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2012年5月31日 (木)

え~? 流血は市東さんの責任?!

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 先日の5・28市東さんの農地裁判の傍聴記が、尼崎・伊丹実行委員会の弥永修さんから届きましたので掲載します。

え~? 流血は市東さんの責任?!

 現闘本部裁判控訴審の不当判決と50名逮捕という大反動から一年、5.28市東さんの農地裁判の傍聴に参加しました。

 今回からいよいよ証人尋問ということで、裁判の流れを決する大切な局面に入ります。

 そこで公判の前に近くの葭川(よしかわ)公園で前段集会がもたれ、北原事務局長と大口弁護士から力強い決意表明を受けました。その後デモに移り、千葉市民に農地強奪の不当性を訴えました。

 法廷に入ると戸井健司という成田空港会社の用地部長が証人席に座っていました。経歴を見ると彼は、まさに市東農地取上げ策動の全過程に関わっている人物であることが判りました。

 まず、本当にインパクトのない無機質な主尋問があり、続いて反対同盟弁護団から次々と反対尋問がなされました。12528_3

 しかし埋め尽くされた傍聴席の私達には、当然ながら甲号証も乙号証そして添付の図面や航空写真など手許になく、やりとりの詳細部分で分らない点が多々ありましたが、(詳しくは同盟ブログ等で確認して下さい。すみません)ひとつひとつの尋問から戸井証人が逃げ回っていることははっきりと判りました。「いやーちょっと」と首をかしげたり「前任者のしたことなので・・」「わかりません」などの連発で、本当に彼が用地買収の責任者なのかと疑いたくなりました。若い浅野弁護士(右写真)からも「あなたは肝心なことになると返事が曖昧になる、ダメですよ」と叱られていました。ああ情けない話。

 私が特に怒りをおぼえたのは次の2点。

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 ひとつは一瀬弁護士から、二度と流血の事態がおこらないようとした黒野(元社長)声明に鑑み、「強制収用しようとすれば再びその事態も考えられるが、それでも強行するのか」との質問に戸井証人は「流血はないほうがいい。市東さんにそう願いたい」とあたかも市東さんにその責任があるかのように言い放った時でした。「それは逆やろ!」私は今まで法廷でヤジを飛ばしたことはなかったのですが思わず大声をあげました。

 ご存知のように三里塚は流血の歴史です。しかしそれは政府、公団(現NAA)が農民を見下し、機動隊暴力で問答無用で農地を強奪しようとしたことが一切の原因です。それを農民の側が原因であるとは何たる言い草か!私はこの卑劣な答弁のあとしばらくメモることが出来ないぐらいに怒っていました。

 ふたつめは浅野弁護士が「農地明渡しは市東さんの農業に大打撃を与えるが・・」と質問したことに対し「18千万円は不十分ではない」と平然と答弁した時です。086

 まさに「札束で頬をたたく」という意識が如実にあらわれた言葉ではありませんか。何故市東さんが卑劣ないやがらせや営農妨害を受けても、この地にとどまり農業を続けたいと願うのか、一人の人間としてその心に少しでも思いを馳せるならば絶対にこのような言葉は出てきません。金(カネ)と名刺の肩書きだけで人間の価値を決めているような社会でうごめいている戸井証人には「
1100円の大根を消費者に届けたい」という市東さんの「人生」など全く理解出来ないのでしょう。

 こんな腐りきった連中に絶対負けることは出来ないと改めて感じました。

 2時間あまり傍聴しまだ公判は続いていたのですが帰途の都合で途中退席しました。可能な限りまた参加しようと思っています。

 それにしても多見谷裁判長は尋問の進行に何度もクレームをつけたり、まだ尋問が続いているのに閉廷しようとしたり、やる気あんのかなあ? 尋問も嫌そうな顔で聞いていたし・・要注意!



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2012年5月30日 (水)

基地も原発もいらない 5・27講演集会に参加して

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 5月27日午前中に、子ども文化センターで「基地も原発もいらない 5・27講演集会」が開かれ、150人の人が集まりました。

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 集会は、主催者を代表して集会呼びかけ人の仲尾宏さん(反戦反貧困反差別共同行動 in きょうと代表世話人)が挨拶をして始まりました。仲尾さんは、これまでの京都での共同行動の中から、福井現地での反原発の取り組みを前日の「もう一つの住民説明会」開催などを行なってきたこと、自立した沖縄の姿が見えてきたことなどを語られました。そして地元の住民の同意がなければ問題は何も解決しないという方向性が見えてきたし、基地も原発も権力の弱点をさらけ出していると明らかにされ、この日の集会への期待を語られて挨拶とされました。
 つづいて韓基大さん(Stop原子力☆関電包囲行動)から大飯原発再稼働阻止に向けた想いを語られました。12527_3韓さんは、大飯現地でのテント活動に最初に立ち上った一人の埼玉のUさんとの4月26日の大飯町での「住民説明会」をめぐる話し、特に警察による規制の様子を紹介された。そして自分たちがただ「反対すべし」と大飯町のみなさんに押し付けるためにきたのではなく、「不安な気持ちがあれば、その気持ちを伝えて欲しい」。そこで自分たちは、直接行動をすることで、原発が事故を起こせば生活の全てを奪われる大飯のみなさんにその気持ちを伝えることができた。この確信によって原発を止めるまで行動していきたいと語られました。

 ここで、椎名千恵子さん(未来を孕む女たちのとつきとおかテント村行動世話人)の登壇です。沖縄の辺野古の直接行動による基地建設阻止について触れられ、「福島と沖縄はおなじだねぇ」というおばぁたちのことばを通してあらためて「強いられてあることへの怒り」を覚えたと。
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 そして椎名さんご自身の3・11以降の1ヶ月あまりの悶々とした時間の中から福島へ出ての繋がりが「子どもを守ろう」という想いの中から「つながり、絆」が生まれていった過程を語られました。
 他方、山下が3月20日ころに福島に入り、ラジオ福島、講演、広報などを通して安心・安全説をばら撒いていった過程を明らかにされた上で、さらにICRPを使った山下支持の動きへの闘い、直接行動がご自身を含めて取り組まれていった過程を語られました。直接行動の中で鍛えられ、繋がっていったとも。3・11に対してその日生存していた者が肉薄できなかったその点で自分たちに責任があったと。そして「3・11を再び繰り返さないために、ひとりひとりが形を変え、色を変え、質を変えて、そして横の戦列とも組み直しながら日々つかんでいくそういう作業が」と語りかけられました。
 そして健康調査が市民の立場に立ったものじゃないと批判された。医療機関を含めて市民の苦悩や不安に向き合おうとしていないと。明らかにいろいろな症状が、死亡も含め出ているにもかかわらずということを具体的に示されました。昨日小林先生が「今は放射能の問題から逃げないが、いずれ逃げる」と指摘されたが、もう福島では逃げていますと。そこに寄り添う医療の現場がない。そして「子ども診療所」建設への動きを訴えられました。まずは相談窓口をはじめる。立ち上がるしかないと。目線の違いを超えて、手探りでも手をつなぎ、引くことなくやるしかないと。この福島の現実を理解して欲しいと涙ながらに訴えられました。命の闘いそのものだと。魯迅の「自らの光で歩むしかない」という言葉が好きだと語りかけられました。
 福島から沖縄、そして大飯に行き繋がった。6月の福井全国行動にバス1台で行きますと。
 そして経産省の前のテントの「解放区」に惚れ込み「未来を孕む女たちのとつきとおか」の取り組みを始められた経緯と想いを紹介されました。5月5日には1000人を超える人々のカンショ踊りで経産省を包囲したことなど。
 「子どもたちはまだまだ闇状態です。しかし、繋がることで、立つことで身体に揺さぶりかけて、感覚・感性が生まれて、新しく、強く、みずみずしく新しい創造的な闘いを生み出していけることを期待してやっていきたい」と語りかけてお話しを終えられました。12527_5

