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2012年1月29日 (日)

天神峰現闘本部への最高裁決定弾劾

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 多くの三里塚を闘う仲間が広島に向かっていた昨年8月6日未明、千葉地裁と国家権力、空港会社は、天神峰現闘本部を暴力的に破壊、解体するという暴挙を働きました(上写真は、6日午前4時過ぎの本部)。

 この破壊の前提となったのは、一昨年2月25日の千葉地裁仲戸川反動判決と昨年5月20日の東京高裁井上反動判決でした。いずれもが、三里塚反対同盟の弁護権を奪うという民主主義の根幹に関わる裁判の常道を無視したものでした。Photo そして本部が正当に登記された物件である証拠(木造建築=右写真)の現場検証をせず、その証拠隠滅のために早々と破壊が強行されたのです。地上権・財産権を保証した憲法に違反する暴挙でした。

 この天神峰現闘本部解体攻撃に抗し、最高裁に上告されていたものを、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は26日までに上告を退ける決定をしたというのです(28日、日本経済新聞報道)。断じて許されません。

 この最高裁決定は、裁判所(地裁、高裁)による違法極まる審理とその証拠隠滅を支え擁護するために早々と出されたものでしかありません。すでに原子力発電所建設をめぐる各裁判で国の「安全神話」を支持し、今日の福島原発事故の最大の責任の一端を担うものとして最高裁判所の様々な決定が指弾されています。「国策」をめぐる事態には最高裁判所はこれまでも常に「三権分立」の建前をかなぐり捨て「国策裁判」を強行してきました。「日米安保条約は違憲」とした伊達判決を覆して以来。

 今、三里塚をめぐって、土地収用法による農地強奪の道を閉ざされ、成田空港の破綻を突きつけられた国家権力が、裁判所・司法総体を使嗾し、民間会社でしかない成田空港会社の名で、農地を守るために作られた農地法を使い、裁判という形で市東さんの農地を奪おうと襲いかかっています。その裁判というものの実態が、この最高裁決定に現れているのです。司法の名の下で行われるこのような犯罪を断じて許してはなりません。

 現在、千葉地裁では6つの三里塚に関わる裁判が闘われています。この裁判を多くの人々の注目の中で、国家権力に使嗾された裁判所を取り囲む闘いの力で追い込み、その不当・違法を暴いていくことが求められています。市東さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判において露骨に空港会社の違法行為を見逃し、農地強奪の犯罪に手を染めようとしている多見谷裁判長を断じて許してはなりません。最高裁判所の今回の決定に対して断固として弾劾すると共に、こうした三里塚の裁判にみなさんが注目し、傍聴闘争に駆けつけてくださることを訴えます。

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2012年1月27日 (金)

ほんとに寒かった  関電包囲行動

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 ビル特有の強い風に時折混じる雪の中、関西電力本店前の包囲行動に参加してきました。思い思いのバナーや小さな布に思い思いの言葉を書いたものなど、関西電力本店前は今日も賑やかです。

 12126_2 4月から始まったこの「関電包囲行動」に追い詰められた関西電力はなんとこんな立て看を先日立ててきました12126_3 。寒さを防ぐのと休憩のために持ってきたテントを触るだけで警備員が「困ります」と飛んできます。昨年の9月11日以来140日を超えて今や反原発、脱原発のメッカとなった東京の経産省前の「経産省前テントひろば」にどれほど電力会社が消耗しているかを示す立て看です。24日、枝野経産相が、わざわざ定例記者会見でこの「テントひろば」の撤去命令を口にせざるを得ないほど消耗しているのです。12126_5 今日も天満署の刑事が難癖を付けにやってきました。委細構わず、延べ30人ほどの人々が、ほんとに寒い8時間の長丁場、道行く人々にビラを手渡し、私などはのんびり座り込んでいます。しかし、眺めれば眺めるほどこの関西電力の本店ビルの凄いこと(右写真)。「何が電力不足だ」「値上げだ」と思わずぼやきたくなります(値上げは東電か・・・)。

 経産相前のテントひろばを枝野経産相の記者会見は破壊する意志を露にしています。断じて許せません。そんな暇があったら、福島の事態の正確な事実の公表と本当の意味での放射能除去の展望を明らかにしてみろ! 今も、放射能を空に、海に垂れ流し続けておきながら、そのことを問うている「テント」の住民にこの寒空に火を使うことを理由に撤去、破壊を行おうなどどうして許せるか。自分の仕事をしてから言うならともかく、やるべきこともできずに市民の声を封じるためのそんな暴挙が許せるはずもない。その上、デタラメな「ストレステスト」を口実に大飯原発をはじめとした原発の再稼働を狙うなどとんでもないことだ。

 みなさん。関電包囲行動に参加しよう。そして東京の「経産省前テントひろば」を守ろう!

