反対同盟 2012年団結旗開き
1月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟の「2012年新年団結旗開き」が成田市内で160名が結集して開かれました。反対同盟事務局員として闘いの中心で頑張ってこられた鈴木謙太郎さんが前日急逝されるという中での旗開きでした。闘い半ばで倒れた謙太郎さんの悔しさ、無念を晴らしその遺志を引き継ごう、そして何よりも目前に迫った市東さんの農地をめぐる決戦に備える厳しい、緊張感あふれる旗開きでした。
冒頭、この日司会を務めた萩原富夫さんが、時折声を詰まらせながら謙太郎さんが心原性脳梗塞で亡くなられるまでの、6日朝に倒れられてから、一度は大丈夫だと言われ意識を取り戻し周囲に語りかけられたことなど経緯を詳しく報告された上で、旗開きを開会されました。
黙祷をして謙太郎さんのご冥福を祈った後、この日の朝の新年デモで明らかにされた「2012年闘争宣言」(「2012.pdf」をダウンロード )を伊藤信晴さんが読み上げられました。
反対同盟を代表して挨拶に立たれた北原鉱治事務局長は、先ず成田空港が今だに完成していないことをとりあげ、「わずか2週間たらずで決定という最初から間違ってきたから完成できない」「我々と労働者、学生の闘いが阻んできたが、完成しないのはその闘いが正義だからだ」と断じられ、現在の政治などに対し「これでいいのか」「生きるということはどういうことか」「根本から変えるしかない」と呼びかけられました。
反対同盟のみなさんが前に並び、「謙太郎さんへの想いを胸に前に進みます」「昨年以上に力を貸してください」と呼びかけられた市東孝雄さんが音頭をとり、乾杯です(最初の写真)。
しばらく料理に舌鼓をうち、酒を酌み交わしながらの歓談です。その後、各個人、団体からの年頭の挨拶と決意が、「三里塚47年の闘いが生きる時代が来た」と語られた動労千葉の田中康宏委員長の挨拶から次々とはじまりました。
2番手が私たち関西実行委員会を代表して永井満代表世話人です。永井さんは、「闘い抜き、勝利することをもって鈴木さんの霊前に報告しよう」と呼びかけられ、5・20東京高裁反動判決後の闘いの場で謙太郎さんと握手したのが最後だったと思い出を語られました。そして「市東さんの農地を守る闘いに全力で取り組もう」「絶対に許さない」と語気も荒く呼びかけられたのです。
反対同盟顧問弁護団からは葉山弁護士と一瀬弁護士が。続いて恒例になりましたが「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんが市東さんを中心に勢ぞろいで並ばれます。 足立成田市議が挨拶されました。また匝瑳市のコメ農家小川浩さんをはじめ農民のみなさんが、謙太郎さんへの想いやTPP反対の想いなどを語られます。
「市東さんの農地を守る沖縄の会」からのメッセージが紹介されました。群馬の青柳さん、全学連、動労水戸やス労自主、「障害者」、婦人民主クラブ、星野さんの会など多くの団体、そして最後に現地支援連の挨拶と決意が続きました。
最後に反対同盟を代表して萩原進事務局次長が挨拶と提起をおこなわれました。萩原さんは、今朝、140名で敷地内デモをやり抜いたことを報告した上で、鈴木謙太郎さんの死に対して、「悔しさ、無念、怒りで言葉にならない」と。そして「2012年は市東さんの農地を守る決戦であるとともに、市東さんの農地を武器に現体制と闘い抜く年だ」と提起されました。「我々も厳しいけれども、それ以上に奴らは厳しい。闘えば必ず勝利する」とも。「人民の渦の中に飛び込んで決起を促そう」と。
そして福島で現実に起こっている様々な問題、事態を詳しく指弾しながら、原発・核政策に対する激し怒りを表明されました。「国、東電、学者、裁判所などに徹底的に責任を取らせなければならない」と。「福島・沖縄・三里塚は立場は同じだ」「国策・国益に対して今こそ闘っていこう」「裁判所を包囲し、揺るがす闘いを実現しよう」「すべての人々に訴えていこう」と。 そして「鈴木さんの無念さを返してやろう」「この一年とことん、火になって闘い抜く」と。
反対同盟全員が前に出て、太郎良さんが音頭を取って全体で団結ガンバローを唱和して、この日の旗開きを終えました。
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