 ここで、社民党・衆議院議員の服部良一さんが連帯の挨拶をされました。社民党で「脱原発・自然エネルギー推進プロジェクトチーム」を作ったことを話され、「9条改憲阻止の会」のみなさんの経産省前テントを作る時に関わった経緯などを話された。その上で、国会の状況について簡単に報告され、大飯の3号、4号を断固として阻止するために共に頑張っていきたいと明らかにされました。

 カンパアピールの後、京都沖縄県人会会長の大湾宗則さんが登壇されました。大湾さんはまず、京都沖縄県人会が1987年に親睦団体として結成された後、1995年少女暴行事件抗議の闘いと、2004年沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落・炎上抗議の闘い、そして2007年高校教科書から集団自決に軍関与の記述削除への抗議の闘いから「ふるさとの喜怒哀楽を共にする」県人会活動へと変えていった経緯を話されました。12527_62008年少女暴行事件に抗議して県人会として初めて抗議の集会を開いたと。
 そしてこの5月13日、『沖縄「日本復帰40年」を問う!京都・沖縄連帯集会』が700人結集のもとに、沖縄県人会が主催して開いた経緯と意義を報告されました。合わせて、関西県人会、全国県人会のこの間の取り組みを報告されました。
 那覇の牧港の米軍住宅地区が、現在、新都心おむろ町となって様変わりした写真を示されながら、「基地が帰るとこうなるんだ」という説得性のある資料として使われていることを紹介された。またヤンバルクイナが高江で発見されたことで、「命どぅ宝」と、世界で注目されていることを示された。対照的に、1945年建設された普天間基地によって豊かな普天間村の自然が破壊された今日に至る現実の写真を示された。
 沖縄闘争の到達点として、1956年銃剣とブルドーザに立ち向かった島ぐるみ闘争から沖縄闘争は始まった。それまで沖縄は世界一愚鈍とまで言われ、薩摩以来の差別を受けてきた沖縄が、今は堂々として普天間基地の撤去、辺野古新基地建設反対で沖縄中が一つにまとまっている。名護市が稲嶺市長を生み、10億の基地交付金を受け取らない、基地に依存しない新しい動き、地平が大事だと提起された。
 明治政府による琉球処分と南進政策は、戦争政策を始めるときに沖縄差別、中国差別、朝鮮差別を生み出していった。1972年沖縄返還は、基地付き、核付き、ガス付きで掃き溜めのように75%の基地が残された。こんな事態を本土にいるウチナンチューもヤマトンチューも認めてきた。国策による差別を黙認して許してきた、あるいは闘い及ばずして認めざるを得なかった点では「国民的差別」でもあるのだと指摘された。辺野古の闘い、普天間の闘いは、沖縄闘争は、人権と平和、自治をめぐる十字路になっている。この沖縄の闘いの足跡が、福島のみなさんにとても役に立つだろうと思うと提起されました。
 沖縄はいつまで待てばいいのですか。もう少しですか。ずーっとですか。沖縄にあって本土にないもの。それは鬱積した怒りです。もう我慢できない。一緒に闘って行きたいと思いますと呼びかけられてお話しを終えられました。

 集会実行委員会の呼びかけ人の新開純也さんからまとめの挨拶です。集会準備の最終段階で、「あかんで!大飯・伊方の再稼働 5・27関西行動」がこの日の午後から取り組まれることが入り、ともに闘うべきだろうということでこの集会が午前中に急遽変更され早朝となったいきさつを新開さんは明らかにされました。12527_7その上で、昨日、大飯で「もうひとつの住民説明会」として140~50名の方が集まり、現地からも30人近い方が参加されたと報告されました。集会参加ひとつとっても現地の方々にはまだ勇気がいる状況だとされ、我々が精神的にも物質的にも包み込んでやっていくことが必要な段階だろうと指摘され、その中から必ず反対の声を自ら上げる動きが生まれるだろうと確信すると語られ、6月16、17日に取り組まれようとしている福井の全国集会に全力で取り組むことを呼びかけられました。そしてそうしたものを突破してXデーと言われるようなものがあれば、福井現地に入り直接行動をとろうと呼びかけられました。椎名さん、大湾さんに謝辞を述べられた上で、沖縄・福島について「国内植民地体制とでも言うべき不条理」な支配体制を弾劾し、当面の闘いとしてこの打破に我々の全力を投入することを呼びかけ、まとめとされました。

 

 なお、先ほど、メールで福井現地の闘いが、原子力発電に反対する福井県民会議から「性急な再稼働の動きに待ったをかける」ことを目的とした大集会を開くために実行委員会が発足し、以下の要項で集会が開かれることが確認されたと連絡が入りました。

【集会名】 いのちが大事 今なぜ再稼働? ふくいでつながろう
【日時】 6月17日(日)12:00~
【会場】 福井市中央公園

 みなさん。全力で、6・17福井大集会に結集しよう!

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2012年5月29日 (火)

農地裁判、証人尋問始まる(5月28日)

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 5月28日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判が開かれました。裁判は、この日から証人尋問が始まり、いよいよ裁判の重大な局面を迎えました。

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 裁判に先立って裁判所近くの葭川公園で反対同盟主催の集会とデモが行われ、125名のみなさんが集まりました。関西からも永井代表、山本世話人をはじめ9名が参加。
 集会は萩原富夫さんの司会で始まり、北原事務局長が「裁判は偏っている。これで若い人たちに未来があるのか」と裁判闘争を闘う意義を明らかにされ、「今日は頑張りましょう」と挨拶をされました。続いて、顧問弁護団を代表して大口弁護士が、「本日をもって裁判は決定的な段階に入りました」とされ「真実を明らかにする」とした上で、この日の証人・戸井空港会社用地部長は「農地取り上げの中心にいる人物であることを怒りを持って確認する。12528_3このような人物は法廷において徹底的に粉砕しなければならない」と法廷に臨む決意を明らかにされました。
 10分あまりの短い集会の最後にシュプレヒコールを響かせて、さあ、反対同盟のみなさんを先頭にデモに出発です。裁判所近くの繁華街をほぼ2周して、行き交う市民に裁判を訴えると共に、国策裁判を強行しようとする千葉地裁を弾劾しました。
 最後、裁判所前では怒りの声がさらに大きくなります12528_4(右写真左手のビルが千葉地裁)。
 法廷に入れるのは約半分の60人足らず。関西から6人が傍聴に入りました(管理人は、法廷には入れませんでしたので、裁判の様子は後日報告をアップさせていただきます)。
 2時間半を超える法廷が終了して、会場を移して「報告会」が開かれました。

 報告会では、伊藤さんが司会をし、先ず市東さんが挨拶されました。12528_5「肝心なところは『覚えていません』と、本当に腹が立った」と怒りを表明し、闘いへの決意を明らかにされました。続いて各弁護士からの報告です。「知らぬ・存ぜぬと開き直っていたが、随所で破れていた。相当程度粉砕した」(葉山・右写真)、12528_6「『押していけば土地は奪れるんだ』という驕りたかぶった国・空港会社を粉砕しよう」(一瀬)、「肝心の許可申請書について彼(戸井)はほとんど答えられなかったというのが今日の特徴だ」(遠藤)、「土地の特定について申請段階では何もやっていなかった」(浅野)、「用地部が取得したものがすべて空港の用地だとのデタラメ」「市東さんの自宅まで奪るんだという本音がでた」(西村)などとそれぞれから報告が行われました。
 