 2月の関電包囲行動は関西電力本店前に、7日(火)、21日(火)、29日(水)で、いずれも午前11時から午後7時。あなたの来れる時間においでください。1時間でも30分でも結構です。子どもたちの未来のためにともに頑張りましょう。Photo

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2012年1月24日 (火)

耕作権裁判を傍聴して

NAAの私文書偽造を弾劾、裁判を取り下げよ

 1月23日、千葉地方裁判所民事2部において、市東孝雄さんの耕作地に対し「不法耕作だから明け渡せ」とNAAが訴えている裁判「耕作権裁判」の第22回口頭弁論が行われました。

 12123jpg ほぼ傍聴席が満席となり、白石裁判長やNAA代理人も早々と着席している中、市東孝雄さんや顧問弁護団が着席して、定刻一分前に開廷の宣言がありました。

 この日の法廷ではまず、「同意書や確認書は偽造」を決定づける筆跡鑑定書を反対同盟が提出。この鑑定書は、故市東東市さん(孝雄さんのお父さん)が空港公団(当時)に出したと言われている「同意書と確認書」の筆跡が本人のものでないことを証明しています。当時、市東東市さんは軽い脳梗塞で指のふるえがあり、NAAが提出した書類の「力強い字体」など書けないことが分かり、以前の公的書類に署名した筆跡と比較して、鑑定人が精査し本人のものでないことを証明しました。

 そもそも空港反対の最先頭で闘っている市東東市さんが署名するはずがありません。本人が書いてもいない「同意書や確認書」を偽造して、市東さんから無理やり土地を騙し取ろうとするやり方は、私文書偽造行使の犯罪行為そのものです。

 この日の裁判に、NAAは新たに「覚書」なるものを提出。これは当時の用地買収をめぐって、関係者にNAA(当時空港公団)の方針を示したもので、証拠提出した書類はコピーであり、現物は提出しない、とNAAは答弁しました。コピーを見ると現物の各箇所を黒消ししていて、現物が読まれると都合の悪い覚書になっているようです。にも関わらず、彼らが提出したのは反対同盟の正しい指摘に抗しきれず、裁判所に助けを求めるやり方です。また、反対同盟が提出した鑑定書に対する反論を次回に行うと答弁。ウソでつくった書類に対し、また新たなウソを加える・・・ひょっとしたらNAAの鑑定書を出してくるかも知れませんが、往生際の悪い悪代官の見本みたいな連中です。次回期日は4月9日(月)午前10時半。

裁判報告会で「訴訟却下か取り下げをめざそう」との決意を固める

 裁判終了後に報告会が文化センターで行われました。反対同盟の伊藤さんの司会で進められ、まず市東孝雄さんが「訴訟却下に向け今年全力で取り組もう」との決意が述べられ、各弁護士から報告、説明がありました。12123 特に、一瀬弁護士は「別の裁判で、石橋や根本が出ていったあとに市東さんが勝手に耕作し始めた、とNAAはウソを言っている。許せない」と解説。大口弁護士は「白石裁判長は現実に提出されている証拠を無視して、法律論で逃げようとしているが、今回の偽造問題の指摘でさらに追及してゆきたい」と説明してくれました。

 弁護団の報告会が終わったあと、傍聴に結集した皆さんからの意見表明があり、農地取り上げに反対する会や動労千葉の挨拶に続き、関西から安藤が挨拶「加辺永吉世話人や鈴木謙太郎さんの遺志を受け継ぎ闘おう。団結旗開きを成功させて3・18関西三里塚集会に向けてがんばってます」との意見を表明しました。

               報告 事務局次長 安藤眞一

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2012年1月21日 (土)

今週の産直野菜(1月21日)

12121  先ほど今週の産直野菜が三里塚から届きました。

 カブ、里芋、じゃがいも、大根、人参、ターサイ、ほうれん草、ネギの8品です。

 この時期にほうれん草が続いて入ってきたことがあったかしら・・・? 温かったあと急な低温と雨、霜で大根がやられたようです。いつもはどっさりと葉っぱがついて、これを今回はどうしようかな?と毎回悩んだものですが、今回は坊主。しかも、今回が三浦大根の終わりで、次回からは、あの苦手な聖護院大根とか。

