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2012年3月14日 (水)

3・18三里塚集会 市東さんの話しを聞こう

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 みなさん。3月18日、大阪市立中央会館ホールにおいでください。三里塚の農民・市東孝雄さんのお話しを直にお聞きください。そして「今、なぜ、三里塚なのか」をお考え下さい。

 成田(三里塚)空港は、篤農家の多い日本有数の収穫高を今でも誇る富里地区の農地を奪って作ることが計画され、当然にも数千人に上る農民を先頭とした反対闘争で挫折しました。追い詰められた佐藤栄作政権(当時)は、地元との話し合い、説明会や公聴会といった一切の手続きもなく三里塚に空港を決定することを強行しました。それも、機動隊暴力を先頭に立てて、農協や銀行を使った札束攻勢によるものでした。

 Img この乱暴極まる空港建設という「国策」の強行を国になさしめたものこそ、「戦後の開拓地」や「戦前の開墾地」ならばすぐに出ていくだろうという思い上がった国家権力の発想でした。

 右の図は「空港敷地」とされた地域の天浪、古込、木根、東峰など戦後の開拓地、天神峰、横堀など戦前の開墾地、そして古村の分布を示したもので、天皇所有の御領牧場を払い下げた県有地がその中に散在していました(『懐死する風景』1976年刊より転載。クリックしていただければ大きくなります)。中心は、戦後の開拓地でした。

 戦後、復員などで入植してきた人々は、昼は人の畑などで働いて日銭を稼ぎ、夜の月明かりの中で機械もなく手と家族の力で、御領牧場の巨大な木株を10年近くもかけて掘り起こし、1955年ころ、ようやく農地として所有が認められたという厳しい生活でした。電気がついたのもこの頃だったと言われます。それから10年余、空港の建設が閣議決定された1966年は、ようやく生活の目処が立ち始めた時でした。

 当時の国は戦後発展、高度経済成長が行き詰まりを見せ始め、「国土総合開発政策」「大型公共工事」によって必死になって大国化への道を進んでいました。米軍占領下で奪われていた航空政策をようやく取り戻していた国は、経済大国、アジアへの進出をする上で、首都圏に羽田空港と並ぶ巨大な空港を建設することを絶対的な国策としていたのです。富里で破綻した国は、国策、「国が決めたことだ」と何の手続きもおこなうことなく力づくで襲い掛かりました。何が「戦後民主主義」か。

 それから46年。この国の理不尽、暴虐に対し、三里塚反対同盟のみなさんは闘い抜いてこられました。そして空港はいまだに半分も完成できていません。世界金融恐慌情勢の中で、経済大国と言われながら世界でも抜きでた負債を抱え経済的に行き詰る日本は、あらためて成田空港の完成をその基軸的な水路として三里塚に襲いかかってきています。

 すでに公共工事として事業認定を取り下げ、土地収用法の適用ができなくなっているにもかかわらずです。市東さんの農地をはじめ、空港敷地内に点在する農民の土地や家屋を、農地と農民を守ることを本旨とする農地法など民法を用いて奪おうとしています。それを拒否する農民に、110ホーンを超える激甚な轟音と振動、強烈な臭いを振りまき、生活をできなくさせて追い出そうという、正に「地上げ屋」まがいのおぞましい攻撃をかけています。第3誘導路の建設はその最たるものです。

 しかし、いかに国策をかかげようと、そこに住み、農地に想いをこめて農業を勤しむ市東さんをはじめとしたしたひとりひとりの農民の想いを「根こぎ」にする資格は国にはありません。

 ほぼ同じ時期、1953年以来はじまった国の原子力(核)政策によって、いわゆる「過疎地」に原子力発電所は押し付けられていきました。様々な形の助成金、カネの力で農民や漁民、地域のくらしを犯し続けたのが国、原子力ムラではなかったでしょうか。1年前の福島原発事故はそのことを何よりも示しています。そして幼い子供たちの命を守ろうとするお母さんたちに対する国の冷たい「復興」の叫びに象徴されるように、「瓦礫処理」をはじめ巨大な資本による新たな利権にむけた蠢きこそあれ、そこには人々の願いが踏みつけにされようとしているのではないでしょうか。消費税増税やTPPへの参加の動きなど何よりもそのことをしめしているのではないでしょうか。

 また1951年、日本(ヤマト)の独立の代償に米軍占領下に売り渡された沖縄が、「基地がなくともやっていける」暮らしを必死で作り上げ、「普天間即時県外へ」「辺野古新基地建設反対」を県民上げて声を上げているにもかかわらず、「日米合意」をたてに襲いかかろうとするのが今の日本政府です。

 1950年代から60年余、私達の国が「国策」を掲げてやってきたことが、貧困と格差の政治に行き着く中で、三里塚農民の願いと想いを、福島の人々の必死に生き抜こうとするあり方を、沖縄のみなさんの平和な暮らしへの願いをなおも国策の名のもとに踏み潰していくことなどどうしてゆるせるでしょうか。

 三里塚農民の46年にわたる闘い、市東さんの「1億8千万円の補償よりも1本100円のだいこんを消費者に喜んでもらいたい」という願いが、今、福島、沖縄を貫く闘いとともに大きな私達の生き抜いていく道筋をしめしているのではないでしょうか。

 3・18三里塚関西集会にお集まりください。そして市東さん、大口弁護士の訴えの中から共に考えませんか。

市東さんの農地を守ろう 3・18三里塚関西集会

【とき】3月18日(日)午後2時開会Photo_3

【ところ】大阪市立中央会館(右図)ホール

【報告】①市東孝雄さん(農民・三里塚反対同盟員)

    ②大口昭彦弁護士(反対同盟顧問弁護団)

【参加費】1000円(大学生・高校生は500円)

【主催】三里塚決戦勝利関西実行委員会/三里塚芝山連合空港反対同盟

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