 さかんな質疑や裁判への感想・評価などで報告会を終えた後、裁判前の集会を引き継ぐかたちで小集会が開かれました。北原事務局長は、「藤﨑など重要な証人がまだまだいる。なんとしても証人尋問を実現しよう」「いよいよ切羽詰ってきたんだと意識して日本の将来のために頑張ろう」と挨拶されました。12528_7続いて、動労千葉、関実の山本世話人、群馬の青柳さん、「市東さんの会」の山口さんが挨拶と決意を述べました。
 山本世話人は、「あの証人はなんだ。わかりませんというだけだ」と怒りを表明した上で、「92になってこういう裁判を傍聴できて本当に光栄だ」「今、日本は怒りに満ちている中で、47年闘い抜いている三里塚の正義をしみじみ感じました」と、福島、沖縄、三里塚を貫く闘いを呼びかけられました。
 最後に萩原事務局次長がまとめの挨拶をされました。萩原さんは、「今日を2倍、3倍する輪を作っていこう」と呼びかけられた上で、「国、空港会社は悪いことをしているから答えられないんだ」とこの日の証人を弾劾しました。12528_8そして空港を勝手に拡張し、金を湯水の如くに使っていることを批判した上で、全国で裁判が一番多いのは千葉県だ、麻薬の犯罪だ、空港によってなのだと明らかにされました。「こんなもの国策でもなんでもない」「こんな証言しかできない連中など生かしてはおけない。責任をとってもらわなければならない」と怒りを表明し、「そのことが福島、沖縄を貫いているのではないのか」と語られました。そして最後に「裁判そのものを力関係を転換させ変えていこう」と訴えられました。

 次回の行政訴訟・農地法裁判は、6月25日(月)午後1時半からで、今度は成田市農業委員会の山崎事務局長が証人です。山崎は、成田市農業委員会で空港会社からの農地強奪のための「耕作権解除申請」に対して農業委員のなかから出てきた疑問や批判の声を封じ込め、根回しし、「申請」を受理して千葉県に上げていった張本人です。全力で傍聴闘争に決起しよう!

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2012年5月26日 (土)

5・25鎌田慧講演会に350人

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 昨日5月25日、大阪のクレオ大阪東ホールに350人を超える人々が集まり、「原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて! 鎌田慧講演会」が熱気ある中で、かちとられました。古河潤一さんを逮捕・起訴するという形で、私たちが、三里塚が、福島のみなさんと繋がることを妨害しようとした国家権力の企みは、怒りをよび、「福島と今まで以上に繋がろう」という熱気と決意を生み出したのです。三里塚反対同盟から集会への連帯のメッセージが寄せられました。

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 浪花の歌う巨人・パギやん、趙博さんが自らの唄をまじえながら怒りをあらわにしつつ集会を取り仕切っていかれます。「お客さんは待たせるものではない」と時間前から始まります。三里塚との関わりを語られた上で、プログラムになかった「精神障害者」のミュージシャン塚本さんを紹介されました。塚本さんはかって三里塚に行っていた時に作ったという『三里塚』を歌われました。

 開演し、まずは「はっぴーあいらんず・のーぬくす」の演奏です。12525_4趙博さん、お~まきちまきさん、はるまげんさんの3人です。阪神大震災で出会って以来の交流だそうです。「趙さんというとほんとに替え唄が凄いですよね」というお~まきさん。3人の語りと熱唱が、いっきに会場の雰囲気を盛り上げていきます。「怒らないとと思う」とお~まきさん。「怒り方が問題です」と趙さん。
 続いて、音曲漫才「おしどりケン&マコ」のお二人が登場。「いとしこいし」のこいしから『われらの湾岸戦争』の漫才を書き上げた話しから「君らは国のためにしゃべるな。目の前のお客さんのためにしゃべれ」と教えられたことなどを紹介しながら針金細工を交えた芸と演奏、しゃべくりでした。3・11以降、「原発」「爆発」などを口にするなと言われて、「それって国のため?」と福島などに取材に行って、針金の芸で慰問をしたとも。

 ここで鎌田慧さんが登場です。12525_5この頃には会場はほぼ満杯です(最初の写真)。鎌田さんは、まず「原発は恐怖の存在だ」と言われた上で、各地の原発が人々が住んでいるすぐ傍に存在している状況を紹介された。「畑と海があれば人間は生きていける」と原発企業のカネによる誘惑をはね返した大間原発での話しなど。そして軍事と原発が深く関わっていることを明らかにされた。イタリアやドイツが「脱原発」と決めたのは「核武装をしない」と決めたことだと。日本の歴代首相が「核の研究は必要だ」と続けていることを指弾された。原発が作られたところと反対運動が貫かれて原発を拒否した多くの地方を対比しながら、国・電力会社による金の力で人間をねじ伏せていった原発の歴史を語られた。「やってきたことが、余りにもひどい。やり方が汚い」「人間をダメにしている」「モラルと論理は何もない」と。そして「私たちはそれを許してきた」として、3・11を機に立ち上がってきた想いを語られ、7・16代々木公園での10万人集会への結集を訴え、話しを終えられた。

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 ここで趙さんから「これまでもいろいろ弾圧があるけれども、こんなセコイやり方があるんだろうか」と古河さんへの弾圧(「橋下もセコイなぁ」と付け加えながら)を紹介した上で、3人からのアピールを紹介。先ず一番に三里塚関西実行委員会の永井満代表世話人です。永井さんは、2月27日の自分のところへの不当な家宅捜索を通して古河さんの取り組みへの、そして三里塚の福島支援の取り組みへの弾圧と受け止めたことを語られた上で、三里塚裁判における裁判所の酷さを弾劾され、訴えられました。続いて、関西合同労組の石田さんから福島の子どもたちを招いた取り組み、とめよう原発!関西ネットワークから下地さんからはALSなど難病の中で生き抜いている人々への想いと古河逮捕がその人たちの命を脅かすことだという弾劾、そして6・27関電株主総会(茶屋町の梅田芸術劇場)を包囲して起ちあがろうと、それぞれアピールがされました。

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 趙さんは、下地さんの話しを受けて、国・厚労省の「介護では人間的な付き合いをするな」という姿勢を弾劾された上で、フィナーレです。古河さんが登場し、趙さんと古河さんが掛け合いをしながら、昨年5月以来の福島現地への古河さんの取り組みの想い、9月から趙さんも加わった現地への三里塚の野菜を届け、趙さんの唄などの福島の仮設での交流、支援のようすを、舞台の画面いっぱいのスライドを説明してくれました。たこ焼きがめっちゃ子どもたちに受けたことなども。Photo三里塚から届いた野菜を扱っている何枚もの写真もありました。
 最後に古河さんは「今、国がやろうとしていることは避難者への分断、切り崩しであり、棄民政策だ」と弾劾し、今回への弾圧への怒りと共に、「もう飯館は存在しないのですか、私は存在しないのですか」と行政に迫った住民の声を紹介しました。「この言葉は我々へも鋭く投げかけられている」とし、弾圧をはね返し「福島に毎月通い続ける」と自らの決意を語ると共に、「人と人の結合、関係を回復していくことだ」と会場に呼びかけ訴えました。12525_8そして6月3日には三里塚の芋掘りに福島の人たちとともに参加すると。そして市東孝雄さんの闘いと沖縄の闘いと共にと訴え、自らの裁判支援を呼びかけて終わりました。

 最後はにぎやかに登場されたみなさんと一緒に趙さんご自身の『核々、死か慈か』を演奏して舞台が閉じられました。

 始まるまでは「どうなるだろうか?」と心配しましたが、凄い熱気と迫力、熱い想いのこもったほんとにいい集会でした。準備された「福島支援弾圧裁判救援会」をはじめとしたみなさん。本当にご苦労様でした。

 12526今日の三里塚からの産直野菜が、昼前に届きました。今年に入って一番大きな箱です。
 玉レタス、キャベツ、ほうれん草、ラディッシュ、サニーレタス、カブ、エシャロット、大根、チンゲンサイのなんと9品もです。食べるのが大変ですね・・・。