 反対同盟のみなさんが昨年4月以来強く要求していた行政の成田市による放射能検査が始まるようで、自主検査ができるということで取り組まれるようです。ひとつ前進ですね。

 心配していたブログ「農家便り」が久しぶりに動きました。http://blog.goo.ne.jp/suzuki-kayoko/ 衣装も新たにです。そういえば当ブログは汚れたまんま? 変わりませんねぇ・・・。いいじゃない・・・。

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1月23日(月) 耕作権裁判の口頭弁論です

不法耕作でっち上げ(耕作権)訴訟 第21回口頭弁論

【とき】 1月23日(月)午前10時半~(傍聴される方は、傍聴券配布のためこの40分前に千葉地裁1階ロビーにお集まりください。)

【ところ】 千葉地裁601号法廷

 空港会社が2006年6月に、市東さんの農地の耕作権を解除することを成田市農業委員会に申請したときに、Photo 市東さんが耕作している畑を間違い、右写真の畑(41-8)と耕してもいない畑(右41-9)を「借りている」畑だと特定したのです。そして右のCとAの左隣りは不法耕作だと断じて、市東さんの農地に係る裁判の中で最初に提訴してきました(2007年2月第1回口頭弁論)。

 そもそも農地は長い歴史の中で耕作が進むことによって広がっていきます。法律でもそれを耕作権として認める規定があり、このようにNAAが分離して考えること自体が無知以外の何ものでもありません。

 その上で、最近のこの裁判と、もう一つの行政訴訟・農地法裁判において畑(41-9)は市東さんの家では90年にわたって耕作した事実はなく、畑の南となりに住んでいた石橋政次さんが借りていたことが明らかになりました。

 そしてNAAが提訴の最大の根拠とした「境界確認書」などの地主・藤﨑さんの署名と借地人・市東さん(孝雄さんのお父さん)の署名が偽造であったことが、同じ二つの法廷で明らかにされたのです。

 もうこの裁判は直ちに門前払いにするべきなのです。ところが白石裁判長は、市東さんの農地を取り上げる国策裁判であることを自らの根拠にしてあわよくば早期結審に持ち込もうと乱暴な訴訟指揮を続けてきたのです。しかし、大前提となる行政訴訟・農地法裁判で、多見谷裁判長による早期結審策動が跳ね返されていることに規定され、前回はぐらぐらになっていました。今こそ、反対同盟・弁護団と一体となった傍聴席を埋め尽くした傍聴団の闘いで、白石裁判長の策動を粉砕しようではありませんか。

 なお、裁判後の報告会のあと、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の恒例の学習会があるようです。詳しくはわかりませんが、何時もなかなか役に立つ学習会です。残れる方は残られることをお薦めします。

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2012年1月19日 (木)

団結街道廃道化取り消し訴訟を傍聴して

12117  1月17日、千葉地裁で団結街道の廃道化処分の取り消しを求める裁判の口頭弁論が開かれました。

 NAA、成田市側が「道路法は公益を保護するための特別法であって、住民個々の個別的利益を保護した法律ではない」と開き直っていることに対して、この日、その「行政の裁量」の根拠となる具体的事例があるのかということなどが弁護団によって追求されました。(右上写真は、反対同盟ブログより転載)

 12117_2 法廷の後開かれた記者会見・報告会で、北原事務局長は、団結街道廃道化・閉鎖の攻撃の悪どさを弾劾した上で、「こういう政治があるから世の中はよくならない」「11年は精神的には勝利した」「他力本願ではだめだ」と提起し、「今年も頑張ろう」と呼びかけられました。

 葉山弁護士は「鈴木さんの死は戦死だ。弔い合戦として頑張ろう」とされた上で、「廃道に関する具体的な取り決めが成田市にはない。ないことででたらめなことをやろうとしている」と弾劾されました。この日弁論を担った遠藤弁護士は、弁論の経緯を説明された上で「行政の裁量」の恣意性に逃げ込ませてはならないと裁判の核心を示された。そして都教委の処分をめぐる前日の最高裁の判決を反動判決だと弾劾した上で、「国策として行政裁量を貫徹しようとしている」とし、三里塚の裁判の争点と同じであり、「今年一年国策と闘い抜こう」と提起されました。一瀬、大口、長谷川、浅野各弁護士からも、年頭にあたっての想いと決意が語られました。

 12117_3 最後に萩原事務局次長から、「国益、公益といった幽霊みたいなもので、住民の権利を保護するもんじゃないなど、許されない」と弾劾し、「市東さんの土地取り上げを、成田市が尖兵になってやろうとしている」と糾弾されました。原発事故こそ国策の結果だとして「人民が声を挙げて国策を倒していかなければならない」「裁判を徹底して闘い抜いて、現地にくるなら来い」「3月に大結集を」と訴えられて報告会を終わりました。

