基地も原発もいらない 5・27講演集会に参加して
5月27日午前中に、子ども文化センターで「基地も原発もいらない 5・27講演集会」が開かれ、150人の人が集まりました。
集会は、主催者を代表して集会呼びかけ人の仲尾宏さん(反戦反貧困反差別共同行動 in きょうと代表世話人)が挨拶をして始まりました。仲尾さんは、これまでの京都での共同行動の中から、福井現地での反原発の取り組みを前日の「もう一つの住民説明会」開催などを行なってきたこと、自立した沖縄の姿が見えてきたことなどを語られました。そして地元の住民の同意がなければ問題は何も解決しないという方向性が見えてきたし、基地も原発も権力の弱点をさらけ出していると明らかにされ、この日の集会への期待を語られて挨拶とされました。
つづいて韓基大さん(Stop原子力☆関電包囲行動)から大飯原発再稼働阻止に向けた想いを語られました。韓さんは、大飯現地でのテント活動に最初に立ち上った一人の埼玉のUさんとの4月26日の大飯町での「住民説明会」をめぐる話し、特に警察による規制の様子を紹介された。そして自分たちがただ「反対すべし」と大飯町のみなさんに押し付けるためにきたのではなく、「不安な気持ちがあれば、その気持ちを伝えて欲しい」。そこで自分たちは、直接行動をすることで、原発が事故を起こせば生活の全てを奪われる大飯のみなさんにその気持ちを伝えることができた。この確信によって原発を止めるまで行動していきたいと語られました。
ここで、椎名千恵子さん(未来を孕む女たちのとつきとおかテント村行動世話人)の登壇です。沖縄の辺野古の直接行動による基地建設阻止について触れられ、「福島と沖縄はおなじだねぇ」というおばぁたちのことばを通してあらためて「強いられてあることへの怒り」を覚えたと。
そして椎名さんご自身の3・11以降の1ヶ月あまりの悶々とした時間の中から福島へ出ての繋がりが「子どもを守ろう」という想いの中から「つながり、絆」が生まれていった過程を語られました。
他方、山下が3月20日ころに福島に入り、ラジオ福島、講演、広報などを通して安心・安全説をばら撒いていった過程を明らかにされた上で、さらにICRPを使った山下支持の動きへの闘い、直接行動がご自身を含めて取り組まれていった過程を語られました。直接行動の中で鍛えられ、繋がっていったとも。3・11に対してその日生存していた者が肉薄できなかったその点で自分たちに責任があったと。そして「3・11を再び繰り返さないために、ひとりひとりが形を変え、色を変え、質を変えて、そして横の戦列とも組み直しながら日々つかんでいくそういう作業が」と語りかけられました。
そして健康調査が市民の立場に立ったものじゃないと批判された。医療機関を含めて市民の苦悩や不安に向き合おうとしていないと。明らかにいろいろな症状が、死亡も含め出ているにもかかわらずということを具体的に示されました。昨日小林先生が「今は放射能の問題から逃げないが、いずれ逃げる」と指摘されたが、もう福島では逃げていますと。そこに寄り添う医療の現場がない。そして「子ども診療所」建設への動きを訴えられました。まずは相談窓口をはじめる。立ち上がるしかないと。目線の違いを超えて、手探りでも手をつなぎ、引くことなくやるしかないと。この福島の現実を理解して欲しいと涙ながらに訴えられました。命の闘いそのものだと。魯迅の「自らの光で歩むしかない」という言葉が好きだと語りかけられました。
福島から沖縄、そして大飯に行き繋がった。6月の福井全国行動にバス1台で行きますと。
そして経産省の前のテントの「解放区」に惚れ込み「未来を孕む女たちのとつきとおか」の取り組みを始められた経緯と想いを紹介されました。5月5日には1000人を超える人々のカンショ踊りで経産省を包囲したことなど。
「子どもたちはまだまだ闇状態です。しかし、繋がることで、立つことで身体に揺さぶりかけて、感覚・感性が生まれて、新しく、強く、みずみずしく新しい創造的な闘いを生み出していけることを期待してやっていきたい」と語りかけてお話しを終えられました。
ここで、社民党・衆議院議員の服部良一さんが連帯の挨拶をされました。社民党で「脱原発・自然エネルギー推進プロジェクトチーム」を作ったことを話され、「9条改憲阻止の会」のみなさんの経産省前テントを作る時に関わった経緯などを話された。その上で、国会の状況について簡単に報告され、大飯の3号、4号を断固として阻止するために共に頑張っていきたいと明らかにされました。