 昨日の集会の中で古河さんが触れていますが、6月3日、いよいよ産地交流「芋ほり大会」です。今からでも間に合いますので、参加されませんか。関西からはちょっと大変ですが。
 お問い合わせ、お申し込みは、☎0478-75-2163 ふろむあす千葉まで。

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2012年5月24日 (木)

あかんで!大飯・伊方の再稼働 5・27関西行動へ

あかんで! 大飯・伊方の再稼働 5・27関西行動

【とき】 5月27日(日)午後2時 集会・3時 デモ

【ところ】 大阪・扇町公園 (JR環状線・天満駅より徒歩10分、関西テレビビル隣)

スピーチ  福島から 椎名千恵子さん
      
(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)
         福井から 山崎隆敏さん
       
(サヨナラ原発福井ネットワーク代表)

メッセージ  原発さよなら四国ネットワーク より

音楽  Kayo さん  
アピール  多田悦子 さん 
          (WBA女子世界ミニマム級チャンピオン)

まずは、福島の事故対策を

Img 福島は今、事故の究明もできず、日々、放射能の放出は続いています。
 事故は決して収束などしていないどころか、4号機の建屋は崩落寸前で核燃料プールは野ざらし状態です。最大余震に襲われたらプールの水が抜け、大火災、大爆発へと人類未知の最悪事態となってしまいます。この対策に手もつけず、なぜ今、再稼働でしょうか? まずは全力を上げて次なる大惨事を防ぐべきです。
 もはや、地震列島に原発が無理なことは明白です。大飯・伊方も大変危険です。
 原発なくても、電気は足りています。みんなの努力で夏のピークをのり切りましょう。
 再稼働にNo!の大きな声を上げましょう。
 (チラシより転載)

 ご存知のように、国は、「瓦礫処理(=放射能拡散)」を北九州で警察・機動隊の暴力のもと、抗議する市民を排除し、逮捕して強行しました。断じて許されません。
 瓦礫の各地への拡散は、放射能を日本全国に拡散することであり、子どもたちや妊婦をはじめ恐ろしい内部被爆の危険に晒すことであり、被災地のみなさんも望んでいることではありません。内部被爆の恐ろしさを否定する国の誤った政策です。また、「震災復興」で一儲けしようという大手ゼネコンや運送業界などの悪どい所業です。こんな人殺しに国と企業が手をだし、それを警察が守るなど、断じて許せません。

 原発の再稼働は、到底、許されません。おおい町では『もうひとつの「住民説明会」』が、福島の被災者を招いて、5月26日(土)午後1時から「あみーシャン大飯ふれあいホール」(福井県大飯郡おおい町本郷82-14)で開かれます。伊方では6月10日(日)午後1時から、『伊方原発稼働阻止!! 愛媛県庁包囲行動』が取り組まれます(チラシはこちらからhttp://www.ikata-tomeru.jp/wp-content/uploads/2012/05/610ehimekenhoui.pdf)。

 大飯や愛媛の取り組みに連帯して、5月27日、大阪の扇町公園に集まろう!

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2012年5月23日 (水)

基地も原発もいらない! 5・27講演集会へ

基地も 原発も いらない! 5・27講演集会

日時:5月27日(日)10:00開場(入場無料)
             10:30開会、終了12:30

場所:大阪市立子ども文化センター・大ホール
     (地下鉄西長堀駅下車、西区民センターの北。徒歩5分)

お話:大湾 宗則さん(京都沖縄県人会会長)
    椎名 千恵子さん(未来を孕む女たちとつきとおかテント村行動」世話人

Photo_2主催:5・3改憲阻止共同行動実行委員会

3・11東日本大震災・原発震災から1年

 3・11東日本大震災・原発震災から1年以上が過ぎました。この中で、日本政府の国策という名の差別・分断による労働者民衆支配の構造が全面的に明らかになりました。
 いま北朝鮮敵視・排外主義と戦争をあおりたて憲法9条を変える動きが、自民党改憲案や橋下維新の会の9条改憲論など頭をもたげています。自衛隊の動的防衛力構想・沖縄の米軍基地強化と原発推進は、戦争と核武装への道です。この戦争と核武装への動きを阻止する闘いの中で主権者としての行動にたちあがりましょう。国策による差別・分断攻撃を打ち返す闘いを創りあげましょう。政治を民主党や自民党、橋下維新の会に預けるというこれまでのあり方を変えましょう。

12527 野田政権の公約を裏切る辺野古への新基地建設と原発推進を許すな

 民主党・野田政権は、普天間基地の固定化を脅し文句にして、辺野古への新基地建設を強引に推し進めようとしています。
 名護市名護区の基地推進派を使って、名護市長と市議会を変えれば推進できるとして卑劣な策動をしています。そのために、6月の沖縄県議会選挙に介入して仲井真知事の与党勢力(現在少数与党)を勝たせるために、沖縄振興予算の策定をはじめとする基地建設推進派への支援政策を進めています。
 また、福島第1原発事故の収束、事故原因究明もできていないのに、立地住民の反対の声を無視して関西電力大飯原発3、4号機の再稼働をねらっています。そして、被災地支援を口実に放射能汚染ガレキの広域処理を強行しています。これは、日本全土に放射性物質をばらまき、被災地支援に回すべき予算を大手運送業者(運送経費は数億円とされている)の特需にするものです。しかも、東京都の例で暴露されているように、この焼却を引き受けるのは東電の系列会社であったり、大手ゼネコンの系列会社です。さらに、アジア諸国に原発輸出をねらい原子力村の生き残りをはかろうとしています。

沖縄と福島の闘いの声を聞こう!

 いまや原発震災の巨大な被害と苦難の中で、また沖縄人民のこの数十年来の闘いが、新たな闘いと労働者民衆の自主的行動を生み出しています。
 この闘いの先頭に立っておられる京都沖縄県人会の大湾宗則さんと「原発いらない福島の女たち」世話人・「未来を孕む女たちのとつきとおかテント村行動」世話人の椎名千恵子さんをお招きして、その闘いの意義と経験をお聞きし、私たちの新たな闘いを築きあげるようにしたいと思います。

 みなさんのご来場をお待ちしています。実行委員会では、講演集会の賛同を募っています。個人賛同1口¥1,000、団体賛同1口¥2,000 です。
郵便振替口座  口座名称:改憲阻止共同行動 / 口座番号:00990-0-256104

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2012年5月20日 (日)

今週の産直野菜(5月19日)

12519 今週の産直野菜が、クロネコさんの都合で遅れて昨夜届きました。今週も大き目の箱で、しかも開けたら一杯に入っています。

 サニーレタス、とう立ち玉ねぎ(サービス品)、里いも、小松菜、キャベツ、玉レタス、ほうれん草、大根。以上、8品です。

 3年ほど前に援農した時に、玉ねぎの収穫を手伝ったことが2度ほどあるのですが、茎の先に花が咲いたようになっているのを「とう立ち」として引っこ抜いていって捨てたのですが、まだ収穫前で硬くなっていなくて柔らかいので食べられるということで、サービスで入ってきたのですが、これだけ沢山採れたということは、とう立ちが多いということでしょうか。ちょっと心配です。昨年は玉ねぎの大豊作だったのですが・・・。さっそく今朝、サラダにしていただきました。柔らかくて美味しかったですよ。
 小松菜の背の高いこと。気候が順調で葉物がよく育っているのがわかります。これに来週にはラディッシュやカブも予定に入っているようですね。食べるのが大変ですが、賑やかなのはいいですね。