 私はその後、東京に出て、経産省前のテント村へ。しばらく座り込んでいましたが、風もなく思ったより寒くはありませんでした。しかし、私が行く前から夕方暗くなり始めても、止むことなく「今日は阪神大震災から18年目です。考えましょう。12117_4 まずは全原発を廃炉にすることです」と黙々と訴え続ける目が見えないKさん(写真左から2人目)や、84歳のおばあちゃんMさん(写真左端)が1時間以上にわたってマイクを持って淡々と原発の恐ろしさを訴えられ、脱原発1000万署名を呼びかけておられます。この日はパナソニックと闘う吉岡さん(写真の右端)もテント前で頑張っておられました。

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2012年1月16日 (月)

関実 2012年団結旗開き

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 昨日、関西実行委員会の「2012年団結旗開き」が、安藤事務局次長の司会で70名弱が参加し開かれました。

 昨年末亡くなられた加辺永吉前関実事務局長、先日急逝された三里塚反対同盟の鈴木謙太郎さんの遺影が正面左手に飾られています。

 12115_2 先ず全員お二人のご冥福を祈って黙祷が行われました。最初に松原事務局次長から加辺さんへの弔意が語られました。続いて三里塚反対同盟を代表して萩原富夫さんからの挨拶と報告です。富夫さんは謙太郎さんが6日に倒れてから7日に亡くなられるまでの経緯を紹介された上で、「謙太郎さんを失ったことは大きい」と語られるとともに、残されたご家族への想いを語られました。そして、「代わりにはならないけれど頑張ります」と決意を語られました。

 沖縄から「市東さんの農地を守る沖縄の会」のメッセージが寄せられていることが司会の安藤さんから紹介されました。

 12115_3 関西実行委員会代表世話人の永井満さんから加辺さんと鈴木さんへの想いをこめた弔意が述べられました。その上で永井さんは「いつまでもくよくよしているわけにはいかない」。反対同盟の沖縄・福島への取り組みと共に、「関実の旗を高々とかかげて闘っていきたい」「今年、悔いのない闘いをやっていこう」と年頭の檄を発せられました。

 この日体調を崩して休まれた山本世話人に代わって、12115_4 同じ東灘区住民の会の白石世話人が乾杯の音頭です。そして部落解放同盟全国連合会の滝岡中執と被災地雇用と生活要求者組合の長谷川代表からご挨拶がありました。

 反対同盟とともに福島への支援活動を続けている古河さんの取り組みの訴えにあわせて、この取り組みへのカンパが会場で集められ、古河さんに手渡されました。

 12115_6 あとは吉岡高槻医療福祉労組委員長や風をおこす女の会のみなさんの「出し物」などを交え、いろいろな闘いの報告と年頭の想いが次々と語られました。

  和やかな雰囲気の中で、2012年、市東さんの農地を守る決戦の年として闘い抜く決意がうち固められました。

 12115_9 最後に反対同盟歌とインターナショナルを全員で合唱し、安藤さんの音頭で一本締めで終えました(最初の写真)。

 お酒やおつまみの差し入れなどをいただいた皆さん。ありがとうございました。

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2012年1月14日 (土)

団結街道裁判の傍聴に  1月17日

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団結街道廃止処分取り消し訴訟 第6回口頭弁論

【とき】 1月17日(火)午前10時半(40分前に集合)

【ところ】 千葉地裁第601号法廷

 成田市・空港会社は、一昨年、第3誘導路建設を理由に団結街道の廃道化、封鎖を強行し、第3誘導路工事に着手しました。上の写真は、先日9日に直近にあるホテル東横インから見た団結街道周辺です。右端の木立ちが市東さんのお宅周辺です。その横の白い線が空港と道路との間のフェンスで、その左端がの木立が現闘本部跡です。ちょうど中央部分の誘導路をジャンボが自走しています(写真はクリックしていただければ大きくなります)。第3誘導路のための盛土が大量に運び込まれ様変わりしており、小見川県道の上を横切るための工事が盛んに行われていることがわかります。この日は休日でしたが、作業が行われていました。市東さんのお宅の前のクレーンは、市東さんの前を通る道路のトンネル化工事のためのものです。ここは夜中も作業が行われていました。

