のものを作って持ってこられ、この場で大飯の宮崎さんに贈呈されました。
12630_8 「経産省前テントひろば」渕上太郎さんは「峠の茶屋としてお立ち寄りいただきたい」と呼びかけられた。九州の玄海原発の再稼働に反対しておられる市丸さん、北海道の泊原発の再稼働に反対して小林さんと発言が続いて、全ての発言が終わりました。
 ここで集会宣言が読み上げられた上で、主催者の現地アクション事務局長の新開純也さん(右写真)が「我々は決してあきらめない」「この集会を再スタートとして原発を廃棄するまで各地繋がって闘おう」「大飯現地をはじめ原子力ムラにからめとられた原発立地地域を経済的、社会的に消費地の都市がともにどうやって生きていくのか」と集会のまとめを3点にわたってされてデモや翌日の行動などの行動提起をされた上で、つい先日亡くなられた「原子力発電に反対する福井県民会議」事務局長の小木曽美和子さんへの弔意を表明されて、集会が終わりました。

 12630_9さあ、デモに出発です。おり悪しく雨が降り出しました。人口わずか8千人足らずの町に、突然650人のデモの出現です。しかし、警察が不慣れなためか、私たちは分断されることもなくのんびりと、ときおり激しく降る雨も委細構わずデモをしていきます(左写真はデモの先頭)。おおい町の役場でUターンをして、「再稼働反対監視テント村」の横を通って、国道を通り12630_11おおい町と高浜町の境にある牧野経産副大臣が常駐しているといわれるオフサイトセンター(福井県大飯原子力防災センター)まで3キロ余りのデモです。土砂降りの中を子どもたちもプラカードをもって黙々と歩いてくれています(右写真)。
 国道は、福井県が原発事故の場合の唯一の避難経路とされている各原発のそばを通りながら福井市に通じる唯一の例の国道です。デモがテント村から国道に入るだけで国道は完全に麻痺状態。さらにオフサイトセンターまで約1キロ余り、12630_12規制がないので、デモ隊は自然と膨らみ一車線を完全に封じて、擬似フランスデモ状態に(左写真・大阪・神戸のとめ原の隊列)。思わず運転手さん大変だろうなと心配してしまいます。それに、万一の事故のとき、これでは避難経路にはならないだろうなと思わず思った。隊列の左端に関実の新しいのぼり旗が見えます。このころ雨足がますます激しくなります。
 オフサイトセンター前がデモの解散地点。ところが、ここで代表が経産省に申し入れを行う約束に。12630_13何と、経産省の役人は、土砂降りの雨の中、オフサイトセンターの道路反対側で受取ると言う。失礼千万と怒った新開事務局長が、申し入れ自体を拒否(右写真)。伝え聞いたみなさんが、12630_14国道をわたってオフサイトセンター正面に雪崩をうって渡って抗議を始めました(左写真)。道路反対側では、横断幕を連ねて抗議が行なわれます(右写真)。12630_15慌てた経産省は、しぶしぶ代表団を敷地内に入れることを認めて、申し入れが行われたのです。最初っから認めておけば、こんな騒ぎにならなかったのに・・・。

12630_16 この最中に、大飯原発入口にあるPR館の前で座り込みが始まったが、権力が来たという緊急連絡が私の携帯に入り、3人で現場を離れ、車で橋を渡り座り込みの現場へ急行しました。集会とは別行動をとった監視テント村にいた若者を中心とした約100人余りの人々が、左写真の奥に車数台をチェーンで固定し、ドラムなど楽器をたたき踊りながら「再稼働反対」のコールをして原発への経路を完全に封鎖しているではありませんか。警察機動隊は、うろたえながら写真のように阻止線を張り、中で10数人で中の人々に退去してくれと説得しようとしていますが、「再稼働をやめれば出ていく」「再稼働は法律違反だ」などと若者の方が理路整然と逆に説得し、警察の方が負けています。12630_17私たちは、この弱々しい阻止線を当然のように押しのけて入りました。その頃にはツイッターで伝わったのか、若い人たちが次々と新たに駆けつけてきました。警察はさすがに阻止線を強化し、入れないようにしましたが、300人位に膨れ上がった行動に打つ手がない状態になっています。中では外と呼応しながらの「再稼働反対」がリズムに乗って叫ばれています。
 事態が動かないと見て私たちは夕食を取りに近くにとっていた旅館へ。ひと休みしているところへ現場で動きがあるようだと連絡があり、急遽駆けつけると機動隊の大型バスなど警察車両が、阻止線を張る若い人たちのスクラム(右写真左手)に迫っています。1271_3新開純也さんや小林圭二さんも来ておられます。時折激しく降る雨の中、中でのリズムに乗った「再稼働反対」のコールは絶えることなく続いています。左写真の彼女は徹夜で雨の中ドラムを叩き続けたようで、この写真を撮った直後(1日、午前9時頃)、代わってもらい車の中に倒れるように休息をとったようです。
 夜中に海側から機動隊が入り、挟み撃ちするようにしてサーチライトを照らし、バスの排気ガスをめいっぱい出しながら迫ったようです(午前3時頃)。
 しかし、若い人たちはひるむことなく、座り込みと「再稼働反対」のコールを踊りながら続け、朝、5時頃再度私たちが訪れた時も、驚くほどの元気で闘いを続けていました。1271_4海側から入って阻止線を張っている機動隊の隊員が、疲れた顔をして、まるで化け物を見るような表情で呆然としているのと対照的でした。
 現場から数百メートル離れた漁村公園に私たちは東京からバスできた人たちと合流して(100人位)、隊列を組み、デモで現場に向かい、若い人たちの歓声で迎えられながら、現場に入り直しました。
 関西電力に現場で午前9時20分に申し入れを行うことが事前に出来上がっていたのですが、占拠を解くことを条件として、1271_5申し入れを拒否したことが明らかになり、土砂降りの雨の中、機動隊の阻止線に対し「責任者を出せ」と新開さんを先頭に抗議が行われました。福島から来ておられた女性(たぶん佐藤幸子さん)が、「福島から女が来た。なのに男が聞こうともせずにこそこそと隠れているという無様なことはどういうことだ」とほんとに厳しい大音響で怒りの声を上げ続けられました。
 ここで私は、四国の伊方に帰る人たちなどを運んで欲しいと要請され、現場を離れ、しばらく現場と監視テント村の間でピストン運転をしましたが、1271_6神戸に帰る人もあり、私自身所用をもっていたので、後ろ髪を引かれる思いを持ちながら昼前に現場を後にし、帰途につきました。

 帰ってから、海を渡って原発労働者や、経産副大臣、時岡町長などが原発に入り、再稼働が強行されると共に、座り込みの現場に同じ頃に機動隊が入り排除が強行されたことを知りました。
 それ自体は非常に残念でしたが、29日の東京の20万人、関電前の2200人、そして30日の大飯での650人の集会と雨をついてのデモ、そして何よりも若い人たちによる直接行動での現場封鎖、座り込みが基本的に勝利したこの一連の闘いで、明らかに、私たちは、全ての原発を廃炉にする新たな地平を勝ち取ったのです。とりわけ大飯原発への通路を1日以上にわたり封鎖した若い人々を中心にした闘いの意義は、語り尽くせないほどの大きなものだったと思います。ほんとに多くの人々を励まし、闘いへの鼓舞となりました。
 

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コメント

語り尽くせないほどすばらしく、美しい・・・・その通りだ。
とうとう、ぼくたちの痛切な願いが実現するときが来た。

ともにがんばろう!!

投稿: 田中洌 | 2012年7月 3日 (火) 18時21分

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