1164 さて、6月3日の産地交流「じゃが芋掘り大会」の正式の案内がありました。福島のみなさんを迎えて行われることからでしょうね。例年より開始が1時間遅く、萩原さんのところに午前11時集合となっています。右の写真は、東日本大震災の直後の昨年の6月4日に、あやぶまれる中で開かれた産地交流会です。一昨年は、5・20の大弾圧、50名不当逮捕・38名の長期勾留が続く中で開かれました。2年続きの厳しい「産地交流」でしたが、反対同盟、現地支援連のみなさんのふんばりで続けられたことを思い起こします。今年は、福島から子どもたちを含めたくさんの被災者のみなさんが招かれています。楽しい産地交流会「じゃがいも掘り大会」になりそうです。みなさん。参加しませんか。成田駅への出迎えもあります。詳しいお問い合わせは、☎0478-75-2163「ふろむあす千葉」まで。

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2012年5月18日 (金)

福島支援への弾圧を許すな! 「5・25鎌田慧講演会」へ

 昨年5月以来、毎月のように被災地福島にボランティア活動をはじめ三里塚の無農薬の野菜を届けたり、音楽家の趙博さん(右下写真 11.10.16集会で)などの協力を得た仮設住宅などでの交流を重ねてきた古河潤一(戸籍名・唐住日出男)さんを、大阪府警は2月27日、「免状不実記載・同行使」でデッチ上げ逮捕をしました。Img_0659裁判所によって勾留延長が却下され釈放されるや、今度はその場で「電磁的公正証書原本不実記録・同供用」で別件逮捕。再度、勾留延長請求が裁判所から却下されるや、長期勾留を狙った不当な起訴を強行しました。
 「売れっ子ヘルパー」として重度のALSの患者さんや重度の身体障害者の患者さんから慕われ、必要とされる古河さんの長期勾留は、それ自体が、患者さんたちの生活や命にも関わる問題でもありました。起訴自体は極めて不当なものですが、百歩譲ったとしても、長期勾留など必要な事案ではなく、警察・検察の目論見は裁判所さえ認めず、3月24日に釈放されました。

 この弾圧は、明らかに古河さんが行なってきた福島の被災地への支援活動に対する攻撃であり、断じて許されません。しかも、19ヶ所にわたる家宅捜索が、逮捕理由には何の関係もない三里塚現地や関西実行委員会の事務所、あるいは福島の住民の数ヶ所、古河さんと何の関わりもない関西合同労組などに行われました。三里塚反対同盟が、福島における原発事故を国策による犠牲だとして共に闘って行くことを明らかにされ、古河さんの支援の柱として野菜を供給して下さったことへの反動です。あるいは10月の生産者と消費者の交流として行われた三里塚現地に福島の子どもたちが招かれたことへの反動でもありました。或いは、関西合同労組が福島の子どもたちを招こうと「遊ぼう♪春休み♪宝塚保養キャンプ」を計画していたことへの反動でした。それ以外に、この異常な家宅捜索の説明はつきません。

 直ちにこの弾圧に抗して「福島支援弾圧」裁判救援会が趙博さんを中心に立ち上げられ、これまでの報告と開始される裁判への支援を訴えて、下記の集会を呼びかけています。不当な弾圧を許さず、福島への支援を今まで以上に構築して行くために皆さんが集まられることを私たちも呼びかけます。

原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!
5・25「鎌田慧 講演会」

【とき】5月25日(金)18:00開場、18:30開演
【ところ】クレオ大阪東 (大阪市城東区鴫野西2-1-21 Tel06-6965-1200 http://www.creo-osaka.or.jp/east/access.htmlに地図があります)
環状線「京橋駅」南口 南へ600メートルImg_2
 「参加協力券」¥1000でお願いしております。(当日会場前でも配布されるそうです。)

 また、「福島支援弾圧」裁判の日程が以下のように決まりました。不当な弾圧を許さないために、みなさんの裁判傍聴、支援をお願い致します。

第1回期日 6月14日(木)13:30~14:00 大阪地裁1005号法廷
第2回期日 6月29日(金)13:30~16:30 大阪地裁1004号法廷
第3回期日 7月13日(金)13:30~16:30 大阪地裁1004号法廷
第4回期日 8月3日(金)13:30~15時 大阪地裁1004号法廷

 カンパの送り先は
郵便振替口座番号 00940-5-312873
口座(加入者)名 企画・出版 黄土(ファント)

 5・25集会への参加を!

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2012年5月17日 (木)

LCC(格安航空)は危険か?

12517lcc 左は今朝(5月17日)の朝日新聞の記事です。成田空港や関西空港の不調の中で、LCC導入を水路とした現状へのキャンペーン記事か? と思えなくもないですが(記事をクリックしていただければ、大きくなって読めます)。ご存知のように、成田空港と関西空港がLCC導入に活路を見出そうとしているように言われています。
 先日の「格安バス」の多くの死者を生んだ大事故からの類推で、「新自由主義の流れであるLCCは安全性を無視した儲け一本で危険だ」という「論」が、成田空港反対や関西空港反対を言う私たちの中から出ています。そうなのでしょうか。

 航空産業は、第2次世界大戦後に大きく発展します。しかし、自動車や電機などの他の産業に比べてその産業規模ははるかに小さく、戦時中の戦闘機や爆撃機の生産と戦禍を受けなかったことで世界の航空業界で圧倒的な優位性をもっていたアメリカでさえ、「脆弱な幼稚産業」と位置づけ、国によるCAB(民間航空委員会)の徹底した保護政策で守られていました。1944年、廃墟の中から立ち上がったヨーロッパの航空産業はさらに厳しく、それ以上の各国政府による過剰とも言える保護政策に守られ育ちました。敗戦によってそれから7年も遅れてスタートした日本の航空産業はなおさらで、運輸省による異常なまでの保護政策の下で、日本航空などの利権が育てられ破綻していったことは皆さんが知るところです。

 しかし、1970年代の世界的な不況の中で航空業界のナショナルフラッグといわれた大手航空会社と空港の経営が破綻します。ジャンボをはじめ様々な機種をもつことと保護政策による膨れ上がった経営手法にその破綻の原因があるとする批判の中から、アメリカのCABの解散と国内の航空自由化、イギリスの国営空港の完全民営化などが始まりました。正に、新自由主義の始まりでした。
 P167
 その試行錯誤の中から生まれたのが、アメリカのサウスウェスト航空に代表されるLCC(格安航空)でした。それは現在言われるような「安かろう、悪かろう」ということではなく、航空業界における明確なビジネスモデルの変更でした。右の表にあるように20年あまりの経過によって、今では国際線はライアンエアが、国内線ではサウスウェスト航空が世界のトップですが、いずれもLCCです。
 『空港の大問題がよくわかる』(2010年3月 光文社新書 右表も同書より転載)では、「航空自由化とサウスウエスト航空の成功を機に、アメリカだけでなく、欧州、アジアでも、LCCが多数設立されるようになった。現在では欧州域内にはLCCが60社も存在し、年間1億5千万人もの乗客を輸送、欧州の定期航空市場の35%を占めている。特にイギリス国内の航空市場では、いまや6割をLCCが占めている」と紹介しています。
 P159
 また、『エアライン敗戦』(中公新書クラレ 2010年3月)では、「ビジネスモデルを確立した社は安全性が高い」として左の表を掲載し、記載されたLCC各社が「墜落事故を起こしていない」と紹介しています。もちろん、コスト削減のために中古機を購入して創業したLCCもあるようですが、そのような会社はすぐに潰れたそうです。LCCのビジネスモデル(経営手法)について述べることは省略しますが、例えばサウスウエスト航空は、航空業界の世界的な不況の中で、現在まで利益を出し続けています。
 航空政策の保護主義的規制を維持し続けた日本の国交省は、世界的な航空自由化の圧力の中で、自由化への舵を切らずを得ず、航空法を1985年に改正しました。しかし、安全性の審査などを複雑にすることで新規参入を阻止することでその保護主義を守ろうとしてきました。しかし、成田空港(首都圏空港)の破たん、関西空港の破たんに追い詰められ2000年にさらに航空法を改正し、成田・羽田を除く航空自由化を行いました。この時に、航空機の補修(安全性)について「自社で行わなければならない」という規制がはずされ、今ではJALでも中国の下請けで補修と点検が行われていると言われます。これによって日本でも、スカイマークなどが誕生できたのです。(この後、さらに追い詰められた国交省は、2007年、成田空港の自由化に舵を切りました。)