 この不当極まる工事、第3誘導路は、市東さんの生活を破壊し住めなくさせるためのもので、そのために団結街道の廃道化が違法な手続きによって行われたのです。成田市・空港会社は、団結街道が市東さんの営農と生活にとってなくてはならない生活道路であり、そもそも天神峰部落によって守られ維持されてきた「入会権」があることを無視しようと裁判の中で、市東さんや反対同盟が「原告不適格」だとして裁判所に門前払いを求めています。

 千葉地裁総体が、市東さんの農地の強奪を国策裁判として強行しようとしている中で、この裁判も重要な位置を占めています。成田市・空港会社そして千葉地裁一体となったこの攻撃を傍聴闘争を通してはね返していこうではありませんか。傍聴に駆けつけてください。

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 さて、先ほど三里塚から今年最初の産直野菜が届きました。先日の鈴木謙太郎さんの葬儀の中で、キャベツなどがダメだったとお聞きしたばかりですが、そのキャベツも入っています。ほうれん草、さつま芋、じゃがいも、人参、ゆず、ターサイ、ネギ、カブ、大根の10品です。

 福島の原発事故による放射能への懸念から、三里塚の産直の会の消費者が減っていると聞いています。非常に厳しい現実があります。反対同盟の農家は歯を食いしばり、「灰色であれば出荷を止める」という決断の中で農作業を続けておられます。今回の「野菜だより」にも、千葉県の放射能検査報告が掲載されています。

 その一方で、反対同盟は福島の農民、住民とともに生き抜き、闘い抜くという決断の下、福島の被災者に野菜を無料で配ることに取り組んでおられます。

 そんな中、鈴木謙太郎さんの急逝は、本当に大きな痛手です。鈴木さんのところの産直も開始されたのだろうと推察しますが、加代子さんはじめご家族の大変さは想像を絶するものがあります。こうしたことに想いを馳せながら、今年も、三里塚反対同盟と共に勝利に向け、頑張りましょう。

 明日は、関西実行委員会の団結旗開きです。反対同盟から萩原富夫さんを迎え、今年の闘いへの決意をうち固めましょう。

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2012年1月12日 (木)

反対同盟 2012年団結旗開き

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 1月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟の「2012年新年団結旗開き」が成田市内で160名が結集して開かれました。反対同盟事務局員として闘いの中心で頑張ってこられた鈴木謙太郎さんが前日急逝されるという中での旗開きでした。闘い半ばで倒れた謙太郎さんの悔しさ、無念を晴らしその遺志を引き継ごう、そして何よりも目前に迫った市東さんの農地をめぐる決戦に備える厳しい、緊張感あふれる旗開きでした。1218_2

 冒頭、この日司会を務めた萩原富夫さんが、時折声を詰まらせながら謙太郎さんが心原性脳梗塞で亡くなられるまでの、6日朝に倒れられてから、一度は大丈夫だと言われ意識を取り戻し周囲に語りかけられたことなど経緯を詳しく報告された上で、旗開きを開会されました。

 黙祷をして謙太郎さんのご冥福を祈った後、この日の朝の新年デモで明らかにされた「2012年闘争宣言」(「2012.pdf」をダウンロード )を伊藤信晴さんが読み上げられました。

 1218_4 反対同盟を代表して挨拶に立たれた北原鉱治事務局長は、先ず成田空港が今だに完成していないことをとりあげ、「わずか2週間たらずで決定という最初から間違ってきたから完成できない」「我々と労働者、学生の闘いが阻んできたが、完成しないのはその闘いが正義だからだ」と断じられ、現在の政治などに対し「これでいいのか」「生きるということはどういうことか」「根本から変えるしかない」と呼びかけられました。

 反対同盟のみなさんが前に並び、「謙太郎さんへの想いを胸に前に進みます」「昨年以上に力を貸してください」と呼びかけられた市東孝雄さんが音頭をとり、乾杯です(最初の写真)。

 しばらく料理に舌鼓をうち、酒を酌み交わしながらの歓談です。その後、各個人、団体からの年頭の挨拶と決意が、「三里塚47年の闘いが生きる時代が来た」と語られた動労千葉の田中康宏委員長の挨拶から次々とはじまりました。

 1218_5 2番手が私たち関西実行委員会を代表して永井満代表世話人です。永井さんは、「闘い抜き、勝利することをもって鈴木さんの霊前に報告しよう」と呼びかけられ、5・20東京高裁反動判決後の闘いの場で謙太郎さんと握手したのが最後だったと思い出を語られました。そして「市東さんの農地を守る闘いに全力で取り組もう」「絶対に許さない」と語気も荒く呼びかけられたのです。