カンパアピールの後、京都沖縄県人会会長の大湾宗則さんが登壇されました。大湾さんはまず、京都沖縄県人会が1987年に親睦団体として結成された後、1995年少女暴行事件抗議の闘いと、2004年沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落・炎上抗議の闘い、そして2007年高校教科書から集団自決に軍関与の記述削除への抗議の闘いから「ふるさとの喜怒哀楽を共にする」県人会活動へと変えていった経緯を話されました。2008年少女暴行事件に抗議して県人会として初めて抗議の集会を開いたと。
そしてこの5月13日、『沖縄「日本復帰40年」を問う!京都・沖縄連帯集会』が700人結集のもとに、沖縄県人会が主催して開いた経緯と意義を報告されました。合わせて、関西県人会、全国県人会のこの間の取り組みを報告されました。
那覇の牧港の米軍住宅地区が、現在、新都心おむろ町となって様変わりした写真を示されながら、「基地が帰るとこうなるんだ」という説得性のある資料として使われていることを紹介された。またヤンバルクイナが高江で発見されたことで、「命どぅ宝」と、世界で注目されていることを示された。対照的に、1945年建設された普天間基地によって豊かな普天間村の自然が破壊された今日に至る現実の写真を示された。
沖縄闘争の到達点として、1956年銃剣とブルドーザに立ち向かった島ぐるみ闘争から沖縄闘争は始まった。それまで沖縄は世界一愚鈍とまで言われ、薩摩以来の差別を受けてきた沖縄が、今は堂々として普天間基地の撤去、辺野古新基地建設反対で沖縄中が一つにまとまっている。名護市が稲嶺市長を生み、10億の基地交付金を受け取らない、基地に依存しない新しい動き、地平が大事だと提起された。
明治政府による琉球処分と南進政策は、戦争政策を始めるときに沖縄差別、中国差別、朝鮮差別を生み出していった。1972年沖縄返還は、基地付き、核付き、ガス付きで掃き溜めのように75%の基地が残された。こんな事態を本土にいるウチナンチューもヤマトンチューも認めてきた。国策による差別を黙認して許してきた、あるいは闘い及ばずして認めざるを得なかった点では「国民的差別」でもあるのだと指摘された。辺野古の闘い、普天間の闘いは、沖縄闘争は、人権と平和、自治をめぐる十字路になっている。この沖縄の闘いの足跡が、福島のみなさんにとても役に立つだろうと思うと提起されました。
沖縄はいつまで待てばいいのですか。もう少しですか。ずーっとですか。沖縄にあって本土にないもの。それは鬱積した怒りです。もう我慢できない。一緒に闘って行きたいと思いますと呼びかけられてお話しを終えられました。
集会実行委員会の呼びかけ人の新開純也さんからまとめの挨拶です。集会準備の最終段階で、「あかんで!大飯・伊方の再稼働 5・27関西行動」がこの日の午後から取り組まれることが入り、ともに闘うべきだろうということでこの集会が午前中に急遽変更され早朝となったいきさつを新開さんは明らかにされました。その上で、昨日、大飯で「もうひとつの住民説明会」として140~50名の方が集まり、現地からも30人近い方が参加されたと報告されました。集会参加ひとつとっても現地の方々にはまだ勇気がいる状況だとされ、我々が精神的にも物質的にも包み込んでやっていくことが必要な段階だろうと指摘され、その中から必ず反対の声を自ら上げる動きが生まれるだろうと確信すると語られ、6月16、17日に取り組まれようとしている福井の全国集会に全力で取り組むことを呼びかけられました。そしてそうしたものを突破してXデーと言われるようなものがあれば、福井現地に入り直接行動をとろうと呼びかけられました。椎名さん、大湾さんに謝辞を述べられた上で、沖縄・福島について「国内植民地体制とでも言うべき不条理」な支配体制を弾劾し、当面の闘いとしてこの打破に我々の全力を投入することを呼びかけ、まとめとされました。
なお、先ほど、メールで福井現地の闘いが、原子力発電に反対する福井県民会議から「性急な再稼働の動きに待ったをかける」ことを目的とした大集会を開くために実行委員会が発足し、以下の要項で集会が開かれることが確認されたと連絡が入りました。
【集会名】 いのちが大事 今なぜ再稼働? ふくいでつながろう
【日時】 6月17日(日)12:00~
【会場】 福井市中央公園
みなさん。全力で、6・17福井大集会に結集しよう!
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