 航空会社は、ナショナルフラッグの時代は別として、民間会社です。ひとたび航空機事故が起これば、その補償問題によって保険会社だけでなく、航空会社自体がふっとぶことになり、安全性は非常に重大な経営問題です。ですから、冒頭述べたような「格安バス」の事故からの類推は、「少し違う」のではないかと思うわけです。もちろん、航空会社の安全性に対する立ち位置を信用するわけではありません。1985年のJALの御巣鷹山事故に象徴されるように、LCC、フラッグキャリア(大手航空会社)に関わりなく、労務管理や安全性への資本・経営者の立ち位置によって大きく揺らぐものだろうと思います。
 

 ここで言いたかったのは、LCC(格安航空)とは何なのか、そして関西空港と成田空港へのLCCラッシュともいえる現象は何なのか、今一度じっくりと見極める必要があるのではないか。航空業界と国の航空政策における事実と現実を見すえないで、いたずらに決めつけることは私たち自身の運動のあり方、また多くの人に関心を呼び起こせるかの重要な分かれ目となるのではないだろうかと思うからです。

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2012年5月12日 (土)

今週の産直野菜(5月12日)

12512 先ほど三里塚から今週の産直野菜が届きました。大き目の箱にしっかりと入っています。

 ター菜、エシャロット、里いも、玉レタス、サニーレタス、水菜、長ネギ、大根。以上、8品です。
 気温があまり上がらない(今日など、寒い!)せいでしょうね、サニーレタスがしっかり育っています。毎朝、サラダに水菜と一緒に美味しくいただいています。

 気温が低く寒いくらいなので、一日旅をしてきた野菜たちですが、写真でも明らかなように、サニーレタスなど葉物もしっかりしていて萎れていません。
 着いた時に、1時間ほど水に浸けてやれば、1週間は十分にもちます(写真を撮った後、今、水に浸かって休んでいます)。今朝、先週来たサニーレタスの残っていたのを食べたのですが、しっかりしていましたよ。店頭で、無理にしっかりさせて見栄えをよくし、買って帰ったら翌日には萎れていたというのと大違いです。やはり、無農薬、有機栽培で、野菜が元気なのですね。

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2012年5月11日 (金)

実行委ニュース 第139号発行

Photo 昨日、関西実行委員会の『実行委ニュース 第139号』を発行しました。会員、賛同会員のみなさんのところには明日に着くのではないでしょうか。

 今回の号は、3・18関西三里塚集会と3・25三里塚現地全国総決起集会の報告が中心です。
 巻頭は久しぶりに山本善偉世話人です(解放同盟全国連・全国大会での挨拶)。
 3・18集会では、「辺野古に基地を絶対つくらせない会」のOさんの集会での挨拶から「ほかほかとあったかい土」が。3・25集会では、「宝塚宗教者・市民 平和会議」事務局のFさんの「はじめての三里塚」。また反対同盟の市東孝雄さんの挨拶(反対同盟ブログより転載)も。
 4・23行政訴訟・農地法裁判と5・1第3誘導路裁判の傍聴報告。裁判日程。
 それに「5・23集会ではねかえそう」と福島支援弾圧にたいする「救援会ニュース」からの転載が。
 もちろん3・18、3・25それぞれの報告が関実事務局の安藤さん、弥永さんからいただいています。

 内容豊かです。ぜひ手にとってしっかりと読んでください。
 なお、関西実行委員会では、年に4~5回、この「実行委ニュース」を発行しています。皆さんからの寄稿も大歓迎ですので、ぜひ、お寄せください。

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2012年5月 9日 (水)

団結街道裁判(5月8日)を傍聴して

 昨日、市東さんの畑と家を結んでいた団結街道が廃道化され封鎖されたことに対して、処分の取り消しと封鎖解除を求めた団結街道裁判の口頭弁論が開かれました。この日の裁判の「傍聴のために」と出された資料は「12.5.8団結街道裁判資料.pdf」をダウンロードです。

 冒頭、右陪席裁判官の交代に伴う更新意見表明が、葉山弁護士と大口弁護士から行われました。
 葉山弁護士は、住民の意見を聞くこともなく強行された団結街道の廃道化は、道路法10条1項違反であり、「個人の尊重」を定めた憲法13条、人格権と通行権に違反するものだと批判し、江戸時代以来の入り会い権などを指摘された。そして被告による「反射的利益を反映するにすぎない」とする主張を断罪しました。
 大口弁護士からは、道路封鎖に抗議した市東さんを逮捕し長期勾留したことを弾劾し、この道路廃道化が不当、不正、違法なものであると指摘した上で、「通常の民事裁判らしくやって欲しい」と裁判所に求めました。とりわけ三里塚闘争の当初から裁判官の中に「成田は特別なんだ」「国策」という呪縛があることを指弾し、本来の裁判所のあるべき姿を取り戻すよう求めました。

 被告・成田市が「本件路線廃止処分が適正であったことを主張・立証する」としていることに対し、団結街道廃道化のような先行事例があるのか、昨年来問いただしてきたのですが、「路線廃止処分」を類型化しながらその具体的事例を出そうとしないことに反対同盟弁護団から批判が行われました。明確な「出しなさい」との訴訟指揮を行わない多見谷裁判長に対しても、裁判所として不公平であり、明確な訴訟指揮をしなさいと。ただ具体的な事例を上げれば済むことを、問われて半年以上が過ぎてなお、6人の代理人が頭を寄せ合い「調べて・・・」と言葉を濁すことしかできない被告側に、傍聴席からも失笑と怒りの声が。

 ほとんど何の進展もなく、次回口頭弁論が、9月18日(火)午前10時半から、千葉地裁601号法廷でと決まって、閉廷しました。

 法廷後、報告会が弁護士会館で開かれました。
 1258
 挨拶に立った北原鉱治事務局長は、昨年の5・20天神峰現闘本部裁判高裁反動判決への怒りの抗議と、不当極まる弾圧、50名不当逮捕を振り返りながら、三里塚47年の裁判が「こういうのは裁判じゃないよ」と批判されました。そして「我々が裁判をするという思いで闘わないとだめだ」「きちんとした判決を出させるよう闘おう」と呼びかけられました。
 報告会の中で各弁護人から、一昨年2月25日、天神峰現闘本部裁判の千葉地裁反動判決を行なった仲戸川裁判長が、理由は明らかでないようですが、この1月27日に裁判長を辞任していたことが明らかにされました。仲戸川は、反動判決を強行したものの、闘いの爆発を恐れ、「仮執行宣言」をついに付けることができなかった。また鈴木さんの一坪裁判を7年もかかって進めることができなかった。他方、現場検証を徹底的に拒否し、証人のビデオリンク方式の採用と、それに抗議した反対同盟と弁護団に対し「弁論放棄」と一方的に断じたように様々な違法、不当な訴訟指揮を立て続けに行ってきた法理をも無視した極悪裁判官なのです。推測ですが、自らの悪行に行き場を失ったのではないでしょうか。
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 報告会の最後に萩原進事務局次長から、行政訴訟・農地法裁判が立証段階に入ったことに対して、5・28裁判を前に、5月28日(月)正午から葭川公園で集会と裁判所へのデモを行うことが改めて提起されました(中央公園が使えないため変わりましたのでご注意下さい)。また7月現地闘争を7月前半に行う予定だとも。その上で、「国策」として国が進めてきた原発、沖縄、三里塚などが民衆によってひっくり返す過程に入ったことが提起されました。そして裁判というものはこういう風に闘うのだということを示そうと。