 反対同盟顧問弁護団からは葉山弁護士と一瀬弁護士が。続いて恒例になりましたが「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんが市東さんを中心に勢ぞろいで並ばれます。1218_6 足立成田市議が挨拶されました。また匝瑳市のコメ農家小川浩さんをはじめ農民のみなさんが、謙太郎さんへの想いやTPP反対の想いなどを語られます。

 「市東さんの農地を守る沖縄の会」からのメッセージが紹介されました。群馬の青柳さん、全学連、動労水戸やス労自主、「障害者」、婦人民主クラブ、星野さんの会など多くの団体、そして最後に現地支援連の挨拶と決意が続きました。

 1218_7 最後に反対同盟を代表して萩原進事務局次長が挨拶と提起をおこなわれました。萩原さんは、今朝、140名で敷地内デモをやり抜いたことを報告した上で、鈴木謙太郎さんの死に対して、「悔しさ、無念、怒りで言葉にならない」と。そして「2012年は市東さんの農地を守る決戦であるとともに、市東さんの農地を武器に現体制と闘い抜く年だ」と提起されました。「我々も厳しいけれども、それ以上に奴らは厳しい。闘えば必ず勝利する」とも。「人民の渦の中に飛び込んで決起を促そう」と。

 そして福島で現実に起こっている様々な問題、事態を詳しく指弾しながら、原発・核政策に対する激し怒りを表明されました。「国、東電、学者、裁判所などに徹底的に責任を取らせなければならない」と。「福島・沖縄・三里塚は立場は同じだ」「国策・国益に対して今こそ闘っていこう」「裁判所を包囲し、揺るがす闘いを実現しよう」「すべての人々に訴えていこう」と。1218_8 そして「鈴木さんの無念さを返してやろう」「この一年とことん、火になって闘い抜く」と。

 反対同盟全員が前に出て、太郎良さんが音頭を取って全体で団結ガンバローを唱和して、この日の旗開きを終えました。

 

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2012年1月11日 (水)

鈴木謙太郎さんとの別れ

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 鈴木謙太郎さん(1954.11.17生れ、行年58歳)が、心原性脳梗塞によって1月7日亡くなられました。余りにも突然の、早すぎるご逝去に加代子さんをはじめご家族はもとより、多くの知人、友人、ご親族のみなさんが悲嘆の涙にくれました。

 一昨日、9日にはお通夜、10日には出棺の儀、告別式、野辺の送りが、多くのみなさんの参列の下、しめやかに行われました。告別式では、市東孝雄さんが、共に戦ってきた友人として参列者を代表して弔辞をのべられました。火葬されるのを待つ間に、お母さんのいとさんが、「家族みんなで前をむいて前進していく」ときっぱり言われたのをそばでお聞きしたのが印象的でした。通夜や出棺の儀で、加代子さんが謙太郎さんの頬を優しく撫でながら去りがたくしているのを次女の由美さんがやさしく肩を抱きながら促しているのに思わず涙させられました。

 加代子さんが、参列者への「感謝」として書かれたものが通夜の席で紹介されていました。それを掲載させていただいて参列のご報告とさせていただきます。

 

 遠く離れてしまっても家族の絆は永遠です

 朝から晩まで共に農作業に汗を流し、完全無農薬の有機野菜を力を合わせて作ってまいりました。08060014_2 年間を通して五十品目・・・頑張ってこられたのもいつも隣に笑顔で励ましてくれる夫がいたからこそと、在りし日を振り返っております。近くに買い物に行くのにも私達は一緒でしたし、傍にいることを当たり前のように感じていましたが、何気ない日常こそが一番の『幸せ』だったのだと改めて気付かされます。

 三里塚・芝山連合空港反対同盟の一員としての活動には、苦労も困難もありましたが、今日まで一致団結し、志を貫いてきた夫。温厚な人柄からでしょうか、多くの方に支えて頂き、皆様に慕われ愛されました。09030015 短い生涯ではありましたが、与えられた命を精一杯輝かせ、人生の道のりを力の限り歩み抜いた夫をたたえ、逝く背中を見送ります。

「あまりに突然でまだ先のことは考えられませんが、三人の娘は私がしっかり守っていくので心配しないで見守って下さい。これまで幸せな日々をありがとう」

夫 鈴木謙太郎は、年も明け睦月の寒さがひとしお身に染む平成二十四年一月七日、行年五十八歳にて生涯に幕をおろしました。

出逢い、笑顔を寄せ合い、夫の人生に彩りを添えて下さった皆様へ、深く感謝申し上げます。本日はご多用中、ご会葬頂き誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもってお礼申し上げます。