 まずは、5・28行政訴訟・農地法裁判の最初の証人尋問を裁判所を包囲する闘いを実現し勝利的に進めよう。6月25日行政訴訟・農地法裁判(午後1時半~)、7月17日(火)第3誘導路裁判(午前10時半~)、7月23日(月)耕作権裁判(午前10時半~)を全力で傍聴闘争に決起する中から、7月前半に予定される現地闘争に全力で起ち上がろう。

 裁判を前にロビーで歓談中、現地の人々から、この間の天候によって、厳しかった農作物の成育状況が好転し、現地は農作業が非常に忙しくなっているとお聞きしました。援農にも全力で取り組もう。

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2012年5月 5日 (土)

今週の産直野菜(5月5日)

1255 今週の産直野菜が今届きました。今日は、早い。箱も大きい方・・・。重さはあまりないですが。

 サニーレタス、さつま芋、エンシャロット(若採りラッキョウ)、水菜、ター菜、大根、長ネギ 以上7品です。
 端境期を通り過ぎてようやく野菜の種類が多様に。これからを感じさせてくれます。大根も久しぶりですね。

 エンシャロットを『野菜だより』にあるように、早速、昼食でバター炒めで食べてみようかな。

 まだまだ肌寒いとはいえ、衣替えもすみ、暖かさが出てきていますから、これからが楽しみです。植え付けが遅れて気になっていたジャガイモが順調に育っているようです。みなさん。6月3日(日)の「じゃが芋掘り産地交流」に参加しましょう。福島からもお客さんがたくさん来られるようですよ。

 もちろん、その1週間前の5月28日、市東さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判がいよいよ証人尋問という重大な局面を迎えました。正午に千葉市中央公園に結集して、集会とデモをやって裁判所に乗り込みましょう!

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2012年5月 4日 (金)

団結街道廃道化取り消し訴訟の傍聴を

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 5月8日(火)午前10時半から、成田市による団結街道の廃道化の行政処分取り消しを求めた裁判が開かれます。傍聴に集まろう。上写真は、第3誘導路建設の強行によって様変わりしてしまった団結街道周辺です(2012年3月25日撮影)。

【とき】5月8日(火)午前10時半開廷(傍聴券配布のため、開廷の40分前に千葉地裁玄関ロビーにお集まりください。
【ところ】千葉地裁601号法廷

 団結街道(成田市市道)は、市東孝雄さんの営農にとって欠くことのできない生活道路です。市東さんの農地を強奪しようとする国、空港会社と一体となり、市民の生活を守ることを放棄した成田市による団結街道の廃道化は、断じて許されません。
 法廷で、空港会社と成田市は、「道路法は公益を保護するための特別法であって、住民個々の個別的利益を保護したものではない」と開き直っています。これは「そこのけ、そこのけ。お馬が通る」という、封建時代の発想から一歩も出ていないきわめて反動的なものです。すでに幾つもの判例でこうした反動的な国や行政の主張は打ち破られ、最高裁の判例としても確定しています。しかし、「成田空港の拡張・完成」、そのための市東さんの農地強奪を「国策」とする国、空港会社は、そうした裁判上の今日の常識さえもかなぐり捨て、カビの生えた反動的な「規定」を振りかざそうとしているのです。どうしてこんなことが許されるでしょうか。
 市東さんの農地を守り、空港会社・成田市によるこのような人権無視を許さないために、裁判を監視しましょう。傍聴にお集まりください。

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2012年5月 2日 (水)

第三誘導路建設強行の違法性を追及

1251 

 201251日、千葉地方裁判所民事3部において、第三誘導路許可処分(2006年と2010)の取消しと工事強行の差し止めを求める第六回口頭弁論が行われました。

3名の弁護士が意見表明

 この日から裁判官の右陪席が交替した為、反対同盟の弁護団3名が「意見表明」を行いました。浅野弁護士から「第三誘導路の建設強行は憲法違反そのものだ。市東さんの自宅を誘導路で囲み、人格権、環境権、生活権を侵害することは許せない。また、この計画はシカゴ条約や航空法に違反している。この動きと平行して、天神峰現闘本部を実力で破壊した。市東さんを追い出し、反対同盟の闘いをつぶそうとしている」との弾劾を表明、そして遠藤弁護士は「2006年に為した許可処分の前提として、航空需要が増加し建設は国民的要請だなどと言って、第三誘導路の必要性を強調したが、航空需要は20パーセント前後も減少している。2006年の決定は取り下げよ。また、原発問題で裁判所は行政に加担してきた間違いが福島原発事故で分かったはずだ。第三誘導路の許可処分を取り消し、行政への加担をやめるべきだ」との意見を表明。さらに西村弁護士は「提出書証の図面を見れば、市東さん自宅が誘導路で囲まれている状況が分かる。この攻撃は直ちにやめなさい」と強く求めました。

次回期日を延期せよとの申し入れを無視する多見谷裁判長

 多見谷裁判長はこのあと、準備書面の扱いについて双方の確認を行い、「騒音データに関する記述を分かりやすく提出して欲しい」と被告の国、NAA側に要請。一瀬弁護士から「隠している騒音関係の調査データを出すべきだ、成田市からデータが公開されているが、詳しいデータがあるはずだ」と詰め寄りましたが、被告側は即答を避けました。一瀬弁護士から、次回期日を延期して、きっちりした証拠を出して弁論すべきだ、と裁判長に要請しましたが、多見谷裁判長は無視し、予定とおりの期日を変えない硬直した姿勢を示しました。期日が遅れて、来年3月の供用開始を遅らせてはならない、という権力側の姿勢を代弁しているかのようです。

萩原さんから闘いの提起

1251_3 裁判終了後に「報告会」が弁護士会館で行われ、冒頭北原事務局長より「三里塚の闘いは法の不正義を正す闘いだ。勝利して日本の将来を切り開こう」との挨拶があり、葉山弁護士から「200億円もの血税を使って、必要でない第三誘導路を強行している。市東さんの追い出しは許せない。」との発言のあと、各弁護士の報告があり、最後に萩原事務局次長から「528日の裁判から証人調べが始まる。その日、必勝の決意を固める決起集会を行い、デモをする。また、7月の最適な日に現地闘争を行う」との行動提起がありました。
 来年
3月の共用開始を粉砕する闘いを関西でも盛り上げましょう。
            
報告 事務局次長 安藤眞一

 

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2012年5月 1日 (火)

狭山現地調査に行ってきました

429日から30日、「狭山再審を求める市民の会・こうべ」が狭山現地調査を行うことになり、参加しました。神戸から6人がワゴン車で現地へ。全国連狭山支部による学習会、現地調査の案内をしていただきました。

現地に到着し、さっそく前夜の学習会です。確定判決(寺尾判決)が実際にどうなのかという視点から、大きく変わった街並みの中で、40数年前に想いを馳せながら、「おかしいじゃないか」ということなどを感じ、考えて欲しいと明日に向けての注意です。

その上で、狭山や埼玉の部落の歴史的な形成過程などを話していただきました。

 翌朝、午前9時、狭山市駅から現地調査のスタートです。

まずは、石川一雄さんが実際に196351日に歩いた「真実のコース」を歩いてみました。

12430犠牲となった中田善枝さんが通った川越分校は今は看護学校。石川さんが「通っていた」パチンコ屋とか、途中で声をかけられた八百屋さんなどが駅前の中央のとおり(馬車道跡)にあった跡をたどりました。