平成二十四年一月九日

                      喪主  鈴木 加代子

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2012年1月 8日 (日)

訂正

鈴木謙太郎さんの葬儀会場の電話番号が違っています。0479-76-4187 です。訂正します。

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2012年1月 7日 (土)

訃報  鈴木謙太郎さんご逝去

11109 今日、午前10時過ぎ、三里塚芝山連合空港反対同盟の鈴木謙太郎さんがご逝去されました。享年57歳。

 温厚な人柄で反対同盟の重鎮、まとめ役として重要な働きをしてこられた謙太郎さん。お父さんの幸司さんの後を継ぎ、三里塚有機栽培産直の会の大黒柱だった謙太郎さん。

 そのあまりにも早い訃報に驚きと信じられない思いで一杯です。昨年、12月10日、市東さんの会のシンポジウムの後の交流会で席を同じにして酒を酌み交わしながら、「来週の土曜に同盟の忘年会があるから来ないか」と誘われ、「いやぁ、ちょっと」と言葉を交わしたのが最後の会話でした。元気さと貫禄のあるその風貌がまだまぶたに残っています。

 闘い半ばで、ご家族のこともあり、その胸中の無念さと気がかりがいかばかりだったろうかと想わざるをえません。正念場を迎えたこの年、関実の団結旗開きにおいでいただくことを楽しみにしていましたのに。謙太郎さんの無念さを私たちの闘いで晴らして行きたいと念じます。心からご冥福をお祈りいたします。

お通夜 1月9日(月)午後6時より

告別式 1月10日(火)午前12時半より

【式場】 さくらの宮ホール  千葉県香取郡多古町多古3572-8               ☎0479-76-7212

     喪主  鈴木加代子さん

(なお、写真は、昨年の10・9全国総決起集会で「農民アピール」をされる謙太郎さん)

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訃報  鈴木謙太郎さんご逝去

11126  三里塚反対同盟の鈴木謙太郎さんが、先ほど10時過ぎに亡くなられました。

 今朝8時の段階での現地の萩原さんからの情報では、昨日、脳溢血で倒れ救急車で病院に運ばれ、意識不明だったが、一旦回復されて意識が戻られているということでした。

 しかし、先ほど病院に詰めておられる市東さんに継り、確認させていただいたところ、午前10時過ぎに亡くなられたということでした。

 今後の予定をはじめ、詳しいことはまだ全くわかりませんが、闘い半ばに倒れた謙太郎さんの無念さを想い、心からのご冥福を祈りたいと思います。

 写真は、昨年12月6日の市東さんの農地に係る行政訴訟・農地法裁判の報告会の折の鈴木謙太郎さんです。

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関実 2012年団結旗開き

11110        (写真は、昨年の団結旗開き  於・港合同田中機械ホール)

関西実行委員会 2012年団結旗開き

【とき】 1月15日(日)午後6時~

【会場】 神戸学生青年センター・ホール (右下図参照)

【会費】 1000円

 Photo 2012年。市東さんの農地を守る正念場の年が明けました。三里塚反対同盟は、明日、東峰十字路北側の開拓道路に結集を呼び掛け新年デモを午前中に闘い抜いた上で、午後1時から成田市内で団結旗開きを行い、戦闘宣言を発して、闘う陣形を確立します。

 私たち関西実行委員会からも永井満代表世話人を先頭に旗開きに馳せ参じます。

 そして反対同盟の檄を受け、35回目の「2012年団結旗開き」を上記要領で、反対同盟の代表を迎えて開催いたします。

 2012年、三里塚・沖縄・福島を結んで闘いの輪をひろげ、市東さんの農地を守り抜き、三里塚闘争勝利への道を切り開きましょう。その闘いの第一歩として、団結旗開きへの参加を呼びかけます。

 例年通り、酒・ビール・アルコール類は各団体の持ち寄りでお願いします。また団体ごとの「出し物」の準備をお願いします。

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2012年1月 6日 (金)

阪神淡路大震災17周年集会に参加しよう

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                (写真は、昨年の被災地反失業総行動集会より)

東日本大震災が私たちに問うもの

 ー 生きる権利を求めて

阪神淡路大震災17周年集会のご案内

【とき】1月15日(日)午後2時~4時半 (参加費無料)