石川さんが雨をしのいだ「荷小屋」や、善枝さんがインクを書いた郵便局がこのあたりにありました(本屋さんの駐車場)。八幡神社のほうに入っていって、途中にもう更地になっているパチンコ屋があり、そこで何人かの人と石川さんは会話をしています。石川さんのアリバイを証言している人が何人かいて、調書に取られているはずなんですが、公判には採用されていません。部落の側でうろうろすると親爺さんに黙って仕事をさぼって来ているから、バレて怒られないように駅の西側(駅正面側)近くでうろうろしていたのだそうです。

賑やかな駅前は部落の反対側で、駅入口はこちらにしかなく、駅舎の通路か、外の踏切を渡らなければ部落(駅の東側)には行けません。「芦原と一緒や」「西宮も一緒」と芦原のTさん。

そのあと、狭山第3次再審闘争勝利現地事務所へ(石川さんの元の住居跡)行きました。石川さんご夫婦は残念ながら出かけておられてお留守でした。

完全に燃えていったん何もなくなりましたが、原寸大の模型がプレハブの中に作られています。

普通の目線で十分見える高さです。本来の意味での鴨居は高さが6尺以上で手が届かないので、現場を見て「どう見ても鴨居じゃない」との声が。そもそも「鴨居」と表現することで意図的に高くて手が届かないと印象づけ、3度目に見つかったと強弁しているのです。裁判長が現場検証すればすぐに分かることですが、現場検証を一度としてしてきていません。

3間あって、6疊と4疊半、3畳。3疊の間に六造さんが居て、家を守っていた。一雄さんが戻ってきてその3疊の間にしばらくおられたが、支援者と会うために出かけている間に燃えたのです。

今度は、確定判決で描かれている石川さんの行動に基づいて歩いてみました。

判決では石川さんは牛乳を買って飲んで捨てたことになっています。このころは、石川さんのような生活環境なら空き缶や牛乳瓶は拾って小遣い稼ぎをしていたはずです。歩きながら飲んで捨てるはずがありません。しかもその時は弁当箱を持っているわけですから、弁当箱を小脇にかかえて牛乳瓶を持って。当時の労働者は「アルマイトの弁当箱」は貴重品で必ず持って帰っていました。石川さんももって帰っています。善枝さんの自転車を押しながら弁当箱を持っているという状況で、確定判決のような挙動ができるでしょうか。それが不可能だから確定判決では弁当箱のことに一切触れていません。石川さんが手ブラで歩いていたと思い込んでしまいがちですが、この点は非常に大事です。当時の部落の労働者の実態を知らない感覚の人が書いたらああいう作文になるということではないでしょうか。

12430_351日、荒神様でお祭りが行われ沢山の人がいましたが、石川さんを見かけたという人は一人もいませんでした。善枝さんを見かけたという人もいません。善枝さんはこの近くの第2ガード、あるいは第1ガードで目撃されたのを最後に目撃者はありません。確定判決と違い、そこから車でレストランか、誰かの家に連れて行かれたのではないかと言われています。お腹の中には昼食で食べたカレーの跡はないはずで、カレーにもなかったトマトなどが検出されていることから、最後の目撃から後で食事を誰かとしている筈なのです。その場合、当然、推定死亡時刻がもっと遅くなるはずなのです。

12430_4出会い地点から教科書やカバン、ゴムひもが発見されたとされる溝のところに歩いていく間、道の両側に結構広い畑が今も残っていました。数人の人がこの日も農作業をしておられた。非常に見通しが良く、ここを自転車を押しながら善枝さんを脅しながら歩いていくというのは無理があるのではないでしょうか。

殺害現場とされている所、森になっていたところは見る影もなく住宅街になっています。

12430_5誰の悲鳴も争う声も聞いていないと証言されている小名木さんがいて農作業をしていた畑の場所など(今は住宅と駐車場)がすぐそばに見えます。声が十分に届く(聞こえる)位置です。見晴らしも良く風通しもよかったから、声は周りですぐ聞き取れたはずです。おまけに静かなところですから。

このあと、死体が発見された場所やスコップ、荒縄、芋穴などの場所をまわりましたが、そこでは住んでおられるみなさんに遠慮して、声を出さずにそっと指差すことしかできません。
 そもそも
200メートルも離れた場所に54キロある善枝さんを上むいて抱きかかえて傷も付けずに運ぶことは、いくら力のある石川さんでも無理だろうと声があがります。

部落のゾーン(1.5キロ四方くらい)の中にわざわざ死体を埋めたことを地図で確認。そこに部落への差別的な意図を感じます。

駐車場に戻り、車で移動し、今度は、確定判決で石川さんが脅迫状を持っていったとされるコースを行ってみました。

 12430_7
 教科書、カバン、ゴムひもなどが発見されたとされる溝で
今は住宅街になって溝が作られていますが、以前は森のキワで、森から流れ落ちてくる雨水がたまって流れていたところだそうで、川というほどのものではなかったそうです。

 川(溝)の土手沿いに歩けばいいのに、調書では行ったり来たりしながら捨てていることになっています。不自然だ。また教科書が雨の中で捨てられたのなら、ドロドロになっているはずなのに、きれいなままで発見され、しかも丁寧におかれていたのは、変だし、後で置かれたからじゃないかということでした。ストーリーを合理化させるために置いたんじゃないか。それになぜわざわざカバンから出して捨てたんだろう。そのまま捨てればいいのに。またカバンが中田栄作氏が「革のようなカバン」と行っていることからも発見されたものが「革鞄」であることはおかしい。などなど証拠をめぐって疑問が次々にみなさんの口からでます。

 また、カバンが発見されたことにより、調書のつじつまが合わなくなることを恐れて調書の日付が書き換えられた疑いがあることと、カバンの発見に関わる調書だけが日付だけじゃなくて時刻(午後5時)まで書かれており、作為を感じざるを得ないと指摘も。

 この後、石川さんが「脅迫状」を自転車に乗って届けたとされるコースに従って車を走らせて、堀兼の部落へ行きました。お茶やいろいろな野菜を作っている広い畑が一帯に広がり、先程までの雰囲気とは大きく異なります。堀兼農協(捜査現地本部が置かれた)からタバコ屋の跡、石川さんが中田家の場所を聞いたとされるU家とすぐそばの中田家(立派な門構えと、今も大地主を思わせる家)、I養豚場、佐野屋跡と犯人が潜んでいたとされる茶畑などを見ながら「やげん坂」(善枝さんが通学路とした)を通って見ました。ほぼ20分以上も自動車でもかかり、雨の中を自転車で真っ直ぐに行かないで、こんな複雑な経路をとったという確定判決のおかしさを思いました。

12430_8ファミリーレストランで昼食をとって休息と交流をした後、お兄さんの石川六造さんを訪ね、奥さんの手作りの漬物やたけのこやこいも、わらびなどの山菜料理を美味しくいただきながら、30分ほど交流の一時をもちました。

六造さんは、「家にばっかりいて、毎日、4人、5人と来るからお茶を入れるのが上手になっただろう」と楽しそうに話されます。最近、大腸と小腸の間の癌の手術をされたとか。しかし、声は本当にお元気です。部落解放同盟埼玉県連狭山支部支部長の名刺をみんなに配られました。「同じことやってんだから、一緒にやらないと」「俺は毎日、日曜でここにいるんだから来ればいいんだよ」と。

六造さんご夫婦にお礼を言い、関西への帰途につきました。

現場に立ってみて、確定判決のストーリーに、「それはないよなぁ」という確信を非常に強く持ちました。石川一雄さんが、わずか一日の短い間にこれほど複雑に、時間をかけてするはずがないだろうし、証拠といわれるもののどれをとっても「作られた」ものであることを改めて確信しました。

初めての狭山現地への訪問で、当時とまったく様変わりした状況でしたが、石川さんの無実をあらためて確信するとともに国家権力による差別犯罪に新たな怒りを覚え、本当に有意義な現地調査でした。狭山再審実現に向け多くの皆さんと共に頑張っていきたいと決意を新たにしました。

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