【ところ】新長田勤労市民センター・大会議室

【主催】被災地反失業総行動参加団体連絡会

 Photo 本年3月11日の東日本大震災は、地震と津波の被害とともに原発事故が重なり大惨事となり、現在もその被害は続いております。

 私たちも今から17年前に阪神淡路大震災を経験しましたが、今回の大震災はその規模といい、原発被害が今から何十年と続くことといい、阪神大震災より大きく厳しいものとなっています。そして大きさや厳しさでけではなくて、私たち労働者・住民のこれまでの価値観が根底からひっくり返させられる内容をもっております。核と人類は共存できない、人間が人間らしく生きるとはどういうことか、そのことがすべての人々に突きつけられています。

 今回の集会では子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表の1202s 中手聖一さんから福島現地の報告をしていただきます。中手さんは震災発生以来、放射能から住民を守るために現地にとどまり、障がいをもつ子どもたちの避難や、すべての人々が避難することができるように取り組んでこられました。また現地にとどまる権利も等しく認め合う「避難の権利」を要求しています。さらに現地にとどまらざるをえない人々の内部被曝を少なくするために野菜カフェの活動も行なっています。

 全国からの支援を得て瓦礫の中から団結をつくり上げ生き抜いてきた私たちが、未曾有の大災害と向き合い生き抜く人々に、どのような支援・連帯ができるのか、中手さんのお話しをうかがって考えていきたいと思います。

 また阪神淡路大震災の決着もついておりません。借り上げ住宅について兵庫県や神戸市は、追い出しを強行しようとしています。そして西宮・芦原地区の改良住宅追い出し裁判は、許せないことに一審敗訴となり控訴審へと移っています。私たちがやるべきことは山積みです。

 ぜひ、一人でも多くの方々に「生きる権利を求めて」阪神淡路大震災17周年集会に、ご参加いただきますよう心よりお願いいたします。

     被災地反失業総行動参加団体連絡会代表・長谷川正夫

                 (1・15集会案内状より転載)

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2012年1月 2日 (月)

港合同 元旦闘争

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 元旦早朝に、港合同南労会支部の21年にわたる争議の闘いが、大阪の千里で闘われました。集会が伊射奈岐(いざなぎ)神社の参道の横にある公園ですので、初詣に訪れた人々が「なにごとかな?」と立ち止まり、集会をのぞき込み、ビラを受け取っていかれます。この公園でのマイクの声が聞こえるほどのすぐ近くに、(医)南労会の前代未聞の刑事罰におよぶ賃金事件を始め長年にわたる不正経理、不当労働行為の実行者である若杉常務理事の自宅(上写真の旗の間の家)があります。

 ―― (医)南労会は1992年から2001年の間に、労働組合の役員であり、事業の発展の基礎を築いてきた古参の職員ら12名を解雇しました。労働組合をつぶす目的で行われた不当な解雇であり、今日まで解雇撤回を求めて闘ってきました。

 先日、南労会からこのうち9名の自宅と南労会支部に、4百万円から千数百万円の「金を払え、払わないと『破産』を申し立てるぞ」という通告書が届きました。

 1211_2 不当解雇にあったので、仮処分裁判で「賃金を仮払いせよ」と南労会が命じられ、過去に払ってきた賃金、それに年5分の金利をつけた額などです。

 南労会は賃金を不払いにしたまま労働者を解雇し、労働委員会命令や判決を無視して、20年もの歳月、不払いを続け、ついには大阪地検の捜査線上に挙げられているというのに!です。 ―― (この日配布されたビラより)

 集会は、主催した港合同から中村副委員長(右上写真)の挨拶ではじまりました。当該の南労会支部の小松委員長代行(左下写真)から挨拶と基調が提起されました。1211_3 そのあと、解雇攻撃と闘う和歌山の田辺ユニオンや関西合同労組など各労働組合からの連帯挨拶や、メッセージの紹介がありました。

 さあ、若杉常務理事糾弾のデモです。神社に初詣に向かう近所のみなさんが、何事だろうとビラを受け取っていかれます。すぐに若杉常務理事の自宅の前です。怒りのシュプレヒコールを叩きつけてデモが進みました。(直前まで窓は開けられていたそうですが、この時は閉じられていました。自動車がありますし本人は中にいるのです。)

 これほど「人の道に外れている」ことはないだろうと思いながらデモの中で声を上げていました。21年に及ぶ港合同南労会支部の苦闘に支援の声を上げていきましょう。

 さて申し遅れましたが、「明けましておめでとうございます」。中村副委員長が挨拶の中で言っておられましたが、正に「年の初めから喋るのが重苦しい」状況があります。それにめげず当ブログも、三里塚、沖縄、そして福島の人々、そしてみなさんと共に新しい年を頑張って発信していきたいと思います。よろしく。

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